見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

カテゴリ: 映画の話

マディーラケーキは翌日にはかなりドライになってしまうタイプのちょっと重いパウンドのようなケーキだった。そこで今度はプルプル、ふわふわの台湾カステラに挑戦してみた。
味は美味しく、かなりふわふわにはなったのだけれど、焼き型が少し幅広で、思ったより高さを出せなかったのが残念、、、写真はボツ!!でも食べるけど、、、

もともと私はテレビよりもMacの前にいる方が多い。テレビは向こうから送られてくるものをこちらで選んで受け取る、という感覚だが、ネットは自分から見つけたいものを探して観る。だから必然的に自分の見たかったものが観られる。もちろんテレビでも面白い番組はあるので、それは録画したりもするけれど、時間的にはネットしてる方が圧倒的に長い。 

日本のテレビもかなりのチャンネルを観られるのだか、如何せんやっぱり時間には限りがある。続きもののドラマはどうしても追いきれないので、こちらでは観られないような映画類を探すことになる。WOWOWとか。日本の古ーい映画のチャンネルとか、、、

何年も前から気になっていて、こちらでの公開(たとえマイナーでも)もあるのかな〜と思ったけれど、全くその気配が無かった映画がジョン •ウー監督の「太平輪」=「The Crossing」。
大作だ、との前宣伝とアジア豪華キャスト、そして映画の予告編まではよかったのに、公開された映画の様子はとんと耳に入ってこなかった。香港でオープンしたのは知っていたけれど、日本でもやったのかしら、、?
113532.36479264_620X620


で、やっとこさ観たのだけれど、なるほど前後編に分けての編集だったのか。これは「レッドクリフ」もそうだったね。ジョン•ウー監督がこういう歴史大作ものを創りたい、というのは解るのだけれど、パート1を観て「長い、、、」と思ってしまった。そもそも映画の最初の段階での宣伝文句は、アジアのタイタニック」みたいな、壮大な船の事故を扱ったストーリーかのように 聞こえてきたのだが、これは中国内戦の話なのだ。(国共内戦)

中国軍として日本と戦っていた同志たちが、その後 国民軍と共産党軍に立場が分かれる理不尽さ、前半はひたすらこの内戦の中、3組の人間模様が描かれる。国民軍将軍のイーファンと銀行家のお嬢さんだが奔放で気丈なユンチェン、台湾の医師で戦争中は日本軍として軍医をしていたザークンと学生時代からの初恋の日本人娘の雅子、そして家族配給を受け取るためにその場しのぎの偽家族として写真におさまったターチンとユイチェン。3組のすべtに共通しているのは、「また会える時を待っている」。

まあ、パート1&2で4時間以上の大作なのだが、う〜ん、率直な感想は、「映画としての作りが古い」かな、、、、時代設定とかでは無く、お涙頂戴が予測できたり、船の周りのかもめが明らかに合成だったり、戦闘シーンは大迫力で凄いのだけれど長い、、、次の動作を予測できてしまうようなシーンとか。関ヶ原を1分で終われとは言わないが、(真田丸) あんなに引き摺らなくても描けたと思うなあ。

この映画を楽しみにしていたのは、何と言っても金城武さんだ!!もう何年見ていなかっただろう?40代になった金城さんを見たかったのだ。そして金城武と言えばやっぱりアジア圏マルチリンガルを無視してはいけない。さすがはジョン•ウー監督、そこは外さずに、ここでも北京語、台湾語、日本語のセリフを駆使しての良い役です。この6人が物語の中で縁がつながっていくあたりのストーリーはうまく作られているので飽きるということはなかった。

こういうストーリーはむしろ小説として本で読むのが良いのかもしれない。その方が細かい心情描写とかもできたかもしれないね。それか映画というより、5夜連続ドラマみたいなミニドラマシリーズとして。その方が合ってるように思う。実際、中国の国共内戦の事はちゃんとは知らなかったしね。毛沢東と蒋介石で戦って、蒋介石が今の台湾をつくったみたいなことしか、、、、
もちろん役者たちはみんな素晴らしいし、作品としてはなかなか見応えはあるので、何年も経ってから観られたのは嬉しい。

舞台ものでよかったのは、グローヴ座のハムレット!男優と女優がごっちゃになってのキャスティング!私は本来こういうのって苦手な方なのだけれど、とりあえず見始めたら目が離せなくなってしまった。
ハムレット、レアティーズ、ホレイショーは女優が演じ、オフィーリアは男優が。でもこの男役の女優さん達、特にハムレットの滑舌とセリフのリズムの良さはもう天下一品だ。セリフを聴いてしまう。

ハムレットは日英語合わせて12−13本観ているけれど、やっぱり英語でのセリフのリズム感は翻訳じゃ出せないのだ。リズムで書かれたセリフなのでどんなに長くても流れが良くて聞きやすい。滑舌がよければ尚更だ。これは原語でないと解らない、シェイクスピアの大きな魅力。グローヴ座は野外劇場なので、芝居の進行につれて自然光も変わってくる。周りをぐるっと観客が取り囲んでいるので、その雰囲気だけでも実際のシェイクスピアの時代の芝居の雰囲気だ。
 気がついたらずっと観てしまった。本当に面白いハムレットだった。 

なんとか毎日30分2回のワークアウトは続けている。昨日の朝はISUのスケーター達のトレーニングを配信ということで、スイスのステファン•ランビエール氏のトレーニングがあった。最初の30分はなんとかついていけた、でも後半は本当にスケーターに必要なジャンプテクニック用のトレーニングのようで、流石にムリ、、、こういったトレーニングのメニューは大体似通っているので、私がいつもやっているのと同じようなものも多い。どこを、どう使うという説明もステファンはとても穏やかな口調なので、キツく感じない。(でも内容はキツイのだが、、、)島田高志郎君やソチ金メダルのトランコフ&ヴォロソジャール等、何人かとZoomで繋いでのトレーニング。宇野昌磨くんはいなかったけれど、氷に乗れない間、こんなトレーニングで鍛えているのだろう。

本当に、みんながまた通常の生活に戻れる日が早く来ますように。一応来年に延びた東京オリンピックだって、本当にまだ解らないし、アスリートの皆さんにとっては人生の計画が狂う位のダメージだと思う。こうして家にいると平和で静かだから私は今のところむしろ毎日を楽しんでいるけれど、これを元に戻すのは本当に何年もかかるのだろう。生活も、経済も、、、、、日本には何時いかれるだろうか、それまで両親は生きててくれるのだろうか、、、二人とも90だ。

今日はエリザベス女王の誕生日。94歳になられた。ロックダウンに入ってから国民に向けてのメッセージを下さったけれど、本当に女王の一言がこの国のどんな言葉よりも威力を持つ。彼女無くして英国は同じ英国ではいられない。相変わらずお元気の様子。まだまだ英国民の支えになっていて欲しい。この後には本格的なブレグジット後のイギリスが待っているのだし、、、
 

日本の映画で去年気になっていたのが、蜷川実花監督の、「ダイナー」だ。予告だけはyoutubeで見ていたのだけれど、実花さんは画面も役者もとにかく美しく撮る人なので、ハードな中にも(殺し屋専用のレストランらしい)美しさとカッコ良さが垣間見えていた。そしてキャスティングの顔ぶれが何といっても楽しみだった。
331ba4abb5e63827

