見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

カテゴリ: 舞台・芝居全般

冬眠状態だった1月もいよいよ終わり
また2月からはエネルギーを取り戻すぞ!! という事で、今年第一弾の舞台はベケットのWaiting for Godot(ゴドーを待ちながら)。去年、3ヶ月限定で上演されたヴァージョンの再演で、イアン・マッケルンのエストラゴン、ウラジミールは昨年のスタートレックの艦長さん=パトリック・ステュアートから変わってロジャー・リーズが演じている。

邦題「ゴドーを待ちながら」、サミュエル・ベケットのこの芝居はむか〜しから聞いていて、当時「不条理劇」なんて言葉も聞いた。アルベール・カミュとか別役実とかと並べられて語られる事が多かった部類の作品だ。実は昔の私はこの手の芝居はあまり好きなタイプではなく、もちろんいろんな分野で演劇の面白さはあるのだけれど、アングラっぽいものや、よくわからない系の芝居は二の次に考えていた。観客が劇場で頭を使わなくちゃいけない芝居というのは、私の目指していた演劇とは違っていた
そんなわけでまさに、やっと観たという感のあるこのWaiting For Godot。イアン・マッケルン氏がとても好評だったので、楽しみだった

2人の浮浪者がゴドーという人物に会うために彼を待っている。待つ間に冗談を言ったりとりとめのない話しをして時間を潰す。何も起こらない。会話の内容も殆ど意味が無い。そこへ召使いの首に縄をつけて金持ちの男が通りかかる。長年仕えてくれたこの男を売りに行くのだ。まるで奴隷か犬にでも命令するように年老いた召使いを扱う大男。ヘンな奴らとのヘンな時間を2人の浮浪者は分かち合うのだが、相変わらず何もストーリーらしい事は起こらない。金持ちと召使いが去る頃はもう夜になっている。すると少年がやってきて、「今日はゴドーさんは来られません、明日来ますのでまた明日待っていてください」と言う。2人の男はその夜の寝床へと分かれて行く

そして2幕、同じように2人は同じ場所でゴドーを待ち続ける。そしてまたしても昨日と同じ2人連れに会う。夜になるとまた同じ少年がやって来る。状況は昨日=一幕と同じ事の繰り返しなのに、すべてがずれている。エストラゴンは昨日も同じ場所でゴドーを待っていた事を覚えていない。さらに昨日は大いばりの風体だった金持ち男は盲目になっている。昨日は主人に言われるまま行動し、あげくに歌ったり踊ったり哲学的演説まではじめた召使いは、聾だという。「昨日は違ったじゃないか、何時からだ!?」と問いかけてもまるでずっと昔からそうだったかの様子だ

一幕を通して「何だこれは、、何も起こらない」と思い続けていた観客はこのあたりから芝居の仕掛けに気付き始める。正直、演出の悪さ加減では、一幕で出て行ってしまう客がいたとしても不思議じゃない。それくらいなんてことない台詞の掛け合いが延々と続くのだ。
でも2幕では、同じ場面の繰り返しが、実はまったく別世界のものになっている。昨日の事は現実だったのかどうかもはや解らなくなっている。何度も「ここでゴドーを待っていなくちゃいけない」と繰り返すこの浮浪者達が、実は本当にゴドーを待っているのかさえも、最期には疑わしくなる。昨日と同じ少年がやって来て、これまた同じ事=ゴドーさんは明日来ます、を告げる。どうみてもホームレスにしか見えない彼等にYes sir、 No sir とサー付けでいちいち返事するあたりも実はおかしい

よく見てみると、最初に「立体感のあるセットだな」と思った舞台セットさえも、なんだか工事予定地なのか、廃墟なのか、地震あるいは戦争の直後なのか・・・とよくわからない。ただゴドーとの待ち合わせ場所として指定された一本の木だけが居場所として存在している。

2人の浮浪者は最期に自殺をしようかと試みるが、それさえもうまくいかない。ボロボロのズボンの紐はヨレヨレで簡単に切れてしまう。結局「明日ちゃんと自殺しよう、もしゴドーが来なかったら、、、」という事になる。

昨日と今日が夢と現実なのか、今の真実は明日の真実なのか?昨日生きていた者が今日死んでいるとしたら、今日死んだ人間は明日生きているのか・・・?

な〜るほど、こういう仕掛けか・・・と思い始めると2幕はかなり面白く観られた。イアン・マッケルンの演技のチャーミングな事!!巧い
最初に登場した時から彼の名演に目がいってしまう。1幕の何のヘンテツもない台詞の応酬に笑いをもたらし、退屈という落とし穴から観客を救う。細かいよ、演技が。流石です!少年以外の登場人物は皆それなりに年配なのだけれど、とてもチャーミングだ

ベケットの原作はフランス語で書かれたというのも初めて知った。彼はアイルランドの人だと思ってたら、フランスに長い事住んでたんだね。こういう芝居を観たのは本当に久しぶり。20代の事には「よく解らない」と素通りしがちだったけど、こうしてちゃんと観てみると演劇を通しての問いかけが見えて来て面白い。答えは無数かゼロか、なんだけどね。

無駄のない演出で、観易い作品に仕上がっている。「ゴドーを待ちながら」の次になんと続けるか・・・
待ちながら観た世界は昨日の現実で今日の夢で幻想で真実、、?劇場でしか味わえないといえば確かにそうだね。この不思議感が楽しめた。ベテラン勢の名演で引っ張られる舞台だ



今週は当たりだ、、、!テレビと舞台と一週間楽しめた。
まず舞台版のPrick Up Your Ears、これは60年代にイギリス演劇界にショッキングな作品を送り出した劇作家ジョー・オートンの話。前に彼の事はブログにも書きまして、よろしかったらまずこちらを読んでくださいませ

