見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

カテゴリ: ロンドン演劇事情

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去年上演されていた時は、「トトロか、、子供向けのファミリー劇場かな」と思ってスルーしていたら、なんと舞台は大絶賛されて、イギリスのいくつもの演劇賞、さらにローレンス・オリヴィエ賞で6部門を受賞(ノミネートは9部門)という快挙になった。
再演が決まったというので、やはりこれは観ておこうとチケットを取った。お高いけど、、、! 

劇場はバービカン、久しぶりだな〜。 ここは蜷川幸雄さんがいつも日本からの芝居をひっさげてきた劇場だ。(ここだけじゃないけど)今や中年俳優の域に足を踏み入れつつある藤原竜也さんも、デビュー以来何度も踏んでいる舞台。「もうここで蜷川さんの芝居を観ることは無いのかな」と思うとちょっと寂しい。

それにしても凄い人だ。フォイヤーも売店も人が一杯。座席に着いてさらにびっくり、この広いバービカンが端から上まで埋まっている! カンバーバッチ氏のハムレットの時みたい、、、、すごいぞ、スタジオ・ジブリ。去年の評判で来た人たちに加えて海外からのお客さんも多い様子だ。

このバービカンの舞台は広い。だから壮大な空気感を出せるし、セットも大掛かりなものができる。「となりのトトロ」の話は私は全く知らなくて、姪っ子がまだ2−3歳の頃にぬいぐるみを持っていたので容姿は知っていたけれど、実は「トトロは大きい」ということを2年前くらいまで知らなかった、、、、

お母さんの胸の療養のために東京から田舎に引っ越してきた一家。古い家には何やら不思議なススワタリという黒い埃・煤のようなものがたくさん蔓延っているが、これは子供であるさつきとメイにだけ見えている。このススワタリもそうだし、トトロも「子供にしか出会えない」という生き物で、日本特有の神秘的な自然崇拝や都市伝説のようなイメージを持っている。二人の姉妹と村の人々、大学教授の父、不器用な男の子、病気の優しいお母さん、、、と心温まるキャラクターが揃ったところに、森の不思議な生き物トトロ。まさにファンタジーなのだけれど、これが結構現実的なストーリーだ。あちこちのシーンで起こる拍手に笑いや静けさ、それは見ている人が誰であろうと、心のどこかに共鳴するものを持っているからだ。
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セットの巧みさに思わず唸る、、ちょっと蜷川さんのマネもあるかな、とさえ思ってしまう。製作は天下のRSC=ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなので、芝居の質の高さは言うに及ばずだ。「子供向け」感がほとんどなくて、しっかりとした舞台演劇として作られている。役者たちもオーディションで選ばれたアジア系の人たちが「古き日本」の雰囲気を出していて素晴らしい。
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役者たちには日系の名前が多い。日本からの海外公演ではなくて、芝居は全て英語盤なので、バイリンガルか日系、アジア系の役者さんたちにチャンスがあったのは素敵なこと。アジア系の役者たちはまだまだ舞台で活躍できる場が少ないので、本当に良いチャンスだったと思う。12歳と4歳という設定のさつきとメイは子役ではなく二人とも大人の役者が演じている。これはオーディションの際に、微妙な気持ちの変化や素直な思いをきちんと形にして表現するには。子役ではなく大人の役者の技量が必要と判断してのことだったようだ。役者さんはお二人とも30歳となっているけれど、しっかりとちゃんと子供を演じていて、素晴らしかった。
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舞台上に生演奏でテラスのような場所から音楽を演奏するのも素敵な演出だ。なぜか歌を歌う場面は歌詞が日本語だった。でもそれでも伝わる、ということなのかな。(アニメの中での歌なのか、それが世界中で知られているのか、私にはわかりませんが) 

楽しくて、舞台芸術の可能性をたくさん観られる舞台だった。満杯の観客は最後のカーテンコールでは総立ちで、こんなに大きな完成と総立ち拍手はロンドンでは珍しい。でも本当に楽しかった!

そして、次には日本で大評判になったという「千と千尋の神隠し」がロンドンにやってくる。4月からの限定公演はあっという間にチケットが飛ぶように売れたらしく、夏までの延長が決まった。私も4−5月のチケットがあまり良い席がなくてどうしようと思っていたので、延長になった7月末のチケットで前方ど真ん中を取ってしまった。なんと!£170ですよ、、、!!しかも週末はもっと高い!

ロンドンの芝居も本当にお高くなってなかなか厳しいけれど、やっぱり良い作品を見ると幸せなので、これが私の贅沢と思っている。 

今年最後の芝居はRSC(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)の「Hamnet」
 
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そう、「ハムネット」。タイトルを見ると、シェイクスピアの「ハムレット」のパロディーかと思ってしまうけれどちょっと違う。
Hamnetというのは実はシェイクスピアの息子の名前。Maggie O'Farrell(マギー・オファーレル )の小説を舞台化したもので、ほとんど記録に残っていないシェイクスピアの家族に焦点を当てたストーリーだ。残されているシェイクスピアのプレイベートな記録はざっと次の通り。

 ストラートフォード生まれ。18歳の時に年上のアン・ハサウェイと結婚し、その半年後に子供が生まれて教会で洗礼を受けた記録がある。(つまりは、、、デキ婚!)子供は長女のスザンナと2年後に生まれた男女双子のジュディスとハムネット。そしてハムネットは11歳で亡くなっている。シェイクスピアが大半の時をロンドンで過ごした間もアンと子供達はストラトフォードで暮らしており、シェイクスピアは引退後にロンドンから戻って晩年を家族と過ごした。

これだけの記録から、シェイクスピアとアンはどんな夫婦だったのか、子供達との関係はどうだったのか、妻のアンはどんな女性だったのか、、、を肉付けした、これは「家族のストーリー」だ。

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この芝居でのストーリーの中心は実は妻のアンネスだ。芝居の中で、彼女のアンという名は実はAgnes=アグネスのgを発音しない「アンネス」だという設定になっている。アンネスは森の中で自然の声を聞いたり、薬草を煎じたり、直感で何かを知ることができる神秘的な能力を持っている。そのため、一部の人からはちょっと変わり者で「魔女なんじゃないか、、、」と噂されたりしている。けれで性格は大らかで大地のような強さを持った女性だ。まだ若いシェイクスピアが一気に惚れ込んでデキ婚に持ちこんでしまったあたり、あの時代の両家の反応はどんなだったか、、、というあたりも描かれる。

