見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

本を読む

懐かしい!!−わたしのマーガレット展


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今回は彼抜きだから、連日ほとんど女子会モード。横浜の中華街に行ったもの子供の時以来だったし、連日の豪華ランチでお腹一杯の毎日・・・・

小学生時代からの学友で、高校まで一緒だった懐かしい友人たちに最近会えるようになったのも、ネットやFBのおかげ。今日会った友人ともこの20年で会うのは2度目だった。お目当ては六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催されている、「わたしのマーガレット展マーガレットといえば少女漫画。今年が創刊50周年という事で開催されたそうだ。この50年の間にマーガレットを読んで少女から大人になった人達がどれだけいたのだろう、、?読んでいた人達にとって、人生の貴重な成長期の足跡になっているはずだ。

私とマーガレットの付き合いは、小学低学年に遡る。始まりは姉からだった。そのせいか、読み始めた時期は一緒に行った友人より私のほうが少し早かった事が判明。私の最初のマーガレットといえば「アタックNO1
でも最初からではなくて、読み始めたのは途中からで後から最初に追いついたんだと思う。ちなみにアニメ版も既にあったような、、、「苦しくったって〜〜・・・」。当時は学校でもバレーをやっていた。「木の葉落とし」とか研究してね

今となっては定かな記憶ではないけれど、それでも自分で毎週読み始めたのはもっと後、高学年になってからだった。今日見てきた展示でも、作品としてはコミックになってから読んだもので、連載されていたのは覚えていないというものがいくつかあった。あれが姉の世代だったのだろう。私自身は「スマッシュをきめろ」の槇さおりを目指してテニスをやっていた事もある。ラケット買って春休みテニス講習みたいなのに行ったっけ。白いスコートも買ってもらって・・・

そして、やっぱり「ベルサイユのばら。これについては前にも買いたし、私自身フランス革命にまつわる本はかなり読んだ。そして「エースをねらえ」や「スワン」の頃はもう私自身、自分の目指すものがあったから、座右の銘のような意味も兼ねて読んでいた。

展示はマーガレットの歴史に始まって、ホラーもの、学園もの、コメディーもの、スポ根もの、そして恋愛もの等、ジャンルごとに仕切ってオリジナル原画が次々と並ぶ。「そうそう、あったよね〜〜!」と思わず叫んでしまう作品も多くあって、記憶がタイムスリップしていく。ベルばらの池田理代子さんとホットロードの紡木たくさんは独自の展示コーナーが設けられている。やはり著作権の関係だろう、、展示会場内は撮影禁止。でも一か所だけ「写真をどうぞ」と展示されていたのがオスカルとアンドレの等身大立像。

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でも等身大にしてはちょっと細すぎ、、! 特にアンドレは細すぎないかあ〜〜?? 前にも書いたと思うけれど、実写で考えた時の私のオスカルはティルダ・スウィントン。「ナルニア」での氷の女王の彼女は、まさに「この人のオスカルで映画化してほしかったなあ」と思ったものだ・・・この立像、かなり現代版フィギュアっぽい。まあでも一応写真は撮りましたよ。

お土産売り場にはいろんな物があって、使えるものといえばクリアファイルとかキーホルダー、マグネットの類かな。沢山の作品があるので、どうしても商品は大ヒットものになりがちだけど、それでも50年間のいろんな世代をカバーしている。私は空き箱・缶をお土産にするつもりで、クッキーの入ったものを2種それとベルばらの新作エピソード4編のコミック(オフィシャルなベルばら11巻目のコミックス)を買ってしまった

会場を出たところの52階からの展望が眺められるかカフェでは、この展示会とコラボしたメニューを提供中とのこと。私たちは座らなかったけれど、テーブルも歴代マーガレットの表紙で埋め尽くされ、デザートメニューに作品のイメージを盛り込んだものが数種類あるよう。

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来ている人達は本当に60代になったような初代ファンから、その娘といった世代まで幅広い。年代順に見ていくと、誰が描いたにかかわらず時代によって絵のタッチも変わっていく。懐かしい名前の中には執筆途中で亡くなった方もいて、私は知らなかったので驚いた。

気がつくと1時間半もかけていた。展望台にも行って初秋の景色を堪能。懐かしい幼馴染とも言える友人と、しばし少女に戻って楽しい時間を過ごしてしまった

さて、さっき買ってきたベルばらの11巻を読むか・・・・

ロマンスにはほど遠い、、?ーアクセル・フォン・フェルセン伯ー


グログのアクセスに関しては月に2−3度チェックする程度なのですが、この2日間のアクセスに、「フェルセン」の検索数が跳ね上がっていてビックリ・・!!

どうした、、何かあったのかフェルセン伯、、 と思ったら、どうやら日本のテレビ「世界ふしぎ発見」で、フランス王妃マリー・アントワネットの為の時計の話題が出たらしい。完成したのが王妃の処刑から数年も経ってからで、しかも依頼主が解らないという事でオクラ入りになってしまった有名な超高級懐中時計。そのからみでフェルセン伯爵の事も出てきたのだと納得した。

フェルセンの研究本を手に入れたのが2年前で、実際に残された資料だけをみると、王妃との不倫関係については確証はないというのが正確な答えだけれど、フェルセンが命をかけて王妃および国王一家を救う為に奔走したのは事実。妹や親友にあてた数々の手紙や自身の日記からも、彼が王妃アントワネットを愛していたというのは間違いない。けれど疑問は逆のほうにある王妃アントワネットのほうはどれほどだったのか?

マリー・アントワネットの悲劇は14歳で王太子妃として嫁いでから子供に恵まれるまでの8年間の間に、いわれのないゴシップや悪意ある噂の為にすっかり国民から嫌われてしまった事だ。贅沢な浪費家で遊び歩いているというイメージに加えて、義弟との不倫を噂されたりポリニャック一族にあまりに肩入れしたために、ポリニャック夫人とのレズビアン関係がゴシップとしてバラまかれたりしてしまった。フェルセンはアントワネットがプチ・トリアノンに出入りを許した一番近しい友人の輪の一人だった事も確かで、王妃のお気に入りとして、やっかみとからかいの目で見ていた人達が居た事も事実のようだ。けれど、実際のアントワネットはお気に入りの外国人貴族と不倫に走るタイプだったかというと、かなり違うと思う

ルイ16世は歴代国王の中でもめずらしく寵妃を持たなかった。国王夫妻は2人とも敬虔なカソリックで、アントワネットはオーストリア女帝、マリア・テレジアの娘でもある。アントワネットが14歳でフランスに嫁いでからマリア・テレジアが亡くなるまでの11年間に渡って母娘がやり取りした手紙が残っている。この2人の手紙集と、当時マリア・テレジアがフランス宮廷での娘の様子を逐一報告するようにと、半ばスパイのような役目を命じていたオーストリア大使のメルシー伯爵の女帝への手紙を集めた本が出版されていたので読んだ

嫁いだ頃はまだ半分子供のようで、王太子妃時代には母の知らぬ所でこっそり言いつけに背いてはちょっと嘘の手紙を書くという事もあったアントワネット。異国の母には知られないだろうと思った事が実はメルシー伯から筒抜けになっていて(アントワネットはそうとは知らない)、いきなり母から叱責の手紙を受け取って仰天する・・・ マリア・テレジアは常に冷静に娘の行動をフランス国内、さらにはヨーロッパ圏内でどんな評判になっているかを気遣い、娘を指導し、時に叱責し、良き女王にと導こうとする。そんな母から常に教えを諭されていたアントワネットが、愛妾を持たずに質素な生活をしている国王を出し抜いて不倫に走るとは考え難い

実際、子供達が生まれてからの王妃はなによりも家族を大切にしていた。折しもその頃には既にフランスは財政危機に瀕していて、1785-6年以降は革命に向けてかなり不穏な空気になっていた。国王夫妻が生後数カ月の娘と王太子だったルイ・ジョセフを亡くしてからは2人は益々信仰深くなり、絆を強めていった。恋愛結婚ではなかったにせよ、国王/王妃としての義務と責任はこの立場にある人達にとっては何よりも守らねばならないものだったのだ。オーストリア皇女として14歳でフランス王太子に嫁いだ彼女は当然それを当たり前の事として受け入れていたはずだ。

