見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

タグ:藤原竜也

日本の映画で去年気になっていたのが、蜷川実花監督の、「ダイナー」だ。予告だけはyoutubeで見ていたのだけれど、実花さんは画面も役者もとにかく美しく撮る人なので、ハードな中にも(殺し屋専用のレストランらしい)美しさとカッコ良さが垣間見えていた。そしてキャスティングの顔ぶれが何といっても楽しみだった。
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藤原竜也くんがまだ10代の時に、その才能に嫉妬してからずっと応援している私としては、 どうしても映画での藤原竜也がいつも役不足に感じてしまう。深作欣二監督の「バトル•ロワイヤル」と三池崇史監督の「さぶ」以降、どうしてもアイドル売りっぽかったりマンガチックだったり、もちろんそれでも目を引く演技をしているのだけれど、彼はやっぱり「生かされて光る役者」なのだと思う。彼が生きる本を与えられて、自然に持っている演技力を引っ張り出す様な演出に出会うと、底力を発揮する。だから、蜷川幸雄という演出家は藤原竜也という役者にとって特別だったのだろう。

自分自身の人生を持てないでいるかな子(おおば かなこで大馬鹿な子)は一目惚れしたメキシコの街に行くお金を調達するためにやばいバイトに引っかかり、命と引き換えに、殺し屋専門のレストランにウェイトレスとして放り込まれる。レストランのシェフ、ボンベロは元殺し屋だったのを、前オーナーのボス、デルモニコに拾われ、足を洗って天才シェフとしてレストラン「Diner」を任されている。シェフが元殺し屋なら、ここにくる客も全員が殺し屋、という世界。

とにかく実花監督の絵は色のこだわりが凄い。1カットの中の色のバランス、それぞれの色の配分が彼女らしいというか、特徴的だ。これは写真家としての蜷川実花が、初期の頃から誰とも一線を引いた色づかいの絵を表現して認められてきた、彼女の武器と言ってもいい。そして、背景の絵も、役者たちも美しく彩られている。髪型、メイク、衣装全てにおいて乱れても美しい絵になる様に。

主演は藤原竜也と謳っているのだけれど、ストーリーの主人公はかな子だ。演じている玉城ティナさんはモデル・アイドル系の方の様で、確かに滑舌も巧くはないし演技力は弱いけれど、その表情が絵になった時にパワーがある。これがモデルさんの持つカメラに向かう力、というのだろうか。可愛いなあ〜〜、、
初めは自分の人生、存在をほとんど感じさせないキャラクターだったのが、「ダイナー」で目の前に繰り広げられる血みどろの場面を潜り抜けるにつけ、どんどん芯が太くなっていく。

どうしても見ていると蜷川幸雄さんを思い出してしまう部分も多い。亡き親分、デルモニコの肖像は蜷川さんご本人のが使われているし、少しだけ回想で登場するシーンでは、井出らっきょさんが演じている。らっきょさんは蜷川さんの舞台にも出演しているし、稽古中に蜷川さんの物真似をしてご本人に「それは俺か〜?不愉快だなあ〜」と苦笑いされていたりした。本当にそっくり!ボンベロの「俺を見つけて育ててくれたのはデルモニコだ」は素敵なトリビュートだし。

小栗旬演じるマテバが殺されているシーン、まずキレイな花に彩られた水面が映り、私はその瞬間にミレーの「オフィーリア」の絵を思い出した。そうしたら次にはまさにオフィーリアよろしく水面に浮かぶマテバの死顔が、、、、かな子が死を意識することでどんどん強くなっていく様は「ロミオとジュリエット」のジュリエットの様だったし、意図してか、無意識にか、やっぱりお父様の血を実花監督の中に感じた。

武田信治さんは、もうクレジット見るまで誰だか解らなかった!!ぶっ飛んだ役は結構うまいんだよね。本当はこの人ももっと観たい役者だ。やっぱりぶっ飛んでいた90年代のドラマ「チャンス」とかも面白かった。ちなみに彼が演じた大島渚監督の「御法度」での沖田総司は、大河「新撰組」での竜也くんの沖田総司と並んでダブルベストだと思っている。

お年を全く見せない真矢みきさんの迫力は、やっぱり元宝塚男役!片眼のカラーコンタクトといい、実花さんのセンスが光ります!ぐちゃぐちゃでも、血だらけでも、とにかく美しく、それでいて実はかなりハードボイルド!

