見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

舞台・芝居全般

Celebration of Life


もしかしたら、、、とは思っていたものの、やっぱりとても残念なニュース、、、蜷川幸雄さんが亡くなった。今までも何度も入院して、心臓には以前からペースメーカーが入っていたし、それでもいつも舞台に返り咲いては年に何本もの作品を創っていた人なのに・・・・去年からは車椅子だという事だったし、ロンドン公演の「ハムレット」「海辺のカフカ」にも随行していなかったのは気になってはいたけれど、「公演が延期」と聞いた時は、「う〜〜ん、、、??」と思ったのです、、、、

本当に、今、舞台をしっかりやれる日本の役者で、蜷川さんの舞台を経験しなかった人はいないんじゃないか?と思うくらい、ベテラン、新人にかかわらず大いなる情熱で体当たりの演出をしてきた人だ。蜷川舞台のスタッフを数年していた友人からは、いろいろな武勇伝(?)も聞いていたが、とにかく芝居と役者達を愛していたという事がよく解る。 

世界にも誇れる日本の演出家として、こちら英国でも決してお世辞ではなく、彼の作品はいつも高く評価された。「映画のクロサワ」「舞台のニナガワ」は日本が誇る文化遺産だ。これからの日本の演劇は蜷川幸雄を知らない若手俳優が増えて行ってしまうのか、、、どうなる?!という危機感もある。蜷川さんの情熱を直に受けた人達が、どうか次の世代にその情熱と芝居への愛と欲を伝えていって欲しい。

今年は本当にどうなっちゃってるんだろうね。年明け早々にデヴィッド・ボウイーが逝ってしまい、俳優のアラン・リックマン氏、そしてテネリフェ滞在中に聞いた、プリンスと、イギリスでとても愛されていたコメディアン女優=ヴィクトリア・ウッドさんの訃報。そして今度は蜷川さん・・・・

昨日はこちらではエリザベス女王の90歳の誕生日を祝う盛大なイベントが開かれた。女王の本当の誕生日は4月21日なのだが、何故か毎年「Official Birthday」というのが6月にあり(気候の良い時だからかな?)バッキンガム宮殿のバルコニーにお目見えしたりする。今年の誕生日は名だたるアーティストが歌うステージと同時に、コモンウェルスの各国からも主に軍隊から騎馬隊や楽団が集まり、昨夜のイベントに登場したのは総勢900頭の馬達!!
まあ、女王陛下も90歳、夜の7時を過ぎてからのイベントで2時間以上も退屈されないように、と考えると当然彼女の好きな物で、かつ目を見張るものが必要なわけですが、、、

馬車から降りるときも手を借りずに一人で歩かれ、曲芸のような馬術や歌と音楽に楽しそうに拍手を送っていた姿は相変わらずチャーミング。さらにその女王の後ろを相変わらず背筋を延ばして歩いているフィリップ殿下は94歳なのだから、本当に驚くばかりだ

90歳という事で女王と同じ年齢なのが、デヴィッド・アッテンボロー氏だ。イギリスの誇る動物学者で、60年に渡って創り上げて来た自然を題材にしたテレビシリーズは、LifeシリーズPlanet シリーズ等、日本でも放映されているものも多いはず。英国では、彼の番組を見ないで育った子供はいないといってもいい。チャーミングでソフトなナレーションは耳に心地よく、今でも勢力的に番組製作に関わっている。

どんどんいろんな人が逝ってしまうと、どうしても気になるのがこのお二人だ。どちらも90歳。今はまだお元気とはいえ、やっぱりそう長くはないのか、、、と思うと、この二人のいないイギリスなんて考えられない

一度だけの人生で、自分の足跡を大きく残していける人は数少ない。逝ってしまった人達も、まだもう少し頑張って欲しい人達も、心から贈りたい、Celebration of their lives!!

それにしてもちょっと気になっているのが、去年日本で再演された「NINAGAWAマクベス」だ。里帰りの時だったのだけれど、こちらサイドの話で、ロンドン公演するだろうとの事だったから、それならロンドンの観客と一緒に観ようと思っていたのに、その後の情報が無い、、、イギリスでも女王からCBE(Commander of British Empire)の勲章をもらっているSir Yukioなのだから、蜷川の名を一気に覚えさせた究極のシェイクスピアで、追悼公演をしてもらいたいのだけれど・・・・・


 

Les Liaisons Dangereuses - リベンジ鑑賞


やっと観て来た、シアターライブのアンコール上映、Les Liaisons Dangereuses(危険な関係)。 前回はリアルタイムのライヴ上映で楽しみにしてたのに、映画館の中継レシーバーの不具合でまともに観られず、返金してもらってトボトボ帰ってきたのだった、、、

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本当にね、革命数年前のフランスで皆が表紙を隠して読んでいたというのがよく解るわ〜〜
私がこの芝居を最初に観たのは86年の初演、ヴァルモンは先日亡くなったアラン・リックマン、 マルテュイユ夫人はリンゼイ・ダンカンというキャスティングだった。

何よりもこのクリストファー・ハンプトンの戯曲はその後に映画化されたヴァージョンがすごく良い。ジョン・マルコヴィッチとグレン・クロースのコンビは観ていてゾクゾクする程非情でセクシーで、貴族の恋愛ゲームのいやらしさ満開だった。同じ戯曲は世界中で翻訳されて、(日本でも上演されたはず)中には設定をもっと現代風したプロダクションもあったみたいだけれど、今回のDonmar Warehouseの芝居は本が書かれた18世紀の 貴族の館をセットにしていて、衣装といい、シャンデリアといい、館の小部屋での室内劇=Chamber Playのような空気を再現している

マルテュイユ夫人は男に恋をして甘える女ではない。男に恋をさせて自分にひざまずかせる事に喜びを見いだす女だ。そして聡明で、美しく、 セクシーで毒を持つ。同じように女を次々と落として恋愛ゲームを楽しむヴァルモンと、初めは同等のようでいて、やがてそれが崩れて行く様は、数年後に起こる貴族社会の崩壊を暗示するかのようだ

