見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

カテゴリ: ロンドン演劇事情


2015年の芝居初めはコメディー。まさにドタバタの連続で、抱腹絶倒間違い無しのお墨付きだったので、一年の始めに良いかと思って行って来た。「笑う門には福来たる」って言うものね。タイトルはズバリ「The Play that goes wrong」、これですべてを物語っている
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舞台裏ものコメディーといえば、80年代にブロードウェイ、ロンドンで大ヒットした「Noises Off」という芝居があった。舞台を上演中の役者、スタッフ達の舞台裏でのドタバタもので、これもまさに大笑いの連続だったのを覚えている。今回は舞台裏ではなく、上演中の舞台そのものの中ですべて、まさに全てが巧く行かないというコメディーだ

開演前から舞台では(舞台上の公演の)開演準備が行われている。スタッフがセットの最終調整をしているのだが、ドアの立て付けがどうも悪かったり棚がしっかり支えられていなかったりする。舞台上の演目は「Murder At Haversham Manor」(ハヴァーシャム邸殺人事件)。ハヴァーシャム卿と婚約者、彼の兄と彼女の兄、屋敷の召使い達と刑事による「誰がハヴァーシャム卿を殺したか」の解明をしようとする、アガサ•クリスティー風の殺人ミステリー劇という設定だ。

ところがこの舞台、あるはずの小道具がなかったり、ドアが開かなかったり、きっかけで役者が出てこなかったり、はては思い切り開けたドアに頭を打たれて女優が失神してしまう、、、、台詞を間違えたために芝居が数ページ戻ってしまって何度も同じシーンを繰り返す、セットが次々と壊れはじめ、音響のテープからは効果音の代わりにデュランデュランの音楽が流れてしまう。まさに、舞台上のアクシデントを役者達がどう乗り切るか、、、という役者にとっては悪夢のような喜劇だ。

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プログラムにはまず「Murder at Haversham manor」の配役とスタッフが記載されている。刑事役の役者が演出やデザイン、メイク、制作、広告からヴォイスコーチまでほぼすべての企画を受け持っており、それぞれの役者達のインタビューも載っている。ここまではすべて舞台上で上演されている(とされる)芝居のプログラムだ。そしてさらに、その舞台上の役者を演じている本当の役者達のプロフィールが後に続く。役を演じている役者を演じている役者達だ。役者達が2重に芝居をしていなければならないというこの喜劇の本質がここにある

混乱する前に本来に戻ると、この「The play that goes wrong」を上演しているのは有名な演劇養成機関、LAMDA(The London Academy of Music and Dramatic Art)の出身者である役者達が集まって作ったMischief Theatreという劇団で、主に即興劇のコメディーを上演している集団だ。本格的なウエストエンド劇場での公演はこれが初めてだけれど、エジンバラフェスティバルやツアー等での実績は絶賛されている

舞台上のアクシデントに役者がどう対処するか、、これは一発勝負の舞台だからこその予測のつかない事で、これが起こってしまった時に役者達の即興の対応力が試される。役者としては起こって欲しくない最悪の事態なのだ

私も昔、おかしな経験をした。
うちの劇団にはめずらしく、外からのお誘いで提携して子供向けの創作ミュージカルをやった時だ。演目は「孫悟空」と「かぐや姫」の2本立てで、最初は京都での上演だった。京都駅から劇場へ直行し、楽屋にスーツケースを置いたままリハーサル開始。大道具の立て込みから照明機材の設置に始まり、芝居の場当たりに入ったのは夜になってからだった。そして夜の1時も過ぎてから、ダンスの場当たり中に役者の一人がなんと骨折してしまい、ホテルにもいかないうちに彼は真夜中に救急車で病院へ。翌日朝から、彼の役の台詞を他の役者に振り替えて、彼の抜けたシーンを全てまた創り直す事に。(アンダースタディーはいなかったので、抜けた分を振り分けて埋めるしか無かった)

本番までは1日しかなかったので、この日は全員真っ青になりながら、最終確認に追われた。なんといっても夜中に足がボッキリ折れてしまった仲間を目の前にしたショックが残っている。それでもなんとか幕は開き、公演そのものには影響させずに済んだのだけれど・・・本番中だったらどうなっていた事やら、、、

そしてそれだけではなかったのだ、、、可笑しかったというのは、幕が開いてからの事。まだ20代前半の私はなんとこのとき「かぐや姫」でお婆さんの役だった。夜中に竹が光っているというので村人達が騒ぎだし、おじいさんがおそるおそる鉈で竹を割ってみると、なんと竹のなかには可愛い小さな小さな赤ちゃんが、、、というシーン。

もちろん竹にはちゃんと細工がしてあって、軽く鉈を当てると竹がパックリと割れて中には小道具さんが仕込んだ小さな人形が入っている。「お婆さんは思わず目をそむけ、赤ちゃんの鳴き声でおそるおそる振り返ると光った竹に女の子が、、」という手筈の通りに私が効果音の鳴き声で振り向くと、村人役の仲間達の様子がなんか変、、?

「ハッと驚いて呆然としている」という芝居なのに、何故かみんな肩が小刻みに震えている(笑いをこらえている?)竹をみると、中は空っぽだ。一瞬「小道具さんの仕込みミスだ」と思ってそれでも芝居は止められないので「まあ、赤ちゃん!!」といつもの倍近い声で強調して駆け寄ろうとすると、なんと 首が見事にギロチンのごとく身体から離れた人形が舞台に転がっている、、

駆け寄りながらとっさにかがんで人形を拾い、竹の中から取り上げる芝居を続けたものの、あれはちょっとわざとらしかったよなあ〜〜、、と今になっても笑えるアクシデントだった。子供達はともかく、一緒に観ていた父兄の人たちには解ったかも。一瞬の出来事でサッと拾い上げたつもりだけれど、客席のすべての角度から隠れたとは思えないからねえ〜〜。

生の舞台ならではのアクシデントと共に芝居を続ける役者というのはいつでも即興に対応できないといけないんだよね、本当に。

久しぶりに全編笑いっぱなしの全開コメディーだった。良い年明けになりましたよ





そしてまたここにいるのだった、、
ホント、「12時間の魔法」は不思議なもので、いくらこっちで気になる事があっても日本に着いて1−2日経つとイギリスでの事なんか全く考えなくなるし、どんなに「かえりたくな〜〜い!!」と心で泣き叫びながら日本を後にしてもヒースローから家に帰ると、日本での2週間が夢のように感じる。この不思議な感覚
仕事に戻るとさすがに時差ぼけも相まって、連日夕食後はソファーでうたた寝してしまっていた。変な時間に寝ちゃうと余計につらいのは解ってるんだけど、体が言う事を聞かない状態
そして眠い体にむち打って行ってきたのがこの芝居。
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タイトルは「チャールズ3世」。でもイギリスの歴史にチャールズ3世はまだ存在しない。これは現皇太子チャールズが次期国王になったら、、、という仮想のお話。リアリティーの無い無意味なコメディーだったら興味ないな、と思ったのだけれど、レビューがかなり良かったので息抜きのつもりで取ったチケットだった。「面白く無かったら寝ちゃうだろうな〜〜」と思いつつ・・・

