実はこの数日、ちょっとYoutubeを徘徊していた。私のMacはもう古過ぎて動画サイトをちゃんと観る事ができない。だからYoutubeも今はほとんど観ないのだけれど、音だけならちゃんと聞こえる

まだ小学生の頃に「学生街の喫茶店」で一躍人気者になったGARO, なんでだったか、友達が教えてくれて子供心にファンになった。最初は人気者グループという意識で好きになって、特に私はトミーこと、日高富明さんのファンだった。「君の誕生日」や」「ロマンス」で歌番組やバラエティー番組に出ている彼らを一生懸命見ていたっけ。今のようにネットなんてなくて、「明星」や「平凡」に出ていたアーティスト達のスケジュール情報をチェックしてラジオ番組なんかも録音したりして・・・

あの頃はまだ意識して「音を聴く」という事はしていなかったのだけれど、3歳からピアノと、小学生の時には一応YAMAHAの専門コース(4年間)で音楽教育を受けさせてもらっていたので、自分の中で「この音楽が好きだ」という感覚はあった。ファンになると凝り性なもので、彼らのデビューアルバムから遡ってお年玉でレコードを買い集めた。そしてなんとなく、表向きにヒットしていた曲と彼らの初期アルバムの曲の感じがかなり違う、という事は私にも解った。好きだったのは3枚目の「GARO3」とデビューアルバムで、家ではほとんどこの2枚を毎日リピートしていたっけ。後半期のアルバムでは「吟遊詩人」。「サーカス」はアルバムとしては面白く聴いたけれど、これも私がとても好きなガロとはちょっと違う感じがした。

彼らが解散した頃には私の関心は既にブリティッシュロックに移っていって、彼らのシングル「姫鏡台」が出た頃にはもうあまりピンと来る物を感じなくなっていた。結局その頃には彼らは大ジレンマに陥っていて、目指す音楽の方向性と売れ線に乗ったレールとが食い違い過ぎてやがて彼らは解散する・・・・

実に40年近く経った今、そのガロのマーク、こと堀内護さんがなんとGAROの曲と新曲を会わせたCD「時の魔法」をリリースしたとネットで知ってビックリ仰天した。ガロ解散後もロック路線に向ったトミーやプロデュースの仕事を続けていたボーカル(大野真澄)さんの事はちょくちょく耳に入っていたけれど、私が「今はガロの3人はどうしてるのかな」なんて思った頃には確かマークさんはオートテニス場を経営する実業家に転身していたのだ

驚いてマーク(堀内)さんのサイトを尋ねてみる。アルバム発売に伴ってインタビューなんかも見つかった。私にとってはまだ子供心にしか覚えていなかったガロが急に懐かしくなって音探しにToutubeをさまよってしまった
やっぱり彼らのハーモニーは凄い!
ライブでさえも崩れない。しかもこの3人は声質が3様に違う。その違った声が見事に重なって醸し出すコーラスはやっぱり特別なものだったと思う。3人共ソロで歌える力があったからこそのハーモニー

今聴いてみるとやっぱり当時=70年代の歌謡界というものに翻弄されてしまったGAROの音楽がよくわかる。売れなきゃ意味がない歌謡界で、自分達の音楽を貫き通す事ができなかった彼らのジレンマは、成功との天秤で揺れた事だろう。女の子達にキャーキャー叫ばれて歌謡番組に出ていても、「実はこんな歌、歌いたくなかったんだ」という彼らの声が聞こえてくるようだ

売れ線として発売されたガロのシングルの中で、私が一番好きだったのは実は「一枚の楽譜」だった。最初のギターのイントロがもうカッコ良くて、トミーのボーカルだったし、オリジナルのガロらしい曲では無い(作詞は山上路夫氏、作曲が村井邦彦氏)けれど、この曲はすごく耳に気持ち良くて、私の好きなだった。実はこのギターを弾いていたのは日高さん本人だという事を当時は知らないで聴いていた。子供だったもので、テレビでは生ギターで歌っている彼らしか見なかったから、レコーディングには別のミュージシャンがバックの音楽をやるのかと思っていたのだ。