心をもてあそび、元彼への当てつけに純真な少女の純血を奪う。貞淑な妻の心を砕き、本心を押し隠して残酷な仕打ちをする、そして最期に滅びたのは男のほうだ。

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マルテュイユ役のJanet McTeerはまさにはまり役。映画のグレン・クロースを超えられるか、、、?と密かに思っていたのだけれど、素晴らしかった。いや、美貌でいえばむしろグレンに勝っている、、?ヴァルモン役のDominic Westは以前に他の芝居で観たときにはあんまり、、、と思ったのだが、これまた凄く良くて、かつチャーミングだ。セシル役のMorfydd Clarkとテュルベル夫人のElain Cassidyのお二人は、修道院学校出の純情な15歳 / 信仰厚い貞淑な妻から、ヴァルモンの手に堕ちるや一転して、艶やかな、夜を待つ女のような顔になる変貌ぶりが目を見張る

Donmar Warehouseはその名のとおり、客席200に満たないスタジオ劇場だ。その空間の中で繰り広げられる恋愛・性愛ゲーム。やっぱり舞台で直接観たかったなあ、、、でも中継上映でも充分このプロダクションの魅力は味わえる。

好きなのよねえ〜〜この芝居!

もともとラクロの原作小説は「手紙の寄せ集め」という形式で描かれている。物語を綴るのではなく、登場人物達の間でやり取りされる手紙の内容によってストーリーが繋がっていく。私は初演を観た後に英語版で読み始めたけれど、あの当時はまだイギリスに来て1年目、ちょっと古めかしい言葉遣いだし、誰から誰への、いつの日付の手紙なのかを把握しながら読むのに結構 時間がかかってしまって、半分くらいで中断していた。そうしたら映画版ができて、なんだか「危険な関係」といえばハンプトン氏の戯曲、という意識になってしまった

ちゃんと本で読んでみようかな。だってこんなにセクシーで残酷な恋愛ゲームを 、人の手紙を盗み読む事で追っていくなんて、やっぱりゾクゾクしちゃうものがあるよね。マリー・アントワネットの図書室にもカバーを隠してあったというのは有名な話。堕落した貴族達の貞操観念がそのまま貴族の滅亡(革命)に繋がっていったのかも・・・・

Mr Foote's Other Legー忘れられた18世紀の名優


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18世紀の中〜後半ヨーロッパには面白い人達が沢山いた。科学・産業が大きく進展していく直前、まだ電気もなく抗生物質も無い時代に、それでも当時の最高の能力・技術を生かして、後の産業革命や医学の発展に繋げていった時代だ。 そんな時代にロンドンで大人気だった俳優/コメディアンのSamuel Foote(サミュエル・フット)の事は実は今はほとんど知られていない。私も知らなかったし、イギリス人だって聞いた事が無い名前だ。「忘れられた名優」にスポットを当てた伝記を元に舞台化したのが、「Mr Foote's Other Leg」だ。

ピューリタン革命によって一時王政が廃止されてからは劇場でのパフォーマンスは禁じられていた。チャールズ2世の時に王政が復古すると、ロンドンのあちこちで貴族だけでなく民衆が手を叩いて喜べるコメディーや風刺劇が広まった。「三文オペラ」のオリジナル、「Beggers Opera」がその代表といえる。18世紀のロンドンではあちこちでコメディー劇やパントマイム(派手な化粧や衣装で、今でいう子供ミュージカルのような色の芝居)が演じられたが、シリアスなストーリーのドラマを演じる事ができたのは、国王からRoyalのタイトルを付ける事が許された3劇場のみだった。

借金の為に2度も刑務所に入った事のあるフットは、オックスフォード大学を、贅沢な金遣いや、規則を破っての度重なる外泊等によって除籍されてしまったという経歴の持ち主。それでもロンドンのコーヒーハウスで各方面で活躍するアーティスト達と出会い、独特の奇抜な色使いの服装と、皆を爆笑の渦に巻き込むウィットな会話で交遊の輪を広げて行く。プロの俳優になるべくチャールズ・マックリン(Charles Macklin)の元で学ぶうち、ロンドンの舞台に出るようになる。そしてそのユーモアのセンスで独自の戯曲も書き、コメディアンとしても俳優としても大人気を得て行く。特にハンサムというわけでは無いけれど、一度会ったら覚えているだろうな、という印象の肖像画がこちら

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当時、シリアスな名優として人気のあったデヴィッド・ギャリック(Daved Garrick)や女優のペグ・ウォッフィントンとチームを組んで、数々のショーで活躍する中、35歳の時に落馬事故で右足を負傷し、切断しなければならなくなった。麻酔も抗生物質も無い時代に大の大人の足を切断する手術が、いかに危険で、苦痛を伴う大仕事だったかは想像を絶する・・・・・

それでもフットは回復し、国王の外科医だったジョン・ハンター(John Hunter)によって作られた義足を付けて舞台に復活する。彼のユーモアのセンスは自分が片足を無くした事までネタにして笑いを提供した。この自分をネタに笑わせるというのは、イギリスのユーモアの特徴でもある。自分をバカにできない堅物は「ユーモアのセンスが無い」という事になるのだ。ちなみにまだ23歳の時に彼が最初に注目されたのは、自分の叔父同士が遺産がらみで相手を殺してしまった事実をネタに書いた本によってだった。

この芝居には俳優として人気のあったギャリックやマックリンの他にも、ベンジャミン・フランクリンや国王ジョージ3世も登場して、当時のロンドンの楽屋裏を見せてくれる。なによりも、フットはこの芝居が上演されているTheatre Royal Haymarketのオーナーでもあったのだ。落馬した時に乗っていた馬が国王の弟、エドワード王子のものだった為、片足を無くしたフットに国王は(しぶしぶ?)ロイヤルライセンスを許可したのだった。こうしてRoyalの名称をもらったHaymarket劇場で、今私たちがこの芝居を観ているというのは何とも感慨深い
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主演のRuss Simon Bealeはローレンス・オリビエ賞を始め、英国での数ある演劇賞を一度は取ったであろうベテランだ。カツラを替え、女物のドレスを着、化粧を変えて「舞台でのフット」をいくつも演じる。ギャリックやペグとの友情、科学者フランクリンからの影響、熱気の籠る劇場楽屋での話し合いや舞台裏で、お客を楽しませる芝居に情熱を込めた彼らの姿が生きている

