あまりに暑くて地下鉄でロンドン市内に出るなんて自殺行為に等しかったので、芝居を観るのも久しぶりな気がする。実はあまりピンとくるものがなくて、イマイチ躊躇していた。Broadwayで絶賛されたThe king and I(王様と私)もパレディアムで上演中だけれど、最近は大ぶりなミュージカルに食指が動かなくなっている。渡辺謙さんが大健闘して賞賛を浴びているのも知ってるけれど、もう3回は観ているプロダクションなもので、、、、、、

で、今回行ったのは、Finsbury Parkにある Park Theatreの小さい方。まだ新しいこの小劇場はキャパ200のPark200とキャパ90のPark90の2つのスタジオ式の劇場だ。前に行ったのはオートンの「Loot」をPark200の方で観た。今回はPark90の方だ。休憩込みでも2時間ほどの「Spiral

キャストは4人、そして観客は数えたところきっちり30人で幕をあける。席は自由で、最前列に座っても良かったんだけど、なんだか役者がよろけたら足を踏まれそうな感じなので、2列目に座る。 
トムとジルの中年夫婦は、数ヶ月前に15歳の一人娘が行方不明になってしまい、家出なのか、事故なのか、事件なのかも分からずに苦しい日々を過ごしている。娘の事を知りたいと、トムは娘の友人だった高校生女子を順番に呼んで話を聞こうとしたところが、「未成年女子に性的興味を示した」容疑で訴えられてしまう。もちろんトムにはそんなつもりは全くないのだが、世間の関心がそんな噂を立て始めると、妻であるジルも疑心暗鬼になっているのだ。純粋にティーンエイジャーの娘を思うトムは、制服姿で会ってくれるようにという要望でエスコート嬢のリーアを雇う。

エスコートガールというのはまあ行ってみれば娼婦なのだけれど、ただベッドで相手をするというのではなく、例えば一緒に観劇や食事に行ったり、パーティーや 集まりでパートナーとして同伴したりという仕事も含めて時間と自分を売る女性たちの事だ。リーアとトムはただ会って話をするうちにお互いに誠意を感じて打ち解け合うようになる。もちろん性的な関係は一切無く、親子ほどの年の差の友人のような関係だ。リーアにはヒモ兼彼氏のマークがいるのだが、これが完全に支配欲の塊のような男で、独占欲と支配欲で彼女を縛り付けているような関係だ。時には暴力も。愛情の影に常につきまとう脅迫と恐怖。

すっかりトムのことが信用できなくなってしまったジルと、執拗にリーアを監視してトムの事を突き止め、嫉妬で怒り狂うマーク、そんな中でひたすら友情を貫くリーアとトム、、、、やがてリーアの妊娠が分かる事で展開が変わる。


身近にいる、愛している人を信じられなくなってしまったら?、、、、娘の蒸発に端を発した疑心暗鬼。そもそもこの娘は家出だったのか、事件だったのか?、、、、途中、警察から身元不明の遺体発見の知らせを受けたジルはそれが娘では無かったと知って泣き崩れる。 怯えながらもマークから離れられないリーアは「家庭内暴力から逃げられない女」の典型だし、マークは本当に見ていて怖くなるくらいにリーアを心理的に縛り付けるのが上手い、、、この芝居で一番パワフルな役だ。巧かったし怖かったわ〜〜!リーアをマークから助けてやろうと、トムは別居を決意したジルが去った家に彼女を匿ってやる。でもリーアの携帯に追跡アプリを忍ばせておいたマークはトムの家に侵入して、リーアを脅す。

そこでリーアが妊娠していることがわかるのだが、マークはリーアの子供の父親はトムだと思い込んで無理やり薬を飲ませて流産させようとする。このシーンの残酷極まりないマークの演技には心底怖くなったし、怒りが湧いた。上手いよ〜〜!
そしてこの時初めてリーアは本気でマークに逆襲し、婦人救済所に逃げ込んでマークとの関係を断ち切るのだ。最後まで友人として彼女をマンチェスターまで送ってやるトム。

数ヶ月のち、すべての疑惑がクリアになって訴えをすべて取り下げられたトムとジルは再び夫婦として出直そうと暮らしている、臨月近くになったリーアを友人として訪ねるトム、「もうマークとは完全に切れて、どこにいるのかも知らないわ」というリーアはお腹をさすりながら、穏やかな陽だまりの中で、トムと友人としてのひと時を過ごす、という暖かいシーンで終わったのが救いだった。

信じるという尺度はあるのだろうか、「ここまでは信じる」という基準は決められるのだろうか?初めから信じようともしない人にどうしたら話を聞いてもらえるのか?真実を言う勇気がない人の言葉は「嘘」と決めつけていいのだろうか?小ぶりながらも現実的でパワフルな芝居。

この本を書いたのはリーアを演じているAbigale Hoodで、マーク役のKevin Thomlinsonは演出にも携わっている。UKでの行方不明者は若者に多い。家出をしてしまって戻ってこなかった人たち、家族は生きているのか、死んでいるのか、分からないままに長い長い年月を過ごさなくてはならない。身元不明の遺体が出るたびに心が凍りつき、似た人を見かけると 取り乱し、、、、そんな中、リーア役のAbigaleがこの芝居を書くきっかけになったのは、ローカル新聞のMissing Peopleのコラムにある親御さんからのメッセージが載っていたのを見たことだという。「早く帰ってきて」「一度でいいから連絡を」というメッセージが並ぶ中にあった一文、

「愛しいスティーヴン、愛していますよ、あなたがいなくて寂しいです。どうかあなたが自分の探しているものを見つけることができますように」

どうやって、自分の息子は自分の望む人生を探しに出かけたのだ、というポジティブな考えに至ることができたのか、、?それともただの強がりなのか?そんな思いからこの芝居の案が生まれたのだという。
 
こういう芝居が好きだなあ〜〜