見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

カテゴリ: 舞台・芝居全般


2015年の芝居初めはコメディー。まさにドタバタの連続で、抱腹絶倒間違い無しのお墨付きだったので、一年の始めに良いかと思って行って来た。「笑う門には福来たる」って言うものね。タイトルはズバリ「The Play that goes wrong」、これですべてを物語っている
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舞台裏ものコメディーといえば、80年代にブロードウェイ、ロンドンで大ヒットした「Noises Off」という芝居があった。舞台を上演中の役者、スタッフ達の舞台裏でのドタバタもので、これもまさに大笑いの連続だったのを覚えている。今回は舞台裏ではなく、上演中の舞台そのものの中ですべて、まさに全てが巧く行かないというコメディーだ

開演前から舞台では(舞台上の公演の)開演準備が行われている。スタッフがセットの最終調整をしているのだが、ドアの立て付けがどうも悪かったり棚がしっかり支えられていなかったりする。舞台上の演目は「Murder At Haversham Manor」(ハヴァーシャム邸殺人事件)。ハヴァーシャム卿と婚約者、彼の兄と彼女の兄、屋敷の召使い達と刑事による「誰がハヴァーシャム卿を殺したか」の解明をしようとする、アガサ•クリスティー風の殺人ミステリー劇という設定だ。

ところがこの舞台、あるはずの小道具がなかったり、ドアが開かなかったり、きっかけで役者が出てこなかったり、はては思い切り開けたドアに頭を打たれて女優が失神してしまう、、、、台詞を間違えたために芝居が数ページ戻ってしまって何度も同じシーンを繰り返す、セットが次々と壊れはじめ、音響のテープからは効果音の代わりにデュランデュランの音楽が流れてしまう。まさに、舞台上のアクシデントを役者達がどう乗り切るか、、、という役者にとっては悪夢のような喜劇だ。

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プログラムにはまず「Murder at Haversham manor」の配役とスタッフが記載されている。刑事役の役者が演出やデザイン、メイク、制作、広告からヴォイスコーチまでほぼすべての企画を受け持っており、それぞれの役者達のインタビューも載っている。ここまではすべて舞台上で上演されている(とされる)芝居のプログラムだ。そしてさらに、その舞台上の役者を演じている本当の役者達のプロフィールが後に続く。役を演じている役者を演じている役者達だ。役者達が2重に芝居をしていなければならないというこの喜劇の本質がここにある

混乱する前に本来に戻ると、この「The play that goes wrong」を上演しているのは有名な演劇養成機関、LAMDA(The London Academy of Music and Dramatic Art)の出身者である役者達が集まって作ったMischief Theatreという劇団で、主に即興劇のコメディーを上演している集団だ。本格的なウエストエンド劇場での公演はこれが初めてだけれど、エジンバラフェスティバルやツアー等での実績は絶賛されている

舞台上のアクシデントに役者がどう対処するか、、これは一発勝負の舞台だからこその予測のつかない事で、これが起こってしまった時に役者達の即興の対応力が試される。役者としては起こって欲しくない最悪の事態なのだ

私も昔、おかしな経験をした。
うちの劇団にはめずらしく、外からのお誘いで提携して子供向けの創作ミュージカルをやった時だ。演目は「孫悟空」と「かぐや姫」の2本立てで、最初は京都での上演だった。京都駅から劇場へ直行し、楽屋にスーツケースを置いたままリハーサル開始。大道具の立て込みから照明機材の設置に始まり、芝居の場当たりに入ったのは夜になってからだった。そして夜の1時も過ぎてから、ダンスの場当たり中に役者の一人がなんと骨折してしまい、ホテルにもいかないうちに彼は真夜中に救急車で病院へ。翌日朝から、彼の役の台詞を他の役者に振り替えて、彼の抜けたシーンを全てまた創り直す事に。(アンダースタディーはいなかったので、抜けた分を振り分けて埋めるしか無かった)

本番までは1日しかなかったので、この日は全員真っ青になりながら、最終確認に追われた。なんといっても夜中に足がボッキリ折れてしまった仲間を目の前にしたショックが残っている。それでもなんとか幕は開き、公演そのものには影響させずに済んだのだけれど・・・本番中だったらどうなっていた事やら、、、

そしてそれだけではなかったのだ、、、可笑しかったというのは、幕が開いてからの事。まだ20代前半の私はなんとこのとき「かぐや姫」でお婆さんの役だった。夜中に竹が光っているというので村人達が騒ぎだし、おじいさんがおそるおそる鉈で竹を割ってみると、なんと竹のなかには可愛い小さな小さな赤ちゃんが、、、というシーン。

もちろん竹にはちゃんと細工がしてあって、軽く鉈を当てると竹がパックリと割れて中には小道具さんが仕込んだ小さな人形が入っている。「お婆さんは思わず目をそむけ、赤ちゃんの鳴き声でおそるおそる振り返ると光った竹に女の子が、、」という手筈の通りに私が効果音の鳴き声で振り向くと、村人役の仲間達の様子がなんか変、、?

「ハッと驚いて呆然としている」という芝居なのに、何故かみんな肩が小刻みに震えている(笑いをこらえている?)竹をみると、中は空っぽだ。一瞬「小道具さんの仕込みミスだ」と思ってそれでも芝居は止められないので「まあ、赤ちゃん!!」といつもの倍近い声で強調して駆け寄ろうとすると、なんと 首が見事にギロチンのごとく身体から離れた人形が舞台に転がっている、、

駆け寄りながらとっさにかがんで人形を拾い、竹の中から取り上げる芝居を続けたものの、あれはちょっとわざとらしかったよなあ〜〜、、と今になっても笑えるアクシデントだった。子供達はともかく、一緒に観ていた父兄の人たちには解ったかも。一瞬の出来事でサッと拾い上げたつもりだけれど、客席のすべての角度から隠れたとは思えないからねえ〜〜。

生の舞台ならではのアクシデントと共に芝居を続ける役者というのはいつでも即興に対応できないといけないんだよね、本当に。

久しぶりに全編笑いっぱなしの全開コメディーだった。良い年明けになりましたよ





ゲイの人たちの話は、普通のようで、やっぱり男女とはちょっと違うようで、でも現実味があって、デリケートだったりする
今回観てきた「My night with Reg」は、学生時代からの親友仲間の6人の男達、とはいってもゲイのお友達の話。

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3幕とも場所は同じ、時代設定は80年代後半頃か、、、ちょうどゲイ社会の間でエイズの恐怖が広がっていた時代だ。30代半ばでアパートを購入したガイが、久しぶりに昔の仲間を新居祝いに呼ぶ。学生時代の仲間達はそれぞれにたまに会ったり出くわしたりしてはいたものの、集まるのは12年ぶりだという事が会話で解る。

最初にガイのアパートにやってきたのはジョン。ガイはハンサムというタイプではないけれど、面倒見が良くて誠実な人柄なため、独り身ではあるものの、皆から姉のように(?)信頼されている。きれい好きで、性行為でも必ず用心を忘れない。台詞の中にエイズという言葉は出てこないけれど、ゲイとエイズの関係が社会問題になっていた時代背景が解る。恋人がいない事をからかわれながらも、実はガイは学生時代からずっとジョンに思いを寄せているのだった。でも彼の心が自分を振り向く事はないと知っているガイは、親友としてジョンの近くにいる事を選んだのだ。