この芝居でジョージ3世役を演じているのは、この芝居の脚本と、オリジナルになったフットの伝記を書いたイアン・ケリー(Ian Kelly)自身だ。私はこの芝居を観て初めてサム・フットの事を知ったので、早速AmazonのKindleで見つけたケリー氏による伝記本をダウンロードして読み始めた。脚本も面白かったけれど、この本がまた当時の18世紀の空気満載で面白いそういえば、カサノバがロンドンにいた時期にも重なる。

またまた18世紀の掘り出し物に出会った感じ。まだまだ面白い事が見つかりそう、、、、



The Winter's Tale -Kenneth Branagh Theatre company


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ケネス・ブラナーといえば、やっぱり一番にシェイクスピアだ。もちろん他にもいろんなキャラクターで映画にも舞台にもそして演出・監督としても活躍しているけれど、シェイクスピアでの彼は「帰って来た」評される。
この秋から来年の冬までKenneth Branagh Theatre Companyと称して3ヶ月ずつ6作品をGarrick Theatreで続けて上演すると発表されたのが今年の春。その第一弾がシェイクスピアの「The Winter's Tale=冬物語」だ。この6公演はそれぞれにスタークラスの役者が出演し、さらに年齢層の広いキャスティングで早くから話題になっていた

意外と見た事がなかった「冬物語」だ。この本はコメディータッチでもあり、シェイクスピアの作品としてはロマンス劇に入るが、「問題劇」だという人もいる。オセローのような嫉妬心と猜疑心に取り付かれ、ハムレットのように自問自答しながら激情のあげくに自分を見失っていくシシリーの王が中心の一幕。2幕では農夫や道化、詐欺師達が歌い、踊りながら繰り広げる、ボヘミアの王子と羊飼いの娘の恋が中心。重すぎず、軽すぎず、難しすぎず、丁度良いバランスで飽きのこない作品だ

シシリー王のレオンティーズは幼なじみのボヘミア王のポリクシニーズを久しぶりに迎えていたが、「もう少し滞在していってくださいな」としきりに言う妻(王妃ハーマイオニー)と、その言葉に従って1日、2日と滞在を延ばすポリクシニーズが不倫関係にあるのではないかと疑い始める。嫉妬というのは恐ろしいもので、疑いだしたら一気に確信に代わり、どんどん高揚していって、家臣に「あいつを殺せ」とまで言い出してしまうのだ、、、、命を受けた家臣のカミローは、さすがに王の誤解だと解っているので、ポリクシニーズと共に密かにボヘミアへ出立する。身重のハーマイオニーは王の激情によって監禁され、生まれた子供は別の家臣アンティゴーナスに「捨ててくるように」と託されてしまう
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実はこの捨てられた王女がやがてボヘミアで羊飼いに拾われて美しく成長し、ボヘミアの王子(ポリクシニーズの息子) が彼女に恋をする、、、まあ、最期は二人の王は仲直りし、若き王子は シシリーの王女だと解った羊飼いの娘と婚約し、獄中で死んだと思われていた王妃もアンティゴーナスの妻に匿われていきており、16年振りにハッピーエンドとなるのだった

とまあ、ごった煮のようなストーリーだけれど、やっぱりブラナー氏の解釈・演出でとてもポエティックなメルヘンに仕上がっているのだ
この舞台でブラナー氏と共に話題になっているのがアンティゴーナスの妻、ポーリーナを演じているジュディ・デンチ(Dame Judi Dench)だ。家臣なのだけれど、ハーマイオニーを16年間も密かに匿って世話をし、また時にはの語り部のような役も担っている。正気をなくした王に対してもへりくだらない、母親のような強いオーラを放っている。80を過ぎて、目も見えなくなってきている(AMD=加齢黄斑変性)というのに、圧倒的な存在感だ!

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演出はケネス・ブラナーとロブ・アッシュフォードで、舞台全体がとてもロマンチックに冬の色を出している。それにしても若い頃のケネス・ブラナーといえば「ローレンス・オリビエの再来」と言われたものだ。凛とした声に強い目力、「演じている」という不自然さを全く感じさせないシェイクスピアの役のこなし方。解釈と演出のセンスの良さ。一時は「肥えたなあ〜〜、、」と思った時期もあったけれど、 奇麗に絞られていました。そしてベテランと若手の役者達の力量のバランスが凄い。カンパニーとして成功している。見応えのある面白い芝居を観た後の気持ち良さは格別だ。まさに、冬の夜にピッタリ。
 
この王子役の人、最近テレビドラマになった「ジキルとハイド」に主演していた人(Tom Bateman)だ。ハイド役の時のあまりのモンスターぶりに、見ていてあっけにとられてしまったけれど、濃い役者はやっぱり舞台が丁度いいのかも。テレビだと濃過ぎるんだね

シェイクスピア劇はRSCやグローブ座ではいつもやっているわりに、その他のプロダクションは意外と少ない。この「冬物語」だって、ウェストエンドで観たのは初めてだ。クリスマスにはバレエの「くるみ割り人形」があるように、冬にはこんな芝居が付き物でもいいんじゃないか・・・・

 

病んだ心に天使の声=Farinelli and The King


カストラート、一度その歌声を聴いてみたいと思ったものの、今ではそれはかなわず、一番近い所でカウンターテナーの声を探した時期があった。
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今回の芝居は18世紀初めのスペイン王、フェリペ5世とヨーロッパ一の歌声で大スターだったカストラートのカルロ・ファリネッリのお話。国王は極度の躁鬱病にかかっており、王妃(2度目の)イザベラ(エリザベッタ)や宰相達を手こずらせている。主治医から精神の安定には音楽が良いのではと助言された王妃は、当時のヨーロッパ一の歌声で大人気だったカストラート、ファリネッリをスペイン宮廷に呼び寄せる。国王はファリネッリの歌声で病んだ心に安らぎを見いだし、ほどなく国王にとってファリネッリの存在そのものが必要不可欠な程になっていく。

フランスの太陽王=ルイ14世の孫として生まれたフェリペ(フィリップ)はフランスのヨーロッパでの勢力拡大の為に王位継承者選びで困っていたスペインに新国王として即位することになる。(当時のヨーロッパ王家はなんらかの血縁関係があり、王位継承権は何通りも考えられた)スペイン語も話せないのに王になってしまった自分の運命を、フェリペは「自身で選んだ訳ではない」とファリネッリに話す。

