見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

カテゴリ: 映画の話


「死神の精度」が公開前という事で、あちこちにインタビュー記事や試写会の感想が出てる。 同時に藤原竜也君の「身毒丸」もいよいよ埼芸での最終公演に入って、あれこれと情報が耳に届く。復活と銘打って2月のワシントンからやってる事を考えると、けっこうな長丁場だ。死神・・」は、若い監督の長編デビュー作という事や、原作との比較とかいろいろな意見があるみたいだけど、監督や金城さんのインタビューでの言葉でちょっと考えた。

主演の金城武さんは、現場であれこれとアイデアを出しては、いろんなシーンで違う事を試しながら創っていったという話。 彼自身、「僕は現場であれこれやって、ちょっと台詞も変えたりしてその場で創っていくという映画の撮り方でやってきた。日本のやり方とは違うかもしれないし、失礼なのかもしれないけど、そういうやり方でずっとやってきたので、その中で良いものを出していけたらいい」みたいな事を言っていた。今さら「失礼かもしれないけど・・・」とことわりを入れるあたり、まだ日本での仕事に慣れていなかった頃に、そういうやり方を批判されたり、反発されたりした事があるのかもしれない。(ってか、絶対あったんだろーな〜と想像できる

でも逆に舞台を創る時にはそれが普通だ。稽古場は、演出家と役者みんながアイデアを持ち寄って試すために集まる場所。毎日稽古の度にあれこれとやってみては、採用もあれば却下もある。 アイデアを持たずに稽古場に来るなんぞもってのほかだった。 舞台と映画の大きな違い・・・それは、映画は最終的に完成された作品であり、舞台には決して完成という事はあり得ないのだ。映画はであり、舞台は空間この違いは役者の演じ方の大きな違いでもある。絵にする為の演技と空間を埋める演技はまったく違う。

もちろん舞台だって、最終的には舞台の上に絵を創るのだけれど、1冊の台本に書かれた文字を肉付けして舞台空間に置くには無限の可能性と解釈があり、また現実的に生の舞台で可能なセットや仕掛けの中で創るという制限がある。 映画の監督さんっていうのは、もう頭の中にはじめからがあって、その絵をいかに現実にするかーという事に時間と労力を費やす。 役者に対しても、動きのひとつひとつを細かく演技指導するタイプの人は多いようだ。実際に「こういう風にやってください」と自分で演じてみせる監督さんもいらっしゃるし、撮影が終ってからは、切ったりはったりの編集作業で監督の理想の絵を作りあげて、映画は完成というゴールをみる。

舞台は、稽古で創りあげたものを本番でキープしていくというのが最も難かしい。 稽古中に何をやっても演出家の気に入らなくて、そのうちアイデアも出てこなくなって、アップアップしながら無駄な事を毎日繰り返してしまう辛さは役者にとっては本当に苦しいのだけど、まだ自分で良し悪しの判断がつく。 でも本番が開いてからの評価というのはもっと判らない。自分では調子が良いと思っていたら、終演後に思いっきりダメをくらったり、今日はダメだったかな、、と思うと回りからお褒めの言葉をもらったりするものだ。 自分では芝居を変えていないと思っても、やっぱり舞台は生き物で、全く同じ芝居を全員ができる事なんて無い。舞台は、その日の自分の体調でも、共演者の気分でも、スタッフの機嫌でも、お客さんの反応でも、さらに演出家がソデにいるかどうかでも変わってしまうというモロイものだからだ。

本番になって舞台で稽古をするな。稽古場ですべてのアイデアを出し切れ」とは言われたけれど、やっぱり同じ舞台をキープするって大変だ。日本と違ってWest Endでのロングラン公演は、評判が良ければ何年も続く。役者も契約によって1年くらいで変わっていくけれど、客席から観た舞台の仕上がりを変えずに続けるというのは、本当にすごいプロの仕事だ。絶対に「完成」する事のない舞台での芝居、、、それをひたすら繰り返す。 何年経ってもどこででも、安心して同じ完成作品を観る事のできる映画と比べて、観る時の緊張感が違う。

この一球は絶対無二の一球なり、されば心身を挙げて一打すべし と言ったテニスの選手はどなただったか、、、テニスに限らず、「完成」がないものすべてに言える言葉だ。

日本に行ったら観たい映画や舞台が待ってる。 安心して鑑賞できる映画と、劇場内の空気の動きにちょっと緊張しながらみる舞台・・・・どっちも楽しみだ(でも私的には、やっぱり舞台だなあ〜)


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そういえば、藤原竜也君が久しぶりにドラマをやったんだ、と思い出した。東京大空襲」で2夜連続っていってたから、てっきり今日、明日あたりかと思っていたら来週だそうで・・

広島・長崎の原爆投下や、沖縄のひめゆり部隊は今までにも多くの形で映画やドラマ化されてきた。でも3月10日の東京大空襲を扱った企画は考えてみたら少なかったんじゃないだろうか。東京の3分の一を焼け野原にした大空爆。 米軍機は初めに火の手で逃げ道を塞ぐように周囲に焼夷弾を落とした後で、300機にも及ぶB29が集中爆撃を行ったという。 10万人以上の一般市民が亡くなったのだから、本来なら指揮官は戦争裁判ものだ。それなのに、この指揮官は後に日本の自衛隊発足に関して貢献したとかで、勲一等旭日章を受けたというのだから驚ろきだ・・・・

どうも戦争の話になると私は居心地が悪いっていうか、納得できないものが込み上げて気分が悪い。 戦後の日本で、「世界に平和を、戦争の悲劇を2度と繰り返さないように」とインプットされて育った世代なわけだけれど、なんか、うまく丸め込まれて育てられたような気分の悪さだ。これはやっぱり日本にいた間には気が付かなかった。日本における戦争っていうと、悲劇、涙、無念、、、そんなパターンばかりで、主張がないように感じるのは何故だろう、、、 所詮負けた側には主張など存在しない、という事なんだろうか?? 原爆を2度も落とされて敗戦した後しっかりアメリカのお世話になって、高度成長期を経て先進国のひとつとして復興した日本だけれど、こっちに来てから英語学校で戦争についての討論をした時に、「お前達はバカじゃないか?なんだってあんな負け方の後でアメリカの腰巾着になれるんだ?」とはっきり言われた事もある。9・11のテロが起こった時も、「あのテロは、原爆後の日本がやったのなら納得できる」とも言われた。

小泉堯史監督の「明日への遺言」が公開されている。 岡田中将のストーリーがどんな映画になっているのかとても興味がある。立場が逆なら、無差別爆撃を行った敵兵を処刑したのだから英雄のはずだ・・・もし来月まだどこかで上映されていたら是非観たいと思っている。