藤原竜也さんをカッコ良く魅せることができるのは、やはり昔から役者としての彼をよく知ってのことだろう。絆というか、確固たる信頼感が画面から伝わる。舞台で見る彼は黙っている時の表情だったり動いていない時の背中から感情が見えてくる様な演技をする時があって、それをカメラで拾うのはなかなか難しいと思う。私が映画での藤原竜也に今一つ「違う」感を感じるのはそのせいかもしれない。一見浮世離れしたこのストーリーの中で、ボンベロのかな子を見る目が少しずつ変化していく。実花さんは美しくそれを撮ってくれている。だから、最後のシーンのボンベロの安らいだ表情での抱擁はそれまでの派手な色使いの血飛沫舞い踊る場面から打って変わって自然色に見えるのだ。

監督デビューの「さくらん」から蜷川実花監督の映画は見ているけれど、どんどん良くなっていく。これは元々が漫画という原作があっての作品だけれど、もっといろいろなジャンルの作品を撮れる監督になってくれると嬉しい。

普段は娯楽映画はあまり興味がないのだけれど、面白かったね。ずっと白の衣装だったボンベロが、最期にメキシコのかな子の店に来た時には黒の衣装だったのも印象的だった。白のロングの衣装はローブの様で、「キリストか」と思うと、最後の衣装は「神父か?」という感じ。

そういえば小栗旬さんの太宰治の作品もあったはず。太宰も「人間失格」も、どちらかといえば嫌いなのだが、観てみるかな、、、、

 


日本のテレビを見られるアプリを入れて一番嬉しいのは、地上波でないチャンネルも入っていること。昔からWOWOWで収録・放映される舞台作品は「ああ、観たい!」と思うものがいくつもあった。もちろん舞台は舞台で観るのが一番で、それは私の中でも絶対なのだけれど、観に行かれない時には最近増えてきたTheatre Liveが頼りだ。 

「渦が森団地の眠れない子たち」の公演に関して聞いていたのは、藤原竜也さんと鈴木亮平さんのダブル主演で小学生を演じる、という事だけだった。
実は鈴木亮平さんの事は私は「精霊の守り人」で観るまで知らなかった。日本にいない身なので勘弁していただきたいのだが、「精霊」でのヒューゴ役を見てすぐに、「この人、誰!?」と思って調べた人だ。ドラマ経歴も長く、年齢ももう30半ば、主にテレビドラマの仕事で出てきた人のようだけれど、元々は学生時代から芝居をやっていたという。体格も所作も舞台向きだし、 声も滑舌も良い役者というのは私はすぐに目が行く。藤原くんとは「安針」で共演したという事だけれど、ロンドン公演にはいなかったと思う、、、、

「渦が森団地の眠れない子たち」がオリジナル作品だというのは今回の放映に際して初めて知った。なるほど、当て書き台本ほど心強いものはない。本と演出の 蓬莱竜太さんはご自身の劇団で本を書き、演出も手がけてきている、でも舞台を観る機会はなかったので、こちらも私は初めてだ。ただ、経歴を見ていて「あ!」と思ったのが、以前にネットで観たテレビドラマの「平成細雪」の脚本を書いたのが蓬莱さんだった。とても独特の空気感のある本だったので覚えている。

さて、小学生だ、、、、地震があったエリアから渦が森団地へと引っ越してきた一家。啓一郎はこのとき初めて、母には(双子の)姉がおり、叔母と従兄弟が同じ団地のどこかに住んでいるらしいと告げられる。 でも関わり合いにはなってはいけない、お母さんによく似た人に会っても無視しなさい、と。
出逢ってしまった従兄弟の鉄志は団地の小学生軍団のキング。ガキ大将で、強くて、強引で、でも親戚がいたことを喜んでくれたので、二人は親友の誓いを交わす。そこから数年、子供たちの目から見た団地という世界の力関係、素直だったり、嘘をついたり、友達の見方になったり喧嘩をしたり、、、その中で、本当は嫌いなのに、本当は好きなのに、勝ちたいのに、やっつけたいのに、悪いと思っているのに、謝りたいのに、、、、と様々な心の葛藤が子供の目を通して描かれる。もちろん子供を見守り、また振り回される大人達の姿も。

メインのキャラクターはほとんどが小学生役で、大人役は鉄志と敬一郎の母親を二役で演じる奥貫薫さんと団地の自治会長の木場勝己さんだ。このお二人がガッチリ支えている。
やっぱり当て書きされた本は役者を十分に生かしていて、藤原竜也と鈴木亮平という全く違うタイプの役者をそれぞれの多面性を引き出していて見応えがある。

