見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

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今回の滞在での観劇は1本。丁度「Hedwig and angry inch」がオリジナルのジョン・カメロン・ミッチェルのヘドウィグで来日公演をしているというので、来る前にチケットを取っておいた。
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ヘドウィグに出会ったのはもう10年以上前になる。映画版を観て、派手でいて素朴で純粋なヘドウィグのいじらしい人生に魅せられてしまった。映画は何度も観た。その後、日本での上演が決まって、しかもヘドウィグが三上博史さんと聞いて、観に行かれないもどかしさに身悶えしたものだ。三上さん版はレコーディングCDが出ていて、これを何度も何度も聴いた。(ちなみに海外での上演作は映像としては残してはいけないという契約があると聞いた) ブロードウェイでは3年前に新たなキャストで再演されて、トニー賞でも話題になったけれど、今回の来日公演でまたオリジナルキャストであり作者でもあるミッチェル氏が演じると聞いて正直驚いた。

東ベルリンに生まれたハンセル少年はある日アメリカ人の将校に見染められる。一緒にアメリカに行こうといわれ、でも彼と共に共産国の東ドイツを出るには、女性であることを示した上で結婚しなくてはならない。彼の母はハンセルに言う。「私の名前とパスポートを使いなさい。女性の体になることは、、、そう、自由を手に入れるためには犠牲にしなければならない事があるものよ」。こうしてヘドウィグという女性になるために手術を受けたものの、失敗して、女性器は形成されず、1インチのモノが残ってしまう。

犠牲を払ってアメリカにきたものの、一年で離婚、しかもその日はベルリンの壁が壊された日。女性としてメイクをし、かつらをつけ、女として自分を売りながらヘドウィグはけなげに生きていく。遠い昔に神によって引き裂かれた自分の片割れ、本当の愛を探し求めながら。
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ようやく見つけたと思った相手、トミーは、彼女がベビーシッターをしていた家の息子だった。クラブで歌う彼女に惹かれたトミーはヘドウィグと組んでバンド活動を始める、徐々に成功し、二人の関係も深くなろうかという時に、トミーはヘドウィグの残された1インチに気付いて去って行ってしまう。しかもヘドウィグが彼に教え込んだショウビジネスの知識や彼女の創った歌まですっかり持ち去って、、、、、

今回の公演はヘドウィグの新しい夫、イツァーク役の中村中さんがヘドウィグの人生を語る、という形をとっている。本来はヘドウィグが歌い、走り回りながら自分の物語を語っていくのだが、やはり言葉の壁とスタミナのバランスを考えたのか。実はちょっと私も心配だったのが、ジョン・カメロン・ミッチェル氏の年齢だった。初演の舞台はもう20年近く前だ。彼は今年で54歳。歌いっぱなし、喋りっぱなしのステージはきついんじゃないか、、、と。

だから、イツァークが彼女の事を語り、要所の歌をミッチェル氏自身のヘドウィグが歌う、というバランスはとても良かった。ジョンの歌唱力に衰えは全くない。そして、中村中さんが素晴らしい!開幕と同時に観客が総立ちで踊りだす、というのもすごいものがあった。この作品が映画化されてから、いわゆるヘドウィグフリークのようなコアなファンが沢山いるという事だ。中にはヘドウィグの扮装で来ている人達もいた。

夫のイツァークは元ドラッグクイーンだけれど、結婚するにあたって、ヘドウィグは「二度とクイーンとしてステージには立たない」という条件を付けさせる。でも最期、彼女を裏切ってしまった事を詫び、彼女の幸せを願う歌を贈るトミーを見て、ヘドウィグは何かに目覚める。自分のかつらと衣装をイツァークにつけさせて、素の自分になって彼を見つめるヘドウィグの、新しい人生を予感させる終わり方だ。

そして、なんとなくこのラストが、ミッチェル氏から中村さんへのバトンタッチのような印象すら持ってしまった。ジョンは年齢的にも、もうヘドウィグをステージで演じる事はこの先ないんじゃないか、そして、このラストはイツァーク兼もう一人のヘドウィグを演じた中村さんへのバトンタッチなんじゃないか、、、と。

ジョンの演じるヘドウィグは可愛い。彼女の生き方はいじらしい。なぜだろう、とても純粋なのだ。だからこんなにも世界中にファンができたのだろう。

シアターオーヴに行ったのは初めてだった。なんでもミュージカルを上演するのが主の劇場だそうだけれど、2000というキャパでありながら、とても観やすい。遠くても、ステージが良く見える作りになっている。
観られてよかった。やっと見られた=ギリギリ間に合ったというのが正直なところかな。



久しぶりのミュージカル。なんだか最近はミュージカルよりももっぱら芝居の方が面白くて、なかなか「観たい!」と思う ミュージカルに出会わなくなっている。今だってもちろんミュージカルも好きなのだけれど、なかなか新作でピンとくるものが少ないのだ。大掛かりな(いわゆる観光客がお土産に観にくるタイプのもの)舞台は再演ものがほとんどで、しかも異常なほど値段が高い 最近観たのはミュージカルでも小劇場ものが多い。
で、行って来ました。The Wild Party
-Photo-Credit-Scott-Rylander


原作は1928年にJoseph Moncure Marchという人が書いた物語詩で、ポエムの形で書かれたのだが、あまりにも過激な内容で、発禁処分になってしまったそうだ。この作品が2000年に、ほぼ同じ時期にブロードウェイとオフ•ブロードウェイで2つのミュージカル作品になって上演されている。今回ロンドンで初演となったのは、ブロードウェイで公開されたMichael John LaChiusaのヴァージョン。
クイーニーは、ブロンドの踊り子で 、パートナーのバーズは同じヴォードビルショウに出演している芸人だが、少しヴァイオレントで危険なタイプの男。クイーニーとも時々激しく争う関係だが、クイーニーはおそらくこういう少し乱暴で危険な男が好きなのだ、、、ある日、二人はお互いの関係をリフレッシュするためにも、久しぶりにワイルドなパーティーを開くことにする。
少しさわりを、、、


 

パーティーのゲストが次々とやってくる。 レズのストリッパーと彼女の新しい恋人で重度のモルヒネ中毒のサリー、sexは誰でも何でもOKでお金持ちのジャッキー、オスカーとフィルは近親相関風な怪しい仲良しの兄弟。プロデューサーとしてアップタウンへ行こうとしているユダヤ系の二人組、黒人ボクサーと白人妻、その妹のナディーンはブロンドに憧れる16歳、、、、
ワイルドなパーティーが始まり、みんなで浴びるように飲み、踊り、コカインを吸いまくって大盛り上がりだ。そこへクイーニーの長年のライバルでもあり親友でもあるケイトがジゴロのブラックという男を連れてやってくる。