藤原竜也くんがまだ10代の時に、その才能に嫉妬してからずっと応援している私としては、 どうしても映画での藤原竜也がいつも役不足に感じてしまう。深作欣二監督の「バトル•ロワイヤル」と三池崇史監督の「さぶ」以降、どうしてもアイドル売りっぽかったりマンガチックだったり、もちろんそれでも目を引く演技をしているのだけれど、彼はやっぱり「生かされて光る役者」なのだと思う。彼が生きる本を与えられて、自然に持っている演技力を引っ張り出す様な演出に出会うと、底力を発揮する。だから、蜷川幸雄という演出家は藤原竜也という役者にとって特別だったのだろう。

自分自身の人生を持てないでいるかな子(おおば かなこで大馬鹿な子)は一目惚れしたメキシコの街に行くお金を調達するためにやばいバイトに引っかかり、命と引き換えに、殺し屋専門のレストランにウェイトレスとして放り込まれる。レストランのシェフ、ボンベロは元殺し屋だったのを、前オーナーのボス、デルモニコに拾われ、足を洗って天才シェフとしてレストラン「Diner」を任されている。シェフが元殺し屋なら、ここにくる客も全員が殺し屋、という世界。

とにかく実花監督の絵は色のこだわりが凄い。1カットの中の色のバランス、それぞれの色の配分が彼女らしいというか、特徴的だ。これは写真家としての蜷川実花が、初期の頃から誰とも一線を引いた色づかいの絵を表現して認められてきた、彼女の武器と言ってもいい。そして、背景の絵も、役者たちも美しく彩られている。髪型、メイク、衣装全てにおいて乱れても美しい絵になる様に。

主演は藤原竜也と謳っているのだけれど、ストーリーの主人公はかな子だ。演じている玉城ティナさんはモデル・アイドル系の方の様で、確かに滑舌も巧くはないし演技力は弱いけれど、その表情が絵になった時にパワーがある。これがモデルさんの持つカメラに向かう力、というのだろうか。可愛いなあ〜〜、、
初めは自分の人生、存在をほとんど感じさせないキャラクターだったのが、「ダイナー」で目の前に繰り広げられる血みどろの場面を潜り抜けるにつけ、どんどん芯が太くなっていく。

どうしても見ていると蜷川幸雄さんを思い出してしまう部分も多い。亡き親分、デルモニコの肖像は蜷川さんご本人のが使われているし、少しだけ回想で登場するシーンでは、井出らっきょさんが演じている。らっきょさんは蜷川さんの舞台にも出演しているし、稽古中に蜷川さんの物真似をしてご本人に「それは俺か〜?不愉快だなあ〜」と苦笑いされていたりした。本当にそっくり!ボンベロの「俺を見つけて育ててくれたのはデルモニコだ」は素敵なトリビュートだし。

小栗旬演じるマテバが殺されているシーン、まずキレイな花に彩られた水面が映り、私はその瞬間にミレーの「オフィーリア」の絵を思い出した。そうしたら次にはまさにオフィーリアよろしく水面に浮かぶマテバの死顔が、、、、かな子が死を意識することでどんどん強くなっていく様は「ロミオとジュリエット」のジュリエットの様だったし、意図してか、無意識にか、やっぱりお父様の血を実花監督の中に感じた。

武田信治さんは、もうクレジット見るまで誰だか解らなかった!!ぶっ飛んだ役は結構うまいんだよね。本当はこの人ももっと観たい役者だ。やっぱりぶっ飛んでいた90年代のドラマ「チャンス」とかも面白かった。ちなみに彼が演じた大島渚監督の「御法度」での沖田総司は、大河「新撰組」での竜也くんの沖田総司と並んでダブルベストだと思っている。

お年を全く見せない真矢みきさんの迫力は、やっぱり元宝塚男役!片眼のカラーコンタクトといい、実花さんのセンスが光ります!ぐちゃぐちゃでも、血だらけでも、とにかく美しく、それでいて実はかなりハードボイルド!

藤原竜也さんをカッコ良く魅せることができるのは、やはり昔から役者としての彼をよく知ってのことだろう。絆というか、確固たる信頼感が画面から伝わる。舞台で見る彼は黙っている時の表情だったり動いていない時の背中から感情が見えてくる様な演技をする時があって、それをカメラで拾うのはなかなか難しいと思う。私が映画での藤原竜也に今一つ「違う」感を感じるのはそのせいかもしれない。一見浮世離れしたこのストーリーの中で、ボンベロのかな子を見る目が少しずつ変化していく。実花さんは美しくそれを撮ってくれている。だから、最後のシーンのボンベロの安らいだ表情での抱擁はそれまでの派手な色使いの血飛沫舞い踊る場面から打って変わって自然色に見えるのだ。

監督デビューの「さくらん」から蜷川実花監督の映画は見ているけれど、どんどん良くなっていく。これは元々が漫画という原作があっての作品だけれど、もっといろいろなジャンルの作品を撮れる監督になってくれると嬉しい。

普段は娯楽映画はあまり興味がないのだけれど、面白かったね。ずっと白の衣装だったボンベロが、最期にメキシコのかな子の店に来た時には黒の衣装だったのも印象的だった。白のロングの衣装はローブの様で、「キリストか」と思うと、最後の衣装は「神父か?」という感じ。

そういえば小栗旬さんの太宰治の作品もあったはず。太宰も「人間失格」も、どちらかといえば嫌いなのだが、観てみるかな、、、、

 


とうとうイギリスはロックダウン。仕事も「臨時解雇」状態で、政府が保証した給料の80%でこれからやっていかなくては、、、とはいってもどこへ出かけるわけではないので、切り詰めればギリギリ何とかなるかな〜、、、??

多少のお金を払ってダウンロードした日本のテレビだけれど、普段はなかなか元が取れるほど観られない。今回の3週間(多分もっと伸びるとは思うけれど)は観まくる良い機会だ。

映画チャンネルなんかもあるので連日チェックするとして、昨日はアマゾンのプライムで気になっていた映画を見つけた。「Love Hotelに於ける情事とPlanの涯て」(私は日本とイギリス両方のアマゾンに登録している)

UnknownUnknown-1

この映画は三上博史さんの本当に久しぶりの映画だ。チラッと予告編を観た意外に聞いていたのは、長回しで撮影した、という事だけで、監督の事も私は知らなかった。

まず、すぐに「舞台劇のようだ」と思った。なるほど長回しで撮っているし、場面は1室内なので、十分舞台でも成り立つ。芝居のテンポにも緩急があって、話の転換がそのまま場面の転換のように進んでいく。然もありなん、監督の宅間孝行さんは劇団主催者で、本も書き、自身も役者だという。納得!映画監督は初だそうだ。