現エリザベス女王が崩御した、という所から舞台は始まる、王室家族達が寺院でろうそくを手にその死を悼んでいる。通常、王室メンバーが亡くなると、家族達は棺の周りを守るように立って回るのだが、演出では棺は置いていなかった。その辺りはやっぱり考慮したのだろう。

お決まりの人たちが登場する。チャールズ皇太子=新国王、カミラ夫人、ウィリアム&ハリー王子、ウィリアム夫人のケイト(正式にはキャサリン=ケンブリッジ公夫人) そして架空の首相と野党党首。フィリップ殿下は女王より先に既に亡くなっている。さらに亡霊のダイアナ元妃まで、王室メンバー勢揃いだ。これが皆さんなかなか特徴を捉えていて、顔は別だけど仕草や話し方がよく似ている。

今まで70年近くにわたったエリザベス女王の時代が終わり、チャールズはどんな国王になるべきか、思案にくれている。彼だけではない、国民のほとんどはエリザベス女王以外の国家元首を知らない世代なのだから、これからがどうなるのかはすべての国民にとっての関心事だ。

時の首相、野党党首、カミラ夫人や息子達とのさまざまな応酬の末、チャールズは今まで国王がほとんど使った事がない政治的な唯一の権限、拒否権を使ってしまう。政府が議会で決めた法案にサインをしないのだ。そして巻き起こる論争。その合間にも、労働階級の=普通の女の子との恋に走ろうとするハリー王子や、政治的意見に加担してチャッチャと仕切ろうとするケイト、亡霊となって徘徊するダイアナ元妃など、単に絵空ごとではなく、一時代が終わって新しい国王になる際の舞台裏を巧みに描いている

別に今の王室メンバーでなくても通用する構成で、シェイクスピアが未来に生きていたらこの時の話を舞台劇にしたかもしれない。ただ、私たちにとってはなじみ深いメンバーによるいかにもありそうな話、という事でこれが喜劇性を増している。 はじめは途方に暮れてちょっと優柔不断、そして国王としての権威を主張してみるののの、最後には世代の流れに隅に押しやられてしまうちょっと可哀想なチャールズ3世のお話だ。

実際にこうなるとは思えないけれど、一つの歴史劇として十分成り立つ脚本で、親しみ易い登場人物も相まって人気が出たのだろう、場内は満席だった。これも今の英王室が国民から慕われているひとつの証だ。

この芝居を実際の王室メンバーがお忍びで観に来たら面白いだろうな〜とは思うけれど、やっぱりそれはあり得ないだろうね・・・・2幕の途中でちょっとウトウトしかけたけれど、面白かったよ!


ゲイの人たちの話は、普通のようで、やっぱり男女とはちょっと違うようで、でも現実味があって、デリケートだったりする
今回観てきた「My night with Reg」は、学生時代からの親友仲間の6人の男達、とはいってもゲイのお友達の話。

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3幕とも場所は同じ、時代設定は80年代後半頃か、、、ちょうどゲイ社会の間でエイズの恐怖が広がっていた時代だ。30代半ばでアパートを購入したガイが、久しぶりに昔の仲間を新居祝いに呼ぶ。学生時代の仲間達はそれぞれにたまに会ったり出くわしたりしてはいたものの、集まるのは12年ぶりだという事が会話で解る。

最初にガイのアパートにやってきたのはジョン。ガイはハンサムというタイプではないけれど、面倒見が良くて誠実な人柄なため、独り身ではあるものの、皆から姉のように(?)信頼されている。きれい好きで、性行為でも必ず用心を忘れない。台詞の中にエイズという言葉は出てこないけれど、ゲイとエイズの関係が社会問題になっていた時代背景が解る。恋人がいない事をからかわれながらも、実はガイは学生時代からずっとジョンに思いを寄せているのだった。でも彼の心が自分を振り向く事はないと知っているガイは、親友としてジョンの近くにいる事を選んだのだ。

ガイのアパートでテラスのペンキ塗りをしていた超ハンサムなエリックももちろんゲイ、その容貌に目を止めたジョンとの視線のかわし方で、お互いに「気に入った」のが一目瞭然。とにかくゲイの人たちは遠慮なく舌なめずりするような視線を気に入った男に向ける。
次にやってきたのはダニエル、彼は仲間のレジと恋人関係でもう長く一緒にいる。ひとしきりお互いの近況話が弾むが、ダニエルが帰っていくと、ジョンはガイに、実はレジと先日会って、一夜をともにしてしまった事を告白する。一方ガイはホリデーに行った先で無理矢理いやな男に乱暴されてしまった事を話す。なんの用心もなしに無理矢理された事でガイは深く傷ついている。密かに愛しているジョンからレジへの思いを打ち明けられて、ガイは親友として精一杯ジョンを抱きしめてやるのだった。

2幕はやはりガイのアパート、お葬式の後だと観て解る服装。レジが死んだのだ。2幕には1幕では登場しなかった仲間、バーニーとベニーもいる。この二人も長年のパートナーだが、荒っぽい性格のベニーに我慢強い奥さんのように寄り添うバーニーという、また違ったカップルの形を描いている。バーニーはガイにベニーに内緒でレジと関係を持った事を告白する。また、エリックはガイがジョンの事を愛しているのを見抜いて、「彼に本当の気持ちを打ち明けるべきだ」と肩を押すが、タイミングを失ってガイは言い出せない。そしてどうやらその場に登場せずに死んだレジという男は他にもあちこちで見境無く関係を持っていたらしい。エイズで死んだのは会話で解るのだが、どこから回ってきたのやら・・・・

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3幕目もガイのアパートだが、住んでいるのはジョンとエリックだ。ガイのお葬式の後。エイズで死んだと思われるガイは、最初に告白していた例のホリデーでのレイプで感染していたのだろうか、、、彼は死ぬ直前になって初めてジョンに長年の自分の思いを告白し、自分のアパートをジョンに残したのだ。(ちなみに3幕の前半はエリックとジョンは全裸で演じているのだけれど、もう本当に奇麗な体!!前向き写真はさすがに載せられないのが残念だわ、、、)そして会話を聞く私たち(観客)には、エリックも昔レジと関係を持った事があるのだと解る