一方のファリネッリは10歳の時に父が死んだ後、家族を経済的困難から救うため、兄の取り決めによって去勢され、カストラートとして生計を立てるべく訓練される。この芝居は、権力と名声を手にしながらも、どちらも「自分で望んで選んだ人生ではなかった」という共通点を持つ二人の友情と、夫をあくまでも国王として献身的に支え続ける王妃の3人の結びつきが描かれる。

フェリペ5世はファリネッリと王妃の3人だけで森の中での生活を夢見てマドリッドの宮廷から出てしまう。森の木の上に家を作り、農夫のような姿で夜の月明かりの下でファリネッリの天使の歌声を聴き、少しずつ精神が安定していくように思えた、、、、

実際にファリネッリはスペインに行ってからは国王と王族の為だけに歌い、錯乱のひどい王が昼と夜逆の生活になってからは、朝の5時半頃まで数曲のアリアを繰り返し歌っていたという。ヨーロッパ中から脚光を浴びていた大スターが、スペイン宮廷に20年以上も留まっていた。18世紀初めにはスペインではオペラはまだ広がっておらず、ファリネッリの力でやがてスペインにもオペラ劇場が建てられるようになる。
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実際に国王が森の中で暮らしたかどうかは定かでないが、音楽が精神の病に与える影響というのは実際に研究されてきた。統合失調症やアルツハイマー、強度の鬱病や躁鬱病、記憶喪失などにも音楽を用いたセラピーは効果を示しているという

劇中ではファリネッリが歌うシーンになると、ファリネッリ役の役者の横に影のようにもう一人、カウンターテナーのシンガーが登場して歌う。ファリネッリの台詞の中で、「歌う時は、自分の声なのにもう一人別の自分がいて、そこから声が出ているような感じがする」と言っているのもあり、このシャドウのようなシンガーの登場はあまり違和感は無い。

宮廷サロンにいるような、ゆったりとした夜のひと時、といった雰囲気の芝居だ。この本を書いたクレア・ヴァン・カンパンは実は戯曲家というよりは音楽家だ。Royal college of Musicを出ており、シェイクスピアのグローブ座で音楽担当もしている。また物書きとしては音楽関係の本もいくつか書いており、舞台の音楽も数多く担当しているので、この芝居の台本を書くに至ったという。
戯曲としての完成度は有名な劇作家達のような筆の技法は無いけれど、シンプルで穏やかなストーリーにバロックのアリアがちりばめられていてとても美しい作品になっている

こういう、サロン風の芝居も秋の夜長にはゆったりとしていて良い。スペインでの日々を終えた晩年のファリネッリの影で歌われるヘンデルのLascia ch'io piangaはとても美しい....
米良美一さんやPhillipe JarousskyのLascia ch'io piangaがとても好きだ。この芝居のラストにまさにふさわしい一曲。せっかくなので米良さん版を映画「ファリネッリ=カストラート」に合わせたヴァージョンをどうぞ。

タンゴ 冬の終わりに


今回の里帰りでの観劇はこれ1本、清水邦夫の「タンゴ 冬の終わりに」。三上博史さんがこの作品をやると聞いては観ないわけにはいかない!! 蜷川さんの「Ninagawaマクベス」も、これが最期の機会かな〜と思ったのだけれど、なんせお高い。で、配役等すべて検討して、これ1本に絞った。

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初演は1984年、その時は私は観ていなかった。私が観たのは91年だったか、ロンドンのウェストエンドで蜷川さんの演出で英国人俳優による英語ヴァージョンで上演されたものだ。日本人演出家の舞台が本当のウェストエンドで上演されたのは初めてだったと記憶している。しかも、当時「危険な関係」等で人気急上昇だったアラン・リックマン氏の主演でだった。登場人物の名前は日本名のままで、演出も日本が舞台のまま、それを英国人俳優でやるというのは凄く勇気のいる制作だったと思う。

狂気の世界に足を突っ込んだ元俳優の話だ。スター俳優だった彼も今は田舎に引退しているのだが、それでも栄光の舞台で輝いていた日々を忘れられない。そのくせ、自分と関わっていた人達の事はどんどん解らなくなっていってしまう。その妻、弟、元不倫相手、その現在の夫、誰かの人生の中での自分の存在を確かめるべく、、いろんな思惑が交錯する中、当の本人はどんどん自分の中の舞台に入っていってしまう・・・・

正直いって、古い本だ。私が演劇養成所、劇団時代には清水邦夫や別役実、寺山修司、それから唐十郎とか矢代誠一の戯曲をよく読んだし、観た。今から思うと、いかにも70年代の匂いがする作品達。私はこの芝居をロンドンヴァージョンで観た後に、本を探して戯曲を読み、(あの当時は英語の台詞劇はまだちゃんとは理解できていなかった)いつかまた観たいとずっと思っていた。

今年はハムレットを2本みて、やはり「狂気」を演じる芝居の違いを感じていたところにこの芝居。正常な人間には想像するしかない「狂気の世界」を演じるのは難しい。狂った人間がどんな声で話すのか?、そのテンポは?、間は?、呼吸は?、、、そしてどんな風に人を見るのか?、その目の動き方は?目線は?振り向き方から歩き方まで、どう創ればその役が表現できるのか・・・・??