観る前の期待度は五分五分だった。というのも、この前観たショウシャンクレインマンも、映画が先行しての舞台版で、もちろんそれなりにドラマとして良いんだけど、映画に沿い過ぎていてもったいなかった。だからこれも映画以上のものになるかどうかが疑問だった。でもそれとは別に、楽しみだったのが、ジョーの恋人のケネス・ホリウェル役がコメディーシリーズ「Litttle Britainーリトル・ブリテン」で人気のMatt Lucas(マット・ルーカス)だからだ。 本来はコメディーは特に好きなわけじゃない私だけれど、もうLittleBritainは大好き! 日本では一部での放送のようで、よろしかったらこちらからいろんなクリップが観られます。(Youtubeへ) この2人の芸達者な事といったら、、!2人が創ったいろんなキャラクターは男も女もまさに的を得ていてもうMr Beanも遠く及ばない。

特にマット・ルーカスは一度舞台でちゃんと観てみたいと思っていた。もっぱらコメディーの領域で人気者になった彼だけれど、男、女、ゲイ、ティーンエイジャー、中年女、初老の男、ビッチ、阿呆、と声色から表情、仕草に至るまでの細かい演じ分けは観ていていつも驚く。そしてリンとして響く声をしていて、滑舌も拍手したくなる程良い。「この人が舞台でちゃんと演じるを観てみたいな」とかねがね思っていたのだ。その彼がジョーの恋人役という事で、この舞台の前宣伝は大々的に彼がフィーチャーされた。幕を開けてからの評もまずまずで、舞台デビューとしはかなり良い評価ももらっていた。

ところが、、、先週まで順調に演じていたこの役を、今週になってマットは降りてしまった。理由は、、、彼の元伴侶(2004~2006の間、ゲイのパートナーと公式に結婚していた)が週末に自殺してしまった為・・・・突然の事でいささかショック!楽しみにしていたのに、、、 でも舞台は観たかったので行ってきた。芝居は面白かった! 映画どころかとても演劇らしい本に仕上がっていて、久しぶりに「演劇」を観た気がする。本としてはジョー・オートンとケン・ハリウェルの話で、ジョーが書いた芝居ではないのだけれど、すごくジョー・オートンの芝居っぽい本になっている。もちろんこれは書いた人も制作側も充分に意図しているところなのだろうけれど、本がとにかくうまく出来ている

役者は3人、ジョーとケン、そしてフラットの隣人ミセス・コードン。アンダースタディーから本役に急に引っ張り出されたハリウェル役のMichael Chadwick氏も悪く無い。ただ、マットの為に書かれたであろう台詞や見せ場がかなりあって、どうしてもマット・ルーカスだったらこうだろうな、、と想像せずにはいられない場面も多い。変わったばかりなので必死な感じもしたけれど、その分引っ張っている感じのするジョー役のChris Newがすごく良い。ミセス・コードンもすごく良い味を出していて、これは本が巧いというのが大きい。セットは実際に2人が暮らしていたフラットの部屋を再現したワンルーム。転換は一度もないけれどこの空間だけで2人の関係がどんどん息苦しくなって緊迫していく。この台本とジョー役のクリス・ニュウには賞をあげてもいいかも・・・

もうひとつ今週ハマったのが、BBCの5夜連続ドラマCriminal Justice。これは去年に最初のシリーズが放映されて高く評価され、いろんな賞を取った。実際の元法廷弁護士(Barrister)が脚本を担当した犯罪ー裁判ドラマだ。かなりヘビーなシーンも多い。でもすごくパワフルでキャストが皆素晴らしい。BBCは時々突然語り草になるような質の高いドラマを創る。(何年に1本だけど)去年の1作目では、2004年に23歳でハムレットを演じて一躍話題になったBen whishaw(映画『パフューム」でも主演)が主役を演じ、犯罪/裁判の過程を5夜で描いて話題をさらった。今回の2作目も主役の演技が素晴らしい。芝居を観に行って観られなかった分はBBCのネットサイトで観て追いついた。今週はこれにハマったよ・・・

さて、20年以上振りでちゃんと読み返したくなって送ってもらったマンガ原作の「ベルサイユのばら」がイギリスに着いてるらしい。あいにく不在だったのでカードが入っていた。いつもの駅の横のデポではなくて、バスで20分程行ったところの郵便局で預かられてるらしい。こんな事無かったぞ、、、??取りに行こうか、再配達してもらうか、、全巻でもそんなには重くないよなあ〜〜?今読んでみてどうなんだろう・・・?ちょっと楽しみ。

ナショナル・シアター(NT)へ行った帰り、いつもはEmbankmentに戻るのだけれどちょっとルートを変えてみようと思ってすぐ横のWaterloo Bridgeに上ってみた。いつもと違う角度から見る景色
Eye+Ben
ロンドンアイの中にビッグベンが入ってるなんて・・・

NTで見たのは、考えてるうちにSold Outになっちゃって一度は諦めかけたのに、先週にもう一度チェックしたらサークル最前列のセンターが取れてしまったヘレン・ミラン(Helen Mirren)主演の「フェードル=Phedre

考えてみたらジャン・ラシーヌの舞台なんてイギリスに来て初めて・・・っていうか、日本でも上演されてるのは観た事あったかな〜??劇団時代にラシーヌを課題にされて戯曲を読み込んだりしたけど、舞台はやった事も観た事もなかったと思う。アヌイやジロドウはやったけど・・・・

このラシーヌの「フェードル」はギリシャ悲劇の「ヒッポリュトス」が題材になっている。テゼー(=シーシアス)の後妻である女王フェードルが、夫と前妻との間に生まれた義理の息子ヒポリトス(イポリート)に恋こがれしまった事から起こる悲劇。本来ギリシャ劇というのはやっぱりかなり古い時代のものだし、ちょっと泥臭いというか、悲劇ものは得に辛気くさいというか・・・なにぶんにも戦争また戦争の時代の話なので華やかさには欠ける。それがうまくリメイクされているのはやはり作者がフランス人だからか・・・

