そういえば、このブログを始めてからの2年間は日本に行く意外にホリデーらしい旅行をしてないね〜。 最期に行ったのは2年前の夏のブルガリアか・・・・本当は旅行じゃなくて旅をしたいけど、旅をするには時間とお金と心の余裕がないと無理だからね。 悲しい事に、一庶民として仕事してやっと生活が成り立ってる凡人にはできない事なのよ・・・「ツーリストとトラベラーの違いは何だと思う?」っていう台詞があったのは「シェルタリング・スカイ」だったっけ。「ツーリストはやがて家に戻るけど、トラベラーには帰る場所がないんだ」
日本では旅行なんてほとんどした事がなくて、イギリスに来てから初めてあちこちへ行くようになった。 こっちでいうパッケージツアーは、2週間なら14泊のホテルと往復のフライト、空港からホテルまでの足が確保されていて後は全くの自由。これはとても便利だ。 現地にはレップ(レプリゼンティティヴ)がいるので、必要な事だけ現地情報をもらい時間と手間を省く。あとは帰りのフライトまで個人の自由だ。 用意されたexcursion(いわゆるオプションツアー)に参加する事もあるけど、なるべく自分達の足で観光地から離れた現地の様子が見られるところを回ってみる。
2週間という時間を初めて一人で旅行したのはこっちに来て2年目くらいだったか・・・? ロンドンでいろんな国の人と知り合って楽しい数ヶ月を共有した後、帰国した彼らを訪ねて遊びに行った。泊めてもらったのはドイツのミュンヘンとスイスのバーゼル。ドイツの友達は私よりずっと年上で、「私は20歳で結婚しちゃって娘が大きくなるまで何もできなかったの。やっと主人と娘から了解をもらって3ヶ月の英語留学にきたのよ」と言っていた。 彼女のご主人が実はドイツ銀行のミュンヘン支店長だったのには驚いた。 郊外のお家は庭もめちゃくちゃ広くて、離れの部屋に優雅に1週間泊めていただいた。
昼間は一人であちこち歩き回り、夜は彼女の家で夕飯をいただきながらおしゃべり。3日目からは彼女が気を使って昼間のお弁当まで作ってくれた。 「お金かけなくて済むでしょ」って・・・丁度ミュンヘン秋の名物Oktoberfestの最中で、ご主人の関係でビアホールもレストランも遊園地もフリーで楽しんだ。
じりじり照りつける秋の太陽で吐きそうになりながら歩いたダッハウの強制収容所跡。ここは劇団時代に「ベント」という芝居をやった関係で思い入れがあった。夜レストランで落ち合った彼女に収容所に行った話をし始めたら、彼女は周りを素早く見回して「まや、あんまり大きな声でその話はしないで・・・」と言った。ドイツの人々にとっては恥の歴史なのだ。
スイスのバーゼルはドイツ、フランスとの3国境線がある。ミュンヘンからは電車で6時間だか8時間だかかかったっけ。コンパートメントの客室はとてもヨーロッパっぽくて(その頃はイギリスではコンパートメントの電車は無くなり始めてた)車窓もあきなかった。 バーゼルの友人は薬剤師。昼間は薬局で働いていた。スイスではお昼休みを2時間とって、皆家に戻ってディナーを囲む。 お昼にコースでゆっくり食事をし、夜はチーズとパンの軽食というパターンだった。私もお昼には家に戻って彼女のお母さんが作ってくれた食事を家族みんなでいただく。ワインもあけて、前菜からデザートまで。週末はお父さんもお休みで皆で郊外へハイキングに行った。
ミュンヘンに戻る電車で、途中ホントに田舎の小さな駅から10人位の一族、友人に見送られて乗ってきた女の子が私のいたコンパートメントに入ってきた。彼女の英語は片言だったけれど、それでも私の為に一所懸命英語で話してくれて・・・(ホントは私がドイツ語を話すべきなのにね)彼女はインテリアデザインをしていて、今回初めて大きな仕事をもらったのだとか。ミュンヘンの大きなデパートのウィンドウをデザインする事になったそうだ。2−3ヶ月かかる仕事になるという事で彼女は顔を輝かせてスケッチブックを見せてくれた。
もうほんとにずうっと昔の話だけど、ちょっとした事を鮮明に覚えてるよね。 う〜ん、彼と行く旅行もホントにあちこちいろんな所に行ったし、景色や経験は分け合える人がいたほうが楽しいともいうけど、また一人でも旅行したいなあ〜〜。いまさらバックパックは無理だけど、それなりにね・・・・でもやっぱり現実には時間もお金もないのでした・・・・
とりあえず、9月に彼とプダペストに小ブレイクに行く予定・・・これは思いっきり超贅沢に。