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ちょっと変わっててちょっと長いタイトルの芝居「The curious incident of the dog in the night-time」、初演は実は1年前のNTだった。この時は一番小さなスタジオシアターでの初演。でも評判がすこぶる良くて、後にウェストエンドに移動して今年のローレンス・オリビエ賞でなんと7部門を受賞した作品だ。もちろん、ベストプレイ、ベストアクター、ベストダイレクターを含む。興味があったのになかなか腰が上がらなかったのは、そのタイトルやポスターで、子供向けっぽいストーリーなのか(War Horseのような)と思ってしまったからだ。でも劇場上映されたNT Liveの一部クリップを観て、これは観なくては・・・と思い立つ。丁度ベストアクターを受賞した主演のLuke Treadawayを含め、キャストが8月いっぱいで変わると聞いたので、良いタイミングだった

原作も同タイトルの本で英国の文学賞を受賞している。主役は15歳のクリストファー。2年前に母を亡くして父と2人でスウィンドンで暮らしている。彼はちょっと普通の少年とはちがって一種の対応障害を持っている。原本にははっきりとは書かれていないそうだが、一応プロットとしては、クリストファーは「アスペルガー症候群」という事になっている。
知的障害ではないけれど、人との会話がうまくいかなかったり、言われた事や自分で決めた事を変える事ができずに固執したりしてしまう。それでいて興味がある事やある特定の分野において驚異的なこだわりと集中力を持ち、他の人とはかけ離れた能力を発揮する事がある。クリストファーの場合は数学に驚異的な能力を持ち、シャーロック・ホームズのような探偵ごっこに盲目的にのめり込む。

ある夜、近所で飼われていた犬がガーデンフォークで刺されて殺されていた。「誰がウェリントン=犬を殺したのか」クリストファーは徹底的に調べ始める。何故、誰がやったのかを突き止めようと、いつもはおつきあいの無い近所の家を一件一件尋ねていく。クリストファーの普通でないのめり込みに、父は「他の人の生活を掘り返すのはやめて、犬の事は放っておきなさい」と再三言って聞かせるのだが、クリストファーは聞かない。そうするうちに近所の老婦人から重大な秘密を聞いてしまう。そして母が死んだというのは父の嘘で、実は近所の男性と駆け落ちしてしまったのだという事、さらには母がその後何十通もクリストファーに手紙を書いてよこしていたのを父が隠していたという事を知ってしまうのだ

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ストーリーはクリストファーがウェリントン殺害の捜査状況を本にしようと書き留めていくのを、先生がそれを読みながら彼の次なる行動を見せる形で進行する。演出はとてもモダンで、セットや大道具の類いはほとんど使わずに舞台全体に張り巡らされた電光版を巧みに使って時には幾何学的に、時には3Dのように背景を創り上げる。クリストファーの持つ障害は、思い込んだら怖い物知らずで、それでいて対人関係がうまく成り立たず、聞かれた事に対する素直過ぎる答えはむしろ回りを困惑させる。それでいて彼自身の持つ世界はとてもピュアだ
その驚異的な数学力で、15歳にして大学入学レベルの試験(AーLevel)を受ける事になったクリストファー。大人達の事情はどうあれ、父にも母にもそして先生にも愛されている彼は数学者として羽ばたく大きな未来を夢見ている。

母の駆け落ち相手がウェリントンの飼い主の元主人であり、実は殺したのは父だったと知ったクリストファーは、家を出てロンドンの母(と愛人)の所へ向う。ペットのネズミを連れて一人でスウィンドンからロンドンへ向うクリストファーの大冒険はユーモアに溢れていながら実は危うくて、そして必死だ。彼独自の世界と他の普通の人々の世界のギャップ、それを乗り切る事運びの巧さは見事な演出だ。

まずストーリーがとにかく解り易い。そしてクリストファーの持つ障害とその彼の世界から見た本来は普通の社会とのズレが、実はとても純粋に「良い事」と「悪い事」を分けて行く。電光版をフルに使ったステージは宇宙空間のような広がりを出していて、クリストファーの持つ純粋さを反映させている。アンサンブルの役割も巧みで、これは本当に素敵な舞台に仕上がっている。ウィットに富んだ台詞のやりとりはとてもユーモラスだ。演出は女性だけれどとてもモダンな発想で、まさにBest New Playにふさわしい

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良い事、悪い事、好きな事、嫌いな事、クリストファーにとってそれらは飾る事無くごくシンプルに分けられている。お世辞や取り繕いや見栄は彼の世界には無い。とても純粋だ。だからこそ、彼が怯える時、不安になる時、怒る時、喜ぶ時の心の震えが伝わってくる。後で15歳のクリストファーを演じているLukeが実は28だと知ってビックリした。役を演じていた時にはせいぜい20歳くらいかと思ったから・・・・そういえば、彼が取ったのはBest Actorで、Best Newcomerじゃなかったんだよね・・・台詞も体の動きも実にしなやか!彼で観られてよかった。

確かに原作は子供向けにも大人向けにもなっているようだけれど、舞台は決して子供向けではない。むしろ大人達への皮肉にもとれる部分もある。そして決してアスペルガーを知って欲しいというような意図があるわけでも無い。むしろ原作者は、はっきりと書いていないのに「アスペルガー症候群」と明記されて、それを話題にされる事にとまどっていたという。そういう問題じゃないのだ。探偵ごっこと素数に夢中で、将来は数学者になる夢を持つクリストファーが、ご近所の犬が無惨に死んでいたのがきっかけで大冒険をする中で、さまざまな素朴な疑問を私たちの内に芽生えさせる。芝居というのはそういうものだ。社会的な意図ではなく、心に何を伝えるかで芝居の善し悪しが違って来る

良い芝居を観た後は後味が良い。来月でキャストは変わっても芝居はまだまだ来年まで続くらしい。是非おすすめ!!