Googleの翻訳サイトは素晴らしい!
フランス語やスウェーデン語のサイトで見つけた記述も見事な英語に翻訳してくれる。日本語にはやっぱりちょっとヘンだけど、英語訳はそのまま本に出来そうなくらいだ

ここ1ー2週間、ネットで見つけたサイトでかなり長い記述を読んでいるので、首も肩もバリバリになっている。プリントアウトしようと思うと、「38ページ」とか出るので、「紙がもったいない〜〜!」という事でそのままスクリーンで読むのだけれど、これは結構きついワ・・・・気が付くと2ー3時間経っている。当然目も疲れるよね。でも「知りたい」と思うと躍起になって探してしまう、凝り性の私なのだ

何が「知りたい」かと言うと、、、去年から読んでいる数冊の本でますます興味をもったフェルセン伯爵だ。(Hans Axel Von Fersen)この人には普段は人に対して滅多に感じられない程の興味がある。もし逢えるなら、是非お会いしてじっくり話をしたいものだ。そして私が知りたいのは、一番知られていない彼の最期の15年間だ

フランス革命までの彼のフランス王家とのつながりは、いろんな本にもあるし、フランス革命前後には必ず名前が出て来る。でも私が個人的に興味があるのはルイ16世とアントワネットの死後、もっと言うと、この2人に加えて、スウェーデンのグスタフ3世、さらに父親も亡くした後、彼がどんな思いで生き、1810年の万人の目の前での無惨な虐殺による死に至ったか、、、 私にはこの15年間が彼にとって「空っぽのおまけの人生」だったように思えてならない。

10代から20代の彼は、まさに前途洋々といった輝きがある。地位、身分、財産、教養、そして美貌と行動力のすべてを備えた、まさに絵にかいたような貴公子、数カ国語を話し、母国スウェーデンの国王からも寵愛され、フランス国王/王妃からも信頼されて、アメリカ独立戦争でも活躍する
一般には、王妃アントワネットの恋人だったとも言われて、他にもヨーロッパ中に何人もの愛人がいたのも事実。まさに美味しい人生、、?と思いきや、ちょっと待った!!・・・実はこの人はもしかしたら、究極のFailureなんじゃないだろうか、、、一見カッコ良く飛び回って活躍しているようでいて、30代になってからは、身を粉にした事が次から次へと失敗に終わっている。

フェルセンは生涯独身だった。彼は妹への手紙に「自分が結ばれたいと願うただ一人の女性とは結ばれる事はない、それならば誰のものにもならず、一生結婚は しない」と書いている。これがアントワネットの事だというのが定説で、数々舞い込む結婚話を断り続けたとも言われている。でも実は、彼の生涯でフェルゼン がプロポーズした2人の女性からは、どちらも断られているのだ

彼が初めてのプロポーズをしたのは2度目にフランスに来る少し前、21-22歳の時だ。イギリスに住む令嬢とは話がかなり進んで、本人もロンドンに滞在し、2ヶ月近く毎日のように彼女を訪ねたりしていたのに、「両親と離れてスウェーデンに嫁ぎたくない」という理由で断られてしまった。これはかなりの屈辱だったに違いない。彼はスウェーデンで国王の次の地位である元帥の長男で、資産も家柄も望まれこそすれ、断られるとは・・・!この令嬢、フェルセンが独立戦争に参加している間に他のイギリス人貴族と結婚してしまう。

アントワネットに対してはそれこそ究極の騎士道愛を注ぐ。私なりの解釈では、王妃への思いは、崇高にして犯すべからざる女神崇拝のような思い込みがあったんじゃないだろうか。彼女の持つチャーミングな魅力にヤラレテしまって、命がけで彼女とその家族を守る事に陶酔してしまったような感じがする。。(実はこのアントワネットのオーラにヤラレタのはフェルゼンだけではない。他にも革命後、立場を寝返って彼女を救おうとした男達は何人もいた)でもそんな貴公子然とした愛/友情で結ばれていた王妃とはまったく別な所で、もっと生身の男として数々の女達と関係を持つ彼がいたのだ。このあたりは絵に書いたような当時の宮廷貴族とも言える。

