見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

映画の話

Venus In Furs=毛皮のヴィーナス


11月は結局芝居は観ずじまいだった・・・なんだか仕事に追われて気づけばもう12月、クリスマスで盛り上がり始めている。

今まで利用していたアマゾンのレンタルDVDをキャンセルしてオンラインでのレンタル鑑賞に変えた。期限無しで良いというのは気楽だったけれど、やっぱり観る時間が少ないと、どうしても最低でも会員としてかかる利用額がもったいないので、観たい時に観た分だけを1本毎に払うInstant videoのほうが私には都合が良い

ローマン・ポランスキー監督の「Venus in furs」(毛皮のビーナス)を観てみた。ポランスキー監督の映画は結構好きなので、新作が出ると観る事が多い。19世紀に問題作となったこの作品の作者、マゾッホの名前は、その作品の性質から、虐げられる事で性的満足を得る「マゾヒスト」の語源になっている。

登場人物は2人。設定は舞台のオーディションが行われるパリの劇場。マゾッホの「毛皮のヴィーナス」を上演するため一日かけて主演女優のオーディションをしたものの、使えない役者ばかりで、すっかり疲れきって帰ろうとしていた演出家のトマの前に、大遅刻の上に半分酔っぱらったごり押し女優が「私もオーディションして!!」と駆け込んでくる。雨に濡れて髪はバサバサ、服装はアウトロー、原作の本の題名をロックバンドの曲名と勘違いしているというとんでもない迷惑女優に、トマは拒絶反応を隠せない。

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それでも「駄目だ!」「お願い!」の押し問答の中で、トマはこのごり押し女優が作品の主人公と同じ名=ワンダで、しかもまだ一般には渡っていないはずのフル上演台本を読み込んでいる事に気づく。台詞を諳んじている上に、オーディション用の衣装まで持ち込んでいる。
ワンダの語気の強さに押され、とうとうトマは台本の数ページを読み合わせする事に応じる。さっさと衣装を身につけて、台本を手に舞台に立ったこの女優が、実はトマの描く作品の主人公に重なる事に驚きながら、最初は数ページだったはずのオーディションがどんどん進んでいく・・・

演出家と女優として本に対する意見をぶつけながらトマとワンダは役を演じていくうちに、次第に二人の心理関係が本の中のクルジェムスキーと若き未亡人ワンダに重なって行く。やがて、トマ/クルジェムスキーは彼女に虐げられる事を願い、奴隷となる契約を交わすシーンで二人の強弱関係は完全に逆転する・・・

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舞台作品のようだ、と思っていたら、この映画は原作本というよりは、オフ・ブロードウェイで上演された舞台版の「Vinus in furs」を映画化したものだそうだ。演出家とごり押し女優という立場が、台本を読み込んでいくうちにどんどん強弱関係が現れて、最後にはエロティックで摩訶不思議なマゾッホの世界に堕ちて行く。台詞の掛け合いもよく、作品の世界からいきなり「プロの芝居屋」に戻ってキャラクターを批判したり意見したりする二人の現実と非現実の交錯が巧みだ。頭と感情が交錯するうちに、底から湧いてくるような官能を実力派の二人、エマニエル・セニエールとマチュー・アマルリックが演じている。

この二人はThe Diving Bell and the Butteflyで共演しているが、すてきなケミストリーを持っている。Diving...ではマチューは事故による脳溢血のため、閉じ込め症候群になってしまった元編集者、エマニュエルは献身的な妻を演じていた。007でのマチューは狂気をはらんだ悪役で、その大きな目を最大限に生かしていたっけ。

ポランスキー監督の妻でもあるエマニュエルは今までにも彼の作品で、官能的な魅力を振りまいてきた。年齢的にどうか、、?と思ったけれど、どうしてまだまだ素敵なものです。1時間半という時間の中での閉ざされた世界。どちらかというと、前半のほうがテンポ良く、作品と現実の行き来がうまく使われていて、後半はどんどん非現実の世界に引きずり込まれていく感じ。「どうやって終わるんだ?」と思っていたら、これまた摩訶不思議なまま(突っ込み満載状態)で劇場の扉が閉じる。最後の5分程の部分はもうちょっと違う方法もあったような気もするけれど・・・

そういえば、ポランスキー監督はヤスミン・レザの「God of Carnage」も映画化したっけ。舞台を観ていた私は、なんとなく映画のほうがピンと来なかったのだけれど、今回は逆にこの舞台版を観てみたいと思った。

作品としては小降りで、むしろ「Bitter Moon」(邦題は今調べたら「赤い航路」だそうだ、、???)のほうがもっと愛憎と官能が結びついて傑作だと思うけれど、エマニュエルとマチューのコンビでこの映画を撮ったのは正解だと納得。

マチュー・アマルリックを007で観たときは、「三上博史さんに似てるなあ〜」と思ったものだけれど(特に目が)、この映画の日本公開用の宣伝を三上さんがナレーションしていると知ってびっくりしている。でもこの役、三上さんにも合うかも。舞台上演するなら是非三上さんで観てみたいね。ワンダは、、、日本の女優さんじゃ無理かなあ〜〜

永遠のヴァンパイア




Let+The+Right+One+In+Photocall+MBA8tdoM8ivl

日本に行ったりしていたから、芝居を観たのが久しぶりの感じがする。

「Let The Right One In」。初めはあまり興味をそそられなかったのだけれど、レビューがとにかく良かったので観る事にした。最初にピンと来なかったのは、これがヴァンパイア物だという事だった。もちろん嫌いな訳じゃない。でもヒューマンドラマというよりも、エンタテーメントになりがちな題材なのでスルーしていたのだ。

ヴァンパイアの物語はどんな時代にも、必ず次から次へと映画やドラマが出現する。まだ白黒映画の時代から本当にいくつのヴァンパイア映画が作られたことだろう・・・?!!私も物心ついた頃から、クリストファー・リー氏のドラキュラシリーズは何度となくテレビで観たし、ドラキュラに限らず、80年代にはデヴィッド・ボウイー/カトリーヌ・ドヌーヴ/スーザン・サランドンによるThe Hungerなんて映画もあったし、最近ではTwilightシリーズが人気だ。役者としてはちっとも好きじゃないトム・クルーズを唯一「良い」と思ったのがInterview with the vimpireだった。

何故ヴァンパイアという架空の存在がこんなにも長い間途切れる事なくいろんな形で現れるのか??

