Unknown

小さなスタジオでの小さな宝石のような芝居が好きで、最近はなんだかスタジオ式の劇場でばかり芝居を観ている気がする。
ピカデリーサーカスの一本裏通り、いかにもポッシュな紳士向け高級テイラーメイドの店が並ぶJermyn Streetにある劇場、多分普通に歩いていたら見過ごしてしまう。座席数70のスタジオだ。こんな小さなスタジオでの芝居なのに、大御所演出家のトレバー ナン氏の演出作が上演されるのがロンドンの面白い所。しかも今回の芝居は120年前に書かれたのに、一度も上演されなかった、まさに時代に埋もれていた本だという。

ストーリーは実は単純だ。まだ17歳の時に(おそらくは家同士の取り決めで)年上の作家である夫と結婚したアグネスは、画家として自立したい思いと自由を求めて家を捨て、今はデンマーク人の男友達でやはり画家のオットーと同居している。オットーとは今までは男女関係は持っていない様子、、、。最近になって彼女の元に届く手紙で彼女の様子がおかしいと気づいたオットーが事情を聞くと、アグネスはオットーに初めて自分が結婚している事、そして夫が毎日のように「戻って来るように」という手紙を執拗に送って来る事を打ち明ける。また、アグネスの事を慕う若いアレキサンダーも彼女との甘い時間を夢見て時おりやって来てはオットーを不機嫌にさせている。やがて彼女は夫の執拗な説得を振りきってオットーと供にフランスに移住する。そこでは二人は絵を描きながら「夫婦」として暮らしている。(法的にではないが)次第に男友達から恋人になったオットーとの関係にも変化が訪れ、アグネスは自分自身の人生を探そうと揺れる。そして今一度、自分の意思で新しいパートナー(アレキサンダー)を選んでオットーのもとから巣立っていく。

単純に会話が進んでいくのだけれど、重要なのは、この芝居が1900年に書かれたという事だ。まず、登場してすぐにアグネスはいわゆる上流家庭の女性だと分かる。それは彼女の物腰や何と言っても話し方だ。イギリスではその人の話す英語で家庭階級や教育の背景が解ってしまうのだ。絵の具で汚れていても、アグネスが「上流夫人」であることは明白で、一緒に暮らすアーティストのオットーとのバックグランドの差が少し見えるのだ。そして彼女に言い寄る年下の若いアレキサンダーも家庭環境は上流なようだ。

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そんな背景が、語られなくとも会話しているだけで見えて来るのが面白い。夫がいるのに他の男と暮らしているという事が当時はどんなにスキャンダラスだったか、というところから成り立っている芝居だ。要するに、当時の女性の自立、というより男の所有物からの解放とでも言うべきか、自己と自由な恋愛を求めて歩いていく女性というのは今なら当たり前でも当時は大変な反社会的な存在だったのだ。

作者のHarley Granville-Barkerは1877年にロンドンで生まれている。キャリアとしてはまず役者として多くの作品に出演している。そして演出も手がけるようになり、シェイクスピアも何本も手がけている。戯曲も書くようになり、20世紀初頭のロンドン演劇界ではかなり斬新なアイデアで新しいタイプの演劇人として活躍していた。そんな彼が23歳の時に書いたこの芝居を、彼は一度も上演しなかった。むしろ残された手書きの原稿には「こんなのはゴミだ」と書きなぐってあったらしい。当時はイプセンが「人形の家」等で自立しようとする女性を描いて上演禁止になっていたのだから、この題材の芝居を彼が「成功するわけない」と思ったのも無理はない。

夫ある身で同じ画家の外国人(オットーはデンマーク人ということになっている)と暮らし、家に戻るようにという執拗な夫の誘いを振り切ってノルアンディーで夫婦(同様の)生活を始める二人。初めは同居人だったのが、ここから愛人に変わって行く。この関係の違いはやがてオットーとの生活にも影響して来る。「肉体的な男女の関係」というものが、台詞では現代劇のようにはっきりとは表現していないところがいかにも120年前の本だ。それでもアグネスは「そういった事」にも自分の生き方を見つけようとしているのだ。オットーと夫婦として暮らしながらも、彼が他の女性にキスをした事実を知り心が揺れるアグネス。

夫婦と愛人の、お互いに対する権利と規制はどこで決まるのか?まあ今でも議論のタネじゃないですか、身体の関係さえなければ浮気にならないのか、、、とか?。 アグネスは再び自分の人生を変える決意をする。ずっと年若いアレキサンダーと新たな道へ歩いて行くことにするのだ。愛しているのか好きなのかはよく解っていなくても、、、、
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単純なのだけれど、時代背景を考えてみると、今の時代にも変わらないものがある。舞台の広さは幅が歩いて7−8歩、奥行きは3歩も無いくらいの空間だ。役者の位置は絵を描いているカンバスの前と反対側の椅子、あるいはノルマンディーの部屋ではテーブルと周りの椅子だ。これだけの空間で2時間のセリフ劇の演出はやっぱりなかなか難しい。トレバー•ナン氏ならでは、か、、、、

実は見ていて本に書かれているのか、それともナン氏の演出なのか、分かりかねる部分も多い。どこまで作者が意図して描いた動きや設定なのか。ブリティッシュライブラリーで見つかったオリジナル原稿は鉛筆書きで、この上演に当たって戯曲家のRichard Nelsonが「Rivisor」としてクレジットされているので、手書きの原稿から書き起こしたのだろう。

登場人物5人の芝居。作者本人は「ゴミ」と思ったのかも知らないが、21世紀に観ても結構面白かった。ものすごく感動する、というような本ではないけれど、忘れられていた小さな宝石のような作品だ。実を言うともう少し広い舞台でもいいかも。せめてキャパ200くらいの、、、地味な作品だけれど、掘り出した価値があると思う。ナン氏の演出にも拍手。