夫がロンドンで大成功していく間、ずっと田舎で家を守っているアンネス。年に1−2度しか帰ってこない父でも家族は平穏にストラトフォードで暮らしている。
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そして、息子の悲劇の死が訪れる。ここではジュディスとハムネットの双子としての独特の絆が感動的に描かれる。病(ペスト)に罹ったジュディスの傍を離れず、励まし、慈しんでいたハムネットの方が今度は倒れてしまい、ジュディスが回復する代わりにハムネットのほうが亡くなってしまう。

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息子を亡くしたアンネスの嘆きは夫に対する怒りも呼び起こし、数年後に夫が上演する演目が「ハムレット」と知ると、ロンドンまで芝居を観に行く、、、、
当時はHamletとHamnetは時にどちらの綴りも使われるいわゆる「同じ名前」のようなもので、アンネスは夫が息子の名を芝居にしたことで大事なものを奪い取られたような思いがしたのだ。
 
子供を亡くした家族が、夫婦が、どのようにその悲しみを消化して前に進むのか、、、?

RSCの皆さんの演技力はお墨付きだ。古典ではないこの芝居でも、古典劇でみせるセリフと感情の表現は、シェイクスピアの作品ではないものの「その時代」の空気を出していて、やっぱり役者たちの力量だ。

何百年経っても上演されて続けているシェイクスピアの作品たち。どれも時代・世代・国境を超えて、人間であれば必ず理解・共感できる題材で、どの作品でも「シェイクスピアの人間洞察力は半端じゃないな」と感心する。宮廷人として、セレブのような地位にあった彼も、父であり夫としての姿があったのだ。そういえば、双子の出てくる芝居もいくつかある。彼の描いた女性キャラクターの中に、妻のアンそっくりの人もいたのだろうか、、、本人が人間臭い人だったからこそ、人物を描くことにその才能を開花させたのかもしれない。

知られざるアン・ハサウェイの「あったかもしれない」物語をもう少し追ってみたくなったので、原作の小説を読んでみようかな。最近は本を読んでないし、、、

珍しく平日のマチネだったので、休みのお昼にWest Endに出て、ジャパンセンターでラーメンなんて一人で食べてしまった。クリスマス前のピカデリーは凄い人だった。日本食材をちょっと買って、ラーメン食べて芝居観て、、、これぞ休みの日の幸せ!!

 



Covidのロックダウン以来、すっかりペースが変わってしまった劇場通い。ロックダウンが明けてからも、やっぱり不安が残っていたので、大きな劇場は避けたり、どうしても行きたいものに厳選していたので、この一年で4本しか観ていない。以前は最低でも月に1本は観ていたので、最近はなんだか少しずつお金が残る、、、、?

そろそろ本格的に芝居を観たくてウズウズし始めたのでちょっと時間をかけてチェックしてみる。なんと!まずびっくり仰天なのは、チケット代が大幅に跳ね上がっているという事!
電気代やガス代等の大幅な値上げに加えて、ロックダウンの間のロスを取り戻そうということなのだろうけれど、普通の芝居でもトップシートが£100を超えるようになった!!ミュージカルなんて、「うっそ〜〜〜!!」と叫ばずにいられないお値段になっている!!

イギリスでは最近地下鉄・鉄道のストライキ、看護師・ジュニアドクター達のストライキ、、、と皆んなが給料値上げに大騒ぎしているが、私の年収はこの10年変わってないのよ、、、、!ストライキも現実を考えると一般市民としてはサポートできない状況になってきてる。だって、既に年収600万円位もらってる人たちが5%増のオファーでも拒否してるんだから、、、NHS(国民健康保険)関係のストライキは手術や大事な検査のキャンセル・延期が相次いで、200万件もの遅れが出ている。

実は去年の10月にちょっとした事故で肩を骨折したうちの彼も、やっと9月に手術が決まっていたのに、さらに6週間延期になった。怪我をして丸一年以上経ってから手術して、「完全に元にもどるかどうかの保証はない」なんて言われてもねえ、、、、怒りしかないんですけど。

すべてが値上がりしている状態で、もちろん収入の値上がりも必要なんだけど、やたらとストライキすればいいってものでもないんじゃない? 今は連休なのに、また全国的に鉄道がストライキ。夏の終わりの連休で、家族で出かける人たちも多いし、あちこちでコンサートやカーニバル等の催しに影響が出ている。前にも、仕事帰りで時間ギリギリの芝居を観に行った日が地下鉄のストライキで、最後は走って1分前に滑り込んだ事もあった。

そんなこんなで、芝居を観に行くのも最近は一筋縄ではいかない。それに加えて、私もだんだん仕事の帰りに芝居を観に行くのはとても疲れるようになった、、、、だから、観るものを厳選しないと、途中で寝ちゃったりしたらもったいなさ過ぎる。

この1−2年は、やっぱりCovid以来のスロースタートだからか、上演されるものも「これは観たい!!」と食いつきたくなるもの自体少なかった。一流の役者を呼んで、手間とお金をかけたプロダクションが減っていると言える。それがやっとそろそろフルスケールの芝居が戻りつつあって、そうなるとこれまたびっくりするお値段になってしまっているのだった、、、、

観たいと思ったミュージカルの「サンセット・ブールバード」、主演がニコール・シャージンガーで、演出はジェイミー・ロイド。久しぶりに観たいかな、と思ったもののちょっと考え中。できれば再演ものよりの新しい芝居が観たい。それにしても普通の芝居で£100超えなんて、また生活きつくなるわ、、、

でもとりあえず、年末から来年にかけて2本チケットを取った。あと2つ考え中の芝居があるけれど、これはお金と相談中、10月にはまた日本に行くし、その後彼が手術したらしばらくまた右手が使えなくなるから仕事できないしね。日本でも何か観たいと思ったら、天海祐希さんとAdam cooper氏のコンビで芝居がある!でも私が気づいた時はもう売り切れ状態で、こちらも本当は凄く観たいけれど、定価以上の譲渡チケットを買うほどの余裕はなさそうだわ、、、誰か昔の仲間うちでツテがあれば別だけど、諦めるしかないかなあ〜〜

一方で、諦めていたのに舞い込んできた情報が「ワンピースオンアイス」のオンライン配信!
これは無理だろうと実は思っていたので、うれしいやらびっくりやら、、、Abemは本当は海外からは観られないのだけれど、もちろん裏技はあります!、、、という事で、早速マルチアングルチケットを購入。本当に、昌磨さんだけでなく、出演者みなさんの意気込みや観た人からの絶賛の声を聞いて「ああ、観たい1」と思っていた。しかも配信は最終日で日曜日の夕方の公演、時間もバッチリ!こんな奇跡は滅多にないからね〜。来週の日曜日はちゃんと起きて、朝9時からの(こちらで)開演に備えます。

6000円がすごく安く感じるというのが怖いところ。実際のチケットはトップシートで30000円だそうだから、お安いものです。楽しみ楽しみ!!
 