気持ちではフェルセンという人物を心から信頼して愛していた事は間違いない。けれど国王の目を盗んで不倫の関係を結んでいたとは考え難い。ましてや一部の小説家がいうように「国王は2人の関係を知っていて見ぬ振りをしていた」というのもあまりにも無責任だ。カソリックの王家で王妃が不倫というのは国王と国に対する反逆罪だ。それだけでもギロチンに値する

親友として取り立てていたポリニャック夫人はじめその一族がどんどん権力を膨らませていって、そのおねだりにはアントワネットも次第に頭を悩ませるようになる。王妃がプチ・トリアノンに外国のお気に入り貴族、フェルセンやエステルハージを取り立てる事に忠告を申し立てた者がいた。「フランス貴族を閉め出して外国人を取り巻きに入れるのは宮廷貴族達の反感を買います」と言われてアントワネットはため息まじりに答えている。「そうかもしれませんね、でも彼等(フェルセン達)は地位や役職をねだったりしないのですもの(ポリニャック一族のように)」誰が本当に信頼できる人達かという事を王妃は解っていたのだ

革命が始まってからの国王一家は誓いをたてていた。何があっても決して家族が離ればなれにはならないと・・・ベルサイユからパリへ追い立てられてから、それは守られ続けた。ヴァレンヌ逃亡に失敗した翌年、命がけで再びパリに戻って新たな逃亡計画を薦めたフェルセンに国王はきっぱりと計画を断る。テュイルリー襲撃の際にもアントワネットは「死ぬ時は国王の足元で私も死にます」と言いきっている。フランス女王としての尊厳に命をかけたアントワネットに不倫関係の入り込む隙など無かった筈だ

フェルセンが思い続けていた程アントワネットが彼を恋していたか、、、こっちのほうが疑問だ。それどころじゃなかったんじゃない?

フランス革命から数年後、ヴェルサイユ宮殿にあった調度品がオークションで売却された際にフェルセンが王妃のベッドスプレッドを購入した。「世界ふしぎ発見」ではこれが布団という事になっていたようだけれど、Bedspreadというのはベッド全体をカバーとして覆うもので、実際に身体をくるませる毛布や布団とは違う。窓のカーテンのようなものだ。寝具というよりは調度品といって良い。

スウェーデンのロブスタッド城には是非一度行きたい。フェルセンが15歳から亡くなる2年前まで書き続けていた手記もすべてが翻訳されていないのが残念だ。もっとも1783年から1792年までの部分はヴァレンヌ逃亡の際に預けた友人の手で焼却されてしまっているし、残されている手記もかなりインクで消去された部分も多いらしい。フェルセン自身によるものか、後に手記を出版したフェルセンの姉の子孫クリンコウストローム男爵の手によるものかは解らない。アントワネットとやり取りされた手紙のすべては、2重暗号かあぶり出しの無色インクで書かれている。新聞やパンフレットの余白や、表に全く関係のない人宛のような手紙文を書いて行間に透明インクで暗号にして書いてあったり・・・それほど危険なやり取りだったのだ

フランス革命後はスウェーデンでいつも微妙な位置に立たされていたフェルセン。革命後はいつの間にかフランスの亡命貴族と同じように思われてしまったり、長く母国にいなかったせいもあって居心地が良く無かったようだ。ウプサラ大学の学長になったもののほとんど名前だけで、やった事といえばジャコバン思想が学内にはびこるのをひどく牽制していて、その規制には厳しかったようだ。新しい19世紀へ向けてのヨーロッパで、良くも悪くも保守的な高官貴族の彼は次第に時代から取り残されていった感がある。でも彼をよく理解して味方でいてくれた友人達/元恋人達もいた。カール13世の妃だったヘドウィグ・エリザベートもそうだ。彼女の尽力で無惨に殺されたフェルセンの無実がみとめられ、数カ月後に国葬で葬ってもらえたのだから

ロマンチックなんてあり得ない。現実には全くかけ離れていたはずだ

幸せに、、なろう!


なんだかすっかりブログが週1ペースになってきた、、、本当はもっと書きたい事もあるのだけれど、いかんせん独りでMacに向かう時間がこのところあまりないので・・・もう少し、もう少し我慢して新しいペースになるまで・・・

今月は芝居を我慢する、、という事で、ネットで映画でも観る。
新しい「Jane Eyre」なんと先週の金曜日に劇場公開になったばかりの作品がもうネットで観られるというのがすごい!

実 はつい先週、テレビのオン・ディマンド(無料/有料で以前に放映された番組や映画をテレビで観る事ができる)で5年程前にBBCが制作したドラマの Jane Eyreを観たばかりだった。

_SL500_AA300_こちらは4話もののミニシリーズという事で、こういうシリアスなBBCのドラマは本当に質が高い。このシリーズでロチェス ターを演じたToby StephensはとってもニヒルでSexyなのだった・・・・彼は素晴らしい役者ですよ、、、陰のあるちょっと偏屈な感じで登場するこのロチェスター役をすごく深く演じてる。どうしてこういう男になったのか、その過去から今までの間の人生がジェインと出会った事でどう変わっていくのか、「人」としてのロチェスターを驚く程巧く演じている。演技力っていうより、、演じる」という高い技術を持った役者さんなんだよね。私好きだわ、この人〜〜

実は私はこの作品は本で読 んだ事は無い。正当文学作品というのはなんだかあまり読まないなあ〜。それと私にはどうしても女性作家の作品がいまひとつピンとこなくて、小説の類は女性の 書いた物はあまり読まない。イギリスで本屋さんに行くと女性作家の本の多さに驚かされる。日本の比じゃないね。

「ジェイン・エアー」が刊行された当初、それまでの女性の社会的な位置づけを覆す程のインパクトがあったというのは知っていた。初めこそ、その畏れを知ら ぬ主張を通す女主人公を野蛮礼儀知らず、と批判する声も多かったものの、やがてこの作品は当時の女性達の必読書となり、これを読むのがレディーのたしな み、とされるまでになったという。

それまでの上流社会のお嬢さん達といえば、親に逆らう、自分の意見を主張する、神を畏れない、男性と対等に並ぶ、女性から愛の告白/求婚をする、、等という事はしないのが当然、そんな事をする娘は本人のみならず一族すべての名誉を傷つけるものと見なされた。18世紀ヨーロッパの女性達は、誰と結婚するか、もしくは誰の愛人になるかで幸せの価値が決まったのだ。

丁度今読んでいる(もう1年も読んでる、、)カサノヴァの自叙伝には、後から後からカサノヴァのMistress=愛人が出てくるのだが、これは決して許されない/不倫という形のものではない。そもそもカサノヴァは生涯正式な結婚はしていなかったのだから。愛人になった女性は家の女主人として扱い、召使い達にもそうさせる。ちゃんと月決めで生活手当を支払い、ドレスやアクセサリー等も外で恥をかかないような物をあつらえる。毎夜ベッドで愛の証を与えるのはもちろんの事、場合によっては彼女の家族の面倒もみる。貧しさの為に殆ど身売りのような形でカサノヴァに差し出された娘達もいれば、いいとこのお嬢さんでカサノヴァが教育の面倒もみてあげた人もいる。

ただ、みんなどの女性達も、誰かしら夫なりマスターなりに付いていないとやっていけない、という社会だったのが解る。恋愛サイクルの短いカサノバは長くもってもせいぜい2年、短い関係は2ー3週間という恋愛を繰り返すのだが、その別れ際もちゃんと心得ているのだ。そろそろ、、と飽きてしまった愛人はポイと放り出すのではなく、ちゃんと自分の後釜を用意し、彼女達は次のマスターに引き継がれていくのだ。どの女性も別れを嘆きはするものの、「そういうものだ」と心得ているふしがあり、新しい愛人契約に移行していく。当時の上流社会では愛人経歴がまさにセレブ級のご婦人も多かった。このカサノヴァの時代は18世紀のまっただ中。

その後、19世紀に入って書かれたのがジェイン・オースティンのPride and Prejudice (高慢と偏見)で、これはイギリスのジェントリー階級(貴族ではないが、広大な土地を所有する地主のような資産家階級)の娘5人の嫁ぎ先探しの話。良い結婚こそが女の幸せ、その為には良いお婿さんを見つけなくては、、という事で躍起になるお母さんや娘達。この段階でもまだ良い結婚というのが、ある程度つりあいの取れた家柄と財産のある、できればもうちょっと良い所とのご縁という事になっている。ただ、18世紀からちょっと進んでいるのが、娘達にも男を観察する力があるんですよ、という事