鈴木さんはどちらかというと正統派な演技をする人だ。声も滑舌も良いし、演技もなんだろう、、しっかりと構成されている、と言えばいいのだろうか。演技が「きちんとしている」のだ。それに対して藤原竜也という役者はやっぱり技術よりも感性が滲み出て来る演技をする人だ。 竜也くんはう〜ん、掠れ声で叫んじゃうのがやっぱり気になるなあ〜。大人になったら息の使い方も上手くなるかなと思ったんだけど、蜷川さんはあんまりそういうことには拘らなかったんだね。もちろん演技力というか、なんだろう、竜也くんの芝居にはオーラがあって、今回のような当て書き本だとそれが本当に生きて来る。

良い本だ。素直に「良い芝居だな」と思って観た。大人だから判る子供時代の微妙でデリケートな心境、それが子供の目で描かれ、それを大人の役者が演じる、、、、「小学生を演じる」と一言で言うにはあまりにも複雑なのだ。蓬莱隆太さんは素敵な芝居を書くなあ〜。

考えてみたら、今の子供達って、こんなふうに外に出て、戦争ごっことかもうしないんだろうな、とふと思った。今の子供達は家でゲームしたりネットしたり、ガキ大将がキングって呼ばれてるなんて事、今となってはもう架空の世界の事なんじゃないだろうか、、、?それとも、まだ地方にいけばこう言う子供達の姿も少しは残っているのだろうか?

後半は涙が出てしまった。芝居で泣くのって久しぶりだ。そして、芝居の最後に大人になった啓一郎が鉄志の事を懐かしく懐かしく、たまらなく会いたくなる気持ちが判る、、、、

子供達は眠れないのだ。考え、苦しみ、喜び、傷つき、後悔し、わけが分からなくて眠れない、、、、とてもリアルなようでいて、それでいて空想の中の話のような、不思議な空気感のある芝居だ。この感じって、前にドラマで見た「平成細雪」でもちょっと感じた。蓬莱さんの本、良いね。


あっという間にもう1月も後半!なんという事!

ひさしぶりに日本の番組をチェックしてみる。今年は NHK大河を追ってみるかな。本がクドカンさんだし。大河を一年間ずっと追う事は少ないのだけれど、「真田丸」以来だなあ。まだ序盤だけれど、ちょっと変わった焦点で面白いじゃない。大河ドラマっていうと、ちょっと歴史物からはずれたり年代が近代物になると人気が落ちてしまうものだけれど、視聴率とかは関係ないと思うのでね。キャスティングも揃っているし。

もうひとつ、小振りながらちょっとハマっているのが「新しい王様」。久しぶりに役者らしい藤原竜也がいる。これはやっぱり香川照之さんと競演しているからに他ならないね。「そして誰もいなくなった」とか「リバース」も話としては面白かったし、それなりだったのだけれど、やっぱり「私が観たい藤原竜也」には役不足だったと感じている。だから今回真っ正面から香川さんと火花散らしているのが凄く嬉しい!!

久しぶりにドラマで(舞台ではなく)竜也くんらしい姿をみて、なんとなく似たような感じを持った気がして考えてみたら、そうか、私が昔まだ10代だった藤原竜也という役者に感じたものを、最近はスケートの宇野昌磨選手に感じているのだと気づく。

「似ている」というのでもない。でも共通するものを感じるという事で、私の中でなんとなく「応援する人」というのが繋がっているのだ。芝居とスケートではもちろん畑は違うのだけれど、まだジュニアで全日本に出たきた頃の昌磨くんのスケートに感じた「持って生まれた独特の表現力」が、素人で蜷川幸雄さんに見出されて初めて芝居を経験した頃の藤原くんの「フッとできてしまう演技」に似たものがあった。

役者でも、自分で本を書いたり演出をしたりできるセルフプロデュース力のある人もいる。でもそうではなくて、本を渡され、役を与えられると、書かれているセリフの何倍もの演技ができてしまう役者というのがいるのだ。大竹しのぶさんもその一人だと私は昔から思っている。まだ自分も劇団で芝居をやっていた頃に出てきた大竹さんを「この人は何十年に一人の天才だ」と思い、その大竹さんの次に同じように「天才だ、、、」と思ったのが藤原竜也だった。

