一年以上前にチケットを取ってあったベネディクト・カンバーバッチ氏のハムレット。3週間程前になってやっと届いたチケットには「入場には写真付きIDが必要」と但し書きがついていたのだが、結局誰も何もチェックしなかったよ・・・

実はプレビューの頃から楽屋口にたむろす世界中からのミーハー的なファンが多いらしく、カンバーバッチ氏自身が「お願いだから公演中に携帯で写真やビデオを撮るのは やめてください、舞台から客席のあちこちに赤いライトが見えて気になります」みたいな事を言っていたので、「こりゃ、ちょっと雰囲気ちがうかな」と心配 していたのだけれど、別にそんな事はなく、観客はマナーを守って楽しんでいた

hamlet-anastasia-hille-large

今年は同じバービカンで5月に蜷川さん演出のハムレットを観たけれど、ほとんど別の作品のように違う舞台だ。今までに舞台やスクリーンで10本以上観ているこの芝居は、もちろんいつも違うのだけれど、今回のは一番が印象に残る。舞台セットの全貌が現れた時には思わず素晴らしさに息を飲んだ。この公演チケットは他と比べると異常に高くて、「なんでこんなに高いんだよ〜〜!」と内心カンバーバッチのせいか?、、と思っていたのだが、この舞台を観たら「こりゃ、お金かかってるわ、、、」と納得。

hamlet-ciaran-hinds

ハムレットが何度観ても飽きないのは、やっぱりプロダクションによってその調理法が違うからだ。時代設定や人物の解釈はもちろんの事、それ以前に台本が毎回違う。1603年に初版が出版されてから30数年の間に7版ものヴァージョンがでている。その他にシェイクスピアが執筆するために書き溜めたノートに含まれた台詞やシーンもあって、一番長いヴァージョンだと軽く4時間を超える舞台になってしまう。現代の演劇事情ではこれはやっぱり長過ぎるので、どこかを削って3時間から3時間15分までに抑えるようにしているのが普通だ。

今回の設定は現代とまではいかないけれど、蓄音機や旧式のカメラを使っているので、1900年代前半といった感じ。まず冒頭のベルナルドとフランシスコのシーンがバッサリ切られている。その代わりハムレットが冒頭の「Who's there?!」の台詞を言って、現れたのはホレイショー。そのままホレイショーが帰って来た場面に続く。確かに亡霊云々はその後のベルナルドとマーセラスがハムレットに報告に来るシーンで理解できる。その他にも台詞を違う役に振ったり、米つきバッタ=オズリックを役名無しで女性が演じて余計な部分を削ぎ落としたりしている。宮廷なので、それらしく召使いや護衛が脇を固めていて、出演は総勢23人。これはかなり多い。

何と言ってもこの舞台では行間の埋め方がとても丁寧だった。この演出は、台本にはない場面と場面を繋ぐ登場人物の心情を、場面転換の空白の時間に巧く表現していて話の繋がりが自然に理解できる。実際にはハムレットが狂ったふりをするシーンは短いのだが、おもちゃの兵隊さんの格好でいかにもイカレタハムレットが模型の城に籠ったりと、行間を埋めている。ふらふらと出て行くオフィーリアを見送った王妃が彼女の残した写真が詰まったトランクを開けて、不吉なものを感じて後を追うシーンは、次のオフィーリアの死を告げる場面に巧く繋がっていた。

カンバーバッチ氏のハムレットは、もっとクールで距離感のある役作りになりそうな気がしていたのだが、これは嬉しい期待はずれだった。とても温度を感じるハムレットで、間の取り方や声の使い方で観客が心情についていける。

私はいつも役者を観るときに「演技者」と「表現者」を観てしまう。イギリスではしっかりとした技術に基づいた力量のある演技者としての役者は多い。そのレベルはやっぱり日本とはだいぶ違う。皆、プロとしてのしっかりとした訓練をして来た人達だ。でもその中でも、胸の中が揺さぶられるような表現力を持った役者は実は少ない。私にとって「良い役者」と「好きな役者」はそこに境界線がある。

テレビやスクリーンで観たカンバーバッチ氏は良い役者だと思っていたけれど、「フランケンシュタイン」の舞台で観て以来、「好きな役者」でもある。というより、その中間をバランスよく持っていると思う。表現者=アーディスとして、演じている事をいかに表現できるか、これは役者の永遠の課題だ

今回はハムレットが狂った振りをする場面が行間を埋める演出で面白く描かれている。このハムレットの「狂ったふりの演技」と、オフィーリアの「本当に狂った演技」の違いが印象に残った。台詞の行間にあるオフィーリアの狂った様子の表現は今まで観た中でも一番説得力があったと思う。間をたっぷり使ってピアノを弾いたりして。

実はこの芝居、はじめはかの「To be, or not to be」の台詞を芝居の冒頭に持ってくるという実験的・挑戦的な演出になっていたそうだ。

日本の演劇公演はどれも1ヶ月そこそこなのでこういう形態はとられていないが、こちらでは必ずプレビューと呼ばれる「試演期間」がある。劇場で演じられる最初の2-3週間はあくまでも試演期間で、チケット代も安く観られる。これは、できあがってきた芝居が実際に観客の前で演じてみてうまく機能するかどうか見ながら、修正・変更する大事なプロセスだ。やはり芝居は観客がいて初めて生きるのだと言う事で、これはやっぱりあって当然の重要なリハーサル期間。稽古場で積み重ねて来た事が正しいかどうかを見極めて、必要とあれば大幅に変更する事もある。実際に毎日観客が入っている公演なのだけれど、この期間はどのメディアも劇評の対象にはしない。
作り上げた舞台は本公演の初日に各メディアを招待して披露し、翌日か翌々日には一斉に劇評が載る。そして一度固めたらそれを長期間の公演中維持し続けていくのがプロの仕事だ。

ところが今回、The Times紙がこのプレビューの段階で批判的なレビューを載せてしまい、その事自体を批判する記事が出たりして話題になった。結局To be , or not to beの台詞も元の位置に戻されていた。

蓄音機からシナトラやナット・キング・コールが流れて来たり、オフィーリアの趣味が白黒写真の撮影だったり、ホレイショーが首にTatooを入れたバックパッカーの学生だったりと、「おや、、?」という演出もあったけれど、おもしろく調理された演出で、面白かった。レアティーズ役が黒人の役者で妹のフィーリアが色白の女の子という見た目の矛盾も観なかった事にする・・・・ちなみに、ハムレットのアンダースタディーに配役されているのもマーセラス役の黒人の役者だ。

それにしても今回の舞台セットは良かったよ、、、どこにもセット全体の写真が見当たらないので載せられないのが残念だわ、、、