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私達の結婚には3人が絡んでいたんです、ちょっと混み合ってしまいました

1995年にBBCの番組でそう語ったのは亡きダイアナ元皇太子妃だ。今回観た芝居「Passion Play」は、結婚して25年、これまでお互いに誠実に暮らして来た夫婦のお話。子供達も大人になって家を出て行き、夫のジェイムスは絵画の修復士、妻のエレノアは歌唱指導をしながら堅実に暮らしている、ところがその2人の間に突然割り来んできた3人目・・・

ジェイムスは特にハンサムというでもなく、男としての性的魅力があるわけでもないが、良き夫/父親として真面目にやってきた、どこにでもいるごくごく普通の中年男。ところがある時、友人と同居しているケイトという若くていかにも肉食系のセクシー美女が、ジェイムスに猛烈な誘惑をしかけてくるのだ。その手の誘惑に慣れていないジェイムスは始めはとまどったものの、ケイトのほとんど体当たりの誘惑に打ち勝つ事ができず、とうとう結婚以来初めて他の女性と関係を持ってしまう・・・

正確な年齢は出て来ないけれど結婚25年くらいといえば夫婦共に40代後半から50近くといった年齢だ。ミッドライフ・クライシスを感じつつあるジェイムスが、セクシーダイナマイトなケイトから迫られてとうとう降参してしまうあたりから、「これは単なる冒険的快楽であって、愛情を伴う浮気ではない」と開き直るあたり、かなりコミカルで笑いを誘いながら話は進んで行く。40代も過ぎると夫婦の性生活も若い頃とは違って来る。それでも愛し合っている事には変わりない夫婦の会話は見ていて現実味がある。そう、1幕では確かにこの芝居はコメディーなのだと思った

ところが、エレノアが彼等の関係を知ってしまってから、少しずつ不安定な揺らぎを帯びて行く。浮気がバレた時の夫婦の争い、、、これは回りが見ると滑稽なようだけれど、当人達にとっては人生の重大な分岐点なのだ。「愛情なんかじゃない、ちょっと冒険的な刺激が必要だっただけだ」と言い張るジェイムスに、エレノアはケイトとは完全に手を切るように主張する。ところがこれがミッドライフ・クライシス男の決定的な弱点で、ジェイムスは実はケイトとの情熱的なセックスに溺れてしまうのだ。そもそも夫婦ともに知り合いでありながら、ケイトにはエレノアに対する罪悪感や遠慮は全く無い。男を絡めとって虜にさせる、魔性の女タイプなのだ。

芝居ではエレノアとジェイムスの影の声=本音を吐く倍音としてネルとジムが登場する。表向き=生活を維持するために必要な言動を取るエレノアとジェイムスと同時に、ネルとジムは彼等の本音や妄想を見せるという二重芝居の手法で夫婦の葛藤を描いている。ケイトとは手を切ったと思っていたのに、その後も関係が続いていたと知ったエレノアはだんだん不眠症になり、薬を大量に飲んで自殺未遂か(?)というところまで追いつめられてしまう

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結婚するより離婚するほうが大変だ、ときっと結婚している人は思っているはずだ。(私もそう思う)
これは結婚生活が長くなればなる程難しいに違いない。いっその事夫婦関係が完全に冷えきって、お互いに愛情のカケラも残らない状態になったら楽なのだろう。でも余程憎み合ってしまった関係でない限り、長い人生を伴侶として歩いて来た人を断ち切るというのは、容易に決意出来る事ではない。エレノアも、ジェイムスの浮気に深く傷つき、彼を愛しているのに、一度裏切られた妻としては猜疑心を振り払う事ができずに苦しむのだ。