今年初の芝居のチケットはもう数ヵ月前に取ってあったので、実は演目を忘れていた。いよいよとなってチェックすると「Phearda」だ。フェードラといえば何年か前にヘレン・ミラン氏のラシーヌの舞台を観て、凄く良かった印象あるので、自分がどうしてまたフェードラを観ようと思ったのか忘れていた。しかも日本で大竹しのぶさんが演じた舞台の劇場放映版も最近観たので、「なんでまたこの芝居を、、?」とちょっと不思議に思った。私はあまり同じ舞台を繰り返して観ない。もちろん役者や演出が違えば面白い作品になるのだけれど、シェイクスピア以外に芝居はあまり再演ものは見ることは少なくて、できれば新作を観たいと思っている。

てっきりラシーヌのフェードラだと思い込んで劇場まで来たので、幕が上がった途端に「???!!!」だった、、、、、そうだよ!私がこの芝居のチケットを取ったのは、これが全く新しい解釈の新作「Pheadra」だからだった、、、、! というわけで最初から頭をリセットして観る。
もとが古いギリシャ悲劇ということで、数あるヴァージョンではストーリーの展開も多少違いがあるフェードラだが、基本のコンセプトは「義理の息子に恋した女」の話だ。

話は現代のロンドン、フェードラのキャラクターはヘレンという役名で、野党内閣の議員という女性政治家という設定だ。結婚した娘とまだ15歳の息子がいる4人家族で、幕開けからは、ミドルアッパークラスの家庭の一時が繰り広げられる。そこに訪ねてきたのが、遠い昔、まだ若いヘレンがモロッコに滞在していたときの恋人の息子、ソフィアンだった。そしてヘレンはソフィアンにかつての恋人の面影を見いだし、彼にのめり込んでいく。
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会話はかなりコメディータッチで、随所で笑いを誘う現代劇なのだが、ヘレンが年甲斐もなくかつての恋人の息子に熱をあげ、さらには娘のイゾルデも彼と関係を持つようになり、しだいに状況は不均衡になっていく。ヘレンの夫はそれなりの夫=父親としての存在感を保ってはいるものの、やはり「妻のほうが自分より上」という状況を受け入れている。イゾルデの夫のエリックは今流行りの「メテロセクシャル」な人種として描かれ、ティーンエージャーの息子はいかにもスポイルされた、ちょっと知ったかぶりのするイマドキの子。

ソフィアンはイギリスに政治亡命 してきて、イギリス中部のバーミンガムに住んでいるのだが、そこに入れ替わり立ち替わりヘレンとイゾルデが出入りしては関係を続けていく。野党内閣の政治家であるヘレンがまるで10代の娘のようにソフィアンにのめりこんでいくうちに崩壊を迎えるのは元々の「フェードラ」のコンセプトなのだが、ちょっと本が切り込み切れていない感じがする。

ソフィアンを演じるAssaad Bouabは、フランスの役者で、全編フランス語訛りの英語を話す。設定がモロッコからの移民なのでこれは問題ない。そして2幕に入って、モロッコでのシーンにはソフィアンのモロッコの妻が登場し、彼女はすべてのセリフをアラビックで話す。芝居はヘレンに焦点を当てて進むのだが、影のように、ソフィアンの死んだ父、アシュラフ=ヘレンのかつての恋人が息子に残したテープに録音されたメッセージが 流される。アシュラフは妻や息子を残してヘレンと逃亡する前にこのテープを残したようだ。そして事故が起こり、ヘレンだけが助かるのだが、これはもしかするとアシュラフはヘレンと二人で心中しようとしたのか、、、?とも思わせる内容だ。このアシュラフのメッセージも全てアラビックで語られ、その度に字幕が出る。
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後半は特に字幕が多くなって、なかなか大変だった。舞台の上下左右に電光版で英訳されているのだが、いちいち目をそむけなくてはならないのでやっぱり苦しい。特にソフィアンのモッロコの妻が彼の最期を語るシーンはかなりの長台詞を物凄い迫力で演じているので、字幕から目に入る英語のセリフと耳から飛び込んでくるアラビックの声が凄みがあって生きていた。演じている女優さんは普通にロンドンの舞台に出ている人なので、バックグラウンドによるバイリンガルなのだろう。

役者がバイリンガルというのはロンドンの演劇の幅を広げている。言語に限らず、最近では体に障害のある役者さんもよく見かける。五体満足でなくても、言葉に外国訛りがあっても舞台で活躍できるというのは、日本ではまだまだなのではないだろうか、、、、、いろんな人種が混ざり合った世界での演劇の幅の広がりはこの10年くらいで随分進化したと思う。「オペラ座の怪人」のクリスティーンに黒人の女優さんがキャスティングされた時も初めは話題になったかけれど、すんなりとその歌唱力で受け入れられた。

それにしても、私としてはこれは無理に「フェードラ」にしなくても良かったんじゃないか、と思う。最後を悲劇にするにはちょっとコミカルな部分が多すぎる本だし、それと後半の重みを対照的にしようという試みはちょっと弱かったように思うからだ。別にフェードラのコンセプトに関わらず、全く新しい本としてもっと幅を広げたほうが重みを出せたんじゃないのかな。それなりに面白かったんだけど、どうしても「Pheadra」に拘った部分に無理があったように思えてならない。

ヘレンを演じたJanet McTeer氏は素晴らしかった。だからこそ、余計に最後が滑稽に見えてしまって、、メインキャストは6人、、そして2幕のモロッコでのシーンに登場する数名というカンパニーだ。ちなみにソフィアン役のアサードはフランスでラシーヌのフェードラでイポリート(この芝居でのソフィアン)を演じたことがあるそうだ。

本としては、やっぱりラシーヌの洞察力には及ばなかったかな。でもNTは好きな劇場だし楽しいひと時だった。途中で後ろの席の人が何度も咳をするのでちょっとナーバスになったけれど、もう今は誰もマスクはしていない。一応持ってはいたのだけれど、結局つける勇気が出ずに終わってしまった。日本はまだ感染者数とかが出ているようだけれど、もうこちらでは全く話題にならないからねえ、、、、、

さて、F1も初戦が始まって、スケートは4大陸もジュニアの世界選手権も終わり、日本選手の次世代の活躍に大いに盛り上がったところで、いよいよ来週から世界選手権だ。今年はその後に国別もある。もう一踏ん張りのスケートシーズン。放映はどうなるんだろうか、、、こっちのテレビでやってくれるのか、youtubeか、Eurosports か、日本のテレビ中継で見るか、、?ワクワク、ドキドキ、、、!!