この芝居を観てまず「美しい」と思う。暗く、寒々とした北欧の冬、舞台はずっと森の中のセットを維持したまま、必要に応じて最低限のスペースで会話の場が家の中や学校のロッカールームだったりする事を解らせる。森の中での連続殺人に、人々はおそれおののき、必要以外は森には近づかないようにとの警告を受けて夜はひっそりとしている。そんな雪がちらつく森の中で出会った少年と少女。

気弱で大人しいオスカーは友達もなく、学校ではイジメにあっている。ことあるごとにネチネチとオスカーに絡むジョニーとミッキーに対して、学校では刺激しないようにしている彼も、森の中で一人になると木を相手にナイフを振りかざして反撃に出る自分を描いてみるのだ。一人で木を相手に立ち回りしている所を少女に見られていた事に気付いて驚愕するオスカー。少女はエリ、最近引っ越して来たのだという。

おずおずと会話を始める2人。なんとなく噛み合ないようなぎこちなさ。それは少女がちょっと浮世離れしたような感じだからだ。老人のような古めかしい言い回しをしたり、考える事を飛ばして率直に返答する様子は、子供なのか大人なのかわからない。そして空を舞うような身のこなしと、足音さえたてずに飛び回る軽やかさ。それでも何度が森で出会ううちにミステリアスなエリにオスカーは少しずつ打ち解けて行く。

ところが次第に彼女が何者なのかが明らかになって行く。彼女はもう何百年も生きているバンパイアで、一連の殺人事件も彼女によるものだったのだ。友達を作れない2人が、夜の森の中でひととき無邪気にたわむれ、笑い、心を寄り添い合う。そんな2人の様子は本当に美しくて、なによりイノセントだ。でもそれは同時に破滅を呼び込む危険も含んでいる。

人間の男に恋をしてはいけないはずのエリがオスカーと出会い、好きになってしまった・・・「恋をする」というよりは、まさに「好きになってしまった」というのがふさわしい。好きになってしまったので、また会いたくなってしまう。「また私と会えて嬉しい?」とまっすぐにきいてしまう。オスカーの事を知りたくてあれこれ質問してしまう。余計な事は考えずに好きになったオスカーにどんどん近づいてしまうのだ。

彼女は父親と暮らしている。でも観ているとすぐに解る。この父親も昔は若き青年で彼女に恋をしたのだ、と。彼女の為に人の血を用意するのは彼の役目だった。何人も何人も、彼女が自分で人を襲わなくてもいいように、自分の手を汚して血を集めて生きてきたに違いない。そして次第に老いて力弱くなった今、自ら破滅の道を選ぶしか無くなるのだ・・・

彼女の正体を知ったオスカーは驚き、戸惑いながらも彼女を受け入れて行く。一度は別れを覚悟したオスカーだったが、イジメが高じて学校のプールで瀕死の危機に陥った時、風のように現れて彼を救ったエリと一緒に歩んで行こうと決める。日が昇っている間はトランクの中で眠るエリをかかえて、遠い街へと旅を続けるのだ。そして私たちには彼らの未来が解ってしまう。オスカーはあくまでもやがては年を取り、エリの父のようにいつか彼女の恋人ではいられなくなってしまうのだ・・・おそらくこれまでも何人もそんな男達がいた事だろう。オスカーもその運命を受け入れて彼女との旅に出たのだ。

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このスウェーデンの作品は数年前に映画になっていて、かなり高い評価を得たらしい。その舞台版とあって、注目していた人達もいたそうだが、レビューはどれも「美しい」「切ない」「イノセントな愛」と絶賛だ。確かにヴァンパイアの映画というよりも、禁じられた幼い恋という感じだ。まだ大人になっていない少年と少女のままで時が止まった少女の切ない恋が、突然血飛沫をあげて人を襲う残酷なシーンと重なって、胸を突かれるような衝撃を受ける

ヴァンパイア映画が途切れないのは、この「切なさ」所以ではないだろうか。どんなヴァンパイア物語も哀愁に満ちていて、物悲しく、長い長い時の狭間を生き続けて行く苦しさが伝わってくるのだ。人はやがては死ぬ。その日は必ずやってくる。それを恐れながら生きて行くのが人の人生だ。永遠に死なないという事に憧れを持てるのは子供の頃の話であって、普通に大人になった人間なら、それがどんなに苦しい事か理解出来る筈だ。

よくあるヴァンパイアものだと、恋人になった相手もヴァンパイアとなって共に長い時を・・・みたいな設定が多いけれど、この話はオスカーは普通の少年のままだ。つまり、やがて彼はエリの恋人から年の離れた兄という事になり、さらには彼女の父、そして祖父にもならなければならない・・・その前にエリにはまた次のパートナーに行ってしまうかもしれない。永遠の未来はそこには無いのだ

全員の台詞がが何故かスコティッシュのアクセントなので、「これは舞台がスウェーデンだから、北の感じを出すためにスコットランド訛りなのか?」と最初思ったけれど、プログラムを見て納得。この作品は去年最初にスコットランドで制作されたものがロンドンの小劇場で上演され、ウエストエンドに上がってきたものだ。オスカー役の役者はこれがプロとしての初舞台だそうで、プログラムには年齢ものっていない。去年からやってる事を考えても現在17−18かな・・・

映画版を観てみたくなった。ちなみに日本語タイトルは「僕のエリ、200歳の少女」というらしい。外国語映画賞のノミネートになったりしたそうだから評価は高いみたいだし



武侠〜捜査官X〜Dragon


せっかくのホリデーだというのに怪我人の世話がなんだかんだとかかる毎日・・・せめて映画でも観るべ、、と思って近所の映画館をチェックしてみる。せっかくだから平日の昼間、安い時間で人が少ない時がいいなと思って「何をやってるのかなあ〜?」と、15もあるスクリーンの演目をつらつらと見て行くと、なんと一日に一回だけの上映というちょっとシケた感じの映画があるよ。金曜・土曜は朝11:15と夜21:30の2回だけれど、それ以外の日は朝の11:15一回だけの上映だ。きっと思い切りマイナーな映画か限定上映なのかな、と思って通り過ぎようとした時、そのポスターの絵柄に目が止まった。
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あれ?って思ってみて見ると、タイトルはDragon。でもポスターの写真に映っているのは金城武さんだ。っていうか、去年公開されたという映画のポスターにあった金城さん扮するキャラクターの顔だった。でもDragonなんて映画だったか?・・・チェックしてみると、原題は武侠(Wu Xia)、日本公開時のタイトルが「捜査官X」というやつだった。それにしてもこれがさらにDragonって・・ でも久しぶりに金城さんを観に行こっという事で行ってみた。

いやいやこれが、思ったより見ごたえあったのでした
それにしても邦題の「捜査官X」も英語題の「Dragon」も的外れてるよなあ〜〜 やっぱり原題の「武侠」が一番やっぱりハマっている。実はこれ程本格的なアクション映画だとは思っていなかった。金城さんが演じるのが素朴な事件捜査官と聞いていたので、ピーター・チャン氏の映画だからヒューマンドラマ色が強いミステリーものかと勝手に思っていた。主演のドニー・イェンという人の事も全く知らなかったし・・・

素朴な田舎の村で起こった強盗事件、たまたま現場に居合わせた実直な紙製職人が無我夢中で自己防衛の為に手足を振り回しているうちに強盗を退治して(死なせて)しまったという事で、一躍村の英雄になる。でもこの事件を調べに来た捜査官シュウは、素人の自己防衛ではなく、武術に長けた人物による的確な致命攻撃だったのではないかと疑問を持ち、村の英雄となったジンシーを問いつめていく。やがてジンシーから彼は殺人犯として10年服役していた前科があり、新しい人生を求めてこの村に落ち着き、家庭をもったのだという告白を得る。昔、子供だからと見逃してやった犯罪人がやがてもっと惨い殺人事件を起こした現実を体験していたシュウは、法による正義というものにあくなき執着を持っていた。その正義感ゆえに、 不正を働いた義父を自殺に追いやり、妻との間に取り返せない溝ができてしまっていたのだ。