主な登場人物は4人(プラス二人)。昼間からデリヘル嬢とホテルにしけ込んでいるクズ刑事の間宮。彼は本気なんだということを言って聞かせるが、逆にデリヘル嬢からはゆすり同然にせびられている。そこへ間宮の妻で同じく警官のしおりが踏み込んでる。すったもんだでパニックになった間宮はデリヘル愛人を銃で売ってしまい、死体処理にヤクの売人で中国から逃げてきた男を呼び出す。死体を始末しようとしたところに、デリヘルのマネージャーが「うちの子が仕事終了時間になっても連絡がない」とやってきて、、、

間宮を中心に全員に弱みがあり、その弱みに付け込む強弱の関係がコロコロと変わる。さっきまで勝気に脅していたキャラが一変して許しを乞う側に、、、そして思いもかけない展開。興奮と静寂、ダラダラと緊迫感、ちょっとエロチックでコメディーなおしゃれな本だ。

さすがは長回し、役者達の集中が本当に舞台劇のようだ。三上さんのこんなキャラも結構珍しいかもしれない。大袈裟ではなく、それでいて相変わらずちょっとエキセントリック、やっぱり脚本を書いてもらうというのは役者にとって一番の強みだ。(「渦が森団地」でも思ったこと)バックの中にカメラが仕込まれていて、バッグを別の位置に置くことで視点を変え、密室の中で場面転換をつける、というのも面白い。意図してか、ずれたのか、途中の緊迫したやり取りで二人の顔が画面から切れていて見えない、という場面があった。でもちょっと下から体や手を写すことで、緊迫感が伝わってくる。演じている役者の台詞のテンポも息遣いが見えるようだ。

全員クズのようなキャラクター、でも最後にはそれが穏やかな幸せを求めての事だったのか、、、と思った矢先のラストはまさに「え、、、??!!」だった!因果応報というのか、全員が報いを受けている、という本の構成が面白い。

これ、舞台でも観てみたいなあ〜〜。でも逆にこの手法で撮ったからこその面白さなのかな。途中で、立ち位置が見えなくても姿が鏡に映っていたり、カメラの位置もかなり計算されている。

そしてやっぱり私の大好きな三上さん。舞台らしい役者としての三上さんを観られる機会は本当に少ないので、嬉しい限り。 アクが強すぎてもしらけるし、ちょっと崩れた刑事役(いや、クズ野郎か、、)の三上さんは今回は彼としてはナチュラルだ。一発撮りの中にどれだけのこだわりがあるのだろうか。クズ女の酒井若菜さんも私には新鮮だった。酒井さんのこんな役は見たことがなかったので。デリヘル嬢も役の売人も何ていうか、身体張って演技してるのが伝わってきて、チームワークの強さが支えている。

監督の宅間さんはむしろ役者としての方が知られているそうだけれど、 役者だからこそわかる、という部分を十分に使っている作りだと思う。ブロックバスターな映画ではないけれど、私はこういう作品が大好きだ。後から考えて、「ああ、伏線があったのか」と気がついたりする。舞台劇だったらもう一度見直すという事はできないので、いつも一発感想を大事にしているのだけれど、これはしばらくしてからもう一度見てみるとまた発見があるのかもしれない。

クズにはクズの結末が、、、という感じで、優位と劣勢がコロコロと入れ替わってのラストの0.1秒が本当に効いている。宅間孝行さん、面白い作品を作る人が日本にも出てきたな、と「渦が森団地、、、」の時にも思ったのだけれど、機会があったら舞台も見てみたい。


覚悟してきたのだ、、、なにせ6月に日本にいくのはもうかれこれ30年ぶりくらいだからねえ〜〜。ずっと避けていた「日本の夏」。だって暑いだけじゃなくて、ジトジト・ベタベタするし、体力奪われるし、蚊がいるし、、、
10日ほど前はもう全国30度こえてたから、「まずいなあ〜〜」と覚悟してきたのだけれど、、、
まあいいんじゃない?確かにジトジトするけど、想像していたよりはずっとらくだ。リゾート地に行くホリデー用の服しか30度に着られる服がなかったので、友人たちとのランチ用にユニクロで着回しできる安い服を購入。まあ、仕事にも着られるしね。日本の夏服は安物でも着やすいわあ〜。

さて、いつもなら真っ先に文句と一緒に載せるブリティッシュエアウェイズ(BA)の食事が向上していた。来るときはエコノミーなので、「今度はどんな代物をたべさせられるやら、、、)とかまえていたのだけれど、これが結構美味しいのでした。照り焼きチキンも柔らかかったし、クスクスのサラダが美味しかった。着陸前に出た朝食のオムレツがほうれん草たっぷりで、私の好きな味付け。もしかしたらあちこちから文句がでて改善したのかも、、、?

個人的な思い入れが多すぎるので「観なくていいかな」と思っていた「ボヘミアン・ラプソディー」を機内でやっていたので、観た。あまりにも、観た人観た人みんなが「凄く良いよ」と誉めまくるので、、、、うん、凄く良かった。ありきたりのドキュメンタリーものではなく、ひとつの映画として良い作品に作られていて、これはやっぱりブライアンとロジャーが監修したからこそだね。正確には時間的に前後している部分が何ヵ所かあって、それについてはブライアンも何かのインタビューで言っていたけれど、それで話を分かりやすく、映画として成り立つように構成されていた。

歌も演奏の大部分も役者たちが再現したそうで、このクオリティーもものすごく高い。最後のLIVE AIDの再現シーンは圧巻だった。当時を生で覚えている身としては鳥肌もんでしたよ。フレディーがみたら、苦笑いしながら、それでもきっと拍手を送るだろう。観て良かった。

もうひとつ、自分でKindleに落としておいたのが、「The Ice King」。これは1976年の冬季オリンピックで金メダルをとったフィギュアスケーター、John Curryの映画で、こちらは実際の映像やインタビューを元に構成したドキュメンタリー映画だ。彼もフレディーと同じように、第一期エイズ感染組で亡くなった人だ。彼が金メダルを取った時の黄色と茶色のコスチュームの演技はかすかに記憶の端にある、、、?でもあの当時はフィギュアスケートなんて、世界選手権とオリンピックくらいしかテレビで観る事はなかったので、彼がそれ以降にたどった人生の事は知らなかった。「90年代前半にいかに才能ある人たちが次々とエイズの犠牲になったか」という話題で彼の名をもう一度ちゃんと聞くことになるまでは、、、スポーツであるフィギュアスケートをバレエの様な芸術舞踊のレベルに引き上げて、ヨーロッパ、オリンピックのチャンピオンになった。今映像を観ても本当に美しい。エレガントだ。

同時期(前後5年くらいの間)に亡くなった才能あふれる人たち、、、まずその前に、80年代になって耳に入ってきたエイズという恐ろしい病気は当時は原因も感染経路も解明されておらず、「とにかく感染したら死ぬ」という恐怖映画のようなミステリーにみちた謎の恐ろしい病気だった。特に「ゲイの男性の間で感染が拡大」という事で、ますます謎は深まった。私が最初に驚いたニュースは当時巷のコアなファンに大人気だった「スネークマンショー」で怪しいカウンターテナーを披露していたオペラ歌手にしてニューウェイブのアーティスト、クラウス・ノミの死だった。あれが最初に聞いた「知っている名前の犠牲者」だった。