またしても仲間を失った悲しみの中で、ダニエルはジョンに長年の疑問を問いただす、「レジと、関係があったんじゃないか、、、?」ダニエルにはずっと言えずにレジへの愛を隠してきたジョンだが、、迷った様子の末に言う「そんな事ある訳無いじゃないか!」

誰かを愛する気持ち、誰かの思いに答えられない現実、振り向いてもらえない一方通行の愛、パートナーに誠実であるという事、ちょっと目を盗んでアヴァンチュール、親友仲間としての友情、、そんなゲイにも男女にもどこにでもあるような恋の感情が、なぜか超ハンサムな男達で演じられるととても純粋に見えてくるから不思議だ。

この作者、Kevin Elyot氏は実は今年の5月に亡くなった。この芝居が初演されたときにはエイズが大問題になっていたし、実際私の同僚も、何人も仲間をエイズで亡くしてはその度にお葬式に行っていた・・・自分も検査を受けて、その恐怖に怯えていたっけ。それでもゲイの人たちは結構複数と関係する人が多い。堅実なカップルもいるけれど、派手な人たちのほうが目立っていた。

会話劇というのは、芝居の中で劇的な事が起こる訳じゃない。彼らの台詞の端々から状況が説明され、過去の出来事の話でそれぞれのキャラクターを埋めていく。この芝居はコメディーだ。初演時にはいろんな演劇賞を受賞している。台詞はウィットで、ユーモアがあり、「同性愛」という事での違和感や粘っこさは感じさせない。オープンで、皆が抱き合ってキスし合う男達の友情とその秘密が、コメディータッチで描かれていく。

ガイから寝耳に水の告白を受けてアパートをもらったジョンは、今はエリックと一緒にいるけれど、この二人もこれからどこへいくのか、、、??ちょっと切ない友情・恋愛劇だった。これって、日本では上演、、、されないだろうなあ〜〜、、??


さて、書こうと思っていたらなんと!錦織選手がUSオープンの準決勝でジョコヴィッチを下し、日本人・アジア人初のグランドスラム決勝進出を果たした
これは凄い!本当に素晴らしい快挙だ。準決勝進出でも素晴らしい健闘、それでも「やっぱりジョコヴィッチが勝つんだろうな、せめていいテニスをして欲しい、世界NO1を相手にどこまでやれるか?」と思っていたら、本当に勝ってしまうとは・・・さらに、決勝相手は、これまた14シードながら第2シードのフェデラーを破ったチリッチ選手。両選手にとって大きな試合になる。決勝がどうなるのか楽しみだ!!

さて、7−8月は芝居を観ていなかった、、、久しぶりの舞台は「リチャード3世
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シェイクスピア劇はイギリスでは本当に様々な解釈、設定で上演される。舞台もオーソドックスな中世から現代まで、演じる役者も幅広い年齢で再現される事も多い。
私はどちらかというと現代っぽいシェイクスピアより、古典的な演出のほうが好きなのだけれど、それだけ彼の本は時代背景にかかわらず練り直しが可能な戯曲なのだ

今回の演出はJamie Lloyd氏。彼の演出作品は私の中では好き嫌いが分かれるので、今回はどんなもんか、、、と思っていたら、設定は70年代末の英国を反映させている。感心したのは、「知らない観客にも解らせる」という作りだ。リチャード3世の事を歴史的に知らなくても、シェイクスピアの芝居を全く観た事がなくても、それでも理解し易いように練ってある。

設定が70年代末というのは、英国人にとって解り易い背景がある。今でも時々譬喩されるのが78-79年の冬の英国の社会状況だ。当時の英国は労働党政権で、失業率は以上に高く、それでいて労働賃金は低すぎ、国民にとって非常に厳しい状況だった。とうとう労働組合が昇給率引き上げを要求して、ほぼすべての公共機関がストライキを行ったのが78-79年の冬の事。この冬はさらに気象もきびしく、大型の吹雪にみまわれて大雪や凍結でさんざんだった為、この年の冬の事を英国では度々「The winter of discontent」と表現される。これは「リチャード3世」の冒頭の台詞をかけたもので、(Now is the winter of our distontent, made glorious summer by this sun of York)今回の作品はこれを政治的背景に重ね合わせた演出だ。

このTrafalgar Studio は小さな舞台で、さらに今回は舞台後方にも観客を入れているため、役者が動ける範囲はとても狭い。その舞台が閣僚の会議室の設定になっている。開演前に舞台のセットをみて、「これは80年代、、?いやもうちょっと前だな」と解るように作られている。対峙した長いデスクの上にはピッポッパではなく、ジリ〜〜ン式の電話。デスクランプやタイプライター、始まる前からこれは80年代前の設定だと観客が解るようにできている。

登場したリチャードは、まだ国王になる前のグロースター公として軍服を着ている。
小柄な体にわずかに盛り上がった左肩。右手は全く動かさない。ひょこひょこと歩くわりにはいやに威厳をふりまいている様子はなんだかヒットラーのようだ。それでいて、Martin Freeman演じるリチャードは無慈悲で狡猾だ。フリーマン氏といえば、最近では映画の「ホビット」やBBCシリーズの「シャーロック」でのワトソンのように、温厚なイメージがあったけれど、シャープで鋭い目をしたリチャードをこれまた鋭い声で演じている

この芝居の中で、リチャードは王位に付くために、兄のジョージ、その2人の息子たちを殺させ、さらには嘘を吹聴して自分の王座に邪魔な者達を次々と排除していく。でも自分では手を下さない狡猾さは、むしろとぼけているような様子で、観ていてかなりコミカルだ。「死んだ」と聞いて素っ頓狂に驚いてみせる表情や、本当は喉から手を出して待っていたのに、いざ王位に付くとなると謙遜してみせたりする演技が冷酷というよりは滑稽なのだ。実際、いろんなシーンで客席からは笑いが起こる。それでいて非情・・・自分の都合のことしか考えていない。現代っ子風なキャラだ。

狭い空間に大きな会議用デスクが2つ置かれているため、演出上の役者の動きはとても緻密だ。本当に動ける場所が少ないのだ。でもそれを有効に使っている。ロイド氏の演出は血しぶきが飛んだり泥だらけになったりする事も多いのだけれど、今回も血しぶきがあがったりして、最前列の人は髪を払ったりしていた。ちなみに後で読んだゲネプロのレビューでは「1−2列目の人は劇場にクリーニング代を請求する必要があるかも」と書かれていたりしたけれど、そこまででは無いようだったので、少し抑えたのかもしれない。

バッキンガム公、リッチモンド公等、皆軍人の設定で、最後のボズワースの戦いは会議室での反乱のような形で銃やナイフでの争いになる。「これでどうやって最後の馬の台詞にもっていくのか、、?」と密かに思っていたら、これがうまい解釈だった