ゲストの一人一人を紹介する形で、役者たちが交互に歌い踊る。とにかくタイトル通りのワイルドなパティーだ。乱痴気騒ぎとはまさにこのこと!役者たちは所狭しと歌い踊り、そのパワーがとにかく凄い
このThe Other Palaceという劇場は以前はSt.James Theatreと呼ばれていたのだが、最近ロイド•ウェバー氏が買い取り、創造的なミュージカルの発信地になるような場所にしたい、と再オープンした。このThe Wild Partyは新しくなったThe Other Palaceのこけら落とし公演となる。舞台は半プロセニアム型(=舞台から客席が階段状にせり上がっていく形)で、段差が高めなので、どこに座っても前の人の頭で舞台が遮られることがない。これは本当に見やすくてありがたい。客席数は300ちょっとで、舞台と客席が一体感を感じられる空間だ。役者たちのエネルギーが劇場全体の空気になって客席を包む。良い劇場だわ〜〜

主演のクイーニーを演じるフランセス•ルフェルを始め、役者たちの力量がめちゃくちゃ高い。どの役者も一流の演技者で、シンガーで、ダンサーだ。もともとブロードウェイ版を作った時に、最高の技量を持つ役者たちが集まる事を前提として企画したそうだ。

パーティーは派手に続く、、、、お酒とドラッグで日常の仮面が剥がれていくにつれ、あちらこちらで淫らな乱行が始まる。今欲しいものを目の前で捕まえて、誘い、奪い、ジンのお風呂にコカインを撒き散らし、ほとんどオージーパーティーだ。その結果、皆がパートナーと言い争いになり、嫉妬と激怒で怒鳴り合い・殴り合いになっていくのだ。最後にはsexだけでなく、本当にロマンチックな関係になりそうなクイーニーとブラックにキレたバーズがピストルを持ち出す••••

人間の仮面を引き剥がすような、スキャンダラスな話だ。パーティーに集まってきた、かなり変な人間達が、やがてお酒とドラッグで日常の関係とは全く違う関係に発展していってしまう。メチャクチャな乱痴気騒ぎのあとには、昨日とは違う現実が待っているような終わり方で、前半の汗が飛び散るようなパワーが、後半ではジワジワと心が寒くなるような怖い空気になっていく。人間って、、こんなに簡単に揺さぶられてしまうのか、、、??

パワフルで、セクシーで、スキャンダラスなミュージカル。上に貼ったビデオでも、雰囲気を感じていただけると思う。エネルギーをもらえる舞台は本当に良いね!それでいて人間の心の闇を少し覗いてきたような気分。スキャンダラスな舞台って、大好きだわ〜〜


 


聖書の中にある、イエス・キリストがラザロ(ラザラス)という男を死後4日目にして蘇らせたという話は有名だ。ボウイーの死後、彼の50年近くに渡るキャリアに対するフィードバックが白熱している。70年代、80年代が青春期だった人達にとって、彼の影響力は計り知れないものがあった。音楽だけでなく、ファッションや金融、インターネットと、常に時代を先取りしてきたアーティストとして、好き嫌いはあるにせよ、彼の残した足跡の大きさは皆が認めている。

亡くなった週末のUKチャートでは、遺作のBlackstarがロケット並みの売り上げで1位となり、トップ40に10枚、トップ100に19枚のアルバムがチャート入りするという凄い現象が起きた。そしてアメリカでも初のアルバム1位に。まあ、これも亡くなった勢いというものだけれど、2週目になっても、一位は変わらず、トップ40に9枚(と41位)、トップ100に 19枚のアルバムが入っている。チャートの20%を一人のアーティストが占めるなんて尋常じゃないよ、、、ボウイーらしい「ラザロの復活」だ

さて、今年初の芝居は座席数100のトラファルガー・スタジオでの「The picture of Dorian Gray
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オスカー・ワイルドの代表作だが、これは元々戯曲ではない。最初に文芸雑誌に掲載された際には、当時は違法だった同性愛の色が出ているという事で、編集者によって添削されてしまった

今回の台本は、ワイルドの孫でもあるマーリン・ホランド氏の協力でオリジナル原稿から削除されてしまった部分を取り入れた新しい本という事だった。
この配役、ヘンリー卿とドリアンのキャラクターが、見ての通り実際のワイルドと恋人だったダグラス卿に瓜二つ

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 よく言うと、完結でシンプル。大げさなエロティシズムや廃退的な空気は無くて、純真だったドリアンが快楽主義者のヘンリー卿に影響されてどんどん変わっていく、という従来の解釈とは少し違う。ヘンリー卿は確かにドリアンに新しい道を教えてしまうのだけれど、ドリアン自身が自分の悪を吸収してくれる肖像画を利用していく。

清らかで美しいドリアンの絵を描いた画家のバジルは、自分の愛(同性愛)のたけを込めて 最高の絵を描いたのに、どんどん変わっていってしまうドリアンに心を痛め、思いを打ち明ける。この部分が発刊時に削除されたようだ。

このドリアンは自分の夢の世界に生きる事を選んでしまったように思う。最初に恋した女優のシヴィルも、彼女自身ではなく、彼女の演じるジュリエットやオフィーリアに魅せられてしまったにすぎない。ヘンリー卿の言葉よりも、その思想を自分の中で幻想の世界として作り上げてその中で生きて行き、自身の肖像画にそのツケをなすり付ける、、、、

これが本当にオスカー・ワイルドが描きたかったドリアン・グレーだ」というホランド氏。今までのドラマチックで堕落なエロティシズム満載のドリアン・グレーとはかなり違う。ワイルド自身はこう言っていたそうだ、「僕自身は画家のシヴィル、ヘンリー卿は世間が僕だと思っているキャラクター、そしてドリアンは僕がなりたかった人物

なにせ客席100のスタジオだから、役者が動ける範囲はせいぜい5-6歩。その中で、少ない置道具を頻繁に転換しながら、シンプルな芝居に創っている。本来のドリアン・グレーが好きな人たちにはちょっと物足りないかもしれないね。でもちょっと違った見方ができて、初めてこの作品に触れる人には解り易いと思う

でもやっぱりもう少し、ヘンリー卿の名言を取り入れて、ワイルドらしい怪しい空気があっても良かったんじゃないかなあ〜〜・・・


年も明けたし、さてまたブログを、、と思った所へ飛び込んで来たとんでもない訃報、、、、
常に私にインスピレーションを与えてくれた 唯一無二のアーティスト、David Bowie氏が逝ってしまった。覚悟した自身の死をも最期のアート作品に彩って、そのリリースのタイミングまでも計算した上での置き土産を残して。死の2日前、彼の誕生日にリリースされたアルバム、Blackstarのなんとパワフルで彼らしいことか!
 