ガイのアパートでテラスのペンキ塗りをしていた超ハンサムなエリックももちろんゲイ、その容貌に目を止めたジョンとの視線のかわし方で、お互いに「気に入った」のが一目瞭然。とにかくゲイの人たちは遠慮なく舌なめずりするような視線を気に入った男に向ける。
次にやってきたのはダニエル、彼は仲間のレジと恋人関係でもう長く一緒にいる。ひとしきりお互いの近況話が弾むが、ダニエルが帰っていくと、ジョンはガイに、実はレジと先日会って、一夜をともにしてしまった事を告白する。一方ガイはホリデーに行った先で無理矢理いやな男に乱暴されてしまった事を話す。なんの用心もなしに無理矢理された事でガイは深く傷ついている。密かに愛しているジョンからレジへの思いを打ち明けられて、ガイは親友として精一杯ジョンを抱きしめてやるのだった。

2幕はやはりガイのアパート、お葬式の後だと観て解る服装。レジが死んだのだ。2幕には1幕では登場しなかった仲間、バーニーとベニーもいる。この二人も長年のパートナーだが、荒っぽい性格のベニーに我慢強い奥さんのように寄り添うバーニーという、また違ったカップルの形を描いている。バーニーはガイにベニーに内緒でレジと関係を持った事を告白する。また、エリックはガイがジョンの事を愛しているのを見抜いて、「彼に本当の気持ちを打ち明けるべきだ」と肩を押すが、タイミングを失ってガイは言い出せない。そしてどうやらその場に登場せずに死んだレジという男は他にもあちこちで見境無く関係を持っていたらしい。エイズで死んだのは会話で解るのだが、どこから回ってきたのやら・・・・

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3幕目もガイのアパートだが、住んでいるのはジョンとエリックだ。ガイのお葬式の後。エイズで死んだと思われるガイは、最初に告白していた例のホリデーでのレイプで感染していたのだろうか、、、彼は死ぬ直前になって初めてジョンに長年の自分の思いを告白し、自分のアパートをジョンに残したのだ。(ちなみに3幕の前半はエリックとジョンは全裸で演じているのだけれど、もう本当に奇麗な体!!前向き写真はさすがに載せられないのが残念だわ、、、)そして会話を聞く私たち(観客)には、エリックも昔レジと関係を持った事があるのだと解る

またしても仲間を失った悲しみの中で、ダニエルはジョンに長年の疑問を問いただす、「レジと、関係があったんじゃないか、、、?」ダニエルにはずっと言えずにレジへの愛を隠してきたジョンだが、、迷った様子の末に言う「そんな事ある訳無いじゃないか!」

誰かを愛する気持ち、誰かの思いに答えられない現実、振り向いてもらえない一方通行の愛、パートナーに誠実であるという事、ちょっと目を盗んでアヴァンチュール、親友仲間としての友情、、そんなゲイにも男女にもどこにでもあるような恋の感情が、なぜか超ハンサムな男達で演じられるととても純粋に見えてくるから不思議だ。

この作者、Kevin Elyot氏は実は今年の5月に亡くなった。この芝居が初演されたときにはエイズが大問題になっていたし、実際私の同僚も、何人も仲間をエイズで亡くしてはその度にお葬式に行っていた・・・自分も検査を受けて、その恐怖に怯えていたっけ。それでもゲイの人たちは結構複数と関係する人が多い。堅実なカップルもいるけれど、派手な人たちのほうが目立っていた。

会話劇というのは、芝居の中で劇的な事が起こる訳じゃない。彼らの台詞の端々から状況が説明され、過去の出来事の話でそれぞれのキャラクターを埋めていく。この芝居はコメディーだ。初演時にはいろんな演劇賞を受賞している。台詞はウィットで、ユーモアがあり、「同性愛」という事での違和感や粘っこさは感じさせない。オープンで、皆が抱き合ってキスし合う男達の友情とその秘密が、コメディータッチで描かれていく。

ガイから寝耳に水の告白を受けてアパートをもらったジョンは、今はエリックと一緒にいるけれど、この二人もこれからどこへいくのか、、、??ちょっと切ない友情・恋愛劇だった。これって、日本では上演、、、されないだろうなあ〜〜、、??


さて、書こうと思っていたらなんと!錦織選手がUSオープンの準決勝でジョコヴィッチを下し、日本人・アジア人初のグランドスラム決勝進出を果たした
これは凄い!本当に素晴らしい快挙だ。準決勝進出でも素晴らしい健闘、それでも「やっぱりジョコヴィッチが勝つんだろうな、せめていいテニスをして欲しい、世界NO1を相手にどこまでやれるか?」と思っていたら、本当に勝ってしまうとは・・・さらに、決勝相手は、これまた14シードながら第2シードのフェデラーを破ったチリッチ選手。両選手にとって大きな試合になる。決勝がどうなるのか楽しみだ!!

さて、7−8月は芝居を観ていなかった、、、久しぶりの舞台は「リチャード3世
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シェイクスピア劇はイギリスでは本当に様々な解釈、設定で上演される。舞台もオーソドックスな中世から現代まで、演じる役者も幅広い年齢で再現される事も多い。
私はどちらかというと現代っぽいシェイクスピアより、古典的な演出のほうが好きなのだけれど、それだけ彼の本は時代背景にかかわらず練り直しが可能な戯曲なのだ

今回の演出はJamie Lloyd氏。彼の演出作品は私の中では好き嫌いが分かれるので、今回はどんなもんか、、、と思っていたら、設定は70年代末の英国を反映させている。感心したのは、「知らない観客にも解らせる」という作りだ。リチャード3世の事を歴史的に知らなくても、シェイクスピアの芝居を全く観た事がなくても、それでも理解し易いように練ってある。

設定が70年代末というのは、英国人にとって解り易い背景がある。今でも時々譬喩されるのが78-79年の冬の英国の社会状況だ。当時の英国は労働党政権で、失業率は以上に高く、それでいて労働賃金は低すぎ、国民にとって非常に厳しい状況だった。とうとう労働組合が昇給率引き上げを要求して、ほぼすべての公共機関がストライキを行ったのが78-79年の冬の事。この冬はさらに気象もきびしく、大型の吹雪にみまわれて大雪や凍結でさんざんだった為、この年の冬の事を英国では度々「The winter of discontent」と表現される。これは「リチャード3世」の冒頭の台詞をかけたもので、(Now is the winter of our distontent, made glorious summer by this sun of York)今回の作品はこれを政治的背景に重ね合わせた演出だ。

このTrafalgar Studio は小さな舞台で、さらに今回は舞台後方にも観客を入れているため、役者が動ける範囲はとても狭い。その舞台が閣僚の会議室の設定になっている。開演前に舞台のセットをみて、「これは80年代、、?いやもうちょっと前だな」と解るように作られている。対峙した長いデスクの上にはピッポッパではなく、ジリ〜〜ン式の電話。デスクランプやタイプライター、始まる前からこれは80年代前の設定だと観客が解るようにできている。