この東京大空襲の際の話で、昔おばあちゃんに聞いた話がある。私は小学生の頃だ。

私の父は江戸っ子3代目で、祖父母はずっと深川に住んでいた。おばあちゃんは江戸っ子によく言われる、の発音が区別できない江戸弁女性で、口調も〜するかい?とキップが良かった。出かける仕度をする祖母に

私  おばあちゃん、どこ行くの?
祖母  Sh-B-ya
私  ・・・し、ぶ、や?(渋谷)
祖母  Sh-B-ya
私  え、、?ひ、び、や?(日比谷)
祖母 Sh-B-ya
私  おばあちゃん、どっち?!
祖母 、、Sh-B-ya

といった具合で、子供の私には結局判らなかったりしたものだ(ま、今考えれば、あの年代の女性が着物で出かけるのだから、渋谷じゃなくて、国立劇場なんかがあって銀座にも近い日比谷だったのだろうとは理解できるけど) 祖父母の所へ遊びに行くとよくお寿司を取ってくれるのが楽しみだったので、「お腹すいただろ?おしる食べるかい?」と言われて、「、、、今日のお昼は汁物なのか・・?」とがっかりしかけた事も・・・

大空襲という阿鼻叫喚地獄の出来事なのに、なんでそんな話をしてくれたのかは判らない。多分子供相手だったからだろうけど・・・・

空襲で逃げまどうハメになったのは真夜中で、ほんとうに外は寒いし暗いし、それでいて火の手があちこちに上がっていて、とても普通の火事のように家から物を運び出せる状態じゃなかったそうだ。 それでも人間っていうのは、何かを守ろうとしてしまうものらしい。お向かいの家の人が、江戸時代から家に伝わる昔の小判やら由緒ある紋の入ったなんたらやら、とにかく家にあるお宝を一式にまとめて横を流れる川(横十間川)に投げ込んだのだそうだ。 四方を炎に巻かれた人々はその後どんどん川に飛び込む事になり、深川地区を取り巻くようにいくつもに別れて流れる川という川は、生きているのか死んでいるのかわからない人間達の身体で埋まったという。

お宝を川に投げた家のご主人はこの空襲で亡くなったのだそうだけど、その時一緒に行動していた近所の人がその事を覚えていて、大分後になってから、その家ゆかりの人達と川底をさらってみたのだそうだ。 でも結局見つからなかったのだとか。 川で亡くなった人の数は膨大で、その遺体を上げる作業がかなりあったはずだし、川の流れで東京湾に押し流されていってしまったかもしれない。 でもおばあちゃん曰く、「絶対どこかにあるはずだよ。」
この話は、当時明智小五郎怪盗ルパンにハマっていた私には「おお〜〜、宝探しができるかも、、」と思うに充分なインパクトがあった。一緒に話を聞いた従兄弟達と、「ちゃんと探せば1発千金かもしれないよ」と不謹慎な相談をしてしまったりして、、、

考えてみたら、関東大震災も、大空襲を含む2つの世界大戦も生き抜いた祖父母達・・・・ 2人とも逝ってしまった今になって、もっといろんな話を聞いてみたかったな、と思う。それとも、いまさら昔の惨事については語りたくもなかったのだろうか・・・? この63年であまりにも世の中が平和に変わり過ぎてしまったために、もう記憶も薄れてしまっていただろうか? あまりにも無惨な現実は過去に封印してしまっていたのだろうか?

粋でチャキチャキしたおばあちゃん達の人生には、大正時代から、皆が携帯電話を持って小学生がコンピューターを使いこなす現代までの、歴史という大きな時間があったのだ。私の人生はそれと比べたら幸せな事に平和だ。

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今年に入って3回目の日曜朝一映画鑑賞「My blueberry Nights=マイ・ブルーベリー・ナイツ」です。・・・・今日は11時からだったよ、、、なんだか映画レビューが多くなってきたなあ〜〜 っていうか、ここの所続いてるもので・・・

imagesウォン・カーワイ監督の最新作は、初の英語版で舞台もアメリカだけれど、なんだかやっぱり監督らしい色調だ。 この作品はとても解り易い。2046みたいに、あっちこっちに話が飛んだりする事なく、はじめから終わりまでストーリーとしてつながっている。ネオンやカフェ/バーの店内といった場面の色使いがカーワイ監督っぽくて、なんだか懐かしくなる色調だ。

主演がNorah JonesJude Lawって銘打ってるけれど、この2人でストーリーが成り立っているというわけではない。 というよりこれは、この2人が数日だけ知り合った冒頭部分から、1年後に再び会ってお互いを本当に好きになる為の2人に必要だった時間を描いたものだ。 

恋人に裏切られたエリサベスはカフェを経営するイギリス人のジェレミーと出会う。でもこの時点では、2人ともまだ恋に落ちる準備はできていない。 失恋の痛手を追った彼女は旅に出て、昼夜働きながらいろんな人と出会って少しだけ変わっていく。彼はニューヨークの片隅でカフェを営みながら、彼女の所在をあれこれと探すけれど、自分はその場を動かずに待っている。 毎日が同じようでいても、カフェにはいろんな人が来ていろんな事が起こるうちに、彼もまた少しだけ変わっていく。そして最期にこの2人は、今度はきっと恋人同士になる為にもう一度このカフェで再会する。

その間のストーリーを埋めているのは他の役者達だ。この人たちが皆さん良い。 特にアルコール依存症の警官と別居中の妻の部分はとてもパワフルだ。この2人の演技は素晴しいもんがあります!(Rachel WeiszとDaved Strathairn)私はジュードとノーラ以外の出演者に関しては何も知らずに行ったのだけれど、演技素人のノーラは大した芝居はしなくても良いようにできている。 監督が彼女を起用したのは正解だ。彼女はストーリーの中では受け手だからだ。回りで起こる事、回りの人を観ていろんな事を吸収していく役割なのだ。すごく自然で飾らず、イノセントな役柄で、それが彼女の持つ素直な魅力と一致する。 感情表現の激しい芝居は回りの役者達がちゃんとやってくれているのだ。

Natalie Portmanが出て来た時に、「ああ、どこで観た人だっけ、、?」と思ったきり思い出せずに、最期のクレジットを観て、やっとCloserでもJudeと共演していたNatarieだったと思い出す。 実はCloserという映画、途中でDVDがフリーズしてしまって最期まで観る事ができなかった。(うちの彼が友達から借りたDVDだった)なんとなく見始めて、面白いな!思ったのに最期まで観られなかったので、また借りてこようかな。このCloserでのジュード・ロウの演技が、すごく良いな〜と思って観てたのだけれど、今回のMy Blueberry Nightsでもすごくあったかい芝居をしている。この人がここにいるなら、またここに戻って来よう」と自然に思わせてくれるような広さがある。 内面的にはいろんな感情で走り回っているのに居場所を変えずにいる・・・このキャラクターが「鍵の集まる場所=戻れる場所」の象徴なのかな、、?

