見つけもの @ そこかしこ

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タグ:フェードル


早く劇場に行きたいとは思うものの、やっぱりまだデルタ型のCovid-19の感染が気になるこの頃なので、今のうちにまた日本のCS放送をチェックしてみると、大竹しのぶさんの「フェードル」の舞台放送をやっていた。気づいたのは放送の3日後で、14日間まで遡って見ることのできるサービスで本当に良かった!

ラシーヌの「フェードル」といえば、私は何年か前にヘレン・ミランの舞台を観ている。ヨーロッパらしい舞台で、「ギリシャ劇のフランス版」を見事に表現していてミラン女史の演じる「女」に釘付けになったのを覚えている。

今回は栗山民也氏の演出で、大竹しのぶさんのフェードルだ。これはもう本当に舞台を生で観たかった!
栗山さんの演出はロンドンで見た「フランス風ギリシャ劇」とはまたちがって、もっと激情に揺さぶられる情念たっぷりの芝居になっている。これができるのは大竹さんしかいない!と思わせる迫力だ。「恋」をすると同時に溢れ出る愛憎、義理の息子を愛する自分を疎み、自分のプライドと戦いながらも迸る激情に逆らえずに苦しむフェードルは、地団駄をふみながらも溢れ出る感情を抑えきれないでいる、、、大竹さんの演技はテレビ録画の画面からでもはみ出しそうなほどのエネルギーだ。これを劇場で観たらどんなだったのだろう、、、と思わずにいられない。

大竹さんのフェードルとなれば、周りの役者は大変だ。「どこまでくらいつけるのか、、、」と思いながらみ観ていたのだけれど、みなさん素晴らしくて良いカンパニーにだ。フェードルには乳母のエノーヌ、イポリートには教師のテラメーヌが対になっている。もともとギリシャ劇にはアンサンブルとして主役を取り巻いて話の補足役をするコロスという数人の役者たちがいるのだが、このラシーヌ版ではエノーヌとテラメーヌがその役割をしているような作りだ。この二人の役者がフェードルとイポリートに与える影響は大きいので、この二人の役者がとても重要になってくる。

林遣都さんは舞台もやるのは知らなかったけれど、「くらいついているなあ〜」というのがよく判る。実際のギリシャの男の人って、もっと泥臭い感じなのだけれど、まあ日本の舞台だからいいよね。でも舞台での声もいいし、すごく頑張っていてよかった。テラメーヌ役の酒匂芳さん、あまりお見かけしたことないとは思ったけれど、ずっと舞台をやってきた方なのだと知った。やっぱり!という感じ。がっちりイッポリートを支えてる。そしてキムラ緑子さんは見ただけでは判らなかったよ、、(私の中ではもっと若いお顔がイメージだったから)。彼女も流石に舞台の人だ!ガッチリと大竹さんのフェードルとペアになっている。

大竹さんは年齢と共に声にドスが出てきたというのか、、元々は高めの声なのだけれどすごく深みのある声が出せるようになってきて、ますます大きく見える。本当にこの人は演じる為に生まれてきた人だ。彼女の「ピアフ」を本当に観たかった。 60を超えてどんどん貫禄がでてきて、それでいて少女のようなしなやかさを失っていない。素晴らしいよね。「女」の情念をいろんな顔で見せられるこの役は本当に彼女ならではだと思う。

ただ、やっぱりこの戯曲はフランス劇であり、題材はギリシャであり、もう少し違う空気があってもよかったかなあ、、、とも思う。舞台全体がずっと暗いイメージだし、恋する女の気持ちは激情ばかりでなく、優しかったり夢見るようであったり、、という部分もある。ヘレン・ミランのフェードルはそっちの方をよく出していたように記憶している。舞台も、いかにもギリシャのサンサンとした太陽と深い青い海のイメージだった。もちろんこちらのフェードルは心の葛藤が中心で演出もこういう形になったのだとは思うけれど。

英語で見たときはもともとのフランス語のセリフを詩的に訳していて、英語のセリフにリズムがあり、そんなところも本の魅力だったのだけれど、さすがに日本語訳でそこまでは無理なのは仕方がない。

ふと思ってしまった、、、蜷川幸雄さんだったら、大竹さんのフェードルをどう演出したのだろうか、と、、、、 

ナショナル・シアター(NT)へ行った帰り、いつもはEmbankmentに戻るのだけれどちょっとルートを変えてみようと思ってすぐ横のWaterloo Bridgeに上ってみた。いつもと違う角度から見る景色
Eye+Ben
ロンドンアイの中にビッグベンが入ってるなんて・・・