ボウイーといえば、3年前の誕生日に10年もの沈黙を破っていきなり新曲を発表し、その後に出たアルバムはあっという間にチャートのNO1になって私たちをびっくりさせてくれた。 その年にV&Aミュージーアムで催された展示会、David Bowie Isは博物館始まって以来のチケットの売り切れ記録となった。私も行ってきたけれど、彼のほぼ50年に渡るアーティストとしての幅の広さをみるにつけ、長年のファンである自分を誇りに思った。

今のイギリスには、ミュージシャンがいなくなってしまった。X Factorもテレビ番組としては面白いといえるけれど、独自の言葉と音楽、その表現方法を全て一つの芸術作品にまとめあげられるアーティストが今はいなくなってしまっている。

昨日も今日もあちこちで特集番組が組まれ、デビュー当時から遺作まで、彼の足跡とその影響を繰り返し伝えている。今の奥様(スーパーモデルのイーマン)と一緒になってからはNYを拠点にほとんどメディアには顔を出さず、娘が生まれた後に心臓疾患で手術してからは、10年間息を潜めて、その間は娘との時間を大事にして健康に気を使って生活していたそうだ。(イーマン談)

いつもいつも時代の先を走っていたボウイー。他の誰とも違うことを恐れず、変化することを恐れず(むしろ望んだ)、ミュージシャンとしてだけでなく、俳優もやり、(私は演じている彼が好き)インターネットでも金融にも真っ先に新しいことを初め、50年以上もその才能の全てを駆使して誰もその位置に近づけなかったのは本当に凄い。

彼が出て来たとき、イギリスの批評家は声をそろえて、「今まで彼のようなアーティストはいなかった」と言った。そして、これからも出てこないだろう。女王から与えられる栄誉ある勲章を、「私がやっていることは勲章をもらう為ではありません」 と2度も辞退したのも彼らしい。(2度目はKnighthoodだったんだよ、、!)

癌だとわかったのが1年半前だったそうだ。娘さんは15歳、きっともう少し、成長を見届けたかったことだろう。せめてあと10年くらい、、??ニューヨークでは彼が主演したThe Man Who Fell To Earthの続編として彼が製作に参加したミュージカルが先月幕を開けたばかりだった。そのミュージカル「Lazarus」 に使われた同名の曲がシングルとして12月に出たときには、まだビデオは公開されていなかった。そのラザラスは、キリストによって死から4日後によみがえったという話で聖書に書かれている。ミュージカルの曲として聞いていたものが、このビデオが7日に公開されたことで一気に別の意味があったことを私たちは知る。


胸が痛くて苦しくなるよ、これは、、、、でもこれがDavid Bowieからの最期のお別れのメッセージ。20年以上前にQueenのフレディー・マーキュリーが最期のビデオを残したように、彼もまた、怖いくらいにパワフルな最期の作品を残してくれた。そういえば、フレディーが亡くなったのも日曜日。私にとって若き日の大きな柱だった 二人のアーティストの死を、月曜日の朝のニュースで知るなんて、、、もう月曜日の朝はニュース見ないよ・・・・

ポップスターでもない、ロックスターでもフィルムスターでもない、ポルノスターでもなければギャングスターでもない(Blackstarより)、Blackstarとして最期の作品を残したDavid Bowie。
大丈夫、天国には昔の仲間もいるさ。Spiders from Marsのミック・ロンソン、マーク・ボラン、ルー・リードにアンディー・ウォーホール、ジョン・レノンもマイケル・ジャクソンだって、、、、 

奥さんのイーマンはインタビューの機会があると言っていた。「私が結婚したのはDavid Bowieではなく、デヴィッド・ジョーンズというイギリス人男性です」 残された家族の事を思うと、やっぱりあと10年くらいはのんびりでいいから生きていて欲しかった。

Now You are free like a bluebird, as you said. 


彼の誕生日に私の大好きなFrances Ruffelleのキャバレースタイルのショウに行って来た。 このショウは去年の秋に5日間あったのだけれど、丁度私が一人旅に行ってる時と重なって、唯一行かれる日のチケットは取れなかった。(っていうか、全日ソールドアウトだったのだ)再演が決まったとフランセス自身のツイートで知ったその日に今回の初日=彼の誕生日のチケットをゲット 彼女の前回のショウは、ちょっとセクシーでいろんな女の顔をクルクルと見せてくれたけれど(その時のブログはこちら)、今回のショウはParis Originalと題してる

ピカデリーサーカスに2年近く前にオープンしたキャバレーベニューのCrazy Coqs、ここはZedalというグループのカフェ、フレンチブラッセリー、アメリカンバー、そしてキャバレースタイルのCrazy coqsの4つのベニューが1カ所に集まっている。全体がフレンチ/アールデコスタイルの内装で、入り口のカフェを抜けるとポップアートに彩られた1930年代の世界だ

100人も入るか、、??という店内には4人掛けには絶対小さいテーブルに無理矢理椅子が4つずつ、どれもステージの方を向くように並べられているので、ほとんど隣の席と重なりそうな感じ。でもこの親近感が全体の雰囲気になっていくのだろう。彼と2人でドリンクを頼むと、いかにもマダムといった風のおばさまがテーブルに両手を広げてやってきた。ここのオーナー(雇われマダム?)だという。私たちが初めての客だと目ざとく見つけたのは明らかだ。(こういう人は一度/2度来た客の事は覚えているというタイプだね、銀座のママみたい・・・)私たちを場所に馴染ませる会話を交わして「フランセスのショウは本当は素晴らしいわよ、楽しんでね!」とまたあちらのテーブルへ、、、。

ショウのテーマはParisだ。「私の前世はフランス人だったと思うの」というフランセスは去年レスター市でミュージカル「Piaf=ピアフ」でエディット・ピアフを演じた。彼女のピアフは本当に観たかったけれどさすがにレスターまでは行かれず、その後、ロンドンを含むツアーの計画があるという事だったので、ひたすら待っている。(でも彼女は2~3月は新作のミュージカルに出るのでまだ具体化はしていない様子)今日は「ピアフ」からの曲も歌ってくれるはずだ。



