見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

カテゴリ: 映画の話



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10日程前、寝酒のワインをグラスに注いで、ワインを飲む間のつもりでテレビをつけた。画面に出てきたのはジャングルの中、一人の男が走っている。いわゆる原住民という感じで、腰巻き以外は裸、何故か身体を青く塗っている。その男は明らかに逃げている。そして森の中で彼を追いかけている7−8人の部族の首領一味といった感じの男達。逃げている男が身一つで必死なのに対し、こちらの男達は耳飾りや入れ墨模様が身分ありげで、槍やナイフを携えて逃げる男を追っている

男はひたすら走る。走って走って木に登り、薮を飛び越え、怪我した脇腹を押さえながらとにかく逃げ続けている。その様子に目が釘付けになってしまって、「何だ、、これは・・・?」と思いながら観てしまった。台詞は殆ど無い。たまに追っている男達が話す言葉は原住民語で、英語字幕がでる。(後でマヤ語と判明)訳が分からないまま逃げる男から目が離せなくなってしまった

男の表情から次々とわき出す、焦り、決意、集中、危機感、披露、苦痛、必死、怒り・・・すれすれに飛んでくる槍、突然出くわして襲ってくる黒豹、しなやかな身体が軽々とジャングルを駆け抜ける疾走感。台詞が無くても、いや、無いからこそフレームの中の男の表情がよくわかる。しばらく見入ってしまって気が付くともう1時になってしまっていた。仕事があるので最期まで観るのはあきらめて番組をチェックすると、「Mel Gibson' s Apocalypto」とあった

そういえば、この映画のタイトルはしばらく前に聞いた事がある。アポカリプト。メル・ギブソンの映画なのか、、、という事が解ったので、さっそくDVDオンラインレンタルにリストアップしておいた。そして届いたDVDでやっと全編観る事ができた

アフリカ原住民かと思ったのは、マヤだった。映画は南米の奥地から始まる。ジャングルの中で男達は狩りをし、女達は子供を育て、部落全部が一つの家族のようになって生きている。その村が突然襲われ、多くの部落民が殺され、捕えられた者達はマヤ文明真っ盛りの都に連れて行かれる。そこでは金持ちが華やかに暮らし、奴隷達が石工となって働かされている。都では最近の凶作を神の怒りのためと判断し、密林の奥地から捕えてきた部落民達を生け贄にする儀式が行われている

生け贄儀式の最中に 日食が起こり、人々が混乱する中、再び現れた太陽を利用して「神の怒りは解けた」と仰々しく宣言する司祭。生け贄にされるはずの男達は残酷なサバイバルゲームに放り込まれる。この生き残ってはいけないゲームに生き残ったジャガー・パウ(逃げていた男)が逃げる所から私はこの前観たのだった

この映画はメル・ギブソンのこれまでの映画の中で一番良い。カメラワークがとにかく美しい。森の中でのシーンは色合いや光と影の具合がすごく良い効果を出している。走っているだけの中で、スピード、スローモーション、息づかい等躍動感ああふれるカメラワークだ。そしてなんといってもジャガー・パウ役のRudy Youngblood. 彼の表情、そして身体の動きが本当にとても奇麗だ。素人とはとても思えない。

この映画の役者達はほとんどが演技者としては素人だそうだ。実際名の知れた人はいない。ルディーはダンサー/アーティストという事で、今回メルが主役に抜擢したそうだけれど、表情と身体を使っての表現力が素晴らしい。ダンサーの持つ表現力というのはまた役者とはちょっと違ったものがあって、体全体から溢れるオーラの用な物がある。しなやかな身体で、たたずまいも走る姿も観ていて美しい。アメリカ原住民の地を引くという彼は、顔立ちも奇麗で、大きな目が無数の台詞を語っている。安堵から一転して焦り、驚愕から恐怖へ、苦痛と疲労、そして怒り、何よりもDeterminationFocus。そして透明感を失わない。観ていて全く飽きない。彼だけを2時間見続けていられる。

マヤ文明がどうのという映画ではない。たしかに都の場面では当時の文明下での生活のようなものが垣間見られるけれど、この映画の持つ魅力はもっと別の所にある。前半での密林での暮らしは、とても自然に人間が狩りをし、火を炊き、歌い踊る。男は狩りをして獲物を捕り、父から息子へと知恵と技が受け継がれていく。女は子供を産み、育て、守っていく。そんな暮らしの原点が突然残酷に破壊されて行く現実・・・この村を襲うシーンや都での生け贄のシーンはかなり生々しく残酷で、このおかげで世界各国でR15からR18指定を受けてしまったそうだ

残酷で血みどろといえば、メル・ギブソンのThe Passion of the Christのほうが凄かった・・・なんでここまで、、?」と思うくらい、キリストを血だらけのボロボロに見せていたけれど、今回のApocalyptoは、私は丁度良く収まってると思った。残酷な現実を直視できるギリギリのところ。これでもダメな人も多いかもしれないけれど、私はどんな残虐なシーンでも直視できる人間なので、これくらいは平気だ。

ここは父が狩りをした森、今度は自分が息子と一緒に、そして自分亡き後は息子がその息子と一緒に狩りをする森。」滝の下で誇り高く立ち上がって叫ぶジャガー・パウの、たった今大地から生まれたような透明感は素晴らしい。彼が笑顔を見せるのは、前半の村のシーンで妻と息子とのほんのちょっとシーンでだけだ。まだ若い。奥さん役の女の子は10代にさえ見える。(撮影時は20歳とか)この女の子もダンサーだそうだけれど、子を守る母親の顔を見せる。母としての強さ

久しぶりに目を奪われる映画を観た。見せたいものが伝わってくる。ちょっとの空気の動きや風の音が観ていて伝わってくるのだ。メル・ギブソンもこんな映画を撮る監督になったのか・・・ それぞれのキャラクターにちゃんと意味があって、皆さん映画は初めてっぽい人達ばかりなのに、ちゃんと個々のキャラクターが生きている。これって、役者なのか、監督なのか、カメラなのか・・・? メイキングの様子が収録されていて、マヤ側の追手を演じた役者が、「演技する必要はなかった。メイクを施し衣装をつけたら、歩き方からにらみ方までこの男になっていた」と語っていた。

役者に演技力がないというのなら、どうしてこんなにも表現豊な映画になるのか・・・ホントに映画って、見事に嘘がつけるんだよね。でもそれが素晴らしい。 舞台では出せない映画の魅力だ。こんなに語りかけてくる映画は久しぶりだった。表現っていうのは、いろんな方法があるのだ