この芝居は2日間に渡る話で、時間にしたら実は1日半分しかない。徐々に進行していく過程を描く暇もない。

幕が開いてから最初の10分程はこの芝居のテンポに乗れずにいた。間延びしているように感じて。これは多分私が日本語の、しかもこういうちょっとレトロな空気の芝居を見慣れていないせいだと思う。「こんなにテンポ遅いのか、、??」とちょっと首をかしげながら観ていた。三上さんの声は澄んでいて、台詞はきっちりと聞こえるものの、心が病んでいる人間の台詞に聞こえない、、、、

でもだんだん解ってきたのが、彼はもう自分の世界の中でしかものを見ていないのだという事。だから周りに反応しないで、自分だけのテンポを貫いている。そうか、これが三上博史の演じる清村盛なのだ。この周りを見てない演技が後半になって輝いてくる。

周りのキャストが皆良い。ユースケ・サンタマリアさんは舞台で観たのは初めてだったけれど、テレビで観るよりずっとずっと良い 弟役の岡田義徳さんは出てきた時から光っていた。声が素敵だ。この岡田さんとユースケさんが見た目がちょっと似ていて、最初は「ユースケさんにしちゃあ、若いな、、??」と思ってしまっていた。おばさん、時代遅れだわ、、、、

あの頃のなんだろう、、?埃臭いっていうのか、泥臭いっていうのか、そういう匂いのする芝居を今の時代に再演するのって、難しいんだろうなあ、と思わずにいられない。もちろんもっと現代風にしても芝居は成り立つ。でもシェイクスピアのようにオリジナルの匂いを消しても作品を残すか、時代の流れと共に少しずつ上演されなくなってしまうのか、、、なんだかあの頃に読んだ、観たカビ臭い芝居がとても懐かしくなってきた。

本で読んだだけで観ていない芝居っていうのも沢山あるなあ、、、この「タンゴ 冬の終わりに」みたいに、いつか観られる機会はあるんだろうか・・・??

ハムレットの調理法


一年以上前にチケットを取ってあったベネディクト・カンバーバッチ氏のハムレット。3週間程前になってやっと届いたチケットには「入場には写真付きIDが必要」と但し書きがついていたのだが、結局誰も何もチェックしなかったよ・・・

実はプレビューの頃から楽屋口にたむろす世界中からのミーハー的なファンが多いらしく、カンバーバッチ氏自身が「お願いだから公演中に携帯で写真やビデオを撮るのは やめてください、舞台から客席のあちこちに赤いライトが見えて気になります」みたいな事を言っていたので、「こりゃ、ちょっと雰囲気ちがうかな」と心配 していたのだけれど、別にそんな事はなく、観客はマナーを守って楽しんでいた

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今年は同じバービカンで5月に蜷川さん演出のハムレットを観たけれど、ほとんど別の作品のように違う舞台だ。今までに舞台やスクリーンで10本以上観ているこの芝居は、もちろんいつも違うのだけれど、今回のは一番が印象に残る。舞台セットの全貌が現れた時には思わず素晴らしさに息を飲んだ。この公演チケットは他と比べると異常に高くて、「なんでこんなに高いんだよ〜〜!」と内心カンバーバッチのせいか?、、と思っていたのだが、この舞台を観たら「こりゃ、お金かかってるわ、、、」と納得。

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ハムレットが何度観ても飽きないのは、やっぱりプロダクションによってその調理法が違うからだ。時代設定や人物の解釈はもちろんの事、それ以前に台本が毎回違う。1603年に初版が出版されてから30数年の間に7版ものヴァージョンがでている。その他にシェイクスピアが執筆するために書き溜めたノートに含まれた台詞やシーンもあって、一番長いヴァージョンだと軽く4時間を超える舞台になってしまう。現代の演劇事情ではこれはやっぱり長過ぎるので、どこかを削って3時間から3時間15分までに抑えるようにしているのが普通だ。

今回の設定は現代とまではいかないけれど、蓄音機や旧式のカメラを使っているので、1900年代前半といった感じ。まず冒頭のベルナルドとフランシスコのシーンがバッサリ切られている。その代わりハムレットが冒頭の「Who's there?!」の台詞を言って、現れたのはホレイショー。そのままホレイショーが帰って来た場面に続く。確かに亡霊云々はその後のベルナルドとマーセラスがハムレットに報告に来るシーンで理解できる。その他にも台詞を違う役に振ったり、米つきバッタ=オズリックを役名無しで女性が演じて余計な部分を削ぎ落としたりしている。宮廷なので、それらしく召使いや護衛が脇を固めていて、出演は総勢23人。これはかなり多い。

何と言ってもこの舞台では行間の埋め方がとても丁寧だった。この演出は、台本にはない場面と場面を繋ぐ登場人物の心情を、場面転換の空白の時間に巧く表現していて話の繋がりが自然に理解できる。実際にはハムレットが狂ったふりをするシーンは短いのだが、おもちゃの兵隊さんの格好でいかにもイカレタハムレットが模型の城に籠ったりと、行間を埋めている。ふらふらと出て行くオフィーリアを見送った王妃が彼女の残した写真が詰まったトランクを開けて、不吉なものを感じて後を追うシーンは、次のオフィーリアの死を告げる場面に巧く繋がっていた。

カンバーバッチ氏のハムレットは、もっとクールで距離感のある役作りになりそうな気がしていたのだが、これは嬉しい期待はずれだった。とても温度を感じるハムレットで、間の取り方や声の使い方で観客が心情についていける。

私はいつも役者を観るときに「演技者」と「表現者」を観てしまう。イギリスではしっかりとした技術に基づいた力量のある演技者としての役者は多い。そのレベルはやっぱり日本とはだいぶ違う。皆、プロとしてのしっかりとした訓練をして来た人達だ。でもその中でも、胸の中が揺さぶられるような表現力を持った役者は実は少ない。私にとって「良い役者」と「好きな役者」はそこに境界線がある。

テレビやスクリーンで観たカンバーバッチ氏は良い役者だと思っていたけれど、「フランケンシュタイン」の舞台で観て以来、「好きな役者」でもある。というより、その中間をバランスよく持っていると思う。表現者=アーディスとして、演じている事をいかに表現できるか、これは役者の永遠の課題だ

今回はハムレットが狂った振りをする場面が行間を埋める演出で面白く描かれている。このハムレットの「狂ったふりの演技」と、オフィーリアの「本当に狂った演技」の違いが印象に残った。台詞の行間にあるオフィーリアの狂った様子の表現は今まで観た中でも一番説得力があったと思う。間をたっぷり使ってピアノを弾いたりして。