リチャードの最後の台詞は、元々は戦いで馬を無くし、泥の中で不利になったリチャードが「馬を!馬をくれたら王国をやるぞ!」と叫ぶのだが、会議室の中で銃を突きつけられての状況では無理がある

味方がいなくなってしまった中で、真っ向から銃を突きつけられたリチャードは、キョロキョロとあたりを見回し、逃げ場が無い事を見て取ると、「え〜っと、どうやって逃げようか?」という顔をする。誰にともなしに、「うま〜〜、馬もってこ〜い、かわりに王国をやるぞ〜〜」と言ってみるのだが、あえなく銃で撃たれてしまう、という最後だった。この「馬で逃げちゃおっかな」というニュアンスにまたも会場からはクスクス笑いが起こる。

台詞やト書きの行間をどう埋めるか、がシェイクスピアの芝居では無限の可能性がある。人としての心理、恋の激情も、憎しみも嫉妬も野望も悲しみも、それはいつの時代のどんな人にでも共通している。シェイクスピアの芝居が何百年経っても色あせずにいろんな形に姿を変えてよみがえるのは、彼が常に人としての情感の原点を突いているからだ

もしかしたら「私はそんなつもりで書いたんじゃないぞ!」とあの世の彼方で言っているのかもしれないが、だからこそシェイクスピアは英国が誇りにし愛している偉人なのだ





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劇評がすごく良くて、観たいなと思ってはいたのだけれど、金銭的に厳選してちょっと躊躇したのと、観たいと思った時にはチケットが取れなくなっていたのとでパスした芝居が、またまた映画館でのライヴ上映という形で観られる事になった
イプセンの「幽霊=Ghosts」主演のLesley Manvilleの演技が各紙で5つ星評価だったのでこの機会を逃す手はなかった。

イプセンはノルウェーの劇作家。どうしてもロシアとか北欧のちょっと一昔前の劇はイマイチ暗いっていうか、辛気くさいっていうか、私にはあまりピンと来ないので普段はちょっと避けている。もちろん作品として評価されるに値するものが多いのだけれど、どうも「重い」んだよね・・・

この「幽霊」はイプセンの代表作、「人形の家」の続編的な意味合いを持つと言われている。19世紀の女性たちは、まだまだ自由を謳歌したり自分の意見を主張したりという事は疎んじられていた。従順で貞淑な妻、良き母でありさえすれば可愛がってもらえる、という社会から少しずつ女性の自己主張が芽生え始めはしたものの、社会的にまだそれが受け入れられない葛藤に苦しんでいた女性たちがどれほどいたことだろう・・・?

酒癖と女癖が悪い夫をそれでも世間的には見栄え良く取り繕って家を守ってきたアーヴィング夫人。自分が守ってきたと思っていたものが実は虚構であり、最愛の息子にそのしわ寄せがのしかかってしまった現実を目の当たりのした時に彼女が選んだ最後の選択は、息子を苦悩から救ってやるというものだった

自由思想を持ち、自分なりに正しい道を選んできたと思っていた彼女が最後に気づいたのは、自分の言動が自由気ままに生きていた夫を少なからず縛り付け、その反動で夫は酒と女性関係に身を持ち崩し、さらには息子に先天性梅毒を遺伝させてしまうという悲劇を生んでしまったという事だった。父を尊敬し、自分はいつも誠実に生きてきた息子ーオスワルドが、身に覚えのない梅毒に犯されて末期の症状に怯えおののく様は本当に悲劇としか言いようが無い。

重いんだよ〜〜、やっぱりちょっと辛気くさい、でもその重さがやけに現実的で身につまされる思いがする。だから余計に観ているのがつらい。アーヴィング夫人役のLesley Manvilleと息子役のJack Lowdenの演技がピカイチだ。さすがは5スター評だけの事はある。特にスクリーンでは表情がアップで観られるので微妙な心理の演じ分けが際立っている。

19世紀半ばの文学作品で女性が意見を主張したり自分の生き方を見いだしていく、といったテーマは数多い。ジェーン・オースティンやシャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」はその代表作、D.H.ローレンスの作品における女性たちもそうだ。まだまだ社会に縛られていた女性たちが求めた自由思想や自己主張は今の時代でこそ当たり前であっても、当時にあっては大きな社会的変換の要素だったのだ。

私の好きなタイプの芝居ではないのだけれど、演劇作品としてはやはり価値がある。今回の演出はリチャード・エアー氏によるもの。シンプルで無駄が無く、役者の演技力を最大限の武器にした作品になっている。心を鷲掴みにされるような演技はやはり芝居を観る最大の冥利だ。1時間半の芝居なのに、見終わってぐったりしてしまう・・・
演劇」というのはこういうものなのか、、と久しぶりで演劇の原点をみたような気がした




Let+The+Right+One+In+Photocall+MBA8tdoM8ivl

日本に行ったりしていたから、芝居を観たのが久しぶりの感じがする。

「Let The Right One In」。初めはあまり興味をそそられなかったのだけれど、レビューがとにかく良かったので観る事にした。最初にピンと来なかったのは、これがヴァンパイア物だという事だった。もちろん嫌いな訳じゃない。でもヒューマンドラマというよりも、エンタテーメントになりがちな題材なのでスルーしていたのだ。

ヴァンパイアの物語はどんな時代にも、必ず次から次へと映画やドラマが出現する。まだ白黒映画の時代から本当にいくつのヴァンパイア映画が作られたことだろう・・・?!!私も物心ついた頃から、クリストファー・リー氏のドラキュラシリーズは何度となくテレビで観たし、ドラキュラに限らず、80年代にはデヴィッド・ボウイー/カトリーヌ・ドヌーヴ/スーザン・サランドンによるThe Hungerなんて映画もあったし、最近ではTwilightシリーズが人気だ。役者としてはちっとも好きじゃないトム・クルーズを唯一「良い」と思ったのがInterview with the vimpireだった。

何故ヴァンパイアという架空の存在がこんなにも長い間途切れる事なくいろんな形で現れるのか??

