見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

カテゴリ: ロンドン演劇事情


Joe Ortonの芝居を観てきた。Entertaining Mr Sloane
戯曲で読んでいて、一度観たいと思っていた芝居だ。場所はいわゆるウェストエンドの由緒ある劇場ではなく、5年前にトラファルガースクエアーにできたスタジオスタイル空間のTrafalgar Studioだ。

イギリスの風刺的ジョークはとてもキツい
日本でも紹介されてる「モンティー・パイソン」や、「ミスター・ビーン」に出てくる内容でも解る通り、気の弱い人には笑えないようなものもある。弱いものや、人の欠点や弱点を逆に笑い者にしてしまうのだ。

Joe Orton(ジョー・オートン)は60年代に劇作家として、イギリス演劇界をショッキングな突風のように駆け抜けた。元々は役者志望で、17歳の時に名門ドラマスクールのRADA(Royal Academy of Dramatic Art)に奨学金を受けて入学している。(これには本人も回りもびっくりしたらしい)ジョーはホモセクシャルで、16年に渡っての恋人=パートナーとなるケン・ホリウェルともRADA時代に知り合っている。彼の書いた戯曲はどれも痛烈な風刺劇でミドルクラスやカソリック教会を挑発し、嘘や欲望、計算高さや残酷さが等入り交じった巧妙な筆運びで、規制の概念や偏見にとらわれない価値観を持った人々から絶賛された

活躍した期間が短かったので作品は少ないけれど、64年の作品、Entertaining Mr Sloaneは大ヒットとなり、続くLootではいくつもの賞を受賞した。ところが、彼が34歳の1967年、長年のパートナーだったホリウェルに惨殺されてしまう。元々劇作家になりたかったのはホリウェルのほうで、ジョーに書く事を最初に奨励したのも彼だったのだ。ところがどんどんジョーが劇作家として成功していき、また同時に、派手なゲイ同士の性交遊を楽しんでいたジョーとの関係のもつれも相まって、最期は恋人を撲殺するという行為に追いつめられてしまったのだ。ホリウェル自身も殺害後に自殺している。

私がジョー・オートンの事を初めて知ったのは、彼とホリウェルのストーリーが映画になったのを観てだった。「実在したゲイの劇作家の話」という事しか知らずに観たのだけれど、前評判は結構聞いていた。ジョー・オートンを演じたのはギャリー・オールドマン(Gary Oldman)。彼はこの映画の前に、「Sid & Nancy」で元Sex Pistolsでヘロイン中毒で死んだシド・ヴィシャスを演じていたので、映画の宣伝は「シド&ナンシーのギャリー・オールドマンがジョー・オートンを演じる」というだけで充分イギリス人には評判だった。映画のタイトルは「Prick Up Your Ears

この映画を観た後で初めて彼の戯曲を読んだ。60年代のイギリス、労働党政権でビートルズの人気は最高潮。そんな時代に思いっきりブラックなコメディーで人の弱点や残忍さや欲望をこれでもかと暴き立てるような攻撃的な芝居は、思いっきりショッキングだったに違いない。今だからこそ大抵の内容では驚かない時代になったものの、当時の演劇界に巻き起こした賛否両論は本を読んだだけで十分解る

日本での上演を調べてみたら、Lootは、「薔薇と棺桶」というタイトルで上演されたらしい。成る程、、、日本語タイトル、良い線ついてる。いかにもフラムボヤントなジョー・オートンらしい・・・? 余談ですが、映画のPrick up your earsの日本語タイトルはただの「プリック・アップ」になっていた・・・!!? 本来はPrick up one's earsというひとつのフレーズで「聞き耳をたてる」という意味合いなのだけれど、これがプリック・アップだけだと、、ちょっと面白いんですけど・・・・英語のprickにはいくつかの俗語の意味があって、その一つは男性器=penisの事。これでprick upって・・・日本側配給会社さんのユーモアかしらね。この映画でのギャリー・オールドマンはとても良いです!!

昨日観たEntertaining Mr Sloaneはミドルクラスのある家を間借りする事になったミスタースローンと、その家のランドレディー、その兄、そして父親の4人で演じられる。40過ぎのランドレディーは自分の息子同然の若いスローンに心ときめかせ、母親のようにふるまったかと思うとスケスケのネグリジェで身を投げ出す→(後に妊娠)。いかにも老いぼれた風の父親は、新しい間借り人のスローンが実は遠い昔に強盗を働いて自分のボスを殺した犯人だと見破り、最期は開き直ったスローンに殺されてしまう。兄のエドは明らかに内心ゲイで、これまたスローンに取り入ろうと彼を運転手として雇い、全身革製の制服を着せてスローンを常に傍らに置こうと必死。最期には父親の死因を警察に嘘の供述をして、兄と妹が半年交代でスローンを所有するという契約を結ぶ・・・

中心にいるスローンは自信家で、計算高くて残酷だ。そして男にも女にも通じるセックスアピールがある。本の構成が巧いのは、スローン自身の心情は殆ど書かれていない。彼を取り巻く周りの人間が彼をどう扱うかでミスター・スローンが中心になっている。 彼は誰の事も何とも思っていない。それどころが年老いて弱った父親を残酷に小突き回して殺害してしまう。そんな残酷で心ない、でも魅力的な若い男に必死でアプローチする40過ぎ女とその兄。「父親の死を前にしてそれはありえないだろう〜〜!」という普通の観念はここにはない人間の本性なんてこんなものさ、という挑戦的な芝居は、観客を挑発し爆笑を誘う。このミスター・スローンというキャラクターは、誰よりもジョー・オートン自身が演じるべきだったとも言われている。

こんな本を書く人がいたイギリスのその後の演劇はどうだっただろうか・・・?と考えずにはいられない。ビートルズが解散し、ロック世代の70年代、保守党が政権を奪回して初の女性首相になったサッチャーさんの時代、ヤッピーが登場し、エイズが広がった80年代、戦争に突入した90年代・・・・もしジョー・オートンが生きていたら、それぞれの時代にさぞ手厳しい本を書いていた事だろう。