実はこの芝居、はじめはかの「To be, or not to be」の台詞を芝居の冒頭に持ってくるという実験的・挑戦的な演出になっていたそうだ。

日本の演劇公演はどれも1ヶ月そこそこなのでこういう形態はとられていないが、こちらでは必ずプレビューと呼ばれる「試演期間」がある。劇場で演じられる最初の2-3週間はあくまでも試演期間で、チケット代も安く観られる。これは、できあがってきた芝居が実際に観客の前で演じてみてうまく機能するかどうか見ながら、修正・変更する大事なプロセスだ。やはり芝居は観客がいて初めて生きるのだと言う事で、これはやっぱりあって当然の重要なリハーサル期間。稽古場で積み重ねて来た事が正しいかどうかを見極めて、必要とあれば大幅に変更する事もある。実際に毎日観客が入っている公演なのだけれど、この期間はどのメディアも劇評の対象にはしない。
作り上げた舞台は本公演の初日に各メディアを招待して披露し、翌日か翌々日には一斉に劇評が載る。そして一度固めたらそれを長期間の公演中維持し続けていくのがプロの仕事だ。

ところが今回、The Times紙がこのプレビューの段階で批判的なレビューを載せてしまい、その事自体を批判する記事が出たりして話題になった。結局To be , or not to beの台詞も元の位置に戻されていた。

蓄音機からシナトラやナット・キング・コールが流れて来たり、オフィーリアの趣味が白黒写真の撮影だったり、ホレイショーが首にTatooを入れたバックパッカーの学生だったりと、「おや、、?」という演出もあったけれど、おもしろく調理された演出で、面白かった。レアティーズ役が黒人の役者で妹のフィーリアが色白の女の子という見た目の矛盾も観なかった事にする・・・・ちなみに、ハムレットのアンダースタディーに配役されているのもマーセラス役の黒人の役者だ。

それにしても今回の舞台セットは良かったよ、、、どこにもセット全体の写真が見当たらないので載せられないのが残念だわ、、、


ハムレット ロンドン公演@Barbican



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            (写真はThe Telegragh より)

前回の生では観られなかったハムレットからもう12年も経ったんだ、、、と驚きながらも藤原竜也さん主演のハムレットを楽しみにしていた。日本では今年始めから公演していたのだが、ロンドンにも来る事が解っていたので、あえて情報集めをしなかった。聞いたのは、日本の田舎家屋のセットという事と、配役くらい。それにしてもこの配役はもうお目にかかれないだろう程の豪華キャストだ

幕が開くまでは「このセットがどうエルシノアとして機能するのか、、?」とちょっと不安もあったのだけれど、実際の舞台では照明を駆使して家屋としてはほとんど見えず、暗い色の塀のようにしか目に入らない。それでいて舞台全体が引き戸で囲まれているので役者の出入りが四方八方から可能になっている。考えたなあ〜〜、、、
王と王妃の衣装は赤。これも照明や椅子の色と相まってベテランのお二人、平幹二朗さんと鳳蘭さんの重厚な演技を倍増させていた。長く蜷川さんの元でスタッフをしていた友人から「蜷川幸雄のこだわり」についてはいろいろ聞いていたので、今回のこの「」にもどれだけ細心の注文があったのか想像がつく

平さんの力量に圧倒された。まず声だ。声、声と台詞のメリハリ、滑舌、息の使い方、これらは役者としての技術、プロの役者が素人とは違う事を証明する武器と言っていい。演技の前に要求される「声と言葉」 がまさにドシー〜〜ンと核をなしていて、一つ一つの台詞が耳だけでなく頭に入ってくる。それに加えて舞台での重厚な存在感、大きな目をクルクル動かしての 表情、何よりも80を超えているのに12時間のフライトでヨーロッパまで来て、舞台では裸で禊の水をかぶるのだからその体力や尋常じゃないよね。さすがで す・・・

存 在感で平さんに引けを取らずに横に並べるという事で、鳳蘭さんのガートルードはやっぱり映えた。このお二人のシーン、今まで何本も観て来たハムレットの中 で一番存在感あったんじゃないだろうか。平さんも鳳さんも私が最期に舞台で観たのはもう30年前になる。今、舞台では実年齢より30年は若い王・王妃に見 えたよ

「藤原ハムレットを12年前に観たかった、、」といつも思っていたのだけれど、前回のWOWOWで放映された舞台を思い出すと、やっぱり今回のほうが数段良い。最近の藤原さんはテレビドラマや舞台は「ムサシ」「日の浦姫物語」等、ちょっとコメディータッチのものが多く、私としては藤原竜也には役不足のような感じがしていた。やっぱり真剣勝負の彼が一番光る。最初のハムレットの長台詞で、目がキラキラしているのを観て「これはいける」と思った

12 年前のハムレットの熱さを残しつつ、もっと大人のハムレットにちゃんと変わっていた。もちろん演出が違うのだからそれもあるのだけれど、役の消化の仕方が 成長している。オフィーリアとのシーンでその違いは顕著だった。舞台での立ち姿も奇麗だったし。(衣装がよく合ってたというのもある)一幕は怒りの為か、 ずいぶん声にも力がかかってしまっていたけれど、2幕ではかなりナチュラルなハムレットだったね。殺陣のシーンは満島さん共々見事な場面だった

ただ、やっぱり「声と言葉」が気になる私、、、特に文頭の無声音が変な音になると耳に残ってしまって仕方が無い。「父」「聞け」「𠮟咤」台詞の頭の音はとても大事、無声音なんだよ〜〜〜その意味で、平さんの台詞はお手本のようだった。

蜷 川さんの舞台はやっぱりまず視覚から捉えられてしまう。今回は海外公演という事が最初から決まっていて、イギリスの観客に見せるハムレットにする事は念頭 にあったはず。ライティングが目を引いた。ハムレットの独白時には白いスポット、王と王妃には赤、亡霊には青白い光、、、クローディアスの懺悔には裸の身 体に禊の水をかぶらせ、劇中劇の雛壇での歌舞伎のような演出とその後のスローモーションは「さすが蜷川さん!」と思わせる

私がハムレットの度に楽しみにしているホレイショー役は、今回は横田栄司さん。藤原さんが10代の頃から折々で共演していた人なので、息はぴったりだろうと思ったら、今回のホレイショーは「大正時代の書生さん」のような出で立ちで新鮮な驚き。その大人なホレイショーが、きっちりと身分の違いを崩さないでハムレットに寄り添う姿は、全く知らない人が初めて見たら「王子さまの家庭教師かしら?」と思うんじゃないか、、、?でも素敵なホレイショーだった