フランス人は情念のようなものを描くのが上手いといつも思っている。文学や映画でもとてもエモーショナルでドラマチックな人間の心情を扱ったものは多い。ラシーヌの作品にはギリシャ劇に付き物のコロス(群集)もいっさいないが、古代ギリシャ劇を情念渦巻く心情劇として書いていて、これが当時のフランス宮廷で大当たりしたのだろう。「アンドロマック」に出て来るアンドロマックとエルミオーヌの対照的な女の描き方もそうだし、このフェードルでも「恋をしている女」のいろんな心情が描かれている。どれだけ女を演じられるかーが鍵だ。 

まず幕が開いて、舞台セットが目の前に広がった時には「おお〜〜」と声が出そうになった ギリシャだ。ギリシャの輝く太陽の色と真っ青な海の色をちょっとクリームがかった石造りのセットに反映させていて、幕が上がった途端にここはギリシャと感じる。眩しいくらいの色合い。この太陽が舞台に当たる強さ加減や角度が場面毎に変わる照明もすごく良い。このセットとライティングには賞をあげたい!

主 役二人にはシャドウのように対になったキャラクターがいる。ヒポリトスには養育係のテレメーヌ、フェードルには乳母のエノーヌ。この二人がヒポリトスと フェードルに与える力は大きい。どちらもベテランの俳優だ。この二人で、本来ギリシャ劇にいるはずのコロスの分も影としての存在感を充分に出している。

ヘレン・ミランのフェードルは美しい。実はプレスナイトの翌日の評は分かれていた。絶賛したものもあれば、「情念を表す何かが足りない」というものも・・・でも私が観た彼女のフェードルは女優として素晴らしいものがあった。最初に登場した瞬間からだった。恋をする女が持つあらゆる顔を巧みに見せる。思いを隠し続ける苦悩、恐れ、弱さ、そして押さえきれない告白、戸惑い、希望、嫉妬、絶望・・・どれもの姿

まず見た目の身体の線が美しい。体型が中年化していないのだ。64歳になったというのに、身体がどう見てもせいぜい40過ぎ・・?まだ若さを残した女の体型をしている。動きも優雅で女王役の気品もあるし。あの体型はどんな努力で維持しているんだろうか・・?テレビや映画でアップの顔を見るとやっぱり60代の女性の顔なのに、肩や腕のラインに年が出ないなんて!彼女の年であんなを演じられるなんて素敵だ

ヒポリトス(イポリート)役の役者は本人も地中海系の顔立ちで(ジョージ・マイケルみたいな)何故かこの系統の人ってモデルに多いんだよね。ハンサムっていうよりも、やっぱり男の熱い血を感じさせるものがあるっていう事なんだろうか。いや、私のタイプじゃないんだけどさ、情熱を感じさせる魅力はあるよね

英語訳はイギリスで詩人として有名なテッド・ヒューズ(Ted Hughes)のもの。ラシーヌがアレクサンドラン(1行が12音節)で書いた長台詞の詩的なリズムを生かしていて、飽きがこない。休憩無しの2時間だったし。
それにしても、あんなに毎日を演じてるとイヤになってくるんじゃないかなあ〜〜・・・?でもこれも男の目から見た女なんだよね。う〜ん、すごい洞察力だわラシーヌ・・・


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Hamlet

ハムレット」を観てきた。そういえば芝居を観るのは久しぶりだったよね。日本で観た「三文オペラ」以来だから2ヶ月ぶりだあ〜〜、、こんなの何年ぶりだろう??

元々はケネス・ブラナー氏が演出するはずだったのでそれも楽しみだったのだけれど、この前に手がけていた映画の仕上げが間に合わないとかで降りてしまったのが残念。でもDonmarのMichael Grandage氏もいろんな賞を取ってる人だし、Donmar Warehouseプロダクションの4作品を1年間ウェストエンドで上演するというこのシリーズを、彼はこれですべて演出した事になる。

面白かったよ!! けっこう評判も良かったのでそこそこ期待してはいたのだけれど、すごく良かったです。演出はシンプルだけれど各場面の解釈が明瞭でよく解る。
おそらくハムレットほど何度も上演されている作品はないだろうし、私にとっても、まだ学生だった頃から観た「ハムレット」の数は舞台、映像合わせて10作品は越える。同じ筋書き、同じ台詞、同じ登場人物、もう始めから終わりまで次にくる台詞もわかっているのだけれど何度でも観られる作品、というのはやっぱり「ハムレット」と「三文オペラ」じゃないかしらね。演出家にとっても「今度はあの場面をこうしよう」「あの役をこの解釈でやってみよう」とアイデアが尽きないのだろう

ジュードのハムレットはとてもemotionalでpassionate。特に独白の部分はどれも素晴らしい! 一枚皮を被ったようなハムレットから素のハムレット自身に切り替わる。胸の内を吐き出し激情がほとばしる。独白シーンになると場内が一気にハムレットの心情に巻き込まれるようだった。ハンサムな映画スターがどこまでハムレットを演じられるのか・・・と意地悪に待ち構えていた批評家達も多かったけど、ハンサムでカッコ良いじゃハムレットはできないよね。ほとんどのレビューで、彼はそんな批評家達を唸らせている。

「サド公爵夫人」の時も書いたけど、このWyndham Theatreは本当に良いサイズの小屋だ。舞台と客席に距離感が無いので、全体が一つの空気を呼吸できる。今回は舞台から2列目だったけど、もう少し後ろのほうがよかったかな。首が疲れるのよ,,,舞台が高いから。この劇場で観るならロイヤルサークルが一番良い。ロイヤルサークルの最前列がStallの10列目位だし、席に段差があるから前の人の頭が遮らないし。役者と観客が同じリズムで呼吸できる劇場って少ないんだよね