スタジオという空間の劇場でジョー・オートンの芝居というと、やっぱり客層も空気も全く違う。私にはすごく気持ちのよい、懐かしい芝居の空気。そもそもこういうスタジオシアターに来る人というのは、観劇というよりも演劇好きな人達だ。まず観客に「お客様」がいない。観光客も、劇場にお出かけという事でおしゃれをした上品な人々もここにはいない。集まってきたのは、いかにも風刺的ジョークが大好きそうな、オープンマインドな芝居好きのイギリス人がほとんど。年齢層も高い。60代くらいの人がかなりいるのは、ジョー・オートンをリアルタイムで知っている世代の人達だ。一目でゲイとわかる人も多い。いかにも演劇やってますといった感じの若者も・・・こういう芝居の空気って大劇場のミュージカルにはない匂いがする。

残念だったよね・・・イギリスの演劇界は、その後のアンドリュー・ロイド・ウィバーと並んで、全く質の違うイギリスの芝居を創っていっただろう才能ある戯曲家を、30年前に亡くしてしまったのだ・・・惜しかったよね〜〜、、、




2月の1週目はちょっとごたごたしている時なので、ブログも更新してませんでした 彼の誕生日があって、めずらしくトルコレストランに行き着いた。ギリシャ/トルコ料理はMezeが美味しい。いろんな物をあれこれと食べられてちょっと居酒屋風だ。それにしても量の多い事!! 残すのは好きじゃないけど、どう頑張ってもお皿を空っぽにするのは不可能だった。

今日来たメールニュースで、今年のローレンス・オリビエ賞のノミネートが発表されていた。この1年に観た舞台は結構当たりが多くて、(ロンドンの芝居といっても、どれもこれも良いとは限らないわけで、中にはハズレもあるわけです)レベルの高い舞台を立て続けに観たような気がしていた。そうしたら、ノミネートされているものの半分以上に、私の観た作品が入ってる

実は今までに2度、Olivier Awardsのパネリストになりませんか、という連絡をもらった事がある。プロの批評家と一緒に一般の選考員として賞の最終選考に参加するのだ。最初はもうずうっと昔で、ホントなら願ってもない話しだったのだけれど、応募の際に最近観た舞台のレビューを書かなくてはいけなくて、あの頃はまだまだ英語でちゃんとした文章を書くなんて無理だったので諦めた

もしパネリストに選ばれたら、1年間ロンドンでやる公演の殆どを無料で観られる。すべての公演にペアチケットがもらえるのだ。ストレートものは年間で約80-100本、ミュージカル部門でも40-50本は観なくてはいけない。「どうして私の所に・・・??」と思ったけれど、あの頃は週に2本ペースで劇場に行っていたので、チケット購入の際のクレジットカードの使用回数とかでピックアップされたのかと思う

2度目はおととしだった。最近はずっとネットでチケットを買っているので、やっぱりその記録からまたセレクトされたのかもしれない。ホントに、仕事してない身分だったら今度こそ絶対に応募してたんだけどね・・・ とはいえ、最終的にパネリストになるのは一般からは10人程の話。ストレート、ミュージカル、オペラ、ダンスの4つのカテゴリーに分かれていて、選んだカテゴリーでレビューを送ってくださいとの事だった。

年によっては、自分の観た舞台とノミネートが全くずれてて、「ああ、これ観なかったなあ〜」なんて残念に思う時もあるけれど、今年は半分以上ヒットしてる。ストレートものもミュージカルも、一つに決めるのは難しいなあ〜〜・・・・ リバイバルミュージカルは特に激戦だ。あとベスト・アクターも・・・この2カテゴリーは、私はノミネートをすべて観ている

まあ、こういう賞っていうのも、なんていうかちょっとconservative •••?  実際は賞取りに関係ない作品で、高い評価を得たものだって沢山あるのが芝居の面白い所。必ずしも賞レースに入ってくるものだけが素晴らしいというわけではない。でも一応こういう「ちゃんとした」賞をもうける事で、舞台芸術が社会に貢献してるんですよ、という主張をしているようなものだ。アカデミーだってそうでしょ? 

それなりの批評家が「良い」としたものと、「私が好きな」作品っていうのが必ずしも一致するわけじゃない。でもレベルの高さはやっぱり評価されるべきだ。より多くの人が「素晴らしい」と感じたものは、それなりに「良い作品」として評価を残さないとね。ノミネートのリストはこちら

今夜から週末にかけてまたしても大雪がやってくるらしい。ロンドン以外でも、南イングランドからウェールズがやられて、今週はもう雪の話題一色だった。もし明日の朝がこの前の月曜日みたいにな事になってたら、今度こそ歩いて仕事に行かなきゃなならないかも・・・土曜日の電車のタイムテーブルはただでさえ30分に1本なんだから・・・


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何か・・・すごいんだよね、、

Piaf」観てきた。その名の通り、エディット・ピアフの話。去年映画のLa vie en roseが大好評でピアフ役のMarion Cotillardがオスカーを取ったけれど、こっちの舞台版のピアフも凄かった・・・

本は元々30年前に書かれたものだけれど、今回の再演ではかなり大幅に圧縮している。10年程前にエレイン・ペイジで再演した時には、2時間半出ずっぱりというステージは彼女にとって負担が大きく、1年間の契約だったのが早めに打ち切られた。今回は休憩無しの1時間40分に凝縮されて、まさにダ〜〜!と人生を突っ走る感じでどんどん進んで行く

演出意図なのだろう、曲が終わっても観客に拍手をさせない。普通ミュージカルだと、曲の後に半秒位の間(ま)で拍手が起こり、役者も拍手の波が引き始めたタイミングで次の台詞に移る。でもこの舞台ではその一瞬の呼吸のを与えずに瞬時に場面が飛ぶ。だから観ているほうは手をたたきたい衝動を拒否されて、そのままそのエネルギーを次のシーンに乗せていくしかない