満島みのりさんのオフィーリアは、か細くて小鳥のようだった。台詞になるとちょっとつらい感じもしたけれど・・・ただ、レアティーズとのシーンで、オフィーリアのほうが強気な印象を受けたのは、実際にはお二人が姉弟だという事を知っていたせいだろうか、、  でもオフィーリアの台詞は実際に言うのは難しいんだよね。本当に傷ついて悲しんでいるときに「ああ悲しい」と声に出していう人は実はいないんじゃない か、、狂ってからの突然の「ねえ聞いて」や「ご婦人方おやすみなさい」にしても、自分の中で噛み砕いていうのは実は難しい。

一番驚いたのはフォーティンブラスだ〜〜!私の隣にいた3人のイギリス人女性も、フォーティンブラスには「え、、?」と声を出していたくらい。
シェイクスピアの本は行間をどう埋めるかで演出や演技は無限に広がる。ローゼンクランツとギルデンスターンも良いインパクトだった。この二人を見て、久しぶりにトム・ストッパードの「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」が観たくなった。そういえば滅多に再演されないね〜〜、、?

私 はハムレットが言う「弱きもの」が、実際に立場上の弱いガートルードを観たいな〜と思う。あの時代、王に死なれた王妃というのは実はとても弱い存在になる 危険があったのだから。国王の結婚はほぼ全部が政略結婚で、外国から嫁いで来た姫君だったりした時代。新しい王になった途端に前王妃やその子供達が宮廷の 隅に追いやられてまうというのは日常茶飯事だった。だから、義弟を男として心底愛していたわけではないけれど、自分と息子の為にクローディアスに求められ るまま身を託してしまったのではないか、、、?そんな弱さを、息子から情欲に負けた女として真っ向から非難された驚愕と後悔、、? 今回のガートルードは あちこちでクローディアスとイチャイチャしていて、「あんたら、前から不倫してて共謀して前王を殺したのと違う?」と言いたくなるくらいだったね

藤原竜也という俳優にはには叙情と熱情が必須なんだなあ〜と思った。コミカルなドラマなんてやらなくていいよ、、、15年前に私が思わず嫉妬しそうになった藤原さんは、やっぱり真剣勝負の舞台の上で光っていた。こういう役者をもっと観たいんだ・・・


Man and Superman=(コメディーと哲学)


長かったよ、、、バーナード・ショウの「Man and superman(人と超人)」。
久しぶりのNTは今回はLittleton。(ナショナルシアターには3つの劇場がある)
バーナード・ショウといえばノーベル文学賞受賞の劇作家。成人後の活躍は英国内だったけれど、アイルランド人だ。彼の持つ辛辣な風刺精神はアイルランド人ならではともいえる

副題に「コメディーと哲学」とあるだけあって、風刺に満ちた哲学的人間論が炸裂。これがなんとハムレット並みの3時間40分の芝居とあって、いささか頭使い過ぎた感じ・・・・でもストーリー的にあれこれといろんな事が起こる訳ではない。

斬新な革命的思考のジャックは「結婚は男の墓場」と豪語しているものの、柔和で女性に優しい友人オクタヴィウスと結婚すると思っていた幼なじみのアンが、実は自分との結婚を狙っていると知り驚く
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結婚とは女が男を支配しようとするもの、との考えを主張するわりに、実は彼もアンの事が本当は好きなのだという矛盾から逃れるべく、ジャックは運転手と一緒にスペインへと逃げる。この運転手、上流階級ではないものの、高等教育を受けて、メカニックの資格も取ったもっと現実的で常識ある教養者

スペインで、彼らは金持ちそうな車が通りかかると誘拐して金を巻き上げるギャンググループに捕まってしまう。社会主義者、無政府論者、国籍も混ぜ合わせのこのグループのボスはメンドンザ。ジャックは身代金ならいくらでも払うと安請け合いをしてメンドンザと意気投合するする。
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2幕前半(台本の上では3幕)ジャックの夢の中という設定で、この部分はバーナード・ショウがドン・ファンのストーリーに基づいて書いたという部分だ。現実にはアンという女性に追われているジャックが、夢の中では女性を追い回すドン・ファンになっていて、地獄に落とされたドンファンが、恋人だったドンナ・アンナや殺してしまった彼女の父の石像、地獄の悪魔達と延々と哲学的・宇宙的・人間的思考を討論し合う
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これが長い、、、掛け合いの中で延々と哲学的な言葉が語られるので、かなり疲れた、、、、この芝居が上演される際、この3幕をまるまる飛ばして上演する事も多いそうだ。確かに無くても話は繋がる。でもこれが他の3幕と対になっているのも確かだ。

かくしてジャックは結局アンナの押し(というよりは、自分が本当は彼女を欲しているという歪んだ本音)に負けて彼女と結婚する事になるのだ

これは芝居というより、本で読むと面白いかもしれない。それにしても膨大な台詞量だ。ジャック役のレイフ・ファインズ氏は本当に主人公の矛盾を巧く表現している。第一彼の声が、ほかの役者と比べても反響の仕方が違う。
私はいつもレイフの声は劇場で聞くのが一番と思っているのだけれど、普通の役者の声が舞台からmonoスピーカーのように聞こえてくるのに対して、彼の声はドルビーステレオで反響する。どんなに小さい声でも・・・映画では観られない彼の役者としての魅力だ。

皮肉で辛辣な台詞が的を得ているので笑いの連続。当然イギリス人をこき下ろす台詞も多々あり、ここでも爆笑の連続だ。哲学思考はさておいて、今度は本として読んでみようか。さすがに集中して聞いていたのでちょっと疲れる観劇だった。芝居は観る方も多少頭を使うような本が面白いのだけれど、今回はさすがに目一杯だったよ・・・・


Incredibly Hilarious!! - Light! Camera! Improvise!