説明的な台詞が最低限なのは、やっぱりカーワイ監督だからか・・・?でも最低限の台詞の中で、ちゃんと背景が解るようになっているあたりはすごく上手い。 余計な台詞が無い代わり、背景を裏付けた芝居を役者達がちゃんとやってくれている。 ふっと登場した女が一言ジェレミーに話しかけたアクセントの訛りで、彼が言っていたロシア人の元カノだと1発で解らせるあたりは流石だ・・・ ちょっと細かい所で気が付いたのは、彼女の名前はエリザベスなのだけど、行く先々の職場(カフェやバーといった、ウェイトレスの仕事)で付けている名札が、Lizie, Beth, Betty、と変わっているところ。どれもElizabethの愛称には違いないけれど・・・・

疑問に思ったのが年齢指定だ。この映画は12A(12歳以上で大人=Adult同伴)になっている。 Sweeney Toddの時には、血だらけの残忍なシーンはあるけど、15指定でも良いんじゃないかと思ったけど、今度は逆の意味で15指定の方が良いんじゃないかと思った。 普通はバイオレンスやSexシーンといった視覚的な部分だけでなく、ストーリーの内容やプロットなんかも査定基準になってるはずだ。この映画では、登場人物の感情面を理解するには12-3ではちょっと無理じゃないかな。ロマンチックなようでいて、とっても大人の話だ。

アイスクリームを添えたブルーベリーパイが食べたくなる! 画面一杯のドアップで、アイスクリームが熱々のパイに溶けてからまっていく様が映し出されたら、甘い物嫌いの私でも思わず「たまには食べたいな〜」と思わずにいられない・・・! 帰りに近くのスーパーに寄った際、丁度お昼だし、、という事でコーヒーと一緒に頂くブルーベリーマフィンを買ってしまいましたとさ・・・

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頼んでおいた「投名状」のDVDがやっと届いた。 発売日は2月4日だったのに、やっぱり注文過多で入荷が遅れていたそうだ。アジア圏のDVDを扱ってるサイトはどこも売り上げランクトップになってる・・!

で、投名状です・・・・なる程、、良いね〜!

・・・て、それだけか〜〜!?ってカンジですが、、、 まず、戦闘シーンのリアリティーは凄いです。 群衆の使い方も良いし、リアリスティックな迫力で描かれてる。主役3人のバランスはうまく均等に取れていて、おそらく監督はこのバランスにものすごく気を使ったのだろう。

ストーリーは解り易い。生きるも死ぬも共に、互いを最期まで裏切る事なく、と義兄弟の誓いを立てた3人が、長引く戦闘生活の中で少しずつ価値感がずれ始め、義兄弟の妻を奪い取ろうとするあたりから一気に誓いは崩れていく。 主演3人の演技はとても良い。それぞれの思い入れの違いを3俳優ともきっちり表現していて、説得力がある。ピーター・チャンさんは感情表現を画面に出すのが上手い監督だ。全ての役の心情に納得できる。

只、、、その感情面で、ちょっと幅が足りないようなカンジもする。 愛憎の幅といっても良いかもしれない。何ていうか、皆が良い人なんだよね〜それがちょっと解せない。私としては、ジェット・リー氏の演じた龐青雲がもちょっと悪い奴の方が面白かったと思う。 野心と欲の為に義兄弟を裏切るーという設定のほうが、金城さん演じる姜午陽が彼を刺す理由が生きてきたんじゃないだろうか。 青雲が悪い奴ではないからこそ、殺す理由が「投名状の誓いを破ったから」という所にしがみついているのは、ちょっと弱いかなと思った・・・・でも、これまたそこが監督の意図なんだとは思うけど。

最期まで投名状を信じていた姜午陽が、「誓いを破ったら死ななくちゃいけないんだ!」と泣いて繰り返しながら龐青雲に向かっていく場面は、子供が大人のずるさを責めているような純粋さがある。これはチャン監督が金城武をこの役に起用した一番の見せ場だと思う。憎しみではなく、裏切りを許さない午陽のBig brotherへの精いっぱいの制裁だ。

アンディー・ラウさんの趙二虎は良い役だなあ〜。無骨で粗野なんだけど、山賊の長としての魅力がある。趙二虎が、妻と龐青雲の関係を知らないまま死んで行くのは悲しいものがあった。 この雨の暗殺シーンでの、ジェット・リーのテーブルでの一人演技はもっと愛憎が入り乱れてても良かったんだけど・・・やっぱりもっとやな奴の方がスッキリいったんじゃないかしらね。

蓮生と龐青雲の関係もなんだか感情面でちょっと足りない気がした。 夫の所から何度も逃げ出してはまた戻って来るー、っていう無力な女の心の揺れがいまいち弱い。 龐青雲に対してどんな気持ちで不倫するのかが解りにくい。夫には拾ってもらったようなもので、特に好きで結婚したわけじゃなかったのかもしれない。 でも「仕方がない」とあきらめる事に慣れてしまっていた女が今度は本当に恋に墜ちたのか、それとも、これまた夫よりも出世しそうな勢いの男に強引にひっぱられて、成り行きに身をまかせたのか・・・いまひとつはっきり見て取れなかった。 そういえば、ジェットさんのラブシーン(ベッドシーン)がなかなかうまくいかなくて・・・とかって話が事前に出ていたけど、

そんなシーンあったっけ??!