家柄や財産だけでなく人柄も見なくちゃね、という事で5人の娘達も各々違った角度で結婚/男性を見ている。良いお話なら何でも良いから、、というお母さんのちょっと愚かな愛情も笑える。ここでは次女の目を通して初めの印象=冷たくで高慢で嫌な奴が、だんだん本当はちょっと不器用でお愛想を言えない誠実で愛情深い男だと理解していく過程と、それを受け入れて愛するようになる気持ちの変化が綴られる

そして19世紀半ばに書かれたのがシャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」だ。孤児で叔母にひきとられたジェインは自分の正義を貫く強さを持ち、正しく無いものに真っ向からそう言う事ができる勇気を持った少女だ。子供の頃からのそうした彼女の主張は大人達には時として生意気で、傲慢で、手に負えない偏屈と見なされた。それでも自分を信じる心を持ち続けて、彼女は自分で仕事を見つけ、雇い主である貴族のロチェスターと対等な友人になろうとする。それがお互いに愛情となり、身分も環境も気にせずに結婚という話になったまでは良いけれど、実は彼には気がふれた法律上の妻がいた事を知って打ちのめされる

事実上は妻とは言えない結婚をしていた事をジェインに打ち明けたロチェスターは、法的な結婚はできなくても一緒にいたい、=愛人になって欲しいと愛情込めて訴えるが、彼女はこれを受け入れる変わりに身を切られる思いで館を出る。男の庇護に入るよりも、荒野をさまよって自分の道を探す

このJane Eyreが当時の女性達の間で「生き方のお手本」にまでなったのは、孤児で叔母宅で虐げられて育ったジェインが、それでもきちんと教育を受けたが為に自分の仕事を見つけ、自分一人の足で生きる道を探して行くという女性自立社会の中で新しかったからに他ならない。家も財産も親戚もなくたって、夫や愛人がいなくたって生きて行ける、、、今ではもう当たり前の事が、この当時には初めて世に響いた叫びだったのだ。最期にはジェインはロチェスターと結ばれる。妻の狂行で館が火事になり、妻は彼の目の前で塔から飛び降りてしまったのだ。火事で視力と片腕を失ったロチェスターにジェインは静かに寄り添う事を誓う

自分で選んだものだけが幸せとは限らない。与えられただけのものでも、偶然降って沸いたものでも自分にとって幸せだと思えるものはあるはずだ。大切なのは、それを自分が「幸せだ」と思うかどうかという事。そう思える心があれば、それが何であれ自分から幸せになる事ができる。でも幸せを感じられる心がない人には、どんなにあれこれ与えても無意味なのだ。ましてや「あなたを幸せにします」って・・・おカド違いもいいとこ! 幸せはなるもので、してもらうものじゃないのよね

カサノヴァの愛人達、、、ヨーロッパ中を旅したカサノヴァは、何年も経ってからヨーロッパのあちこちで昔の女性達と再会するけれど、恨みつらみを言う人は、、、ほとんどいないみたいだね


友達の作り方


日本で懐かしい人達と何人も再会して人生語りをする中で、何人かと同じような話題になった。
私達が若者と呼ばれた時代はとうに過ぎたわけだけれど、今の若者達の話になると、一様に「コミュニケーションをしたがらない」というのだ。

それは決して付き合わないという事でもないらしい。でも人と話す事に興味を示さないのだという。私達の時代には、もちろん携帯もPCもなく、もっぱら飲み会やらディスコ/クラブやらで遊びに行って初めて人との出会いがあった。出会って、しゃべって知り合って、そして友達になった。そこから輪が広がっていって友好関係が広がっていく、というのが友達作りの図式だった。でも今の人達は会話を交わしたがらないのだという。

そういえば、前に日本の番組でやっていた。合コンという事で男女5人のグループがカラオケボックスに集まっているのだけれど、なんと、誰かが歌っている間中皆下を向いて黙っている。みると全員が(歌っている人以外)携帯で一心不乱にメールしているのだ。会話らしいものは殆ど無く、「次誰が歌うの?」とか「飲み物追加する人?」といった事以外は盛り上がる雰囲気は全く無い・・・と思いきや、合コンの後には皆楽しそうな表情で「いや〜〜、超盛り上がったよね〜!」「○○と今度会う約束したよ〜」等と言ってワイワイとはしゃいでいるのだ。これって、、メールでないと会話できないと言う事か・・??!みんなでテーブル囲んでその場にいたんだよ?!

私が日本で使っている携帯はプリペイド式だ。新しい携帯には3000円分をチャージしておいた。いつもだいたいこれを2週間で使い切る。それが今回からはなんと月300円でメールし放題にできるというので登録する。そうしたら、日本に着いてから4日経っても5日経っても残高が減らないのだ!!だってみんなメールでしか連絡してこないし、私も面白いからずっとメールで返していたし・・・とうとう1週間が経っても残高が相変わらず2700円なので、さすがにこれはもったいないと思い始める。いる間に使わないと、帰った後で期限がきたらチャラになってしまうのだもの。

仕方がないから携帯からロンドンのうちの彼に電話した。6ー7分だったけど、これで一気に1000円使ったわ、、、(極端じゃない?と友達には笑われたけど)滞在後半は待ち合わせの最終段階で「今どこ?」なんていう会話は電話でするようにして、なんとか残高を1000円切るまで使った・・・

日本にいる間中断していたカサノバの自伝をまた読んでいると、あの時代(18世紀後半)の社会において、人との関わりが人生を決めると言っても過言ではないのだと良く解る。友人の知り合いだったり、旅の間に馬車を乗り合わせたり、同じ宿で一晩だけ一緒になったり、具合が悪くて倒れた人をたまたま助けたり(カサノバはこれで素晴らしく幸運な出会いをする)ゲストとして滞在した家でも主人や家族のみならず使用人に至るまで、まさに人との繋がりはどこからくるか解らない。もちろん嫌な奴もいる。始めは仲良くつきあっていたのに後になって疎遠になってしまったり、紹介されて変な奴だと思っていた人と生涯の友達になったり・・・でもそれが本来の人と人とのコミュニケーションなのだ。それを大切に繋いだからこそ人生で1000人の女性と関係できたわけで、、?

自分のアイデンティティーが簡単に脅かされる今の時代、知り合ったばかりの人と次の再会や連絡先を教えるという事自体ができなくなってしまっている、これは悲しい事だよね。それでも以前は電話番号の交換とかって、もっと気楽にやっていたような気がするけれど・・・今だったら後で替えられるメールアドレスといったところか、、、
でもそれ以前に、今の若者達は「また会って話したい」という相手に対する興味が無いらしい。人に対する興味が沸かないから、別に自分と関わり合って欲しいとも思わないのだろう。人と話すのは他の何よりも発見が多いのにね。自分は一度しか生きられないけれど、沢山の人からいろんな話しを聴くだけで、自分が経験できない人生を知る事ができる。こんなに欲張りな事ってないじゃない?

今の時代に、電車で隣に座った人と友達になるなんて事はまず無い。旅の供、、という事はあってもあくまでもその時だけの事で、その後も交流するに至る事はほとんど無いだろう。実際、満席だった飛行機の隣に座った人とだって、12時間の間全く口もきかなかった、、、 今回は行きも帰りも隣は日本人女性だった。イギリス人と隣になるとずっとじゃないけど、飛ぶ前と降りる前くらいには少し話すんだけどねえ〜〜・・・

人に対して興味を持つということから人生の幅が広がる。「みんな何を考えてるんだろう?」という素朴な好奇心で良いのだ。人との1時間の対話は本を5−6冊読むに等しい。それを「うっとおしい」と思ってしまう事自体がとっても淋しい事だと思う。素敵な人達がいて、嫌な奴がいて、喜んだり頭にきたりさせられて人生が彩られていくんだよね。もちろん両極端だと疲れちゃうけど、、?! メールもいいけど、(私はメールは大好きです、誤解のなきよう)やっぱり実際の声のトーンで対話するのが楽しいよね。

以前は国際電話がバカ高くて日本にも電話なんて滅多にできなかったけれど、今ではSkypeなんて便利な物がある。でも実際には私の回りで使っている人が殆どいない。Skypeを入れようかなと何度も思って、でもまだ入れていないのはそれが理由だ。便利なのにねえ〜〜・・・もっと話しをしようよ!いろんな話を聴かせてよ 一緒に笑って泣いて話しをするのは人生の宝だよ