最初は正義を追うシュウと新たな人生の幸福を守ろうとするいわば、ジャン・バルジャンとジャベールのような話かと思った。ところが話が進むにつれてもっと重くなって行く。ジンシーは実は72 Demonsという暗殺集団のナンバー2でボスの息子でもある=タン・ロンだったのだ。人情のカケラもない父と一団にそぐわず、穏やかな生活を求めて素性を隠してこの村に落ち着いたのだった。妻のアユーと2人の息子とのかけがえの無い生活を守りたいジンシー。そして行方をくらましていたジンシーの所在を知った72Demonsとの命がけの戦いが始まる。この一連のアクションシーンはドキドキする躍動感とスピードに溢れていて、ハラハラ/ドキドキ感で盛り上がった。父と子の絆とすれ違い、拭いきれない過去と切望してやまない新たな人生。無敵の武術の達人も自然の力の前にはあっけなく終焉を迎える結末

アクション映画でありながら、ミステリー仕立てで、各々の立場でのヒューマンドラマになっている。金城さんはこの役では語り部的な脇役と言えるけれど、その素朴な存在感がアクションシーンの躍動感と良いコントラストになっている。ちょっととぼけた金田一のようで、実は医学的検証をもとにジンシーの正体を見抜いて行く。正義を曲げないという自分の信念とは裏腹に、金次第でしか動かない捜査上層部へ不信感を抱いたシュウは、ジンシーを72Demonsから逃がすために危険な賭けを持ちかける

中国映画が海外でヒットするにはやっぱりじっくりと重みのあるヒューマンドラマか、徹底したアクション・エンターテイメントのどちらかが必要だ。この映画は一時間半という小振りな時間の中にその両方とさらにミステリーが加わっていて楽しめる。期待してなかったのでちょっと得した気分だわ。田舎の村の素朴な暮らしの様子、そこに住む大人、老人、子供達。チャン監督の出す画面内の空気のメリハリがすごく良い。のどかさ、混乱、大アクション、不気味な危機感、ストーリーのメリハリと同時に各キャラクターのメリハリでもある。主演のドニー・イェンは、素朴な村人としての顔と殺気を出す時の表情が画面の空気を変える

チャン監督は何度も金城武さんを起用しているけれど、彼の金城さんの使い方はいつも巧い。実は私は金城さんは日本映画での彼がとても好きなのだけれど(「死神の精度」「リターナー」「不夜城」「K−20」等)中国映画ではピーター・チャン監督作品での彼がいつも良いなと思う。金城さんの持つ空気を画面に溶け込ませるのが巧いのだ

それにしても忘れてたよ、、、中国映画の英語字幕は地獄の早読みを課せられるのだった・・・シュウが昔逃がした子が後で殺人犯になって、その後にシュウ自身が自分に鍼を打って、、、ってあたり、ちょっと不明な点が・・・ミステリータッチに乗っ取って、自分で「こうなのかも、、、」なんて考えてる間に字幕はビュンビュン飛んで行くのだった!

休みの間にネットで映画でも観るかな〜


Les Miserablesの底力


なんて力がみなぎっているのだろう」と思わずにいられない。何度観ても、何回CDを繰り返して聴いてもその力に圧倒されるのは変わらない。そしてそれは舞台から映画になってもそうだった。昨日観て来た映画版のミュージカル「レ・ミゼラブル」初めてこの舞台を観たのは26年前、まだ初演オリジナルのキャストの時だった。今でも上演され続けている世界最長ロングランのミュージカルだ。

舞台劇が映画化されるのも、またその逆も同様に善し悪しがある。舞台から映像への一番の利点は、実写による背景のリアリティーや、アップで観る事ができる役者の表情が効果音楽と共に情緒が倍増されて、ぐんとスケールが広がるという事だ。ただ、これがミュージカルとなるとちょっと違って来る部分もある。台詞からいきなり歌やダンスに繋ぐあたりで「ついていけない」と思ってしまう映画ファンもいると思うし、ましてや全編の台詞がすべて歌というのは尚更だ

このレ・ミゼの映画では、歌=台詞はすべて撮影と同時収録の生歌で撮ったというのが前評判になっていた。ミュージカル映画の場合、ほとんどは歌の部分は後からスタジオで録音する。画面では口パクだ。もちろんずれたりはしていないのだけれど、ミュージカルがリアリティーからハズレて見えてしまうのは否めない。今回は役者がカメラの前で演技すると同時に、ピアノ伴奏をイヤホンで通しながら生で歌ったものを収録したそうだ。このほんのちょっとのリアリティーが感情表現を2倍にも3倍にもしていると言って良い。涙を流しながら歌う役者の呼吸が、嗚咽をこらえて絞り出す声が、演技そのままに伝わってくる

役者達はもちろん歌える人達ばかりだ。全体のレベルはステージに匹敵するくらい高い。ジャン・バルジャン役のヒュー・ジャックマンとファンティーヌ役のアン・ハサウェイを筆頭に、すべての役者達が粒ぞろいで素晴らしい。ただ、個人的にはジャベールが弱かった・・・ラッセル・クロウ氏が悪いというのではなく、もちろん彼も歌えるのだけれど、あまりにも他のレベルが高いので、力量の差が見えてしまってもったいなかった

ジャベールは愚かなくらいバルジャンに固執して、生涯彼を追い回すのだけれど、ジャベールには彼なりの断固とした正義があるのだ。正義と使命の為に生涯をかけてバルジャンを追ってきたからこそ、最期に「自分は間違っていたのか」という疑問に突き当たった時、それまでの人生すべてを否定されてしまったような絶望感を味わうのだ。「Star」は彼の揺るぎない正義感と使命感を観客に納得させる重要な歌で、舞台でもいつも強い歌唱力を持った役者が演じてきたのだけれど、この曲でのラッセル・クロウ氏の演技/歌唱力が弱かったんだ、、、だから最期に橋から飛び降りるに至る部分がなんだか中途半端で滑稽に見えてしまった。いつも熊さんのような表情で、演技力的にはこの役だけはミスキャストだったと思う

感激したのはオリジナルキャストでジャンバルジャンだったコルム・ウィルキンソン氏が出所後のバルジャンを導く神父役で出演している事。知ってはいたけれど、出て来た瞬間、お顔に後光が差してるようで、まさかのっけからあのシーンで泣くとは自分でも思っていなかった。ちなみにもうひとり、オリジナルでエポニーヌを演じたフランセス・ルフェルも娼婦1役で出ている。こちらはほんのちょっとの隠れ出演なので、知らないと見つけられないような小さな訳だけれど、しっかりと確認しましたよ。ちなみにこのお二人はロンドンとブロードウェイの両方の舞台でオリジナルキャストだった。映画も含めて3つのプロダクションに参加したのはこの二人だけだ