 

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コロナ以来すっかり激減した劇場通い、でもせっかく年末年始は休みなので年の締めくくりに観に行くことにした。最近はすっかり大劇場よりもスタジオ式の空間がお気に入りで、今回もキャパ200のPark Theare。規模は小さくても高評価の演目で評判の劇場だ。

舞台は1900年クリスマス直前の話。Wickiesというのは灯台で導火線等を管理する、いわゆる灯台守たちを呼ぶスラング。(当時はオイルランプだった)そしてこの芝居には「消えたエラン・モール(島の名前)の男たち」という副題が付いている。エラン・モールはスコットランドの西側にある群島の一つで、燈台を管理する3人以外に住んでいる人はいない。
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エラン・モールの灯台には常時3人が勤務している。常任でベテランのジェイムス・デュカット、第二キーパーのドナルド・マッカーサー、そして臨時に加わった漁師のトーマス・マーシャル。ジェイムスはもう長年ここに勤務しているベテラン、ドナルドも常時勤務だが、トーマスは今回初めて配属された季節やといのメンバーで一番若い。

若く元気なトーマスは新鮮な目でこの灯台での暮らしを見回す。スコットランドの冬は寒く、何より暗い。島での生活は日は短く、冬の期間はほとんど嵐のような日が続き、なにより他に誰もいないとあって孤独だ。他の先輩二人と少しずつ打ち解けるうちに、彼はこの島にまつわる不気味で不思議な逸話を聞くことになる。

トーマスは二人に「家族が遊びに来たことはないのか」と聞くと、二人の空気が一変する。話したがらない二人を問い詰めて聞きだすと、前任者の家族に悲劇があったことを話し始める。島には人は住んでいないが、この灯台は前年にできたばかりで新しく、居住エリアも充実している。物資は定期的に運ばれ、2週間ごとに数日の休日があり、その時は島を離れて家に戻るのだ。トーマスは前任者の家族が遊びに来た際、幼い娘の一人が海にさらわれ、もう一人の妹も島の古い教会で姿を消してしまったという話を聞く。そして母親は錯乱して自殺、、、この島はそれ以来呪われているというのだ。
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ちょっと怖いお話だ。怖いといえば、なんと言っても「Woman In black」に勝る芝居はないと言っていいと思うのだが、この話もなかなか怖い、、、日中がほとんど数時間という冬のスコットランド、他に誰もいない孤島、他の世界から切り離された孤独感と、言い伝えによる摩訶不思議な恐怖感は次第に3人の男たちの精神を追い詰めていく、、、、、

実はこの話が本当に怖いのは、実話に基づいているということだ。1900年の12月26日、交替要員と物資を運んできた船の船長は誰も出迎えに来ないことを不思議に思う。灯台に行ってみると、誰もおらず、鍵はかかっていない。台所では椅子が倒れたままになって食べかけの食事が残っており、一人の外套はドアにかかったままだった。通常、3人が一度に持ち場を離れることは禁止されており、さらにこの寒い冬の夜に防寒外套も着ないで外に出るのも考えられなかった。

さらに、残されていたトーマスによる日誌には、12月の12.13,14日と「これまでの人生で経験したことが無い大嵐、3人で祈り続ける」と記されていて、最期の15日には「やっと嵐が収まった。海も静か。すべては神の御手による」とある。日誌にはジェイムスは嵐の間ひたすら無口、ドナルドは泣いていた、3人で祈っているとも記されていた。調査にあたった警察は何の手掛かりもないまま、17日に島を襲った大嵐で2人が風か波にさらわれ、あわてて外套も着ずに駆けつけたドナルドも海に流されたのだろうという結論にするしかなかった。
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ところがこれには異論がいくつもある。一番の謎は12月の12日から15日にこのエリアでの嵐は記録されていない。それどころか、隣のセント・ルイス島からもエラム・モール島がよく見えていて、これは天候が悪かったらたちまち視界から消えているはずである。たとえ嵐でも、まだ新しいこの燈台の居住エリアは充分に安全で、そこまで緊迫して神に祈るほどのことは無いはずである。このエリアに大嵐が来たのは17日のことである。ところがその前日で日誌は終わっている、、、、、

亡くなった人たちの怨念、呪い、時折現れるぼやけた姿や声、、、かなりの恐怖感を呼び起こすお話だ。芝居は灯台での3人の役者が事件を捜査する警察官の3人も場面の入れ替わりで演じている。忽然と姿を消した3人の調査と、当の3人の様子が交互に場面転換されていく。長年の孤独な生活に自分を抑えて黙々と仕事に従事するジェイムス、やりきれなさや束縛感をお酒を飲むことで紛らすドナルド、新鮮な目で状況を見渡し、それでもだんだんと暗く不気味な心情に引きづられていくトーマス、、、嵐の中で3人が見た姿、追いかけた声、そしてその後の「誰もいなくなった」静寂、、、

実際の事件の詳細を芝居を見た後になってじっくりと読んで、さらにじわじわと怖くなってしまった。本当のミステリー。120年経った今でも真実はわからない。でも、それ以降の灯台管理の人たちが不思議な音や声を聞いた、、という話は今でも残っているそうだ。

3人で6人を演じるという小ぶりながらも巧みな本と演出で、自分から1−2歩のところに役者がいる親近感からくる恐怖感の煽り。演じている側の恐怖が肌で感じられる空間を活かした作りになっていて楽しめた。最初の部分だけ、スコッツのアクセントがあまりにも強くて集中したけれど、耳慣れるとすぐに入ってくるのがスコティッシュアクセント。クオリティーの高い舞台だった。

今年はまたもっと芝居が観たい!