登場したリチャードは、まだ国王になる前のグロースター公として軍服を着ている。
小柄な体にわずかに盛り上がった左肩。右手は全く動かさない。ひょこひょこと歩くわりにはいやに威厳をふりまいている様子はなんだかヒットラーのようだ。それでいて、Martin Freeman演じるリチャードは無慈悲で狡猾だ。フリーマン氏といえば、最近では映画の「ホビット」やBBCシリーズの「シャーロック」でのワトソンのように、温厚なイメージがあったけれど、シャープで鋭い目をしたリチャードをこれまた鋭い声で演じている

この芝居の中で、リチャードは王位に付くために、兄のジョージ、その2人の息子たちを殺させ、さらには嘘を吹聴して自分の王座に邪魔な者達を次々と排除していく。でも自分では手を下さない狡猾さは、むしろとぼけているような様子で、観ていてかなりコミカルだ。「死んだ」と聞いて素っ頓狂に驚いてみせる表情や、本当は喉から手を出して待っていたのに、いざ王位に付くとなると謙遜してみせたりする演技が冷酷というよりは滑稽なのだ。実際、いろんなシーンで客席からは笑いが起こる。それでいて非情・・・自分の都合のことしか考えていない。現代っ子風なキャラだ。

狭い空間に大きな会議用デスクが2つ置かれているため、演出上の役者の動きはとても緻密だ。本当に動ける場所が少ないのだ。でもそれを有効に使っている。ロイド氏の演出は血しぶきが飛んだり泥だらけになったりする事も多いのだけれど、今回も血しぶきがあがったりして、最前列の人は髪を払ったりしていた。ちなみに後で読んだゲネプロのレビューでは「1−2列目の人は劇場にクリーニング代を請求する必要があるかも」と書かれていたりしたけれど、そこまででは無いようだったので、少し抑えたのかもしれない。

バッキンガム公、リッチモンド公等、皆軍人の設定で、最後のボズワースの戦いは会議室での反乱のような形で銃やナイフでの争いになる。「これでどうやって最後の馬の台詞にもっていくのか、、?」と密かに思っていたら、これがうまい解釈だった

リチャードの最後の台詞は、元々は戦いで馬を無くし、泥の中で不利になったリチャードが「馬を!馬をくれたら王国をやるぞ!」と叫ぶのだが、会議室の中で銃を突きつけられての状況では無理がある

味方がいなくなってしまった中で、真っ向から銃を突きつけられたリチャードは、キョロキョロとあたりを見回し、逃げ場が無い事を見て取ると、「え〜っと、どうやって逃げようか?」という顔をする。誰にともなしに、「うま〜〜、馬もってこ〜い、かわりに王国をやるぞ〜〜」と言ってみるのだが、あえなく銃で撃たれてしまう、という最後だった。この「馬で逃げちゃおっかな」というニュアンスにまたも会場からはクスクス笑いが起こる。

台詞やト書きの行間をどう埋めるか、がシェイクスピアの芝居では無限の可能性がある。人としての心理、恋の激情も、憎しみも嫉妬も野望も悲しみも、それはいつの時代のどんな人にでも共通している。シェイクスピアの芝居が何百年経っても色あせずにいろんな形に姿を変えてよみがえるのは、彼が常に人としての情感の原点を突いているからだ

もしかしたら「私はそんなつもりで書いたんじゃないぞ!」とあの世の彼方で言っているのかもしれないが、だからこそシェイクスピアは英国が誇りにし愛している偉人なのだ





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劇評がすごく良くて、観たいなと思ってはいたのだけれど、金銭的に厳選してちょっと躊躇したのと、観たいと思った時にはチケットが取れなくなっていたのとでパスした芝居が、またまた映画館でのライヴ上映という形で観られる事になった
イプセンの「幽霊=Ghosts」主演のLesley Manvilleの演技が各紙で5つ星評価だったのでこの機会を逃す手はなかった。

イプセンはノルウェーの劇作家。どうしてもロシアとか北欧のちょっと一昔前の劇はイマイチ暗いっていうか、辛気くさいっていうか、私にはあまりピンと来ないので普段はちょっと避けている。もちろん作品として評価されるに値するものが多いのだけれど、どうも「重い」んだよね・・・

この「幽霊」はイプセンの代表作、「人形の家」の続編的な意味合いを持つと言われている。19世紀の女性たちは、まだまだ自由を謳歌したり自分の意見を主張したりという事は疎んじられていた。従順で貞淑な妻、良き母でありさえすれば可愛がってもらえる、という社会から少しずつ女性の自己主張が芽生え始めはしたものの、社会的にまだそれが受け入れられない葛藤に苦しんでいた女性たちがどれほどいたことだろう・・・?

酒癖と女癖が悪い夫をそれでも世間的には見栄え良く取り繕って家を守ってきたアーヴィング夫人。自分が守ってきたと思っていたものが実は虚構であり、最愛の息子にそのしわ寄せがのしかかってしまった現実を目の当たりのした時に彼女が選んだ最後の選択は、息子を苦悩から救ってやるというものだった

自由思想を持ち、自分なりに正しい道を選んできたと思っていた彼女が最後に気づいたのは、自分の言動が自由気ままに生きていた夫を少なからず縛り付け、その反動で夫は酒と女性関係に身を持ち崩し、さらには息子に先天性梅毒を遺伝させてしまうという悲劇を生んでしまったという事だった。父を尊敬し、自分はいつも誠実に生きてきた息子ーオスワルドが、身に覚えのない梅毒に犯されて末期の症状に怯えおののく様は本当に悲劇としか言いようが無い。

重いんだよ〜〜、やっぱりちょっと辛気くさい、でもその重さがやけに現実的で身につまされる思いがする。だから余計に観ているのがつらい。アーヴィング夫人役のLesley Manvilleと息子役のJack Lowdenの演技がピカイチだ。さすがは5スター評だけの事はある。特にスクリーンでは表情がアップで観られるので微妙な心理の演じ分けが際立っている。

19世紀半ばの文学作品で女性が意見を主張したり自分の生き方を見いだしていく、といったテーマは数多い。ジェーン・オースティンやシャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」はその代表作、D.H.ローレンスの作品における女性たちもそうだ。まだまだ社会に縛られていた女性たちが求めた自由思想や自己主張は今の時代でこそ当たり前であっても、当時にあっては大きな社会的変換の要素だったのだ。

私の好きなタイプの芝居ではないのだけれど、演劇作品としてはやはり価値がある。今回の演出はリチャード・エアー氏によるもの。シンプルで無駄が無く、役者の演技力を最大限の武器にした作品になっている。心を鷲掴みにされるような演技はやはり芝居を観る最大の冥利だ。1時間半の芝居なのに、見終わってぐったりしてしまう・・・
演劇」というのはこういうものなのか、、と久しぶりで演劇の原点をみたような気がした


久しぶりに行って来たHampstead Theatre、演目は2ー3年前にニューヨークでトニー賞を取った(ノミネートも数部門)Good People。アメリカ、ボストンの南部、労働階級でアイルランド系カソリックの人達が多い街が舞台になっている。
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幕が上がるとディスカウントショップ(100円ショップ)の裏口でマーガレット(Imelda Staunton)が必死にマネージャーのスティーヴにいいわけしている。彼女の度重なる遅刻に、とうとう会社の上司から「彼女をクビにしろ」と言われたスティーヴは、自分の亡き母親の友人でもあるマーガレットをクビにしなければならない任務を押し付けられたのだ。マーガレットはシングルマザーで成人した娘は障害を持つ。ヘルパーの女性が時間にルーズなため、何度も仕事の時間に遅れてしまう事になったのだ。どんなに生活が大変か、障害者の娘をもって仕事を失ったらどうなるか、必死にまくしたてるマーガレットだが、聞き入れてはもらえずにクビになってしまう