ロンドンでは今でもいつでもQueen's Theatreに行けば「レ・ミゼラブル」の舞台が観られる。でもこの映画版は舞台でこの作品を観られない人にとっては充分にその代わりとして魅力のある作品になっている。舞台を観ているようなリアルな迫力がある。「オペラ座の怪人」の映画版より数倍良い。(あれは舞台の代わりにはならないなあ〜〜、映画としてなら昔の白黒の「オペラの怪人」が良いし・・・)ちなみに「オペラ座の怪人」をDVDで観るなら、去年の25周年記念のステージ/コンサートヴァージョンが最強です

それにしてもこのミュージカルの底力は、何といってもユゴー氏の原作だ。この壮大な人間ドラマがいつの時代にもどの国の人にも強く響くものがあるからだろう。この背景になっているフランス革命はルイ16世の時ではなく、ナポレオンの失脚後に王政復古した時点から、さらに再びブルボン王家が排除されてフランス最期の王=ルイーフィリップの時代だ。王政から血で血を洗う恐怖革命、ナポレオンの支配下から再び王政、そして最期の自由を求めての革命運動という激動の時代に、権力ある身分から泥の中を這って行き伸びようとする民衆まで、いろんな立場の人物像を絡めながら「人間」の持つ底力を描き出している。この不滅のヒューマンストーリーが原作である限り、「レ・ミセラブル」が色あせる事は無いのだろう

もちろんこれはあくまでもミュージカルヴァージョンとしての「レ・ミゼラブル」だ。あまりにも長い原作を舞台や映画で描き切るのは不可能だし、このミュージカルだってかなりはしょってある。まあ、子供向けの抜粋版「ああ無情」みたいなもので、これも一つの分身なのだ。でもこうしてまた一つ分身ができていくという事が、この原作がいかに不滅の魅力に満ちているかを示している
もしアカデミー賞をこの映画にあげるとしたら、一番ふさわしいのは原作賞という事で、ヴィクトル・ユゴー氏ではないでしょうか・・・


ギリギリのスピード感ーTinker tailor soldier spy


日本ではまたまたそれらしい邦題で公開されている「Tinker Tailor Soldier Spy=裏切りのサーカス」。・・・この邦題ってサーカスの意味を取り違えられやしないかい、、?と気になってしまったりして。イギリスでは去年の公開だったのでもうDVDになっている。友人からこのDVDをもらった

実はこれはもう数週間前に観てすごく面白くて、「こういうイギリス映画が好きだなあ〜」と思った作品だ。原作は有名なスパイもので、本国イギリスでは知られた作品のようだけれど私は原作は全く知らなかった。本来もっと長いストーリーのようで、今回の映画ヴァージョンはもうこれ以上ははしょれないだろう!って思う位ギリギリに詰め込んである。観ていて気が抜けない。台詞を一行聞き逃したら命取り、、みたいな緊迫感がある。

舞台は70年代でイギリスのMI5、旧ソ連のKGB、ソ連とアメリカの冷戦時代、、、今となっては一時代前の設定なので、若い人達にはよく解らない部分もあるのかもしれないけれど、国と国との諜報合戦=スパイ/二重スパイが密かに活躍していたという意味ではスリリングなストーリー展開にはもってこいだ

英国秘密情報部のトップグループ=通称サーカスに実はソ連の2重スパイが紛れ込んでいるとの情報を得て、サーカスのリーダー/コントロール(ジョン・ハー ト)はジョン・スマイリー(ギャリー・オールドマン/どうかゲイリーって呼ばないであげて!)にその捜査を持ちかける。が、最初の作戦は失敗し、コントロールとスマイリーは退職させられる。その 後コントロールの死後、再びスマイリーが本格的にモグラ探しの命を受け、助手のギラム(ベネディクト・カンバーバッチ)と共にモグラをあぶり出すべく調査 を開始する

この映画が良くできてるのは、スパイ映画にありがちな派手なシーンが全くない。カーチェイスやら大爆発やら007シリーズにあるようなエンターテイメント要素を見事に使わず、頭脳プレーで攻めて来る。観ていて頭を使うので気が抜けないのだ。誰がモグラか解らないので調査している事を誰に気付かれてもマズい。という事で一挙一動にも隙を見せられず(敵も見せて来ないし)、そのドキドキする緊迫感と高揚感でどんどん魅入ってしまうのだ

まず最初に登場人物の名前とポジションを大急ぎで頭に叩き込まないと会話が解らなくなってくる。サーカスのメンバーにはTinker,Tailor, Soldier等コードネームがついていて、劇中では本名で呼ばれたりコードネームで話したりしているので、頭をクリアにしておかないと混乱する。台詞にも無駄がないし、1カットにヒントがあるんじゃないかと思うと途中で何度も「ちょっと!そこ巻き戻して」と言いたくなるのだ。ソ連サイド、アメリカサイドからも人物関係が絡んでくるので、途中からはもう必死で観たという感じ

それでいて最期の方ではその緊張感から一気に静かな空気になる。モグラが誰か解ってからは各々の心理にもカットが当てられ、それがダダ〜〜!と駆け抜けた2時間からフッと人間描写になって静かに終る

なんといっても役者が素晴らしいよ!サーカスのメンバーには英国/米国の役者が混じっているのだけれど、ごめんなさい、完全にイギリスチームの勝ちです。スマイリーのギャリーは抑えてニヒル。それでいて「いつの間にこんなに年とってたの」と思う額の皺がそれでも色気があるのは凄い。ハリー・ポッターのシリウスもカッコ良かったけれど、こんな味のある役もすごく良い。コリン・ファースは品の良さと重量感をしっかり出しているし、プリデュー役のマーク・ストロング、リッキー役のトム・ハーディーはちょっと癖のある役者でしかも巧い。(トム・ハーディーがテレビシリーズの「嵐が丘」で演じたヒースクリフはすっごく良かった!)ちょっとしか出ないジョン・ハートもギャリーとの画面での相性が良いっていうか、とても魅力的に印象に残る。

渋い! とにかくおじさん達が渋いのだ。おじさん達が魅力的

その中で一人ちょっと若くてスピード感抜群なのがピーター・ギラム役のカンバーバッチ氏だ。彼はBBCの新しいシャーロック・ホームズでちょっと偏屈な現代版シャーロックを素晴らしくキレの良いスピード感で演じていたし、舞台の「フランケンシュタイン」で怪物と博士の両役を2人の役者で交互に演じてローレンス・オリビエ賞にノミネートされていた。先週発表だったオリビエ賞では競演のジョニー・リー・ミラーと共にダブルで最優秀男優賞をとった。(舞台についてはこちらに書きました)この役でもちょっと他のおじさん達とは違う空気をもっていつでも颯爽と出て来る。ハンサムっていうわけじゃないのに目が離せない不思議な雰囲気を持っている。