男としてのフェルセンは、もっと恋愛/人生経験が豊富で、男女の何たるかを心得ているような大人な貴婦人がお好みだったようだ。お相手の愛人女性達も色々な恋愛劇があった人達が多い。10年以上の関係を持ったエレオノーラは、オーストリアのヨーゼフ皇帝始めその愛人歴は超セレブ級だし、なによりフェルセンの友人だったイギリス人(スコッツ)のクインティン・クロフォードとも同時進行だった。というより、元々人妻のエレオノーラを囲っていたのはクロフォードで、フェルセンとは10年間もの間クロフォードには秘密で続いていたのだ。友人の目の前で素知らぬ顔で2重の関係を続けられるあたりに、上流階級のしたたかさが見える

フェルセンが命をかけて準備したヴァレンヌ事件に失敗し、その後ヨーロッパ中の宮廷にフランス王家を助けるように働きかけるものの、いっこうに実を結ばない。あっちもこっちもルイ16世を親身になって助けようとする人はいなかったのだ。おそらくアントワネットの長兄ヨーゼフ皇帝と、スウェーデンのグスタフ3世を除いて。

どうにもらちがあかなくなって、とうとうフェルセンはまたも命がけでフランスへ戻り、国王/王妃に逃亡計画を話しにテュイルリー宮殿に忍び込む。けれど国王は逃亡そのものを拒否、フェルセンの危険な旅は無駄足に終わる。それにしても、フェルセンは宮殿に結構簡単に入り込んでいる。「いつもの道順で」と日記に書いてるし、以前王妃への手紙にテュイルリー宮から隣のルーヴル宮の倉庫に通じる秘密の抜け道の事を「あまり知られていないはず」と書いたりしてるので、宮殿内の秘密の通路には通じていたのだろう。アントワネットとの不倫関係説も、このへんから想像できるという事か。

それにしてもこの時に王妃との関係があった、とする歴史家の意見が多い中で、実は国王達と会ったこの直後に、フェルセンは1週間も愛人エレオノーラの所で過ごしているのだ。いや、正確にはクローフォードとエレオノーラの家の屋根裏部屋に隠れ住んでいた。クロフォードに気付かれずに・・・このしたたかさはどうだろう、、、!!

その後の2ー3年で、フェルセンはすべてを亡くしてしまう。国王救出に一番頼りだったヨーゼフ皇帝、グスタフ3世、さらにはヨーゼフの後にオーストリア皇帝となったアントワネットの兄レオポルドも2年そこそこで死んでしまう。フェルセンはこの3ー4年の間にさらに姉、父、国王一家、とまさに自分のそれまでの人生のすべてだった人達が根こそぎいなくなってしまうのだ。次々に襲いかかる不運を、彼はどう受け止めたのだろうか・・・?

さらにグスタフ3世の皇太子はまだ成人していなくて、摂政に当たった前王の弟の元ではフェルセンは一時失脚状態になってしまう。これだけのものがわずか3年程で一度に奪い取られてしまった人間が、その後どうやって生きていけばいいのか・・・きっとその後のフェルセンの人生は「おまけ」のようだったに違いない。彼自身はもう死んでいたのかも

スウェーデンでグスタフ4世が成人すると、フェルセンはまたも復活する。表向きは。若い国王は父の寵臣だったフェルセンを両手を広げて迎え、地位や勲章や役職を次から次へと与える。母国ではフェルセンは外交官としてどんどん出世していくのだ。にもかかわらず、ラシュタットでの講和条約にスウェーデン代表として行った時にはナポレオンに正面からから出席を拒否され、かなりの屈辱をこうむったはずだ。また、只一人釈放されてオーストリアに渡ったルイ16世の王女、マリーテレーズにも、会って言葉を交わしたりはしたもののなかなかプライベートな謁見が出来ずに、そのいらだちも日記に書き付けている

その後、エレオノーラにプロポーズしたものの彼女の返事は煮え切らず、そうこうするうちに何と2人の関係がとうとうクロフォードにバレてしまう。怒り狂ったクロフォードは彼女に自分とフェルセンのどちらか選べと詰め寄り、エレオノーラは、、、クロフォードを選ぶのだ。 この2人は後にフランスに戻り、ナポレオンの宮廷で結構羽振りのよい生活を送り、正式に結婚する事になる。