もしかして、、あのシーンの事?あれがあ〜?・・・ あれが「恥かしがってうまくできなかった」シーンなの〜〜?! おいおい・・・しっかりしてくれよ〜〜ジェット兄さーん

戦闘シーンも細かくリアルに描かれてるし、感情表現もすごく良い。日本の戦国時代ものとも共通する部分があって、日本人には解り易く観られる映画だ。 でも何故だろう、、?今ひとつ、空気っていうか、スケールっていうか、、広がりきってないように思った。壮大さに欠けるって言えば良いのかな。

カメラのフレームにスペクタクルな場面が広がってるんだけど、奥行きを感じないっていえば良いのかなあ〜。 監督がわざと意図したセピア系のモノトーン調のせいかもしれないし、画面に太陽の明るさが全くといって良い程出て来ないせいかもしれない。 色調を狭くすると、どうしても空気感が小さくなる。閉じこもった世界のような雰囲気だ。この前観た、Sweeney Toddみたいな映画だとそれがすごくうまく生きるんだけど、この投名状では、逆にスケールダウンになってしまったかも。(いや、監督の意図に文句をつけるわけじゃありませんけど)画面に奥行きが感じられないんだ・・・・

欧米向きとは言えないかもしれないなあ〜・・・? 義理人情ってやつは、東洋特有のものじゃないのかしらね・・・?西欧的にはもっと宗教がかったもののほうが理解され易いかも。そういえば、映画の中で十字架が出て来る。姜午陽が「敵から取ったんだ」と義姉の蓮生にあげたものだ。あと、歴史によると龐青雲のモデル、馬新貽はイスラム教徒だったそうだ。

う〜ん、、、やっぱりね、これは映画館の大スクリーンで観るべき映画かもしれないね。 DVDだともったいない。もしかしたら、映画館で観ると全然違って見えるのかも・・・・そんな印象の残る映画だ。そして、監督の主役3人に対する愛情がとても伝わってくる・・・

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やっと携帯を新しくしました〜〜!

携帯とデジカメをどう使おうか・・・と考えて、あれこれあれこれ&あれこれあれこれネットで数日かけて検索し、カメラはコンパクトなのを日本で買おうと決めました。だって安いんですもの!! 日本で出た機種がこっちで販売されるのが、6~数カ月後。 で、目を付けたモデルの値段を見ると、日本のほうが40%近くも安い だったらやっぱりあと数カ月待って日本で新しい型のを買ったほうが良いよね。とりあえず3.2Mpのカメラ付き携帯があれば事は足りる。

日本の「暮しの手帖」のような、消費者団体が発行するWhich?という雑誌がある。毎月いろんな商品を比較、調査してお薦め(Best Buy)の製品を紹介している。もちろん携帯やデジカメも定期的にアップデートされ、スペック、値段、所有者の声、実験結果等がリストになっている。 これを元に、目を付けた商品を今度はネットでどこで買うかを検討するわけです。以外と穴場はAmazon。日本サイトもあるけれど、Amazonは本やDVDだけでなくほとんど何でもありで、もちろん携帯も。そしてコメントが多いので、実際に買った人の声が聞けるので良い情報源だ。

k800i今回新調したSony Ericssonのサイバーショット携帯は、実は2006年の秋に出たもので、特に新製品ではないけれど、結構根強い人気がある。 携帯のカメラ機能は3Mpあれば充分と決めていた。携帯で音楽を聴くつもりはないので、ミュージック機能は最小限で良い。(それでも音楽ダウンロードやら、FMラジオというのはどうしても付いて来る) 今まで使ってたデジカメが、Sonyの最初のCybershotだったので、スペックはこの携帯とほぼ変わらない・・・・ 今までの携帯もSony ericsson だから全体の使い勝手は良さそうだし、SIMカードは同じものを使うので特に面倒な事もないし。

ダウンロードしたE-mail設定の何が悪いのか、何度やってもメールに繋がらず、結局このMacで使ってるサーバーから新しくアカウントを取って(このサーバーは一件で5つまでアカウントが作れる)設定も全部マニュアルで打ち込んだ。 試す事3時間位かかってようやく成功!こちらは日本みたいに携帯でemailというのはあまり使われず、もっぱら電話番号に送るテキストメッセージが主流だ。携帯にメールサーバーの設定を初めてつけたのがやっぱりsonyだったっけ。

そんなこんなで昨日はなんと寝たのが3時になってしまった。さて寝よう・・・と最期にチェックしたニュースで、Brokeback Mountainで主演したヒース・レジャーが亡くなった事を知る、、、、びっくり!! まだ28だよ・・・・これからだったのに・・・・ この前は「The Client」で子役だったブラッド・レンフロが25で亡くなったばかりだ。ホントにね、、、薬なしじゃやっていけないのかしらね〜〜・・・残念です。

なんだかあっちこっちからの情報に追われてる、、、藤原竜也さんはそろそろ身毒丸モードに入る頃のようだ。ワシントンがもうすぐだからね・・・・ 映画カメレオンの公式サイトもできてる。予告観たけど、、、やっぱり、、、髭は似合わないなあ〜〜!! でもサングラスとセットで、蜷川さんも褒めた(驚いた)というヤンキースタイルを合わせれば、結構サマにはなるかも・・・後は演技力かしらねやっぱり。アクションものなのかしら・・・??逃げるのは身体軽そうだけど、闘うのはさてどんなものか・・?

死神の精度」の試写がもうすぐだそうで、原作本もやっと文庫になるみたいですね。「映画で話題になれば売れるのを見越してわざと文庫にしないのか?」とも勘ぐっていたんですけど、やっぱり映画と同時に文庫版にしたほうが売り易いよね。 金城武の名があっちこっちで出て来て、どれが本決まりなのか今ひとつ・・・ K-20の後は「鬼武者」という話あり、「鉄拳」という話あり、、、、、でもなんだかアクションっぽいのばっかりじゃない?・・・らしくないっていうのかな、、アクションゲーム物の実写を続けて2本っていうのは金城さんの選択枝にあるだろうか・・・?

「投名状」のDVDがもうすぐ出るし、夏には「赤壁」をオリンピック前にカンヌに出すつもりで監督は頑張っているらしい。 去年は「投名状」のポストプロダクションが間に合わなくて、ピーター監督があきらめたカンヌ・・・・赤壁投名状もイギリスでは何も聞こえてこないしなあ〜〜 Lust・Cautionの後に聞こえてきたのは、来月公開でジュード・ロウが出てるウォン・カーウァイ監督の「My blueberry nights」だ。ラスト・コーションの時に予告を観たけど、すごくらしかった ニューヨークのカフェっていうからちょっとモダンなイメージを浮かべていたのだけど、どうしてどうして、そこはやっぱりカーウァイワールドのようで、すごく「懐かしい」気分にさせられた。楽しみです。


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先週に続いて、また日曜日の朝一上映で「スウィーニー トッド」を観て来た。 うちのエリアにある映画館は、15スクリーンもある大型シネマなのに、ローカルの評判はよろしくない。 特に平日の3時以降ともなると、ローカルなガキ共・・・いや、中高校生たちがたむろしてしまって、床に座り込んで食べてるわ、グループで喧嘩になるわ、未成年なのにお酒を飲もうとするわ・・・で、地元の警察のやっかいになる事もしばしばなようだ。