でも「天才かも、、?」と思う素質を持った人が本当に「天才だ」と言われるようになるのは、地を這い泥を舐めるような努力をしてこそだ。良い指導者に出会うというのも大切な要素だ。選手には良いコーチ陣、役者には演出家・監督。高みを目指すために自身をギリギリまで追い込む努力を欠かさない人が上に登っていける。

竜也くんは舞台では蜷川さんにボロボロにしごかれ、映画では深作欣二監督に煌めくような演技を引き出され、大河の「新撰組!」では三谷幸喜氏の当て書きで沖田総司のものすごい振り幅の演技を見せた。15才でのデビュー当時はもちろんまだ半分子供みたいだったけれど、「バトルロワイヤル」から「ハムレット」、そして「新撰組!」の18才から22~23才の頃は何をやってもどんどん伸びていって「この人はどこまでいくんだろう、どんな役者になっていくんだろう」と目が離せない気持ちだった。

シニアデビューしてからの宇野昌磨選手もまさにそうだ。どんどん伸びていく。「どこまでいくんだろう」と次の大会が楽しみになる。そして藤原くんは芝居に対して、昌磨君はスケートに対して真摯で、最大限の努力をし続けるのは共通しているようだ。技術はもちろん重要だ。役者としての技術は声や滑舌、呼吸、身体の動き等、感覚だけではできない事が多い。スポーツであるフィギュアケートはもちろん技術なしには戦えない。どちらもいつも完璧なわけではない。でも「役」を、「プログラム」を自分の色に染めて観る人に届けることができるというのは「練習」だけではできない事だ。

全日本で怪我を押して優勝した宇野選手は棄権を説得するコーチ陣に「僕の生き方です」と言い切ったそうだ。大人達は「そう言われてしまっては、、」と彼の生き方を否定する事はできずに、強行出場を認めざるを得なかったという事だ。藤原竜也の伝説のロンドンデビュー公演でも似たようなことがあったのはよく知られている。

初舞台、ロンドンデビューの「身毒丸」の公演最終日、腰痛が悪化した竜也くんは歩く事も、立つことすらできない状態になってしまい、仕方なく蜷川さんは2回公演のマチネに代役を立てた。昼公演は中止になったのだと思って午後に這うようにして劇場に来た竜也くんは代役が立っていた事を知ると大声で「いやだいやだ!」と泣き叫び、楽屋のソファーに突っ伏して大号泣し、夜の公演には自分が出ると言い張った。

「お前それは無理だろう」と蜷川さんが説得しても、共演の白石加代子さんが慰めても聞かずに、大声で楽屋中に響く声で泣き叫び続けたという。その姿を見た蜷川さんは、「今この子を舞台から下ろしたら、この子の人生は変わってしまうかもしれない、この15才の少年はもう一生大人を信じられない人間になってしまうんじゃないか」と思い、心中覚悟で出演を許したという。いつでも代われるように代役が衣装を着けて舞台袖で待機しながら幕を開けた千秋楽公演の藤原竜也は、狂気を孕んだような、鳥肌が立つような演技だったと蜷川さんは後々まで語っていた。

しばらく忘れていたそんな事を思い出しながら見ている「新しい王様」。竜也くんももう30半ば、父親にもなったし、蜷川さん亡き今、これからどんな熟年俳優になっていくか、、、長身だけど童顔だし、これからどんな役で光ることができるのか、、、?

2月にはスケートシーズン後半の国際戦が続く。昌磨くんの捻挫は治ったかな?6週間くらいかかるような捻挫だとまだ本調子じゃないかもしれないね。でも出るんだろうな。四大陸の後にはチャレンジカップにも出るようだし、振り付けの手直しはあったのだろうか、、?フィギュアの選手は役者のように一生やっていけるわけじゃない。身体のピークは過ぎてしまったら若返りはできない。だから、本当にこれからの2−3年が「フィギュアスケート選手」として達成できる頂点になる。

藤原竜也が21歳で演じて賞を総なめにしたハムレットのような演技を宇野昌磨がスケートで魅せてくれるのが待ち遠しい。今、とても近くまで来ている、、もう少しだね。怪我だけが心配だけど本当に「その時」を楽しみにしている、、、
 


3月の初日まであと2週間をきった「ムサシ」は、本がまだ最期までいってないっぽいけれど、どうなるんだろうか・・・?? と気になり出した所に、「藤原竜也君が小栗旬君の深夜ラジオに来るんだって」との情報。当然私には聞くのは不可能なので、「ムサシの様子とか話題に出たら教えてね」と言っておいた所、某所で番組まるまる聞ける、とまた速報が・・・・