あっという間に4月も半ば。なんだかずっと寒くて冬から抜けていなかったイギリスだけれど、ようやく今週は日中15-17度に上がるようになった。でも朝晩の通勤時には結構寒いから、一日仕事していると結局関係ない、、、、

すっかりCovidのことなど忘れてしまったかのようなイギリス。だんだんバスの中やお店でマスクをする人も減ってしまって気がついたらもう誰もしてない??、、状態。そうかと思うと中国では上海周辺でまたロックダウンしているようで、仕事にも支障がでてきている。注文しても中国からのデリバリーがキャンセル続きとかで、入荷予定が6月末とか、、、、

先週久しぶりで行ったFinsbury ParkのPark theatre、ここもキャパ200のスタジオ式の劇場だけれど出演者のクオリティーは高い。 演目は「Clybourn Park」アメリカで2011年にピューリッツァー賞を受賞した作品で、なぜか私はこの題名を見て「以前に見た芝居」だと一瞬思った。以前というのはもう20年くらい前のように思っていて、それは出演者の一人、イモジェン・スタッブスが出ていた別の芝居と混同したようだ。

一幕の舞台は1959年。朝鮮戦争から戻った息子がある朝自殺してしまったベヴとロスの夫婦。彼らと¥黒人のハウスメイドのフランシーヌは近々引っ越すための準備をしている。そこへ近隣の人々がやってきて、ロスの家を今度買うことになったのは黒人の家族だと告げる。黒人などそれまでいなかった地域に、それがどんな影響を及ぼすかを話し合う住民たち。それぞれのキャラクターが独自の見解を面白おかしく繰り広げ、この辺りは会話劇の面白さだ、2幕は同じ家の2009年。この50年の間にこのエリアは黒人が主流になっており、同じ役者たちが違うキャラクターで、今度はこの家を白人夫婦が買うことになったのをまたも喧々諤々と話し合う。一幕のキャラクターの子孫にあたる人がいるが、ほとんどは近年ここに住むようになった人たちだ。その中で、50年前にこの家の中で自殺した息子がいた話も明かされて、地域住民達の話し合いは、やがて普段は言わないようにしていた本音をぶちまけ合う喧騒に発展していく。

セリフの応酬による面白さの脚本なので、主題は何か、ということではないが、役者たちの力量でそれぞれのキャラクターと彼らの「言いたいこと」が生きてくる芝居だ。実はこういう芝居を昔やって、苦労したことがある。会話のテンポや間合いで芝居の面白さを引き出す本なので、ストーリーではなくキャラクターが重要だ。こういうタイプの芝居は長い間観ていなかった気もする。

スタジオシアターに来る人たちはやっぱり「お客さん」がいなくて、いつもの「ざわざわ」が戻ってきている。周りの人に親近感を感じる演劇空間だ。ひとつだけやっぱりちょっと違和感だったのが、役者たちが使っているアメリカ・シカゴ訛りの英語だ。それも最初はみんなアメリカイントネーションで話しているのだけれど、会話が激昂してくると普通に戻ってしまうのが面白かったよ、、、、

ロックダウンの頃に公開されたと聞いていた藤原竜也さんの映画「鳩の撃退法」がWOWOWで放送されていた。ミステリー仕立ての構成でこれは原作本が面白いのかなと思った映画だ。映画やドラマもいいけど、そろそろ藤原竜也の舞台が観たいなあ〜〜。「MUSASHI」の再演はどうだったんだろうか。井上さんも蜷川さんもいなくなってしまってのムサシ、ロンドンで見たときよりも進化したのだろうか、、、

日本行きもなかなか決められない。どうやらロシアのおかげで、フライトのルートが変わっただけでなく続々とキャンセルになっているらしい。1日の変更ならいいけど、キャンセルになって数日のズレが出ちゃったりすると仕事の休みが確保できない。本当なら5月くらいには行きたかったけど、やっぱり秋になっちゃうのかな〜〜

これからはスケートはアイスショーのシーズンだ。今年は宮原知子、田中刑事両選手に、なんとアメリカのスウィートハート、アリッサ・リウ選手も引退を発表した。刑事君は去年あたりから「アイスショー向け」のスケートにシフトしているような印象を受けたから、今年かなあ〜とは思ったけれど、さっとんの引退は残念だ。でもやれるだけやって決めたことなんだろうね。彼女もこれからきっとアイスショーに世界中から声がかかるだろう。プロとしての素晴らしい演技を応援します!!スターズオンアイスで高橋大輔さんがさりげなくさっとんをカップル競技に誘っていたのがよくわかる。ほんと、素敵かもしれないね、宮原知子のアイスダンス。でもパートナーがいないかなあ〜〜、、、、、
アイスショーも結構BSやCSでの放送もありそうなので、夏の間はまた別の楽しみ方ができそうだわ。

 

THE FOREST Marketing Image Shaun Webb Design
待ってました!のワールドプレミアです。フローリアン・ゼレールの新作「The Forest 」ウェストエンドではなく、私の大好きなHampstead Theatre。ここは小規模な小屋だけれど、作品のクオリティーにはほぼハズレがない。
Florian Zellerの新作でワールドプレミア、小屋がハムステッドシアター、そして何より主演に大好きな俳優人の名前が並び、演出はジョナサン・ケント。この並びを見ただけで5分以内にチケットを取った。 

丸2年ぶりの劇場での芝居!、、いや、正確にはクリスマス前にもコメディーを観たのだけれど、Covid 事情もあって実感がなかった、サクっと観た娯楽芝居だったのでブログにも書かなかったっけ、、 

今をときめく話題の脚本家になったゼレール氏、自ら監督して映画化した「The Father=Le Pere」は主演のアントニー・ホプキンズがアカデミーを取ったのも記憶に新しい。今回はどんなテーマで来るのかなと思ったら、そう、ことの始まりは浮気、、、、

