なんでこういう発想になるのか自分でも笑っちゃうけど、「耳無し芳一のはなし」の最期のほうで、三上博史さん演じる芳一が耳を無くした後に頭巾をかぶってる姿を見たら、思い出さずにはいられなかった・・・・坊主めくり! そして坊主めくりといえば蝉丸

昔はよくやった坊主めくり、、、と言いたい所なのだけれど、実際には坊主めくりをやったのは、親戚一同が新年やお盆に集まった時にお婆ちゃんの家で従兄弟達と、と決まっていた。 考えてみたらその他の時にその他の人とやった事は無かったんじゃないかな。 でも父方の親戚が集まった時は夕方からのお決まりのゲームだった。

叔母さん達が持ち寄ったおかずをつまみに大人達はビール、子供達はおばあちゃんの家を駆け回って遊び、夕方にお寿司がやってくる頃になると出てくる桐の箱に入った百人一首坊主めくり時間だ。子供/従兄弟達だけで8~10人いたので、結構にぎやかに盛り上がる。

ちょっとしたルールの違いはいろいろなエリアであるみたいだけど、うちのはいたって単純。烏帽子を冠った男性札は一括して「おさむ(お侍)」女性札は「お姫」坊さん札は「坊主」と呼んでいた 。山札からおさむを引けばそのまま手持ちに。坊主を引いたら手持ち札を全て場に出さなくてはいけない。お姫を引いたら場に出された捨て札を全部もらえるか、捨て札が無い時は2回山札から引ける。

そして蝉丸・・・ちょっと調べてみると、「他の人の持ち札がもらえる」、というルールもあるみたいだけれど、うちでのルールは逆で、負けのジョーカーだ。蝉丸を引いたら手持ちを全部放棄してゲームから追放される。だから蝉丸が出ると、キャーキャーと叫んで大騒ぎしたものだ。私達にとって、坊主めくりの勝負は、最期に誰が一番札を集めて勝ったかではなく、いつ、誰が蝉丸を引いて負けるか、という所にあった。実際、蝉丸が出てしまうとその後の盛り上がりに欠けて、いつの間にか、蝉丸が引かれた時点で一番札を持ってた人が勝ちということで、また次のゲームに移ってしまった気がする。

なによりもこの蝉丸がちょっと特別に子供達から不気味がられていたのは、おさむとも坊主ともつかない絵によるものだったと思う。
百人一首の種類でいろんな絵があるようだけど、このお婆ちゃんの家にあった札では、蝉丸は緑色のひょろっとした帽子を冠っていたおさむの烏帽子とははっきり違う。蝉丸は一応坊主に属していたけれど、なんていうか、お坊さんのような徳の高さもお侍のような品の良さもなく、はっきり言ってちょっと小汚いというか貧乏臭いというか、、、そんな風貌なのだ。帽子が緑色っていうのがまたちょっと胡散臭い感じ。

祖父母とももう他界して、あの家も10年前にマンションに立て替えてしまって、あの百人一首は何処にいったんだろう? 従兄弟達で誰か知ってるかな〜?トランプでいうババ抜きみたいなものだけど、坊主めくりの歴史は古いらしい。子供の頃はやっぱりお姫を集めるのが嬉しかったりしたものだ。小野小町の札、「この人はとっても奇麗なお姫様なんだよ」と教えてもらったわりには、札に描かれた絵のお姫は後ろを向いていて顔が見えないのだった・・・

坊さん繋がりでニコニコから引っ張ってきました。3つに分かれてアップされてる最期の部分で、前に触れた、身毒丸の撫子の台詞と同じ一説が入ってる部分です。(こちらのページ)やっぱり岸田生理さんのこの脚本、舞台になりそうだわ。



こちらにも1クリックお願いします
Banner