セットはシンプルで、劇場の高さを使った石の壁と木のドアだけ、ちょっと牢獄みたいなカンジ。でもそれがハムレットの言う「デンマークは牢獄だ」の台詞に合ってる。衣装も薄汚れたカンジのTシャツにスボン、時代を表してもいないし殆ど黒かグレーで、目に飛び込んで来る色彩はいっさい無い。ハムレットって日本語で観るとすごい台詞の量だなあ、、と今更のように思うのだけれど、英語で観ると台詞量が多いという事に気付かない。それだけリズムで流れているからだ。これがシェイクスピアの凄いところで、世界中の翻訳家達が苦労しているところでもある。

今回目についたのが、ホレイショーとローゼンクランツ&ギルデンスターンの「友の在り方」の明確な違い。このホレイショーはクールです!! ちょっと影のある渋いキャラで、「男は黙って、、、」みたいな雰囲気でハムレットの側にしっかりと立っている。出しゃばらないからこそ真に信頼できる存在というカンジ。それに比べてローゼンクランツ&ギルデーンスターンは「友達です」といわんばかりに出てくるあたりがうざい。それでいて「正しい友」であろうという余計な意識の為に王達に使われている。ハムレットの彼等に対する態度は明らかにその差を見分けている。2人組は「うざったい親友気取り」としてしか接していないの対して、ホレイショーとのシーンでは飾らない姿で接している。この演技の違いは明確だった。

私はハムレットではいつもホレイショーに注目している。自身をわざと孤立させて復讐心に燃えるハムレットの唯一の真の味方だ。この二人の間に暖かいケミストリーが欲しいなといつも思うのだ。今回のホレイショー=Matt Ryanは影があってクールと書いたけど、実は彼はハムレットのアンダースタディーにキャスティングされている。う〜ん、彼のハムレットも観てみたい気がするなあ・・・

あとは、狂ったオフィーリアがずっと泣いている。フラフラと訳が分からない様子で歌いながら涙を流しているのだ。狂うというよりは、「悲しみで心が壊れてしまった」という表現が納得できる。前半でのポローニアスとの親子関係、レアティーズとの兄妹関係でオフィーリアの「狂い方」も違って来るから、演出次第で毎回違う解釈で演じられるのがこのシーンじゃないだろうか。爆発したような狂い方もあったし、自己の世界に閉じこもったカンジや、夢遊病者みたいなオフィーリアもあった。今回のは狂気というより崩壊している。

カジュアルに仕上がってる舞台だ。ともすると重厚になりすぎる「ハムレット」もあるけど、これくらいがサラリと3時間半観られて良い。ジュードの感情豊かなハムレットは場面にメリハリをつけていて飽きない。レアティーズがちょっとなキャスティングだけれど、墓場以降の二人のつかみ合いから剣の試合までの喧騒は、ラストに向けてスピード感を出していた。ハムレットの年齢というのもいろんな意見がある。藤原竜也君は21の時にとてもスピーディーで生き生きしたハムレットと言われて賞を取りまくった。でもやっぱり私は30前後が一番説得力のあるハムレットになるんじゃないかと思う。今回その鍵を発見した。墓場で髑髏がヨリックだと知った時のリアクションだった。この時のジュードの演技が、若いとできない表情だったように思う。

この舞台は秋にニューヨークに行く事が決まったそうだ。このドンマーのメンバーでブローウェイでやるらしい今回はあっという間にチケットは売り切れで12週間限定だったから、アメリカのファンにもサービスか、、、なんて無粋な事は言わない方が良い。少なくとも、ジュード・ロウのハムレットはそんな事を言わせないだけのハムレットになっていると思う。ミーハー根性で見に来た人は逆に黙ってしまうかもしれない。
かっこ良いままじゃハムレットは演れないのだ


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久しぶりに藤原竜也君の大型ニュース!
そうきたかー! という感じの企画だ。なるほどね、三浦按針って今までになかったね〜、、、市村正親さんの家康に、Owen Tealeの三浦按針(William Adams)ですか、、、藤原君の役は宣教師をめざすキリシタンの若者という事で、これって橋渡し的存在なのかな。東西の要になるんだろうか・・・? 演出はRSCのグレッグ・ドーラン(Gregory Doran)氏。オリジナルものかあ〜、しかもサムライニッポンだよ・・・? 

William  Adamsの事はイギリスでは「知ってる人は知ってる」という存在だ。イギリス史上に足跡を残した人ではないので、普通の人は知らないだろう。でも「こんなイギリス人がいたのです」みたいなヒストリー系の番組には取り上げられる事もあるので、日本文化に親しい人や、歴史の裏話が好きな人は聞いた事があるかも。そういえばこっちで、英語指導助手として日本に住んだ事のある人達が中心になって日英の文化交流をはかる「三浦按針会」っていうのがあって、昔はロンドンで日本風の夏祭りなんかを開催していたのだけれど、今も活動してるのかな・・・?