1時間40分の内に30年が詰まっているので、一瞬の場面転換で何年もの時間が経っている。これは演出的にはギリギリの所じゃないだろうか。ピアフ以外は数人の役者が何役も兼ねていて、次の場面には何年後かの話に違う人物として同じ役者が出てくるので、モタモタ観ているとついていけないだろう。観る方も舞台のスピードについていけないと、人物像が混乱するリスクギリギリで成り立ってる

エディット・ピアフの事を全く知らないとちょっと苦しいかもしれない。本当に去年の映画の成功が利いている。主演のエレナ・ロジャーがアルゼンチン出身の女優さんだとは知らなかった。彼女は2年前にEvitaの再演が決まった時に主役に抜擢され、ローレンス・オリビエ賞にノミネートされた。私はこのEvitaは観なかったので、普通にイギリス人だと思っていた

このピアフはフランス人という事で、訛りのある英語で台詞をしゃべる。それが本来彼女がネイティヴのイングリッシュじゃ無い事を効果的に利用した演出になっていて面白い。訛りはあるけれど台詞はもちろんちゃんと解る。かなり蓮っ葉で下品な物言いですが・・・そして歌はすべて言語のフランス語だ。これはもうエディット・ピアフにしか聞こえない・・!!

出ずっぱりで歌いまくり・・・すごい。観ているうちに、巧いとか面白いとか泣けるとかそういう感想を飛び越えてどんどん「すごい・・!」としか言えなくなっていく。歌詞の解らないフランス語の歌に涙が出てくる、、、そのすごい!という圧倒的な思いを観客が表す術なく走り続けた芝居の最期の曲、Non je ne rigrette rienが終わった瞬間、今度こそ間髪入れずに割れるような拍手が湧いた。この時の間(ま)が、それまで拍手を拒んで一瞬で切り替わっていた芝居の転換のと同じだった。観客が舞台と同じスピードで手を叩きたい衝動を引っ張ってきた証拠だ

ピアフは142cmしかなかったそうだけど、エレナも150ちょっとじゃないだろうか、、?小さい。その小さな身体で虚勢を張り、怯え、笑い、沢山の恋をし、嘆き、歌う・・・ 自我を捨ててエディット・ピアフを生きている、、、すごいこんな女優は日本にはいないよな〜、と思いながら観ていた

この間のサンセット・ブールヴァードといい、女優陣の凄さが光ってる。今回の公演は100回限定のこれまたlimited Seasonなのだけれど、あれでロングランしたら役者がぼろぼろになっちゃうよね
ピアフ流に言うと、まさにFucking Brilliant!!だった。


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今日は違う事を書くつもりでいたのだけど、目にした新聞の劇評を読んで思わず唸ってしまった・・・・

日本でも放送されてるだろうか、、Doctor Whoというイギリスの長寿SF番組がある。最初に始まったのは60年代で、主役のドクターは地球にやってきた宇宙人という設定で、ドクター役は007のように今まで何度も変わっている。まあ番組についてははしょるとして、ここ数年10代目のドクター役を演じていたDavid Tennantという役者がが去年、RSC(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)のストラトフォードでハムレットを演じた。彼は元々RSCのメンバーで、舞台でのキャリアも多い。

今回ロンドンでの12月から1月10日までの限定公演が決まって、プレビュー(初日直前の2週間程、通し舞台稽古を安い料金で見せる)も好評だった。ところが、劇評家達を一同に招待してのプレスナイト事実上の初日前日に、持病の椎間板が悪化して手術が必要な為降板すると発表された

ドクター・フーで人気だったのだから、当然デヴィッド・テナント目当てでチケットを買った観客は大勢いたわけで、事実チケットはソールドアウト状態。ところがRSC側のアナウンスは「明日からは代役で公演を続行しますので、チケットの払い戻し等は致しません」と強気なものだった。演出のグレゴリー・ドーラン氏(市村正親さんや藤原竜也君の出ていたヴェニスの商人を演出した人)が発表した翌日からの配役は・・・・

「現レアティーズがハムレットを、レアティーズはギルデンスターンが、ギルデンスターンはルシエイナスが、ルシエイナスはフランシスコが演じます」

なんと、雪崩のようなチェーン代役だ!

そしてレアティーズから一夜にしてハムレットになったEdward Bennettは、スタンディングオベイションを受ける。イギリスにおいてスタンディングオベションというのが良かっただけでは受けられないという事は前にも書いた。「良かった、感動した」だけではイギリスの観客は立ち上がらない。もっと脱帽や敬意の念を表する時に立ち上がる

もちろん去年のストラスフォードの時点から彼はハムレットのアンダースタディーに配役されていたわけだから、演じる準備は出来ていたはず。でも実際に演じたのは今回が初めてだ。おまけに地滑り代役で、まさに歯車を一つずらして掛けかえて、芝居が回っていかなくちゃならない。この歯車で結局21公演を演じ切った

そして1ヶ月、、、年が明けてハムレットの楽日まであと10日という時に、先月手術したばかりのテナント氏の復帰が発表された。毎日様子を見ながら、その日の出演を決めるという形で・・・きのうまでの配役から、また歯車を一つずらしてのリセット。ベネット氏はレアティーズに、レアティーズはギルデンスターンに、ギルデンスターンはルシエイナスに、ルシエイナスはフランシスコに戻って楽日までの公演が続く

両方の配役で観たという女性批評家の感想が載っていた。「ベネット氏のハムレットは素晴らしく、感動的だった。そしてテナント氏が戻ってのハムレットは、やっぱりこれが元々の配列なのだと納得する調和があった。アンサンブルとしてのカンパニーの勝利だ」と。RSCの人達の層の厚さとレベルの高さはもちろん今までも定評があるのだけれど、今回はそれを改めて見せつけた代役劇だ

