サミュエル•ベケットの芝居をエンジョイするには、彼の芝居が好きでないと「訳がわからない、、!」という人もいるのだろう。同じ場面の繰り返しがあったり、会話として噛み合っていないセリフの応酬があったりする。「ゴドーを待ちながら」は彼の代表傑作だけれど、今回観てきた「Endgame」はゴドーの後に書かれた作品だ。

The Old Vicの今回の企画はベケット2本立ての芝居。初めは「Rough for Theatre II」とあるように、芝居上演の為のラフノート=下書きとのこと。滅多に上演されることのない本だそうだけれど、20分という短い作品だ。
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幕が開くと、正面の大きな窓の枠に立って、今にも飛び降りようとしているかのような男がいる。そしてその部屋に入ってきた二人の男がまるで検事と弁護士かのようにその男についての検証を始める。事務室のような部屋は二人の机とテーブルライトがあり、二人は書類の束をひっくり返して男について語り、議論する。その間窓枠の男は身動ぎもせず、そして最後まで、実際に男が飛び降りるのかどうかわからずじまいなのだ、、、 

20分の芝居の間、話の展開になるようなことはほとんどない。ただ、その日が満月の前日でとても月が明るい事が語られたり、デスクのライトがついたり消えたりする事で逆上したりする。蝋燭を持って部屋の中を探したりと、暗くなって行く部屋の中で使われる明かりが印象的だ。

男二人だけの台詞の掛け合いで、キャラクターが見えてくる。窓枠に立っている男を語る事で、この二人のキャラクター、一人は冷静できちんと整理して物事を運ぶタイプ、もう一人は集中が切れるとキレやすいタイプのようだ。

正直、この前半の小芝居はまああってもなくてもよかったのかなあ〜と思った。めったに上演されないというのも納得、でもベケットらしいとは言える。

メインになっているのが2幕目の「Endgame」のほうだ。1幕で演じた二人が今度は全く違うキャラクターで演じている。ちなみにこの芝居のダブル主演はアラン•カミングとダニエル•ラドクリフ。Endgameというタイトルに、二つの意味を感じる、一つはゲームで使う「ゲームの終盤」の意味、そして、なんとなく空気の中に漂う世紀末的な終わりの雰囲気。始まった時から、実はこのシーンはもうずっと何度も繰り返されてきたのではないかと匂わせている。

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Endgameの方はもっとベケットの芝居らしい。なんだかこの世の終焉のような空気の中、わがままで横暴な主人(足が動かず、目も見えない)とその彼に奴隷のようにこき使われているのに、出て行かれない男(=下男であり、執事であり、息子のような存在でもあり、奴隷のようでもある )、そしてなぜかゴミ箱の中に住んでいる両親らしい老人夫婦。

目と足が不自由なハムは終始怒鳴ったり呟いたりしている、下男のクローヴを事あるごとに呼びつけてはろくでもないことを言いつけ、クローヴはその度に我慢の限界すれすれにキレながらも彼の命令に背けない。「出ていってやる、出ていってやる」と繰り返しては、ハムに丸め込まれるようにまたつまらない用事を言いつけられる。これの繰り返しだ。ドラム缶=ゴミ箱の中に入って暮らしている老人達はどうやらハムの両親らしいが、ハムと父親は衝突しがちで会話が噛み合わず、母親(とははっきり語られていない)は夢見心地の様子で年老いた父親とラヴラヴだ。

この老人二人を演じているのが、 カール•ジョンソンとジェーン•ホロックス。この4人のキャストとベケットということで私はチケットを取った。

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カミング氏のハムは横暴で、支配的で、わがままで、でもクロヴの事を「絶対に自分からは離れていかない」と思っている。クロヴを我慢のギリギリまで追い詰めておいて、それでいてクロヴはどうしても本当に出ていくことができずにいる。おそらくもうかなり長い間、こんな繰り返しの日々だったのだろうと判る。家の外、という感覚が全く感じられない、世界が終わりに近づいているという空気らしい。

最後になって、とうとう出ていく決意をしたクロヴがそれでもコートを着てスーツケースを持った姿で再び部屋に入って来る。見えないハムに気づかれないようにそっと入って来るのだが、ハムはすぐに彼の気配を嗅ぎ取っているようだ。そのまま身動きせずにいるクロヴ、彼がその後出ていくのどうかは演じられない。

「ゴドー」同様に、 この本も元々はベケットがフランス語で書いたものだ。その後本人が英語版に書き換えている。ハムのフラムボヤントで有無を言わせぬ支配力は見ていても息苦しくなって来る。だからこそ、我慢の限界で足をひきずって歩くクロヴのちょっと壊れかけた精神が見えて来るのだ。それでいて本当はお互いが必要な存在、、、、

ベケットの芝居には起承転結が定まっていない。もしかしたら最後の場面の後はまたクロヴは出ていくことをやめて明日も明後日も同じような日々が繰り返されるのではないだろうか、、、とこれは「ゴドーを待ちながら」と似たような印象の終わり方だ。

非現実的なようでいて、実は劇中のキャラクターの心理は理解できるのがベケットの芝居の面白いところだ。人気の役者が揃った舞台はちょっとチケット代が高いのだが、(どう見ても舞台セットその他でお金がかかってるとは思えないから、、、)観客層も「お客様」があまり多くなくて安心した。ダニエル•ラドクリフもすっかりハリー•ポッターからは脱皮している。今回の収穫はジェーン•ホロックスだった。老女の役なのに少女のようで、やっぱり巧いなあ〜と感心する。出番は少ないんだけれどね。

ベケットはちゃんと本で読んでみるともっと面白いのかもしれないね。戯曲を読むことって、もう今は全くなくなってしまったけれど、本で読んでみようかな。