そして世界中をショックの渦にしたのがロック・ハドソンの死。一気にエイズの認識が広がり、世界中?(すくなくともイギリス・ヨーロッパ・アメリカでは)でAids Awareness がブームになった。数年後にはHIVというウィルスが免疫力を無くさせてしまう事が解明され、感染経路も最初はゲイの人たちといわれていたのが、性別に関係なく感染することがわかり、コンドームの使用が叫ばれ、テレビでもコンドームが堂々と宣伝されるようになった。

でもそれらはすべて、最初の「謎」だった時期の感染者たちには遅すぎた、、、本当に、本当に残念だ。今ならHIVに感染してもエイズを発症せずに10年以上過ごしている人もいるし、治療法もどんどん進んでいる。この開発は本当に早かったと思うよ。でも「彼ら」には遅すぎたんだ、、、、

フレディー・マーキュリー、ルドルフ・ヌレエフ、ジョン・カリー、ジョルジュ・ドン、、ボヘミアン・ラプソディーの映画の中で、当時ラジオでかける曲の長さは3分までなので、6分もあるこの曲をかけてくれる局なんか無いだろうというシーンで、「やってやろうじゃないか」とこの曲を一日に何度もかけたDJ、ケニー・エヴェレットがちょっとだけ登場する。このケニーも実はフレディーから数か月後にエイズでなくなってしまった、、、、みんな40代だったんだよね。もっともっと活躍して、そしてその後をプロデュースなり、指導するなり、後に続くアーティスト達に繋いでいってくれたはずの人たち、、、もう一度改めて合掌、、、、残念だわ、、、、


 


観たいと思った映画、「The Happy prince」、ルパート•エヴェレットがワイルドを演じるだけでなく、脚本も監督もやったと聞いて、楽しみにしていた。以前、ルパートが演じた舞台(The Judas Kiss)でのオスカー•ワイルドがすごく良かったので、「あれから入れ込んじゃったのかな」と思ったら、実は彼はもう10年も前からこの映画の企画を進めていたそうだ。
The-Happy-Prince-Movie-poster


本を書いたものの、なかなか映画化に乗ってくれる監督が見つからず、一時は企画を諦めかけたそうだ。主要キャストに旧知の信頼する俳優達(コリン•ファースやエミリー•ワトソン)との出演の約束を取り付けておいたものの10年近くが経ってしまったという。そうこうするうち、彼のJudas Kissでの好演が反響を呼び、コリン•ファース氏はアカデミー主演男優賞を取り、 ついにルパートは自分で監督する事にして映画化の運びとなったそうだ。

上流社会からも絶大な人気を誇ってセレブな暮らしに慣れていたオスカー•ワイルドだが、同性愛の罪で2年間投獄されて以降の人生はまさに天と地だった。

この映画は以前感想を書いた芝居、The Judas Kissの2幕と時期が重なる。全てを奪われ、社会から地位も家庭も仕事も名声も全て剥ぎ取られたワイルドがパリで偽名で暮らし始めるところから始まる。 出所してきたオスカーをパリに偽名で呼び、住まいの用意などもしてくれていたのは、かつての恋人でもあった友人のロビー•ロスだ。今はオスカーの数少ない忠実な友人として彼を支える。オスカーの妻と2人の息子は絶縁状態だ。パリで暮らし始めたものの、彼の投獄スキャンダルは今でもパリのイギリス人上流社会の記憶に新しく、あちらこちらで心無い中傷や誹謗を浴びせられる事も多い日々だ。

同性愛が処罰された時代、今では考えられないことのように思っても、まだまだ人々の心に「普通と違うもの」に対する嫌悪や拒否反応は根強く残っている。

監督したルパート自身カミングアウトしたゲイだが、、最近のインタビューで、ハリウッドでもゲイの俳優達はまだまだ差別的な待遇を受けることが多いと言っていた。自身も、純粋にオーディションが良くなかったり、役に合わないという理由ではなく、決まりかけた仕事が、「ゲイである」ということで配給会社やスポンサーの意向で役をもらえなかった事が何度かあったという。 

ルパート自身がとてもオスカー•ワイルドに共感しているという。俳優として自分を重ねてみると、オスカー•ワイルドという人物を本当に自然に理解できる、と語っていた。そうなのだろう、だから舞台の時もこの映画でも、彼のオスカー•ワイルドは心に響く姿で語りかけてくる。

周りの反対を押し切って、スキャンダルの元になった恋人、ボジー=ダグラス卿とナポリで再び暮らし始めたものの、 人生の華やかさを全て奪われて文無しのオスカーと、まだ若く、わがままで奔放なボジーとが幸せになれるはずもなく、結局二人は苦いを別れをする。傷心でパリに戻ったオスカーを待っていたのは、妻の死の知らせだった。家庭を持った以上、妻と2人の息子にもそれなりの思い入れがあったオスカーは、もう2度と妻と会って謝ることもできなくなってしまった事に打ちのめされる。

晩年のオスカーはお金もなく、3流の安ホテルを転々とし、アブサンに溺れてますます体が衰弱していく。ロビー•ロスとカナダ人のライターで長年の友人であるレジー•ターナーが最期までオスカーのそばにいてくれた真の友人だった。オスカーは ボジーとナポリで別れてから3年後にパリで亡くなる。

ルパート•エヴェレットのオスカーはまさにはまり役、彼の俳優キャリアは、これを演じるためだったかもしれない、とさえ思う。メイクでかなり頬を膨らませ、肉厚のボディーを着込んでいるので、ただでさえ長身な上に、スクリーンの中でとても大きい。アブサン漬けでしわがれた声、でも眼光の鋭さが時折スクリーンにビシっと映える。人生の全て(仕事も家庭も名誉もプライドも信用も生涯の恋人も)を失った オスカーの、それでもどこかに希望を見出そうとするかのような姿を見事に表現している。ただ悲壮感が漂うのではなく、それでもまだ自分自身を失っていないという小さなプライド、社会から裏切られても反発することすら許されない時代のもどかしさ、そして、目を細めて笑う時の無邪気で愛嬌のある姿、あの手この手でこの役に魂を注いでいるのが解る。

監督としての手腕もなかなかのものだ。美しいナポリ、寒い冬のパリ、デカダン溢れる19世紀、ヴィクトリアンの時代をとても美しく描いている。ルパートはまた監督もやりたい、とインタビューで話していたけれど、画面の色なんかもとても綺麗で、やっぱり私はハリウッド•ブロックバスターな映画よりも、こういう地味に美しい映画が好きだなあ〜〜

日本公開はまだなのかな、、、オスカー•ワイルドが好きな人はもちろん、彼を知らなくても十分見応えある作品だ。 


11月は結局芝居は観ずじまいだった・・・なんだか仕事に追われて気づけばもう12月、クリスマスで盛り上がり始めている。

今まで利用していたアマゾンのレンタルDVDをキャンセルしてオンラインでのレンタル鑑賞に変えた。期限無しで良いというのは気楽だったけれど、やっぱり観る時間が少ないと、どうしても最低でも会員としてかかる利用額がもったいないので、観たい時に観た分だけを1本毎に払うInstant videoのほうが私には都合が良い