どうやら日本は封切りになったばかりのようなのでネタバレはしませんが、2度観たくなる映画です

実際この本は79年にテレビでドラマ化され、アレック・ギネスのスマイリーで4話シリーズで放映されたそう。観終わってなんだかすごい超特急だったような気がして、もうちょっと細部までゆっくり把握しようと思ってこのシリーズのDVDをレンタルした。このテレビ版もかなりの好評で観始めたのだけれど、、、あの緊張感と高揚感が無くなってしまっている。確かにストーリーの繋ぎは解り易く描かれているけれど、なんだか遅いと感じてしまう。おじさん達は、演技は良いのだけれどなんだかくたびれたカンジ。カメラワークも良いし、映画版ではしょられた部分がもっといろんなカットで撮られているのだけれど、逆に輝きが無いと言えばいいのか・・・? 途中で退屈になってしまって観るのをやめた。

というわけで、テレビシリーズは置いておいてもう一度映画を観よう!無駄を一切省いたインテリジェントな映画って好きだなあ〜〜、、、頭使うけど 

GrammyとBAFTA


12~13日は英米での2つの賞がニュースになった
一つはロサンゼルスで行われた音楽のグラミー賞、そしてロンドンで発表になった英国アカデミー賞

なんとも残念な事にグラミー賞前日にWhitney Houstonがホテルで亡くなっているのが発見された。グラミーがらみのパーティーや授賞式に出席するために滞在していたのだから、亡くなる理由なんてどこにもなかったはずなのに、本当に残念。どうして希有の才能に恵まれた人達がその道半ばでいなくなってしまうのか・・・?!

グラミー賞は、嬉しい事に私も大好きなAdeleが六冠。彼女の声はとてもソウルフルで、デビューして話題になり出した頃からうちの彼がイチオシしていた。おデブちゃんな人だけど、深い声と彼女の書く曲には説得力がある。最初は30過ぎかと思ってたら、なんと88年生まれの現在23歳という事でこれまた驚き。あのマチュリティーはどこから出てくるんだ・・??

英国のシンガーソングライターでグラミー賞をいくつも穫ったアーティストといえば、去年亡くなったエイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)を思い出さずにはいられない。彼女も他にいないアーティストだった。女性でR&Bを歌える声を持った若いアーティストというのは今ほとんどいない。自作の曲はどれもユニークで、まだまだその才能を発揮していくものと思われたのに、自身の中に才能を咲かせる畑を耕せなかったという事か。酔っぱらい、薬でフラフラになってステージに上がる姿は痛痛しかったし、旦那の逮捕や奇行等ばかりが話題になってしまって、本当に悲しい最期だった。

そしてウィットニーも・・・歌唱力では他の追随を許さないとまで言われた歌姫が、まだ50にもならないで突然で発見されるなんて 彼女も結婚してからはあまり幸せではなかったようで、ドラッグ/アルコールと戦いながらの晩年だったそうだ。薬物/アルコール依存は本当にやっかいだ。「や〜めた!」と言ってやめてしまう事ができいない病気だからだ依存症になってしまったら、完全に断つまでは決して幸せにはなれない。これはどんな人でも同じだ。お金がある人は尚更。なぜならいつでも欲しいだけ(必要なだけ)あるいはそれ以上を手に入れる事が可能だからだ

Adele嬢は今のところその心配はなさそうで、いつまでも健康的な歌手であって欲しい。それにしてもさすがにハリウッドのメイクは凄いわあ〜〜・・・だってメイクアップだけで5キロは痩せて見えたよね。さすがにダイエットもしてるんだろうけど、身体はそれほど変わらないのに、顔がとにかくメリハリばっちりで、一瞬見違えたわよ。よく知ってる彼女の顔じゃなかったもので・・・

BAFTA(British Academy of Film and television Arts)のほうは映画賞の発表。英国アカデミー賞は映画だけでなく、テレビ部門も別の機会に授賞式がある。
最近は映画館で映画を観る事はめっきりなくなった。公開された時のレビューをチェックして、後でDVDで観るというのがパターンになってしまった。前から目をつけていたのが、Tinker Tailor soldier spyThe Artistの2本で、思ったとおりこの2本はいくつものノミネートに入っていた。受賞の手応えはThe Artistの勝ち。白黒のサイレント映画という異色なスタイルで監督賞、映画賞、主演男優賞、さらに脚本賞も含む7冠という快挙だった。「(サイレント映画なので)脚本は無いと思った人もいるかもしれません」とあいさつして笑いをさそった

Tinker Tailor•••のほうは、007とは全く対称的な70年代のスパイもの。英国情報部にソ連のスパイが紛れ込んでいるとの情報から、その正体を割り出そうと容疑者達にコードネームをつけて裏切り者をあぶり出す使命に奔走する。一筋縄ではいかない2重スパイ探しの話で、イギリスではテレビドラマになったのを知っている人が多いようだ。うちの彼もテレビシリーズを覚えてると言っていた

こちらはやっぱりキャスティングが面白いので是非観たい。主演にGary Oldman, 他にもJohn Hurt, Colin Firth, Tom Hardy, Benedict Cumberbachと、面白い実力派が並ぶ。アメリカスパイ映画とは一味違うイギリスらしい映画になってるようだ。受賞数ではThe Artistに負けたけれど、興業ではトップだった映画だ。DVD待ちのトップリストに入れておこう

メリル・ストリープがその演技力で賞を穫ったのはもう何度目なのだろう? 今更、、ていう感じもするけれど、彼女のマギー・サッチャーはクリップを観ただけでもそっくりだ。何と言ってもイギリス人の背筋をゾワっとさせる(ある人は吐きそうだとまで言う)あのアッパークラスもどきなアクセントを見事に再現している所が凄い。彼女は昔から役の度に英語のアクセントを忠実に変えて演じて来た。デンマーク訛りやスランス訛り、アメリカ国内でも地域の設定でその州の訛りを見事にこなして演じるので定評がある。これも一種のマルチリンガルに近いかもね。言語のセンスが素晴らし良い人なのだと思う

主演女優賞を受けたメリル・ストリープがなんと壇上に上がる際に階段で靴が片方脱げてしまった。さすがは大女優、一瞬困って振り向いたものの、かがんで拾うなんて事はせずにそのまま胸をはって壇上へ。合図を受けた女優賞プレゼンターのコリン・ファースがスマートに靴を拾い、彼女のロングドレスの足元で履かせてあげた。「プリンス・チャーミングがシンデレラの落とした靴を履かせてあげたようです」という司会のスティーヴン・フライのユーモラスなしきりでなごやかな笑いになった。恥ずかしそうに笑いながらスピーチをするメリル・ストリープがチャーミングだった。もう60を過ぎているのにね。少女のようで、それでいて貫禄たっぷりのベテランだ。確かな演技にはハズレがない、これって凄い事だと思う

日本のドラマもちょっと追いついて観ている。大河は正直面白く無いなあ〜〜。言葉に魅力が無い脚本は聞いていて違和感を感じてしまう。台詞自体がなんかヘンな感じがするだけでなく、清盛の物言いもおかしい・・・台詞をこなしているのは中井貴一さん、上川隆也さん、あと阿部サダヲさんかな。鳥羽上皇(三上博史さん)がお隠れになったらその先は観ないかも、、、、