友人達と話すうちに、学校時代の仲間で、ちょっとだけ(2ヶ月程)つき合った事のあるマイクが今は医者になって羽振りの良い人生を送っているときいたマーガレットは、何か仕事を算段してもらえないものかと彼を訪ねる。久しぶりの再会に懐かしそうに親しく接するマイクだが、マーガレットのほうはとにかく「なんでもいいから仕事のツテが欲しい」という事しかないので、少しずつ2人の会話もぎくしゃくして来るのだった。マイクは週末に誕生日パーティーをするのでだれか友人達の中に仕事のつてを見つけてくれる人がいるかもしれない、とマーガレットを招待するのだが、マーガレットのいかにも「あんたの人生は運が良くてうまくやってるわよね」という態度にかなり不愉快な思いを隠せない。

労働階級の娯楽の定番といえば「Bingo」。ビンゴセンターで友人と女3人でだべりながらビンゴに興じているとスティーヴがやってくる。彼はビンゴが大好きで、おばさん達からすると、「若い男でビンゴが大好きなのはゲイだ」という定義になってしまうのだった。そこにマイクから連絡があり、パーティーは娘の具合が悪いのでキャンセルになったという。マーガレットは咄嗟にキャンセルは嘘で「やっぱり私を呼びたくないんだ」と解釈し、かまわずに当日パーティーに出掛けて行く事にする。

第1幕では労働階級者のいい分や価値観、生活感をとてもリアルに出していて、台詞も現実味があって面白い掛け合いが続く。頑固で自分の思った事をそのまま言葉にするマーガレットは正直でいて辛辣でもあり、やがて人を苛つかせる危険性をはらんだキャラクターだ。でもこれってイギリスでも30年目になるソープオペラ、「Eastenders」にも重なる。ズバズバ言い過ぎるのだ。正直なだけが良いとは限らない=口は災いのもと、だよね。

2幕は高級住宅地にあるマイクの家にやってきたマーガレットが彼の妻、黒人のケイトにケイタリング会社のスタッフに間違えられるというシチュエーションで始まる。パーティーがキャンセルになったというのは本当で、別にマーガレットをうとんでマイクが嘘をついたわけではなかったのだ。とりあえず3人でワインを飲みながら、ケイトの「彼の昔の話をきかせて」と言われるままに10代の頃の彼を暴露しだすマーガレット。ギャング同士の喧嘩で相手を罠にかけてボコボコに叩きのめした事や、果ては自分ともちょっと関係があった事まで・・・エリートでスマートな医者としての彼の事しか知らなかったケイトは少なからず衝撃を受ける
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マーガレットというキャラクターの背景には、運に恵まれずに厳しい人生を歩いて来た労働階級の現実がある。この「階級」というのはイギリスではもっとはっきりとしていて、労働階級に生まれた人間が中流/上流階級に交ざって行く、あるいはなっていくというのは余程の運の良さと自分を変える努力が必要だ。マーガレットが「あんたは医者になる為にサポートしてくれる人がいたから勉強できたのよね」とマイクに言えば「俺は必死で勉強して働いて、今の生活を手に入れたんだ」とマイクが主張するのもうなづける。でも自分はシングマザーで、しかも生まれた娘が障害者で、働いても働いてもギリギリの生活しかできずに、またしても仕事をクビになってしまったマーガレットにしてみれば、ほんの少しのきっかけで人生の方向性が変わってしまった昔の仲間がやっぱりうらやましいしねたましいのだ。

ビンゴ会場で「後一つ、、、」とひたすらBの53を待っていた時にはちょっとの差で番号は呼ばれず、最期のビンゴのシーンでは全く関係ないゲームの時にB53が声高に呼ばれる。人生の分かれ道がどこでどう訪れるのか、という事を考えさせられる。

労働階級出身でももちろん出世して大金持ちになっている人達はいる。自分の出身をなるべく大きな声では言いたがらない人もいれば、逆にそれを売りにして人気を得ている人もいる。ヴァージングループのリチャード・ブランソン氏はその後者だ。お金や成功にかかわらず、労働階級出の匂いを無くしていない。かえって頑張って中流階級になろうとして身なりや話し方を変えてポッシュに振る舞う人はpretentiousといわれて敬遠されるのだ

何かが起こるという芝居ではなく、日常のごく普通の人間の葛藤や忍耐ややりきれなさ、そんなものがにじみ出て来る台詞劇だ。主演のイメルダ・スタウントンがとにかく素晴らしい。タフで頑固で言われたら言い返し、やられたらやり返す雑草のようなマーガレットを小柄な身体一杯でエネルギッシュに演じている。彼女は150センチもあるかどうか、、という位に小柄だ。舞台ではローレンス・オリビエ賞も受賞しているし、映画「Vera Drake」ではアカデミー賞にもノミネートされた実力派だ。ハリー・ポッターでのピンクのフリフリドレスで思い切り残酷なドロレス・アンブリッジが強烈だった。今回の役でも批評家達から絶賛されている

Hampstead Theatreはやはり客席200弱の小さな所だけれど、この芝居のウェストエンド進出が決まったそうだ。私が行った日も満席でリターンチケットに行列ができていた。今年のメジャーな賞の候補になるかも。
現実を突きつけられる芝居は時にちょっと胸が痛くなる。でもそれが人間の心理を描くということなんだよね


彼の誕生日に私の大好きなFrances Ruffelleのキャバレースタイルのショウに行って来た。 このショウは去年の秋に5日間あったのだけれど、丁度私が一人旅に行ってる時と重なって、唯一行かれる日のチケットは取れなかった。(っていうか、全日ソールドアウトだったのだ)再演が決まったとフランセス自身のツイートで知ったその日に今回の初日=彼の誕生日のチケットをゲット 彼女の前回のショウは、ちょっとセクシーでいろんな女の顔をクルクルと見せてくれたけれど(その時のブログはこちら)、今回のショウはParis Originalと題してる

ピカデリーサーカスに2年近く前にオープンしたキャバレーベニューのCrazy Coqs、ここはZedalというグループのカフェ、フレンチブラッセリー、アメリカンバー、そしてキャバレースタイルのCrazy coqsの4つのベニューが1カ所に集まっている。全体がフレンチ/アールデコスタイルの内装で、入り口のカフェを抜けるとポップアートに彩られた1930年代の世界だ

100人も入るか、、??という店内には4人掛けには絶対小さいテーブルに無理矢理椅子が4つずつ、どれもステージの方を向くように並べられているので、ほとんど隣の席と重なりそうな感じ。でもこの親近感が全体の雰囲気になっていくのだろう。彼と2人でドリンクを頼むと、いかにもマダムといった風のおばさまがテーブルに両手を広げてやってきた。ここのオーナー(雇われマダム?)だという。私たちが初めての客だと目ざとく見つけたのは明らかだ。(こういう人は一度/2度来た客の事は覚えているというタイプだね、銀座のママみたい・・・)私たちを場所に馴染ませる会話を交わして「フランセスのショウは本当は素晴らしいわよ、楽しんでね!」とまたあちらのテーブルへ、、、。

