Joe Ortonの芝居を観てきた。Entertaining Mr Sloane。
戯曲で読んでいて、一度観たいと思っていた芝居だ。場所はいわゆるウェストエンドの由緒ある劇場ではなく、5年前にトラファルガースクエアーにできたスタジオスタイル空間のTrafalgar Studioだ。
イギリスの風刺的ジョークはとてもキツい。
日本でも紹介されてる「モンティー・パイソン」や、「ミスター・ビーン」に出てくる内容でも解る通り、気の弱い人には笑えないようなものもある。弱いものや、人の欠点や弱点を逆に笑い者にしてしまうのだ。
Joe Orton(ジョー・オートン)は60年代に劇作家として、イギリス演劇界をショッキングな突風のように駆け抜けた。元々は役者志望で、17歳の時に名門ドラマスクールのRADA(Royal Academy of Dramatic Art)に奨学金を受けて入学している。(これには本人も回りもびっくりしたらしい)ジョーはホモセクシャルで、16年に渡っての恋人=パートナーとなるケン・ホリウェルともRADA時代に知り合っている。彼の書いた戯曲はどれも痛烈な風刺劇でミドルクラスやカソリック教会を挑発し、嘘や欲望、計算高さや残酷さが等入り交じった巧妙な筆運びで、規制の概念や偏見にとらわれない価値観を持った人々から絶賛された。
活躍した期間が短かったので作品は少ないけれど、64年の作品、Entertaining Mr Sloaneは大ヒットとなり、続くLootではいくつもの賞を受賞した。ところが、彼が34歳の1967年、長年のパートナーだったホリウェルに惨殺されてしまう。元々劇作家になりたかったのはホリウェルのほうで、ジョーに書く事を最初に奨励したのも彼だったのだ。ところがどんどんジョーが劇作家として成功していき、また同時に、派手なゲイ同士の性交遊を楽しんでいたジョーとの関係のもつれも相まって、最期は恋人を撲殺するという行為に追いつめられてしまったのだ。ホリウェル自身も殺害後に自殺している。
私がジョー・オートンの事を初めて知ったのは、彼とホリウェルのストーリーが映画になったのを観てだった。「実在したゲイの劇作家の話」という事しか知らずに観たのだけれど、前評判は結構聞いていた。ジョー・オートンを演じたのはギャリー・オールドマン(Gary Oldman)。彼はこの映画の前に、「Sid & Nancy」で元Sex Pistolsでヘロイン中毒で死んだシド・ヴィシャスを演じていたので、映画の宣伝は「シド&ナンシーのギャリー・オールドマンがジョー・オートンを演じる」というだけで充分イギリス人には評判だった。映画のタイトルは「Prick Up Your Ears」
この映画を観た後で初めて彼の戯曲を読んだ。60年代のイギリス、労働党政権でビートルズの人気は最高潮。そんな時代に思いっきりブラックなコメディーで人の弱点や残忍さや欲望をこれでもかと暴き立てるような攻撃的な芝居は、思いっきりショッキングだったに違いない。今だからこそ大抵の内容では驚かない時代になったものの、当時の演劇界に巻き起こした賛否両論は本を読んだだけで十分解る。
日本での上演を調べてみたら、Lootは、「薔薇と棺桶」というタイトルで上演されたらしい。成る程、、、日本語タイトル、良い線ついてる。いかにもフラムボヤントなジョー・オートンらしい・・・? 余談ですが、映画のPrick up your earsの日本語タイトルはただの「プリック・アップ」になっていた・・・!!? 本来はPrick up one's earsというひとつのフレーズで「聞き耳をたてる」という意味合いなのだけれど、これがプリック・アップだけだと、、ちょっと面白いんですけど・・・・英語のprickにはいくつかの俗語の意味があって、その一つは男性器=penisの事。これでprick upって・・・日本側配給会社さんのユーモアかしらね。この映画でのギャリー・オールドマンはとても良いです!!
昨日観たEntertaining Mr Sloaneはミドルクラスのある家を間借りする事になったミスタースローンと、その家のランドレディー、その兄、そして父親の4人で演じられる。40過ぎのランドレディーは自分の息子同然の若いスローンに心ときめかせ、母親のようにふるまったかと思うとスケスケのネグリジェで身を投げ出す→(後に妊娠)。いかにも老いぼれた風の父親は、新しい間借り人のスローンが実は遠い昔に強盗を働いて自分のボスを殺した犯人だと見破り、最期は開き直ったスローンに殺されてしまう。兄のエドは明らかに内心ゲイで、これまたスローンに取り入ろうと彼を運転手として雇い、全身革製の制服を着せてスローンを常に傍らに置こうと必死。最期には父親の死因を警察に嘘の供述をして、兄と妹が半年交代でスローンを所有するという契約を結ぶ・・・
中心にいるスローンは自信家で、計算高くて残酷だ。そして男にも女にも通じるセックスアピールがある。本の構成が巧いのは、スローン自身の心情は殆ど書かれていない。彼を取り巻く周りの人間が彼をどう扱うかでミスター・スローンが中心になっている。 彼は誰の事も何とも思っていない。それどころが年老いて弱った父親を残酷に小突き回して殺害してしまう。そんな残酷で心ない、でも魅力的な若い男に必死でアプローチする40過ぎ女とその兄。「父親の死を前にしてそれはありえないだろう〜〜!」という普通の観念はここにはない。人間の本性なんてこんなものさ、という挑戦的な芝居は、観客を挑発し爆笑を誘う。このミスター・スローンというキャラクターは、誰よりもジョー・オートン自身が演じるべきだったとも言われている。
こんな本を書く人がいたイギリスのその後の演劇はどうだっただろうか・・・?と考えずにはいられない。ビートルズが解散し、ロック世代の70年代、保守党が政権を奪回して初の女性首相になったサッチャーさんの時代、ヤッピーが登場し、エイズが広がった80年代、戦争に突入した90年代・・・・もしジョー・オートンが生きていたら、それぞれの時代にさぞ手厳しい本を書いていた事だろう。
スタジオという空間の劇場でジョー・オートンの芝居というと、やっぱり客層も空気も全く違う。私にはすごく気持ちのよい、懐かしい芝居の空気だ。そもそもこういうスタジオシアターに来る人というのは、観劇というよりも演劇好きな人達だ。まず観客に「お客様」がいない。観光客も、劇場にお出かけという事でおしゃれをした上品な人々もここにはいない。集まってきたのは、いかにも風刺的ジョークが大好きそうな、オープンマインドな芝居好きのイギリス人がほとんど。年齢層も高い。60代くらいの人がかなりいるのは、ジョー・オートンをリアルタイムで知っている世代の人達だ。一目でゲイとわかる人も多い。いかにも演劇やってますといった感じの若者も・・・こういう芝居の空気って大劇場のミュージカルにはない匂いがする。
残念だったよね・・・イギリスの演劇界は、その後のアンドリュー・ロイド・ウィバーと並んで、全く質の違うイギリスの芝居を創っていっただろう才能ある戯曲家を、30年前に亡くしてしまったのだ・・・惜しかったよね〜〜、、、