覚悟してきたのだ、、、なにせ6月に日本にいくのはもうかれこれ30年ぶりくらいだからねえ〜〜。ずっと避けていた「日本の夏」。だって暑いだけじゃなくて、ジトジト・ベタベタするし、体力奪われるし、蚊がいるし、、、
10日ほど前はもう全国30度こえてたから、「まずいなあ〜〜」と覚悟してきたのだけれど、、、
まあいいんじゃない?確かにジトジトするけど、想像していたよりはずっとらくだ。リゾート地に行くホリデー用の服しか30度に着られる服がなかったので、友人たちとのランチ用にユニクロで着回しできる安い服を購入。まあ、仕事にも着られるしね。日本の夏服は安物でも着やすいわあ〜。

さて、いつもなら真っ先に文句と一緒に載せるブリティッシュエアウェイズ(BA)の食事が向上していた。来るときはエコノミーなので、「今度はどんな代物をたべさせられるやら、、、)とかまえていたのだけれど、これが結構美味しいのでした。照り焼きチキンも柔らかかったし、クスクスのサラダが美味しかった。着陸前に出た朝食のオムレツがほうれん草たっぷりで、私の好きな味付け。もしかしたらあちこちから文句がでて改善したのかも、、、?

個人的な思い入れが多すぎるので「観なくていいかな」と思っていた「ボヘミアン・ラプソディー」を機内でやっていたので、観た。あまりにも、観た人観た人みんなが「凄く良いよ」と誉めまくるので、、、、うん、凄く良かった。ありきたりのドキュメンタリーものではなく、ひとつの映画として良い作品に作られていて、これはやっぱりブライアンとロジャーが監修したからこそだね。正確には時間的に前後している部分が何ヵ所かあって、それについてはブライアンも何かのインタビューで言っていたけれど、それで話を分かりやすく、映画として成り立つように構成されていた。

歌も演奏の大部分も役者たちが再現したそうで、このクオリティーもものすごく高い。最後のLIVE AIDの再現シーンは圧巻だった。当時を生で覚えている身としては鳥肌もんでしたよ。フレディーがみたら、苦笑いしながら、それでもきっと拍手を送るだろう。観て良かった。

もうひとつ、自分でKindleに落としておいたのが、「The Ice King」。これは1976年の冬季オリンピックで金メダルをとったフィギュアスケーター、John Curryの映画で、こちらは実際の映像やインタビューを元に構成したドキュメンタリー映画だ。彼もフレディーと同じように、第一期エイズ感染組で亡くなった人だ。彼が金メダルを取った時の黄色と茶色のコスチュームの演技はかすかに記憶の端にある、、、?でもあの当時はフィギュアスケートなんて、世界選手権とオリンピックくらいしかテレビで観る事はなかったので、彼がそれ以降にたどった人生の事は知らなかった。「90年代前半にいかに才能ある人たちが次々とエイズの犠牲になったか」という話題で彼の名をもう一度ちゃんと聞くことになるまでは、、、スポーツであるフィギュアスケートをバレエの様な芸術舞踊のレベルに引き上げて、ヨーロッパ、オリンピックのチャンピオンになった。今映像を観ても本当に美しい。エレガントだ。

同時期(前後5年くらいの間)に亡くなった才能あふれる人たち、、、まずその前に、80年代になって耳に入ってきたエイズという恐ろしい病気は当時は原因も感染経路も解明されておらず、「とにかく感染したら死ぬ」という恐怖映画のようなミステリーにみちた謎の恐ろしい病気だった。特に「ゲイの男性の間で感染が拡大」という事で、ますます謎は深まった。私が最初に驚いたニュースは当時巷のコアなファンに大人気だった「スネークマンショー」で怪しいカウンターテナーを披露していたオペラ歌手にしてニューウェイブのアーティスト、クラウス・ノミの死だった。あれが最初に聞いた「知っている名前の犠牲者」だった。

そして世界中をショックの渦にしたのがロック・ハドソンの死。一気にエイズの認識が広がり、世界中?(すくなくともイギリス・ヨーロッパ・アメリカでは)でAids Awareness がブームになった。数年後にはHIVというウィルスが免疫力を無くさせてしまう事が解明され、感染経路も最初はゲイの人たちといわれていたのが、性別に関係なく感染することがわかり、コンドームの使用が叫ばれ、テレビでもコンドームが堂々と宣伝されるようになった。

でもそれらはすべて、最初の「謎」だった時期の感染者たちには遅すぎた、、、本当に、本当に残念だ。今ならHIVに感染してもエイズを発症せずに10年以上過ごしている人もいるし、治療法もどんどん進んでいる。この開発は本当に早かったと思うよ。でも「彼ら」には遅すぎたんだ、、、、

フレディー・マーキュリー、ルドルフ・ヌレエフ、ジョン・カリー、ジョルジュ・ドン、、ボヘミアン・ラプソディーの映画の中で、当時ラジオでかける曲の長さは3分までなので、6分もあるこの曲をかけてくれる局なんか無いだろうというシーンで、「やってやろうじゃないか」とこの曲を一日に何度もかけたDJ、ケニー・エヴェレットがちょっとだけ登場する。このケニーも実はフレディーから数か月後にエイズでなくなってしまった、、、、みんな40代だったんだよね。もっともっと活躍して、そしてその後をプロデュースなり、指導するなり、後に続くアーティスト達に繋いでいってくれたはずの人たち、、、もう一度改めて合掌、、、、残念だわ、、、、