The Madness of Geroge III

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実際に歴史にあったエピソードを元に脚色されたコメディー。なんと、大英国国王が狂ってしまったというお話。

このThe madness of Geroge IIIがオリジナル主演のナイジェル・ホーソーンで大人気になった時は見逃してしまった。その後、脚本、演出、主演とオリジナルのメンバーで映画化された時は真っ先に観に行った。映画のタイトルは確かThe madness of King Gerogeになってたはず。ジョージ3世の「III」とつく事で、アメリカ他外国での公開の際に、映画のパート3と勘違いされて、1と2を知らないから、、、と客足が遠のくのを避けたとか

18世紀半ばから19世紀になる一番面白いヨーロッパの歴史の中で、在位60年の長きに渡ってイギリスの国王だったジョージ3世。この記録は最近になって現エリザベス女王が抜くまで、歴代2位の在位期間だった。歴代最長は今もってヴィクトリア女王。イギリスは当時から政治は内閣が行っていたが、それでも国王の意向は政治にも大きく関わりがあり、もちろん議会の採決は国王の署名なくしては決定できない

ジョージ3世は質素な王室を心がけ、王妃シャーロットとも円満で愛妾も持たずに、王妃との間に15人の王子/王女をもうけた。とはいえ、若くして即位してからはアメリカの独立紛争/戦争に長期間を費やし、また皇太子をはじめとする息子達の借金と女遊びに頭を抱えていた。政治面では保守党で、わすか24歳で首相になったウィリアム・ピットを支持している。一方ウィッグ党のチャールズ・フォックスは、派手な遊び好きで父とは対称的な皇太子(後のジョージ4世)に取り入ろうとしている。

フランスで革命が起こる前年の1788年、突然国王の様子がおかしくなる。意味不明の事を数時間もしゃべり続け、記憶はとびとび、わめいたり泣いたり、まさに乱心状態に陥ってしまったのだ。原因/病名はなかなか解らず、集められた医師達にもプレッシャーがかかる。判断能力無しとして、皇太子を摂政につけるべきだという案が出始めると、国王の周辺も皇太子や閣僚達の周辺もにわかに各々の思惑で動き始める。

国王、側近達、王妃、医師団(王室付きの医師に加えて精神科専門という事で田舎から呼ばれた医師=ウィリス)、政治家達(ウィリアム・ピットを中心とする与党/チャールズ・フォックスの野党)皇太子一派、と立場と力関係を変えようとする駆け引きがおもしろい。乱心してしまった国王を前に、正直な心と狡い心が交錯する

回りのドタバタをもりあげるのは、なんといっても国王の狂いっぷりだ。映画でのナイジェル・ホーソーンが素晴らしかったので、再演の役者は不利か、、、とおもいきや、どうしてDavid Haig氏のジョージ3世は素晴らしかった。国王ともあろうものが、惨めにもボロボロに取り乱し、正気を無くしてつぶやき続けたり、次の瞬間にはわめき続けたり、子供のように小さくなったり威張り散らしたり、、、と狂い方のメリハリが凄い。声のトーンや間が絶妙だ!!

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コメディーなので、ウィットに富んだ台詞はアラン・ベネット氏の脚本のすばらしさだ。無駄が無い。それでいてそれぞれの立場がはっきり解る。セットは空間をしきる回廊に見立てた絵画のフレームの羅列のみ。木枠のフレームだけで中に絵がないところが巧い。縦横に並んだ絵が実際にあると、色がごちゃごちゃしてしまう。大きさや形の違うフレームだけを並べる事で、部屋の壁、廊下の空間を作っている。フレームの中がふさがれていないので、向こう側の様子も観客の目に入る。

David Haigの国王はとても愛嬌があって、狂ってしまった様子をみるにつけ、哀れに思えてならない。王妃付の侍女に突然言いよったり、引き離された王妃を子供のように恋しがったりする部分と、元気で茶目っ気のある国王として官僚達や側近達をさばいていくテンポの良さが対称的で巧い。後でチェックしてみたら、大手紙のレビューはどれも4〜5つ星だ

ちなみに映画版は舞台と同じ脚本=アラン・ベネット、主演=ナイジェル・ホーソーンで、王妃役はヘレン・ミラン。彼女の王妃も良かったなあ〜〜!ケバケバの皇太子にルパート・エヴェレット、国王を慕って看病する側近のグリーヴェルにルバート・グレイヴス。実はこのグリーヴェルという人が発病した国王の様子を細かく日記に書いていたそうで、彼の記述のおかげで今では国王の病気は急性間欠性ポルフィリン症にほぼ間違いないとみなされている。ちなみに調べてみたら映画の日本タイトルは「英国万歳!」だとか・・・、、なんで、、、?

結局皇太子を摂政に任命するという段階の最期の直前になって、(下院を通過し、上院での決定に持って行く寸前)国王の病状は回復し、元の鞘に収まる事になる。国王は国家元首に、ピットは首相のまま、皇太子も皇太子のままイングランドは続いていくのだ。実際には国王の病気はその後も再発症し、1800年代に入ってからは悪化の一途で、最期の10年間は皇太子が摂政となる。1820年に亡くなると当時の最長在位記録を作った

ジョージ3世は私が最近読んだ2人の18世紀の人が会っている。(しつこいね、私も)スウェーデンのフェルセン伯は18歳の時、カサノヴァは35歳の時にジョージ3世と謁見し、面白い事に2人とも共通した事を書き残している。それは「国王はとても小さな声で話す」のだそう・・・・



幸せに、、なろう!


なんだかすっかりブログが週1ペースになってきた、、、本当はもっと書きたい事もあるのだけれど、いかんせん独りでMacに向かう時間がこのところあまりないので・・・もう少し、もう少し我慢して新しいペースになるまで・・・

今月は芝居を我慢する、、という事で、ネットで映画でも観る。
新しい「Jane Eyre」なんと先週の金曜日に劇場公開になったばかりの作品がもうネットで観られるというのがすごい!

実 はつい先週、テレビのオン・ディマンド(無料/有料で以前に放映された番組や映画をテレビで観る事ができる)で5年程前にBBCが制作したドラマの Jane Eyreを観たばかりだった。

_SL500_AA300_こちらは4話もののミニシリーズという事で、こういうシリアスなBBCのドラマは本当に質が高い。このシリーズでロチェス ターを演じたToby StephensはとってもニヒルでSexyなのだった・・・・彼は素晴らしい役者ですよ、、、陰のあるちょっと偏屈な感じで登場するこのロチェスター役をすごく深く演じてる。どうしてこういう男になったのか、その過去から今までの間の人生がジェインと出会った事でどう変わっていくのか、「人」としてのロチェスターを驚く程巧く演じている。演技力っていうより、、演じる」という高い技術を持った役者さんなんだよね。私好きだわ、この人〜〜

実は私はこの作品は本で読 んだ事は無い。正当文学作品というのはなんだかあまり読まないなあ〜。それと私にはどうしても女性作家の作品がいまひとつピンとこなくて、小説の類は女性の 書いた物はあまり読まない。イギリスで本屋さんに行くと女性作家の本の多さに驚かされる。日本の比じゃないね。