折しも、4年間一緒に仕事したレセプション嬢が先週で辞めてしまって、昨日から新しい同僚がスタートした。新しい人との出会いはいつも嬉しい。仲良くやっていけそうだと思うと余計に。彼女も芝居が好きだと言っているから、これから楽しくやって行けますように






人生はどれも物語


うう〜〜、、、酔っぱらいはこの世から消えて欲しいと心底痛感するこの頃・・・ 冗談じゃ済まない、笑い事じゃない、お酒は人格を滅ぼし、人間関係を滅ぼし、人生を滅ぼす・・・ 冗談で笑っていられるうちが華、せいぜい笑っていればいいよ、今のうちに。

さて、今読んでるカサノヴァの自伝「History of My Life」(英語訳)、なにせ抜粋版でも1000ページ以上あるうえに、本を読む時間はお昼休みの20分程だけという事で、読破するのに数カ月かかるかも・・・

ジャコモ・カサノヴァ(Giacomo Casanova/1725~1798)
「女性千人切り」で有名なこの18世紀のイタリア人は、「女たらし」の代名詞のように言われているけれど、実はそれだけじゃない。実にユニークな人なのだ。まず今までに映画化されたり逸話として言われているようなカサノヴァのイメージは、実際に彼自身の文で読んでみるとかなり印象が違う

フェリーニ監督/ドナルド・サザーランド主演のカサノヴァはなんだかとっても屈折した性癖の持ち主のようだし、最近のヒース・レジャー版のカサノヴァは陽気な色男として描かれている。BBCがシリーズで作ったヴァージョンはコミカルでお調子者のカサノヴァの女性遍歴が次ぎから次ぎへと描かれ、殆どすべての映像版が、彼がいかに女性に無差別だったかを強調している。これははっきり言って少々不公平だ

カサノヴァは他にも本や議曲を書いたりしているので、この「History of my Life」も回想録という形で小説を読んでるかんじ、でもこの人巧いわ・・本当にそんな細かい事まで覚えてるのかしら?」と思う部分もあるし、その辺は多少本として脚色もされているのだろうけど、山あり谷ありのライフストーリーにはちゃんと理由付けがあって、そのあたりの心情の変化が面白い

彼は貴族では無いけれど、父親が亡くなる際に上流のパトロンに後見をゆだねたために教育も暮らしもきちんと保証されていた10代。聖職の道を歩み始めたもののいきなり方向転換して軍隊へ、さらにギャンブルを覚え財産をすっからかんにし、さらには娼婦に病気までもらってしまって、これがすべて20歳までの人生だからすごいよね〜

女性達に関しては、決して相手の名誉や貞操を傷つけるような事は書いていない。自分にとってどんな影響を与えたか、どんなオドロキや悦びをもたらしたかを誠実に綴っている。口説き落とす手練手管はまさに光源氏と良い勝負! 辛抱強く丁寧に口説いて口説いて、最後には女性のほうから彼の腕に身を投じてくるというがパターン。
ヨーロッパの、18世紀上流社会の貞節観念というのも今の時代とはまるで違うし、あくまでもその範囲での恋愛遍歴といったところか。貴族社会の結婚と恋愛は別のものだったのは当然の事で、夫/妻は各々の義務を果たした上で恋愛の羽根を伸ばしていたのは公認の事

ところで回想録といえば、先週発売になったた元英国首相のトニー・ブレアー氏の「A Journey」が政治家の回顧録としては異例の売り上げを記録しているそうだ。1997年に全国区で圧倒的な勝利を収めて首相になった労働党の党首。それまでのサッチャー女史をはじめとする保守党政権を覆しての快挙だった

歴代でも若い44歳の首相の誕生。カリスマ性のあるキビキビとした行動派の首相として勢いに乗っていた。その後、アメリカでのテロを始めとして、アフガニスタン、イラクでの戦争に突入。この件に関しては今だに反戦争派の声も根強く、歴史が評価してくれるのを待つしかないのだろう

この本は伝記/自伝として発売されたのはもちろんだけれど、本屋さんによっては、「犯罪物」のカテゴリーに並んでいる所もあるらしい。「政治」「自伝」「犯罪」「戦争」等の分野に振り分けられているというユニークさがニュースになっている。アイルランドで行われたサイン会には、反戦争派の抗議デモがあり、キャンセルになったサイン会も

自伝の類いを書けるというのは、それまでの自分の人生に少なくとも自分で評価をしているからだ。自信がある事はそのままに、また失敗だったかもしれない事もそれなりに、自分の中で位置づけて初めて客観的に記述できる。良い悪いは歴史が決めるとして、やっぱり彼は力のあるリーダーだったと思う。

さてさて、日本行きまであと3週間。いろいろと細かい事をしなくちゃいけない。ロンドンはもうすっかり秋の気配で、気温もぐっと下がって日も短くなってきた。9月末の東京はまた夏の名残で(私には)暑いだろうから楽しみだ〜〜



今までで一番高い本、、、フェルセンを見つけて

もったいなくて、わざとちびちび読んでいた本をやっと読み終えた
タイトル はずばり
Count Hans Axel von Fersen=ハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵
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何 故もったいないかというと、とってもとっても考えた末に思い切って手に入れた本だから。今までのどん な本よりも貴重な本。
払った値段は送料込みだと日本円で約4万円。(£275-00)

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バッカじゃないの、この女!?

と いう声も聞こえてきそうですよね。私だってホントに何日も考えた。この金額で何が 出来るか、何が買えるか、本なんて読んでみなきゃ詳しい内容は解らないのだから、読んでみてあまり価値のない内容だったら・・・・??

遠 い昔の小学生の頃に読んだ「ベルサイユのばら」ではじめて名前を知ったこの人の事を、どうして今になってこんなに知りたいと思ってしまったかは、以前に書 いた。→(こ ちらの最初の2つ

ところがフェルセン自身のちゃんとした本はほとんどない。どれもこれも フランス王妃マリー・アントワネットとの関係をファンタジーたっぷりに脚色したものや、彼女の為にと国王一家の逃亡に奔走した話ばかりが中心だ。彼自身の政 治的考え方や母国スウェーデンにおいての位置づけ、貴族の高官として、軍人として、政治家の息子として生まれ、教育された彼が王政や民主制をどう考えてい たのか、他のヨーロッパ各国が彼の存在をどう解釈したか、というような事はトンとはしょられている

ア クセル自身の日記でさえ、翻訳出版されているのは、主にフランス宮廷との関わりがあった時代の部分だけで、革命後の20年間近い部分は載っていない。彼は 1770年から1808年まで書き続けていたというのに・・・

彼の事が知りた い!と 思って探したものの、それらしいちゃんとしたフェルセンの伝記はスウェーデンのジャーナリストが書いたもの(スウェーデン語/フィンランド語)とフランス の歴史家の人が書いた本(フランス語)しか現在手に入りそうなものは見当たらない。残念ながらどちらも私には読む術がない・・・

そ れでも何かないか?!と根気よく探した所、英語で書かれている本が一つだけ見つかった。書いたのはアメリ カのスウェーデン/スカンジナビア研究家で大学教授でもある人。本人もスウェーデン系の子孫という事で、スウェーデン系アメリカ人としてスカンジナビア研 究に尽力し、スウェーデン国王からOrder of the Polar Star(ナイト爵位、イギリスのサー=sirに値する)を受けている。フェ ルセン自身が学長をしていたウプサラ大学から名誉博士号ももらっている

研 究者の書いたものならヘンにロマンチックな小説じゃなさそうだ、と思って入手すべく探したけれど、これがどこにも見当たらない。去年の11月 から数カ月、根気よく世界中を網羅したネットで探して、出てきたのは3回だけ。しかも法外なお値段=£750~£900が付いている!! いくらなんでも£700以上も一冊の本にかけるわけにはいかない・・・とその度にあきらめた。

最近の私は本はほとんど中古をネット(アマ ゾン)で買う事が多い。本はとにかく読めれば良いのだから、そこそこ装丁がちゃんとしていれば一向にかまわな い。でも今回は、この中古というのがきわめてレアな絶版本だったのだ

図 書館で見つかったのはブリティッシュライブラリーと、ロンドン大学図書館。でも借り出しはできないので、とても通ってまで読みに行く事はできない。ページ 数500以上の本だし・・・・