この芝居を観てまず「美しい」と思う。暗く、寒々とした北欧の冬、舞台はずっと森の中のセットを維持したまま、必要に応じて最低限のスペースで会話の場が家の中や学校のロッカールームだったりする事を解らせる。森の中での連続殺人に、人々はおそれおののき、必要以外は森には近づかないようにとの警告を受けて夜はひっそりとしている。そんな雪がちらつく森の中で出会った少年と少女。

気弱で大人しいオスカーは友達もなく、学校ではイジメにあっている。ことあるごとにネチネチとオスカーに絡むジョニーとミッキーに対して、学校では刺激しないようにしている彼も、森の中で一人になると木を相手にナイフを振りかざして反撃に出る自分を描いてみるのだ。一人で木を相手に立ち回りしている所を少女に見られていた事に気付いて驚愕するオスカー。少女はエリ、最近引っ越して来たのだという。

おずおずと会話を始める2人。なんとなく噛み合ないようなぎこちなさ。それは少女がちょっと浮世離れしたような感じだからだ。老人のような古めかしい言い回しをしたり、考える事を飛ばして率直に返答する様子は、子供なのか大人なのかわからない。そして空を舞うような身のこなしと、足音さえたてずに飛び回る軽やかさ。それでも何度が森で出会ううちにミステリアスなエリにオスカーは少しずつ打ち解けて行く。

ところが次第に彼女が何者なのかが明らかになって行く。彼女はもう何百年も生きているバンパイアで、一連の殺人事件も彼女によるものだったのだ。友達を作れない2人が、夜の森の中でひととき無邪気にたわむれ、笑い、心を寄り添い合う。そんな2人の様子は本当に美しくて、なによりイノセントだ。でもそれは同時に破滅を呼び込む危険も含んでいる。

人間の男に恋をしてはいけないはずのエリがオスカーと出会い、好きになってしまった・・・「恋をする」というよりは、まさに「好きになってしまった」というのがふさわしい。好きになってしまったので、また会いたくなってしまう。「また私と会えて嬉しい?」とまっすぐにきいてしまう。オスカーの事を知りたくてあれこれ質問してしまう。余計な事は考えずに好きになったオスカーにどんどん近づいてしまうのだ。

彼女は父親と暮らしている。でも観ているとすぐに解る。この父親も昔は若き青年で彼女に恋をしたのだ、と。彼女の為に人の血を用意するのは彼の役目だった。何人も何人も、彼女が自分で人を襲わなくてもいいように、自分の手を汚して血を集めて生きてきたに違いない。そして次第に老いて力弱くなった今、自ら破滅の道を選ぶしか無くなるのだ・・・

彼女の正体を知ったオスカーは驚き、戸惑いながらも彼女を受け入れて行く。一度は別れを覚悟したオスカーだったが、イジメが高じて学校のプールで瀕死の危機に陥った時、風のように現れて彼を救ったエリと一緒に歩んで行こうと決める。日が昇っている間はトランクの中で眠るエリをかかえて、遠い街へと旅を続けるのだ。そして私たちには彼らの未来が解ってしまう。オスカーはあくまでもやがては年を取り、エリの父のようにいつか彼女の恋人ではいられなくなってしまうのだ・・・おそらくこれまでも何人もそんな男達がいた事だろう。オスカーもその運命を受け入れて彼女との旅に出たのだ。

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このスウェーデンの作品は数年前に映画になっていて、かなり高い評価を得たらしい。その舞台版とあって、注目していた人達もいたそうだが、レビューはどれも「美しい」「切ない」「イノセントな愛」と絶賛だ。確かにヴァンパイアの映画というよりも、禁じられた幼い恋という感じだ。まだ大人になっていない少年と少女のままで時が止まった少女の切ない恋が、突然血飛沫をあげて人を襲う残酷なシーンと重なって、胸を突かれるような衝撃を受ける

ヴァンパイア映画が途切れないのは、この「切なさ」所以ではないだろうか。どんなヴァンパイア物語も哀愁に満ちていて、物悲しく、長い長い時の狭間を生き続けて行く苦しさが伝わってくるのだ。人はやがては死ぬ。その日は必ずやってくる。それを恐れながら生きて行くのが人の人生だ。永遠に死なないという事に憧れを持てるのは子供の頃の話であって、普通に大人になった人間なら、それがどんなに苦しい事か理解出来る筈だ。

よくあるヴァンパイアものだと、恋人になった相手もヴァンパイアとなって共に長い時を・・・みたいな設定が多いけれど、この話はオスカーは普通の少年のままだ。つまり、やがて彼はエリの恋人から年の離れた兄という事になり、さらには彼女の父、そして祖父にもならなければならない・・・その前にエリにはまた次のパートナーに行ってしまうかもしれない。永遠の未来はそこには無いのだ

全員の台詞がが何故かスコティッシュのアクセントなので、「これは舞台がスウェーデンだから、北の感じを出すためにスコットランド訛りなのか?」と最初思ったけれど、プログラムを見て納得。この作品は去年最初にスコットランドで制作されたものがロンドンの小劇場で上演され、ウエストエンドに上がってきたものだ。オスカー役の役者はこれがプロとしての初舞台だそうで、プログラムには年齢ものっていない。去年からやってる事を考えても現在17−18かな・・・

映画版を観てみたくなった。ちなみに日本語タイトルは「僕のエリ、200歳の少女」というらしい。外国語映画賞のノミネートになったりしたそうだから評価は高いみたいだし




久しぶりに行って来たHampstead Theatre、演目は2ー3年前にニューヨークでトニー賞を取った(ノミネートも数部門)Good People。アメリカ、ボストンの南部、労働階級でアイルランド系カソリックの人達が多い街が舞台になっている。
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幕が上がるとディスカウントショップ(100円ショップ)の裏口でマーガレット(Imelda Staunton)が必死にマネージャーのスティーヴにいいわけしている。彼女の度重なる遅刻に、とうとう会社の上司から「彼女をクビにしろ」と言われたスティーヴは、自分の亡き母親の友人でもあるマーガレットをクビにしなければならない任務を押し付けられたのだ。マーガレットはシングルマザーで成人した娘は障害を持つ。ヘルパーの女性が時間にルーズなため、何度も仕事の時間に遅れてしまう事になったのだ。どんなに生活が大変か、障害者の娘をもって仕事を失ったらどうなるか、必死にまくしたてるマーガレットだが、聞き入れてはもらえずにクビになってしまう

友人達と話すうちに、学校時代の仲間で、ちょっとだけ(2ヶ月程)つき合った事のあるマイクが今は医者になって羽振りの良い人生を送っているときいたマーガレットは、何か仕事を算段してもらえないものかと彼を訪ねる。久しぶりの再会に懐かしそうに親しく接するマイクだが、マーガレットのほうはとにかく「なんでもいいから仕事のツテが欲しい」という事しかないので、少しずつ2人の会話もぎくしゃくして来るのだった。マイクは週末に誕生日パーティーをするのでだれか友人達の中に仕事のつてを見つけてくれる人がいるかもしれない、とマーガレットを招待するのだが、マーガレットのいかにも「あんたの人生は運が良くてうまくやってるわよね」という態度にかなり不愉快な思いを隠せない。