だから私はもっぱら休みの日の朝一上映で見る事にしている。12時までだと£4-40(約1000円)で観られるし・・・ただ、静か過ぎるというのもちょっと寂しいもんがある。ほとんど人がいないし、先週のラスト・コーションの時なんて、2階の上映スクリーンに行く時、誰もチケットを切ってくれなかった。あれなら、外からチケット買わないで直接入っちゃってもよかったわ・・・・

さて、Sweeney Toddですが、、、ちょっと驚ろいたのが、18指定になっていた事。う〜〜ん、、、せめて15でもよかったんじゃないかと私は思うのだけど、やっぱりこの国の14-5歳ってキケンだから?? 確かにかなりBloodyで、後半の連続殺人シーンでは、思いっきり血糊が飛び散ってたけど。というより、「罪の意識なく、誰彼かまわずに殺していく」という心理設定が問題なのかな・・・・

名作といわれるミュージカルの映画化だ。私も含めて楽しみにしていた人は世界中で多いはず。しかもキャストもスタッフも揃ってるし・・・・ロンドンプレミアの後で、ジョニー・デップは「歌ったのは初めてだし、もうやらないかもしれない」と言っていたけれど、なかなか歌いこなしてるので感心しました。 もともとミュージシャンやってた人だしね。それでもソーンダイム氏の曲は歌うの難かしいんです・・・!! 舞台をそっくりそのまま映画化というわけではなく、省かれていた曲もあったし、ストーリーは全く変えずに舞台とは違うものに作り上げていた。普通、舞台の映画化っていうのは、色彩や場面に広がりが出て、もっと現実的になるものだけど、これはちょっと違った作風になっている。

全編青みがかったモノトーンな画面で、白黒ともまた違う、不思議な世界になっている。主役2人の白塗りメイクは現実的とはほど遠く、台詞(歌)回しも大仰な部分があり、それが帰って「物語」といった雰囲気を盛り上げる。 唯一太陽の光と現実的な色彩の入ったシーンというのが、ミセス・ラヴェットが2人の将来を夢見て歌う、幻想のシーンだ。この逆の色合いがとても効果的。

ジョニー演じるトッドは、ほとんど表情も変わらない。変わるとしても怒り、憎しみ、いらだちといった、ネガティブな感情表現によってだ。 笑う事はない。全体の暗いモノトーンも、人生の目的が復讐一色になってしまったトッドの心の表れなのだろう。喜びも、愛ももはや感じなくなってしまっている男・・・・

ヘレナ・ボーナム-カーターのミセス・ラヴェットも、ハマり役だ。監督が旦那だという事を差し引いても良いキャスティングだと思う。 舞台では日本でもイギリスでもちょっと華やかな人がやる事が多かったので、(昔には鳳欄さん、ロンドン・ナショナルではジュリア・マッケンジー)どうなるのかな、と思ったけれど、やっぱりヘレナは古典的な役がハマる。歌も演技も流石です。何より、ジョニーとの相性が良い。もう何作も共演してるしね。

実は彼女にもう17-8年前に会った事がある。 当時の私の職場にお姉さんと一緒に来たのだけれど、当時は典型的なEnglish Rose、古典的な上流階級な役ばかりやっていたので、可愛い顔立ちとは不釣り合いな低い声にちょっとびっくりした。 だから、ファイトクラブで一気に違うイメージで出た時は「クラシック畑から幅が広がるな」と期待したので、それ以後のバラエティーに富んだ作品での成功は嬉しかった。

新人の2人も目を引いた。19歳のJamie Campbell Bowerと子役のEdward Sandersの2人だ。 きっとこの映画の後、この2人にはオファーが殺到している事だろう。Ed Sandersはミュージカル映画「オリバー」でドジャーを演じたジャック・ワイルドを思い出させる顔立ちで、役者というよりは、歌のほうでトレーニングしてきたらしい。 そういえば今年またBBCが新しい舞台「Oliver」のオリバー役とナンシー役を探す大型オーディション番組をやる。エドもドジャー役で出てこないかな・・・・??

私としてはやっぱりこれは舞台のミュージカルとは同じだけど違う作品と思いたい。暗くてモノトーンなこの映画もすごくファンタジーな世界観で良かったけれど、やっぱり舞台での迫力ある音楽は聞けなかった。でもやっぱり「Sweeney Toddだから」という事でかなりの高得点になる事は間違いないだろうな。それにしても、パイレーツ・・・以来のジョニーの若いファンも多いだろうに、18指定というのがちょっと可哀想・・・・

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どうしても少しネタバレしてます。なるべく話の筋書きはしませんが・・・






今日は更新はパスのつもりだったんだけど、やっぱりちょっと追記・・・昨日の感想は 観てすぐ書いたもので、ちゃんと整理されてなかった様な気がする。長い映画だし、もうちょっと私なりの解釈をしてみた。あらためてトニーさん演じるYeeという男の側から考えてみると、やっぱり彼は彼女が反逆分子である事を知ってはいなくても、頭のどこかで常に警鐘が鳴っていたんじゃないかなと思ったもので。

トニーさんの目を思い出せば出す程、いつも彼女に執着しながらも警戒していた。 だから、最期に指輪を前に「今すぐ行って!」と言われた時に、すべてを理解して脱兎のごとく飛び出していく・・・・(ここのトニーさんの演技、すごく良い!

香港での夏が第一部だとすると、この時点でのWang達の行動はちょっと稚拙でまさにNaiveだ。 彼女がちょっと女優気分でYeeを誘惑していた感じがしたのも、あの学生達が若さゆえの思い込みに突っ走っている様子からだ。 本当の現実をまだ知らないゲーム・・・・だから、残虐な現実を目の当たりにした時、彼女は後も振り返らずにその場から駆け去るのだ。それが、後半の上海編になると、ゲームや冗談ではない現実になっていく。組織のコマとしての、命がけの使命だ。

Yeeがとても寂しい男だという事も、映画の随所で表現されてる。 奥さんとは当たり障りのない部分で夫婦でいるけれど、心が通じ合っている間柄ではない。彼が仕事で毎日誰かを処刑している間に、妻はマージャンとショッピングに毎日の退屈を紛らせている。(この妻もまた、寂しい人間なのだと解る)感情を失くして非情でいる事が日常のこの男は、実はそんな自分を爆発させる事のできる相手を心の隅で必死に求めていたんじゃないだろうか。 だから最初にWangをレイプした時に、振り返って自分を見返した彼女に手応えを感じたはずだ。この一瞬のトニーさんの表情のカットがいやに印象に残ってる。そして頭の中で警鐘を聞きながら、もっとのめり込んで行こうとする・・・・