ローマン・ポランスキー監督の「Venus in furs」(毛皮のビーナス)を観てみた。ポランスキー監督の映画は結構好きなので、新作が出ると観る事が多い。19世紀に問題作となったこの作品の作者、マゾッホの名前は、その作品の性質から、虐げられる事で性的満足を得る「マゾヒスト」の語源になっている。

登場人物は2人。設定は舞台のオーディションが行われるパリの劇場。マゾッホの「毛皮のヴィーナス」を上演するため一日かけて主演女優のオーディションをしたものの、使えない役者ばかりで、すっかり疲れきって帰ろうとしていた演出家のトマの前に、大遅刻の上に半分酔っぱらったごり押し女優が「私もオーディションして!!」と駆け込んでくる。雨に濡れて髪はバサバサ、服装はアウトロー、原作の本の題名をロックバンドの曲名と勘違いしているというとんでもない迷惑女優に、トマは拒絶反応を隠せない。

wk-venus0711-1

それでも「駄目だ!」「お願い!」の押し問答の中で、トマはこのごり押し女優が作品の主人公と同じ名=ワンダで、しかもまだ一般には渡っていないはずのフル上演台本を読み込んでいる事に気づく。台詞を諳んじている上に、オーディション用の衣装まで持ち込んでいる。
ワンダの語気の強さに押され、とうとうトマは台本の数ページを読み合わせする事に応じる。さっさと衣装を身につけて、台本を手に舞台に立ったこの女優が、実はトマの描く作品の主人公に重なる事に驚きながら、最初は数ページだったはずのオーディションがどんどん進んでいく・・・

演出家と女優として本に対する意見をぶつけながらトマとワンダは役を演じていくうちに、次第に二人の心理関係が本の中のクルジェムスキーと若き未亡人ワンダに重なって行く。やがて、トマ/クルジェムスキーは彼女に虐げられる事を願い、奴隷となる契約を交わすシーンで二人の強弱関係は完全に逆転する・・・

Venus-in-Fur-film-012

舞台作品のようだ、と思っていたら、この映画は原作本というよりは、オフ・ブロードウェイで上演された舞台版の「Vinus in furs」を映画化したものだそうだ。演出家とごり押し女優という立場が、台本を読み込んでいくうちにどんどん強弱関係が現れて、最後にはエロティックで摩訶不思議なマゾッホの世界に堕ちて行く。台詞の掛け合いもよく、作品の世界からいきなり「プロの芝居屋」に戻ってキャラクターを批判したり意見したりする二人の現実と非現実の交錯が巧みだ。頭と感情が交錯するうちに、底から湧いてくるような官能を実力派の二人、エマニエル・セニエールとマチュー・アマルリックが演じている。

この二人はThe Diving Bell and the Butteflyで共演しているが、すてきなケミストリーを持っている。Diving...ではマチューは事故による脳溢血のため、閉じ込め症候群になってしまった元編集者、エマニュエルは献身的な妻を演じていた。007でのマチューは狂気をはらんだ悪役で、その大きな目を最大限に生かしていたっけ。

ポランスキー監督の妻でもあるエマニュエルは今までにも彼の作品で、官能的な魅力を振りまいてきた。年齢的にどうか、、?と思ったけれど、どうしてまだまだ素敵なものです。1時間半という時間の中での閉ざされた世界。どちらかというと、前半のほうがテンポ良く、作品と現実の行き来がうまく使われていて、後半はどんどん非現実の世界に引きずり込まれていく感じ。「どうやって終わるんだ?」と思っていたら、これまた摩訶不思議なまま(突っ込み満載状態)で劇場の扉が閉じる。最後の5分程の部分はもうちょっと違う方法もあったような気もするけれど・・・

そういえば、ポランスキー監督はヤスミン・レザの「God of Carnage」も映画化したっけ。舞台を観ていた私は、なんとなく映画のほうがピンと来なかったのだけれど、今回は逆にこの舞台版を観てみたいと思った。

作品としては小降りで、むしろ「Bitter Moon」(邦題は今調べたら「赤い航路」だそうだ、、???)のほうがもっと愛憎と官能が結びついて傑作だと思うけれど、エマニュエルとマチューのコンビでこの映画を撮ったのは正解だと納得。

マチュー・アマルリックを007で観たときは、「三上博史さんに似てるなあ〜」と思ったものだけれど(特に目が)、この映画の日本公開用の宣伝を三上さんがナレーションしていると知ってびっくりしている。でもこの役、三上さんにも合うかも。舞台上演するなら是非三上さんで観てみたいね。ワンダは、、、日本の女優さんじゃ無理かなあ〜〜




Let+The+Right+One+In+Photocall+MBA8tdoM8ivl

日本に行ったりしていたから、芝居を観たのが久しぶりの感じがする。

「Let The Right One In」。初めはあまり興味をそそられなかったのだけれど、レビューがとにかく良かったので観る事にした。最初にピンと来なかったのは、これがヴァンパイア物だという事だった。もちろん嫌いな訳じゃない。でもヒューマンドラマというよりも、エンタテーメントになりがちな題材なのでスルーしていたのだ。

ヴァンパイアの物語はどんな時代にも、必ず次から次へと映画やドラマが出現する。まだ白黒映画の時代から本当にいくつのヴァンパイア映画が作られたことだろう・・・?!!私も物心ついた頃から、クリストファー・リー氏のドラキュラシリーズは何度となくテレビで観たし、ドラキュラに限らず、80年代にはデヴィッド・ボウイー/カトリーヌ・ドヌーヴ/スーザン・サランドンによるThe Hungerなんて映画もあったし、最近ではTwilightシリーズが人気だ。役者としてはちっとも好きじゃないトム・クルーズを唯一「良い」と思ったのがInterview with the vimpireだった。

何故ヴァンパイアという架空の存在がこんなにも長い間途切れる事なくいろんな形で現れるのか??

この芝居を観てまず「美しい」と思う。暗く、寒々とした北欧の冬、舞台はずっと森の中のセットを維持したまま、必要に応じて最低限のスペースで会話の場が家の中や学校のロッカールームだったりする事を解らせる。森の中での連続殺人に、人々はおそれおののき、必要以外は森には近づかないようにとの警告を受けて夜はひっそりとしている。そんな雪がちらつく森の中で出会った少年と少女。

気弱で大人しいオスカーは友達もなく、学校ではイジメにあっている。ことあるごとにネチネチとオスカーに絡むジョニーとミッキーに対して、学校では刺激しないようにしている彼も、森の中で一人になると木を相手にナイフを振りかざして反撃に出る自分を描いてみるのだ。一人で木を相手に立ち回りしている所を少女に見られていた事に気付いて驚愕するオスカー。少女はエリ、最近引っ越して来たのだという。

おずおずと会話を始める2人。なんとなく噛み合ないようなぎこちなさ。それは少女がちょっと浮世離れしたような感じだからだ。老人のような古めかしい言い回しをしたり、考える事を飛ばして率直に返答する様子は、子供なのか大人なのかわからない。そして空を舞うような身のこなしと、足音さえたてずに飛び回る軽やかさ。それでも何度が森で出会ううちにミステリアスなエリにオスカーは少しずつ打ち解けて行く。