ショウのテーマはParisだ。「私の前世はフランス人だったと思うの」というフランセスは去年レスター市でミュージカル「Piaf=ピアフ」でエディット・ピアフを演じた。彼女のピアフは本当に観たかったけれどさすがにレスターまでは行かれず、その後、ロンドンを含むツアーの計画があるという事だったので、ひたすら待っている。(でも彼女は2~3月は新作のミュージカルに出るのでまだ具体化はしていない様子)今日は「ピアフ」からの曲も歌ってくれるはずだ。



オープニングは私もとても好きなcomment te dire adieu/さよならを教えて。フランソワーズ・アルディーのヒット曲として有名だけれど、実はこのオリジナルは英国歌手のVera Lynnの「It hurts to say Goodbye」だ。でも私にとっては80年代の戸川純バージョンが頭にこびりついている。最初からフランス語でキュートに歌うフランセス。このアールデコスタイルのキャバレーにぴったり。バンドはコントラバス/ギター、ピアノ、ドラム、時々サキソフォンやアコーディオンという構成でバンドは4人。クールなパリジャンを装っている

全編フランス語という事でなく、一番をフランス語/2番の歌詞を英語で、あるいは英語訳の歌詞で、というように飽きのこない構成だ。私はもちろんフランス語は解らないけれど歌=曲は知っているものがほとんど。なにしろ狭い空間で彼女が動けるのはほんの数歩だから舞台のような演出は無理だけれど、そのかわりとても身近な距離で話しかけるように歌う。店内の雰囲気もとってもIntimate

ポップな曲とちょっとジャズな曲、演出されたステージとは違う、素のシンガーとしての彼女の魅力が満載だ。衣装も何度が替えて、その間には彼女の娘でポップシンガーのイライザ(=Eliza Doolittle)が場繋ぎに一曲歌うシーンもあって、親子2代で暖かい声援を浴びる姿は微笑ましかった。今回は4日間のステージの初日だったので、劇場関係者や彼女の友人も前列テーブルにいた様子。観た事のある俳優さんやなんと、ウエストエンドの大御所プロデューサー、カメロン・マッキントッシュ氏もお母さんを連れて来ていた

私たちと同じテーブルになった女性とも気さくに話をすると、フランセスの個人的な友人で、普段はヨークに住んでいるのに、今日はホリデーから帰ってきたところでロンドンに着いたので観に来たのだそうだ。ショウの後では、声を掛け合っては写真を取り合っている人達があちこちに・・・さっきのマダムもぬかりなくまた私たちの所に来て、「楽しんでくれた?ここではいろんな才能ある人達が毎日ライヴをやっているから、いつでもまた来てくださいね」と両手を広げてハグ。今度は隣のブラッセリーで食事してその後こっちに移動というのもいいね。終演後はこれまた隣のアメリカンバーでナイトキャップ・・・?地上のカフェも待ち合わせやちょっとコーヒー一杯によさそう、カフェティエでもスタバーのコーヒーと同じ値段だし

マッキントッシュ氏、フランセスのPiafをロンドンプロデュースしてくれないかしらね。レスター市での「ピアフ」のPRヴァージョンはこちら



う〜〜ん、観たい ツアーでも良いから観る機会がある事を祈って・・・





 


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National Theatreが数年前に始めた、舞台の生中継ライブを映画館で上映するというスタイルは、あっという間に大人気になり、今やNTの定番になりつつある。全公演ではないものの、以前よりも数多くの舞台中継が地元の映画館で観られるとあって、英国各地のみならずヨーロッパ各地、アメリカ、カナダ、オーストラリア、、、と500館もの映画館で上映されている。作品によっては、同時生中継だけでなく後日にアンコール上映もされて、普段ロンドンの劇場に足を運べない人達にとって身近に舞台を観る事ができる機会とあって大人気だ。それでも日本のように簡単にDVDになってしまったりあるいはテレビで放映というような事はなく、劇場と同じような観客席の映画館で上映という事で、舞台演劇というものにあくまでも一線を引いているところが伝統というべきか・・・舞台劇は客席で観るもの。お茶の間で観るものではないのだ

今回ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが初めてこのLiveを試みたのが現在ストラトフォードで上演中の「RichardII =リチャード2世」だ。主演はDavid Tennant、この舞台は来年にはロンドンのバービカンでの上演が決まっているけれど実はもう既にチケットは完売している。私もハムレットで絶賛されたテナント氏の舞台は観たかったけれど、「リチャード2世」はシェイクスピアの作品の中ではそれ程「観たい!」という演目ではないもので、どうしようかと思っているうちにチケットを取り損ねた。それにしても本拠地ストラトフォードでの舞台はどれもレビューが4〜5星揃いなので、ライヴ上映があるなら観ようと思って決めた。

映画を観る際、始まる時間から最初の30分はたっぷり予告や宣伝に使われている。余裕でも20分遅れで映画館に行けば充分というのが常識だ。でも今回の場合はどうなのだろう、、?RSCのサイトを見てみると、ストラトフォードでの開演も7:00PMになっている。という事はこの場合7時より早めに行ってないとマズいという事、、 仕事が終って定時に走り出て、地元の映画館に着いたのが6:35だった。映画館内のスタバでちょっとゆっくり珈琲とサンドイッチでも、、と思っていたのに、なんとスタバは長蛇の列 実際この映画館の平日夜にこんなに人がいるのさえ見た事無い!しかも明らかに客層が今日は違うって・・・コーヒーを持って館内に入ると(この映画館は15スクリーンあって、ロードショウものは大きめのシネマを使う)もう既に8割方満席こんなの見た事ないよ〜〜・・・

センターブロックの通路脇の席に着く。劇場の椅子より広くて座り心地が良い。頭を持たれかけることができるし、前の人の頭も視界に入らない。コーヒーを置くカップスタンドもあるし、足元だって快適に伸ばせる これはウェストエンドの劇場よりもずっと快適 これでチケット代は舞台の4分の1だし。 

7時になるとストラトフォードから中継がスタート。開演前の客席のざわめきの中、プレゼンターが芝居の背景や俳優達のコメント、稽古風景等を紹介していく。劇場でプログラムを買う代わりといった感じ。15分程過ぎて幕が開いた。「リチャード2世」はシェイクスピアの作品の中では地味なほうだ。歴史劇物に分類されているけれど、悲劇ものや喜劇ものと比べると上演される回数もずっと少ない。実は私もテレビで放映されたドラマ版や昔の映画版はちょっと見た事あったけれど、舞台では初めてだ。

あまり政治的才覚に優れているとはいえなかったリチャードが、民衆から反乱を起こされたりさらには宮廷内でも次第にうとまれてしまって、だんだん味方がいなくなっていく。亡くなった叔父の財産を没収した軍資金でアイルランド遠征に行っている間に、追放した従弟のヘンリー・ボリングブロークが密かにイングランドに戻ってきて着々と味方を集めて反リチャード体勢を固めると、やがてリチャードはその王座を空け渡さざるを得なくなる