前作の「Casino Royale」が007シリーズ中ぶっちぎりで最高の興業成績になったダニエル・クレイグ(Daniel Craig)のジェイムス・ボンド。第二弾のQuantum Of Solaceを観て来た。私は元々007シリーズの特にファンという訳じゃなく、正直今まで一度も映画館で007を観た事は無い。私はどうもSFものとか、アクション/娯楽ものはお金を出してまで観たいとはあまり思わないもので・・・

でも昔からボンドシリーズはしょっちゅうTV放映されているので、かなりの作品を一度は観ている。個人的には初代ショーン・コネリーのボンドが結構好きだ。ロジャー・ムーア以降はおそらく時代のせいもあったのだろうけど、やたらと色男なハンサムで、女の扱いが巧くてあれこれ奇抜な武器を操るスマートなボンドが続くティモシー・ドルトンピアース・ブロズナンもそうだった。私としては特にどうってわけじゃなかった007なのだけれど、Casino Royaleを観たうちの彼が、「今度のボンドは良い!今までで一番良い!」とあまり言うので、DVDを借りて一緒にCasino Royale を観た。確かにこれはすごく面白いと思ったら、世界中で大ヒットになった

007シリーズは数多いけれど、ストーリー的には、フレミングの原作に近づけようとした作品と、思いっきりエンターテイメントに突っ走って、「ありえねえ〜〜!」路線でヒットしたものに分かれる。興行的には後者の作品群のほうが成功している。だから一時の低迷期から好調な盛り返しを見せていたブロズナンのボンドを打ち切って、プロデューサーが新しいボンドを発表した時はブーイングの風が巻き起こった。

Daniel Craigが6代目James Bondにキャスティングされた時、かなり意地悪なコメントが飛び交った。背が低すぎる、ブロンドのボンドなんてあり得ない、顔が醜い!?等々・・・さらには、指輪物語に出てくるゴラムと、ロシアのプーチン大統領の「そっくりさん」として写真を並べられた事も。全く無名という程でもないけれど、比較的地味な俳優生活を送っていたダニエル・クレイグにとってはかなり傷ついたんじゃないだろうか・・・

ところがフタを開けると、Casino royaleは大絶賛を受ける。まず作品のストーリーが原点回帰という事で、フレミングの第一作目を元にしているという点。突拍子もない武器やレースクイーンのような女を侍らせるという事もなく、人間ボンドとストーリーを大切に創った作品だ。そして、ダニエルはあっと言う間にJames Bondとして受け入れられていく。ポスターやピンナップにふさわしいハンサムな顔立ちではないけれど、ダニエルのボンドは深いオトコの魅力がある。

チャーミングなマダムキラーというわけでもないし、見てドキドキするようなタイプでもないけれど、何か拒めない色気があって、それがすごくひきつけるものを持ってるのだ。深いブルーの目は、信頼して間違いないと思わせるような、広い包容力をたたえてる。そしてこのボンドはいつも傷だらけだ。肌も汚れ、いつもどこかに血や傷をつけている。スマートにドレスアップしていても、「戦士」の影を持っている。この「傷だらけの戦士」の雰囲気がまたオトコの渋ーい魅力。さらに今回は命を投げ出して自分を愛してくれた女を失った事で心も傷ついているボンドなのだ・・・ ラフな格好の時は余計に小柄に見えて、またガラッと印象が変わる。

CGなんて無かった頃のアクション/娯楽映画としては、派手で非現実的な物に、夢を見られるという楽しみがあった。でも21世紀の今では、派手なアクションやCGは、逆により自然に見えないとおかしいと感じるようになり、非現実的な世界のオトコより、もっと人間らしいジェームス・ボンドが求められたという事か・・・?

日本での公開は来年1月とか。邦題は「慰めの報酬」か・・・成る程。内容はあまりネタばれしないようにしておきますが、時間があったら観る前に前作のCasino Royale を観ておくとすんなり入れるはず。

新作のQuantum Of Solaceでも、ダニエルのボンドはクールだ。ボンドガールとして出てくる女性達も派手では決して無く、イノセントな面影を残して自然な感じだ。ストーリーは前作のCasino Royaleから直接続いていて、冒頭の壮絶なカーチェイスは前作のラストシーンから1時間後という設定。今回はアクションがたっぷりで、カーチェイスあり、空中戦あり、地上戦あり、爆発ありと盛り沢山だ。敵役のドミニク・グリーンを演じるフランス人俳優のMathieu Amalricは、「潜水服は蝶の夢を見る」の人だ。大きすぎる程の目が印象的だが、彼のフランス訛りの英語はどうしてもチャーミングに聞こえてしまって、悪役として憎みきれない所が良い

うちの彼いわく、ダニエル・クレイグはゲイの男性の間で大人気なのだそうだ。なる程、彼の持つsexyな匂いというのはゲイの男性を刺激するタイプのものなのか・・・ どっちかっていうと、低いところからじわじわと昇ってくる感じですものね。ちなみに私は筋肉質でマッチョな男は好きじゃない。でもゴラムやプーチンに似た、背も低めの筋肉隆々のクレイグ・ボンドがだんだんSexyに見えてくるのは何故・・・・
男の色気って底が深いわ・・・・


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もうず〜〜っと「あれは何だったのだろう?」と思っていた映画があった。それを観たのはまだ中学生だったと思う、、とにかく夜中にテレビで放映されていた。家族はもう寝ていて夜更かし屋の私一人で観ていた。

3部作になっていて、覚えているのが、第一話=ジェーン・フォンダと馬、第二話=アラン・ドロンのドッペルゲンガーの二役、そして3話=少女と風船、ラストでころがる男の首・・・・今ではストーリーは覚えていないのに、この3話目がとにかくキョーレツに怖かったという記憶がインプットされて、思い出すだけでぞっとした。「世にも奇妙な物語」みたいなタイトルだったと思ったけれどはっきりしなくて、たまにホラー映画とかの話題になると「あれは何だったんだろう?」と思い出しては3話のラストがよみがえってきてまたゾゾ〜っとしていた。

最近になってこの映画の日本語タイトルは「世にも怪奇な物語」だったと知る。エドガー・アラン・ポーの原作をオムニバスで3人のヨーロッパの監督が撮ったもの。1話の監督はロジェ・ヴァディム、2話がルイ・マル、そして3話がフェデリコ・フェリーニという顔ぶれ。3話のあの男テレンス・スタンプ氏だった事も判明そうか〜、、そうだったのか!とまさに目から鱗状態で、早速オンラインDVDレンタルで借りて観た。ちなみにオリジナル言語はすべてフランス語、英語でのタイトルはSpirits of the Deadになっている。