Wangのほうは、もと動物的な部分でYeeとの交わりにのめり込んで行く。 それは愛とは違うけれど、知れば知る程にもっと求めてしまう本能だ。 彼女は初めから、無垢で純真な少女ではない。彼女もまた寂しい人間だ。お父さんに置いていかれ、その父は遠くで再婚し、自分の居場所が無い事を感じていたのだろう。演劇クループに加わって、初めて自分の居場所だと思ったのかもしれない。 Yeeには強く惹かれていたけれど、決して純粋な気持ちではなかった。そして贈られた指輪の純真な輝きに、初めてYeeを死なせたくないという事に気付く・・・。

2人の最期の決断は本当に寂しくて空しい。 彼は毎日仕事でそうするように、処刑執行の書類にサインをして、今までの激情は無かった事にしようとする。邪気のない指輪の輝きを見ながら・・・ そして彼女は、自分の最期の運命を、自分に居場所をくれた仲間達と共に死ぬ事を選ぶのだ。 愛し合う男女には決してなれなかった2人の寂しい結末だ。

昨日は、何度も見たい映画じゃないなあ、と思ったけど、もう一度見直してみると、また違った解釈が出て来るかもしれない。 日本語の予告編をみたけど、やっぱり訳で印象が違ったりするから、なおさらいろんな解釈があるかも・・・・とりあえずそれまで、この話はこれで切ります。


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昨夜は久しぶりのバーティーに行ってきた! 5つ星デラックスのフォーシーズンズ(Four Seasons Hotel)のNew Year Party・・・ やっぱりカメラ持って行きたかった〜〜! でも前述のように、私のデジカメがおかしくなってしまっていて、あきらめたのでした。今年のパーティーのお題は「Mid summer night's dream=夏の夜の夢」、、とはいっても、飾り付けやテーブルのデコレーションがそれっぽいっていうだけで、別に後は意味ないんですけどね。久しぶりに美味しいコースディナーとカジノやバーで遊んで、終電ギリギリまで踊ったのでした。

さすがに遅く帰って寝たのが3時過ぎだったから、本当は今日は寝坊したかったけど、行ける時がないかも、、、と思ったので無理矢理起きて映画を観てきた。 「色・戒ーLust Caution」。去年のベネチア映画祭で賞を取り、2007年度の中国・アジア圏の映画賞を総なめにしたアン・リー監督の映画だ。アン・リー監督といえば、Brokeback Mountainでベネチア映画際→ゴールデングローブ→アカデミー監督賞というコースで受賞したけれど、今回もあちこちでノミネートされている。 数日前に発表されたBAFTAの外国語映画のノミネートにも入ってる。ただ、ロンドン映画祭での上映の際、レビューが賛否両論だったので、どんなものか気になっていた。

日本での公開はまだみたいなので、ネタバレはなるべく押さえます。
長い・・・
2時間40分近くあるので、ゆったりした姿勢で観られる席をお薦めします。 あとは、日本語だと解らないけど、中国語映画の英字幕はどうしてもすごいスピードで変わってしまう。スクリーンに近過ぎる席だと、字幕を読む間、画面が目に入らなくなっちゃう・・・金城武映画でかなり訓練したんですけどね、「さあ、くるぞ〜」と構えていても、時にはあっという間に字幕が変わってしまうので、気が抜けない。そのうち速読の名人になれるかも・・・?

う〜〜ん、、とってもインテリジェントに創られている映画だ。 あちこちのシーンに結構心情の変化や疑い、とまどいといった心理描写の伏線があるので、ぼお〜〜っと観ていると見逃すかも。 2時間40分の全てのカットに意味がある。まずトニー・レオン演じるMr Yeeは比較的台詞が少ない。トニーさんはいつもは広東語の俳優だから、今回は北京語という事で大変だったとは聞いているけれど、少ない台詞の役だからこそ、1カットの絵が重要な意味を持つ。 役の上でも無表情なので、常に彼のが何を思っているかを考えながら観てしまう。やっぱりよく言われるように、トニー・レオンさんは目で演技するのが上手い。あちこちの国でカットになったり短くなったりしているベッドシーンだけど、これもMr Yeeという人物を描く重要なシーンだ。

自分の立場上どんな残忍な決断も下さなければならないこの男は、人を信用せず異常なほど警戒心が強い。 その彼がタン・ウェイ演じるWongに自分を少しずつ見せていくようになるのは、2人の最初のレイプ同然のベッドシーンからだ。 ハイソに見せているWongが、実は本性はそれほど洗練されているわけではない(not smart enough)事に彼は最初から気付いている。 そしてこの乱暴なレイプの時でさえ、彼女が嫌悪したり脅えたりする女では無い事を行為の最中に知る。彼女が振り返って目を見返すのだ。 この時から2人の中で何かが弾け出したんだと思う。

シーンとしては、ベッドシーンは3回しかない。あちこちの批評で、「カーマスートラに新しい数ページ」なんて書かれているけれど、激しく、でもとても美しく撮っているので違和感はなかった。(でも真似したら骨折するかも・・?)むしろそのシーンでのトニーさんの目がとても意味を持っているように思った。とにかくWongの顔を見続けるのだ。深く深く相手の中に入り込むような目で。それが後でWongが組織の仲間に打ち明けるように、彼女の心を揺さぶっていくのだ。

Wongを演じるタン・ウェイは新人とは思えないスケールの芝居をしている。 というより、私はこのWongという少女は、女優気分で自分の使命を演じていたのではないかと思った。学生演劇から反体制派という図は戦時中にはどこにでもあったものだ。まだ若くエネルギーにあふれた学生達はYee暗殺という大きなプロットに熱くなる。 でもWongは本当に愛国心や政治的信条からこの計画に参加したのではなく、はじめての舞台で大勢の観客からの反応に驚喜したのと同じような気持ちで、Yeeを誘惑して自分のほうに引き寄せていく喜びを楽しんでいたんじゃないだろうか。

これは恋愛映画じゃない。2人の間に愛は無い。あるのはLustとCaution。この映画に限っていえば、良い英題を付けたものだと感心する。ちなみに中国語では指輪の事を指戒と書いて、誓いの意味があるそうだ。指輪はこの映画の中で唯一イノセントな物として出て来る。WongがYeeを愛しているわけじゃない事は、映画の冒頭で観客は皆解っている。だからこそ、この2時間半を超える長い映画の流れの中で、主役2人の心の探り合いを楽しむ事ができる。