戦いで負けるという形ではなく、次第に力を失くしていってかつての取り巻き達に去られ、従弟に王冠を譲るハメになったリチャードの没落の様子を描いているのだけれど、この国王としての才能に恵まれなかったリチャードの落ちぶれっぷりがなんとも哀れなだ。芝居の最期には幽閉されていた城で暗殺されるのだが、これは史実ではどうやら衰弱死(餓死?)という事だったらしい。実際のリチャードのポートレートはこちら

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王冠ー悪事ー暗殺ー権力といったドラマチックな展開ではなく、力弱い王の話だ。国王としての威厳や思慮深さに欠け、コロコロと人のおべっかに乗ってしまう筋の通っていない男なのだが、なんだかそれが放っておけないような、哀れな魅力として書かれている。愛嬌のある役者でないと引きつけられない役だね。デヴィッド・テナント氏はうってつけ。一国の王としてはダメダメなのに、落ちぶれるにつけて可哀想になってしまう。「あなたが悪いんじゃないのよ」と言ってあげたくなるのだ。付け毛の長髪、白いローヴに十字架を付けて、まるでキリストのようにも見える。(そういう意図もシェイクスピアの中にあったらしい)

休憩時間は劇場と一緒に20分。でも実際には10分でまたコメンテーターが役者のインタビューや舞台裏(セットや証明)の解説を入れてくれる。見ごたえのあるライヴだった。でも欲を言うと、カメラワークが寄り過ぎてたかなあ〜・・・役者の表情をアップで観られるのは醍醐味だけれど、劇場中継なのでもっと舞台全体の絵も見たかった。日本のWOWOWのほうが巧いかも。まあ、これがRSC初のライヴだからね。これ以降来年の舞台もまた中継を予定しているらしい。この「リチャード2世」は昨日だけで英国とヨーロッパで34000人のシネマ観客数だったそうだ。さらにこの後アメリカ、オーストラリア、そして日本でも上映されるらしいので、興味のある方はチェックしてみてはいかがでしょうか

舞台は舞台、これは基本だけれど、実際に劇場まで足を運べない人達にとっては充分空気を感じられるはず。舞台のチケット代は惜しいけど、映画館なら、、という二次選択の演目や、チケットが取れなかったり見逃した作品をアンコール上映でみるというのも今後の選択肢に入れなくちゃ。特にNTは最近次々とライヴを決行してるし。まるで劇場にいるような雰囲気の映画館というのも面白い。映画館の人達も「今夜は違う」と思っていただろう。

去年のBBCでベン・ウィショウが演ったRichardIIをも一度観たくなった。録画してざっと観ただけでデジタルテレビのセットボックスがダメになっちゃってちゃんと覚えてないけど、見比べたいなあ〜〜


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ちょっと変わっててちょっと長いタイトルの芝居「The curious incident of the dog in the night-time」、初演は実は1年前のNTだった。この時は一番小さなスタジオシアターでの初演。でも評判がすこぶる良くて、後にウェストエンドに移動して今年のローレンス・オリビエ賞でなんと7部門を受賞した作品だ。もちろん、ベストプレイ、ベストアクター、ベストダイレクターを含む。興味があったのになかなか腰が上がらなかったのは、そのタイトルやポスターで、子供向けっぽいストーリーなのか(War Horseのような)と思ってしまったからだ。でも劇場上映されたNT Liveの一部クリップを観て、これは観なくては・・・と思い立つ。丁度ベストアクターを受賞した主演のLuke Treadawayを含め、キャストが8月いっぱいで変わると聞いたので、良いタイミングだった

原作も同タイトルの本で英国の文学賞を受賞している。主役は15歳のクリストファー。2年前に母を亡くして父と2人でスウィンドンで暮らしている。彼はちょっと普通の少年とはちがって一種の対応障害を持っている。原本にははっきりとは書かれていないそうだが、一応プロットとしては、クリストファーは「アスペルガー症候群」という事になっている。
知的障害ではないけれど、人との会話がうまくいかなかったり、言われた事や自分で決めた事を変える事ができずに固執したりしてしまう。それでいて興味がある事やある特定の分野において驚異的なこだわりと集中力を持ち、他の人とはかけ離れた能力を発揮する事がある。クリストファーの場合は数学に驚異的な能力を持ち、シャーロック・ホームズのような探偵ごっこに盲目的にのめり込む。

ある夜、近所で飼われていた犬がガーデンフォークで刺されて殺されていた。「誰がウェリントン=犬を殺したのか」クリストファーは徹底的に調べ始める。何故、誰がやったのかを突き止めようと、いつもはおつきあいの無い近所の家を一件一件尋ねていく。クリストファーの普通でないのめり込みに、父は「他の人の生活を掘り返すのはやめて、犬の事は放っておきなさい」と再三言って聞かせるのだが、クリストファーは聞かない。そうするうちに近所の老婦人から重大な秘密を聞いてしまう。そして母が死んだというのは父の嘘で、実は近所の男性と駆け落ちしてしまったのだという事、さらには母がその後何十通もクリストファーに手紙を書いてよこしていたのを父が隠していたという事を知ってしまうのだ

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ストーリーはクリストファーがウェリントン殺害の捜査状況を本にしようと書き留めていくのを、先生がそれを読みながら彼の次なる行動を見せる形で進行する。演出はとてもモダンで、セットや大道具の類いはほとんど使わずに舞台全体に張り巡らされた電光版を巧みに使って時には幾何学的に、時には3Dのように背景を創り上げる。クリストファーの持つ障害は、思い込んだら怖い物知らずで、それでいて対人関係がうまく成り立たず、聞かれた事に対する素直過ぎる答えはむしろ回りを困惑させる。それでいて彼自身の持つ世界はとてもピュアだ
その驚異的な数学力で、15歳にして大学入学レベルの試験(AーLevel)を受ける事になったクリストファー。大人達の事情はどうあれ、父にも母にもそして先生にも愛されている彼は数学者として羽ばたく大きな未来を夢見ている。

母の駆け落ち相手がウェリントンの飼い主の元主人であり、実は殺したのは父だったと知ったクリストファーは、家を出てロンドンの母(と愛人)の所へ向う。ペットのネズミを連れて一人でスウィンドンからロンドンへ向うクリストファーの大冒険はユーモアに溢れていながら実は危うくて、そして必死だ。彼独自の世界と他の普通の人々の世界のギャップ、それを乗り切る事運びの巧さは見事な演出だ。

まずストーリーがとにかく解り易い。そしてクリストファーの持つ障害とその彼の世界から見た本来は普通の社会とのズレが、実はとても純粋に「良い事」と「悪い事」を分けて行く。電光版をフルに使ったステージは宇宙空間のような広がりを出していて、クリストファーの持つ純粋さを反映させている。アンサンブルの役割も巧みで、これは本当に素敵な舞台に仕上がっている。ウィットに富んだ台詞のやりとりはとてもユーモラスだ。演出は女性だけれどとてもモダンな発想で、まさにBest New Playにふさわしい