オープニングは私もとても好きなcomment te dire adieu/さよならを教えて。フランソワーズ・アルディーのヒット曲として有名だけれど、実はこのオリジナルは英国歌手のVera Lynnの「It hurts to say Goodbye」だ。でも私にとっては80年代の戸川純バージョンが頭にこびりついている。最初からフランス語でキュートに歌うフランセス。このアールデコスタイルのキャバレーにぴったり。バンドはコントラバス/ギター、ピアノ、ドラム、時々サキソフォンやアコーディオンという構成でバンドは4人。クールなパリジャンを装っている

全編フランス語という事でなく、一番をフランス語/2番の歌詞を英語で、あるいは英語訳の歌詞で、というように飽きのこない構成だ。私はもちろんフランス語は解らないけれど歌=曲は知っているものがほとんど。なにしろ狭い空間で彼女が動けるのはほんの数歩だから舞台のような演出は無理だけれど、そのかわりとても身近な距離で話しかけるように歌う。店内の雰囲気もとってもIntimate

ポップな曲とちょっとジャズな曲、演出されたステージとは違う、素のシンガーとしての彼女の魅力が満載だ。衣装も何度が替えて、その間には彼女の娘でポップシンガーのイライザ(=Eliza Doolittle)が場繋ぎに一曲歌うシーンもあって、親子2代で暖かい声援を浴びる姿は微笑ましかった。今回は4日間のステージの初日だったので、劇場関係者や彼女の友人も前列テーブルにいた様子。観た事のある俳優さんやなんと、ウエストエンドの大御所プロデューサー、カメロン・マッキントッシュ氏もお母さんを連れて来ていた

私たちと同じテーブルになった女性とも気さくに話をすると、フランセスの個人的な友人で、普段はヨークに住んでいるのに、今日はホリデーから帰ってきたところでロンドンに着いたので観に来たのだそうだ。ショウの後では、声を掛け合っては写真を取り合っている人達があちこちに・・・さっきのマダムもぬかりなくまた私たちの所に来て、「楽しんでくれた?ここではいろんな才能ある人達が毎日ライヴをやっているから、いつでもまた来てくださいね」と両手を広げてハグ。今度は隣のブラッセリーで食事してその後こっちに移動というのもいいね。終演後はこれまた隣のアメリカンバーでナイトキャップ・・・?地上のカフェも待ち合わせやちょっとコーヒー一杯によさそう、カフェティエでもスタバーのコーヒーと同じ値段だし

マッキントッシュ氏、フランセスのPiafをロンドンプロデュースしてくれないかしらね。レスター市での「ピアフ」のPRヴァージョンはこちら



う〜〜ん、観たい ツアーでも良いから観る機会がある事を祈って・・・





 


実はこの数日、ちょっとYoutubeを徘徊していた。私のMacはもう古過ぎて動画サイトをちゃんと観る事ができない。だからYoutubeも今はほとんど観ないのだけれど、音だけならちゃんと聞こえる

まだ小学生の頃に「学生街の喫茶店」で一躍人気者になったGARO, なんでだったか、友達が教えてくれて子供心にファンになった。最初は人気者グループという意識で好きになって、特に私はトミーこと、日高富明さんのファンだった。「君の誕生日」や」「ロマンス」で歌番組やバラエティー番組に出ている彼らを一生懸命見ていたっけ。今のようにネットなんてなくて、「明星」や「平凡」に出ていたアーティスト達のスケジュール情報をチェックしてラジオ番組なんかも録音したりして・・・

あの頃はまだ意識して「音を聴く」という事はしていなかったのだけれど、3歳からピアノと、小学生の時には一応YAMAHAの専門コース(4年間)で音楽教育を受けさせてもらっていたので、自分の中で「この音楽が好きだ」という感覚はあった。ファンになると凝り性なもので、彼らのデビューアルバムから遡ってお年玉でレコードを買い集めた。そしてなんとなく、表向きにヒットしていた曲と彼らの初期アルバムの曲の感じがかなり違う、という事は私にも解った。好きだったのは3枚目の「GARO3」とデビューアルバムで、家ではほとんどこの2枚を毎日リピートしていたっけ。後半期のアルバムでは「吟遊詩人」。「サーカス」はアルバムとしては面白く聴いたけれど、これも私がとても好きなガロとはちょっと違う感じがした。

彼らが解散した頃には私の関心は既にブリティッシュロックに移っていって、彼らのシングル「姫鏡台」が出た頃にはもうあまりピンと来る物を感じなくなっていた。結局その頃には彼らは大ジレンマに陥っていて、目指す音楽の方向性と売れ線に乗ったレールとが食い違い過ぎてやがて彼らは解散する・・・・

実に40年近く経った今、そのガロのマーク、こと堀内護さんがなんとGAROの曲と新曲を会わせたCD「時の魔法」をリリースしたとネットで知ってビックリ仰天した。ガロ解散後もロック路線に向ったトミーやプロデュースの仕事を続けていたボーカル(大野真澄)さんの事はちょくちょく耳に入っていたけれど、私が「今はガロの3人はどうしてるのかな」なんて思った頃には確かマークさんはオートテニス場を経営する実業家に転身していたのだ

驚いてマーク(堀内)さんのサイトを尋ねてみる。アルバム発売に伴ってインタビューなんかも見つかった。私にとってはまだ子供心にしか覚えていなかったガロが急に懐かしくなって音探しにToutubeをさまよってしまった
やっぱり彼らのハーモニーは凄い!
ライブでさえも崩れない。しかもこの3人は声質が3様に違う。その違った声が見事に重なって醸し出すコーラスはやっぱり特別なものだったと思う。3人共ソロで歌える力があったからこそのハーモニー

今聴いてみるとやっぱり当時=70年代の歌謡界というものに翻弄されてしまったGAROの音楽がよくわかる。売れなきゃ意味がない歌謡界で、自分達の音楽を貫き通す事ができなかった彼らのジレンマは、成功との天秤で揺れた事だろう。女の子達にキャーキャー叫ばれて歌謡番組に出ていても、「実はこんな歌、歌いたくなかったんだ」という彼らの声が聞こえてくるようだ

売れ線として発売されたガロのシングルの中で、私が一番好きだったのは実は「一枚の楽譜」だった。最初のギターのイントロがもうカッコ良くて、トミーのボーカルだったし、オリジナルのガロらしい曲では無い(作詞は山上路夫氏、作曲が村井邦彦氏)けれど、この曲はすごく耳に気持ち良くて、私の好きなだった。実はこのギターを弾いていたのは日高さん本人だという事を当時は知らないで聴いていた。子供だったもので、テレビでは生ギターで歌っている彼らしか見なかったから、レコーディングには別のミュージシャンがバックの音楽をやるのかと思っていたのだ。