そ して数カ月経って、いつものように中古/絶版書を扱う本屋さんを検索していると、£260で出ていた、、、真っ先に思ったのは 「お 安い!」・・・・だっ てそれまでが700だの900だのっていう数字だったのだから、、、錯覚ってコワイ。もち ろんそれでも考えた、何日も。

でも、でも、260ポンドという金額は一度の買い物としては手が届かない金額ではない・・・ もちろん安くは無い。本一冊には普通じゃ考えない値段だ。でも、本はすでに絶版、ポピュラーな小説の類いではなく、レアな研究本として出版されたものなの で、中古でポンポン出回る事はなさそうだ

こ の値段で何ができるか、芝居なら5ー6本はいける。靴だって5足はかるい。パリへユーロスターで2泊っていうところか。カナリー諸島の格安ホリデーだった ら1週間いけちゃう。それを、本一冊・・・

で もこの本を手にして最初の作者の前書きを読んだ時、後悔しなくてすみそうだと思った。目次を通して見て さらに確信。フランス革命との関わりは最初の3分の一までで、それ以降の20年間に3分の2が費やされている。さらに驚いたのは、本自体は512ページあ るのに、本文は407ページまで。つまり100ページ以上は参考/引用文献の羅列なのだ。こんなに膨 大な量の参考資料を載せた本は見た事がない、、!!

手 に入れてよかった。知りたいと思って いた事がほぼ期待した通りに書かれている。小説ではないので、文章は堅い。でもほとんどの出所がアクセル・フェルセン本人の日記/手紙や、彼の回りの人達 が書き残したもので、一見矛盾しているような事が、実は時と状況の中で自然に変化して行った様子が理解できる

55 年の生涯で、3つの革命に実際に携わったフェルセン。アメリカの独立、フランス革命、そして母国スウェーデンでの革命、18世紀から19世紀への変換の時 代に4人の国王に仕えた彼は、典型的な大貴族の高官だ。
一見冷たい仮面の下に燃え盛る魂と、繊細でなにより正直な心を持っている」 と友人に評されている

£260 で読む人生かあ、、、 こんな秘蔵本を手にする事なんてこれからもほとんど無いだろうから、大事に大事に読み返すかな。最初は「面白くなかったら倍の£500で売れるか も・・・」とさえ考えたけど、どうしてどうして、これは本当に貴重な本を手に入れましたよ

私の価値観では悔いはありませ ん!!


フェルセン考(Axel von Fersen)-おまけの人生

Googleの翻訳サイトは素晴らしい!
フランス語やスウェーデン語のサイトで見つけた記述も見事な英語に翻訳してくれる。日本語にはやっぱりちょっとヘンだけど、英語訳はそのまま本に出来そうなくらいだ

ここ1ー2週間、ネットで見つけたサイトでかなり長い記述を読んでいるので、首も肩もバリバリになっている。プリントアウトしようと思うと、「38ページ」とか出るので、「紙がもったいない〜〜!」という事でそのままスクリーンで読むのだけれど、これは結構きついワ・・・・気が付くと2ー3時間経っている。当然目も疲れるよね。でも「知りたい」と思うと躍起になって探してしまう、凝り性の私なのだ

何が「知りたい」かと言うと、、、去年から読んでいる数冊の本でますます興味をもったフェルセン伯爵だ。(Hans Axel Von Fersen)この人には普段は人に対して滅多に感じられない程の興味がある。もし逢えるなら、是非お会いしてじっくり話をしたいものだ。そして私が知りたいのは、一番知られていない彼の最期の15年間だ

フランス革命までの彼のフランス王家とのつながりは、いろんな本にもあるし、フランス革命前後には必ず名前が出て来る。でも私が個人的に興味があるのはルイ16世とアントワネットの死後、もっと言うと、この2人に加えて、スウェーデンのグスタフ3世、さらに父親も亡くした後、彼がどんな思いで生き、1810年の万人の目の前での無惨な虐殺による死に至ったか、、、 私にはこの15年間が彼にとって「空っぽのおまけの人生」だったように思えてならない。

10代から20代の彼は、まさに前途洋々といった輝きがある。地位、身分、財産、教養、そして美貌と行動力のすべてを備えた、まさに絵にかいたような貴公子、数カ国語を話し、母国スウェーデンの国王からも寵愛され、フランス国王/王妃からも信頼されて、アメリカ独立戦争でも活躍する
一般には、王妃アントワネットの恋人だったとも言われて、他にもヨーロッパ中に何人もの愛人がいたのも事実。まさに美味しい人生、、?と思いきや、ちょっと待った!!・・・実はこの人はもしかしたら、究極のFailureなんじゃないだろうか、、、一見カッコ良く飛び回って活躍しているようでいて、30代になってからは、身を粉にした事が次から次へと失敗に終わっている。

フェルセンは生涯独身だった。彼は妹への手紙に「自分が結ばれたいと願うただ一人の女性とは結ばれる事はない、それならば誰のものにもならず、一生結婚は しない」と書いている。これがアントワネットの事だというのが定説で、数々舞い込む結婚話を断り続けたとも言われている。でも実は、彼の生涯でフェルゼン がプロポーズした2人の女性からは、どちらも断られているのだ

彼が初めてのプロポーズをしたのは2度目にフランスに来る少し前、21-22歳の時だ。イギリスに住む令嬢とは話がかなり進んで、本人もロンドンに滞在し、2ヶ月近く毎日のように彼女を訪ねたりしていたのに、「両親と離れてスウェーデンに嫁ぎたくない」という理由で断られてしまった。これはかなりの屈辱だったに違いない。彼はスウェーデンで国王の次の地位である元帥の長男で、資産も家柄も望まれこそすれ、断られるとは・・・!この令嬢、フェルセンが独立戦争に参加している間に他のイギリス人貴族と結婚してしまう。

アントワネットに対してはそれこそ究極の騎士道愛を注ぐ。私なりの解釈では、王妃への思いは、崇高にして犯すべからざる女神崇拝のような思い込みがあったんじゃないだろうか。彼女の持つチャーミングな魅力にヤラレテしまって、命がけで彼女とその家族を守る事に陶酔してしまったような感じがする。。(実はこのアントワネットのオーラにヤラレタのはフェルゼンだけではない。他にも革命後、立場を寝返って彼女を救おうとした男達は何人もいた)でもそんな貴公子然とした愛/友情で結ばれていた王妃とはまったく別な所で、もっと生身の男として数々の女達と関係を持つ彼がいたのだ。このあたりは絵に書いたような当時の宮廷貴族とも言える。

男としてのフェルセンは、もっと恋愛/人生経験が豊富で、男女の何たるかを心得ているような大人な貴婦人がお好みだったようだ。お相手の愛人女性達も色々な恋愛劇があった人達が多い。10年以上の関係を持ったエレオノーラは、オーストリアのヨーゼフ皇帝始めその愛人歴は超セレブ級だし、なによりフェルセンの友人だったイギリス人(スコッツ)のクインティン・クロフォードとも同時進行だった。というより、元々人妻のエレオノーラを囲っていたのはクロフォードで、フェルセンとは10年間もの間クロフォードには秘密で続いていたのだ。友人の目の前で素知らぬ顔で2重の関係を続けられるあたりに、上流階級のしたたかさが見える

フェルセンが命をかけて準備したヴァレンヌ事件に失敗し、その後ヨーロッパ中の宮廷にフランス王家を助けるように働きかけるものの、いっこうに実を結ばない。あっちもこっちもルイ16世を親身になって助けようとする人はいなかったのだ。おそらくアントワネットの長兄ヨーゼフ皇帝と、スウェーデンのグスタフ3世を除いて。

どうにもらちがあかなくなって、とうとうフェルセンはまたも命がけでフランスへ戻り、国王/王妃に逃亡計画を話しにテュイルリー宮殿に忍び込む。けれど国王は逃亡そのものを拒否、フェルセンの危険な旅は無駄足に終わる。それにしても、フェルセンは宮殿に結構簡単に入り込んでいる。「いつもの道順で」と日記に書いてるし、以前王妃への手紙にテュイルリー宮から隣のルーヴル宮の倉庫に通じる秘密の抜け道の事を「あまり知られていないはず」と書いたりしてるので、宮殿内の秘密の通路には通じていたのだろう。アントワネットとの不倫関係説も、このへんから想像できるという事か。

それにしてもこの時に王妃との関係があった、とする歴史家の意見が多い中で、実は国王達と会ったこの直後に、フェルセンは1週間も愛人エレオノーラの所で過ごしているのだ。いや、正確にはクローフォードとエレオノーラの家の屋根裏部屋に隠れ住んでいた。クロフォードに気付かれずに・・・このしたたかさはどうだろう、、、!!

