今年の1月の降水量は記録となったイギリス。西/南部では連日洪水で、クリスマス以来家への浸水で非難を余儀なくされた人達が相次いで、保険会社は膨大な被害処理で大変な事になっているらしい。でもやっと2月に入って最初に気付くのが、「日が延びて来た」という事、後少しで春だ・・・

さて、、、相変わらず日テレの「明日ママがいない」騒動が収まっていないらしい。なんでもドラマを見た後に自傷行為に及んでしまった児童がいる、、なんて話まで出て来てとうとう日テレも赤ちゃんポストを経営する慈恵病院に出向いて一部内容を変更する方向で話をしたらしい。最初は「最期まで観て下さい」と制作側の意図を変えない様子だったのに、スポンサーがCMを見合わせるという事態になって、さすがに局側としても多少の譲歩は致し方ないという事か

全く残念な話・・・・実は私も最初の騒動以降、なんでこんな騒ぎになっているのかをドラマを観ながら考えた。「子供達が傷つく」のは何故なのか?親がいない子が、里子として育てられた子が、生まれた時から素性が知れずに育った子が、こういうドラマを観て何故傷つく必要があるのだろう??

それは日本の社会が、そういう子供達を「普通とは違う」という意識で扱い、本人達にもその意識が植え付けられてしまっているからではないのか?
生まれた時から親のいない子供は、それがその子にとっての「普通」であって、その普通の中で幸せに育っていれば傷つく必要はないのではないか・・・? 


虐待を受けたり、両親から捨てられるという記憶をもったまま施設に入ったような子供は、また少し違う。もちろんそういうバックグラウンドを持つ子供には充分な精神的なケアが必要なのは言うまでもない。でもあまりにも施設の子供達を「普通と違う」と扱ってはいないか・・・?

イギリスに来て、日本との決定的な違いを最初に感じたのは、この国の「個人主義」だ。個人が尊重されていて、個人の主張には賛成/反対はあっても、上下はない。離婚率43%という数字が出ているこの国では、片親の子供の数は日本の比じゃない。両親とも離婚した後に再婚したりして、実際に家族の中でも片親が違うとか、血のつながってない兄弟(連れ子や里子)とか、日常茶飯事だ。親子/兄弟で名字が違うなんて全然珍しく無い。日本のように戸籍で名字が決まるのではなく、生まれた時に父親か母親の名字をつけるので、兄弟でも名前が違ったりするのだ。それでも「複雑ですね〜〜、、」と笑うくらいで、それでいじめられるというのはあまりきかない。

本当か嘘か解らないけれど、施設の児童が「お前のドラマなのか」とか「お前ももわられていくのか」と言われて傷ついたなんて記事もあったけれど、そういう事を言う子供のほうが問題じゃないのか?そんな事を言う子の親はどんな育て方をしてるんだ??! 
児童というのは年齢としてどのくらいなのかな、、?もし10歳前後の小学生なら、このドラマは夜10時からの大人の時間のドラマなのだから、子供は観なくていいはずだし、中学生くらいなら、少し観ていやだったらテレビを観ないという判断くらいできるはずだよね??
フラッシュバックって何の?、、、施設で虐待された経験があるから起こるんじゃないの・・・?だいいち、三上さん演じる施設長は別に暴力といえるほどの事はしてないし・・??

日本はどこかに所属していないと認められない風潮がある。家に、学校に、会社に、クラブに、、、「○○のXXです」と名乗らないといけない、みたいな・・・両親がいないと就職に不利だったりする事実のほうがおかしくないか?履歴書に家族構成を書く、なんてこの国では誰も考えないよ 「個人」が基本だからだ。名前だって、かなり親しくなるまで名字を知らない事もあるし、親がいなくて施設で育った子がいても、「へえ〜、そうなんだ・・・」で済む事だ。

芦田愛菜ちゃん(っていうか、芦田愛菜さんだよね)が演じているポストと呼ばれる少女は、しっかりと「自分」という個人の足で立っている。生まれてすぐ赤ちゃんポストに置かれていたという事は、自分は覚えていないのだし事実なのだから、あだ名はポストでOKなのだ。「傷つく」というのはそれが弱みとなっているからで、それを「弱い」と教えたのは回りなのではないか・・?

例えば身近な人を不幸な事件で殺された人達はどうか?・・・毎日の新聞ではどこかで誰かが悲惨な目にあっていて、その家族や友人達は本当に一生かけても癒えない深い心の傷と共に生きている。彼らこそ、刑事もののドラマを観てフラッシュバックを起こす可能性がずっと多いと思う。刑事ドラマなんて何年も観られないという人がおそらく沢山いるはずだ。「被害者の家族が傷つくので番組内容を変更してください」なんて話、聞いた事があるか・・??

子供は弱いから、子供は・・・だから、という考えは逆に子供達の自主性と個人性を無視してはいないだろうか。イギリスの子供達は日本の子供達よりもずっと自己主張ができる。親が決めた事に従うのではなく、自分の意見を言って親と相談するのだ。親も子供に対しては、自分の所属物ではなく、一人の小さな個人として接している。子供の意見を飲めない時は、何故ダメなのかをちゃんと説明して納得させる。10〜12歳くらいの子達を比べると、日本の子供達はどうも「お子ちゃま」だ

養護施設で育ったという事がなんの関係もない社会にならないものだろうか。辛い過去のある子供でも里親と幸せな家族になって愛情溢れる生活をしていれば「個人」の価値が決して下がるわけじゃない。
僕、コインロッカーベイビーだったんだって、覚えてないけど」
「へえ〜、すごいねえ〜〜」
と学校で人気者になっていいんじゃないのか・・?
身障者に対するバリアフリーだって、日本はホントに遅れてるよね。みんなと同じでないと受け入れられない国だから、みんなと違うと色眼鏡で見られてしまうから、今回みたいな騒動になるんだよね・・・

○○のXXです、じゃなくて、「赤ちゃんポストで拾われたポストです」でいいと思うよ。実際このドラマでは子役達がそういう「個人」を一生懸命演じている。ちゃんと観てあげようよ。ドンキ役の鈴木梨央ちゃんも、偏屈な施設長におっかなびっくりでも決して恐怖で支配されたりなんかしていない。むしろ自分の意見をおそるおそるちゃんと言ったりするもんだから、魔王は舌打ちの連続なのだ
親がいないという事をハンデとせずにもっともっと逞しくなっていく「コガモの家」の子供達を見守りたい。日テレがどの程度の内容変更に屈したのか、せめて最低限の変更で制作側の意図もしっかり主張して欲しい。