舞台のセットは3つの空間に分かれている、一つ一つの空間は使われていない時には全く視界に入ってこない、つまりは「違う世界」のような印象を与える。最初の場面で「男1」(後で名前はピエールだとわかる)が仕事から帰ってくる。彼は有能な外科医で患者から感謝の花束が届いている。いかにも両家の奥様風な妻から娘が泣きながら帰ってきていると聞き、事情を聞くと、どうやら長年一緒にいる彼氏が浮気をして裏切っていたらしい。娘を気にかける両親との場面はどこにでもある普通の家庭だ。
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場面は最初の場面の上にある空間に変わって「男2」が女性とベッドで情事を終えた様子。まだ若いソフィーはハキハキとして行動的、かつ大胆な性格のようだ。初めはこの男がさっきの娘の彼氏なのか、、と思いきや、どうやら違う。実はこの男2は男1と同一人物だ。ここは、優秀な外科医とは違う顔のピエールが関係を続けている愛人の部屋だ。そしてさらに右側に位置する空間ではこの男1が、顔面白塗りの精神科医に「真実を話せ」と詰め寄られる、、、場面が一巡りすると今度はまた初めと同じ場面に戻って同じ芝居が始まる。が、少し内容が変わっていく。この手法は「ゴドーを待ちながら」と似ているが、男1と男2が入れ替わりながら、実はピエールこそが長年浮気をしていて、しかもそれがだんだん手に負えなくなってきていることが解る。

逢って、寝て、帰っていくだけの関係にイライラし始めたソフィーは「いつ奥さんと別れるのか」という、お決まりの方向に走り始めていて、ピエールはいつ彼女がとんでもない事をしでかすかと気が気でない日々を過ごしているのだ。家のリビング、彼女の部屋、そして精神科医の部屋の3つの空間で交互に芝居が繰り返されるにつれ、どんどん空気は張り詰めて行き、ピエールの心境は追い詰められていく。
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なぜタイトルがThe Forestなのかは、途中で明確にされる。白塗りの男が話を聞かせるのだ。ある国の王子が森に狩にいき、そこで立派な牡鹿に出くわす。「どうしてもあの鹿を捉えたい」と必死に追いかけ、いつしか気づいた時には森の奥深くに入り込んでしまっていて、戻る道もわからなくなっていた。王子は途方に暮れ、今では本当にあの美しい鹿を見たのかどうかもあやしく思えてくるのだった、、、、

ピエールはまさにその状況に追い込まれている。家庭を壊すことなど全く毛頭になく始まった愛人との関係は、確かにいつもの仕事とも家庭生活とも違うスリルと興奮に満ちていたはずなのに、今や家庭を脅かす存在になりつつある彼女に恐怖すら抱いている。家に毎日のように無言の電話がかかるようになり、妻は不思議そうに、そして少し猜疑的にその事をピエールに話す。「奥さんに言うわよ」というお決まりのような脅し文句を口にするようになった彼女の部屋に慌てて駆けつけると、彼女は部屋で血まみれまになって息絶えていた、、、白塗りの男(精神科医?)が問い詰める、「本当の事を言え、お前はどうしたいのだ?何をしたのだ?」
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一人の人物を二人の俳優で場面ごとに演じるというのは面白い手法だ。それによってこの男が異なる二つの世界で生きていることが表れているのと、「嘘の言葉」と「追い詰められる心」の葛藤にもなっている。嘘に始まる謎、ピエールを問い詰める白塗りの男は医者でもあり警察官でもある、、、謎のロシア男が「その筋」の人間を使って彼女を殺した=消したのか?、、、殺したのはピエールの心なのか、、、?
はっきりとした結末を突きつけるのではなく、観客に最後の判断をさせるようなミステリー仕立て。

ジョナサン・ケント氏の演出は先にも書いた通り、舞台を3つの空間に分ける事で一人の男の「違う世界」を写しだす。ピエール役のトビー・スティーヴンス氏と妻役のジーナ・マッキー、そして男2のピエールを演じたポール・マッガーンは舞台やテレビで何度か見ていて「間違いない」役者さんたちなので、楽しみにしていたのだけれど、この巧妙な本を確かな演技力でグイグイ引っ張っていく。見る方が少し頭を使う、でも全く判らなくならない、という微妙な構成の本を演出と演技で創り上げていくのはどんな作業だったのか、その稽古場を覗きたくなってしまう。

休憩なしの1時間半弱。ゼレール氏の本はいつも「怖い」。それは人間の中にある本質だからだ。彼の芝居は「嘘」から始まることが多い。嘘、あるいは「本音を言わない」ことから話が曲線を描いていくのだ。嘘をつくと人は怯え、焦り、怒り、取り乱し、途方に暮れる。「本当のことが見えない」ことから起こる様々なミステリーのような紐解きを描くのが本当に巧いと思う。「Father」も「Mother」も、「The Son」もそして「The truth」も、本当の心を探ること、理解することに苦しむ人間模様のを描いている。

芝居見に来た人の中には浮気の一つもしている人がいるかもしれない、と考えるとこれはかなり怖い話で、ミステリーを通り越してホラーに近い心境になるかもしれないね。

Covid の規制が全て無くなって初めての芝居。客席もフォイヤーも人は満杯で、久しぶりにあの劇場のザワザワとした音を聞きながら、それでも消毒液を使ったりプログラムやカフェの注文も全てカード支払いのみ(カードをかざすだけなので手に触れない)だったりと、一応の気配りがされていた。場内でマスクをしていたのは、、、う〜〜ん、半分以下だったけれど私はずっとしていた。

久しぶりに「芝居を観た!」と実感!どうやら3月に入って日本側の入国規制も無くなった様子だ。イギリスからの帰国も隔離はなく、3回目のワクチンを受けていればそのまま入れるようになったらしい。
フィギュアの世界選手権のすぐ後に開かれるスターズオンアイスにはアメリカの選手たちも名前が入っているので、また今年の夏は楽しいアイスショーが復活できますように。こればかりはまたいつ状況が変わるとも限らない。おまけにロシアの暴挙で飛行ルートにも影響が出ているし、、、本当に早く馬鹿げた侵略はやめてほしい!


