伝説のミュージカル、「Hair=ヘアー」をやっと観た

やっとというのは、私の世代はオリジナルの舞台には間に合わなかったからだ。それでも私が芝居=舞台というものに傾いた時から「ヘアー」という反戦/ヒッピー/ロックミュージカルの事は聞いていたし、芝居としてだけでなく、ロック好きだった私にはその方面からも話題は入ってきた。80年代初めに日本でも公開された映画版で、話に聞いていた曲の数々をちゃんと聴いた時はかなりハマった

60年代のラヴ&ピースや、ドラック、セックス、ロックンロールというのはやっぱりあの時代を象徴する大きな社会現象だったのだ。世界大戦が終わってから20年、戦後に生まれたアメリカの若者達に押し付けられたベトナム戦争は、アメリカの大きなミステイクだった。この破天荒なミュージカルがヒットしたのは、自由の主張、性意識の改革、魂をゆさぶるロックミュージックという、若者意識の変わり目の時期にタイムリーだった為だろう



ものすごいパワーだ。今回のプロダクションは去年ブロードウェイでリバイバルとして制作され、2009年のトニー賞(リバイバル部門)を受賞したオリジナルキャストをそのままロンドンへ引っ張って来たものだ。このあたりが流石はキャメロン・マッキントッシュ凄腕プロデューサーだ。ロンドンでも今までに再演版が作られた事もあったけれど、いづれも今ひとつ当たらなかったという。強いカンパニーをそっくり持って来るとは

実は2日前の週末はレスター・スクエアーでWest End Liveというのがあり、いろんなショウがそのまま野外のステージでライヴで演じられた。もちろん無料。当日レスタースクエアーに行かれた人はラッキーだね!ヘアーもこのライヴに参加したそうだ。

初演時にイギリスでもブロードウェイをしのぐロングランになったのには、これまたいくつかのタイムリーな要素があったらしい。イギリスでそれまで規制されていた舞台上での表現が解禁になったばかりで、フルヌードの役者達がドラッグに溺れてフリーセックスを表現するようなこの舞台が受け入れられた。最初の人種ミックスな舞台、最初のロックミュージカル、そして今は大スターとなったエレイン・ペイジやティム・カリーのウェストエンドデビュー、何とマッキントッシュ氏もまだ駆け出しでマーケティングを受け持っていたそうだ

とにかくはじめから終わりまで、カンパニーの隅から隅までが凄まじいエネルギーを放っている。このGielgud Theatreは大きく無いけれど高さがある。役者は舞台からそのまま客席の椅子の背を渡り歩き、ボックス席によじ上り、通路を駆け回る。舞台の正面から、奥から、横からも斜めからも上からも、役者達のパワーが降って来るのだ。これは凄い

実はこの「ヘアー」というミュージカル、起承転結なストーリーがあるわけではない。あるのは、自由を求め、愛と平和を訴えて戦争への招集に反発し、ロックのリズムとドラッグの妄想の中で、それでも生きる道を探そうともがいている若者達の姿だ。長髪を反体制の象徴として振りかざしながら。

次から次へと息つく間もなく歌い踊る役者達の歌唱力と見事な振り付け。カンパニーの隅々までが輝いている。誰一人として息を外していない。これはやっぱり全員をブロードウェイから輸入してきた一番の強みだ。だれがどの役にも回れるようなレベルの高さ。実際アンダースタディーで役がずれる事もあるのだろう。客席でも手拍子が起こり、膝をならし、一緒に歌っている。

客席にはアメリカンな人々も多い。そしてあきらかに50代以上の人達も。カーテンコールでは役者達が観客を舞台へと招き上げる。拍手していた人達が列をなして舞台に上がり、Let the Sunshine Inを歌い踊る。これは盛り上がった!私はほぼ中央の席にいたので、通路に人が多過ぎて上がれなかったけれど、その場で一緒に踊って来た

あきらかにオリジナルの時代に青春を過ごしたと思われる、今や半分白髪もはげ上がったおじさんが、ベトナム戦争後に生まれた若いアメリカ人の役者達と一緒に舞台で「Le~t the sunshi~ne! 」と歌い踊っているのは不思議な光景。時代や社会背景が変わっても、生きる道を探して叫び、反発し、愛し合い、助け合い、泣いたり笑ったりする若者達のエネルギーは充分に伝わる

ドラッグやフリーセックスやフルヌードが出て来るこの舞台に、人種差別や無意味な殺人やナイフを振りかざす通り魔は出て来ない。とても純粋だ。今の時代のほうが、何かが歪められてしまっている。ベトナム戦争はもう40年前の話だけれど、昨日のニュースで、アフガン以降のイギリス人兵士の死亡者が300人になった。
伝説のミュージカルの描く世界は、決してではない

去年のトニー賞授賞式より、今ロンドンでやってるのはこのキャスト