それにしてもどんな本になるのかが気がかりだ・・・ 全体の台詞が4割方英語という事は、按針役だけでなく他にもイギリス側の役者達がいるようだし、(多分オランダの宣教師とかの役、、?)藤原君だけでなく日本側からも英語の台詞をいう役者が何人か必要なはず。企画としては確かに大きいよね。とってもホリプロらしいというか・・・ホリプロとセルマさんの共同作という事は確かにビッグなプロダクションなのだけれど、「芝居好き」の私としてはどんな本になるかが気がかりだ、、、

按針役のティール氏は後半にはもちろん日本語の台詞もあるだろう。役者として一番大変そうなのは当然この役だ。そして市村さんの家康、これはどうやら英語の台詞はなさそうだし、家康という役をきっちり演じる事に集中できるので、この役は安定しそうだ。そして竜也君の役がどんな位置にくるのか、、、2人の橋渡し的な存在だったらもったいないなあ〜。通訳みたいに日本語と英語の台詞を繰り返すのは役として生きてこないからね。言葉の感性は言語に関係ないから、たとえ発音は良く無くても自分の言葉にしてしゃべっていれば届く。ハムレットの時みたいに台詞を自分の言葉にしてしゃべるような役だと日本語でも英語でも生きてくる・・・自身の役で光る存在になれるといいんだけど、ホントにどんな本になるかですべて決まる・・・ 目線も日本人目線からとアダムス目線からとでは違って来るしね。演出のドーラン氏はどこに焦点をもってくるだろうか?・・・って、まだ出来てもいない舞台の心配を今したってしょうがないか〜!でもつい、期待するからこそあれこれと気になってしまう。

Owen Teale氏はテレビに出てるのを観た事が何度かある。ブロードウェイでトニー賞を取ったのはかなり前だけど、最近はRSCの舞台に出てるのかな。こっちの役者達はプロになる訓練をして叩き上げてるから、そんな人達と同じ舞台に立つのはとても刺激になるだろう。藤原竜也君としては、武者震いが止まらないんじゃないだろうか・・・その怖さもきっと解っているんだろうね。技術と力量、これは同じ舞台に立てば観る方には歴然だからね。本当に幸せな役者だよ竜也君は。イギリスの若手俳優からすれば、あっちこっちで嫉妬されるよ〜、、、留学の間、イジメに合うんじゃないか・・・なんてこれは冗談ですが、ホントそれくらい恵まれてるよね

ロンドンやニューヨークや「世界」のレベルでは、いくら良い役をもらっても観客を納得させる実力を見せないと認めてはもらえない。グレッグ・ドーラン氏は日本の俳優達の力をどのくらいの位置付けで見ているんだろう、、、?普段はRSCの役者達を普通レベルとして見ている人だからねえ〜〜 オリジナル作品は本が命。市村さんも藤原君も役者として良い芝居のできる作品になりますように大きな企画=面白い芝居とは限らないからね・・・良い本ができるよう祈るのみ。

日本から帰ってから芝居を観に行けない・・・ 来月のジュード・ロウの「ハムレット」まで今のところ芝居のチケット無し。こんなの数年ぶりだ〜〜!でも今はちょっと我慢しなくでゃね。正直余裕ないし、まあ、相棒が5ヶ月近く失業してたんだから仕方ない。う〜ん、ここが我慢のしどころ!ホントはあれもこれも観たいんだけど〜〜〜!!
来月になったら少しは楽になるだろう。自分が一番好きな事をちょっと我慢して、代わりに2人の時間にするっていうのも結構良い感じだし。2人一緒の穏やかな時間は、自分が一人元気に走り回る時間に負けないくらい良いものかも、、ね。


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里帰りホリデーもあっとういう間に半分が過ぎてしまった・・・! この時期になるといつも焦るのよね、、今回は前半がスローペースだったから余計に・・・

とはいっても友人達とも順調に会えてるし、「三文オペラ」も2回目に行かれたし。もう一度観たかったのは、前回の時にひとつ納得できないものがあったから・・・ それは舞台じゃなくて観客のほうだった。まあ、「三文オペラ」自体が日本人の感性にぴったりくるっていう本じゃないし、(むしろ逆?)ユーモアのセンスが備わってない国民だから難しいのは分かるけど。

エンターテイメントの部類として、英米では大きな部分を占めるのに日本には無いもの、、、それはStand-up comedyと呼ばれるコメディアンだ。舞台に一人でマイクをもって立ち、ウィットに飛んだショートストーリーや最後にパンチラインの効いたジョーク等を観客に向かって語り続ける、モノローグ形式の喋り屋だ。一番近いところでいうと落語のようなものだけど、ちょっと性質が違う。

まず落語は座って話すけど、こちらはStand-upという通り、立って舞台を歩きながらしゃべる。内容は小噺というよりも、時事を扱った痛烈な皮肉だったりちょっと下品なジョークだったりで、たとえ女王様はじめロイヤルファミリーの前であろうと放送禁止用語がバンバン飛び出すことも多々ある。人によってスタイルがあるので、もちろん聴衆の好き嫌いは分かれたりするけれど、スタンドアップ・コメディーはいつもポピュラーで、観客はドギツイジョークに手を叩いて大笑いする。その観客の反応で瞬時にアドリヴでやり取りをしたりする

日本でお笑い番組やバラエティーを観ていても、なんだか内輪受けみたいな物が多くて主張が全くない。それはきっと主張すると嫌われるという傾向があるからだ。たまに日本に来て「ちょっとくだらない番組でも観て笑いたいなあ」と思っても可笑しくもなんともない・・・・ まあ、テンポのよさ(ボケとツッコミ)とか掛け合いの可笑しさなんかで笑わせてくれる芸人さん達ももちろんいるけれど、「それって、何が言いたいの?」ということになると主張はまったく無い。観客との受け答えがないから、勝手にやってるように感じてしまって、こちらが聞いていてもいなくても変わらないんじゃないだろうかって思ってしまう

つまり何が言いたいかというと、「三文オペラ」を観たときに、客席の反応のほうに戸惑った。客席にリラックスした空気があんまり感じられない事のほうに。開演前からして場内が静かだし・・・いつもなら(ロンドンでは)劇場に入ったときからすごくリラックスしてわくわくして、場内はいろんなおしゃべりの声でざわついていて、それが開幕と同時にス〜っと静かになって舞台と一体化していくあの感じがすごく楽しくて好きなんだけどね〜

2度目に観た28日は客席の空気がよかった。もしかしたら楽日に近かったからリピーターの人も多かったのかもしれないね。こういう時は舞台のテンションも変わってくる。もちろん演じているほうは毎回同じように必死でやっているはずだ。でもやっぱり劇場内の空気っていうのは、舞台と客席と両方で創っていくものなんだよね。