ところが次第に彼女が何者なのかが明らかになって行く。彼女はもう何百年も生きているバンパイアで、一連の殺人事件も彼女によるものだったのだ。友達を作れない2人が、夜の森の中でひととき無邪気にたわむれ、笑い、心を寄り添い合う。そんな2人の様子は本当に美しくて、なによりイノセントだ。でもそれは同時に破滅を呼び込む危険も含んでいる。

人間の男に恋をしてはいけないはずのエリがオスカーと出会い、好きになってしまった・・・「恋をする」というよりは、まさに「好きになってしまった」というのがふさわしい。好きになってしまったので、また会いたくなってしまう。「また私と会えて嬉しい?」とまっすぐにきいてしまう。オスカーの事を知りたくてあれこれ質問してしまう。余計な事は考えずに好きになったオスカーにどんどん近づいてしまうのだ。

彼女は父親と暮らしている。でも観ているとすぐに解る。この父親も昔は若き青年で彼女に恋をしたのだ、と。彼女の為に人の血を用意するのは彼の役目だった。何人も何人も、彼女が自分で人を襲わなくてもいいように、自分の手を汚して血を集めて生きてきたに違いない。そして次第に老いて力弱くなった今、自ら破滅の道を選ぶしか無くなるのだ・・・

彼女の正体を知ったオスカーは驚き、戸惑いながらも彼女を受け入れて行く。一度は別れを覚悟したオスカーだったが、イジメが高じて学校のプールで瀕死の危機に陥った時、風のように現れて彼を救ったエリと一緒に歩んで行こうと決める。日が昇っている間はトランクの中で眠るエリをかかえて、遠い街へと旅を続けるのだ。そして私たちには彼らの未来が解ってしまう。オスカーはあくまでもやがては年を取り、エリの父のようにいつか彼女の恋人ではいられなくなってしまうのだ・・・おそらくこれまでも何人もそんな男達がいた事だろう。オスカーもその運命を受け入れて彼女との旅に出たのだ。

XU3514316_Let-The-_2863391b


このスウェーデンの作品は数年前に映画になっていて、かなり高い評価を得たらしい。その舞台版とあって、注目していた人達もいたそうだが、レビューはどれも「美しい」「切ない」「イノセントな愛」と絶賛だ。確かにヴァンパイアの映画というよりも、禁じられた幼い恋という感じだ。まだ大人になっていない少年と少女のままで時が止まった少女の切ない恋が、突然血飛沫をあげて人を襲う残酷なシーンと重なって、胸を突かれるような衝撃を受ける

ヴァンパイア映画が途切れないのは、この「切なさ」所以ではないだろうか。どんなヴァンパイア物語も哀愁に満ちていて、物悲しく、長い長い時の狭間を生き続けて行く苦しさが伝わってくるのだ。人はやがては死ぬ。その日は必ずやってくる。それを恐れながら生きて行くのが人の人生だ。永遠に死なないという事に憧れを持てるのは子供の頃の話であって、普通に大人になった人間なら、それがどんなに苦しい事か理解出来る筈だ。

よくあるヴァンパイアものだと、恋人になった相手もヴァンパイアとなって共に長い時を・・・みたいな設定が多いけれど、この話はオスカーは普通の少年のままだ。つまり、やがて彼はエリの恋人から年の離れた兄という事になり、さらには彼女の父、そして祖父にもならなければならない・・・その前にエリにはまた次のパートナーに行ってしまうかもしれない。永遠の未来はそこには無いのだ

全員の台詞がが何故かスコティッシュのアクセントなので、「これは舞台がスウェーデンだから、北の感じを出すためにスコットランド訛りなのか?」と最初思ったけれど、プログラムを見て納得。この作品は去年最初にスコットランドで制作されたものがロンドンの小劇場で上演され、ウエストエンドに上がってきたものだ。オスカー役の役者はこれがプロとしての初舞台だそうで、プログラムには年齢ものっていない。去年からやってる事を考えても現在17−18かな・・・

映画版を観てみたくなった。ちなみに日本語タイトルは「僕のエリ、200歳の少女」というらしい。外国語映画賞のノミネートになったりしたそうだから評価は高いみたいだし




せっかくのホリデーだというのに怪我人の世話がなんだかんだとかかる毎日・・・せめて映画でも観るべ、、と思って近所の映画館をチェックしてみる。せっかくだから平日の昼間、安い時間で人が少ない時がいいなと思って「何をやってるのかなあ〜?」と、15もあるスクリーンの演目をつらつらと見て行くと、なんと一日に一回だけの上映というちょっとシケた感じの映画があるよ。金曜・土曜は朝11:15と夜21:30の2回だけれど、それ以外の日は朝の11:15一回だけの上映だ。きっと思い切りマイナーな映画か限定上映なのかな、と思って通り過ぎようとした時、そのポスターの絵柄に目が止まった。
images
あれ?って思ってみて見ると、タイトルはDragon。でもポスターの写真に映っているのは金城武さんだ。っていうか、去年公開されたという映画のポスターにあった金城さん扮するキャラクターの顔だった。でもDragonなんて映画だったか?・・・チェックしてみると、原題は武侠(Wu Xia)、日本公開時のタイトルが「捜査官X」というやつだった。それにしてもこれがさらにDragonって・・ でも久しぶりに金城さんを観に行こっという事で行ってみた。

いやいやこれが、思ったより見ごたえあったのでした
それにしても邦題の「捜査官X」も英語題の「Dragon」も的外れてるよなあ〜〜 やっぱり原題の「武侠」が一番やっぱりハマっている。実はこれ程本格的なアクション映画だとは思っていなかった。金城さんが演じるのが素朴な事件捜査官と聞いていたので、ピーター・チャン氏の映画だからヒューマンドラマ色が強いミステリーものかと勝手に思っていた。主演のドニー・イェンという人の事も全く知らなかったし・・・

素朴な田舎の村で起こった強盗事件、たまたま現場に居合わせた実直な紙製職人が無我夢中で自己防衛の為に手足を振り回しているうちに強盗を退治して(死なせて)しまったという事で、一躍村の英雄になる。でもこの事件を調べに来た捜査官シュウは、素人の自己防衛ではなく、武術に長けた人物による的確な致命攻撃だったのではないかと疑問を持ち、村の英雄となったジンシーを問いつめていく。やがてジンシーから彼は殺人犯として10年服役していた前科があり、新しい人生を求めてこの村に落ち着き、家庭をもったのだという告白を得る。昔、子供だからと見逃してやった犯罪人がやがてもっと惨い殺人事件を起こした現実を体験していたシュウは、法による正義というものにあくなき執着を持っていた。その正義感ゆえに、 不正を働いた義父を自殺に追いやり、妻との間に取り返せない溝ができてしまっていたのだ。

