まさかこれが観られるとは思わなかったよ・・・92年放送の「Kwidan-怪談」シリーズの「耳なし芳一のはなし」しかも、こんなにクオリティーの高い作品だったとは・・・!! 原作・小泉八雲、脚本・岸田理生、演出・久世光彦、芳一役・三上博史で面白くならないはずがないのだけれど、それにしてもこの作品の出来は素晴らしいね・・・

小泉八雲の本を岸田さんの脚本でドラマ化というのはすごい案だったね。このシリーズのうち岸田さんは4本の脚本を手がけている。この「耳なし芳一」の話は原作から若干ひねって、怪談話が愛の物語に作り替えられた。 耳に経文を書き忘れて取られたのではなく、愛の証として芳一が命の耳を差し出したーという風に。

三上博史さんと中村久美さんの相性は素晴らしい。シリーズになってる他の話も観たけれど、この「耳なし芳一の話」はなんだか別格だ・・・ 舞台劇を観ているような脚本だし、台詞の一つ一つのテンポ、間、声のトーン、台詞の表情が、とても細かくそして的確に発せられる。 微妙なトーンをはずさない三上さんと中村さんの台詞の掛け合いには思わず唸ってしまったけれど、このあたりは久世光彦さんの演出との共同作業か、、、? CGのカニさん達がちょっと笑えるけど、まあそのあたりも当時のテレビドラマとしては新しい試みだったんだろうし、興ざめするほどハズレてるわけでもない。

びっくりしたのは、身毒丸の中の台詞がそっくりそのまま聞こえてきた時だ。 どちらの話も二人が結ばれる事は本来許されない関係だ。お互いの気持ちを知って、その二人の愛の行方を決める瞬間の女からの台詞。藤原竜也君の身毒丸でもうすっかり馴染んだ撫子の台詞。

世の中の事は見まじ、聞くまじ、語るまじ。忘れるがいいんです。ほら、ここは暖かな真昼。陽射しが降るよう、溢れるよう。空よぎる陽炎のように、沢わたる風のように、さあ、お抱きなさい、私(の体)を。

このシーン、舞台の上での撫子と身毒、そして二位の尼と芳一の図が不思議と対をなして重なったからびっくり仰天! 撫子と向き合った身毒丸はこの時、家も継母子の絆も世間の声も飛び越えて撫子を抱き二人は結ばれる。 そして芳一は、、、愛しい人を前にハラハラと涙をこぼしながら、絞り出した声で「できません、、、」と拒絶する。 決して越えてはならない「あの世」と「この世」、「人の男」と「」・・・・

岸田さんは寺山修司さんとの共同作業で似たようなコンセプトでいくつも本を書いてきたから、この台詞も天井桟敷の身毒丸あるいはどこか他にあったのかもしれない。 身毒丸にある「もう一度お前を妊娠してあげる」という台詞は映画の「草迷宮」にも出てきた。けれど、同じ台詞を寺山作品とは全く別のテレビドラマの短編に使うとは思いにくい。 この「耳なし芳一のはなし」は、岸田さんが新たに書き直した蜷川演出の「身毒丸」より数年前だ。結ばれなかったあの世とこの世の二人の代わりに、撫子と身毒を同じ台詞で結びつけたのだろうか?

それにしてもね〜、、耳を差し出してもぎ取った後の二位の尼と芳一の二人が、まさに至福の表情で泣き濡れてるのが凄い・・・ 久世さんの演出力も大きいと思うし。久世さんはお茶の間ドラマだけじゃない。を引き出すのがすごく巧い人だったのだから。岸田さんも久世さんももうあの世の人になってしまったけれど、こんな顔合わせでのドラマがあった事が凄い。

それにしても二位の尼/中村琵琶法師/三上、、、エロいよ!! 
おいおい、尼と坊さんだぜ?いいのかよ〜?! ってな位・・・でもすごく美しい。二人とも神々しいくらいに奇麗。 あと岸田さんの書く本の日本語は美しい。私は日本語が美しく聞こえる芝居がとても好きだ。 だから日本語を美しく聞かせてくれる役者が好きだし、自分も日本語は奇麗に話したいと思ってる。このドラマは怪談シリーズの一つの短編だけれど、とても質の高い作品だと思う。もう16年も前なんだね。覚えてる人も少ないんだろうか・・・・?16年経ってからでも観られたのは嬉しいね。

こちらで観られます。なんのこっちゃ?と思われた方はどうぞ。


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