3部作なのだけれど、1〜2〜3の順にクオリティーが高くなっていく。中でもやっぱり3話が別格だ。1作目はジェーン・フォンダが高慢で我が儘な貴族の娘をそれでも可愛く演じているけれど、それ以外には演技的に特筆する事はない。ピーターフォンダとの姉弟共演だったのだけれど、彼の演じる男爵がちょっとインパクトに欠ける。それでもちょっと怪奇なストーリーに、という動物の持つエロティシズムと乱れた貴族生活の空気がなんとかうまく融合してる。出来としてはイマイチだけど、最後の炎のシーンなんかは今だったらCGでもっとインパクトのあるものになったんだろう。

2話のルイ・マル監督の話は結構面白い。アラン・ドロンはとてもハンサムな俳優で、彼の目は優しい光と残酷な光の両方を見せる。この役では後者。特に後半にブリジット・バルドーが登場してからは、画面にぐっと力が増す。美しく、プライドが高く、強い女。そんな女をカードで一晩かけて敗者にして自分に屈服させる・・・ 男の持つサディスティックな欲望とブリジット・バルドーの涙がとてもエロティック。1話の馬と美女の関係もそうだけど、こういうエロスはヨーロッパ特有のものじゃないかな。SexyじゃなくてErotic 自分と同じ顔、同じ名前のドッペルゲンガーに人生の要所要所で邪魔をされ、自分の分身を殺して破滅してしまう・・・ストーリーも摩訶不思議の世界だ。

3話はずば抜けて秀作。これだけはポーの原作から大きくはみだして、フェリーニ監督の世界になっている。まず私がす〜っと「怖い」と思っていた記憶とはちょっと違っている。あんなに強烈だった白い鞠(風船じゃなかった)の少女は合計3回しか出て来ない。でもその3つの顔がホントに怖い! テレンス・スタンプのToby Dammitは凄く良い! 一昔前は人気者だったけど今はアル中で仕事を干され気味のイギリス人俳優の役。 ちなみにこの名前が笑える・・・「Damm it」は英語で「コンチクショウ!」や「くそったれ!」といった吐き捨ての言葉
青白い顔が透き通ってる、、目が死んでいる、、乾いた金髪の髪からアルコールと薬で腐ったような匂いがしてきそうだ。 若い頃のテレンス・スタンプは黒髪と思ってたので、この蝋人形のようは彼はそれだけで不気味。

最初の空港のあたりからして、なんだか異次元な空気だ。何かがずれている。そしてこの話は全体の空気に香りがある。ざわついた空港の空気、テレビスタジオでのかわいた埃くささ、パーティーでの、人々の化粧やヘアスプレーの匂い、、、さらにニーノ・ロータの音楽も、現実かどうかわからないような不思議な世界にコロコロと響く。終盤からフェラーリでイタリアの路地をとばすと、そこここにレストランの前でコックの人形が手招いている。 それがそのままTobyを死へ導いていく・・・台詞のかわりに響くフェラーリのエンジンの音、ドライバー目線での路地の疾走は、光と闇とぶつかる寸前の壁の連続。

3話で唯一のエロスはフェラーリのハンドルをなでさするシーンのテレンス。数秒のカットでの恍惚感とその直後のあっという間の切り替えが監督の巧い所。それにしても、やっぱり例の少女の撮り方が巧いよ! フレームの端に斜めからの角度で、ばらつく髪の間から鋭く死の光を放つ目、、、白いボールを掴む子供の手には真っ赤なマニキュア、、たったこれだけのカットで、私は今までの人生の大半の時間を「怖い!」と思い続けてきたのだ。ラストの首を拾い上げるシーンは「サロメ」を連想させる、、、この男の首が欲しかった、、、??

言語がすべてフランス語だけど、1話のジェーン・フォンダは実際にフランス語の台詞をしゃべってるように思える(口の動きが)。そのまま本人の声か吹き替えかは解らないけど。ほとんどナレーションで、長い台詞無いし・・・ 3話は完全に吹き替えになっててちょっと残念。でも途中、バーティーのスピーチシーンでトビーがシェイクスピアの台詞を一部披露する部分は、テレンスが実際にやってるんじゃないかな?テレンス・スタンプのシェイクスピア台詞が聞ける唯一のシーン。この人はとても良い声をしてるので、舞台でも良いだろうななんて昔思ったけれど、全くやらないね。

う〜ん、でもやっと正体がわかってすっきりしたこれだったのね〜! ちなみに3話のToby DammitだけYoutubeに上がってた。英語字幕ですがこちらから。65年の映画だけど、古さはあまり感じない。一度テレビでみただけの映画をずっとずっと覚えていたという事は、やっぱりそれなりのものがあったって事なのかな。フェリーニのToby Dammitは「覚えてないのに強烈に覚えてた」っていうのがすごいよね。


前回映画の話をしたところで思ったんだけど、よくDirector's cutとか完全版といった名目で編集の違うバージョンが公開される映画がよくある。 前に書いたけど、映画と舞台が決定的に違うのは、映画は完成品として保存されるということだ。ところが映画がDVDで発売されるようになって、やたらと特典という形で違うヴァージョンが入っていたりする事が多くなった。

映画は製作に関わる人や機関が多いからね、興行を見越して上映時間をけずったり、スポンサーの意向があったり、監督一人の意見じゃ通らない事も多いんだろうね。そういえば、ウォン・カーウァイ監督の「2046」は、出来上がったばかりでプレミア公開したカンヌ映画祭のバージョンと、その後編集し直して正式に劇場公開されたものでは全く違っていたというのは有名な話。

この別ヴァージョンが成功しているものもあれば、余計な事を・・・という作品もある。私の記憶で最初にDirector's Cutというのが物議をかもしたのはリドリー・スコット監督の「ブレードランナー」だった。 公開時には興行は振るわなかったものの、通の間でカルト的な人気が出たこの映画のファンは多いはず。SF/未来ものには本来あまり興味がない私もこの映画は好きだ!これのルトガー・ハウアーは観たら忘れられない

Blade runnerには後にDirector's cut, さらにFinal cutとあり、観た人に賛否の議論をかもし出した。ただ未公開シーンを足して長くなったというだけでなく、人間VSレプリカント(アンドロイド)というこの映画の根本を揺るがす解釈が出てしまったからだ。 後に監督のリドリーと主演のハリソン・フォードが各々のインタビューで異なる主張をしてますます議論を醸し出した。私的には、やっぱりデッカードは人間じゃないと・・・?と思うんだけど、、、