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良い事、悪い事、好きな事、嫌いな事、クリストファーにとってそれらは飾る事無くごくシンプルに分けられている。お世辞や取り繕いや見栄は彼の世界には無い。とても純粋だ。だからこそ、彼が怯える時、不安になる時、怒る時、喜ぶ時の心の震えが伝わってくる。後で15歳のクリストファーを演じているLukeが実は28だと知ってビックリした。役を演じていた時にはせいぜい20歳くらいかと思ったから・・・・そういえば、彼が取ったのはBest Actorで、Best Newcomerじゃなかったんだよね・・・台詞も体の動きも実にしなやか!彼で観られてよかった。

確かに原作は子供向けにも大人向けにもなっているようだけれど、舞台は決して子供向けではない。むしろ大人達への皮肉にもとれる部分もある。そして決してアスペルガーを知って欲しいというような意図があるわけでも無い。むしろ原作者は、はっきりと書いていないのに「アスペルガー症候群」と明記されて、それを話題にされる事にとまどっていたという。そういう問題じゃないのだ。探偵ごっこと素数に夢中で、将来は数学者になる夢を持つクリストファーが、ご近所の犬が無惨に死んでいたのがきっかけで大冒険をする中で、さまざまな素朴な疑問を私たちの内に芽生えさせる。芝居というのはそういうものだ。社会的な意図ではなく、心に何を伝えるかで芝居の善し悪しが違って来る

良い芝居を観た後は後味が良い。来月でキャストは変わっても芝居はまだまだ来年まで続くらしい。是非おすすめ!!


もう何年も前からずっと観たかったPunchdrunkというプロダクションチーム
彼等はいわゆるImmersive Theatre(イマーシヴ・シアター)と呼ばれる体験型の演劇を提供しているグループで、そのレベルの高さは定評があり、いつもチケットは即日完売状態で私も過去数回に渡って行きたくても行かれなかった。その演目もなかなか好奇心をそそる物ばかりで、私が最初に彼等の事を知って行きそびれた公演が「ファウスト」(ゲーテ)、その他にも「マルフィ公爵夫人」(ジョン・ウェブスター)「赤死病の仮面」(エドガー・アラン ポー)等、ちょっとソソラレル題材を持って来る。

体験型演劇は、いわゆる市街劇プロムナード劇と呼ばれるもので、劇場という舞台空間ではなくもっとオープンなスペース=役者と観客の仕切りラインの無い場所でおこなわれる演劇だ。パンチドランクのプロダクションは市街ではなく、いつもあるスペース/建物を使ってのプロムナード劇だ。昔のドックランドの造船所の倉庫とか、取り壊し予定のビルとか・・・今回使われたのはパディントン駅の隣にある元ロイヤルメールの集配所だった建物で、ここをなんと、ハリウッドの映画スタジオに変身させた。その名も「Temple Studio」。このロケーションはチケット購入時には明かされておらず、最近になって発表された。

毎公演の入場は10分ずらしで一時間かけて全員が入り、入場時間はチケットを取る時に自分で選ぶ事ができる。この日は日曜で5時からの一回公演。入場時間は最終が6時になっていた。私は初めてだし時間をかけて体験しないとコツがつかめないかもしれないと思ったのもあって最初の5時入場のチケットを取っていた。

観劇の前日にメールがきて、歩き回り易い靴で来る事、足場には留意しているものの、暗がりやスモーク等の効果演出もあり充分注意するようにとの注意書き、バッグ等の荷物は一切持って入れないので入り口でクロークに預ける事、観客は全員仮面を付ける事になるのでできればメガネよりコンタクトレンズが便利な事,、、等の注意事項が送られて来た。期待度一気に上昇

時間にベニューに着くと言われた通りまずバッグを預ける。普通の劇場のように開演前にバーが開いてるという事はなくて、そのかわり中にキャッシュバーがあるというのでとりあえず£10札を一枚ポケットに押し込んで列に並ぶ。簡単なプロットが書かれた紙切れとチケット以外は手ぶら。そして全員に仮面が渡される。この仮面、かなり不気味。でも目の部分は大きく開いていて、鼻の上部までなので息もできるし口も自由だ。30度級の暑い日だったので中にはペットボトルの水を持って入ってる人もいた。(これはOK)

仮面を付けた私達はabsolute silence(徹底した沈黙)を命じられる。そしていよいよ「ハリウッド、テンプルスタジオ」に送り込まれるのだが、この時点でゾロゾロとエレベーターを降りるうちに不意にドアが閉まってしまい、最初に降りた半分の人達は地下へ、そして私達は再び2階まで連れて行かれて解放された。この時連れと離ればなれにされてしまった人達もいて、ここからは本当に完全に個人での体験という事になる。

全体はかなり暗いので、注意してのろのろと進むうちにもう少し先が見える、、といった感じでこのスリルがなんとも言えない。どっちへ行くか、、、誰かに付いて行くも良し、一人で皆と違うほうへ行くも良し。そして薄暗い先に見えるドア・・・全体が映画スタジオになっているので、林の中に俳優達の休憩するキャラバンがあったり、ドアを空けると次のスタジオだったり、誰かの楽屋、宿泊部屋、衣装やカツラ、縫製室やスタッフの事務室・・・ありとあらゆる映画関係の小部屋が至る所にあり、とにかく目についたドアを開けてみないと何にでくわすか解らない

ほとんどの部屋は無人でこれもとっても不気味なのだけれど、時々仮面をつけていない俳優達があちこちでシーンを演じている。観客は仮面をつけているのでこの区別はすぐに付く。各シーンは5分程で、その場に居合わせた観客が見守る中、台詞はなく、ダンスでシーンを演じている。シーンの後、役者を追っかけていけば次があるのかというとそうでもなく、続きがある場合もあれば、いつのまにか鍵のかかるドアの向こうに逃げられてしまってまた取り残されたりする

目につく限りのドアを開けては、役者に出くわしたら付いて行く・・・を繰り返すうち、かるく1時間以上経過してしまった。全部で3フロアーだという事もこの頃には解って、非常階段に出ると階を移動してみる。するとまた別のスタジオという事で、本筋とは関係ない「映画の撮影中」のシーンが展開していたりする。最初はカップルやグループも多かったのに、気が付くと殆どの人は一人で歩き回っていた。おそるおそるドアを開けて反対側に仮面を被った人がたっていた時には思わずぎょっとしてしまう
そろそろ歩き疲れた頃、こわごわと開けたドアの向こうに丸いテーブルが並んでステージらしきものが目に入った時、不意に横から声がして、「どうぞ、ここがバーです。ここでは仮面を取ってくつろいでください」といわれた。運良くキャッシュバーに出くわしたらしい

テーブルで冷たいミネラルをウォーターを飲んでいると、ステージでは手品をやったりクラブ風のバンドとシンガーが演奏したりしてこれもまた50年代風のハリウッドスタイル。ここで離ればなれになっていた連れと再会している人達も・・・始めは少なかったけれど、しばらくすると次々にバーに辿り着いた人達がやってきて結構な賑わいに