私がこっちで観て本当に楽しかったミュージカルが日本で上演されている。友人に声を大にして「絶対に面白いよ!」と薦めておいたので、観てきた友達が感想をメールしてくれた。「役者ひとりひとりのレベルが高ければ、まやが言ってたようにメチャ面白くなるんだろうなという事は解った・・・けど、皆が自分の好きに演じちゃって失敗してる」と・・・・ 確かにあのミュージカルは馬鹿げてるからこそ、役者の力量がものを言う。役不足なくらいの役を皆が最高レベルで演じるから可笑しくて大笑いできるのだ。(どの芝居の事かはこちら

役者も基本は職人芸なんだよね・・・そしてその先がもっと底が深い。代役で舞台に立つというのはあくまで出発点で、その役をどう演じるかが個々の役者の見せ所。そういうレベルの役者が掃いて捨てる程いるというのが、凄い

さて、明日はPiafを観に行く。これもかなり評価高いので楽しみ!


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なんだか昨夜から急に冷え込んできて、またまた凍り付くような気温になってきた、、年明け早々寒〜い新年になりそうな予感。

チーズケーキ

3度目の挑戦でやっとうまくいったクリームチーズケーキ。ブルーベリーを散らしたのだけれど、ちょっと甘味が無さすぎたので、残りのブルーベリーに少しお砂糖を混ぜて煮詰めたソースも作った。完璧〜〜!

今年の最後は再演ミュージカルのSunset Boulevardで。今回の再演はなかなか面白い演出で、ミュージシャン達が役者/シンガー/ダンサーとして舞台に登場している事。ちょっと振り返ってみたら、ちゃんとモニターに指揮者が映っていたので、見えない所でコンダクターによるキューが出ていたのは間違いないけど、楽器を演奏しながら歌い踊る役者達はかなりタイミングをとる稽古が必要だったと思う

最初は出だしだけでミュージシャン達は演奏位置に落ち着くのかと思ったら、彼等はずっと楽器を持って舞台中をくるくると動き回り、歌い踊った。こんなアンサンブルの演出は観た事がない。大きなコントラバスも軽々と小道具にしてしまう洗練された動きは不自然さがなくて新鮮だ。セットも小振りだけれど、だからこそ、ノーマが大きく、セットのほうが小さく見える。ノーマ登場時に効果的だった。

今回のノーマを演じたキャサリン・エヴァンスは、私は20年以上前にエヴィータで観ていた人だった。そういえば、日本ではこのミュージカルは上演されていないと聞いた。ノーマを演じられる女優がいないという事で、見送られている作品だ。初演時にロイド・ウェバー氏はNYでエヴィータを演じたバティ・ルポンをロンドン初演に起用したものの、ブロードウェイで幕を開ける際、パティをおろしてグレン・クロースに代えた。氏がノーマ役にこだわった為、キャスト変更にあたって2度も膨大な違約金を支払う事になった

ジョー役のベン・ゴッダードはとてもエモーショナルな演技で究極の勘違いおばさんに翻弄される男の苦悩を演じていた。2幕では二人の女性の間で揺さぶられ、自身の欲も相まって自分自身に追いつめられて行く姿が哀れだ

それにしてもキャサリン・エバンスの歌唱力は素晴らしかった。最初のWith One Lookで劇場中を鷲掴みにしてしまった感があった。このノーマ役は歌唱力だけじゃできない。日本での上演が見送られているのもそのせいだろう。この役は人を虜にするパワーっていうか、、そう、魔女のような威力がないとダメなのだ。ちょっと「コワイ・・・」と思うような、でも恐いもの見たさで離れられないような、そんな凄さが必要な役だ。ジョーの首にからみついたノーマの腕の先に真っ赤な爪、、本人は小柄なのに、目一杯の派手なメイクで「あたしはビッグよ!」と回りの舞台を小さくみせてしまうド迫力・・・魔女だ、、、

このサンセット・ブールヴァードが、今までの時点でロイド・ウェバー氏の最期の名作だと私は思っている。残念ながらこれ以降の氏の作品は、音楽的にちょっと底を付いたような気がしてならない。彼のミュージカルナンバーの名曲集のようなCDにも、これ以降の作品のナンバーはあまり入ってこないし・・・劇場を出ても耳について離れないようなメロディーラインを持った作品はここまでだった

というわけで、あっという間に今年も終わり。日本はこれからがお正月休み本番かな。

今年も私のブログに遊びにいらしてくださって、ありがとうございます。また来年も訪問/コメントお待ちしています。
お茶は出ませんが、パーツに貼ってあるしゃべる肉まんでお楽しみください

皆様、どうぞよいお年をお迎えください。


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1月10日までなのでもう一度観ようかどうしようか考えていた「ラ カージュ オ フォール」が、パリから戻ってみたら延長が決まっていた。但し主役の2人は交代とのこと。新たにザザを演じるのが、毒舌トークで人気のゲイのコメディアン、グレアム・ノートン! テレビ司会者としては人気だけど、大丈夫か、、!? と思いきや、ゲイのコメディアン路線で活躍する前は、れっきとしたロンドンでも名のある演劇養成所を出ている。おみそれしました・・・

丁度日本でもこのミュージカルがリバイバル中だ。ホリプロ制作の市村正親/鹿賀丈史コンビのラ・カージュは、チラシを見ただけでも華やかなショーの雰囲気。こちらでやってるヴァージョンとは全く空気が違いそうだ。出演者の数も倍はいる。動画サイトで探してみたら市村さんの歌っているI am what I amがあったので、聞いてみた。  

がくぜん、、、! か、歌詞が・・!!