前回ちょっと触れた「Betty Blue」のDirector's cutはオリジナルよりも1時間も長い。オリジナルがウワア〜〜!と突っ走って、Bettyの激情が破滅していくのをゾルグがそばで見届けているという感じだったのが、監督のヴァージョンではさらに1時間かけて二人のストーリーが解り易くなっている。特にオリジナルではベティーに押され気味のゾルグが、長い話の中で男の側の激しさとストーリーを見せている。  初めに受けた激情の嵐のような胸の痛みがたまらない・・・という人はオリジナルでも充分好きだと思うし、オリジナルで「なんかちょっとよく解らないし、エッチばっかりでついていけない」と思った人にはDirector's cutで「なるほど、そういう話か」ってなるんじゃないかな。

私も、オリジナルで何でベティーがあんなに子供の事に執着するのか??と思ったけど、長いバージョンでは解り易くなっていた。ちなみに私のゲイの男性の友人は、この映画を観て「ヒステリーな女はホントに面倒だよね」と言ってたっけ・・・!「あんたには、男と女の激情はわかんなくていいよ」と思ったのでした、、、

バトル・ロワイアル2」は初めからリベンジ版で公開すればよかったのにね。あれだけの人数が出てちゃスポットがどこにも当たらない・・・深作監督が亡くなってしまって、健太監督には本当に気の毒だったけど、監督の迷いがもろに出てしまってる。 カットを撮り過ぎてしまって決められない・・・というのが映画にでてしまっていた。 だったら最初から長いのを覚悟で解り易くしたほうがよかったと思う。切り捨ててすっきり仕上げられないなら、長くして説明するしかない、という見本のような映画だ。

「バトル・ロワイアル2」がもうひとつ損をしてしまった理由は、この映画はこちらでは18指定になっている。実際の客層も20代後半から30代の男性が9割方を占めていた。これは日本とは決定的に違う。そしてその客層に見せるには、出来上がった映画があまりにも子供っぽ過ぎたと思う。子供達の戦いを通して大人達に訴えるものがあった1作目との大きな違いだ。

最近イギリスで話題になったのが「Caligula=カリギュラ」の完全版だ。80年代初めに公開されたこの映画、実は主役に「時計じかけのオレンジ」のマルコム・マクドウェル、その妻に若きヘレン・ミラン(去年、映画「エリザベス」でオスカーを受賞)父帝にピーター・オトウール、その忠実な友にサー・ジョン・ギールグッドという強力な出演者達だ。ところが歴史大作映画にするには資金調達に苦しみ、とうとうPenthouseが出資する形になった。出来上がったのは、中途半端な歴史ものにハードコアポルノがくっついたなんともいえない代物。

この映画はポルノ雑誌「ペントハウス」のボブ・グッチョーネがプロデューサーになった事から、監督、製作同士で食い違い、出演した役者達は自分達の出番でない所で超ハードコアなポルノシーンが撮影されていた事も知らなかったという。 過去28年の間にいくつものカットがあちこちであり、短い物は85分、長いものが158分というバラエティー。この完全ノーカット版というのがとうとうイギリスでこの夏にDVD発売された。Imperial EditionというこのセットはDVD3枚で3ヴァージョンの映画本編と、カットされた未公開シーン等を集めたフィーチャーが入っている。

これはねえ〜・・・裏切りだよね。 主演のマルコムはこのカリギュラ役を一生懸命人として演じているのが解る。残虐な殺戮や欲望渦巻く宮廷内のエロティシズムとしての描写は許せるけれど、まさに内緒で撮って付けた意味のないハードコアシーンになんの意味があるんだろう・・・俳優達への裏切りだ 実際ドラマとしてちゃんと観ると、結構悪くない。カリギュラが少しずつ欲と殺戮に目覚めて行く過程、妻をもらいながらもずっと愛し続け、信頼し続けた妹との純粋な恋愛、妹役も妻もちゃんと役を演じている。グッチョーネ氏がもう少しこの映画を愛してくれていたならもっと良いものに仕上がったんじゃないのかな。

マルコム・マクドウェルの代表作「時計仕掛けのオレンジ」は初上映直後に監督のキューブリック自身によって本国イギリスでの上映が禁じられ、監督が亡くなった1999年までイギリス国内で上映される事はなかった。さらにこの「カリギュラ」もポルノシーンのせいで長く完全版が出なかった。俳優にとっては不運としか言いようがないが、マルコム自身は「このカリギュラ役は誇りを持って演じた」と語っている。監督が「これはポルノじゃない」というなら、いいでしょう、芸術作品ってことでちゃんと観てみましょうよ・・・・・


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フランス映画には、時々私の波長とすごく良く合うものがある。ハリウッド映画って、作品としては「良いな!」と思うものはもちろん沢山あるんだけど、「すごく好き」って言える映画ってほんの少しかもしれない。「面白い」でも「良かった」でもなく、「私が好き」な映画・・・

中・高生の頃はなんとなく友達からの情報で「行こうよ!」とつるんで映画を観に行った。自分でこれが観たいからって一人で映画館へ行くようになったのは、もっとずっと後になってから。そのかわりあの頃は、テレビでよく映画が放映されていた。特に夜遅い時間とか、土曜日とかに昔の名作映画をよくやってた。

フランスにはその昔、アラン・ドロンっていうそれはそれはハンサムな俳優がいて、彼の「太陽がいっぱい」や「冒険者たち」はすごく好きだった。アラン・ドロンがハンサムなのはもちろんなのだけど、それだけじゃなくて、映画の持つ色や空気に、何とも言えず引かれた。音楽も忘れられない・・・

高校の時につるんでいた仲間に映画好きがいて、少しずつ名画座とかで昔の映画をよく観るようになった。中でもマルセル・カルネの「天井桟敷の人々」やゴダールの「勝手にしやがれ」「気違いピエロ」・・・・ ロードショー公開の最新話題作より、2本立て、3本立ての名画座のほうが好きになってしまった。安かったしね。勝手にしやがれ」はリチャード・ギアがアメリカ風に改造したヴァージョンで人気だったけど、オリジナルの持つ、人を殺して逃げているのにどこかノンシャランな空気が無くなっていた・・・まあ、アメリカ版もスピード感があって良いんだけどね。

タイムリーで新作を観るようになってからは、DIVA, Subway, そしてBetty Blue(
ベティー・ブルー)
Betty blueは初めに公開された時に2回観て、その後テレビでオリジナルより1時間も長いDirector's Cutが放映されたので迷わずビデオに録画して何度も観た。このテープは倍速録りな上に何度も観て、もう10年以上も前のテープだし、DVDを買い直そうかな。観る度に痛くて、でもその痛みがつらいんだけど、心地よくて見入ってしまう。そういえばもう何年も観てないけど、また引っ張り出してみようかな。今だったらまた違った感じ方をするかもしれない。

イザベル・アジャーニの「カミーユ・クローデル」も夜中にテレビでやっていてやめられなくなってしまった。彫刻家のロダンの弟子で愛人だったカミーユ。彫刻家として、女としてか彼女が痛く壊れていく姿が美しかった。これでイサベル・アジャーニを初めて観たんだっけ。そしてこの映画でロダンを演っていたのがジェラール・デパルデューだった。

彼はその後アメリカでも成功して名を馳せたけど、やっぱり彼はシラノシラノ・ド・ベルジュラック)だ!!  子供の時に本で読んだシラノの話が大好きだった。Panache心意気と訳したこの本は、世界の少年少女名作シリーズみたいな本だったけど、訳された詩のリズムも軽快で読み易く楽しかった。 私の回りには知ってる人はほとんどいなくて、フランスではとても良く知られた人気のキャラクターだと言う事も大人になってから初めて知った。デパルデューのシラノはまさにハマり役だった!