「ジェイン・エアー」が刊行された当初、それまでの女性の社会的な位置づけを覆す程のインパクトがあったというのは知っていた。初めこそ、その畏れを知ら ぬ主張を通す女主人公を野蛮礼儀知らず、と批判する声も多かったものの、やがてこの作品は当時の女性達の必読書となり、これを読むのがレディーのたしな み、とされるまでになったという。

それまでの上流社会のお嬢さん達といえば、親に逆らう、自分の意見を主張する、神を畏れない、男性と対等に並ぶ、女性から愛の告白/求婚をする、、等という事はしないのが当然、そんな事をする娘は本人のみならず一族すべての名誉を傷つけるものと見なされた。18世紀ヨーロッパの女性達は、誰と結婚するか、もしくは誰の愛人になるかで幸せの価値が決まったのだ。

丁度今読んでいる(もう1年も読んでる、、)カサノヴァの自叙伝には、後から後からカサノヴァのMistress=愛人が出てくるのだが、これは決して許されない/不倫という形のものではない。そもそもカサノヴァは生涯正式な結婚はしていなかったのだから。愛人になった女性は家の女主人として扱い、召使い達にもそうさせる。ちゃんと月決めで生活手当を支払い、ドレスやアクセサリー等も外で恥をかかないような物をあつらえる。毎夜ベッドで愛の証を与えるのはもちろんの事、場合によっては彼女の家族の面倒もみる。貧しさの為に殆ど身売りのような形でカサノヴァに差し出された娘達もいれば、いいとこのお嬢さんでカサノヴァが教育の面倒もみてあげた人もいる。

ただ、みんなどの女性達も、誰かしら夫なりマスターなりに付いていないとやっていけない、という社会だったのが解る。恋愛サイクルの短いカサノバは長くもってもせいぜい2年、短い関係は2ー3週間という恋愛を繰り返すのだが、その別れ際もちゃんと心得ているのだ。そろそろ、、と飽きてしまった愛人はポイと放り出すのではなく、ちゃんと自分の後釜を用意し、彼女達は次のマスターに引き継がれていくのだ。どの女性も別れを嘆きはするものの、「そういうものだ」と心得ているふしがあり、新しい愛人契約に移行していく。当時の上流社会では愛人経歴がまさにセレブ級のご婦人も多かった。このカサノヴァの時代は18世紀のまっただ中。

その後、19世紀に入って書かれたのがジェイン・オースティンのPride and Prejudice (高慢と偏見)で、これはイギリスのジェントリー階級(貴族ではないが、広大な土地を所有する地主のような資産家階級)の娘5人の嫁ぎ先探しの話。良い結婚こそが女の幸せ、その為には良いお婿さんを見つけなくては、、という事で躍起になるお母さんや娘達。この段階でもまだ良い結婚というのが、ある程度つりあいの取れた家柄と財産のある、できればもうちょっと良い所とのご縁という事になっている。ただ、18世紀からちょっと進んでいるのが、娘達にも男を観察する力があるんですよ、という事

家柄や財産だけでなく人柄も見なくちゃね、という事で5人の娘達も各々違った角度で結婚/男性を見ている。良いお話なら何でも良いから、、というお母さんのちょっと愚かな愛情も笑える。ここでは次女の目を通して初めの印象=冷たくで高慢で嫌な奴が、だんだん本当はちょっと不器用でお愛想を言えない誠実で愛情深い男だと理解していく過程と、それを受け入れて愛するようになる気持ちの変化が綴られる

そして19世紀半ばに書かれたのがシャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」だ。孤児で叔母にひきとられたジェインは自分の正義を貫く強さを持ち、正しく無いものに真っ向からそう言う事ができる勇気を持った少女だ。子供の頃からのそうした彼女の主張は大人達には時として生意気で、傲慢で、手に負えない偏屈と見なされた。それでも自分を信じる心を持ち続けて、彼女は自分で仕事を見つけ、雇い主である貴族のロチェスターと対等な友人になろうとする。それがお互いに愛情となり、身分も環境も気にせずに結婚という話になったまでは良いけれど、実は彼には気がふれた法律上の妻がいた事を知って打ちのめされる

事実上は妻とは言えない結婚をしていた事をジェインに打ち明けたロチェスターは、法的な結婚はできなくても一緒にいたい、=愛人になって欲しいと愛情込めて訴えるが、彼女はこれを受け入れる変わりに身を切られる思いで館を出る。男の庇護に入るよりも、荒野をさまよって自分の道を探す

このJane Eyreが当時の女性達の間で「生き方のお手本」にまでなったのは、孤児で叔母宅で虐げられて育ったジェインが、それでもきちんと教育を受けたが為に自分の仕事を見つけ、自分一人の足で生きる道を探して行くという女性自立社会の中で新しかったからに他ならない。家も財産も親戚もなくたって、夫や愛人がいなくたって生きて行ける、、、今ではもう当たり前の事が、この当時には初めて世に響いた叫びだったのだ。最期にはジェインはロチェスターと結ばれる。妻の狂行で館が火事になり、妻は彼の目の前で塔から飛び降りてしまったのだ。火事で視力と片腕を失ったロチェスターにジェインは静かに寄り添う事を誓う

自分で選んだものだけが幸せとは限らない。与えられただけのものでも、偶然降って沸いたものでも自分にとって幸せだと思えるものはあるはずだ。大切なのは、それを自分が「幸せだ」と思うかどうかという事。そう思える心があれば、それが何であれ自分から幸せになる事ができる。でも幸せを感じられる心がない人には、どんなにあれこれ与えても無意味なのだ。ましてや「あなたを幸せにします」って・・・おカド違いもいいとこ! 幸せはなるもので、してもらうものじゃないのよね

カサノヴァの愛人達、、、ヨーロッパ中を旅したカサノヴァは、何年も経ってからヨーロッパのあちこちで昔の女性達と再会するけれど、恨みつらみを言う人は、、、ほとんどいないみたいだね


禁断症状の緩和法、、、


う〜〜〜、、、11月にPassion を観てからちょっと芝居離れ。いや、離れてるわけじゃなくて、劇場に行く余裕が無いのよ!!観たいものもあるんだけど、1ー2月はとにかく£600位必要なので我慢するしか無い・・・そろそろ禁断症状、、、それでもDVDやテレビは観ていたけれど、これ!!というものには出くわしてないなあ〜〜

DVDレンタルで「カイジ」を観た。私は娯楽映画というのはあまり観ない。でもエンターテイメントだから、一時楽しむという意味では安く、あるいは無料で観られるなら参加する。元が人気漫画という事で、本当はもっと生き残りゲームが次々に出て来るのだろう。1本の映画に詰め込むにはもったいないかも。

それにしてもこの映画のキャスティングは結構渋いわ。そこかしこに個性が光ってる人達が多くて面白い。香川照之さん、光石研さんはいいなあ!巧いよ、上手いよ、、さすがだなあ、と思わずにいられない。自分が創った役をちゃんと表現できる役者って、以外と少ないもの、プロだなあ、、と頭が下がる。