最初は正義を追うシュウと新たな人生の幸福を守ろうとするいわば、ジャン・バルジャンとジャベールのような話かと思った。ところが話が進むにつれてもっと重くなって行く。ジンシーは実は72 Demonsという暗殺集団のナンバー2でボスの息子でもある=タン・ロンだったのだ。人情のカケラもない父と一団にそぐわず、穏やかな生活を求めて素性を隠してこの村に落ち着いたのだった。妻のアユーと2人の息子とのかけがえの無い生活を守りたいジンシー。そして行方をくらましていたジンシーの所在を知った72Demonsとの命がけの戦いが始まる。この一連のアクションシーンはドキドキする躍動感とスピードに溢れていて、ハラハラ/ドキドキ感で盛り上がった。父と子の絆とすれ違い、拭いきれない過去と切望してやまない新たな人生。無敵の武術の達人も自然の力の前にはあっけなく終焉を迎える結末

アクション映画でありながら、ミステリー仕立てで、各々の立場でのヒューマンドラマになっている。金城さんはこの役では語り部的な脇役と言えるけれど、その素朴な存在感がアクションシーンの躍動感と良いコントラストになっている。ちょっととぼけた金田一のようで、実は医学的検証をもとにジンシーの正体を見抜いて行く。正義を曲げないという自分の信念とは裏腹に、金次第でしか動かない捜査上層部へ不信感を抱いたシュウは、ジンシーを72Demonsから逃がすために危険な賭けを持ちかける

中国映画が海外でヒットするにはやっぱりじっくりと重みのあるヒューマンドラマか、徹底したアクション・エンターテイメントのどちらかが必要だ。この映画は一時間半という小振りな時間の中にその両方とさらにミステリーが加わっていて楽しめる。期待してなかったのでちょっと得した気分だわ。田舎の村の素朴な暮らしの様子、そこに住む大人、老人、子供達。チャン監督の出す画面内の空気のメリハリがすごく良い。のどかさ、混乱、大アクション、不気味な危機感、ストーリーのメリハリと同時に各キャラクターのメリハリでもある。主演のドニー・イェンは、素朴な村人としての顔と殺気を出す時の表情が画面の空気を変える

チャン監督は何度も金城武さんを起用しているけれど、彼の金城さんの使い方はいつも巧い。実は私は金城さんは日本映画での彼がとても好きなのだけれど(「死神の精度」「リターナー」「不夜城」「K−20」等)中国映画ではピーター・チャン監督作品での彼がいつも良いなと思う。金城さんの持つ空気を画面に溶け込ませるのが巧いのだ

それにしても忘れてたよ、、、中国映画の英語字幕は地獄の早読みを課せられるのだった・・・シュウが昔逃がした子が後で殺人犯になって、その後にシュウ自身が自分に鍼を打って、、、ってあたり、ちょっと不明な点が・・・ミステリータッチに乗っ取って、自分で「こうなのかも、、、」なんて考えてる間に字幕はビュンビュン飛んで行くのだった!

休みの間にネットで映画でも観るかな〜



なんて力がみなぎっているのだろう」と思わずにいられない。何度観ても、何回CDを繰り返して聴いてもその力に圧倒されるのは変わらない。そしてそれは舞台から映画になってもそうだった。昨日観て来た映画版のミュージカル「レ・ミゼラブル」初めてこの舞台を観たのは26年前、まだ初演オリジナルのキャストの時だった。今でも上演され続けている世界最長ロングランのミュージカルだ。

舞台劇が映画化されるのも、またその逆も同様に善し悪しがある。舞台から映像への一番の利点は、実写による背景のリアリティーや、アップで観る事ができる役者の表情が効果音楽と共に情緒が倍増されて、ぐんとスケールが広がるという事だ。ただ、これがミュージカルとなるとちょっと違って来る部分もある。台詞からいきなり歌やダンスに繋ぐあたりで「ついていけない」と思ってしまう映画ファンもいると思うし、ましてや全編の台詞がすべて歌というのは尚更だ

このレ・ミゼの映画では、歌=台詞はすべて撮影と同時収録の生歌で撮ったというのが前評判になっていた。ミュージカル映画の場合、ほとんどは歌の部分は後からスタジオで録音する。画面では口パクだ。もちろんずれたりはしていないのだけれど、ミュージカルがリアリティーからハズレて見えてしまうのは否めない。今回は役者がカメラの前で演技すると同時に、ピアノ伴奏をイヤホンで通しながら生で歌ったものを収録したそうだ。このほんのちょっとのリアリティーが感情表現を2倍にも3倍にもしていると言って良い。涙を流しながら歌う役者の呼吸が、嗚咽をこらえて絞り出す声が、演技そのままに伝わってくる

役者達はもちろん歌える人達ばかりだ。全体のレベルはステージに匹敵するくらい高い。ジャン・バルジャン役のヒュー・ジャックマンとファンティーヌ役のアン・ハサウェイを筆頭に、すべての役者達が粒ぞろいで素晴らしい。ただ、個人的にはジャベールが弱かった・・・ラッセル・クロウ氏が悪いというのではなく、もちろん彼も歌えるのだけれど、あまりにも他のレベルが高いので、力量の差が見えてしまってもったいなかった

ジャベールは愚かなくらいバルジャンに固執して、生涯彼を追い回すのだけれど、ジャベールには彼なりの断固とした正義があるのだ。正義と使命の為に生涯をかけてバルジャンを追ってきたからこそ、最期に「自分は間違っていたのか」という疑問に突き当たった時、それまでの人生すべてを否定されてしまったような絶望感を味わうのだ。「Star」は彼の揺るぎない正義感と使命感を観客に納得させる重要な歌で、舞台でもいつも強い歌唱力を持った役者が演じてきたのだけれど、この曲でのラッセル・クロウ氏の演技/歌唱力が弱かったんだ、、、だから最期に橋から飛び降りるに至る部分がなんだか中途半端で滑稽に見えてしまった。いつも熊さんのような表情で、演技力的にはこの役だけはミスキャストだったと思う

感激したのはオリジナルキャストでジャンバルジャンだったコルム・ウィルキンソン氏が出所後のバルジャンを導く神父役で出演している事。知ってはいたけれど、出て来た瞬間、お顔に後光が差してるようで、まさかのっけからあのシーンで泣くとは自分でも思っていなかった。ちなみにもうひとり、オリジナルでエポニーヌを演じたフランセス・ルフェルも娼婦1役で出ている。こちらはほんのちょっとの隠れ出演なので、知らないと見つけられないような小さな訳だけれど、しっかりと確認しましたよ。ちなみにこのお二人はロンドンとブロードウェイの両方の舞台でオリジナルキャストだった。映画も含めて3つのプロダクションに参加したのはこの二人だけだ

ロンドンでは今でもいつでもQueen's Theatreに行けば「レ・ミゼラブル」の舞台が観られる。でもこの映画版は舞台でこの作品を観られない人にとっては充分にその代わりとして魅力のある作品になっている。舞台を観ているようなリアルな迫力がある。「オペラ座の怪人」の映画版より数倍良い。(あれは舞台の代わりにはならないなあ〜〜、映画としてなら昔の白黒の「オペラの怪人」が良いし・・・)ちなみに「オペラ座の怪人」をDVDで観るなら、去年の25周年記念のステージ/コンサートヴァージョンが最強です