最終シーンは最期の15分くらいと最初に聞かされていた。どうやって、どこで行われるのか解らないけれど、最期の1時間をまた歩き回る。役者を見つけてついていくと、さっき観たのと同じシーンだったりして・・・
そしてしばらくすると、開かないドアにぶつかる事が増えて来る。あるいは黒いマスクのスタッフがさりげなく無言のまま手招きで「こっちはダメ」と合図する、、、そして開いてるドアを抜けて進んで行くと、いつの間にか沢山の人が集まっている林の中に出て、中央の舞台でメインストーリーのダンスシーンが繰り広げられていた。最終シーンだ。さりげなくこの場所に誘導されてきた観客達がほぼ全員集まった頃、クライマックスのシーンが演じられ、そのまま前キャストも登場してフィナーレとなる

劇団プロデューサーのインタビューによると、「おそらく殆どの観客は全体の約3分の1位を観る事になるでしょう」との事だった。確かにフィナーレに出てた役者のうち、半分は「こんな人いたっけ??」だった・・・・観客全員が違う3分の1を観て、成立する芝居。それで良しとするか、「もったいない!!」と思ってしまうかなのだが、それで成功している所が凄い。私は手当たり次第にドアを開ける事に夢中になって、ちょっと役者を追っかける(遭遇する)時間が少なかったかもしれないな〜〜。でもバーで休んだ時間以外、2時間半を歩き回った結果なのだから、あれが私の観た芝居だったのだ

こういう芝居はあくまでも参加型なので、自分の足で見つけて行かないとお金を払った分が観られない。イマーシヴ演劇が日本ではイマイチなのは国民性なのかもしれないね。教室で黒板に向って机に座り、先生の話を聞くように躾けられた日本人は、どうしても自主参加精神に欠ける。でも与えられたものに対する受け手になるだけじゃなくて、何が得られるのか探るという楽しみこそが醍醐味なのだ

いつもは数週間の公演でチケットが取れずにいたPumchdrunkの公演、今回はNTとの共同企画だからか、12月まで決定しているようだ。(最初はもっと短かったと思ったから、伸びたのかな)なんだかもう一度行って違う角度から観てみたくなる。パンチドランクの公演を見慣れている人達は、多分コツが解っているのだろう。私も次回は役者を見たら走って追いかけるか・・・入場時間を遅らせて途中休憩を短くしてもいいし。う〜〜ん、考えちゃうな、しばらく開けてから秋頃にまた行ってみようか・・・・暗闇とスモーキーなパウダーの匂いと、役者を取り巻く仮面の観客達、、、すごく怪しい別世界の空気に魅せられてしまう・・・・アブナいわ〜〜〜





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客席わずか100、スタジオ空間には舞台装置は無く、ソファーと椅子が一つずつ、床に箱が2つ、ソファーの横にコート掛け一脚のみ。女優2人だけでの丸2時間芝居
最近は大掛かりな舞台よりも小振りで質の高い演技に引かれる事が多い。この「Third Finger, Left Hand」という芝居の事は全くノーアイデアだった。ただ、女優2人のうち、Imogen Stubbs(イモジェン・スタヴス)を久しぶりに観たいなあと思って取ったチケットだった。小空間スタジオなので、チケットもお安いし

60年代終わり~70年代初めに北部イングランドで一世風靡したノーザン・ソウルというのは、60年代のモータウンレコードの音楽を中心とするソウルミュージックと、それに付随して大流行りとなったダンスムーヴメントで、丁度この時期に青春を送った姉妹が、一緒に人生のいろんな場面を回想していく。この芝居のタイトル「Third finger, Left hand」というのはマーサ&ザ バンデラスというグループのヒット曲、Jimmy MackのB面(レコード)になっていた曲だそう。ちなみに私的にはジミーマックは80年代にサンディ&サンセッツのリメイクヴァージョンが好きだった。スネークマンショウ、、、知ってるかなあ〜〜??

ニーヴ(Niahm)とグレース(Grace)の姉妹はもう何年も会う事も話す事もしていなかった。決定的に距離を置く事になったのは母親の死だった。姉のニーヴは母の世話や看病を妹のグレースにすべて押し付けて、なんだかんだと理由をつけてはろくに病院にも来ないうちに母は他界してしまった。その事でグレースの怒りは爆発し、以来断絶状態が続いていたのだ。久しぶりに再会した姉妹は古い箱にしまわれていた昔の家族写真を一緒にみながら、子供時代からのいろんな思い出を話し始める。
まだグレーズが生まれる前、若くて新婚の両親の元で可愛がられていた長女のニーヴ。幼い頃、2人で遊んだ日々、家族ですごしたホリデーの思い出、大好きだったテレビ番組、そしてソウルミュージックとオールナイトダンス・・・・


対称的な性格で、姉のニーヴは冒険心と好奇心の強い行動派。それに対して妹のグレースは地道で無難な選択をする事で自分の領域を安全なものにしようとするタイプ。時に対立し、時にかばい合い、お互いに好きだったり気に入らなかったり、、、と兄弟姉妹にはよくある関係だ。

一幕、2幕とも1時間程を2人の台詞だけで人生のいろんな場面を演じて行く。母親はおっとりした女性だが、父親は子供達を可愛がってはいたものの、時として自分の意想にそぐわないと暴力づくで娘達を叱り飛ばす。どんな家庭にもありがちないろんな出来事の中で、あの時には言わなかった事、知らなかった事等がいつの間にか積み重なって、少しずつ距離を作ってしまったのだ。今、実はニーヴは残り少しの命になっている。母と同じ癌におかされていて、久しぶりに距離を縮めた妹との時間をまた、今度は永遠に断ち切らなければならない・・・

矢継ぎ早にどんどん移って行く場面を、ひとつひとつ観客を引っぱりながら演じて行くのはもの凄くエネルギーが必要だ。大笑いしたシーンのすぐ後に、思い出すのも胸が痛い場面を演じる、、、2人だけの掛け合いはテンポが命。兄弟/姉妹というのは、友達とは違うつながりだ。私の母も昔よく言っていたっけ。「姉妹は姉妹なんだから
好きでも嫌いでも他人にはなれない関係。断絶しても、何かと法的には断ち切れないものがあるのが家族なのだ。演じているどの場面も昔一緒に共有した出来事。2人の役者の間のケミストリーが物を言う

イモジェンはどちらかというと昔からクラシックな役を主に観ていたけれど、演技力は流石。今回の役では訛りも板について、相手役のアマンダ・ダニエルズとの相性も良い。全く違うタイプの役者が対称的な姉妹を演じて共通する空気を出すというのは実は簡単な事ではない。観ている方は時として姉に同調し、時に妹のほうに肩入れし、それでいて憎めない/切れない関係に家族の絆を見出す。笑って、胸が痛んで、ちょっと泣いた・・・

自分の命が限られていると知った時に、何を思い出すのだろう、、?やっぱり昔の事なんだろうか、楽しかった子供時代、泣いたり笑ったり憎んだり恋したりした10代の頃、自分の夢と人生を切り開こうと粋がった20代? それらの時間を共有していた人達の事を一人一人思い出すのに違いない。

芝居を観たというより、人生を考えた感じの時間だった。私が観たのは楽日だったせいか、僅か100人弱の観客も役者のペースにしっかり着いて行ったよ。姉妹2人の人生のあれこれを自分の人生の思い出と照らし合わせて。世代的にも役者と観客が合ってたみたいで、そのあたりも芝居の設定する時代にからんで盛り上がってたのかな。

小空間での2人芝居、ちょっと日本の家族の事が気になる一時だった・・・・

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