天海祐希さんは、私はなんといってもオーラのある女優さんだと思っている。これは訓練ではつかめない。元宝塚のスターだから、なのではなく、このオーラを持っていたから宝塚でスターになれたのだ。文芸作品向きではないかもしれないけれど、カメラのフレームの中で光が出る。(反射板当ててるのかしら、、?)あと彼女の声が好きだ。舞台でも通る声が、高低、強弱のメリハリがきいていて、滑舌が冴える。これは技術だ。だから台詞がはっきりと耳に入って来る、これは気持ちが良い。娯楽作品だからこそ、こういう耳に気持ち良い音が楽しめるんだよね。

主演の藤原竜也くんは、最近なんだか声に力が無い、、、身毒丸の復活を観た時は舞台でそれほどには思わなかったけれど、最近の彼はドラマでも声が掠れて苦しそうに聞こえる事が多い。去年の「ムサシ」も、友人は「精鋭を欠いてたね、風邪でもひいてたんじゃない?」と話していたくらい。声量が、声の高低がコントロールできない声・・・これは聞いていてとても苦しい。(実はしゃべっている役者本人が一番苦しい、、?)風邪をひいたり、喉を痛めて声が無くなった時の芝居程、自分でコントロールできないものはない。だた、風邪は1週間で治るけれど・・・・「おじいちゃんは25歳」ではそれがむしろ爺臭さになっていて、昭和の職人っぽい空気にうまく乗せていたけれど、それでも時々気になった。声で自在に演技ができないのは致命的だ、これからどうなっていくんだろう、、、??とても楽しみにしている役者なのだけれど、、

面白かったのは「Amelieずっと観たいと思っていて、やっとDVDの順番が来た、というカンジ。これも波長が合うフランス映画のひとつ。ちなみにやっぱりDVDで「リプリー=The talented Mr Ripley」も観たけれど、これも昔のフランス版、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」のほうが叙情的なサスペンスに仕上がっていた。久しぶりに観たくなったなあ、アランドロン、、、「冒険者たち」とかすごく好きだった。

だからというでもなく、木曜からパリ! 今回は2泊だけなので駆け足だけど、パリで両親と合流できるというもの最期の機会だろうし・・・今までパリといえばいつも一人だったけど、今回は彼も一緒。いつものようにはいかない、、、か、、?? お天気さえ良ければ多少寒くても良いよ。今回はオペラ座を観に行こう!

ドキュメンタリー?プロパガンダ?=「ザ コーヴ」

最近はめっきりテレビを観る事も少なくなった。こちらのテレビで面白いドラマに巡り会える事はとても少ない。まず、日本のテレビ番組のように、時間枠で決まっていないからだ。いつ放映なのかを把握するのが難しくて、気付いたら見逃してしまったといった具合・・・

だからもっぱらDiscoveryとかNational Geographicとか、History Channnelを観る事が多くなってしまう。あ、あとFood Channnelもね。「事実は小説よりも奇なり」というのは本当で、犯罪の検証とか飛行機事故の原因解明とかといった番組が面白い

ただ、そのドキュメンタリーと呼ばれる番組の信憑性はどう判断すれば良いのだろうか、、?知らなかった事を知るというのは楽しいしエキサイティングだ。でも知らなかった事がどこまで正しく真実なのかは、元々知らなかった側としては知る由もない

何故こんな事を考えたかというと、先日テレビ放映された「The Cove」を観たからだ。The cove=入り江において秘密裏にイルカの大量殺戮が行われているという日本の小さな町を取り上げた去年のアカデミー賞受賞作だ。日本ではアカデミー授賞式のテレビ中継からドキュメンタリー部門がカットされ、インタビューされた科学者は「聞いていた趣旨と違う」と出演シーンのカットを要求し、何度が予定された映画公開は次々と延期/キャンセルになり、ようやく今月から順次に公開されはじめているらしい。(それでも全国一斉ロードショー!とはほど遠いとか)

この映画の内容の賛否両論を言い始めたらきりがない。こっちの普通とあっちの普通の違いは簡単には埋まらないからだ。年間に2万3千頭ものイルカが太地で殺されている、、、彼等がスパイ大作戦よろしく撮影したものだから、これは事実なのだろう。そしてその事をほとんどの日本人が知らないというのも事実。ただこの映画、そこから先が無いのだ。

のっけから「これがバレたら俺たちはマジで殺される」と言いながら大きなマスクと帽子で顔を隠して車で移動している極秘撮影隊。映画の作りが「秘密暴き」に傾いていて、深い問いかけが見えて来ない。「可愛い可愛いイルカ達をこんなに残酷に殺している」という事をやたら同情的に見せている。水銀の含有量の多いイルカ肉を食品として売っている、というのを水俣病と合わせて紹介しているけれど、同じ水銀でもイルカ肉と工場廃棄物ではなんだか比較するのがちぐはぐだ。

この事実をどこにどうぶつけて、どう対処しろと言いたいのかがはっきりしない映画で、正直期待していたよりも映画としても面白く無かった。「日本政府はこの事実を隠蔽している、日本国民も騙されている」と言いたいのか、だとしたら誰にそれを言いたいのか?日本の人に事実を知って欲しいというなら、日本で上映がされないような映画じゃ意味が無い。それとも世界で公開して話題にする事で、捕鯨業と合わせて「日本叩き」のプロパガンダにしたかったのか、、、?

そして日本側の対応もはっきりしない。真正面から映画を見せて、「これは違う!」と討論する構えがない。フタをして公開を先延ばし/限定にすればいいというわけじゃない。警察ぐるみで撮影隊を追い出そうとするシーンがサスペンスタッチで描かれていたけれど、太地町/日本側として理にかなう言い分があるならきちんと映画に対して抗議するべきだ。「臭い物にはフタをする」という日本御得意の逃げなのか・・・?

「こんなに残酷な事をして、その事実を隠蔽しているなんて酷すぎる、、可愛いイルカ達が可哀想、、、、」と涙して、胸を痛める人もいるのだろう。でも私はそれすらも感じなかった。確かに現実にカメラに収められた映像は衝撃的で一瞬言葉を無くす。でも次に思ったのは、映画制作側/日本側両方に対しての「だから、、何?」だった。いったいどうしろって言いたいの?

イルカを殺すのを止めろと言われたら、日本側(というよりこの場合は太地町のみなんだけどね、他の日本人は知らないんだから)は何故イルカを殺さなければならないのかを、きちんと納得出来るように説明できなければいけない。できないなら、殺さなくて良い方法を提示して理解を求めるべきだ。本当に人体に害が出る程の水銀入りの肉が市場に出回っているのか、消費者団体は徹底的に調査して、この映画の裏付けを取るべきだ。もしそれが誇張ならばきちんと反論して映画を訴えればいい

「なんだかここから何処へも向かって行かないような作りの映画だなあ〜」というのが正直な感想。これがアカデミーだけでなくいろんな映画祭で賞を獲ったというのもなんだか腑に落ちない。他にドキュメンタリー映画は創られなかったのか、、? 

しっくりしない映画。日本公開での反応はいかかでしょう??

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