当たり前なのだ。当たり前なのだけど、う〜ん、そうか、日本語訳でミュージカルの歌を聞くのは苦しいなあ〜〜・・・ 今さら、っていうか、昔は私達も翻訳ミュージカルを日本でやっていたのだから、そのあたりの苦しさは知っている。本番前日になって歌詞が変わった事もあった。台詞の翻訳は殆ど問題ないのだけれど、決まった曲に日本語で歌詞を乗せるのは訳詞家さんの腕の見せ所だ。

原語が英語の場合(ほとんどのミュージカルがそうですが)、一音符に一音しか乗らない日本語は歌詞が半分も入らない。英語は耳に聞こえるシラブルの数は書かれた語より少ないからだ。(例えば、Saturdayは8文字だけれど、音はsa tur day の3シラブルだ。)おまけにその限られた訳詞を、なるべくメロディーのイントネーションに合わせなくてはいけない。内容をかろうじて説明するだけで精一杯だ。おまけに日本語だと男言葉と女言葉でも違ってくるし・・・アルバンはやぱり女言葉になってるのか・・・

そういえば翻訳物のミュージカルなんてもう20年観てない・・・たまたま日本で観たのは、和製のオリジナルミュージカルだったし。ちょっといろいろと探して、いくつかの舞台の日本版動画を観てみた。「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」「オペラ座の怪人」・・・初めて聞いた日本語ヴァージョン。日本人の声質もやっぱり少し違う。どうしても朗々と歌いがちなので、そういう舞台は良いけれど、歌に台詞臭さが欠けてしまう。ミュージカルの歌で一番必要なのは、歌う事じゃなくて語る事だ。

でもそうだったよな〜、日本で大きい作品の翻訳舞台をやると、どうしてもブロードウェイやロンドンの初演物と演出までそっくりになっちゃって、見た目と中身が同じ物を日本に持ってきました、っという感じになってしまう。あれ?上演権の関係であまり変えちゃいけないのかなあ〜〜? でもそれじゃやっぱり面白くないよね。西洋人と日本人じゃ感じ方も笑い所も違うんだし、それなりに変えなくちゃむしろ限界があるんじゃないだろうか。

訳詞じゃなくて、日本語歌詞を新たに書いて曲に乗せないと、根底にある感情が演じる役者も出し難いはず。核になる思いが伝わる歌詞で、初めて観ているほうの胸に響く。中には成功しているものもあって、ああ、巧く乗せたなあ〜と思う曲もいくつかある。本当に、訳した人にとっては、毎日のステージを観る度に「やっぱりこうしようか、あそこを変えようか」と思わずにいられないんじゃないだろうか? 芝居の翻訳でも、ただ言語に長けている人が翻訳したものだと、とても台詞として言いづらかったりする。ミュージカルの詞は、翻訳家じゃなくて作詞家がやるべきだ。

もっともこれは日本語だけの話じゃない。三文オペラの情報が入ってきたので思い出したけど、私が今までに観た三文オペラは多分どれも違う訳だ。ブレヒトの原語はドイツ語。日本で確か2度観たけど、2度とも訳が違ったと記憶してる。最初のはアングラっぽかったなあ〜。ロンドンで観た最初はロッキー・ホラー・ショウのTim Curryがやったヴァージョン。この頃は私も英語はまだあやしくて、日本で観た事があるからなんとか内容が解ったという感じだった。

映画でも古〜いのや、三文オペラの原作になってるBeggar's Opera もテレビでやってたりしてるので、いくつものヴァージョンを観た。その度に台詞も歌詞も少しずつ違ってたはず。10年程前に観たヴァージョンはもっと現代の設定になっていた。このDonmer Warehouseのヴァージョンが私は一番好きで、このキャストでのCDを持っている。だから私の中では三文オペラの歌詞はこのDonmerヴァージョンの英語歌詞だ

でもこれが下品ですごく良いんだあ〜〜!(うっかりバスの中で聞きながら歌っちゃまずいぜ!!)とても当時の貧しいロンドンっぽい

日本のオリジナルミュージカルが英語訳になってブロードウェイやロンドンに来るなんて事はないだろうけど、例えば「天保十二年のシェイクスピア」なんて訳したらどんなになる事やら・・・! 考えただけでも笑っちゃうけど、でも逆が可能で頻繁に行われてるのに、どうしてダメなの? 日本人の感性って、そんなにも世界に通用しないものなの・・・うん、、しないんだろうねえ〜〜


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la cage 2la cage 1

ほぼ20年前、ミュージカル「La cage aux Folles=ラ カージュ オ フォール」がロンドンで初演された時、どうしてだか何度も観たくなって、気分転換したい時に何度か、ふらりと当日に半額チケットを買っては観に行っていた。6−7回観ている。オリジナルキャストのサントラ版も何度も聞いていたので、このミュージカルのナンバーはほとんど全部歌える。

初演の時は、ブロードウェイで主演したジョージ・ハーンがアルバンを演じていて、華のあるザザでその歌唱力も絶賛された。全体の創りはどてもブロードウェイっぽいミュージカルで、色とりどりの衣装にタップダンスのステップ、なにもかもが大振りで、当時低迷していたニューヨークから久々のヒットミュージカルが出た!というかんじだった。

ナイトクラブを経営するジョージとそのホモセクシャルなパートナーのアルバン。ジョージには前妻との間に一人息子がいて、その息子がガチガチの保守派政治家の娘と結婚したいと言い出した・・・オカマショーで盛り上がるナイトクラブの息子なんて知れたら大変なので、彼女の家族に会う一日だけ、まともな家庭を見せなくてはいけない。遠い昔に別れた実の母親に一日だけ来てもらって、父とアルバンの関係は絶対に悟られないようにしなくては・・・という事で、話はドタバタと進む。

今回、リバイバルという事でキャストが気になった。「あの時みたいに楽しいだろうか?」という懸念も無かったわけじゃないけど、去年のスタジオ公演が好評でウェストエンドに上がってきたプロダクションなので、悪いはずはないと思ってた。

結果、、、もっと大好きになった!!