Yeeが途中で彼女の正体に気付くのかと思って観ていたけれど、かなり用心深く彼女を観察しているようなカットはいくつもあったけれど、最終的には彼は「全く知らなかった」のだと解釈した。 にも関わらず、ほとんど躊躇もせずに残忍な態度で処刑の書類にサインをしてしまう所が、このYeeという男の悲しい性質なのだ。 ちなみにトニーさん、さすがにアップになるとちょっと歳とったなあ〜・・・と思わざるを得ないけど、身体は綺麗に絞ってあった、、、すごく減量したとか。

何度も見返す感動作とは思わなかった。でも良作か駄作かと聞かれたら、私は「かなりの良作」と答える。 。他の学生仲間達も皆良い。特にグループリーダー役のワン・リーホンの演技は、使命感の下で感情を押さえている若者の微妙な心理がよく見えた。イギリスでの批評にはかなり手厳しいものもあったけれど、監督はかなり細かい部分も意図して創っているのがよく解っただからこそ、ぼ〜〜っと観ていると、見逃してしまう映画だ。伏線を見逃さないキーポイントは、

 初めから女は男を殺そうとしているという事。
* 男が女に引かれていくのは、彼女がハイソな女だからではなく、女から得体の知れない野性動物のような匂いを嗅ぎ取ったからだという事。
 戦時中で、あっちもこっちもイギリスやら日本やらに支配されている抑圧された中国での話だという事。

去年はアジア圏で賞を取りまくった映画ですが、イギリスでは18指定でマイナーな公開です。(そのかわりカットは無いようでした)日本での評価はどうなるでしょうね・・・・

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日本で、未公開ではないにしても、半端にしか公開できない映画といえば、「愛のコリーダ」

Ai noこれは、大島渚監督の名を世界に知らしめ、「ポルノか芸術か?」の大論争を巻き起した1976年の映画だ。 極秘で撮影したフィルムをフランスに送って編集し、カンヌ映画際で上映されるや大反響を呼び起した。その後とりあえず日本で公開された時には、あまりにもズタズタにカット&修正されて、ほとんど映画の主旨を残していなかったと言われている。 私は、当時はその辺はちゃんとは知らなくて、とにかく日本では未公開同然で、わざわざ外国まで観に行く人が大勢いる、というのは耳にしていた。

私がイギリスで観た時は、そんなオリジナル公開の大騒ぎから軽く10年以上が経過していた。 観たのはいわゆる名画座スタイルのシネマクラブ。ダブルビル(2本立て)で安く観られ、プログラムが良いのでメンバーになっていたKings Crossの映画館だ。その日は「愛のコリーダ」と「楢山節考」の2本立てだった。 ちなみに館内はほぼ満員状態、男女比率も良く、普通の大ヒットロードショーの映画館の雰囲気となんら変わらない。そして私は期せずして、一日に「愛のコリーダ」を2度も観る事になったのだった。

友人と、「愛のコリーダ」→「楢山節考」の順で観にいったのだけど、合間にトイレで別の友達に遭遇する。 一緒に行った友人はその後用事があってすぐ別れる事になっていたので、バッタリあった彼女と「後でお茶飲まない?」という事になった。 ところが彼女は今来たところで、これから「楢山」→「コリーダ」の順に観ると言う・・・じゃあつき合うよ、という事で、私は「コリーダ」「楢山」「コリーダ」と3本たて続けに観る事になり、正直言って映画館をでる頃には頭の中は飽和状態だったよ・・・・・・・

でも、最初に観た時のショーゲキが少し収まって、「楢山節考」で少し考えさせられてからもう一度観たおかげで、2回目にはもっと映画としてちゃんと観る事ができた。 ちなみにイギリスではボカシというのは普通無くて、裸はすべて見せる。 でもハードコア(実際に性器が交わっている場面)っていうのは公には禁止のはずなのに、これにはいっさいカットはなかった。 まあ、最初はやっぱり結構びっくりしたけど・・・・観ているうちに、それが普通の人間の身体なんだから、その事自体はあまり意識しなくなる。つまり、そういう風に撮るのが映画作品なのだと思う それが普通なんだと納得できるように作られるのが芸術的映画作品で、全編とにかく性的欲望を刺激し続ける様に創られるポルノ作品との決定的な違いだ。

後の「愛のコリーダ裁判」で、「猥褻か芸術か?」の論争に大島渚監督が、「猥褻でどこが悪い!」と言い放ったのは伝説になっている。そもそも猥褻っていう言葉自体が、抑圧されたものだと思うんだよね。「悪い事、いけない事、」という意識があるから猥褻という観念が生まれる。わいせつって、、なに、、?? ちょっと話がそれるけど、よく痴漢の事を「○○車中で猥褻な行為に及び、、、」なんて表現をするけど、あれってちょっと違うんじゃない?悪いのは猥褻な行為っていうよりも、「相手を不愉快にさせる行為」の事なんじゃないの? 世間には、痴漢されるのがOKな女性もいるらしい。そういう場合は、「不愉快」にさせられないから猥褻にはならないわけでしょ。合意の上なら強姦が成立しないのと同じだ。だから、抑圧された意識がなければ猥褻なんて言葉は存在しないんだよね。

この映画の中の2人、定と吉蔵の辞書には猥褻という言葉は存在しない。 ひたすら相手と繋がっている事を求め続けて、どんどん自分を相手に縛りつけていってしまう・・・よく映画の宣伝文句に「究極の愛」なんて言葉が使われるけど、「愛」ともちょっと違うと思うし、、、 これは映画だから、題材は実際にあった事件でも、映画のストーリーはフィクションだ。大島監督は定と吉蔵の関係を、「欲しがる」側と「与えたがる」側にしていく。それはよく言われるサディズム、マゾヒズム(加虐性と被虐性)とも少し違う。もっと動物的な関係だ。 定役の松田英子さんは、演技力がどうのというよりも、すごく良い顔をする。動物が欲しいものを前に、舌なめずりするように相手を見る顔、容赦なく欲しがり続ける顔・・・・最初は気取ったカンジのニヒルな旦那だった吉蔵は、定に与え続けて痩せ細っていくにつれ、どんどん優しい顔になっていく。

室内のシーンばかりなので、全く外の空気を感じない。それがまた観ている方も2人の閉ざされた世界にのめり込んで行くような気分にさせられる。 唯一外の空気を嗅げるのは、吉蔵が髪を切りに(だったかな?)外へ出ると、世の中は戦争へと向かっていて、出征する兵士達が日の丸の旗に送られていくのに出くわすというシーン。このカットはすごく印象に残る。それくらい外の空気を吸えない映画だ。赤の色がすごく効果的に使われているように感じた。映画を観た後に「赤=朱色」が飽和状態の頭に焼き付いていた。 随所に「日本の美」もちりばめられている。これが現代だったら、きっとこんな雰囲気はだせなかっただろう。着物、障子や襖、三味線や笛の音、そういったあの時代の日本のちょっと埃臭いカンジがこの映画を美しくしている。