今聴いて、なんだか胸が痛くなった。そうだね、トミーはロックがやりたかったんだよね、彼はギター青年だったんだから、そう、こんなギターをもっともっとかき鳴らしたかったんだ・・・・「姫鏡台」??はい、解散して正解です、って感じ。ガロ以降の日高さんをもう少し追っていれば良かった、、、そう思うとなんだか胸が痛む。でも私はガロ解散の頃はもうすっかりQUEENにのめり込んでいて、Led Zeppelin, Deep Purple、EL&P,あたりに10代後半を費やしたのだ。

今聴く、ガロ以降の日高富明さんの音、やっぱり好きだなあ〜〜。まあ、今聴くと確かにちょっと古くはあるけど、あの時代の音だね。もう一つ、彼の声そのものも音の一つだと思う。ちょっと高めの声で、音程の取り方もはずさずに高め。(低めの音は私の耳にはもの凄く気持ち悪い)ああそうか、こういう音楽をやりたかった人なんだね、、、ギターリストとしてももっと評価されても良かった筈だ・・・もうひとつ当時の私が知らなかった事、元ディープパープルのリッチー・ブラックモアのバンド、Rainbowの日本公演でトミーのバンド=Ma Ma Dooが前座をつとめていたそうだ。多分レインボーになって初来日の時かな。

実は私はレインボーの2度目の来日公演に行ったのだ。武道館のアリーナ席8列目だったのだけれど、始まって5分もしないうちにアリーナのパイプ座席はすべて踏み荒らされて、舞台に向って押し合いへし合いのまさに人津波。呼吸困難で圧し潰されるかと本気で怖くなって、押し寄せる人をかき分けて少し下がって非難したほどだ。そしてその数日後、札幌公演で女性が死亡し、コンサートでのセキュリティー体勢が大幅に見直される事件になったっけ・・・

マークさんの「時の魔法」のアルバムをMP3でダウンロード買いしようと思って、そうか、日本のアマゾンからはダウンロード購入ができない事を思い出した。視聴してみるとGAROの曲のアレンジも堀内さんらしいヴァージョンになっていて、多分売れ線を抜きにして彼らがオリジナルに作りたかった音に近いんじゃないだろうか。そして参加しているミュージシャン達の豪華な事 40年近くも経って、各々に活躍している人達がこのアルバムの為に集まってくれたというのは本当に素敵な事だ。マークさんの人柄なのかな。

時の魔法によって蘇った懐かしい曲達、そしてMark from GARO。でも、歌/音楽を蘇らせる事ができても、人の命を蘇らせる事はできないね・・・今頃になってやっぱり胸が痛む。日高さんが亡くなったニュースはロンドンに来てからだった。ビックリ仰天した。今のようにネットなんてなかったから詳しい事は解らなくて、「マンションから転落死、自殺?」という事だけしか私は知らない。36歳なんて、男の人が人生で一番カッコ良く活躍できる時だったはずなのに・・・ただ、ただ残念だよ、、、

ガロついでにYoutubeで昭和を徘徊。奥村チヨさんとか、広田三枝子さんとか、遠い記憶で実際にはちゃんと覚えていなかった人達をもう一度見てみると、やっぱり昭和の歌手の人達は「歌が巧い」。当たり前なんだけど、歌唱力/表現力が今の時代とレベルが違う。プロの歌手として売れるためには何ができなくてはいけないか、を厳しく教え込まれてきた人達だ。作詞家/作曲家の先生達の力が大きく、事務所やレコード会社の商戦等、本当に自分の歌いたい歌を好きに歌えた人はどれだけいたのだろう?それでも売れるために積み上げて来たプロの力は明らかだ

「マーク復活」とはいっても堀内さんだってもう64、、、時の魔法のプロジェクトの途中で大病をされて数カ月も入院し、麻痺してしまった手でギターが弾けるようになるまで数カ月のリハビリをされたとか。でもなんだかすごく嬉しいなあ、、マークさんがもう一度ガロの音を届けてくれた事が。あの3人でのハモリはもう聴けないけれど、彼らの音楽をよみがえらせてくれた事が

生きていてこその時の魔法だ。死んでしまったら、、、そこから先へは行かれない
日高さんが生きていたら、再びライヴでの時の魔法もあり得たかもしれないのに。やっぱり今さらながらすごく残念
久しぶりに大昔の自分に戻ってちょっと感傷に浸りながらのガロ徘徊の日々・・・