ここしばらく遠ざかっていたフランス映画だけど、今年になって2本観た。「La Vie en Rose(エディット・ピアフ)」と「The Diving bell and the Butterfly」ー邦題は潜水服は蝶の夢をみる(??)どちらも国際的な話題作になった。 作品の色は全くちがうけれど、どっちも私は好きだ。フランス映画の持つある種の空気と相性が良いのかもしれない・・・

ちなみにフランスでは日本のアニメがすごく人気で、アメリカだと向こうで勝手にアレンジし直して放送される事も多いけど、(ガッチャマンなんてひどいもんよ
フランスでは日本で放映されたものがそのまま吹き替えで流行ってるそうだ。 一緒に仕事していたフランス人の同僚は、「キャンディー・キャンディー」の大ファンで、よく一緒に主題歌を日本語とフランス語で歌った。 フランダースの犬も大泣きしたと言ってたっけ
心で感じるツボが似てるのかもしれないね・・・・


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良い映画を観た。うん、これは良いね。Into The Wild(原作題=「荒野へ」)

これが公開されたのは去年の終わり頃。見つけたのは彼で、映画館の近日公開リストを観て「これきっと良いから観よう」と言ってきた。 監督はショーン・ペン。うちの彼は結構良いものを嗅ぎ分ける嗅覚がある。この良いものというのは必ずしも褒められてるものという意味でなく、私たち、とりわけ私がきっと気に入るだろうという種類の嗅覚だ。 彼が選んで奨めるもので期待はずれだった事はほとんどない。「旅をしながらアラスカの荒野に一人で生活・・・」という作品紹介は必ずしも私にはピンとこなかったのだけど、彼が乗り気になる事は滅多にないので「じゃあ観ようか」という事になった。

ところが直前になって上映時間が2時間半と知って彼が尻込みしてしまった。うちの彼は、2時間以上の映画と字幕付きの外国語映画を観る辛抱が無い、というちょっとした根性無しなのだ。 結局その時は観ないで終わってしまったのを、やっとDVDで観た。DVDならうちでゆっくり観られるから、一度に2時間半頑張らなくても良いしね。で、結局最期まで二人して一気に観てしまった。彼は珍しく途中で寝てしまう事もなく、トイレにだって行かなかったくらい。

実話を再現映画化したもので、クリス・マカンドレスという青年が、恵まれた家庭環境や学歴を放棄して一人旅に出ていろんな人たちと交流し、自身の夢だったアラスカの荒野での一人サバイバル生活に入っていった足跡を追っていく。原作本はこちら.

この映画は批評家から高い評価を得た反面、あまりポピュラーなヒットにならなかった。 映画館での上映も限られていたし、アカデミーでもいくつかノミネートされたけれど当たらず、、という感じだった。 でもこれはとても良い映画だと思う。 自然を撮ったスクリーンも奇麗だし、登場する人たちみんなにそれぞれクリス(アレックス)の人生に関わる意味があり、自分の目と耳と感触で生きるという事を知っていく青年の旅は、夢があり冒険であり、そして無知で残酷だ。

こういう映画を若者達に観てほしいと思う。ババ臭い意味じゃなくて
最近のイギリスでは毎日のようにナイフ殺人事件がおこって、先日も2日間で8人の若者がナイフによる喧嘩で命を落とした。 日本の秋葉原での事件にしてもそうだし、毎日バスの中で周りの迷惑を考えずに大きな音で携帯音楽をかけてる連中、ちょっとの事でつっかかって脅しをかける連中、そういった若い人たちに「この映画を2時間半観てみなよ」と言いたい。 観る辛抱もできないんじゃあ仕方ないけどね、、、救いようがないよ。

日本での公開が9月に決まったと聞いたので、一足先にお奨めします。けっして派手ではないけれど、この青年が見つけたかったものを、私たちは見つける事ができるのだろうか・・・?と考えてしまう。最期は本当に残念だ。この青年のストーリーにはもっと続きがあって欲しかった。 もっと何かを悟り、そしていつか自分から荒野を出て社会に戻り、その後の人生をどうやって生きていくのか・・・その続きこそが知りたかったのに・・・・

感動するというのとも少し違う。でも「良い映画を観たな」と思える一作 邦題はカタカナでイントゥ・ザ・ワイルドになるみたい。この秋機会があったら観に行ってみては、、?


去年、カセットテープを全部しまい込んでしまったので、いわゆる古い音楽は最近全く聞いていなかった。で、ホントに久々に映画「戦場のメリークリスマス」のメインテーマソングForbidden coloursのオリジナルヴァージョンを聞いた。この曲は坂本龍一氏の代表作であり、今までにもコンサートやCDでいろんなヴァージョンで演奏されている。でも私は今でも、このForbidden Coloursは最初の映画サントラ版に入っていたデヴィッド・シルビアンのボーカルによるヴァージョンが一番好きだ。っていうか、あの歌詞無くしてForbidden Coloursというタイトルはあり得ない。

大島渚監督がDavid Bowie、坂本龍一、たけしといったメンバーを揃えて映画を撮ったという話は、なによりも出演した当事者達の口からあちこちで撮影秘話などがこぼれていた。 丁度YMOが全盛期で坂本教授個人の音楽も大ファンだったところへ、私の永遠の別格中の別格アーチスト、デヴィッド・ボウイーが大島監督の映画に出るというので、これはもう噂を小耳にはさんだ瞬間からどきどきしていた。 普通は映画化が決まったからといってわざわざ原作本を読むなんて事はしないのに、当時暇ができると寄っていた渋谷東急プラザの紀伊国屋で、「影の獄にて」という本にでくわしたのだ。戦場のメリークリスマス原作本」というポップが付いていたから、多分映画公開の数ヶ月前だったんじゃないかな。