労働階級の娯楽の定番といえば「Bingo」。ビンゴセンターで友人と女3人でだべりながらビンゴに興じているとスティーヴがやってくる。彼はビンゴが大好きで、おばさん達からすると、「若い男でビンゴが大好きなのはゲイだ」という定義になってしまうのだった。そこにマイクから連絡があり、パーティーは娘の具合が悪いのでキャンセルになったという。マーガレットは咄嗟にキャンセルは嘘で「やっぱり私を呼びたくないんだ」と解釈し、かまわずに当日パーティーに出掛けて行く事にする。

第1幕では労働階級者のいい分や価値観、生活感をとてもリアルに出していて、台詞も現実味があって面白い掛け合いが続く。頑固で自分の思った事をそのまま言葉にするマーガレットは正直でいて辛辣でもあり、やがて人を苛つかせる危険性をはらんだキャラクターだ。でもこれってイギリスでも30年目になるソープオペラ、「Eastenders」にも重なる。ズバズバ言い過ぎるのだ。正直なだけが良いとは限らない=口は災いのもと、だよね。

2幕は高級住宅地にあるマイクの家にやってきたマーガレットが彼の妻、黒人のケイトにケイタリング会社のスタッフに間違えられるというシチュエーションで始まる。パーティーがキャンセルになったというのは本当で、別にマーガレットをうとんでマイクが嘘をついたわけではなかったのだ。とりあえず3人でワインを飲みながら、ケイトの「彼の昔の話をきかせて」と言われるままに10代の頃の彼を暴露しだすマーガレット。ギャング同士の喧嘩で相手を罠にかけてボコボコに叩きのめした事や、果ては自分ともちょっと関係があった事まで・・・エリートでスマートな医者としての彼の事しか知らなかったケイトは少なからず衝撃を受ける
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マーガレットというキャラクターの背景には、運に恵まれずに厳しい人生を歩いて来た労働階級の現実がある。この「階級」というのはイギリスではもっとはっきりとしていて、労働階級に生まれた人間が中流/上流階級に交ざって行く、あるいはなっていくというのは余程の運の良さと自分を変える努力が必要だ。マーガレットが「あんたは医者になる為にサポートしてくれる人がいたから勉強できたのよね」とマイクに言えば「俺は必死で勉強して働いて、今の生活を手に入れたんだ」とマイクが主張するのもうなづける。でも自分はシングマザーで、しかも生まれた娘が障害者で、働いても働いてもギリギリの生活しかできずに、またしても仕事をクビになってしまったマーガレットにしてみれば、ほんの少しのきっかけで人生の方向性が変わってしまった昔の仲間がやっぱりうらやましいしねたましいのだ。

ビンゴ会場で「後一つ、、、」とひたすらBの53を待っていた時にはちょっとの差で番号は呼ばれず、最期のビンゴのシーンでは全く関係ないゲームの時にB53が声高に呼ばれる。人生の分かれ道がどこでどう訪れるのか、という事を考えさせられる。

労働階級出身でももちろん出世して大金持ちになっている人達はいる。自分の出身をなるべく大きな声では言いたがらない人もいれば、逆にそれを売りにして人気を得ている人もいる。ヴァージングループのリチャード・ブランソン氏はその後者だ。お金や成功にかかわらず、労働階級出の匂いを無くしていない。かえって頑張って中流階級になろうとして身なりや話し方を変えてポッシュに振る舞う人はpretentiousといわれて敬遠されるのだ

何かが起こるという芝居ではなく、日常のごく普通の人間の葛藤や忍耐ややりきれなさ、そんなものがにじみ出て来る台詞劇だ。主演のイメルダ・スタウントンがとにかく素晴らしい。タフで頑固で言われたら言い返し、やられたらやり返す雑草のようなマーガレットを小柄な身体一杯でエネルギッシュに演じている。彼女は150センチもあるかどうか、、という位に小柄だ。舞台ではローレンス・オリビエ賞も受賞しているし、映画「Vera Drake」ではアカデミー賞にもノミネートされた実力派だ。ハリー・ポッターでのピンクのフリフリドレスで思い切り残酷なドロレス・アンブリッジが強烈だった。今回の役でも批評家達から絶賛されている

Hampstead Theatreはやはり客席200弱の小さな所だけれど、この芝居のウェストエンド進出が決まったそうだ。私が行った日も満席でリターンチケットに行列ができていた。今年のメジャーな賞の候補になるかも。
現実を突きつけられる芝居は時にちょっと胸が痛くなる。でもそれが人間の心理を描くということなんだよね

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ウェストエンドでの大手ミュージカルも観光客向けにはいいけれど、やっぱりスタジオスタイルの小さな空間でオリジナルのミュージカルが上演されていたりするのが好きだ。今回観て来たのは新しいオリジナルミュージカルでSouthwark Playhouse で上演されているThe AZ of Mrs Pだ。

イギリスに来て、まだ携帯のGPSはおろか、インターネットもGoogle mapも無かった頃、とにかく必需品として重宝していたのがAtoZ= AZ と呼ばれるストリートガイド=地図だ。大判サイズからコンパクトなサイズまで数種類あるこのA to Zにはロンドン中のすべての通りがイラストで書かれていて、これ一冊あればロンドン中どこへでも100%辿り着く事ができる。日本と違ってイギリスの住所は通りと番地で表示される。○○通りの××番地という住所さえわかっていれば、このA to Zのインデックスで通りを探し、(同じ名前の通りでもポストコードで確認できる)最寄りの駅を調べ、およその距離を確かめて所要時間を推測し、目的地に着く事ができるのだ。本当に重宝した
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今でこそ、携帯のGPSに取って代わられようとしているけれど、それでも全国各地の通りを網羅したこの AZが完全に無用の物になってしまうにはまだまだ時間がかかりそうだ。とはいえ、私も常時必需品だったこのストリートガイドがいつ、どんな風にできたのかなんて、何も知らなかった。このThe  AZ of Mrs Pは、このロンドンのA to Zを作り、出版した女性のお話。

彼女の名前はPhyllis Pearsall、ユダヤ系ハンガリー人の父とアイルランドのカソリックの母との間にロンドンで生まれた。父は地図の出版社を経営していたが、やがて会社は倒産してしまい、母と子供達を残してアメリカに渡ってしまう。母の新しい愛人との生活をうとまれたフィリスはパリに留学し、やがてアーティストだった夫と結婚した後はヨーロッパ中を回って生活する。夫との生活に終止符を打ってロンドンに戻ったフィリスは、やがてロンドンの正確、かつ実用的な地図を創るべく歩き始める。毎日16時間を費やしてフィリスは自分の足で3000マイル(5000キロ近く)を歩いてロンドン中の23000もの通りの名前を一覧にし、時間をかけてロンドンのストリートマップをイラストにしていった。できたストリートガイドがあちこちの出版社から発刊を断られると、自分で出版社を設立して大手のニュースエージェント=W.H.Smithに売り込みに行く