やっぱりこのミュージカルは小さい空間でのほうが生きる。初演時の劇場はロンドンでも伝統あるPalladiumだった。この劇場は客席数2300の大劇場で、「ラ・カージュ・オ・フォール」も華やかななダンスシーンが見せ場のミュージカルショーだった。ダンサー達も10人以上いたと思う。今回のPlayhouseという劇場はキャパ数800に満たない小屋だ。私の席はナンバー12でど真ん中だったので、舞台の幅もずっと狭い。それが劇場というより、場末のキャバレーの匂いを出している。

ダンサーは6人。もちろんすべて(一応)男性。クラシックで磨かれた身体の奇麗な事!!足なんて取り替えてもらいたいくらい素敵。衣装も振り付けもキャバレーっぽくて、毒々しいとまではいかないけれど、その方向で演出されてる。舞台空間をぎりぎりまで使ってるので、汗やメイクの匂いまでしてきそうな感じ。

観始めてすぐに、やっぱりこのミュージカルが大好きだったのを思い出した。今回の演出のほうが初演より好きかも。アルバンは最初、「え・・・?!」と思うくらい見栄えのよくないおじさんだ。美男でもないし、スタイルも「ちょっと見たくないかも、、」な感じ。気弱で自分に自信無さげなホモオヤジなのだ。でも、観ているうちにだんだんとても彼が可愛くなっていく・・・どんどん奇麗に見えていく。相方のジョージ役の歌唱力は素晴らしかった。スマートじゃないタイプなので、むしろ場末のナイトクラブのオーナーという雰囲気が出ていて良い。

最初から最後までもう笑いっぱなし! 劇場全体がキャバレーの雰囲気で、観客も大ノリで反応が良い。振り付けも、ダンサー達の身体の美しさが存分に拝める。かなりきわどく目の前で開脚180度なので、客席からは冷やかしの口笛が飛ぶ。笑い転げたと同時に、アルバンのI am what I amでは涙が出てしまった・・・

う〜ん、また観に行きたくなってしまう!!この公演は1月10日までなんだよね〜。まだチケットあるかしら・・・? でも1月10日までには他に3本の芝居を観るしなあ〜〜・・・でもまた観たい、、、行っちゃうかも

さ〜て、明日はパリに出発。ロンドンも数日前から急に気温が下がったけど、パリも似たりよったりみたい。7−8度あれば平気なんだけど、5度以下になるとちょっと歩き回れないからね、、、 パリにも日本語が使えるインターネットカフェもあるようなので、更新できたらパリからアップしてみます。


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急に寒くなった〜〜!
日曜日に夏時間が終わって、1時間早く暗くなっちゃうっていうのに、気温までがいきなり下がってきた・・・ 覚悟しなくては、、、いよいよまた暗い季節に突入・・・・

昨日はテムズ沿いのサウスバンクへ。ナショナルシアターでの「Oedipus」(ちなみに英語読みだとイーディパス)。暗いとか寒いとか言ってはみたけど、夜のテムズ沿いは美しい。 橋の上から見るロンドン東側の景色はまさにポストカードで、黒いシルエットに街の灯が奇麗。 夏のサウスバンクもホントに気持ちが良いけど秋も悪くないかも・・・

今回の「オイディプス」はNew Versionという事で新訳だそうだけど、全く違和感のない現代英語だった。出演者達の衣装もシンプルなスーツだ。 演出はジョナサン・ケント氏。コロスが全員壮年層の男性で、和唱の台詞がアカペラの合唱のようになっていく演出は効果絶大だった。 ギリシャ悲劇の場合、コロスの合唱がお経のようになってしまう事が多いので、おじさん達の張りのある声での和唱は掛け合いもテンポも絶妙だ。 アカペラの、歌っているともしゃべっているともとれる微妙な声の高低差がコロスのチームワークのキーになっている。時代を感じさせない新訳と演出がうまくマッチしている。

このコロス達が最初に登場した時は観客の目が点になった。開演前に見渡した場内はまさに満席。隅まで空席は見当たらない。 客席の年齢層は幅広く、子供がいない。30代から60代までといったところかな、、、そして開演してオイディプスのシーンが終わると、両サイドに座っていたスーツを着た観客達がぞろぞろと舞台に上がっていく・・・ 普通に芝居を観ているおじさん達だとばかり思っていたのが実は出演者達だった。 これには観ていたほうが一瞬きょとんとなった・・・

レイフ・ファインズのオイディプスはとても情緒豊かだ。ただただ思いもしなかった運命に翻弄される男の苦悩を、人の感情として表現している。 いつも思うのだけれど、レイフ・ファインズという役者には程良い愛嬌がある。ブロードウェイでトニー賞を取ったハムレットでもそうだ。私は彼のハムレットの舞台は観ていないのだけれど、以前テレビ番組の特集の時にステージ録画の一部を放映していた。 ガートルードとのシーンで、思わず抱きしめてあげたくなるようないじらしさがあった。愛嬌というか、可愛げというか・・・ 私は舞台での彼の声が好きだ。コントロールされた声量、明瞭な滑舌。そして彼の演技はどこか柔らかさがある。 神に対して挑戦的なオイディプスなのだけど、力強い中にもゴムのような柔軟でソフトな演技をする。巧いなあ〜・・・

だから終盤でのオイディプスの苦悩に素直に共感できる。「なんでこんな事になってしまったんだ・・・」となげく彼の運命に涙さえこみ上げてきそうなくらいだった。 妻/母親役のクレア・ヒギンズがまた良い。年上の妻であり王妃である優しさと力強さ。 出番としてはけっして長くない時間の中で、感情の幅を無理無く表現するのは決して易しくない。その中で残酷な事実に打ちのめされて崩れて行くまでの一連の感情をちゃんと見せている。 とても人間的で現代的な解釈の「オイディプス」だった。