作者のヴァン・デル・ポストという人は全く聞いた事がなかった。 題名の「影の獄にて」も、評判になっていた戦場のメリークリスマスという映画のタイトルとはかなり違った印象だった。で、やっぱり好奇心には勝てず、いったいボウイー先生が今度はどんな役をやるのか・・・と思わず買ってしまった。 文庫じゃなかったので、固い表紙で持ち歩くにはちょっとかさばる単行本だ。私が単行本を買ったなんてほんとに数少ないのに・・・そして読み始めた私はそれから読み終えるまで本を手放せなくなってしまった。

3部構成の話は、ひとつひとつの違うエピソードが語り手役のローレンスによって繋がっている。最初の短編が映画でのハラとローレンスの話。二つ目が一番長く、この本の核になっているジャック・セリエズの物語。そして私はここまでの話に心が震えて震えて、最後の3つ目の話を最後まで読む事ができなかった。 ちなみにこの2つ目のジャックの話はThe Seed and The Sower=種と蒔く者というタイトルで、実はこれが本当のオリジナルの英語題なのだ。 そして映画ではほとんどはしょられてしまているこの本の中核は、キリスト教でいうこの「種を捲くもの」にある。「涙と共に種を捲くものは喜びと共に刈り取る」という意味だ。

せむしで生まれた弟をいつも可愛がり、成績も素行も優秀で、自分の容姿が充分に人を惑わす魅力を持っている事を知っているジャック。誰よりも愛していたはずの弟を、誰にもそれとは気づかれないように心裏切った彼は、そのたった一つの罪の許しを求めて生きてきた。人からすれば罪だの裏切りだのとはとうてい言えないようなたわいもない事が、彼にとって生涯の心に傷となっているのは、自分がかぶった偽善者の仮面を誰からも責められないばかりに許してももらえないからだった。 映画では寄宿学校でのエピソードしかなかったけれど、それ以前の、片輪の鹿をせむしの弟の目の前で撃ち殺すあたりのジャックの心情の描写は心が悲鳴をあげそうになった。

自分と神だけが知っている罪の許しを求めて、ジャックは高熱の夢の中で弟に会いに行く。やっと許された罪。そして彼は今度は自分が収容所で仲間の捕虜達の代表のように処刑される事で、新たな種をヨノイ達の胸に捲いていく。 この穴埋めでジリジリと死んでいく場面はキリストが人々の罪を背負って十字架で死んで行く姿のようだ・・・・ 映画でもこのシーンは奇麗に撮られていた。バックには捕虜達の歌う「詩編23編」。大島監督が映画からキリスト教っぽい要素をはしょったのは、日本VS西洋の構図を解りやすくしたかったからだろうか・・・?

デヴィッド・シルビアンの歌詞は映画よりも、原作の本を読んで書いたのだろう事はすぐに解った。タイトルのForbidden Coloursがこの歌では「禁じられた色彩」になっていたけれど、実は他に有名なのが三島由紀夫氏の「禁色」も同じ英訳だ。そのせいか、やたらとホモセクシャルな色合いが取りざたされていたけれど、これはキリストに向かって祈っているような気がしてならない。 この歌詞の中のYouはキリストの事だと思って読むとすごくよく解る。出だしのWounds on your hands never seem to heal、この「あなたの手(複数)の傷」というのは、十字架にかけられて釘で打たれたキリストの両手の穴の事だとすぐに思った。この歌は、苦しんでもがいている中での祈りの歌だ。

デヴィッドの詞の感性は本当に素敵。JAPAN時代の歌にも、彼の心につきささるような歌詞が沢山ある。 そういえば、一般非売品の彼の歌詞集を2冊もっているけれど、これは私の宝物。映画の「戦場のメリークリスマス」はあれでうまくまとめてはあるけれど、本を読んでそれまでにないくらい心打たれた私としてはちょっと消化不良だった。でもあれはあれで一般的に高い評価で受け入れられたわけだから、まあ成功といっていいのでしょうね。なんといってもDavid(ボウイー)は一番かっこ良くノッテル時でしたしね〜〜。 あれをきっかけに、たけしさんも坂本さんも後々世界に認められるようになる訳だし・・・

でもひとつだけ、ちょっと残念だったのは、実はあのラストカットのたけしさんの笑顔の後には続きがあったのだという事。 あの最後の笑顔を見てローレンスは、ハラをしっかり抱きしめ、額にさようならのキスをして、戦争中の数々の不幸なでき事は個人のせいではないのだと言ってやりたい衝動にかられる。でもどうしてもそうしてやる事ができずにローレンスはそのまま長い道のりを帰っていく。けれど途中でどうしても、どうしても何かを言わなければならない気がして、夜明け前の道をまた刑務所まで猛スピードで取って返すのだ。でも戻った時には既にハラは処刑されてしまっていた。ローレンスはつぶやく「僕たちはいつも遅すぎなければいけないのだろうか・・・?

この最後のくだりが私はあって欲しかった気もするのだが、もしかしたらあのたけしさんアップの顔を撮った監督が、それ以後には何もいらないと決めたのかもしれない。


Forbidden colours=禁じられた色彩    David Sylvian


The wounds on your hands never seem to heal
             あなたの手のひらの傷は永遠に癒えることがない
I thought all I needed was to believe
      私は信じてさえいればいいのだと思っていた 
Here am I, a lifetime away from you
      いまここに、あなたから生涯を隔てて私はいる
The blood of christ, or the beat of my heart
      キリストの血、それとも心臓の鼓動か
My love wears forbidden colours
      私の愛は、罪の色を帯びてしまっている
My life believes
      この命が信じている
   
Senseless years thunder by
                         無意味な年月が矢のように過ぎ
Millions are willing to give their lives for you
      あなたの為に何百万もの人々が命をさしだす
Does nothing live on?
      永遠なるものは何も無いのか?