そういえばこの日は一幕でフィルチが最前列のお客さんにビッグ・イシューを突きつけたとき、その人が本当にお金を払うという展開になった。「これはあげな〜い、あとで受付でもらって」と返していたっけ。私だったら、「金城武さんが表紙のやつ」って言いたいところだけど・・・・

三文オペラだからね〜。日本では3文、原作地ドイツで3グロッシェン、イギリスで3ペンスで観られるっていう代物ですから、そんなにおしゃれな気分で見なくたって・・・って思うのよ。でも、もう一度観ることができてよかった。この上演台本や歌詞は残らないのかな、、、残念だね。三上さんの歌詞はうまくはまってたから日本語ヴァージョンとしてもっと聞きたいのに。

余談ですが、この芝居の英語題は「The Threepenny Opera」。ペニー(penny)は単数で2以上だと普通はペンス(pence)=3 penceになるのに、どうしてTreepennyなのかというと、これは3ペンスの価値があるthreepenny硬貨一枚ということ。発音も、ロンドン風に言うとスリー・ペニーと2音ではなくて、あえてカタカナで書くとするならスルペニーと1語で発音する。3ペンス硬貨=Threepenyはちょっと変わった形で可愛い。うちの彼がとっておいた昔のコイン箱で見つけた。

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裏の上と下でThree, penceと書いてある。1966年のコインでエリザベス女王が若い・・・もちろん今はありません。

東京が終わって来週からは大阪公演。むしろ関西の人のほうが、良いも悪くも反応があるかもね。面白かったら笑って手をたたいて、面白くなかったらブーイングしてもいいんじゃない? ・・・・私は立ち上がって拍手してきたけど

 

ホリデー2日目は事実上の行動開始初日

友人とランチした後、「三文オペラ」を観にBunkamuraへ。 ちょっと時間があったから、いつも行くお気に入りのBook Firstによって時間を潰そうと思ったら・・・・無い!! 無くなってるよ〜〜〜  現在工事中のビルはH&Mになるらしい、、、残念!

さて、「三文オペラ」。今回のヴァージョンでは何が出てくるかと思ったのだけれど、とっても日本の三文オペラになっていた。 舞台や映像で何種類か観た英語版やドイツ語版とも、昔に日本で観たヴァージョンとも違う、いまどきの日本っぽく創られた作品。

特に安倍なつみさんのポリーが、いかにもイマドキの日本で地下鉄とかにいそうなイマドキの若い子っていう感じをよく表現していてとても良かった。歌唱力もあって、歌詞も聞き易い。アイドルとしての彼女のことはほとんど知らなかったのだけれど、一幕は特に光っていた。 ブリブリっぷりがホントに可愛い!!それでいて馬鹿じゃないポリーのキャラクターをちゃんと表現していて輝いてた。

結構カットした設定もあったなあ〜〜。でもそういう削り取った部分も含めて、宮本亜門さんの創ろうとしたイマドキの日本だからこその三文オペラになっていた。日本語だとどうしても字数制限されてしまう歌詞もうまく乗せていた。これは三上さん、すごく苦労したことだろう。歌詞がきわどいとか聞いていたのでもっと猥雑な空気かと思ったけど、全然大したことなかった。(私には、、) 英語版なんてもっとお下品ですから・・・ っていうか、日本人って下品なジョークに笑えないんだね。向こうでは、放送禁止用語とか出てくるとみんな手を叩いて大笑いするんだけど、、、、

ドイツに6年いた妹によると、ドイツ語というのも1つの単語が長かったりして歌詞の字数は少ないらしい。妹曰く、「英語の歌詞のほうが遊びを入れる余裕があると思うよ」とのこと・・・ そうか、じゃあとりあえずは原語(ドイツ語)の大意は何とか日本語歌詞で詰め込んであったのかな。 

嬉しかったのは、私の好きなナンバーがどれもよかった事。「大砲ソング」「ジゴロのバラード」「墓穴からの叫び」そして各幕のフィナーレ。メッキとブラウンの関係もすごく納得がいく。これは良かったね〜! 2幕ではやっぱり秋山奈津子さんのジェニーが良い。一幕はポリーのブリブリが光ってるので、ジェニーが出てきてからはぐっと大人っぽい空気に変わる。 ソロモン・ソングの演出は効果的だったね。デーモン小暮閣下も、私は聖飢魔II自体はほとんど知らないのだけれど、このピーチャムも良かった。貧乏くさくないところがかえって日本っぽい。歌だけでなくセリフの声も深くて、車椅子っていうのがナイスな発想

メッキ役の三上博史さんは絶品! この「三文オペラ」のメッキこそ、まさにハマり役っていう感じ。三上さんの身体は美しい。・・・って、別に脱いだりする訳じゃないんだけど、舞台上での三上さんの体は観ていてとても綺麗だ。その昔、寺山修司さんに「お前の体は舞台向きじゃない」と言われて舞台は敬遠していたと話していたっけ。確かに小柄で華奢なんだけど、逆に今まで映像の世界でずっと仕事をしてきたからこそ、絵としての自分の見せ方を知っているのだと思う。プロだなあ、、と感じた。演技的には三上さんと秋山さんがダントツで引っ張っている。

三上さんの持つ妖しい魅力は、男も女も引き付ける何かがあるんだよね。それは、ゲイやバイセクシャルな人にありがちなキャンプな感じとはちょっと違って、、何ていうんだろ、、、男でも女でもあるアンドロギュヌスのような魅力だ。 一幕でのブリブリのポリーには、夫というより兄のような甘い顔を見せ、ジェニーとみつめ合う(睨み合う)時には大人の男の顔、そしてタイガー・ブラウンにキスされてる時のメッキは無防備な少女のようだ。 本当に稀有な妖しい色気を持っている。 それにしても細いよ〜〜、(うちの彼といい勝負)