 


やっとイギリスのロックダウン解除もあと一歩のところまで来た。本当は来週から最終段階を解除するところまできていたのだけれど、ここへ来てデルタ型(インド型変異種)の感染が広がっているので、政府は解除するのを延期した。これは私は賛成で、やっぱり仕方ないと思う。ナイトクラブやコンサート・スポーツ観戦、劇場関係は今しばらくの辛抱になってしまったけれど、伸ばした期間中にワクチンをもっと若い年齢層にも行き渡らせて様子を見るべきだ。

最近のデルタ型の感染者は圧倒的に20~30代の若い層が多い。この年齢層はまだワクチンが広く行き渡っていない。打ち明けでは感染者のうちワクチン未接種の人が7割、1回目の接種を受けて2度目がまだという人たちが1.5割ということなので、少なくともワクチン接種に効果があることは判る。

そうこうするうちにヨーロッパではサッカーのユーロ杯真っ只中だ。今はまだグループステージの段階なので、ヨーロッパのあちらこちらで各組の試合が行われている。見ていると、観客がビッシリ入っているところもあれば、半数あるいはそれ以下の観客数で行なっているところもあり、国によってCovidの影響にばらつきがあるのがわかる。準決勝と決勝は今年はイングランド(ウェンブリースタジアム)で行われる。いつもならウェンブリーのキャパは90000人なのだが、今回は4分の一の22500人に縮小されている。それでもゲーム中の観客の声というのはやっぱり違う。今まで無観客での試合の時は、スピーカーで観客のどよめき音を流していたりしたけれど、なんだか虚しかったよね。

本来はユーロの盛り上がりから一気に夏のオリンピックという流れなのだけれど、東京オリンピックはどうなるのだろう、、、ここまできたからには無理やりやるのだろうけれど、それにしても海外からの観客無しはちょっと難しいね。選手たちの心境は本当に穏やかでないことだろう。フェアな大会になるんだろうか、、、

劇場もそろそろ開き始めている。少し様子を見て、9月頃からの芝居をチェックしてみようかな。いや、その前に8月にイアン•マッケラン氏のハムレットをどうするか、、、だ。来週から予定通り幕は開くみたいだ。ボスが7月末に身内の結婚式でマヨルカに行くので、帰ってきたときに隔離期間がどうなるかで私がいつ休みを取れるかを決められる。スペインはアンバー(赤、黄、緑に分けられた国によって帰国後の隔離が必要かあるいは期間が決まっている)なので、今の規定だと10日間の隔離が必要だ。

2回目のワクチンを受けた人は海外への行き来も規制が緩和されるような話も出ているので、これから秋にかけてもっと自由になるといい。イギリスは既に30以上の大人は70%がワクチンを受けた。デルタ型の感染数が増えてはいるけれど、その割に死者数は増えていない。入院率が下がるだけでも違う。
もう少しだ、もう少しでまた劇場で芝居観る楽しみがもどってくるよ。


 


コロナウィルスの感染拡大でイギリスがロックダウンになったのがちょうど一年前。はじめは「とりあえず2週間」なんて言っていたのが、仕事も休みになって3ヶ月の休職になり、先がどうなるのか誰にも解らない状態で家にいる毎日が始まった。

もう丸一年だなんてね。本当にあれ以来一度もロンドン市内には行ってないし、電車にすら乗っていないし、誰にも会っていない。やっと美容院の予約を入れた。美容院が開くのは来月の12日から。私の休みとスタイリストさんの予約状況が合ったのが27日だ。まだあと1ヶ月もあるよ〜〜!本当にもう早く切りたい!! 一年で20センチは伸びてるよ〜、、、

日本のテレビで放映された野田秀樹作品の「真夏の夜の夢」、鈴木杏さんを観たかったので嬉しかった。野田さんの作品を演出したのは、ルーマニアのシルヴィウ・プルカレーテ氏。シェイクスピアを原本に新しい、そして本当に夢のような一夜の物語になっている。野田さんの本も昔と比べると変わったなあ〜と思う。若い頃(夢の遊民社)は物凄いスピードとエネルギーで考えさせずに一気に突っ走る感があったけれど、最近の作品はもっと深く頭と心に入り込む隙間ができているようだ。ちょうど「偽作・桜の森の満開の下」も数日後に放映されていて、(舞台は2018年のヴァージョン)比べてみると、その本の書き方の違いがよくわかる。深津絵里さんももっと見たいなあ〜。

ぼちぼち劇場の再開も視野に入ってきて5~6月ごろからのプロダクションの宣伝が始まっている。一番の注目はイアン・マッケラン氏の「ハムレット」!!彼だけではなく、他の出演者達も見逃せない顔ぶれが揃ったカンパニーだ。名優マッケランももう82歳だ。彼の舞台を生で見られる機会は多分もうほとんどないだろう。若い頃から数々のシェイクスピア作品を演じてきた彼のおそらく最期のハムレットだ。

そしてこの「ハムレット」と同じカンパニーでその後に引き続いて「桜の園」も上演されるという。2シーズン連続でのダブルビルだ。見逃したくない!!

ところが、、、実はこの2つの公演はロンドンではない。ウィンザーのTheatre Royalで上演される。エリザベス女王お気に入りの第二居住地でもあるウィンザーは、まあロンドン郊外と言っても良い距離で、電車で丸1時間くらいなのだが、流石に終演後に家まで戻るのは考えたくない。(ロンドンまでは電車で1時間でも、そこから北ロンドンの我が家まではさらに1時間はかかるし、終電に間に合わない)とすると、ウィンザーで1泊はしないと無理だ。

いつもなら、カレンダーを見て休みの日を決め、さっさとホテルも取ってチケットゲットで楽しみにするのだが、なにせこのご時世。チケットは最初の数週間は席数も少ないし(半分くらいしか出ない)もうあっという間に売り切れるかと思ったら、思ったよりもチケットの売れ行きはスローペースのようだ。
でもこれは逃したくないのでマジで考える!!

他に注目しているのが、5月からレイフ・ファインズ氏が演出+出演する「Four Quartets」だ。T S エリオットの「四つの四重奏 」を舞台化だ。レイフといえば、ルドルフ・ヌレエフを描いた映画「ホワイトクロウ」(ミハイル・コリヤダ君の今季のフリープログラム!)を監督し、私は監督・演出としての彼にも注目しているので、今回の舞台も是非見たい。ところが、、、こちらも遠い所での開演だ。Bath に始まり、オックスフォードやケンブリッジへのツアーは決まっているようだが、ロンドンでの上演予定はまだ出てこない。

う〜ん、、、どうしたものか?! イギリスではCovid ワクチンの接種がどんどん進み、今や50%近い50以上の人達が少なくとも1回のワクチンを受け、2回目を受けている人もこれから増えていく。感染数も死者数もこの2週間で毎日少しずつ減っている。世界の中でもおそらく一番早いペースで進んでいる。それに反して、大陸ヨーロッパではまた最近感染が増えてロックダウンに入る国もあるとか、、イギリス開発のアストラゼネカのワクチンが最初に契約した通りにヨーロッパの各国に行き渡っていないという批判もあり、そうかと思えば、血栓ができるケースが数件みられたという事でワクチン使用を見合わせたり、、

私は薬を使用するリスクについてはあまり懸念していない。もちろん持病がある人や常用している薬との関係を心配する人にとっては不安もあるのだろうが、健康な一般人にとっては、なんといってもリスクよりのベネフィットのほうがはるかに大きい。 「ワクチンを打ったから起こった」という確かな因果関係がない限りは無用の心配だと思っている。日本はなんでこんなにワクチン配布が遅いんだろう、、、??