Learning to cope with feelings aroused in me
      自分の中にわき上がる感情を押さえようと
My hands in the soil, buried inside of myself
      土くれに両手をつっこんで胸の内を葬り去る 
My love wears forbidden colours
      この愛は禁じられた色を帯びる
My life believes in you once again
      この命はもう一度あなたを信じます

Ill go walking in circles
      自分のすぐ足下の地面すら確かめられずに
While doubting the very ground beneath me
      同じ場所をぐるぐると歩き回る
Trying to show unquestioning faith in everything
      すべてに偽りのない信仰を示そうとして

Here am i, a lifetime away from you
      生涯の距離を隔てて私はここにいる
The blood of christ, or a change of heart
      キリストの血なのか、改心なのか

My love wears forbidden colours
      私の愛は罪の色に染まる
My life believes
      この命が信じてる
My love wears forbidden colours
      この愛は禁じられた色を帯びる
My life believes in you once again
      私の命がもう一度あなたを信じるのです


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本当は先週観たのだけど、すぐに感想を書いてしまうのがなんだもったいなくて書けなかった「死神の精度」
里帰りの前に文庫本を実家に届けておいてもらったので、観る前に読むか、観てから読むか迷ったのだけれど、結局読み始めて途中で映画を観ることになった。

筧監督はこれが初めての長編物ということだけれど、「素敵な映画を撮ったなあ」というのが正直な感想。おしつけがましくない、とでもいえばいいのか・・・とてもあったかい映画だ。もちろん伊坂さんの原作が持つ世界がそうだからなのだろうけれど、その空気を壊さないようなやさしい温度のある映画になったと思う。

金城武さんは本当にいつも、「良い映画に出るなあ」と思わずにいられない。
彼が(もちろん最終的には事務所として決めているのだろうけれど)選んで出演した作品はどれも好きだ。この死神=千葉役は中でもハマり役と言って良い。こんな不思議な、空気のような存在感を出せる役者って他にいないんじゃないだろうか・・・ 金城さんは不思議な人だ。だからいろんな監督が彼を使いたがるのかもしれないね。あの不思議な温かい空気はどこから出てくるんだろう・・・?演じようとしても技術では出せないものなんだねきっと。

3つの話のつながりがとても良い。これは原作にはない繋がりなのだけれど、これがあるからこそこの映画が映画として魅力あるものになっている。 冒頭で10歳の少女に「おじさん、なんにも解ってないんだね」と言われた死神は、一度見送りにした藤木一恵と再会する事で、死に至るまでの人生についてちょっとだけ知ることができる。


この3話での千葉の表情がすごく良い。そして富司純子さんの演じる、愛する人達を失い続けながらも生きてきた一恵は、見事に1話での一恵とリンクしている。 死神の千葉と一恵との決定的な違いは、死神は何の感情も無くその日の気分で「実行」か「見送り」かを決められるけれど、誰かを愛する度にその人を失ってきた一恵は、愛する人を生きながらえさせるためには(「見送り」にする)自分の愛を断ち切らなければならなかったということ。それを聞いた時に、千葉は人間を少し理解する・・・その時の千葉の表情がすごく良い!。3話では思わず胸に熱いものがこみ上げてくる。

どうしても、小西真奈美さんと富司純子さんが前宣伝には取り上げられてしまったけれど、私は2話の光石研さんがすごく良いと思った。あんなにカッコ良い光石さんを観たのは初めてだ。何度かドラマとかで見かけていたけれど、あんなに良い味を出してるのは観たことがないのでびっくりした。藤田、カッコ良いです。

実はものすごいタイミングだったのだけど、先週初めてこの映画を観ようと思ってもう出かける支度をしていた時に、従兄から電話があり、伯母が亡くなったという知らせだった。 そんな知らせを聞いた直後にこの映画を観て、なんとその翌日から雨続きになってしまった・・・・ おかしなもんです。

原作本はあと3話ある。読んでいると、死神千葉はもう金城武さん以外に想像できない位ハマっている。 本のほうは、最終章だけ(死神と老婆)まだこれからだけれど、映画では最後に千葉が一恵に「実行」と「見送り」のどちらの判定をしたのかは出てこなかった。
2度目の一恵への判定は千葉はどちらにしたのだろう・・・?
もう思い残す事はない」と笑顔で言い切った一恵にふさわしいのは、死神の下す「実行」と寿命を全うする事のどちらなのだろうか。

この映画は死について問題提議をしているわけでも、なんらかの解釈を主張しているわけでもない。ただ静かに死神の目を通して私たちに何かを気付かせてくれる。だれにでも必ず訪れる最期の時・・・ ある時突然訪れる不慮の死、その時に死を迎えるに値する人生を生きたかどうかーー

やっぱり思う。一恵は自信なさげに、「こんなに長く生きてきてよかったんだろうか?」と千葉に聞いていたけれど、生きてきてよかったのだ、と。

生きていれば、こんな日もあるんですね。」そのとおりだ・・・・

 

 

 

 

もう10年以上も一度観てみたいと思っていた演劇集団キャラメル・ボックス
最初にこの劇団のことを耳にした頃は、まだ知る人ぞ知るといった感じだったのが、上川隆也さんがメジャーに売れ始めたのをきっかけにどんどん人気劇団になってしまった。

きみといた時間・ぼくのいく時間」すっごく楽しかった!

何度も思う、一番の基本「芝居を観た後に幸せな気持ちになる」・・・・味わわせてもらえました!
決して難しくなく、ちょっと非現実的なテーマを、見事に日常の感情で表現している本、劇団の皆さんは本当に鍛練されてる。 今回は客演ヒロインという事で参加していた西山繭子さんも、ゲストということを全く感じさせないくらいに溶け込んでいる。
ひとりひとりの登場人物がはっきりと解るキャラクターになっているので、スピードのある舞台の中でいろんな人が出てきても混乱がない。上川さんは本当に上手い役者さんだ。 あのスピードの中で、9年後、19年後、39年後という時間を暗転ひとつで飛び越える演技ができるというのは素晴らしい・・・・


たったひとりの愛する人を事故で亡くし、主人公は自分が研究開発に加わっていたタイムマシンに乗って過去に戻り、彼女が死んだ日の歴史を変えようとする。でもまだ研究途中のタイムマシンは、39年前にしか行くことができず、行ったら戻って来ることもできない。主人公は39年間、ひたすら運命の日がまたやって来るのを待ち続けるのだ。


人生を2度やりなおして、39年間待ち続ける・・・・ セリフは面白く、テンポもよく、沢山笑った後で、決してわざとらしく泣かせるような作りじゃないのに、終盤はあちこちからすすり泣きが劇場中に広がっていった。 人としての思いが伝わるから泣けるのだ。もう一度言うけど、上川さんは本当に巧いし声も良い。 声といえば劇団の皆さん全員が発声と滑舌が素晴らしい。訓練の賜物だと思う。既に幕が開いて一か月以上だけど、誰一人として崩れていない。これは集団としての大きな強みだ。

沢山笑った。 私は知らなかったのだけど、今回の公演がキャラメルボックス始まっていらい初の休憩入りだったそうだ。 前にビデオで観た公演でもスピーディーに飛ばしていたので、休憩無しとは気がつかなかった。
今日は開演直前にハプニングが・・・・ 関東周辺の方は気づいたと思うけれど、ちょうど7時頃に地震があった。今まさに開演するという時で、開演アナウンスの最中だった。