小栗君のラジオ番組は「オールナイトニッポンいや〜〜、懐かしい!!ほんっとになつかしいよ〜〜! オープニングの曲は今でも変わってないのね。

私は中学生になるとほぼ同時にラジオの深夜放送を聞き始めた。何がきっかけだったかははっきりとは覚えてないけれど、深夜放送を聞いてる連中が回りにいて、週のうち4日位、朝まで聞いていた・・・・ それでちゃんと学校でも寝てなかったのだから、私の寝ない癖はあの頃に身に付いたものなのだ

あの頃は、ニッポン放送のオールナイトニッポン、TBSのパックインミュージック、文化放送のセイヤングとあって、毎日様々なパーソナリティーで楽しい夜中のひとときだった・・・って、今にして思えばガキのくせにませてたよねえ〜〜!
ちなみにパックとセイヤングは3時までだっけど、私が聞き始めた頃のオールナイトニッポンは、1パーソナリティーで夜中の1時から5時まで4時間番組だった。大抵は4時半を過ぎた位でウトウト寝ちゃって、オールナイトニッポンを最期まで聞き通せた事は少なかったかも。確かそれからすぐに2時間2部制になったと記憶してる・・・?

竜也君と小栗君、楽しそうだね〜! っていうか、この二人は声が似てる。そう思ったのは私だけではないようで、番組中にメールで指摘された方もいた。声のトーンとか、若者しゃべりなテンポが似てるんだよね。「ムサシ」はどうやら台本は毎日少しずつ上がってくるとすぐ稽古を付ける、という形で進行しているらしい。それにしても大丈夫か井上先生、、?初日は3月4日かあ、、お〜、My birthdayですわ・・・

もとから題材としてあるものから台本を起こして、何度も書き直し、練り直し、あれこれと検討しながら時間をかけて練り上げた舞台が良いのか、ギリギリで上がったものをほとんど直感で創り上げて舞台に乗っけるのが面白いのか・・・ これが芝居の楽しい所。ただ、やっぱり実際に台詞や動きを覚えて演じる役者にとっては笑ってられない事態だ。これがほとんど台詞も動きも即興で舞台に乗っける、というのであればそれでまた別なんだけどね。

「ムサシ」は音楽劇っていう事だったのに、あんまり歌や音楽に関する話しは無かったね、、無くなっちゃったのかしら? 能の歩き方を稽古してるというから、蜷川演出には古典芸能っぽい色が入ってるんだろうか。いざとなったら、初日は出来上がった所までだけやるとかね。そう考えると、本当に終わりがなければいけないんだろうか?とさえ思う。終わりがなくて始まっちゃった芝居の幕をどうやって降ろすか、、なんていうのも実験演劇としては面白いよね

小栗君の話にあったように本番中に怪我をしてしまう事だってあるし、台詞や歌詞がスポーンと頭から飛んじゃって、全く違う事をしゃべって場をつながなくちゃいけなくなったり、なんて事もある。あるはずの小道具が無かったり、衣装が破れたりなんて事は大抵の役者は遭遇してるはずだ台本が出来てなくたって面白いじゃないか とりあえずムサシが小次郎に勝つのは解ってるんだから。いや、、これもかわっちゃっても面白いかも

ライバルであり良き友人である彼等二人の会話は、途切れる事無く深夜の電波に生き生きと乗っている。スタジオで目をきらきらさせてマイクを囲む二人の姿が目に浮かぶ。小栗君は初日の直後にまたオールナイトニッポンに駆けつけるそうだ。聞いてる人にまたエネルギーをいっぱいくれるのだろう

いろんなコーナーがあったり、視聴者からの葉書や手紙で盛り上がったり、時にはゲストが来たりする深夜放送の楽しさ、ずっと忘れてたよね。高校生の頃には、送った手紙が番組で読まれた事も何度かあって、記念品をもらった事もあった。手の届かない向こうの世界じゃなくて、いつでも参加できるみたいな身近な雰囲気が常にあった。これはきっと今も変わらないのだろう。葉書や手紙が今はe-mailになったのが大きな違いか・・・

それにしてもチャン、チャチャン、チャン、チャチャン、、、って始まるあのオープニング曲、ほんと懐かしかった〜〜!