さてさて、今週からになったフィギュアスケートの世界選手権。昨日には続々と現地入りする選手達の姿も報道され、いよいよ、、という感じだ。ロシアからの選手たちはおそらく皆んなワクチン接種を受けてるのだと思う。アメリカ・カナダ組はどうなんだろう?もう受けてるかもしれないね。そう考えると、日本の選手たちは政府の対策が遅いおかげでリスクを負っていると言えるのではないか、、、

ワクチンを受けているといないとでは、精神的な不安感が全然違うと思う。試合以前に「感染防止」を第一に考えなければならない選手達と、「たとえ感染しても無症状ですむか、重症化しない」と思って、試合の方を最優先に考えられる選手たちとではメンタルに差が出ると思うな〜〜 本当に、日本政府のワクチン対応の遅さはなんなんだ、、?それでいてオリンピックを開催しようと考えてるのが、訳わからない、、!!まず「国民みんなにワクチンを!そしてオリンピックを楽しみましょう!」じゃないのか、、??海外からの観客は無しって、そりゃそうでしょう。私だったら、夏までにだれもワクチンを受けてない国には行きたくないよ。

ともあれ、なんだかドキドキしてきた。春のせいか、世界選手権のせいか、もう直ぐ劇場が開くせいか、、、ドキドキ、、ワクワク、、、 


ネットで色々と観られる劇場ライヴ/アーカイヴがよりどりみどりなのは嬉しいけれど、実際に2時間macの前に座ってみるものは厳選している。TVでもYourubeは観られるのだけれど、ロックダウンで彼と二人とも家にいるようになってからは暗黙の了解で、テレビは彼、Macは私の領域になっている、、、

シェイクスピア祭りのようになってきて、あっちもこちもシェイクスピアなのだが、私は新作を観たい。
去年だったか、タイトルと宣伝は観たものの、子供向けのファミリードラマかと思ってパスした舞台が「A Monster Calls」だった。ロンドンではThe Old Vicで上演されていたのは知っている。ちょうど今年の2月から全国をツアーのはずだったのが、 コロナウィルスの影響で、3月には中止になってしまっていた。原作は確かに青少年向けに書かれた本ではあるけれど、とても心に響く素敵な舞台になっている。
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13歳のコナーは母と二人暮らし。父親は今では別の人と再婚してアメリカに住んでいるようだ。「おはよう、よく眠れた?」「大丈夫だよ、ママ」といういつもと同じ会話で始まる日々には、それぞれが取り繕っている恐怖にも似た思いが隠されている。母は末期の癌で、治療はどうもうまくいっていない様子だ。けれどその事実を息子には告げずに笑顔を作っている。一方コナーはうわべの「大丈夫」とは裏腹に、母を失うかもしれない恐怖を抑え込んで、夜になると悪い夢を見ている。さらに学校ではいじめに遭っているのだが、これまた友人にも先生にも相談することを拒否して自分の中に閉じ込めている。

ある夜から、夢のように夜の12時過ぎになると家の前にある老大木のモンスターが現れて、コナーに3つの物語を聴かせる。このモンスターは、3つのストーリーが終わったら今度はコナーが4つ目の話を自分に聴かせろと言う。3つのストーリーはどれも謎かけのようで、良い人が悪事を行ったり、信じなければいけないものの為に信仰を捨ててしまったり、人間の中にある葛藤を顕すものばかりで、コナーはますます混乱する。

やがて母の容態は悪化し、最後まで「大丈夫」と言い張っていたコナーの中で、モンスターの言葉が膨れ上がっていく。「真実を話せ!正直に話せ!」と、、、、

簡素な舞台にセットらしきものはなく、組紐体操のような紐を使って大木とその精のようなモンスターを表現し、日常の家族や学友たちを演じるアンサンブルがパイプ椅子を巧みに使ってシーンを作る。バックの音楽も生演奏の姿が見えるようになっている。

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 初めは傷つけない、傷つかない為に本音とは違うことを言う。けれど本当の心との葛藤がどんどん膨れていくにつれ、やがて正直な気持ちを言わなくてはならない。良いも悪いも、残酷さも寛容も、無欲もずる賢さも、一件反対の全てを併せ持つ人間のストーリーを聞いた後で、コナーが話さなければならない最後のストーリーは、、、、、本当の心。

とてもデリケートな13歳のコナー役を演じているMatthew Tennysonは9年前にデビューして「Best Newcomer=最優秀新人賞」を獲っている。母を失うのを恐るあまり口に出せずにいるコナー、クラスでいじめに遭っても抵抗する気もなければ戦う気もない抜け殻のような態度、アメリカから久しぶりにやってきた、今は他に家庭を持つ父への複雑な気持ち、どうしても合わなくて打ち解けられない祖母との突然の同居、どうしても認めたくない母の迫りくる死、それらの複雑な思いを抱えた13歳をとてもナチュラルに演じている。

簡素なセットと照明はむしろファンタジーのような不思議な空間を作り出し、真夜中のモンスター(それはコナーの夢かもしれない)とのシーンはグイグイと心に迫ってくる。
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ちょっとお説教めいた理屈が語られるのはやっぱり原作が青少年用に書かれた本だからなのだろう。でもそれを差し引いてもよくできた作品だと思う。とても心に響く。生きていく為に、様々な矛盾を乗り越えていかなくてはならないすべての人にとって、シンプルでありながら一番困難なことを幻想的に描いている。良い芝居を観てしまった。子供向けかと思って劇場で観るのをパスしてしまったのが悔やまれる。ツアーがいつか再開されてまた上演されるのを願っている。
 

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