それにしてもこのミュージカルの底力は、何といってもユゴー氏の原作だ。この壮大な人間ドラマがいつの時代にもどの国の人にも強く響くものがあるからだろう。この背景になっているフランス革命はルイ16世の時ではなく、ナポレオンの失脚後に王政復古した時点から、さらに再びブルボン王家が排除されてフランス最期の王=ルイーフィリップの時代だ。王政から血で血を洗う恐怖革命、ナポレオンの支配下から再び王政、そして最期の自由を求めての革命運動という激動の時代に、権力ある身分から泥の中を這って行き伸びようとする民衆まで、いろんな立場の人物像を絡めながら「人間」の持つ底力を描き出している。この不滅のヒューマンストーリーが原作である限り、「レ・ミセラブル」が色あせる事は無いのだろう

もちろんこれはあくまでもミュージカルヴァージョンとしての「レ・ミゼラブル」だ。あまりにも長い原作を舞台や映画で描き切るのは不可能だし、このミュージカルだってかなりはしょってある。まあ、子供向けの抜粋版「ああ無情」みたいなもので、これも一つの分身なのだ。でもこうしてまた一つ分身ができていくという事が、この原作がいかに不滅の魅力に満ちているかを示している
もしアカデミー賞をこの映画にあげるとしたら、一番ふさわしいのは原作賞という事で、ヴィクトル・ユゴー氏ではないでしょうか・・・



日本ではまたまたそれらしい邦題で公開されている「Tinker Tailor Soldier Spy=裏切りのサーカス」。・・・この邦題ってサーカスの意味を取り違えられやしないかい、、?と気になってしまったりして。イギリスでは去年の公開だったのでもうDVDになっている。友人からこのDVDをもらった

実はこれはもう数週間前に観てすごく面白くて、「こういうイギリス映画が好きだなあ〜」と思った作品だ。原作は有名なスパイもので、本国イギリスでは知られた作品のようだけれど私は原作は全く知らなかった。本来もっと長いストーリーのようで、今回の映画ヴァージョンはもうこれ以上ははしょれないだろう!って思う位ギリギリに詰め込んである。観ていて気が抜けない。台詞を一行聞き逃したら命取り、、みたいな緊迫感がある。

舞台は70年代でイギリスのMI5、旧ソ連のKGB、ソ連とアメリカの冷戦時代、、、今となっては一時代前の設定なので、若い人達にはよく解らない部分もあるのかもしれないけれど、国と国との諜報合戦=スパイ/二重スパイが密かに活躍していたという意味ではスリリングなストーリー展開にはもってこいだ

英国秘密情報部のトップグループ=通称サーカスに実はソ連の2重スパイが紛れ込んでいるとの情報を得て、サーカスのリーダー/コントロール(ジョン・ハー ト)はジョン・スマイリー(ギャリー・オールドマン/どうかゲイリーって呼ばないであげて!)にその捜査を持ちかける。が、最初の作戦は失敗し、コントロールとスマイリーは退職させられる。その 後コントロールの死後、再びスマイリーが本格的にモグラ探しの命を受け、助手のギラム(ベネディクト・カンバーバッチ)と共にモグラをあぶり出すべく調査 を開始する

この映画が良くできてるのは、スパイ映画にありがちな派手なシーンが全くない。カーチェイスやら大爆発やら007シリーズにあるようなエンターテイメント要素を見事に使わず、頭脳プレーで攻めて来る。観ていて頭を使うので気が抜けないのだ。誰がモグラか解らないので調査している事を誰に気付かれてもマズい。という事で一挙一動にも隙を見せられず(敵も見せて来ないし)、そのドキドキする緊迫感と高揚感でどんどん魅入ってしまうのだ

まず最初に登場人物の名前とポジションを大急ぎで頭に叩き込まないと会話が解らなくなってくる。サーカスのメンバーにはTinker,Tailor, Soldier等コードネームがついていて、劇中では本名で呼ばれたりコードネームで話したりしているので、頭をクリアにしておかないと混乱する。台詞にも無駄がないし、1カットにヒントがあるんじゃないかと思うと途中で何度も「ちょっと!そこ巻き戻して」と言いたくなるのだ。ソ連サイド、アメリカサイドからも人物関係が絡んでくるので、途中からはもう必死で観たという感じ

それでいて最期の方ではその緊張感から一気に静かな空気になる。モグラが誰か解ってからは各々の心理にもカットが当てられ、それがダダ〜〜!と駆け抜けた2時間からフッと人間描写になって静かに終る

なんといっても役者が素晴らしいよ!サーカスのメンバーには英国/米国の役者が混じっているのだけれど、ごめんなさい、完全にイギリスチームの勝ちです。スマイリーのギャリーは抑えてニヒル。それでいて「いつの間にこんなに年とってたの」と思う額の皺がそれでも色気があるのは凄い。ハリー・ポッターのシリウスもカッコ良かったけれど、こんな味のある役もすごく良い。コリン・ファースは品の良さと重量感をしっかり出しているし、プリデュー役のマーク・ストロング、リッキー役のトム・ハーディーはちょっと癖のある役者でしかも巧い。(トム・ハーディーがテレビシリーズの「嵐が丘」で演じたヒースクリフはすっごく良かった!)ちょっとしか出ないジョン・ハートもギャリーとの画面での相性が良いっていうか、とても魅力的に印象に残る。

渋い! とにかくおじさん達が渋いのだ。おじさん達が魅力的

その中で一人ちょっと若くてスピード感抜群なのがピーター・ギラム役のカンバーバッチ氏だ。彼はBBCの新しいシャーロック・ホームズでちょっと偏屈な現代版シャーロックを素晴らしくキレの良いスピード感で演じていたし、舞台の「フランケンシュタイン」で怪物と博士の両役を2人の役者で交互に演じてローレンス・オリビエ賞にノミネートされていた。先週発表だったオリビエ賞では競演のジョニー・リー・ミラーと共にダブルで最優秀男優賞をとった。(舞台についてはこちらに書きました)この役でもちょっと他のおじさん達とは違う空気をもっていつでも颯爽と出て来る。ハンサムっていうわけじゃないのに目が離せない不思議な雰囲気を持っている。

どうやら日本は封切りになったばかりのようなのでネタバレはしませんが、2度観たくなる映画です

実際この本は79年にテレビでドラマ化され、アレック・ギネスのスマイリーで4話シリーズで放映されたそう。観終わってなんだかすごい超特急だったような気がして、もうちょっと細部までゆっくり把握しようと思ってこのシリーズのDVDをレンタルした。このテレビ版もかなりの好評で観始めたのだけれど、、、あの緊張感と高揚感が無くなってしまっている。確かにストーリーの繋ぎは解り易く描かれているけれど、なんだか遅いと感じてしまう。おじさん達は、演技は良いのだけれどなんだかくたびれたカンジ。カメラワークも良いし、映画版ではしょられた部分がもっといろんなカットで撮られているのだけれど、逆に輝きが無いと言えばいいのか・・・? 途中で退屈になってしまって観るのをやめた。

というわけで、テレビシリーズは置いておいてもう一度映画を観よう!無駄を一切省いたインテリジェントな映画って好きだなあ〜〜、、、頭使うけど 

↑このページのトップヘ