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クリスマスの2日間はテレビとDVDで過ごしてしまった。クリスマスのテレビ特番は、バラエティーものや往年の映画なんかで彩られてるけど、デジタル放送になってからはチャンネルも多いし、ちょっと見逃しても後でリピートして観られるから、便利になったもんだ

日本から届いたDVD、ドラマは長くなるのでとりあえず観易い映画から、という事で「カメレオン」から観た。阪本順治監督と藤原竜也君の組み合わせは楽しみだった。阪本監督は「」と撮るのがとても巧いかたなので、娯楽アクションものでの新しい藤原竜也をどう引き出すか、と期待してた

久しぶりに、映画で藤原竜也という役者が光っていた!「バトル・ロワイアル(1のみ)」「Sabu」以来といって良いと思う。今までの他の映画は、正直いって「そこそこ」にしか藤原竜也が良いとは言い切れなかったからだ。竜也君の演技での表現力、アクションでの柔らかさ、軽やかさ、そして映画全体の疾走感、一座での大人チーVS若者チームのテンポとリズムのズレの掛け合い、それらが見事にきっちりフレームサイズに収まっている。

「ムーンライト・・・」はきれいな作品だったけど、どうしてもタレント映画の域を出ていなかったように思ったし、「デスノート」では、藤原君の持つ空気感がカメラのフレームに収まり切っていなかった。阪本監督は、いっぱいいっぱいの空気をきっちりフレームに詰め込んで、躍動感と同時にちょっと埃っぽい昭和の臭いとかを出している。久しぶりに良い出会いだったんじゃないだろうか。水川あさみさんも骨太な女優さんで、ドラマでも活躍しているけれど、この映画ではもっと良い。(余談ですが、イギリスでクリスマスNO1になった、オーディション番組でデビューしたアレキサンドラ、誰かに似てる、、誰かを思い出す、、?と思ってたら水川あさみさんだった!)

「これは転機になりそうな作品だな」と嬉しく思って、次に舞台「かもめ」のDVDを観た。
これは・・・・すみません、面白く無い・・・・もちろん舞台をDVDで観るという事の限界は解ってる。でも収録された生の舞台というのも、きちんと舞台の魅力は伝わるものだ。

女優陣は良い。美波さんは初めてちゃんと観たけれど、思った以上に良かった。前半はかなり声高だったけど、それが2幕との対比になっていて、声も通るし台詞の表現も的確だ。彼女のニーナと、麻美さんのアルカージナ、小島聖さんのマーシャはやろうとしている事がはっきりしているのだけれど、男優陣が、、わけ解らない・・・

今までだって私がかもめの舞台を面白いと思えた事は無い、、、いつも、どこか出来上がってない感じで、「じゃあ、これを面白いと思わせてくれる演出家や役者は素晴らしいのだろう」という「あと一歩」的な期待がいつもあった。藤原竜也君がトレープレフと聞いた時は、これまでと違うトレープレフで新境地になるか、、と思った。でも、、観始めてすぐに???マークが頭に飛び交ってしまった。

鹿賀さんのトリゴーリンも何をしたいのかが見えて来ない。面白くないし、ニーナがあんなに夢中になるのがさっぱり理解できない。チェーホフのかもめは悲劇なのか、喜劇なのかといういろんな解釈を目にしてきた。これは翻訳にも関わってくるのだろうけれど、笑える所もあるはずだし、でもそれは言葉尻のおかしさではなく、人間が言ってしまう事の可笑しさであるはずなのだ。それが全く無い。

一幕では何故皆あんなにきゃーきゃーきゃーと叫んでいるのだろう・・?うるさいなあ、、、トレープレフは何であんなにハズレて一人だけ違う世界でキレているのだろう・・・?そんなトーンで、そんな風にはわめかないだろうと思うような声で・・・ 解らない。特典映像でのインタビューを聞くと、やる事は解っているようだった。群像劇である事、聞き手/受け手としての演技が要求される事、解っているみたいなのに、それが出せていない・・・。チェーホフはやり難いだろうし、相性の良い役者自体少ないから、きっと本人もすごく苦労したのかもしれないね。

全体がばらついて見える舞台というのは、演出意図が見えて来ない。これはどんな「かもめ」にしたかった舞台なのか・・・???群像劇で、役者達の声のトーンやリズムが絡み合わないと最悪、雑音になってしまう。余談だけれど、少し前に観た「イワノフ」では、チェーホフってこんなに面白いのもあるんだ、、と思った。あんなに笑ったチェーホフ劇は初めてだったかもめは、チェーホフの代表作としてイワノフよりもずっと上演されてきたのだから、きっと本当はもっと面白い戯曲なんだと思うんだけど、、、なんで?