それでも2人は「愛し合っている夫婦」であり続ける。エレノアの心は抜け殻のようになりながらも彼の妻であり、相変わらず歌唱指導の仕事もこなしている。ジェイムスはオーバードーズで死にかけた妻に変わらぬ愛を誓って側に付き添いながら、それでも肉の誘惑に打ち勝てずに身体だけの関係を続けている。ネル(ネリーの本心)とジム(ジェイムスの本心)はこの2人の心の内を吐き出し、一度「裏切り」という亀裂が入ってしまった2人がもう二度と元の関係には戻れなくなっている事を暴露する

ちなみにpassionという語には、「激しい情熱」、「抑えきれない欲望」という意味合いと同時に、十字架にかけられたイエスキリストの「受難」という意味がある。そして、劇中でジェイムスが修復を手掛けているのが、キリスト受難の絵=Passion of Christ だ。セクシー美女との情事で若返ったようなジェイムスのパッションと、心を閉ざしていくエレノアのパッション、、、

 80年代は、ヤッピーや、ディンキー(共働きで子供のいないリッチで自由なカップル)、セフレなんて言葉も生まれた時代。ジェイムスの主張するこのセフレの関係を皮肉る意味もあったんだろうか、、? 「夫婦でなかったらとっくの昔に別れているだろうな」という数々の出来事を、それでも一緒に乗り越えて行くのが夫婦なのだ。でも、どこまで? 離婚というものが法的に存在するからには、どこまでを我慢の限界にするのか?どこで離婚という線をひけばいいのだろう?
愛情が無くなって、お互いに一緒にいるのが苦痛になってしまったら仕方が無い。あるいは暴力とかで実際に精神的/肉体的な危険がある場合も線は引き易い。でもまだお互いに夫婦でいたいという情が残っているとしたら、パートナーの浮気にはどう対処するべきなのか、、、?

病める時も健やかなる時も」という結婚の際の誓いは、実はとても重いのだ。私だってあの時はそれ程深く考えずに、結婚する嬉しさと勢いみたいなもので、「誓います」と言ってしまったけれど、後になって「ああ、あんな誓いたてなきゃよかった」と思う事も何度もあったよ・・・

このジェイムスのように、はっきりと愛情ではなく単に刺激的なセックスに溺れているという関係の場合、もっとやっかいだ。夫婦揃って婚外交渉を楽しめるような2人なら問題はない。でもエレノアは違う。彼女は傷つき、猜疑心にかられ、心の穴を埋めきれずに睡眠薬に手を出してしまい。身体は回復しても心は抜け殻のようになっていく・・・「愛しているのは君なんだから」という男の身勝手な理論は許せなくもあり、でもとりあえず、エレノアには今でもケイトとの関係が続いている事は決して悟られないように嘘をつき続けるのは、彼が夫婦を守りたいと思っているからでもある。

演出的にはもうちょっと違ったパターンも見てみたいと思った。セットは白い部屋に、アクセントの真っ赤なソファ、そして場面によって役者の衣装や小道具で色が付く。この芝居は81年が初演だったそうで、今回はもう少し現代に近い感じにしたかったのだろうか。私としては音楽がとても耳についた。というのも、のっけから開演と同時に大音量で響き渡ったのが坂本龍一さんの「1919」だったのには度肝を抜かれた。その他、ヘンデルやバッハのバロック音楽を使ったかと思うとレッド・ツェッペリンンがかかったり・・・坂本教授の「美貌の青空」は繰り返し使われていた。効果的か?、、、というとちょっと噛み合ってないような気もしたのだけれど、私個人的に好きな曲が節々に使われていたので、ちょっとヘンな感じ。

コメディーで始まった芝居だけれど、最期はちょっとイタイな〜、、とため息が出る妙にリアルな怖さがあった。日本では未上演だと聞いた。日本人はセックスネタに笑えない人種だからなあ、、、でも現実味のある芝居だから面白いのに。主演の2人は定評ある実力派だ。でも演じる役としては倍音のネルとジムが面白いかも。それとケイト役の女優の身体の眩しい位に綺麗な事!!
あれじゃあ、免疫のない男はイチコロで溺れても無理ないわ〜〜・・・