今聴いて、なんだか胸が痛くなった。そうだね、トミーはロックがやりたかったんだよね、彼はギター青年だったんだから、そう、こんなギターをもっともっとかき鳴らしたかったんだ・・・・「姫鏡台」??はい、解散して正解です、って感じ。ガロ以降の日高さんをもう少し追っていれば良かった、、、そう思うとなんだか胸が痛む。でも私はガロ解散の頃はもうすっかりQUEENにのめり込んでいて、Led Zeppelin, Deep Purple、EL&P,あたりに10代後半を費やしたのだ。

今聴く、ガロ以降の日高富明さんの音、やっぱり好きだなあ〜〜。まあ、今聴くと確かにちょっと古くはあるけど、あの時代の音だね。もう一つ、彼の声そのものも音の一つだと思う。ちょっと高めの声で、音程の取り方もはずさずに高め。(低めの音は私の耳にはもの凄く気持ち悪い)ああそうか、こういう音楽をやりたかった人なんだね、、、ギターリストとしてももっと評価されても良かった筈だ・・・もうひとつ当時の私が知らなかった事、元ディープパープルのリッチー・ブラックモアのバンド、Rainbowの日本公演でトミーのバンド=Ma Ma Dooが前座をつとめていたそうだ。多分レインボーになって初来日の時かな。

実は私はレインボーの2度目の来日公演に行ったのだ。武道館のアリーナ席8列目だったのだけれど、始まって5分もしないうちにアリーナのパイプ座席はすべて踏み荒らされて、舞台に向って押し合いへし合いのまさに人津波。呼吸困難で圧し潰されるかと本気で怖くなって、押し寄せる人をかき分けて少し下がって非難したほどだ。そしてその数日後、札幌公演で女性が死亡し、コンサートでのセキュリティー体勢が大幅に見直される事件になったっけ・・・

マークさんの「時の魔法」のアルバムをMP3でダウンロード買いしようと思って、そうか、日本のアマゾンからはダウンロード購入ができない事を思い出した。視聴してみるとGAROの曲のアレンジも堀内さんらしいヴァージョンになっていて、多分売れ線を抜きにして彼らがオリジナルに作りたかった音に近いんじゃないだろうか。そして参加しているミュージシャン達の豪華な事 40年近くも経って、各々に活躍している人達がこのアルバムの為に集まってくれたというのは本当に素敵な事だ。マークさんの人柄なのかな。

時の魔法によって蘇った懐かしい曲達、そしてMark from GARO。でも、歌/音楽を蘇らせる事ができても、人の命を蘇らせる事はできないね・・・今頃になってやっぱり胸が痛む。日高さんが亡くなったニュースはロンドンに来てからだった。ビックリ仰天した。今のようにネットなんてなかったから詳しい事は解らなくて、「マンションから転落死、自殺?」という事だけしか私は知らない。36歳なんて、男の人が人生で一番カッコ良く活躍できる時だったはずなのに・・・ただ、ただ残念だよ、、、

ガロついでにYoutubeで昭和を徘徊。奥村チヨさんとか、広田三枝子さんとか、遠い記憶で実際にはちゃんと覚えていなかった人達をもう一度見てみると、やっぱり昭和の歌手の人達は「歌が巧い」。当たり前なんだけど、歌唱力/表現力が今の時代とレベルが違う。プロの歌手として売れるためには何ができなくてはいけないか、を厳しく教え込まれてきた人達だ。作詞家/作曲家の先生達の力が大きく、事務所やレコード会社の商戦等、本当に自分の歌いたい歌を好きに歌えた人はどれだけいたのだろう?それでも売れるために積み上げて来たプロの力は明らかだ

「マーク復活」とはいっても堀内さんだってもう64、、、時の魔法のプロジェクトの途中で大病をされて数カ月も入院し、麻痺してしまった手でギターが弾けるようになるまで数カ月のリハビリをされたとか。でもなんだかすごく嬉しいなあ、、マークさんがもう一度ガロの音を届けてくれた事が。あの3人でのハモリはもう聴けないけれど、彼らの音楽をよみがえらせてくれた事が

生きていてこその時の魔法だ。死んでしまったら、、、そこから先へは行かれない
日高さんが生きていたら、再びライヴでの時の魔法もあり得たかもしれないのに。やっぱり今さらながらすごく残念
久しぶりに大昔の自分に戻ってちょっと感傷に浸りながらのガロ徘徊の日々・・・



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20年以上ぶりか、V&A(ヴィクトリア&アルバートミュージーアム)に行ったのは・・・
ロンドンに来た頃は何度も行ったのに、今は北に住んでるので、ウェストエンドよりさらに西/南にはとんと足が向かなくなってしまった。本当は大好きなエリアなんだけどね、サウス・ケン(South Kensington)

さて行って来たのは、デヴィッド・ボウイー展。今年の初め(彼の66歳の誕生日)に10年もの沈黙を破って突然新しいシングルを発表し、さらに3月にはアルバムも配信販売するというニュースでビックリ仰天させてくれたボウイー。業界関係者の中には、ボウイーのオフィスからメールが来てるのをみて、「死んだのか!?」と思ってしまった人もいたそうだ。私が今まで彼の事をブログに書かなかったのは、とにかくこの10年話題が無かったし、書くとなるとあまりにも歴史と思い入れが多過ぎて書けなかったから。でもMy Artistsの筆頭に挙げるのはこの人なのです

実は私はボウイーのキャリアの後半から追いついた世代だ。彼を世に知らしめた「Space Oddity」やその後のグラムロックの代表となるジギー・スターダストアラジン・セインの頃はリアルタイムでは知らなかった。クイーンやレッド・ツェッペリンに夢中になっていた70年代半ば頃も、もちろんDavid Bowieの事は知っていたけれど、当時彼はアメリカに住んでいて、丁度ドラッグ中毒でヘロヘロになっていた頃だ。私が初めて彼に追いついたのはニコラス・ローグ監督の「地球に落ちて来た男」という映画と、その後のアルバム「Station To Station」からだった。ドラッグで、いつ死ぬかという状態から抜け出し、ヨーロッパに戻って再生した彼は80年代に再びピークを迎える。この頃からが私のリアル世代だ