25歳になった竜也君の演技に、最近自意識が入り込んできてるような気がして不安だ。
役者はどんな演技でも多少の自意識は持っていないといけない。でもこの自意識は役者を輝かせもし、潰しもする。特に舞台では、自意識無くして演技というものはあり得ないのだけれど、この自意識が演技の大きな妨げになる事が多いからだ。

身毒丸の初舞台から10代の頃の彼の演技には自意識が入り込んでいなかった。それはきっとそれを意識する余裕が無い程、無我夢中だったからなのだろう。だからこそ、天性の表現力が自意識によって邪魔されていなかった。でも最近は、大人になった役者・藤原竜也が考えて、計算して創り上げて演技をしている。「藤原竜也が演技している」というのが見えてしまう、、、「デスノート」を観たときに、ちょっとアブナいと思ったんだけど・・・・

成長するためのターニングポイントは重要であり、危険だ。ハムレットから新選組で一つ目のピークが来たなと思ったので、その後の留学とかが良い道しるべになったのでは、、と応援しているのだけれど・・・ 曲がり角を間違えると、大通りに出る事も後戻りもできなくなってしまう・・・でもねえ、大人になればなる程、この自意識っていうのは大きくなっていくからね。これを消して、演じる役に我が身を差し出す事ができる役者は希有だ。

次は若手中心でまた蜷川さんの舞台。蜷川さんの舞台に慣れ過ぎてしまっていませんように。蜷川さんがいなくなる時、教わった事を忘れずに曲げずに役者として生かしていけるかどうか、、、まだ25だもんね〜。若いというのは吸収するのも成長するのも早いけど、変わっちゃったり忘れちゃったりするのも早いんだよね、、、、ちょっと老婆心出ちゃいました。

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昨日、レイフ(Ralph Fiennes)の映画を観た後考えた。

芝居を観に行く時はいつも先にプログラムを買う。でも開演前には開けない。
1幕を観て「あの人は・・?」と思った役者を幕間にプログラムでチェックする。
私が「上手いな、」「良いな」「凄いな」と思った役者さんの経歴にRADAの文字がある場合が多い。

Royal Academy of Dramatic Art という王立の演劇養成所は創立して100年以上経つ、イギリス屈指のエリート演劇養成所だ。 他にも、LAMDA、CSSD、Guildhall等、有名な養成所はいくつもあるし、West Endで活躍する人達は、皆一様にそういった場所でプロの俳優修行を積んできている。ただ、どうやら私が個人的に「良いな」と思う俳優達がRADA出身者である事が多いみたい。

じゃ、何がどうで「この人、、、?」って思うのかというと、はっきりと定義がある訳じゃないんです。 ミュージカルを観てピンときた人達もいれば、普通の現代もののプレイだったり、あるいはシェイクスピアみたいな古典劇だったり、思う人はいろいろです。

ビビアン・リー、ケネス・ブラナー、アントニー・ホプキンズ(彼の名前はアンニーです。アンニーではありません!)マイケル・ケイン、ロバート・リンゼイ、ピーター・オトウール,フィオナ・ショウ、ショーン・ビーン、ジョナサン・プライス、ジュリエット・スティーヴンソン、アラン・リックマン、etc,,,etc,,,,   こうやって並べてみると、クラシックに強い人が多いのかな・・・と気付く。

古典劇を、ちゃんと演じきる技術をしっかり持っている人が多い。 だから卒業後、RSCで名前を観たり、映画やテレビでもクラシックな芝居を演じて、光る事ができる人達。
例えば半分うとうとして眠りかけたような状態で観ていても、台詞がストーンと耳に入ってくる。一言一句がその場で書き取れる程はっきりと子音のひとつひとつまで解る。 そんな台詞の技術をちゃんと見せてくれる人達。

呼吸の使い方や声のコントロールがきちんとできない人が古典劇をやると、ひどい目にあう。 いくつかそういう悲惨な舞台も観た。膨大な台詞に溺れてしまってアップアップしながら台詞を言ってると、今度は身体がガチガチになって、棒立ち、酸欠のまま延々3時間もわめき続ける事になる。

まあ、そこまでひどくはないけど、、、と言いたい所だけれど、それを楽にこなして見せるのが役者の仕事なのだから。 舞台で役者が苦しんでるのがわかってしまうと、こっちも息苦しい数時間を過ごさなくちゃならない。