ロンドン生活で誰もが家に一冊もっているだろうA-Zができて出版されるまでの話と同時に、フィリスの家族の話も平行して綴られる。特に他宗教同士の結婚だった両親の関係が次第に悪化し、母親がアルコールに溺れて最期には精神病棟に送られてしまう過程は、ビジネスの成功と相反するコントラストで描かれる。この母親役を演じているのはFrances Ruffelle、流石だ・・・・利発でキラキラとしたアーティストだった彼女が長い年月のうちにどんどんアルコールに溺れて崩壊していってしまう様子は強烈なインパクトを残す

本当に小さな空間だ。舞台になっているのはわずかに幅2メートル程と長さ10メートル弱程の長方形の空間しかない。客席をその両側に据えているので、演出もどちら側からでも観られるように工夫されている。それでもミュージカルとして成立している。もちろんバンドだって生だ。大掛かりな舞台ではないし、演出/構成は巧くできているけれど、ちょっと長い感じがしたかな、もうちょっと削ってもよかったかも・・・・ミュージカルなんだけれど、台詞演技の部分は少なくて、圧倒的に歌ナンバーが多かった。これももうちょっとバランス良く取っても良かった気がする。

ウエストエンドに乗るようなタイプの芝居ではないとは思うけれど、こういうこじんまりした、オリジナルなミュージカルをいつもと違う小さなスタジオで楽しめるのがいいんだよね。今回はフランセス目当てで取ったチケットだったので、それは観て損は無かった。
やっぱり彼女のエディット・ピアフが観たいなあ〜〜〜

長年重宝した AZだけれど、やっぱり近年はGoogle mapに取って代わられてしまっている。フィリスはもう亡くなっていて、会社は今でも彼女の経営方針を引き継いでいるけれど、やがてはもっと需要が減っていってしまうのか・・・時代の流れがその存在を忘れてしまう前にこの芝居が創られてよかったね。自分の足で3000マイルを歩いて絶対無二のストリートガイドを創った一女性の存在を、ミュージカルという形で残すなんて素敵な企画だ。ひっそりと、でも足跡を残す芝居に出会った気がする



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新年最初の舞台はJude Law主演の「ヘンリー5世
2012年の12月からのマイケル・グランデージ(Michael Grandage)演出による5作品連続上演の大トリだ。シーズンチケットが売り出されたのは12年の夏だったから、なんと1年半前にチケットを買ったんだ・・・よく無くさないでいたなあ〜〜

シェイクスピアものの歴史劇というのは実はほとんどちゃんと舞台で観た事がなかった。これは前回シネマライブで観た「リチャード2世」もそうだ。実はシェイクスピア劇はほとんどいつでもどこかで上演されてはいるけれど、演出や解釈が本当に千差万別で好き嫌いが出てしまう。現代に置き換えたような衣装や設定でのシェイクスピアも沢山あるけれど、私はやっぱり歴史背景をちゃんと残してのオーソドックスな演出でないと観る気がしない。

そういえば前回ジュード・ロウが演じたシェイクスピアはハムレットで、この演出もGrandage氏だったっけ。彼の演出はとても解り易くて飽きがこない。セットは石垣状の壁を巧く使っている。(あれ?ハムレットも背景が壁だったような・・・?)衣装の色合いも明るい場面と暗い場面の両方で巧く色合いを出している。2役を演じている役者も数人いるので、衣装ですぐに違う人物と解るようにしているかんじ。

「ヘンリー5世」は国内での血みどろの王位争いとはちがって、フランスとの百年戦争の一部が舞台になっている。イングランド愛国心をあおるような勢いがある為、この国が戦争になると登場する事が多いという。ローレンス・オリビエの主演で映画化されたのは世界大戦の末期だったし、80年代のフォークランド紛争直後にケネス・ブラナーのバージョンで再び映画化、イラク戦争の時にも舞台上演されている。

ジュードはハムレットも良かったけれど、役としてはヘンリーのほうが合ってると思う。威張りすぎず、それでいてリーダーとしての風格を持った若き国王。百年戦争の中でも、イングランドが大成功を収めてフランス国王継承権を手にしたアジャンクール(英語読みはアジンコート)の戦い前後が背景になっているので、統率力のある勇ましい姿がとても似合う。台詞の流れがとても自然で、長い演説のようなくだりでも、ちっとも長台詞のように聞こえない。自分の中での感情をシェイクスピアの台詞にぴったり合わせて自然な言葉として語るには、どれだけ一言一言を読み込んで、自分の中に飲み込んでいくのだろう・・・??台詞の違和感が全くなかった

アジャンクールの戦いに出る際の、味方の士気を高めて激励を飛ばす名演説でのヘンリーも頼もしくて素敵だけれど、同時に終盤でフランス王シャルル6世の娘、キャサリン(=カトリーヌ)に求婚する際のヘンリーがまた、とても愛嬌があって笑える。この結婚は両国の和平協定としての政治的なものだというのは一目瞭然なのだけれど、それでもヘンリーのほうはキャサリンを見初めて結婚を申し込む。言葉の通じない彼女に国王の威厳をかなぐり捨てて求婚するヘンリーは、誠実でちょっと女性を口説くのは器用じゃなくて、でも一生懸命に気持ちを伝えようとする

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こんな愛嬌あるヘンリーを演じられるのもジュード・ロウ氏の魅力だね。ちなみにキャサリンをケイトを呼ぶあたり、今のケンブリッジ公(ウィリアム王子)妃と重なるものがあって、笑いを誘っていた。(結婚が決まってからはキャサリンと呼ばれるようになったものの、今でも国民からは昔ながらのケイトという呼び名で親しまれている)

一言でいうなら、国王ヘンリー5世の「イングランドよ、さあ行くぜ!今こそ手を取り合って共に戦い、勝利するのだ!」という激励のもと、それまでの戦いで消耗し弱っていたイングランド軍が、兵の数では約3倍ものフランス軍を見事に打ち破って勝利を収め、フランス王位継承権を認めさせた上、フランス国王の王女を妃として迎えた、というお話。今の時代になっても戦争の度にこの芝居が出て来るというのもうなづける。確かに観ていて気分が良くなってしまうのだ。愛国心がくすぐられる

ケネス・ブラナー氏の映画バーションでの戦い前夜の有名な演説シーンは鳥肌ものだとのレビューがあった。映画のDVDを観てみたくなったな。ジュードのヘンリー(ハリー)は愛嬌があってとても好感が持てる役作りだったけれど、ケネス・ブラナー氏はもう少し太いっていうか、重厚な感じのするヘンリーなんじゃないかな。シェイクスピア劇はどう料理するかでいくらでも面白くなるからやっぱり凄い・・・


