日本版「ウーマン・イン・ブラック」を観て来た。

余談だけど、実はもう中学生の頃からずう〜っと気になっていたのだ。womanを日本語表記でウーマンって読むのは絶対に違うんじゃないかって・・・どう聞いてもウーマンとは聞こえないよね。イギリス人でもアメリカ人でもアイルランド人でもオーストラリア人でも、どんな外国訛りが入っても絶対にウーマンとは聞こえないよ。 あえてどうしてもカナで書くとすれば、ウォマンになるはずだ。どうしてこんな恥ずかしい表記が定着してしまったんだろう? 今からでもwomanの日本語表記をウォマンに変えてもらう手だては無いものだろうか・・・?

まあそれはさておいて、この芝居を観たのはもうロンドンで最初に幕が開いて間もない頃だったから、舞台バージョンはほとんど忘れかけていた。 っていうか、あの頃の私の英語理解力だと、ストーリーは問題なくても細かい台詞のやりとりで解ってなかった部分も多かったんだろう。 その後映画になったのも観たけど舞台版がこんなに面白く、笑える要素があったというのは今回新鮮だった。

上川隆也さんと斉藤晴彦さんのコンビはとてもバランスが良い。上川さんの語りの巧さは、限られた舞台セットや効果の中で観客を異空間に引き込む力があるし、斉藤さんの複数役は全くキャラの混乱なくスムーズに変わる。 二人だけのやり取りで、観客の想像力をかき立て、その場にない光景を見せ、観客に役と同じ感情=恐怖感を起こさせる。

上川さんの演技で観ているほうが実際に恐怖を覚えてしまう。何が怖いって、上川さんの恐怖の演技を観る事で、その恐怖がこっちに伝わり、彼の見ているものが見えてきてしまうのだ。 大げさな仕掛けなど無しで、それだけでかなり怖い。特に2幕は。

上川さんの表現力はこの芝居に必須とはいえ、素晴らしいといえる。決して大げさにのたうち回ってみせたり、神懸かりのような演技をしてるわけじゃない。演技そのものはあくまでもプロとして計算し尽くされたものだ。でも、その場に無いものを演技する事で観客に「見えた」と感じさせる表現力。上手い役者さんだ。 わずか3秒程の暗転で、時間や場所が変わった距離感をはっきりと出せるのも凄い。これは3月に観たキャラメル・ポックスの公演でも思ったのだけれど・・・・ 今まで涙を流して怯えていたのが、一瞬の暗転で映画のカットのように全く別の心情に跳ぶ。そしてそれに観客を付いてこさせられるというのが役者としてすごいね。上川さんもやっぱり舞台の役者だなあ。

斉藤さんの役は、大きな抑揚を押さえた中で、じわじわと若いキップスを恐怖の世界に追い込んでいく。 とても地味なところから始まって、でも少しずつ、気がつくとキップスの感情をあおっていく役割をしている。さりげない笑いを取るあたり芸が細かい。 大げさな演技でなく、しゃべりのトーンを変えるだけで何役もはっきりと演じ分ける。たった二人の芝居だけれど、この二人の役者の力量が全てといっていい。力のない役者では成り立たない芝居なのだ

この本がこんなに面白かった事を実感。ストーリー展開だけでなく、芝居というものの面白さをあらためて気づかせてくれる本だ。 芝居というのは、役者の声や語り口によってどんどん想像力を掻き立てる事が可能なのだ。演技一つで見えない物がその場にあると錯覚する程に見えてきてしまう。 ちょっとした語調やアクセントやしゃべり方のテンポを変えるだけで、全く別の人間を瞬時に演じ分ける事ができる。芝居/演劇というものの根本的な醍醐味みたいなものを再認識できる作品だ。こんなに面白かったんだ、、、だから20年もロングランしてるんだね。

今回はまるで日本にいるみたいだった。観客の99%は日本人。こんなのは初めてだよ〜〜。 客層はかなり大人で、カップルで来てる人が多かったので日本でよりは男性比率が高かったかな。う〜ん、協賛してる会社関係とかの人が結構いたのかなあ〜?・・・ちょっと残念、、、もっと地元の人達にも沢山来てもらえれば良いのにね。それを考えると、やっぱり蜷川さんって凄いよ。

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