米良美一さんはカウンターテナーと聞いていたのに、むしろトークの面白さで頑張っていて、あんな役回りは予想していなかった。でも最後の女王のシーンでは本領を発揮。毎日アドリブで時事ネタをしゃべっているという。昨日は平日マチネに来ている客に突っ込みを入れ、明らかに某大物タレントのアレと思われる事件のことも「いろいろあって言えない事もありますしね〜」と表現。う〜ん、わかりますわ、、きっと昨日の楽屋はその話でもちきりだった事でしょうけど

バンドの曲のアレンジも私は好きだ。 途中でアコーデオンを持って出てきたエミ・エレオノーラさんが、お人形のように可愛くて見とれてしまった。エミさん、あのお年なのに安倍さんのポリーにも負けてないぞ、、、エミさんの足に目が釘付けになってしまったのでした・・・ 2回休憩の3時間20分だったけど、「こんなにあったんだっけ?」っていう感じであっという間。そうそう、ポリーとルーシーの「ジェラシー・ソング」は演出としては面白いけど、動き回ってマイクからマイクへとタイミングを計ることに気を回すより、もっとじっくり歌詞を聞かせるシーンにしたほうが良かったんじゃないかなあ〜?あそこは2人の女の醜い罵り合いをしっかり聞かせたほうが笑えるんだけど・・・・

このヴァージョンでは、メッキは結局誰のことも愛してないんじゃないかな、、、いろんな人の感情がメッキに対して矢印が向いてるのに、メッキのほうからは矢印が出て行ってないような気がした。メッキを愛してる人達、メッキを憎んでる人達、そしてメッキを愛して/慕っていたのに、裏切って/見限ってしまう人達、彼らの気持ちがメッキのほうに向っているのに対して、メッキの気持ちはどこにも向いていない

ラストで白塗りを落として素顔になったメッキの三上さん、、、都合よく終わった物語の世界=キティちゃん達とは対照的に、現実の世界を生き抜いていかなくちゃいけないこれからの人生を象徴しているようで、泣き叫び出しそうな三上さんの表情が印象的だった

さーて、今日はロミロミ(ハワイアン)マッサージをしてもらう。もう体はギタギタだあ〜〜、、、リフレクソロジーも一緒に2時間半程、ゆっくりほぐしてもらおうっと!

 

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これをほめてもらうのは大変だ・・・!

ウェストエンドでの上演は初めてという三島由紀夫の「サド公爵夫人」。私はこの戯曲は読んだ事も観る機会もなかった。女優6人だけの台詞劇だ。各々が数ページにわたる長台詞で語るシーンが随所にあり、日常的な台詞の掛け合いは最小限という、役者にとってはすごく困るスタイルだ

三島氏は古典劇作家のラシーヌが好きだったそうなので、ラシーヌの作品のような台詞で語る芝居を創りたかったのかもしれない。大がかりな舞台転換も、音響/音楽もない。役者達が入れ変わり立ち代わり舞台に出て来るわけでもないし、喜怒哀楽な感情をぶつけ合うようなドラマチックな展開でもない。全編通して本を読んでいるようなものだ

確かに幕が開いた時のレビューがイマイチで気になっていた。実力派ベテランのジュディ・デンチが、ここ数十年間に受けた最小評価だという人もいたくらいだ
確かにとてもリスキーだ。膨大な台詞を語る事で、観客の頭の中にしっかりと映像が出来上がっていかないと、ついてこられなくなってしまう。女優達の、観客を引きつけておく集中力が途切れたらそれで終わりだ。観ているほうはすぐに退屈してしまう。そんな「面白い」と「退屈だ」の綱引きをしているような舞台は、役者達だけでなくその日の観客によっても大きな差が出るだろうし・・・

耳を傾けてナレーションのように語られる台詞の世界に観客がついてきてくれる日は、小さな劇場全体に妖しい空気がみなぎって、女達の語る禁断の世界を垣間みる事が出来る。でもテンポの良いエンターテイメントを求める客達が多いと、きっと皆次々に飽きてしまってあちこちでいびきが聞こえて来る事になってしまうかも・・・ このWyndham’s Theatreはそういう空間をもった劇場だ。小振りで劇場全体がコミュニティーのように感じられるサイズ。

幸いにして、私達が観た日の場内は本当に良い空気だった。随所で笑いを生み、満席の場内は女優達の語るサド公爵をイメージし、禁断の世界の匂いを嗅ぐ・・・この日の舞台は成功だった!そう、とっても面白かった。実力派揃いの女優達が語る芝居の上手い事、、!!これはねえ〜、本当に聴かせる/語る技術がしっかりないと演じられない。聞いているうちにサド公爵本人がいつ出て来るか、、と思ったら最期まで出て来ない。

こういう読み聞かせみたいな舞台は最近殆ど無いからね、、、批評家達も簡単に観ちゃったんじゃないのかなあ。休憩無しの1時間45分はまさにギリギリの所。「2時間近くが拷問だった」なんて書いた批評家もいたけど、そんな風には全く思わなかったよ、あっという間だった。なんといってもうちの彼が「面白かった」って言ったからびっくり。こういう台詞劇はきっと芝居を見慣れていない彼には退屈で、大丈夫かな、、と途中で心配になったのは私のほうだ。彼は面白く無ければ途中で出ちゃう人だからね〜・・・ でも身を乗り出すように聞き入って観てたのには驚いた。日本に行ったら戯曲で(日本語で)読んでみようかな。

さーて、2時間後には空港へのキャブが迎えに来る、、、次の更新は日本でになりま〜す!