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National Theatreが数年前に始めた、舞台の生中継ライブを映画館で上映するというスタイルは、あっという間に大人気になり、今やNTの定番になりつつある。全公演ではないものの、以前よりも数多くの舞台中継が地元の映画館で観られるとあって、英国各地のみならずヨーロッパ各地、アメリカ、カナダ、オーストラリア、、、と500館もの映画館で上映されている。作品によっては、同時生中継だけでなく後日にアンコール上映もされて、普段ロンドンの劇場に足を運べない人達にとって身近に舞台を観る事ができる機会とあって大人気だ。それでも日本のように簡単にDVDになってしまったりあるいはテレビで放映というような事はなく、劇場と同じような観客席の映画館で上映という事で、舞台演劇というものにあくまでも一線を引いているところが伝統というべきか・・・舞台劇は客席で観るもの。お茶の間で観るものではないのだ

今回ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが初めてこのLiveを試みたのが現在ストラトフォードで上演中の「RichardII =リチャード2世」だ。主演はDavid Tennant、この舞台は来年にはロンドンのバービカンでの上演が決まっているけれど実はもう既にチケットは完売している。私もハムレットで絶賛されたテナント氏の舞台は観たかったけれど、「リチャード2世」はシェイクスピアの作品の中ではそれ程「観たい!」という演目ではないもので、どうしようかと思っているうちにチケットを取り損ねた。それにしても本拠地ストラトフォードでの舞台はどれもレビューが4〜5星揃いなので、ライヴ上映があるなら観ようと思って決めた。

映画を観る際、始まる時間から最初の30分はたっぷり予告や宣伝に使われている。余裕でも20分遅れで映画館に行けば充分というのが常識だ。でも今回の場合はどうなのだろう、、?RSCのサイトを見てみると、ストラトフォードでの開演も7:00PMになっている。という事はこの場合7時より早めに行ってないとマズいという事、、 仕事が終って定時に走り出て、地元の映画館に着いたのが6:35だった。映画館内のスタバでちょっとゆっくり珈琲とサンドイッチでも、、と思っていたのに、なんとスタバは長蛇の列 実際この映画館の平日夜にこんなに人がいるのさえ見た事無い!しかも明らかに客層が今日は違うって・・・コーヒーを持って館内に入ると(この映画館は15スクリーンあって、ロードショウものは大きめのシネマを使う)もう既に8割方満席こんなの見た事ないよ〜〜・・・

センターブロックの通路脇の席に着く。劇場の椅子より広くて座り心地が良い。頭を持たれかけることができるし、前の人の頭も視界に入らない。コーヒーを置くカップスタンドもあるし、足元だって快適に伸ばせる これはウェストエンドの劇場よりもずっと快適 これでチケット代は舞台の4分の1だし。 

7時になるとストラトフォードから中継がスタート。開演前の客席のざわめきの中、プレゼンターが芝居の背景や俳優達のコメント、稽古風景等を紹介していく。劇場でプログラムを買う代わりといった感じ。15分程過ぎて幕が開いた。「リチャード2世」はシェイクスピアの作品の中では地味なほうだ。歴史劇物に分類されているけれど、悲劇ものや喜劇ものと比べると上演される回数もずっと少ない。実は私もテレビで放映されたドラマ版や昔の映画版はちょっと見た事あったけれど、舞台では初めてだ。

あまり政治的才覚に優れているとはいえなかったリチャードが、民衆から反乱を起こされたりさらには宮廷内でも次第にうとまれてしまって、だんだん味方がいなくなっていく。亡くなった叔父の財産を没収した軍資金でアイルランド遠征に行っている間に、追放した従弟のヘンリー・ボリングブロークが密かにイングランドに戻ってきて着々と味方を集めて反リチャード体勢を固めると、やがてリチャードはその王座を空け渡さざるを得なくなる

戦いで負けるという形ではなく、次第に力を失くしていってかつての取り巻き達に去られ、従弟に王冠を譲るハメになったリチャードの没落の様子を描いているのだけれど、この国王としての才能に恵まれなかったリチャードの落ちぶれっぷりがなんとも哀れなだ。芝居の最期には幽閉されていた城で暗殺されるのだが、これは史実ではどうやら衰弱死(餓死?)という事だったらしい。実際のリチャードのポートレートはこちら

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王冠ー悪事ー暗殺ー権力といったドラマチックな展開ではなく、力弱い王の話だ。国王としての威厳や思慮深さに欠け、コロコロと人のおべっかに乗ってしまう筋の通っていない男なのだが、なんだかそれが放っておけないような、哀れな魅力として書かれている。愛嬌のある役者でないと引きつけられない役だね。デヴィッド・テナント氏はうってつけ。一国の王としてはダメダメなのに、落ちぶれるにつけて可哀想になってしまう。「あなたが悪いんじゃないのよ」と言ってあげたくなるのだ。付け毛の長髪、白いローヴに十字架を付けて、まるでキリストのようにも見える。(そういう意図もシェイクスピアの中にあったらしい)

休憩時間は劇場と一緒に20分。でも実際には10分でまたコメンテーターが役者のインタビューや舞台裏(セットや証明)の解説を入れてくれる。見ごたえのあるライヴだった。でも欲を言うと、カメラワークが寄り過ぎてたかなあ〜・・・役者の表情をアップで観られるのは醍醐味だけれど、劇場中継なのでもっと舞台全体の絵も見たかった。日本のWOWOWのほうが巧いかも。まあ、これがRSC初のライヴだからね。これ以降来年の舞台もまた中継を予定しているらしい。この「リチャード2世」は昨日だけで英国とヨーロッパで34000人のシネマ観客数だったそうだ。さらにこの後アメリカ、オーストラリア、そして日本でも上映されるらしいので、興味のある方はチェックしてみてはいかがでしょうか

舞台は舞台、これは基本だけれど、実際に劇場まで足を運べない人達にとっては充分空気を感じられるはず。舞台のチケット代は惜しいけど、映画館なら、、という二次選択の演目や、チケットが取れなかったり見逃した作品をアンコール上映でみるというのも今後の選択肢に入れなくちゃ。特にNTは最近次々とライヴを決行してるし。まるで劇場にいるような雰囲気の映画館というのも面白い。映画館の人達も「今夜は違う」と思っていただろう。

去年のBBCでベン・ウィショウが演ったRichardIIをも一度観たくなった。録画してざっと観ただけでデジタルテレビのセットボックスがダメになっちゃってちゃんと覚えてないけど、見比べたいなあ〜〜

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