その後の2ー3年で、フェルセンはすべてを亡くしてしまう。国王救出に一番頼りだったヨーゼフ皇帝、グスタフ3世、さらにはヨーゼフの後にオーストリア皇帝となったアントワネットの兄レオポルドも2年そこそこで死んでしまう。フェルセンはこの3ー4年の間にさらに姉、父、国王一家、とまさに自分のそれまでの人生のすべてだった人達が根こそぎいなくなってしまうのだ。次々に襲いかかる不運を、彼はどう受け止めたのだろうか・・・?

さらにグスタフ3世の皇太子はまだ成人していなくて、摂政に当たった前王の弟の元ではフェルセンは一時失脚状態になってしまう。これだけのものがわずか3年程で一度に奪い取られてしまった人間が、その後どうやって生きていけばいいのか・・・きっとその後のフェルセンの人生は「おまけ」のようだったに違いない。彼自身はもう死んでいたのかも

スウェーデンでグスタフ4世が成人すると、フェルセンはまたも復活する。表向きは。若い国王は父の寵臣だったフェルセンを両手を広げて迎え、地位や勲章や役職を次から次へと与える。母国ではフェルセンは外交官としてどんどん出世していくのだ。にもかかわらず、ラシュタットでの講和条約にスウェーデン代表として行った時にはナポレオンに正面からから出席を拒否され、かなりの屈辱をこうむったはずだ。また、只一人釈放されてオーストリアに渡ったルイ16世の王女、マリーテレーズにも、会って言葉を交わしたりはしたもののなかなかプライベートな謁見が出来ずに、そのいらだちも日記に書き付けている

その後、エレオノーラにプロポーズしたものの彼女の返事は煮え切らず、そうこうするうちに何と2人の関係がとうとうクロフォードにバレてしまう。怒り狂ったクロフォードは彼女に自分とフェルセンのどちらか選べと詰め寄り、エレオノーラは、、、クロフォードを選ぶのだ。 この2人は後にフランスに戻り、ナポレオンの宮廷で結構羽振りのよい生活を送り、正式に結婚する事になる。

かろうじてフェルセンに残された最期の慰めは、幼い時からの強い信頼で結ばれ、秘密を打ち明け合っていた妹だった。妹とその愛人である20歳近く年上の男爵=フェルセンの長年の親友と3人で旅行をしたりしている。年は離れていても長く恋人としての関係を保っていた妹と男爵を見て「きっと心通うものがあるのだろう」と記している所に、彼の淋しさが少し垣間見える

そして、スウェーデンでのクーデター革命と、皇太子の突然の死が、フェルセンの最期の惨たらしい死に繋がって行く。6月20日をフェルセンは取り憑かれたように呪っていたという。ヴァレンヌ逃亡の日。途中まで自分が馬車の手綱を取って国王一家をパリから連れ出したにも関わらず、その後の手違いで失敗に終わってしまったヴァレンヌ事件

この逃亡劇の失敗をフェルセンは後に冷静に分析している。あちこちからの話を総合して、兵士達が任務に忠実でなかった事や、指揮を取るはずの将校が職務怠慢だった事、国王一家があまりにも危機感に欠けていて民衆の前に姿を見せ過ぎた事等をあげている。でもそれらの事をすべて総合して言える事が一つだけある。彼は自分では記していないけれど、おそらくこれが一番彼にとって辛く、だからこそ声に出しては言えなかったのだろう。

フェルセンがずっと一行に付いていれば、何とかなった筈だ。

危機感のない国王に、「姿を見せてはいけません」と忠告出来る人間がいれば、民衆に国王だと見破られる事もなかっただろうし、どこぞの村でのんきにお茶なんぞごちそうになるのを、「今は先を急がねばなりません」とさとす人間がいれば、4時間近い遅れが出る事などなかった筈だ。また、遅れが出始めた時点で、早馬を飛ばして次の中継地点に状況を報告する人間がいれば、それなりの対処が出来た筈だ。つまり、フェルセンが一緒に行っていれば、あの逃亡劇はなんとか成功していたはずなのだ。だからこそ、この6月20日は、フェルセンのその後の生涯を悪夢と後悔の日として、彼を責め続けたのだろう。(この日についてはこちらにも追記しました)

1795年以降のフェルセンは徐々に怒りや後悔、失望の念にとらわれて、次第にへんくつな人間になっていったという。私としてはこのあたりの最期の15年間の彼の人生にすごくすごく興味がある。肖像画を見ただけでもその違いは明らかだ。エレガントで甘いマスクの若いフェルセンとは違って、神経質そうなやせ顔のフェルセンの肖像・・・・(45歳)幸せな顔には見えない。もしかしたら中身は抜け殻になっていたんじゃないか、とさえ思える。それでも母国ではどんどん出世を続け、父親と同じ陸軍元帥の地位にまで上り詰める(国王に次いで2番目)

1810年の6月20日、広場を取り巻いた大勢の群衆、軍隊の中で2時間にも渡って壮絶な暴行を受け、衣服もすべてはぎ取られて顔も見分けがつかない程にボロボロに打ちのめされて殺されていった彼が、最期に思った事はなんだったのだろうか・・・? 同じく民衆達に罵られて死んでいった遠い日の友人達(ルイ16世/アントワネット)の事を思っただろうか、、?この日の皇太子の葬式を指揮するにあたって、フェルセンは暴動の危険性は充分忠告されていたという。それでも予定を変える事なく任務に就いた彼は、もしかしたらそんな無惨な死さえも望んでいたのかもしれない。

本当に読みたいフェルセンの伝記は残念ながらスウェーデン語のものと、フランス語のものしかない。これを全部Googleにかけるのはやっぱりちょっと・・・・?? せめて英語訳が出ればいいんだけどな〜〜

そんなわけで、ちょっとハマっているハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵でした。あ、ちなみにフェルゼンと発音するのはドイツ語読みで、スウェーデン語では、ファシェン/フェッシェンという音になるようですね。

追記
やっと入手したフェルセンの伝記についてはこちらです。これ以外に英語で書かれたフェルセンの研究本(小説ではなく)は見当たりません。

男が命を賭けるのは恋?忠誠?

時間を見つけてはひたすら本を読みまくっております・・・
_SL500_AA240_マリー・テレーズの本。(フランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの王女)マリー・アントワネットの生涯も良く知られたドラマチックなもので、今までにもいろんな伝記物が出版されている。新しい所では、アントニア・フレイザー女史の書いたバージョンが映画の原作にもなった。

でもその後の事は、、、?と思い立って読み始めたこの本。表紙のこの肖像画は幸せだったベルサイユ時代の少女の頃のもの。その後、10歳で三部会/バスティーユ襲撃、そしてベルサイユを追われてパリに移り住む。この宮殿を追われた時の模様は凄まじい。忠誠を尽くしてくれた身近にいた護衛達が血みどろになって殺されて行く・・・

パリのテュイルリー宮に移ってからはあれよあれよという間に父である国王は権力を失っていく。いつも人目にさらされ、全くプライバシーのない生活が続いて、12歳の時にフェルセン伯爵の計画によって国王一家はパリ脱出を決行。生きた心地もしない一晩の逃避行の後に見破られて屈辱のパリ帰還。13歳の夏には暴徒がチュイルリー宮に押し寄せて、命からがらの脱出ーータンプルの塔へ幽閉される。

タンプルの塔での約3年の間に父王は処刑、母、叔母、弟も次々と連れ出されて彼女は彼等の運命の果てを何年も知らされない日々が続く。(母と叔母はギロチンで処刑、弟である王太子は病気になってもほったらかされ、部屋の掃除も服の着替えもさせてもらえないままに病死)そんな中でも尊厳と誇りを失わず、「母や叔母がどうなったのかを教えてくれない人とは言葉交わさない」という徹底振りは15ー6歳の少女とは思えない。