NTで見たのは、考えてるうちにSold Outになっちゃって一度は諦めかけたのに、先週にもう一度チェックしたらサークル最前列のセンターが取れてしまったヘレン・ミラン(Helen Mirren)主演の「フェードル=Phedre

考えてみたらジャン・ラシーヌの舞台なんてイギリスに来て初めて・・・っていうか、日本でも上演されてるのは観た事あったかな〜??劇団時代にラシーヌを課題にされて戯曲を読み込んだりしたけど、舞台はやった事も観た事もなかったと思う。アヌイやジロドウはやったけど・・・・

このラシーヌの「フェードル」はギリシャ悲劇の「ヒッポリュトス」が題材になっている。テゼー(=シーシアス)の後妻である女王フェードルが、夫と前妻との間に生まれた義理の息子ヒポリトス(イポリート)に恋こがれしまった事から起こる悲劇。本来ギリシャ劇というのはやっぱりかなり古い時代のものだし、ちょっと泥臭いというか、悲劇ものは得に辛気くさいというか・・・なにぶんにも戦争また戦争の時代の話なので華やかさには欠ける。それがうまくリメイクされているのはやはり作者がフランス人だからか・・・

フランス人は情念のようなものを描くのが上手いといつも思っている。文学や映画でもとてもエモーショナルでドラマチックな人間の心情を扱ったものは多い。ラシーヌの作品にはギリシャ劇に付き物のコロス(群集)もいっさいないが、古代ギリシャ劇を情念渦巻く心情劇として書いていて、これが当時のフランス宮廷で大当たりしたのだろう。「アンドロマック」に出て来るアンドロマックとエルミオーヌの対照的な女の描き方もそうだし、このフェードルでも「恋をしている女」のいろんな心情が描かれている。どれだけ女を演じられるかーが鍵だ。 

まず幕が開いて、舞台セットが目の前に広がった時には「おお〜〜」と声が出そうになった ギリシャだ。ギリシャの輝く太陽の色と真っ青な海の色をちょっとクリームがかった石造りのセットに反映させていて、幕が上がった途端にここはギリシャと感じる。眩しいくらいの色合い。この太陽が舞台に当たる強さ加減や角度が場面毎に変わる照明もすごく良い。このセットとライティングには賞をあげたい!

主 役二人にはシャドウのように対になったキャラクターがいる。ヒポリトスには養育係のテレメーヌ、フェードルには乳母のエノーヌ。この二人がヒポリトスと フェードルに与える力は大きい。どちらもベテランの俳優だ。この二人で、本来ギリシャ劇にいるはずのコロスの分も影としての存在感を充分に出している。

ヘレン・ミランのフェードルは美しい。実はプレスナイトの翌日の評は分かれていた。絶賛したものもあれば、「情念を表す何かが足りない」というものも・・・でも私が観た彼女のフェードルは女優として素晴らしいものがあった。最初に登場した瞬間からだった。恋をする女が持つあらゆる顔を巧みに見せる。思いを隠し続ける苦悩、恐れ、弱さ、そして押さえきれない告白、戸惑い、希望、嫉妬、絶望・・・どれもの姿

まず見た目の身体の線が美しい。体型が中年化していないのだ。64歳になったというのに、身体がどう見てもせいぜい40過ぎ・・?まだ若さを残した女の体型をしている。動きも優雅で女王役の気品もあるし。あの体型はどんな努力で維持しているんだろうか・・?テレビや映画でアップの顔を見るとやっぱり60代の女性の顔なのに、肩や腕のラインに年が出ないなんて!彼女の年であんなを演じられるなんて素敵だ

ヒポリトス(イポリート)役の役者は本人も地中海系の顔立ちで(ジョージ・マイケルみたいな)何故かこの系統の人ってモデルに多いんだよね。ハンサムっていうよりも、やっぱり男の熱い血を感じさせるものがあるっていう事なんだろうか。いや、私のタイプじゃないんだけどさ、情熱を感じさせる魅力はあるよね

英語訳はイギリスで詩人として有名なテッド・ヒューズ(Ted Hughes)のもの。ラシーヌがアレクサンドラン(1行が12音節)で書いた長台詞の詩的なリズムを生かしていて、飽きがこない。休憩無しの2時間だったし。
それにしても、あんなに毎日を演じてるとイヤになってくるんじゃないかなあ〜〜・・・?でもこれも男の目から見た女なんだよね。う〜ん、すごい洞察力だわラシーヌ・・・


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