不条理劇」と言う分野にサミュエル•ベケットの「ゴドーを待ちながら」やハロルド•ピンターの作品がよくあげられる。日本では別役実さんなんかも似た作風のものを描いていた。(芝居を始めた頃に別役実氏の芝居を観て、一緒に観た仲間と延々と話し合ったことがある)
今年初シアターはThe Birthday Party、ハロルド•ピンターの作品。ピンター氏の本は、理論的に筋が通っていようがいまいが、感情を揺さぶって強引に展開していく。時として「何故なのか」「誰なのか」「本当なのか嘘なのか」解らないままに怒ったり怯えたりする状況が繰り広げられる

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海辺の少し古びた感じのB&B(民宿)のような家。経営しているのは主人のピーティーとメグの初老夫婦。でも泊り客は1年程前にふらりとやってきて以来居ついている、スタンリーだけだ。スタンリーは30代後半くらいか、、? メグとの話の中で、昔はピアニストとしてあちこち演奏して回っていたらしい事がわかる。なんとなく半分息子のようなスタンリーに対して、メグはランドレディーというよりは、母親、あるいはもう少し親密な(?)態度で接している。

散歩から戻ったピーティーは、街で会った二人の男達に宿を提供する事にしたから、午後には彼らがやってくると告げる。そしてやってきた二人組のゴールドバーグとマッカーン。でも何故かこの二人の来訪を知ってからスタンリーの様子がおかしくなる
その日はスタンリーの誕生日だと言うことで、気乗りしない当人をよそに、メグやゴールドバーグ達は密かにパーティーを計画する。ところが次第にスタンリーはやってきた二人におびえ始め、パーティーが進むうちにどんどん追い詰められていき、遂には精神的に壊れてしまう•••••
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何故この二人がやってきたのか、彼らは誰なのか、また、スタンリーの過去は本当なのか、何故二人は彼を責め立てて追い詰めるのか、そして最後に正気を失ったスタンリーを何処へ連れて行ったのか、、、、??? 
それらに答えはない。解らないまま芝居は進み、感情を揺さぶられ、観ているこちらも言い知れぬ恐怖感を覚えずにはいられない

1幕目は穏やかにで、セリフのトーンも間もゆっくりと進む。ピーティーとメグの会話はお互いに同じ事を繰り返したり、あらかじめ相手が何を言うかわかっているかのように聞いていなかったりする。客というよりは居候のようなスタンリーに対して、いつまでも起きてこない息子(といってもいい大人)に朝食を用意したり起こすタイミングを気にしたりしているメグの様子はもちょっとヘンだ。

パーティーになるとゴールドバーグとマッカーンに威圧感がどんどん増していく。明らかにスタンリーは彼らにおびえている。何故なのか、、、??解らないままにパーティーは進み、二人組の態度はどんどん冷酷になって行き、スタンリーはとうとう取り乱し、メグの首を締めようとまでする。ところが酔っ払っていたマグは次の朝には覚えていなくて、「楽しいパーティーだったわ〜」と夢うつつになっていて、一夜にしてスタンリーが壊れてしまった事には気づかない•••••

ハロルド•ピンター氏は2005年にノーベル文学賞を受賞した。受賞の理由は「日常の何気ない無駄話の下に潜む危機感を浮き彫りにし、人間の抑圧され、閉じられた空間に押し入っていった」というもの。
この芝居でも、ストーリーに沿って気持ちが動くのではなく、曖昧な状態でも感情を揺さぶり、精神を壊すことができるのだという事を観客に納得させてしまう

嘘か本当か、夢か現実か、何も起こっていないのに過剰反応していく人間の心理、観ているうちになんとも怖くなってくるのだ。

でも、これも特別な事ではないのだ思う。例えば、私はいつも電車の駅までバスで行くのだが、バス停から駅のホームまで、何気なく駆け足すると、なんと後ろからみんな走り出す。別にまだ時間は大丈夫なのだが、必ず、100%皆んなが走り出すのだ。訳もなく、一人が走り始めたから不安になって焦り、なんだか必死になって皆んな走るのだ。決して非現実的ではない心理。

言葉の繰り返しと間がなんとも言えない。この芝居の初演は不評で、わずか1週間ほどで終わってしまい、そのあと、ピンター氏自身の演出で再演されたという。最初の演出家をピンター氏は気に入らなかったようだ。本をどう理解するか、、、理解できない本を納得させるにはどうするか、という事なのだろう。
ダークで、でもコミカルで、よく料理された舞台だった