17歳の誕生日未明にようやくオーストリアとの人質交換として釈放され、夜中にパリを脱出し、母の故郷であるオーストリアに迎え入れられる。それからも、ハプスブルグ/ブルボン両家の血を引く王女として政治的綱引きの対象にされる。ローマ皇帝フランツ2世と叔父であるルイ18世の間で、それでも自分の主張を誇示する少女はほとんど生意気なまでに頑固で誇り高い。

まだ途中なんだけど、、、読み進むにつれて「なんて人生だろう、、、!」と思わずにいられない。ロイヤルファミリーっていうのはやっぱり特殊だからね。まったく自由のない幽閉生活のようでもちゃっかりヨーロッパ中に出した手紙が今でも残ってたりする。それにしても、本当になんの打算もない忠誠心から王家に命を差し出した人々が沢山いたのだ。

国王や王妃の側近として使えていた人達の忠誠心というのはすごい。幽閉状態の牢獄へ、進んで自分も「お世話しに」行こうと申し出る。王妃の名を語った偽手紙で「今すぐフランスに戻ってきてちょうだい」と言われれば、一も二もなく亡命先から危険きまわりないパリに戻ってきて惨殺されてしまった人もいる。忠誠心で、友情で、そして愛情で・・・

images-1それにしてもフェルセン伯爵、、、いや〜〜、凄いよフェルセン、、、カッコ良いよ〜〜! 親族でも側近でもない彼の、命をかけてヨーロッパ中を奔走する姿に驚いて、フェルセンが残した日記/手紙を集めた本も同時進行で読み始めてしまった。2冊を並べて読み進むとすごく解る。ちなみに彼の名前は日本の歴史家の間でもフランス語でも英語でもフェルセンなので、私もそう表記します。

王妃の生涯只一人の恋人とも言われるスウェーデン貴族のフォン・フェルセン伯爵だけれど、実はフェルゼンとアントワネットが肉体関係を伴う不倫関係にあったのかどうかは、歴史研究家達で意見が分かれている。ゆるぎない信頼関係で結ばれていた事は間違いない。けれど彼等が不倫関係にあったという確固たる決め手は実は残っていない。

フェルセンは国王一家をパリから脱出させるために東奔西走した。ヴァレンヌ逃亡事件はほとんど彼がで各所に連絡を付け、当日には途中まで自らが馬車の手綱を取っている。これが失敗に終わってからも、数カ月後には命知らずにも変装してパリに戻り、新たな逃亡計画を国王に持ちかける。2人の恋人としての一夜を確信する歴史家達の根拠は、このチュイルリー宮に忍び込んだフェルセンが残した日記的メモによる。

「テュイルリー宮に行く、王妃に会うが国王は不在。王妃のアパートメントは綺麗な部屋だ。」そしてこの後にインクがこすられた後がある。このこすられた部分に「ここに泊まる=Reste la」という語があったというのが有力説だ。このReste laという語はフェルセンが日記=メモで度々使っている表現で、愛人である女性を訪ねて一夜を共にした時にそう記している。(関係を持っていた女性は何人もいたようだけど)

でもあくまでもインクはにじんでこすられてしまっているので、はっきりとそう読める訳ではない。もしかしたら後になってだれかが故意にこれを消したとも充分考えられる。でも証拠にはなっていない・・・ フェルセンは日々の出来事を日記というか、メモ風に書き残していたが、1780年から革命までのものに関しては、パリから亡命する際に友人に預けた。後に危険を感じたこの預かり人の手によって破棄されてしまったので、肝心な部分が残っていないという無念さがある。

現存する資料では、フェルセン伯爵とアントワネットがプラトニックな信頼に元づく愛情で結ばれていたのか、男女としての不倫関係にあったのかは特定できないのだ。でも考えようによっては「バレたらまずい」からこそ、この友人はフェルゼンの日記を破棄したとも考えられる。(証拠が残っていないのが証拠?)

どちらにしても、残されたフェルセンの日記からも、アントワネットを愛していた苦悩が伺える。国王が処刑された時の日記は淡々としているのに、アントワネットが処刑された時は、「何を感じる力もない」「残忍な罪を犯した(王妃を処刑した)野蛮人共に裁きは下されないのか」「復讐せずには心の安らぎはない」等、心情を書き付けている。妹のソフィアに宛てた手紙ではもっと激情を綴っている。「自分の千の命と引き換えにしたかった彼女はもうこの世にいない・・・」

マリー・テレーズがオーストリアに釈放されると、フェルセンは他の誰もしなかった事にヨーロッパ中を走り回る。マリー・アントワネットは生前に「国王と自分に万が一の事があった時、子供達のために」とヨーロッパの各所に自分の財産/宝石を預けてあったのだ。それを知っていたフェルセンは、マリー・テレーズに母の財産を手渡してあげるために奔走する。混乱期の事で、行方不明になってしまった物もあるうち、何割かの財産がフランツ皇帝に渡っていた事を知ると、皇帝に直談判して、お金をマリー・テレーズに渡すようにと迫る。マリー・テレーズはこの件に関しては何も知らず、フェルゼンに聞かされて初めて母の遺産の事を知り、「母の財産を正当に受け取るまでは自分の身の振り方は決められない」と、彼女を政治的駒にしようとしていたフランツ2世とルイ18世に牽制をかける。

外国人であるフェルセンのフランス国王/王妃に対するロイヤルティーは、やはり忠誠心を越えた、王妃への愛情があったからだとは思う。でもそれはきっと騎士道精神的な愛だったんじゃないかな。初めて出会った10代の頃と、その4年後にフェルゼンがフランス戻ってからアメリカに行くまでの頃には若い2人の胸をときめかせる感情があったとしてもおかしくない。けれど少なくとも30を過ぎた頃からの王妃は、なによりも女王としての立場が最優先で、国王と運命共同体として結ばれている

革命期にはとても不倫をしている余裕なんてなかったはずだし、フェルセン自身もそれは充分承知の上で、あえて国王一家のために献身している。王妃も、フェルセンにはかなり私的な事をゆだねており、単なる友人以上の信頼関係で結ばれていた事は間違いない。でも俗にいう、不倫の恋人同士であったとは思えないし、それに関してはどちらでもいいじゃないか、、、とさえ思う。その頃には彼はサリバン夫人という愛人と一緒にいたのだし、、、

美貌の青年貴族として宮廷中の貴婦人を虜にし、アメリカ独立戦争や、母国のロシアとの戦争等、軍人としてのキャリアも固く、スウェーデン国王のお忍びのヨーロッパ旅行に付き合い、ヨーロッパに幅広く顔のきく外交官として各国を飛び回るフェルセンは、まさに理想の貴公子という感じがする。メインのスウェーデン語、フランス語の他に、ドイツ語、イタリア語、英語も話したというから凄い(アメリカ独立戦争の際にはロシャンボー将軍の副官として、ジョージ・ワシントンとの通訳をしていた)・・・ルイ16世一家に対しては、宮廷で側近として勤務していた人達の忠誠とはまた違った独立したロイヤルティーと行動力を見せる。

本を読んでるとあっという間に時間が過ぎて行く、、、でも面白いよ。フェルセン伯の日記も本来は15歳から亡くなる2年前まで書き続けていたのに、出版されているのはフランス宮廷との関わりの部分だけだ。もっと彼自身の事が知りたくなる。探してみよう・・・

歴史ものは小説と違って、自分なりの見解をもって読めるからやめられな
い!

追記
やっとみつけたフェルセンの本については「本を読む」カテゴリーに追加しました

読み返す、、、

夏が終わったかと思ったらあっという間の数週間!

まずもう仕事が終わって家に着く頃には暗くなってる。そして来週末に夏時間が終わると一気に日が短くなり、翌週はハロウィーンでガイ・フォークス、11月に10日の休みを取ったら一気に12月で結婚記念日でクリスマス、そして新年、、、!!もうこれで今年も終わったなあ〜〜なんて。

あれもこれもと手を掛けている時っていうのはやっぱり集中力に欠ける。何かにハマっている時ほどじっくり考える思考回路が働くのだ。これは私だけだろうか・・?あれこれとちょこちょこやっているうちに何日も過ぎてしまった感じ。

動画サイトから見つけるままにダウンロードしたクリップから、音だけを抜き出してファイルし直したものをipodに入れてみたり、20年以上振りで読み返した「ベルサイユのばら」で、忘れてしまっていた台詞/吹き出しの無い絵の中に膨大な行間があった事に気付いて驚き、週末は「X Factor」を審査員気分で吟味し(私の意見はほぼ99%サイモンと一致する)、今日のF1レースでJensonがチャンピオンになったので胸をなでおろし、ランチタイムの読書はルイ16世一家の唯一の生き残り、マリー・テレーズの本を・・・

そうそう、スケートもシーズンが始まってる。今年はオリンピクがあるからどの選手も必死のはず。復帰した高橋大輔選手もまずまずの出だしのようだけど、ちょっと今年のフリープログラムはソフトにまとめ過ぎてないかなあ?、、、高橋選手の表現力はドラマチックなほうが映えると思ってたんだけど。ショートがタンゴだから、、かな?