抱腹絶倒の即興劇だった
芝居の出来が、とか、役者がとか、本や演出がどうのとか、そういう次元ではないのだ。とにかく全てがぶっつけ即興の笑いっぱなしの舞台。仮のタイトルはLights!Camera! Improvise! それ以外には作者も演出家もストーリーも無い。

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先日観て来た芝居、「The play that goes wrong」を上演中のカンパニーが、毎月第一月曜日に同じ劇場でこの日は「その場で作る即興映画」なるものを上演している。このMischeif Theatreはもう数年前からこの手の即興劇をエジンバラフェスティバルやツアーで演じていて、固定のファンがいるようだ。行く前に解っていたのは、その日の演目やジャンルは観客が決め、総上演時間は休憩無しの2時間弱という事だけだった。

まず、始まる前から観客層がちょと違う。ツーリストのような人たちはいなくて、みんな服装もカジュアル。場内は開演前から活気にみちたおしゃべりの声でざわめき合っている。年齢層は20代から60代、男女比率は半々だ。

始まると、進行役(今日作る映画の監督役をする)の役者が観客に「皆さんのリクエストで今日の芝居が決まりますので、どんどんアイデアを出してください」と語りかけると場内はもう参加気分満々だ。一通り盛り上がると、本題の作品決めに入る。

「最近観た映画でどんな作品がよかったですか?」と問いかけるともう場内はものすごい勢いで皆が口々に映画のタイトルを叫ぶのだけれど、ひときわ多かったのが「Fifty shades of Grey!!」の声。これは絶対出るだろうなとは思ってたけれど、圧倒的だった

続いての、「どんなジャンルの映画にしましょうか」にはあちこちから「Porn!」の絶唱が・・・これには進行役もさすがに「いや〜、今日の観客は変態ばっかりか〜〜」と苦笑していると、2階席からひときわ大きな男性の声が「Western~~!」と叫んだ。これには一部の観客がブーイングを起こして場内爆笑。それでも誰かが中間を取って「Western porn!」と言うと一斉に大拍手がわき起こる・・・

すると客席中央から「ちょっと待ってくれ、子供と来てるんだ」の声がした。「いくつだ?」「16」。これが進行役を救った形になった。「まあ、ポルノは置いておいて、ウェスタン・ロマンチックという事で、、、」と取りなす。

次にはストーリーの中にどんな要素を取り込むか、を決める。ここでも場内割れるような大声が飛び交い、進行役がいくつか拾って「ウェスタン、ロマンチック、スリラー・ミステリー、ボリウッド」が組み込まれる事になった。進行役の役者はそれまで書き取ったメモを見ながら「これは役者達にとってはボリウッド(インド映画、インドのボリウッドダンスが特徴)が一番の難関になりそうだな、、」とつぶやく

そして最後にタイトルを決める時には、一女性の大声で満場喝采。この日のタイトルは「Fifty Shades of Hay」。これらが決まるとカンパニーの役者達が舞台に出て来てスタンバイに入る。進行役がタイトルや要素の確認をしながら観客を盛り上げている間、役者達は暗転の中でものすごく真剣な顔でスタンバイしていた。みんな必死で考えているのだろう。舞台袖で役者達が相談して筋書きを決める時間は全く無かったのだから、、、

最初の役者の台詞でストーリーの背景が決まる。
「大丈夫?ジェイソン、今週はもうロデオの落馬が3度目よ」
これで、この男優の役名はジェイソン、ロデオのライダーで何度も落馬している駄目選手という事が決まってしまった。女の子のほうはお隣に住む幼なじみでひそかにジェイソンを思っている様子

監督(進行役)は役者の台詞で少しストーリー背景ができる度に「ポーズ!」と叫んで場面を止め、「では、どうしてそんな事になったのか見てみましょう」と言って、役者達に次の場面を提示していく。メモを取っては、ストーリーに食い違いがないように、でも即興なのでちょっとずれてしまった時は「実はその真相は別の所にあったのです」等と言って話を作るように仕向けて行く。このチームワークが素晴らしい

この劇団がやっているのはコメディーだ。次から次へとどんどん出てくる場面やキャラクターにもう場内は大爆笑の連続。セットは無く、舞台には3つの大きさが違う箱があって、それを並べたり積み上げたりして必要に応じて使っていく。音はギターとキーボードの2人が場面に応じてそれらしい音楽をつけて行く

ロデオ一家に生まれたジェイソンはなかなか上達しないため、かつての名選手でコーチの父にも認めてもらえずに自信を無くしていた。名選手だった兄が落馬事故で死んで以来、なんとか自分が、、とは思うものの、父には相手にされず、いつか認めてもらいたいと努力するものの、うまくいかない。そんな彼を見つめて(実際にいつも家の窓からのぞいている)励まし続けるお隣さんのスーザン。兄が死んだ事故は落馬した際に頭から積んであった干し草の束におちたのだが、運悪く積まれた干し草の下に固いバスケットボールがあって、頭を強打してしまったのだ。でもジェイソンはその日に馬具装備をした自分の責任だと思っている。
一方、ロデオに命をかける競技会荒らしの女ライダー、アン・ウェルは恋人も作らずとにかくロデオの勝つ事だけに執念を燃やしている。やがて全国大会が催される事になり、アンは勝つためにジェイソンの馬具に細工をするように仲間に命じるのだが、、、


次々と新キャラクターが登場する度に、監督が裏付けを提示して、どんどんストーリーにも深みが出てくる。最初は足を折っただけなはずの父親が、いつの間にか上半身も両手も首さえ不随になっていて、グダグダの身体を他の役者が操り人形のように動かしたり、落馬したら確実に死ぬように干し草の中にボーリングのボールを10個隠したりと、コメディーのセンスが半端じゃない

それでも即興のデュエットがあったり、もちろんボリウッドダンスも盛り込まれた。デュエットの場面は歌詞も曲も即興なのにちゃんとハーモニーになっていて、バックコーラスも最高のチームワーク。監督役を含めて9人の役者達がそれぞれに出しゃばらず、相呼応して各キャラクターをしっかりと演じてストーリーを作っていく。役者の言った事を監督が素早くキャッチして文字通り、ウェスタンでロマンチックでサスペンス(ミステリーというよりは)ボリウッドも踊る、立派な1時間半の映画が出来上がった

芝居の稽古では「相手の台詞を聞け」と何百回も言われたものだ。覚えた台詞を言うのではなく、相手の言葉を聞け、と。会話の中からストーリーが生まれ、そこに感情が生まれ、人間関係が出来上がって行く。芝居はこうして生まれるのだという最高傑作のお手本だ。抱腹絶倒とはまさにこの事!

毎月の第一月曜日にやるそうなので、また行きたい







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