このエキシビションは3月から6ヶ月間開かれていて、チケットは毎日入場時間が15分毎に決められている。半年間のチケットはすべて売り切れで、当日券は毎日数百枚が出るらしい。何故入場制限があるのか、行ってみて納得。入り口で全員にイヤホーンガイドが配られる。さすがは21世紀、、、このガイド、会場内を歩くうち、各々のスポットの前に立つと自動的に解説が入るようになっている。順番という事ではなく、後からまた戻っても先へ飛ばして進んでも、ちゃんとそのスポットでの解説が流れるのだ。インタビューやステージショットも多く、どうしても各所で立ち止まる時間が長くなる。入場してから10m程進むのに15分くらいかかる・・・

来ている人達の年齢層がとても広い。老若男女とはこの事だ。でもやっぱり圧倒的に多いのが40~60代だろうか。ボウイーになりたくてなれなかった苦い青春を過したかのような男性達や、70年代のジギー・スターダストのコンサートで泣き崩れながら叫んだ少女時代がありそうな御婦人達・・・そして彼等の孫か、、?と思うようなまだ10代になったばかりの子供達まで。みんなひとつひとつのコラムを時間をかけて見て行く。書かれた解説を端から端まで読み、展示物をしげしげと見つめ、随所にあるVDUスクリーンの前に立ち止まって見入っている。だから進むのに本当に時間がかかるのだ・・・

有名になる以前のアコースティック時代から、グラムロック時代、アメリカ時代、ベルリン時代、そして80年代のポップな時代、その後のバンド時代、そして熟年の90年代、、、、彼が生み出して来た世界のなんという幅の広さ 音楽だけでも一人のアーティストとは思えないバラエティーだ。そして彼の凄いところはその発想のひらめき。他の誰もデヴィッド・ボウイーのようなキャリアも持った人はいない。作詞、作曲だけでなく、ステージでのビジュアルや表現するための手段とカリスマ性は稀少な才能としかいいようがない。ダンスやマイムから学んだ表現力は後に役者としても活用される。実は私は役者の彼が好きだ

ちょっとした言葉の組み合わせで面白い語ができると、そこからもう歌が一つできあがってしまうくらい想像力が膨らむ、と本人が言っている。そしてそれを表現するために自分を別の人格にしてしまう事も厭わなかったチャレンジ・・・コカイン中毒で何度か危機を迎えながらも彼は生き延びて、エネルギーに溢れて復活する。彼はサバイバーだ。
今回10年ぶりにアルバムを発表したのだって、誰も予想もしていなかった。まったく情報漏れのなかったビックリニュースでいかにも彼らしい。

展示会場の最期はちょっと広いスペースの3方が天井までのスクリーンで、いろんな時期のコンサートの一部を流している。みんな歌に合わせて体を揺すったりちょっと口を動かして一緒に歌ったりしているのだけれど、音はあくまでも全員のヘッドホンで聞こえるだけなので、ヘッドホンをはずすと沢山人がいるスペースに音楽は全く流れていないのだ、変なかんじ・・・ここには座れるようにベンチがあって、立ち疲れたせいもあって、みんな結構長く座っている。

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隣のコーナーは彼が出演した映画/舞台を、作品毎に3ー5分くらいずつ映像を流している。「戦場のメリークリスマス」のポスターもあって、処刑の朝、マイムで髭を剃るシーンをやっていた。貴重だったのが、ブロードウェイで彼がメリックを演じた「エレファント・マン」の一部。これは見た事がなかったので嬉しかった 
数々のコンサートでの衣装の展示や歌詞の書き付け、ツアーの照明プラン、ビデオの絵コンテのスケッチ、ボウイー自身の膨大な量の手書きの資料が並ぶ。写真でしか見た事なかった彼が描いた三島由紀夫のポートレート(油画)も。
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実は特に新しい物があったというわけではない。彼の歴史、歌詞の制作過程、衣装、インタビュー内容、それらはファンならば皆知っている。知っているのだけれど、それでももう一度見入ってしまう。絶対無二のアーティストが40年の間にやってきた事は膨大なアイデアとインスピレーションに溢れていて、時代がいくつ廻っても追いつかないんじゃないだろうか・・・結局私は2時間半も会場にいた。その後はショップでここでも20分程うろうろしたから、なんと一つの展示会に3時間。お腹が空くのも忘れていた。

それにしてもちょっと気になるよ、、、アルバムを出してこんな大掛かりな展示会があって、、、なんだかこれが本当に最期なんじゃないだろうかって。最近テレビやラジオで彼の特集番組がいくつもあったけど(若い世代は多分デヴィッド・ボウイーを知らないからか?)、リアル番組でのインタビューとかは全くやってない。本人が表に出て来ないのは何でだろう??去年のオリンピックの開会式も、演出のダニー・ボイル氏が直談判で頼んでも出るのを断ったそうだ

でも彼はDavid Bowieだからね、まだ何か企んでるのかも・・・


せっかくのホリデーだというのに怪我人の世話がなんだかんだとかかる毎日・・・せめて映画でも観るべ、、と思って近所の映画館をチェックしてみる。せっかくだから平日の昼間、安い時間で人が少ない時がいいなと思って「何をやってるのかなあ〜?」と、15もあるスクリーンの演目をつらつらと見て行くと、なんと一日に一回だけの上映というちょっとシケた感じの映画があるよ。金曜・土曜は朝11:15と夜21:30の2回だけれど、それ以外の日は朝の11:15一回だけの上映だ。きっと思い切りマイナーな映画か限定上映なのかな、と思って通り過ぎようとした時、そのポスターの絵柄に目が止まった。
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あれ?って思ってみて見ると、タイトルはDragon。でもポスターの写真に映っているのは金城武さんだ。っていうか、去年公開されたという映画のポスターにあった金城さん扮するキャラクターの顔だった。でもDragonなんて映画だったか?・・・チェックしてみると、原題は武侠(Wu Xia)、日本公開時のタイトルが「捜査官X」というやつだった。それにしてもこれがさらにDragonって・・ でも久しぶりに金城さんを観に行こっという事で行ってみた。

いやいやこれが、思ったより見ごたえあったのでした
それにしても邦題の「捜査官X」も英語題の「Dragon」も的外れてるよなあ〜〜 やっぱり原題の「武侠」が一番やっぱりハマっている。実はこれ程本格的なアクション映画だとは思っていなかった。金城さんが演じるのが素朴な事件捜査官と聞いていたので、ピーター・チャン氏の映画だからヒューマンドラマ色が強いミステリーものかと勝手に思っていた。主演のドニー・イェンという人の事も全く知らなかったし・・・

