シアターコクーンでの「日の浦姫物語」を観てきた。大竹しのぶさんと藤原竜也さんの初共演とあって楽しみにしていた舞台

説教節を元にしたストーリーは、武家の棟梁家の双子の兄妹(日の裏姫と稲若)が父を無くした葬儀の日に契り合って子供ができてしまう。兄の死後、後見人となった伯父の配慮で赤ん坊のわが子を泣く泣く小舟に乗せて流す日の浦。流された赤ん坊は小島に住む住職に拾われて育つが、18になった時、島の若者をけんかで殺めてしまう。島を逃げ出し、自分の本当の親を探すべく旅に出た魚名は、やがて親子と知らぬままに母である日の浦と巡り合って夫婦になってしまう。自分達が親子であると知った二人は、互いを母子と見抜けなかった己が両目をつぶし、別れ別れにさすらいの旅へ・・・・といったちょっとドロドロのシチュエーション。実は近親相姦という関係は大昔から世界中にあったもので、古くからギリシャ悲劇にもある。母と知らずに夫婦になるという設定は「オイディプス」がそうだし、兄妹の間に子供なんて、一つや二つの話ではない

ストーリー設定を聞いて思ったのは、ちょっとオドロオドロしい妖しい陰と淫が漂う作品かと思っていた。身毒丸のような・・・そう、この作品はいのうえひさしさんの本だという事を見くびっていたのだ。藤原、大竹両氏とも出演している「身毒丸」に重なるような演出を蜷川幸雄さんがするわけないだろう、、、ということも

平安絵巻調の舞台の美しさと色使いの絶妙さは蜷川さんならではのもの。女と子供を連れた説教語りが物語へといざなうと、幕が開いた途端に目に入る平安絵巻。私の好きな絵だ。この物語では大竹さん演じる日の浦姫は15〜16歳、34〜35歳、そして53歳と3つの年代で登場する。大竹しのぶさんが演じると、年代ごとに見事に演じ分けているのもかかわらずちゃんと同じ一人の女として繋がっているのが凄い!15歳では無邪気な少女でありながら女になろうとする危うさを、中盤ではお堅い未亡人であり地方を治める女棟梁、そして出会ってしまった16も年下の若者に揺らぐ女を、終幕では迷いを浄化した老女を、あくまでも美しく見せるというのは女優として誰でもができることじゃない

この本、とにかく面白い!

ドロドロ?とんでもない!随所に笑いがちりばめられていて、それでいて大笑いした次の瞬間には思わず涙がにじんんでしまう、、という風に、見事に書かれている。いのうえひさしさんならではの言葉のマジック。そしてその間やテンポをストーリーを崩さずに次々と射抜いていく蜷川さんの演出マジックで、決して重くない展開だ。藤原竜也さんの稲若は、無邪気ではあったけれど、もうすこしあやうい男を感じさせてもよかったかな、二人とも若く演じてる為に声がちょっと聞いてて辛かった。あの当時の15ってもう成人扱いで結婚させたりしていたのだから、あんなに子供じゃないと思うのだけど・・・・でも初々しくて二人ともかわいい

後半のほうの藤原さんは良かった。力を抜いた演技のほうが光る。なんといっても見せ場は魚岩のシーン! これは必見。なんでこんなシーンがこの本にあるのか?!とも思うほどぶっ飛んでいる。でもそれが井上戯曲の魅力なのだ。藤原竜也の当たり役かも・・・?こんな面白い本が何故30年以上も再演されなかったのか初演時を知る人にちょっときいてみると、初演の評判は散々だったらしい。第一この本が書かれた時、主演の杉村春子さんは72歳だったのだ。「あて書き」といわれているけれど、これが杉村さんの役だとはあまり思えない。でも当時、文学座のために書いたという事は杉村春子さんの為に書いたも同然なので、そういう事だったのだろう。

真剣と遊び、笑いとホロリとする場面、主演の二人だけでなく、語り部役の木場勝己さんと立石涼子さんも素晴らしい。長い時を経て許され、浄化していく日の浦と魚名とは対照的に、この語り部の二人は社会の冷たい仕打ちに合うラストのコントラスト。この芝居は単なる近親相姦とその因果的なドロドロ物語ではなく、罪を犯した人間がどう生きていくか、人生の選択をどうやって決めていくか、というもっとポジティブな本だ。日の浦も、魚名も罪を犯す。日の浦は自分を閉じ込めて棟梁としての義務のために生き、魚名は育った島を去って親捜しの旅に出る。
罪は本当に償うという事はできない。ただ、許されるかどうかなのだ。許される為に必要な生き方と時間・・・

30年以上も埋もれていたこの本、これからもいろんなヴァージョンで上演されるといいのに。そう思える舞台だった。無謀とも思える言葉遊びがちりばめられたセリフを巧みに操りながら、同時に極限状態の感情の波を演じるのは本当に大変だと思う。でもそれを見事に演じ分けているのは凄い。笑って泣いて、3時間があっという間だった

それにしても、やっぱり大竹しのぶさんは天才だ・・・・