この開演前の場内アナウンスは「前説」といってキャラメルボックス公演の名物になっているらしい。毎回その日の時事ネタを取り込んだ生アナウンスで、観客に携帯電話の電源を切ってくださいとしつこくしつこくお願いする。
このアナウンスがユーモラスだからこそ、みんな笑いながら電話を確認し、気持ちよく芝居に集中することができるのだ。これはやっぱり劇団という集団の持つ、観客と役者たちとの楽しいつながりだ。


電源を切っていただいた方も、今一度ご確認ください。怖いのは油断と過信です・・」というアナウンスの最中に場内が揺れ始めた。大きくはないけどけっこう長い揺れだったよね。地震が来ると、どれくらいかな・・・とちょっと様子を見て身構える。その数秒を縫ってアナウンスは続く。


「皆様どうぞ落ち着いて、お席に留まってください。当劇場は大変頑丈に創られています。照明が落ちたり、天井が崩れたり、上から誰かが降ってくるというような事はございません、、」


この臨機応変な前説はカーテンコールとリンクしているのも特徴なのだそうだ。これも私は知らなかった。私も劇団公演の前後アナウンスを生でやったりしたことがあったけれど、こんなにウィットで楽しい芝居へのイントロは、始まる前から楽しくなる。 終演後には、上川さんが、「え〜、休憩時間に調べた方もいらっしゃるかと思いますが、、」とさっきの地震情報を提供してくれた。震度3、、思った通りだ。

楽しい芝居を観た後はほんとにしあわせな気分になれる。素敵な舞台だった。 久し振りにサンシャイン劇場に行ったのも感慨深い。むか〜し昔に公演で使ったサンシャイン。劇場ロビー奥と、2階席に上がる階段のギャラリーに、過去の劇場での上演作品の写真が飾ってある。席が2階席の最前列だったので、階段を昇りながらそれらの写真もゆっくり見てきた。あれ観た、これも・・なんて思いながら、すごく懐かしくて、そんな昔の公演写真を飾ってくれてるサンシャイン劇場さんに感謝したりして。
そして終演後、ロビー奥のギャラリーに、懐かしい私たちの公演写真を発見!! これは感激だった。サンシャインさんありがとう!もうむか〜しのことなのに・・・私たちがここにいた足跡が残っているなんて。


今回は2週間のうち、最初から飛ばしている。 おととい観た映画の「明日への遺言」はとてもよかった。ドラマの東京大空襲のあまりのこけ振りがにショックだったので、もう戦争ものは観るのはよそうかとも思ったのだけれど、そこはやっぱり小泉監督、レビューも良かったので見に行ったら、やっぱり良い映画に仕上がってた。 藤田まことさんは、以前は好きな役者さんではなかったのだけれど、とても自然で説得力のある演技をしていて流石だ。裁判の進行を一気に見せてから後半で、岡田中将の人となりをつづっていくあたりの構成も良い。

賛否両論耳にしていた竹野内豊さんの力の入ったナレーションは、あきらかに監督の意図じゃないかと思う。ちょっと昭和っぽい淡々としたしゃべり方で、少し怒りをこめて声を大にしている。あれがさあ泣いてくださいみたいなナレーションだったら、あの映画は成立しないと思った。少なくとも、映画のナレーションで彼は竹野内豊をちゃんと消している 演じる役ではなかったけれど、映画の趣旨を伝える役割をしっかり果たしていたと私は思う。とても良い映画に仕上がっていて、安心した。


それにしても、、、そっくりすぎる・・・検察側のベネットを演じたフレッド・マックイーンさん。スティーブ・マックイーン氏に瓜二つじゃあありませんか・・・!!! 息子ってホント・・・??

 

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日本、寒いね〜〜!

ジャケットは持ってこない事にしたので、ちょっと寒いよ、、、成田に着いたのは朝の8時過ぎだったので、着陸時の機長のアナウンスで「気温は6度」って聞こえたときは聞き間違えたかと思ったくらい・・・まあ、日中はカーディガンを羽織ってしのぎました。桜が満開でうれしい!着陸前に富士山も見えたし、出だしは上々

今回は満席で、春休み旅行の時期とあって乗客は99%日本人だった!

機内映画で観たのは「CONTOROL=コントロール」と「SLEUTH=スルース」の2本。どっちも観たいと思いつつイギリスでの公開時に見逃して、DVD待ちしていた映画だ。

どちらも派手さはないけれど、私の好きな映画だ。

コントロール」のほうは、実際に自殺してしまったイギリスのバンド、JOY  DIVISIONのボーカリスト、イアン・カーティスの話だ。JOY DIVISIONと聞いてもピンとこない人でも、80年代のバンド、NEW ORDERのほうが名前を覚えている人はいるかもしれない。でもこのニュー・オーダーはイアンの死後に残りのメンバーが続行したバンドなのだ。

とても孤独で寂しい・・・・ 愛し合って結婚した妻、自分がやりたかった音楽、バンドの成功、、でも彼の姿はスターになりつつあるバンドのボーカリストというイメージからは程遠く、持病に悩み、女性関係を断ち切れず、苦悩し続ける。歌から聞こえてくる孤独感や絶望は本人の心の叫びだったのだ。決して大げさでなく、静かに淡々と、それでいて現実的な描写で描かれてるのが良い。私はこういう地味だけど心に入ってくるイギリス映画が好きだ。イギリス映画には時々こういう良質の小作品がある。なんといっても主役のSAM RILEYは実際のイアン・カーティスにそっくりなのだ・・・!

 

「スルース」のほうは、またちょっと毛色が違う。 これは昔、ローレンス・オリビエとマイケル・ケインがやった映画を今度はオリビエのやった役をマイケルが演じて、若手の役をジュード・ロウがやっている。 このオリジナル版は今もイギリス映画の傑作として評価されているので、このリバイバルにも期待がかかったのだが、イギリスではコケしまった・・・・ でもこれは、私が思うによくあるイギリスの典型的な評価の仕方で、(はじめからこれ以上にはならないと決めつけて、実際に低い点しかあげない)個人的にはすごく面白かった。

まず2人の俳優だ。がっちり4つに組んで熱い火花が散っている。マイケルの方は年齢にともなう大人の余裕と同時に老人のような弱さを見せ、ジュードは、ちょっとびっくりの見事な変身演技だった。 この映画を見て、来年の彼のハムレットの舞台がとても楽しみになってきた。 ケネス・ブラナーの監督としての撮り方も面白いと思った絵が随所にあり、私はすごく楽しめた。 これは舞台向けの芝居だ。ハロルド・ピンターの脚本もうまくできているし、この二人の俳優だったら、映画よりも舞台で観てみたい!

 

どちらの映画も日本で現在上映中という事がわかった。お勧めです!

 

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