素朴な田舎の村で起こった強盗事件、たまたま現場に居合わせた実直な紙製職人が無我夢中で自己防衛の為に手足を振り回しているうちに強盗を退治して(死なせて)しまったという事で、一躍村の英雄になる。でもこの事件を調べに来た捜査官シュウは、素人の自己防衛ではなく、武術に長けた人物による的確な致命攻撃だったのではないかと疑問を持ち、村の英雄となったジンシーを問いつめていく。やがてジンシーから彼は殺人犯として10年服役していた前科があり、新しい人生を求めてこの村に落ち着き、家庭をもったのだという告白を得る。昔、子供だからと見逃してやった犯罪人がやがてもっと惨い殺人事件を起こした現実を体験していたシュウは、法による正義というものにあくなき執着を持っていた。その正義感ゆえに、 不正を働いた義父を自殺に追いやり、妻との間に取り返せない溝ができてしまっていたのだ。

最初は正義を追うシュウと新たな人生の幸福を守ろうとするいわば、ジャン・バルジャンとジャベールのような話かと思った。ところが話が進むにつれてもっと重くなって行く。ジンシーは実は72 Demonsという暗殺集団のナンバー2でボスの息子でもある=タン・ロンだったのだ。人情のカケラもない父と一団にそぐわず、穏やかな生活を求めて素性を隠してこの村に落ち着いたのだった。妻のアユーと2人の息子とのかけがえの無い生活を守りたいジンシー。そして行方をくらましていたジンシーの所在を知った72Demonsとの命がけの戦いが始まる。この一連のアクションシーンはドキドキする躍動感とスピードに溢れていて、ハラハラ/ドキドキ感で盛り上がった。父と子の絆とすれ違い、拭いきれない過去と切望してやまない新たな人生。無敵の武術の達人も自然の力の前にはあっけなく終焉を迎える結末

アクション映画でありながら、ミステリー仕立てで、各々の立場でのヒューマンドラマになっている。金城さんはこの役では語り部的な脇役と言えるけれど、その素朴な存在感がアクションシーンの躍動感と良いコントラストになっている。ちょっととぼけた金田一のようで、実は医学的検証をもとにジンシーの正体を見抜いて行く。正義を曲げないという自分の信念とは裏腹に、金次第でしか動かない捜査上層部へ不信感を抱いたシュウは、ジンシーを72Demonsから逃がすために危険な賭けを持ちかける

中国映画が海外でヒットするにはやっぱりじっくりと重みのあるヒューマンドラマか、徹底したアクション・エンターテイメントのどちらかが必要だ。この映画は一時間半という小振りな時間の中にその両方とさらにミステリーが加わっていて楽しめる。期待してなかったのでちょっと得した気分だわ。田舎の村の素朴な暮らしの様子、そこに住む大人、老人、子供達。チャン監督の出す画面内の空気のメリハリがすごく良い。のどかさ、混乱、大アクション、不気味な危機感、ストーリーのメリハリと同時に各キャラクターのメリハリでもある。主演のドニー・イェンは、素朴な村人としての顔と殺気を出す時の表情が画面の空気を変える

チャン監督は何度も金城武さんを起用しているけれど、彼の金城さんの使い方はいつも巧い。実は私は金城さんは日本映画での彼がとても好きなのだけれど(「死神の精度」「リターナー」「不夜城」「K−20」等)中国映画ではピーター・チャン監督作品での彼がいつも良いなと思う。金城さんの持つ空気を画面に溶け込ませるのが巧いのだ

それにしても忘れてたよ、、、中国映画の英語字幕は地獄の早読みを課せられるのだった・・・シュウが昔逃がした子が後で殺人犯になって、その後にシュウ自身が自分に鍼を打って、、、ってあたり、ちょっと不明な点が・・・ミステリータッチに乗っ取って、自分で「こうなのかも、、、」なんて考えてる間に字幕はビュンビュン飛んで行くのだった!

休みの間にネットで映画でも観るかな〜



一週間空けちゃった間に、、
思いっきり寒いイギリスです、、、、

それでもロンドンはまだお天気が良いほうだけれど、北のほうから既に雪に見舞われていて、こんなのも17年振りとか。ちなみに終末から来週のロンドンの予想気温(は最高が1~2度、最低気温は連日マイナス4~6度になってる、、、 私としてはお天気さえカラッとしてれば寒いのは我慢できるんだけど、、やっぱり北風の中でバス待ちとかは辛い

先週/今週と仕事から帰って夜の時間にネットで観てほっこりしていた「おじいちゃんは25歳」もとうとう8話で終ってしまった・・・25分という枠もなんだか丁度良い。台詞のあちこちに昭和を散りばめたシチュエーションコメディーが、どんな風に8話で終るのかと思ったけれど、これは家族の絆を取り戻すためにやってきた妖精さんのような形になってるのね。最後に若い女を連れて旅立つあたりがこのおじいちゃん良いわ〜〜! およそ現実的では無いからこそかえってリラックスして楽しめたね。これで終わりなんて残念だなあ〜〜 こういう本,大好きなんだけど、、

およそ視聴率とかには無関係そうな時間帯での企画だけど、昔の「Night Head」や「やっぱり猫が好き」みたいに深夜枠で人気が出た作品ってあるよね なんだろ、メイン枠じゃない分個性的な番組ができるっていうのかしらね。
メイン枠といえば、90年代からドラマの目玉枠として君臨してきた「月9」。今回は久しぶりに竹野内豊さん主演でのドラマで、これがちょと異色なカンジ。

ひと頃の月9にあった、ハマるっていうようなタイプのドラマじゃないけれど、地味で淡々としているところが無理無く観られる。恋愛ものとも家族ものとも言えない中に社会的テーマが軸になってる。タイトルが思いっきり地味で「流れ星」よ・・?脚本はシナリオ大賞の佳作を受賞した人の本を、今回のドラマに手直し/共同執筆をしているらしい。脚本監修までついている。とっても真面目な作品だなあ〜〜、良い意味で。

でも題材は良いと思うのに、台詞にあまり魅力がないかも、、、 真面目に語ってしまって感情が見えて来ないっていうのかな。もう半分過ぎてるのに、主役2人の感情の動きが読み取れない。台詞では「始めの頃よりも、お互いを知るうちに段々相手に心を開きつつある」というのが語られているのだけれど、感情ではなくて頭で解り始めてるっていうカンジがするのは、そういう筋書き、、?感情は最後に溢れてきますっていうパターンなのかな。後半で何かがガラガラと変わる、と期待していいのだろうか