もうひとつ、どうしても頭から離れない謎が舞台装置だ。 装置はジョナサン・ケントとのコンビでお馴染みのポール・ブラウン氏。最初に彼の舞台を観た野村萬斎さんのハムレットでは、シンプルでいて圧倒的な存在感のあるメイン装置とシーンを彩るセットの美しさが目を引いた。 ミュージカル「Marguerite」では、劇場の機能をフルに使った大掛かりな舞台転換が印象的だった。

今回もとてもシンプル。中央に大きなドアがあり、前方下手側にコロス達がたむろすテーブルベンチ。(よくパブにあるようなやつ)このシンプルな舞台が微妙に変化して場面を作っていく。 このOlivier Theatreは円形舞台で、何層かで廻るようになっている。上下にも動くし、回転方向を逆にしたり統一したり早さを変えたりする事でいろんな演出がされて来た。 はじめは解らなかったけれど、ドアの向きがいつの間にか変わっている事に気づいて舞台をよく見ると、円形の舞台全体が本当にゆっくりゆっくりと廻っている 目に見えないくらい少しずつ、中央のドアだけでなく全体が確かに廻っているのだ。

役者が立ち位置を計算しなければなならない程のスピードではないから、芝居には大きくは影響していないのだろうけど、全体に傾斜している事もあり、特にベンチは座ると斜めになってしまうので、役者は多少身体のバランスを計算しなくちゃいけない。(私も経験があるけれど、斜めになった傾斜舞台というのはちょっと負担が来る)そして最大の謎がこのベンチ。1時間40分程の公演中ず〜っと少しずつ廻っている舞台の上で、このベンチの位置が変わらなかった・・

思わず目を凝らして舞台全体の動きとベンチの位置、そしてベンチの足がどこに置かれているかを観察したけれど、仕掛けが解らなかったよ・・・ どう見ても回転している床に置かれているとしか見えないベンチの位置が変わらないのはどんな仕掛けだったのか?? 終演後、わざわざ舞台前まで行ってベンチを見てみた。足のところに車が付いてる部分があったから、少しずつ調整していたんだろうか? でもベンチにはいつも誰か(コロス)が座っていて、重量もかなりなはずなのになあ〜〜??

古典劇とは呼べない出来になっているこの「オイディプス」は、今まで見た古典劇のどれよりも解り易いし感情を理解し易い。 人間の感情というものは1000年以上も変わっていないものなのだ。「男はみんなマザコン」とよく言うけれど、「母親と結婚するというのは多くの男達の夢だから」という台詞では笑いさえ聞こえた。面白かったよ〜!

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その手の専門家が正式に(?)発表したことには、どうやらイギリスは深刻なリセッション(不況)に突入したらしい。クレジットカードの返済に苦しむ人々、下がり始めた家の値段、90年代初め以来の状況だとか・・・
なんだかWestEndの芝居達も存在があやしくなって、クローズしてしまうショウが次々の発表される。

ケイト・ブランシェットがやっていた「Riflemind」がまず来週で終わってしまう。パペット・ミュージカルというちょっと変わったスタイルで話題を呼んだAvenue Qも来年3月までと決まった。期待に反して早々に終わってしまったミュージカル、Margueriteの後釜として同じ劇場で始まった「Girl with a pearl earring」は、当初から2ヶ月の予定だったにもかかわらず、さらに2週間早く幕を閉じる。この映画版をうちの彼が観てきたので、舞台化の話を聞いた時、「面白い?」と尋ねたら、「なんかヘンな話でどうってことない」との事だったので私はパスしていた。人気バンド、Take Thatの曲を集めてのミュージカル、「Never Forget」も、savoyでの公演期間が終わったら別の劇場に移る予定だったのが没になって、そのまま終わる事になった。Mamma Mia(ABBA)やWe Will Rock You(Queen)に続くかと思いきや、そうはならなかったみたい・・・

ロングランで安定してるのは、やっぱりツーリストを呼び込めるミュージカルが主になってしまう。80年代から続いてる、Les miserbles, Blood brothers, The phantom of the Operaは相変わらず強いし、他のミュージカルもヨーロッパ各地からコーチツアーの客がいつもやってきている。最近の新しく幕を明けるミュージカルは皆リバイバルだCarouselも、Oliverも、La Cage Aux Folles も、Little night musicも・・・・ 新作にお金をかけて冒険するより、お客を呼べそうな手堅い作品を再演ってことなのかな。

それに対してストレートものが苦戦してるのは一目瞭然。最近よく目につくのが、Limited season onlyという公演だ。ロングランではなく、はじめから12weeksとかの限定という事で幕を開ける。これだと、あらかじめ予算がちゃんと計算できてプロダクションに無理がこないし、名のある役者が出ていて期間限定となると、観る方も「これは観なくちゃ!」という心理をあおられるのでチケットも早くはける。日本は普通1ヶ月そこそこの公演だからチケットの争奪戦がすごいらしいけど、興行的にはこの方が手堅いよね。

春に観たGod Of Carnageもそうだったし、今好評なのがRain Man, Piaf, Oedipus 。どれもLimited Season only だRain Manはダスティン・ホフマンとトム・クルーズの映画の舞台化だし、Piafは去年の映画でエディット・ピアフが話題になったし、Oedipusはレイフ・ファインズの久々の古典劇、、という事で各々に話題性充分。レビューもかなり良いので限定期間公演は当たりだ。

この9月からのDonmer Warehouseの1年計画も、4作品を3ヶ月ずつ劇場で・・・という事で、各公演の主演もケネス・ブラナー、デレク・ジャコビ、ジュディー・デンチ、ジュード・ロウと各地からツアーがやってきそうな顔ぶれ。これで1年はまず安泰といったところ・・・・

ちなみにジュード・ロウのハムレット、演出するはずだったケネス・ブラナーがどうしても無理そうだとの事で降りてしまった。今主演している「Ivanov」の後監督する映画があって、その後のハムレットの演出にはちょっと手が回らないという事らしい。 ハムレット役者としてローレンス・オリビエの再来と言われたケンの演出には誰もが期待していただろうし、彼の監督でジュードとマイケル・ケインがやったSleuthはかなり面白かったのでちょっと残念!