彼が探し物をすると言ってアティック(屋根裏)に上った。1年半近く前に家のひび割れ修理の後に片付けて以来だ。久しぶりに、しまい込んだ箱を覗いてみる。結婚した時に日本から送った自分の記録。テープや本、台本や進行表、普段は読まないと思ってしまい込んだ芝居関係の本・・・その中に寺山修司さんの演劇論集を見つけた

あれ・・・?これって読んだっけ、、??・・・っていうか、これ私の本??
記憶を辿るけど覚えが無い!! 、、、あれ?誰かが貸してくれたような気がする。借りてろくに読まないまま返さなかったってか・・? 誰に??

寺山さんは一度劇団にいらした事がある。急遽、没になった公演の代わりに小スペースで寺山さんの本を上演する話が持ち上がって、私も本読みに呼び出された。寺山さんもいらしてお話をしてくださったのだけれど、その企画も確かそのまま流れて公演は無かったーーと記憶してる。今思うとあの頃はもう亡くなる数ヶ月前くらいじゃなかったのかなあ〜〜・・・?

私は「アングラ」と呼ばれた種類の演劇はいくつか観たけれど、芝居として面白いと思ったわけじゃなかった。演じている側の自己満足を打ち破って、観客を巻き込んでいく域に達しているとは思えなかった。感じとれるのは匂いや空気等で、それ以上の「演劇の面白さ」を発見できるまでの芝居には当たらなかったという事なのだろう。残念ながら「天井桟敷」の芝居は一度も観る機会は無かった。あと数年早く生まれてたらよかったのかな。劇団・天井桟敷はうちから歩いて5分の所にあったんだけどね

この演劇論集は寺山修司さんが演劇としてやりたかった事がとても解り易く寺山さんの言葉で説明されている。「なるほどね、そういうアプローチか!」と読んで行くにつれて面白い。これは私が思っていたアングラとはちょっと種類が違うなあ〜・・・そもそも「アングラ」という言葉自体、「よくわからないけど、ちょっとマイナーでカッコ良い」っていう程度の事で総称されてしまったんじゃないだろうか?

この本は劇場論、戯曲論、俳優論、観客論を述べたところで、この4つの関係についての寺山さんの試みるドラマツルギーを説いている。これが無ければ演劇が成り立たないはずの4つの要素を取り除いてしまう、、、そこから生まれる関係。まだ途中だけど、なんでこれを読んで無かったのかと自分でも不思議なくらい。

・ 俳優達は「観られる」のでも「見せる」のでもなく、巻き起こし、引きずり込むのである。
・ 演出家は展示する人間ではなく、たくらむ人間だと思っている。
・ 俳優は行為の一つ一つを限りなく記憶してゆくのではなく、限りなく忘却してゆくのである。ありとあらゆる新しさとは、忘却されたものとの再会にほかならない。
・ 劇が生まれた時、はじめて劇場が出現したと言うべきだ。建物としての劇場は演劇にとっての牢獄である。
演劇は社会科学を挑発する。

寺山さんは、もっともっと挑発したかったに違いない・・・

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いつの間にか日本行きまで2週間を切っている・・・・ 今回ほど後ろ髪ひかれる里帰りは初めてだけど、「絶対に楽しんでこい!」という彼のほぼ命令に押されてそろそろ計画を立てますか。

ムサシ」はもう後半戦のよう。来年こっちにくるという事なのでこれはジッと待ちましょう。「三文オペラ」も幕が開いてる。ちらほらと聞いた感想では、出演者は白塗りで舞台も取っ払ってるとか。舞台写真みたけど、私の好きな舞台かも。三上博史さんのメッキ(マック)が、パンクで良いね〜! 安倍なつみさんは、大分前に野島伸司さんのドラマに出ていたのを観ただけで(子犬のワルツ)、モー娘とやらも私は全く知らない・・・ あのドラマの頃はまだアイドルしていて、でも「可愛いけれど、天使にも悪魔にも見えるかも・・」という野島さんの狙いにはハマってたかも。もうすっかり大人の女優さんという感じに見えるけど、ポリーはとにかく歌えなくちゃ話しにならないからね。メッキの三上さんが小柄だから、安倍さんとの釣り合いは良さそう。秋山奈津子さんのジェニーもすごく楽しみ

この作品が世界中で愛されてるのは、どんな国でも、どんな時代でもそれなり変化させて使えるという所にあるんじゃないだろうか。オリジナルでブレヒトが意図したものを越えて、そのつど新しい風刺劇にする事ができる。今までに見た舞台/映像あわせて6作品、どれも違ったものだった。10年前にこっちで観たヴァージョンも、湾岸戦争やコソボでの紛争にイギリス軍が参加した背景を「大砲ソング」に入れたり、最期の戴冠式が女王じゃなくてウィリアム国王になってたしね。自分で自分をこき下ろす、というイギリス独特のユーモアを交えた新訳だった。良いとか上手いとかじゃなくて、面白いか好きか、が三文オペラの舞台だ

ちょうど4月からのテレビ番組もチェックしてみようかと思って、WOWOWの「空飛ぶタイヤ」を観た。まだ2話までだけど、去年の「パンドラ」同様スポンサーがらみのない質の高いドラマを期待してる。熱血で人情熱い仲村トオルさんは良いなあ〜。なんかいつもちょっと影があったり、冷たい感じだったりする役ばかり観てたから・・・金城武さんのやった「K−20」も出てたはずだから、これは日本に行ったら是非観たい!、、、あれ?DVDはまだなのかな?

どん底だった両替レートが少しだけ戻ってきていて、今1ポンドが140円くらいになった。それでもなあ〜〜・・・・日本は丁度ゴールデンウィークになるから、友達とも遊びに行きたいけど、余裕あるかしら?? でも温泉と山歩きは外せない!

ヨーロッパはイースター。クリスマス以来の連休だ。でも次の週には日本行き。やっぱりこの3ヶ月はちょっと精神的に疲れてるよね・・・・リフレッシュだ!!

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