何気に気になる役者さんも出ている。原田三枝子さん、光石研さん、杉本哲太さん、光石さんは良い味出してたな〜〜 後半はもう出てこないのかしら?竹野内さんは前回の野立(ボス)とはうって変わって真面目で平凡な役なのね。野立や中谷美紀さんとやったドラマの涼兄ちゃんみたいなキャラの竹野内さんも好きなんだけど

竹野内さんの演じる健吾は、これがまたホントに男捨ててるような凡人。妹に「無駄なイケメン」と言われてるとおりだね。自分の欲や野心みたいなものが無いタイプこういう無欲な男が只一つ、妹の命を助ける事に人生使っちゃってる。一見平凡そうでいて、実はこういう人物って稀少だよね。コツコツ働いて貯めてきた300万を、知り合ったばかりの得体の知れない女にあげるか、、 

なんかこの人もどっかで自分の人生捨てちゃってるとしか思えないよね。
ここまでの役を演じるのも難しい、、、と思う。演じる俳優の持つどんな癖もにならなくなってしまうから。 後半は、無駄なイケメンが少しずつ自分の人生をつかみ始めるっていう事なんだろうか?? 人生投げようとした女も一緒に、、?? 竹野内さん、作品的には次に公開される映画が気になる

さて、今月から入ってくれた新しいレセプション嬢は2週間でいなくなってしまった。もう信じられない!!
責任感とかモラルとか、そういった基本的な事が全くなってない人が沢山いるんだ、この国は
おかげで毎日トイレにもろくに行かれない状況、、とても捌ききれないよ〜〜!
来週からまた新たな人がトライアルで入ってくれる。やれやれだわ・・・・疲れてるけど、休みの日にはあれこれとやる事があって余計忙しいし。う〜ん、もうひと頑張りでクリスマス休暇だわ・・・・




ホントは今日はRED CLIFFを映画館で観て来ようかな、と思っていたのだ、、、 ところが朝からほぼ2時間毎に猛烈な雷雨がやってきては去り、また来ては去り、の繰り返し。休みの日にウェストエンドまで出ると一日潰れてしまう、おまけに今日は他に都心でなきゃ出来ない用事もないから、時間と電車代を考えるともったいない。

で、代わりというか、6月にDVDが発売になったはずの「K−20怪人二十面相・伝」がネットに上がっていたので今日はこれにしよ!っと決めた。北村想さんの原作は去年読んだけれど、映画は別物のオリジナルに近いというのは予想していた。金城武、松たか子、仲村トオルというお三方の組み合わせはとても楽しみだった。

痛快だねえ〜〜! 私は基本的に娯楽映画ってあまり観ない。007だって映画館で観たのは1本だけだ。でもこれは映画館で観たかったなあ〜。使い過ぎじゃないCG加減が丁度良い。全体がすごく昭和っぽい匂いがしてるあたりは、さすがに「Always,,,」のスタッフチームか・・・ この画面の色のトーンが絶妙。原作が持っていた時代の空気を壊さずにそれでいて映画独自のストーリー展開。脚本も単純な中に伏線もあって面白い。

私は途中で小林少年がなんだか変だなと思ったのだけれど、まさか明智の二役だったとは! 仲村さ〜ん、また犯人だったのね・・・ それにしても鹿賀丈史さんの二十面相は全くのミスリード、、?まあ「鹿賀さんじゃ走れないでしょ〜,,アクション無理でしょ〜、、」とは思ったのですけどね。大人の遊び心が随所にあって単純に楽しめる映画だ。金城さんのアクション映画も久しぶりだけど、ほんとに違和感なく決まってる。ヘリからの縄梯子にぶら下がって高笑い(無理矢理)してカッコ良く決まる人って他にいないよね。やっぱり金城武さんには独特のスケールがあるなあ〜。

原作を読んで面白かったのが「泥棒修行」だったのだけれど、このシーンもワクワクした。どんな障害物があろうとも一直線に走るっていうのは映像にすると実は結構スケールが大きい。実は私は子供の頃に「忍者修行」というのをやろうとした事がある。多分小学生の4年生位の時だ。何かは忘れたけど、忍者ごっこが流行ってたんだと思う。雑誌の夏休み特集で「忍者修行」というのがあって、毎日のノルマが載っていた。塀の上を歩くとか、足音を立てずに畳を走るとか、まあ子供向けのそんな修行プランが載っていたのだ。成長の早い葦の草地を毎日飛び越えると4週間程で軽々と塀まで飛べるという事らしい、、、??確か3−4日で挫折した

松たか子さんの葉子はなんとなく想像してたとおりのキャラだ。こういう、世間知らずなのだけれどしっかり者のお嬢さんというのは松さんのハマり役じゃないだろうか。ちょうど「金城さんと松さんのコンビも観てみたいかも」と思っていた所にK−20の話を聞いてびっくりしたっけ。衣装もウェディングドレスや黒のドレス他コスプレみたいにくるくる変わって可愛い。明らかにズレてる明智との関係もよく観ていれば種明かしのヒントだったかもね。仲村さんの明智がちょっとニヒルで嫌みっぽいのは原作のイメージ通り。そこが盲点だったんだけど、ラストを判らせない用に上手く生かされてる。

衣装やセットの色や明るさがすごく効果的に使われている。音楽もいつの間にか耳について覚えてしまってるカンジ。娯楽映画の楽しさってこういうものだよね。観ていて爽快感が味わえる。そういえば原作でもラストは明智、怪人共に二代目になる。そこに上手く結びつけたあたりも上手い。金城さんのポニーテール(というよりちょんちょこりん)良いわ〜〜 好きだなあ〜,男の人が髪を結んでるのって。あれ?前にそんな話しブログに書いたっけ・・?(そうだ、ここです)

これはやっぱりDVD買っちゃおうかな。日本版で3000円ちょっと。香港版だとこっちでは英字字幕入りで安いけど、あるサイトでチェックしたら香港版のDVDは本編107分ってなってたよ、、?日本版は137分なんだけど・・・

Red Cliffは来週までやってるだろうか? アジア諸国と違ってこっちでは言われていたとおり、1本2時間半に圧縮しての公開だ。どんなもんかと思ってレビューをチェックしてみるとこれがかなり良い。どこもほとんどが星4つ。ややこしい歴史的筋書きよりも、少数が大軍に立ち向かう頭脳戦、そしてジョン・ウー監督得意のスペクタクルな戦闘シーンをメインにしてうまくまとめてあるようだ。金城さんとトニーさんの演技も高く評価されてる。来週までやってたら行ってこよう。

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