かろうじてフェルセンに残された最期の慰めは、幼い時からの強い信頼で結ばれ、秘密を打ち明け合っていた妹だった。妹とその愛人である20歳近く年上の男爵=フェルセンの長年の親友と3人で旅行をしたりしている。年は離れていても長く恋人としての関係を保っていた妹と男爵を見て「きっと心通うものがあるのだろう」と記している所に、彼の淋しさが少し垣間見える

そして、スウェーデンでのクーデター革命と、皇太子の突然の死が、フェルセンの最期の惨たらしい死に繋がって行く。6月20日をフェルセンは取り憑かれたように呪っていたという。ヴァレンヌ逃亡の日。途中まで自分が馬車の手綱を取って国王一家をパリから連れ出したにも関わらず、その後の手違いで失敗に終わってしまったヴァレンヌ事件

この逃亡劇の失敗をフェルセンは後に冷静に分析している。あちこちからの話を総合して、兵士達が任務に忠実でなかった事や、指揮を取るはずの将校が職務怠慢だった事、国王一家があまりにも危機感に欠けていて民衆の前に姿を見せ過ぎた事等をあげている。でもそれらの事をすべて総合して言える事が一つだけある。彼は自分では記していないけれど、おそらくこれが一番彼にとって辛く、だからこそ声に出しては言えなかったのだろう。

フェルセンがずっと一行に付いていれば、何とかなった筈だ。

危機感のない国王に、「姿を見せてはいけません」と忠告出来る人間がいれば、民衆に国王だと見破られる事もなかっただろうし、どこぞの村でのんきにお茶なんぞごちそうになるのを、「今は先を急がねばなりません」とさとす人間がいれば、4時間近い遅れが出る事などなかった筈だ。また、遅れが出始めた時点で、早馬を飛ばして次の中継地点に状況を報告する人間がいれば、それなりの対処が出来た筈だ。つまり、フェルセンが一緒に行っていれば、あの逃亡劇はなんとか成功していたはずなのだ。だからこそ、この6月20日は、フェルセンのその後の生涯を悪夢と後悔の日として、彼を責め続けたのだろう。(この日についてはこちらにも追記しました)

1795年以降のフェルセンは徐々に怒りや後悔、失望の念にとらわれて、次第にへんくつな人間になっていったという。私としてはこのあたりの最期の15年間の彼の人生にすごくすごく興味がある。肖像画を見ただけでもその違いは明らかだ。エレガントで甘いマスクの若いフェルセンとは違って、神経質そうなやせ顔のフェルセンの肖像・・・・(45歳)幸せな顔には見えない。もしかしたら中身は抜け殻になっていたんじゃないか、とさえ思える。それでも母国ではどんどん出世を続け、父親と同じ陸軍元帥の地位にまで上り詰める(国王に次いで2番目)

1810年の6月20日、広場を取り巻いた大勢の群衆、軍隊の中で2時間にも渡って壮絶な暴行を受け、衣服もすべてはぎ取られて顔も見分けがつかない程にボロボロに打ちのめされて殺されていった彼が、最期に思った事はなんだったのだろうか・・・? 同じく民衆達に罵られて死んでいった遠い日の友人達(ルイ16世/アントワネット)の事を思っただろうか、、?この日の皇太子の葬式を指揮するにあたって、フェルセンは暴動の危険性は充分忠告されていたという。それでも予定を変える事なく任務に就いた彼は、もしかしたらそんな無惨な死さえも望んでいたのかもしれない。

本当に読みたいフェルセンの伝記は残念ながらスウェーデン語のものと、フランス語のものしかない。これを全部Googleにかけるのはやっぱりちょっと・・・・?? せめて英語訳が出ればいいんだけどな〜〜

そんなわけで、ちょっとハマっているハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵でした。あ、ちなみにフェルゼンと発音するのはドイツ語読みで、スウェーデン語では、ファシェン/フェッシェンという音になるようですね。

追記
やっと入手したフェルセンの伝記についてはこちらです。これ以外に英語で書かれたフェルセンの研究本(小説ではなく)は見当たりません。