彼が探し物をすると言ってアティック(屋根裏)に上った。1年半近く前に家のひび割れ修理の後に片付けて以来だ。久しぶりに、しまい込んだ箱を覗いてみる。結婚した時に日本から送った自分の記録。テープや本、台本や進行表、普段は読まないと思ってしまい込んだ芝居関係の本・・・その中に寺山修司さんの演劇論集を見つけた

あれ・・・?これって読んだっけ、、??・・・っていうか、これ私の本??
記憶を辿るけど覚えが無い!! 、、、あれ?誰かが貸してくれたような気がする。借りてろくに読まないまま返さなかったってか・・? 誰に??

寺山さんは一度劇団にいらした事がある。急遽、没になった公演の代わりに小スペースで寺山さんの本を上演する話が持ち上がって、私も本読みに呼び出された。寺山さんもいらしてお話をしてくださったのだけれど、その企画も確かそのまま流れて公演は無かったーーと記憶してる。今思うとあの頃はもう亡くなる数ヶ月前くらいじゃなかったのかなあ〜〜・・・?

私は「アングラ」と呼ばれた種類の演劇はいくつか観たけれど、芝居として面白いと思ったわけじゃなかった。演じている側の自己満足を打ち破って、観客を巻き込んでいく域に達しているとは思えなかった。感じとれるのは匂いや空気等で、それ以上の「演劇の面白さ」を発見できるまでの芝居には当たらなかったという事なのだろう。残念ながら「天井桟敷」の芝居は一度も観る機会は無かった。あと数年早く生まれてたらよかったのかな。劇団・天井桟敷はうちから歩いて5分の所にあったんだけどね

この演劇論集は寺山修司さんが演劇としてやりたかった事がとても解り易く寺山さんの言葉で説明されている。「なるほどね、そういうアプローチか!」と読んで行くにつれて面白い。これは私が思っていたアングラとはちょっと種類が違うなあ〜・・・そもそも「アングラ」という言葉自体、「よくわからないけど、ちょっとマイナーでカッコ良い」っていう程度の事で総称されてしまったんじゃないだろうか?

この本は劇場論、戯曲論、俳優論、観客論を述べたところで、この4つの関係についての寺山さんの試みるドラマツルギーを説いている。これが無ければ演劇が成り立たないはずの4つの要素を取り除いてしまう、、、そこから生まれる関係。まだ途中だけど、なんでこれを読んで無かったのかと自分でも不思議なくらい。

・ 俳優達は「観られる」のでも「見せる」のでもなく、巻き起こし、引きずり込むのである。
・ 演出家は展示する人間ではなく、たくらむ人間だと思っている。
・ 俳優は行為の一つ一つを限りなく記憶してゆくのではなく、限りなく忘却してゆくのである。ありとあらゆる新しさとは、忘却されたものとの再会にほかならない。
・ 劇が生まれた時、はじめて劇場が出現したと言うべきだ。建物としての劇場は演劇にとっての牢獄である。
演劇は社会科学を挑発する。

寺山さんは、もっともっと挑発したかったに違いない・・・

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