前回日本に行く時、滞在中に日本で観たい芝居をやっていないかと検索してチェックした、シアターコクーンでの「血の婚礼」。結局日本に着く日がギリギリで、最終日が父の法事だったので諦めたこの公演が、CSの衛星劇場で放映されていたので観ることができた。

ところで、私がここ数年重宝してきた日本のテレビが観られるサイト・アプリが最近新しいアプリと番組リストになっていて、更新の際に変更してみた。前は90チャンネルで申し込んでいたのだが、無くても良いチャンネルも多く、逆に別のパッケージだと見たいチャンネルがなかったりしていたけれど、新しい番組リストは67チャンネルで私が欲しいチャンネルを全てカバー、料金も少し安くなった。28日まで遡って見られるので時間のある時にチェックできるし、まだ試していないけれど、ダウンロードもできる。海外生活も本当に便利になっていく、、、、

さて、ガルシア・ロルカの「血の婚礼」。私はこの芝居は劇団に入る前の演劇学校時代に読んでいて、でも舞台では観ていなかった。演出は杉原邦生さん。この人は名前だけ聞いていた。自身の劇団や歌舞伎作品も手掛けていて、特に劇団での上演演目を見てとても興味があった。この舞台を観たいと思ったのはそれもある。

詩人でもあるロルカのセリフは、情状的に謳うようなリズムを出していて、翻訳台本が巧いなあ〜と思う。聞きづらいほどにならない丁度良さで役者がきちんと言いこなしている。安蘭けいさんはじめ、役者はみなさん素晴らしいね。

ストーリーはシンプルだ。結婚式の日に花嫁が元彼と逃げた、、、それを追って花婿と元彼が争い、刺し違えて二人とも死んでしまう、、、

演出の巧さは期待以上だった。セットや証明、そして森の中での男二人が女一人を挟んで戦うシーンはとても上手く振り付けられていて、役者たちの動きから暑い激情が迸る。今時「激情」とか「情熱」なんて言葉はもしかしたら昭和の死語なのかもしれないなあ〜、、なんて思いながら見てしまった。ロルカのセリフが詩的なのもそうだし、照明や衣装の色とか役者たちの動きとか、全体の演出に少しだけ蜷川幸雄テイストを感じたのは気のせいか、、、?? でもすごく私の好きな舞台になっていた。

最近は役者たちも年齢的に代替わりというか、私も名前しか知らない人が多くなった。でも皆さんしっかりとした芝居で良いカンパニー。単に駆け落ちというだけでなく、このストーリーの背景には、家族の男たちがみんなナイフで死んでいく、という設定がある。花婿の父親と兄はナイフ沙汰の事件でしんでしまって、以来次男の彼は母親と二人暮らしだった。そして彼らを死なせた加害者は、花嫁と逃げた元彼の親族ということらしい。そして次男の花婿もまた元彼との争いでナイフで死んでいく。

最近何年もイギリスではナイフによる殺傷事件=Knife crimeが激増していて、特にティーンエイジャーのナイフによる死亡事件が後を絶たない。ニュースをつければ週に2−3回は耳にするほどだ。そんな現代の社会問題にもからんでいるようで、少し時代遅れなのにタイムリーな印象もある。愛情、愛憎、怒りや憎しみ、理論や道理では測りきれない人間の心情はどんな時代にも当てはまる。

ヨーロッパの男たちは本能的に「狩猟民族=ハンター」だと教わったことがある。地続きで狩猟をすることで生きていた人間達なので、食べ物を得るために戦い、勝ったものが生き残れる。それに対して日本はじめアジア人は「農耕民族=百姓」なのだと。だから日本人が「協調性、仲間意識」を大切にするのは生きていくために必要なことなのだそうだ。

二人の男が一人の女を巡って戦う、というのは昔からのよくある筋書きではあるものの、その激情の殺し合いには男の闘争本能が先行して、挟まれた女の心情は勝ち負けには数えられない。この芝居でも二人が死んでしまった後は、残された女たち(花嫁、花婿の母、元彼の妻と母)は、ただどうすることもできずに途方に暮れているまま終わってしまう。「この人たち、これからどうなるのさ?!」と思わず問いかけたいところでカーテンコール、という展開だ。なんだかギリシャ神話を彷彿とさせる感じもする。

ロルカはスペイン内乱期に38歳の若さで銃殺刑で亡くなっている。残された作品は数は少ないが、「イェルマ」「ベルナルダ・アルマの家」とこの「血の婚礼」は3作悲劇として知られているけれど、もっと再上演されてもいいんじゃないかな。数年前にナショナルシアターで「イェルマ」が上演されていたけれど、コロナ明けでまだちょっと劇場には行きたくなかったのでパスしてしまった。NTの配信で観られるかな、探してみようか。

やっとCovidの規制も無くなってきたから、またいろんな新しい試みの芝居が観られると嬉しい。