冬は長い夜を過ごすには芝居を観に行くのが一番! 私の次の予定は来週のOedipus。昔観たのはなんだかタラタラとした演出でちょっと退屈だったけど、蜷川さんが野村萬斎さんで演出したオイディプスは面白かった。 今回は写真で見ると衣装は現代風になってる。下手するとお経続きになりかねないギリシャ悲劇がどう料理されてるか・・・? 批評はほとんどが星4つ取ってるから期待して良いかな。

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ブレア政権から後を引き継いだもののすっかり人気がなくなってしまって、リーダーシップが疑問視されていたゴードン・ブラウン首相が、火曜日の労働党大会で吠えたらしい。とはいってもどうも彼の場合貧乏クジの連続で、これはやっぱり長くは持ちそうも無いなというのが実感。

その昨日の労働党大会で文化相が発表したのが、若い人達にもっと劇場に足を運んでもらおうという趣旨で、18歳から26歳までの若者を対象に、芝居のチケットを無料にするという案。来年2月から2011年3月までの2年間、週に一度(例えば比較的客足の少ない月曜の夜など)18〜26歳までの人達が無料のチケットをもらえるというもの。WestEndの劇場はもちろん、全国で95カ所のベニューに於いて実施されるらしい。

イギリスは元々階級社会だ。これは少しずつ変わってきてはいるものの、人々の生まれ育った意識の中にインプットされているものなので、金銭的な生活レベルとはちょっと違う。貴族レベルのアッパークラスは別格としても、このごろは大学を出てそれなりの仕事に就き、収入も安定して家も買ってる人達は生活レベル的には幅広いミドルクラスになりつつある。でも生活や遊びの楽しみをどこに見出すかで、結構階級意識というのが出てしまうのだ。

たとえばスポーツ。フットボール=ワーキングクラス(労働階級)ラグビー=ミドルクラスクリケット/ポロ=アッパークラス、といった具合。もちろんこれはおおまかな解り易い例えなので全部じゃないけれど、一般的な見解。週末の夜なら、一番下がパブ、ちょっと週末に遊ぶ余裕のある人はレストラン〜ナイトクラブ(ディスコ)、選ばれた人々は会員制の高級クラブへ・・・

で、劇場というのはやっぱりミドル〜アッパーの場所なのだ。労働階級の人達の多くは、「劇場なんて自分の足を踏み入れる場所じゃない」と思ってる。チケット代が高いというのはもちろんあるけれど、それなりに安い席だってあるのだ。レスター・スクエアーのチケットブースに行けば当日のチケットが半額で買えるし、劇場によっては2階席やギャラリーをかなり手頃な値段で売っている。でもお金じゃなくて、意識的に「敷居が高い」と思っている若者達は沢山いる。

今回の政府の案では、とにかく「劇場で芝居を観た事がない若者達に無料のチケットを配る事でその機会を与え、観劇を身近な趣味として考えられるような環境を作る」という事だそうだ。確かにね、私が日本で芝居をやっていた頃なんて、普通の人は芝居なんて観に行った事がないという現状だった。高校の頃、一緒に芝居を観に行ける友達なんて一人しかいなかった

私の場合は、子供の頃から両親が子供向けの芝居に連れて行ってくれた事が大きい。木馬座とか、俳優座の子供劇場とか・・・まあ、子供向けミュージカルだよね。観てくるとプログラムの後ろについてるビニールのソノシート(レコード)を何べんも何べんも覚えるまでかけては歌っていた。中学に入って普通の大人の芝居を劇場に観に行くようになってからは、私にとって劇場に行くのは映画館に行くのと変わらない感覚だった。むしろ、芝居は一人で観に行くのが平気だったけど、映画は何故か一人で行けなくていつも誰かを誘っていた。なんでだろう・・・?映画館に一人で行くのってかなり大人になるまで気後れしていた。

ミュージカルのオーディションをテレビ番組にして大人気を博したおかげで、ここ2年間での劇場への観客動員数はうなぎ上りだそうだ。ほとんどはミュージカルが主体だけれど、去年は2006年より18%もアップしている。今年も秋にリバイバルされるミュージカル「オリバー」でまた新しいスターが誕生する。オーディション番組についてはこちらで触れてます。ミュージカルじゃないストレートプレイが苦戦しているウェストエンド。新しいそして若い「芝居好き」が増えてくれるというのは嬉しい。

日本でもどうかしらね。お相撲とか歌舞伎とか、テレビでしか観た事無いっていう人がほとんどだと思う。思い切って若い人達を呼びこんでみては・・・。80年代に劇団四季が初めてCatsをロングランした事の意味は大きい。何はどうあれ、ロングランするうちに口コミや評判が広がり、「一度行ってみようか」という事で初めて足を運んだ人は多かったはずだ

あれから10年もしないうちに東京にはあちこちに新しい劇場ができ、劇団と名のつく数がものすごく増えた。小劇場ブームなんて事まで・・・ロングランのない日本の公演は、今やチケット取るのが大変だなんてね。オークションに芝居のチケットが並ぶなんて・・!!! あの頃には考えられなかったよ。でもそれでもまだまだ芝居を観る人っていうのは本当に限られてるんだろうけど。

こんな案が出てくるイギリスの政治っていうのもユニークだ。でもね・・・ちょっと気になるのが、「フリーチケットの対象はあくまでも芝居を観た事がないような若者達」っていうんだけど、そんなのチケット購入の際にどうやってわかるのよ・・・?? おまけにその2年間に渡るフリーチケットの代金およそ250万ポンド、しっかり我々納税者の税金から出るんですってよ・・・・オリンピックもあるっていうのに、いったい私達にこれ以上どうしろっていうの・・・??!


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