シェイクスピアなんかは、演出的にはかなり古典の域を脱してしまっている物も多く、台詞がちゃんと出てくれば、現代に近い感覚で演じられるパターンが増えてきているので、本来の古典的な芝居をきちっとやってくれる俳優を観るとホッとする。「ああ、この人できるな」と思うと安心して観ていられる。

2ヶ月位前だったかな、今までのいろんな「ハムレット」を集めて特集した番組があった。沢山の俳優達による様々なハムレット。「くずし過ぎだよ〜」と思うものから、正統派まで本当にさまざま。 年齢も23才から60近い俳優達が演じたハムレットを比べる番組。

チャーミングだったのがレイフ・ファインズ。王妃とのシーンは繊細で素敵だった。観たかったなあ〜彼のハムレット・・・!(戯れ言ですが、彼は王妃役をやった20才も年上の女優さんと9年間同棲してたのですよ・・・)

昔は、RADAはそのクラスの内容を全く外部に見せないと言われていた。入るだけでも競争率は60倍とも70倍とも言われ、入学が許されるまでに何度もオーディションと面接が行われる。 入れただけで、イギリス演劇界のエリート切符を手にしたようなものだ。ただ、その内容についてはほとんど知られていなかったのだけれど、最近は少し変ってきたのかもしれない。日本でも昨年、東京と金沢でRADAの講師によるワークショップがあったようだし。

何といってもびっくりしたのは、10年くらい前に始めた、「日本人のプロの俳優達のためのワークショップ」だ。何で? なんで日本なの・・・

ただでさえ入るのは狭き門なのに、英語がネイティヴに話せなかったらおはなしにならないのが当然なのに。わざわざ日本人のためのショートコースをRADAがやってくれるなんて??  それだけ日本には、基本的な訓練法を教えてくれる所が無いという事か・・・?それにしても、どうしてそんな事が実現したんだろう・・・?

何年か前に無くなってしまった、この日本人俳優の為のショートコースが今年から復活するみたい。 思うのは、藤原竜也君なんてマジでこういう所に参加すればいいのにな。秋にまたシェイクスピアを演るのだし。 プロの俳優対象っていう事で、オーディションが無い代わりに、本人を知る演出家からの推薦が応募条件という事なので、蜷川さんの推薦なら間違いないんじゃないのかなあ〜〜 滅多にないよね、こんな機会は。普通のRADAのコースには逆立ちしたって入れないんだから・・・・・

藤原竜也、24才、舞台経歴、「エレファントマン」「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「オレステス」と並んでて、蜷川幸雄推薦だったら、まずOKなんじゃない? 1ヶ月で50万だし・・・? なんて、、、、

やっぱり俳優になる為の職業訓練システムが、日本には無さ過ぎるのが悲しい。 スタニスラフスキーシステムアレキサンダーテクニックといった、身体を演じるための媒体として訓練するっていう方式がもっと浸透して、プロの技術を持った名優がどんどん出て来て欲しいよね〜〜



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Play without words を観るために次に藤原竜也君がやってきたのは、High Wycombeという街。ここまで来るともうロンドンとは違うイギリスらしい街の雰囲気がわかるはず。 このあたりからロンドンまで通勤してる人達は、通勤に時間をかけてでも、仕事を離れた自分の生活の場を確保したいというイギリス人達だ。ちなみにロンドン市内に住んでいる75%は外国人で、EUの加盟国が増えるつれて、どんどん増加している。

High Wycombeという街は面白い伝統がある。毎年市長が選ばれて、一年間の市政をとる。任期の初めに中世からの衣装で計りに乗って体重が計られる。(写真) 翌年、任期を離れる時にも同様に体重が計られ、もし増えていたら、市民が汗水流して支払う税金で肥え太ったとみなされ、罵倒されてトマトや腐った果物を投げつけられるのだ。こんなユーモアはイギリスらしい。

さて、出演者のRichardとSamに会うために劇場にやってきた竜也君。「緊張する〜」といいながらも、ピリピリした表情ではなく、内心わくわくしているのが解る。むしろ内心「どんな奴がくるんだ?」と構えていたのは、Richard達のほうだったろう。「Barbicanで15才の時デビューした日本の俳優で、21才でハムレットを演って日本の演劇賞を総ナメにした」位のインフォーメーションは聞いていただろうから・・・握手をした時のちょっと探るような視線、、、


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