ストーリーなんてほとんど無い映画だけれど、世界各地で高い評価を受けたこの映画は、やっぱり名作だ。 藤竜也さんは、この映画の後しばらく仕事が無かったなんて、何かで話していたらしいけど、ほとぼりが醒めてからだって渋く活躍している。沢田研二さんとやった「悪魔のようなあいつ」はこの映画の前だったんだろうか、後だったんだろうか・・・? ドラマの内容はほとんど覚えてないけれど、渋い藤竜也さんがやけに悩ましく壊れていたように記憶している、、、

「愛のコリーダ2000」と題うって、はじめてノーカット版が日本でも公開されたそうだけど、それでもどうしてもハードコアの部分はボカシを余儀なくされたらしい。 ボカシやモザイクって、あれば余計にそこに気を取られるというものだ。ずうっと昔、まだボカシの技術が出て来ていなかった頃、「時計じかけのオレンジ」を日本で観た時、いわゆる乱交っぽいシーンで画面のそれこそあちこちに黒丸が出て、それが役者達が動く度に黒丸も移動するものだから、最期には映画館が爆笑になってしまった事があった。

イギリスでどうして「愛のコリーダ」のハードコアのシーンがそのまま上映されたのかは知らないけれど、そういう酌量があってもいいんじゃないかしらね。ポルノじゃないんだから・・・


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年末にジュリーこと沢田研二さんがらみで日本での公開がちゃんとされていない映画2本に行き着いた。 どちらも私はイギリスで観た映画だ。

ひとつは、    ポール・シュレイダー監督で、フランシス・フォード・コッポラジョージ・ルーカスが製作指揮を取った「MishimaーA life in four chapters」だ。
Mishima実はこれが日本で公開されていなかったという事を初めて知った。 これは85年の映画だからもう20年以上も前だ〜!。三島由紀夫の3作品と、彼の人生をドキュメンタリー風に再現した4部構成で「三島」の世界を映像化したもので、そういう点では1作品の映画化とは完全に違う。

私がてっきりこの映画は日本でも公開されたと思ってしまったのは、この映画が撮影されていた時点ではかなり話題になっていたからだ。 金閣寺の部分で、撮影所に実際に黄金に輝く金閣時のセットを創り、最期のシーンで豪快に炎上させたという事はニュースになった。 坂本龍一さんが自身の「サウンド・ストリート」というラジオ番組で、この三島役のオファーを「切腹するのは嫌だって断った」と話していた。(サウンドストリートはどんなに忙しくても、必ずタイマーでエアーチェックしていた)ナレーションも、緒方拳さんのヴァージョンの他に、海外向けにはロイ・シェイダーが担当して英語バージョンと2つになると話題になっていた。そんな撮影話が耳に入ってきていたので、最終的に三島夫人が日本での上映を許可しなかったというのは驚ろきだ。

何がお気に召さなかったのだろうか・・・?出来上がりが不満だったとか、三島氏の同性愛傾向が強く出過ぎているからだとか言われているけれど・・・・三島作品は映画化にしても舞台化にしても著作権が厳しくて、なかなか許可してもらえないというのは有名な話だ。でも潮騒なんて、過去に5度も映画化されてる、、?まあ、上映をしぶるとすれば、興行的に日本では成功しそうもないからというのなら解る。この「Mishima」は絶対に外国向けの映画だからだ。

日本人が「MishimaーA life in four chapters」を観にいく場合、まず全員が三島が誰だか知っている。 かなりの人は三島作品を読んだ事があるだろうし、ちゃんと読んだ事は無くても、ほとんどの人は有名な小説の概要くらいは知っているはずだ。85年の製作だから、三島氏の市ヶ谷での自決をはっきりと覚えている人が大半だろう。そしてなにより、猛烈な三島文学ファンも沢山いるはずだ。 そんな日本人がこの映画を観てこれが大ヒットになるかというと、、、ちょっと毛色が違う。 この映画は、三島由紀夫は有名な小説家だけどまだちゃんと読んでない、作品が沢山有り過ぎてどれから手をつけて良いか解らない、小説家以外にも右翼だったとか聞いてるけどよく知らない、天皇崇拝のバイセクシャルでナルシストの小説家らしい、、、等の人達向けなのだ。

実際こちらでは、これを観た後三島氏の(翻訳された)本を読んだというイギリス人を私は何人も知っている。3つの小説の世界観と、市ヶ谷での自決の日へ向けての三島氏の生い立ちをドキュメンタリータッチでうまく絡めて、三島文学をもっと知りたくなるような創りになっているのだ。映像はとても美しい。 そして何よりもフィリップ・グラスの音楽が耳に強烈な印象を残した。映画館で観たのはもう昔だけれど、いつかテレビでも放映されていて、その時にもまず音楽が真っ先に記憶に蘇ってきた。 身震いするような音楽で一度聞いたら離れない。キャストは当時の最強メンバーと言って良い。

三島役に緒形拳。「金閣寺」のパートでの坂東八十助と佐藤浩一、「鏡子の部屋」での沢田研二、李麗仙。「奔馬」の永島敏行、勝野洋。 他にも、萬田久子 烏丸せつこ 三上博史 大谷直子 加藤治子 横尾忠則 池部良 織本順吉 左幸子・・・・・と細部に渡ってがっちり固めてある。皆すごく良い。 市ヶ谷での演説の場面での緒方さんは、本当に良く研究してる。まだ若い佐藤浩一さんの演技力にも今さらながら感心するし、この映画での沢田さんは、おそらく妖艶なジュリーの面影が観られる最期じゃないだろうか、、、当時36歳、ギリギリです。女優陣もすごくパワーがあるし脇も手堅い・・・

映画としては確かに地味だし、ヒットするような文学作品ではないけれど、何だろう、、本気で創られてる映画だ。 監督も制作者も三島由紀夫に敬意を払っていることは確かで、こんなに本気で創られた映画が日本で陽の目を観なかったのは残念だ。 どうやらDVDが手に入るのはUS版だけのようだ。イギリスでも調べてみたけどDVDは無いみたい・・・サントラ版のCDはあるようだけど。 US版はリージョンがなので、もしマルチのDVDプレーヤーを持ってる人は機会があったらお薦めです! DVDには緒方さんナレーションの日本語バージョンも入ってるようだし。

長くなっちゃったよ、、日本で半端公開の「愛のコリーダ」はまたにしよう・・・・


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