ベルばら」はねえ、、、今さらながら台詞無しのコマにこんなに心情を表す絵があった事にびっくりした。子供の頃には気付かなかった事が読み取れて面白い。やっぱりアニメは別物だね。あれはあれで面白かったけど、根本的な部分でオスカルもアンドレ違う人物だ。それにしても最初に小学生で読んだ時にはオスカルは憧れみたいなものだったけど、今読んであまりにも私に似た人間なので驚く。それとも、これを読んで育ったから私がこういう人間になってしまったという事なのだろうか、、、? 

物事の受け止め方や結論の出し方、、、?「君は考え方が本質的に男なんだね」って今までに何人もの人が私に言ったっけ。それは「男だ」という事では全然ない。女なのだけれど、男の思考回路を持っているらしくて、それでいて完全に男と同じ結論というわけでもなく、、、

アニメ版オスカルはもっと男からも女からも好感を持たれるキャラに変換されていて、だからこそ海外でも何カ国語もに吹き替えられて放映されたわけだけど、この原作のオスカルは男の目からみたら「イタイ」女かもしれないね。オスカルみたいな女は実は男性にはモテないのだ。オスカルは見事なブロンドで美しいという魅力と大貴族というおまけがついてはいるけれど、女としてみると、こういう女は尊敬され、信頼され、認められはしても、男は恋愛には敬遠する。だからこそアンドレっていう男はすごいな〜と思う

多分、アンドレのような男は、、、きっといない。少なくともこの21世紀には。身分の差というものが歴然と立ちはだかって、どんな努力も願望もその壁を破る事はできないという絶対条件無くして、アンドレは成立しないのだ。彼がオスカルに注ぎ続ける無償の愛は、彼が見返りを望まないのではなく、見返りはあり得ないとはじめから決まっているから無償なのだ。彼自身は無償どころか求めて求めて苦しみ続ける

作者は始めからオスカルとアンドレを恋人同士にするとは決めていなかったそうだけど、アンドレのような男に愛されるっていう事が大きいんだよね。こういう男に愛されている女はかくありき、、、っていうのがオスカルの魅力でもあるわけだから

今読むと、この作品も決して完成度が高いわけではないことに気付く。絵のタッチは始めと終わりでまったく違っていて、後半の絵の表情はとても細かくて好きだけど、この後に描かれた「オルフェウスの窓」なんかのほうが大河作品としての完成度は高い。(まあ、長さが倍あるからね)でも何故こんなに愛される作品として今でも残っているのか、、、初めに連載されてから37年も経っているのだ。作者は25歳でこれを描いている・・・!!?

_SL500_AA240_あの当時はほとんど気にもしなかったのに、今回とても興味を持ったのがルイ16世とアントワネットの王女マリー・テレーズ。ハプスブルグ家とブルボン家の両方の血を引くフランスの第一王女としてベルサイユ宮殿で生まれ育ち、11歳までに妹と弟(ルイ・ジョセフ)を亡くし、11歳の年に三部会から革命へと事態が急変、10月にはベルサイユを追われてパリに移され、13歳でバレンヌ逃亡事件(失敗して民衆に取り巻かれながらパリに戻される)、14歳から17歳まではタンプルの塔に幽閉され、この間に父国王は処刑、母、弟、叔母とも離され、17歳の誕生日に釈放されるまで母達の処刑を知らされていなかった・・・たった一人生き残ったこの少女のその後がどんなものだったのか、がとても気になった。
今読んでる本はSusan Nagelという人のものだけれど、実はマリー・テレーズについての本は非常に少ない。ある意味、お母さんのアントワネットより凄まじい人生じゃないかと思うんだけど・・・・

この表紙の肖像画は革命前のベルサイユ時代のもので、のびのびと愛らしくも王女としてのプライドと気品をもった少女の姿だ。大きな目ときゅっと結ばれた口元はアントワネット王妃にそっくり。途中で替え玉と入れ替わったなんて説もあるようで、これからじっくり読みますかね

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読み終えた・・・

やっと読み終えたSamurai William.
後半は、アダムスが来日してから12年後に、国王ジェイムス1世の貿易要請書を携えてやってきたイギリスの東インド会社が、アダムスの力添えで平戸にイギリス商館を設立してからの10年間の話。この間イギリス商館の館長だったリチャード・コックスが詳細な日記を残しており、また商館設立者の7人+アダムスが各々手紙を何通も残しているので、当時の様子がかなり詳細に渡って記録されている

面白いのは、日本に残って商会を始める事になった7人のイギリス人達とアダムスの8人の、異国に暮らす外国人としての10年間だ。同胞だからという事だけでは真の友達とは呼べない反面、少数だからこそ同胞同士が団結して助け合わなくてならなかった実情。プロテスタント同士として結束していたオランダ勢と最期は醜い争いになってしまったり・・・・

アダムスはじめ皆個性的な連中ばかりなのも読んでいて面白い。 酒癖が悪くてしょっちゅう地元民といざこざになってしまう奴、会社に内緒でプライベートに商売をして、会社が倒産の危機にある中、自分は大金持ちで貴族並 みの暮らしを堪能する者、恋した日本女性にお金をつぎ込み、お姫様のような生活をさせて大事にしていたのにあっさり何人もの男達と浮気されてしまう人の良 い館長

アダムスは日本で最初の同胞に逢えるまで12年間を過ごしていたので、最初はいきなりビジネスにやってきたイギリス人たちよりも、地元日本人や一緒にやってきたオランダ人達との輪のほうが大切だったのだろう。きっとものすごい戸惑いもあったと思う。イギリスからやってきた船長のセイリスはアダムスの事を打ち解け難い人物で、同胞よりも日本人やオランダ人を好んでいると受け取ってしまったようだ。アダムスの祖国と日本の間での揺れ動きは随所に垣間みられる。

何度も家康に帰国を懇願していてきいてもらえず、南アジアにイギリスが貿易を始めたと聞いて同胞者に手紙をしたためたアダムス。ところがセイリス達と一緒にイギリスに戻る許しを家康からもらったにもかかわらず、結局彼は帰国の船には乗らなかった・・・ キャプテン・セイリスとウマが合わず、彼と一緒の1年近くかけての帰国の航海がいやだったのだろうという事と、今の自分は日本での生活を確立していて、富も地位も日本にいてこそのものであり、祖国イギリスには何も無いという12年後の現実を見つめての苦渋の決断だったのだろう

オランダびいき、とコックスからも思われていたアダムスだけれど、行方不明になったイギリス商館の2人の消息を探しに行ったり、イギリスとオランダが険悪になってしまった時も、わざわざオランダ船に忍び込んで捕虜になっていた同胞を救い出したりしている。出した手紙の返事が来るまでに1年近くかかってしまった時代でありながら、読んでいると時代を感じさせない共通点が見える。

個性に富んだイギリス商館の設立メンバー7人+アダムスのうち、10年後の会社閉鎖で日本を離れたのが3人、さらに最終的に祖国イギリスの土を踏めたのはたった一人だった・・・

あまり考えずに手に取って読み始めた本だったけど、ハマってしまった。日本語訳が出ているという事も調べてみて解った。→こちらです
12月の舞台「按針・イングリッシュサムライ」はまたしても観られないけれど、なんだかこの舞台、日本よりイギリスで早くやって欲しい気がする。イギリス人はもっとアダムス達の事を知っていていいんじゃないの?大いに知らせるべきだよこれは!! 

う〜ん、、私はどうなるんだろうね、、ある日突然思いがけずに事故で死ぬのか、この国で生き抜くのか、はたまた祖国日本で生涯を終える事ができるのか・・・??? 私の骨はどこに埋められる事になるのだろうか・・・?? 読んでて思わず考えてしまったよ。今のうちにWill=遺言状を作っておいたほうが良いかも・・・
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