時間を見つけてはひたすら本を読みまくっております・・・
_SL500_AA240_マリー・テレーズの本。(フランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの王女)マリー・アントワネットの生涯も良く知られたドラマチックなもので、今までにもいろんな伝記物が出版されている。新しい所では、アントニア・フレイザー女史の書いたバージョンが映画の原作にもなった。

でもその後の事は、、、?と思い立って読み始めたこの本。表紙のこの肖像画は幸せだったベルサイユ時代の少女の頃のもの。その後、10歳で三部会/バスティーユ襲撃、そしてベルサイユを追われてパリに移り住む。この宮殿を追われた時の模様は凄まじい。忠誠を尽くしてくれた身近にいた護衛達が血みどろになって殺されて行く・・・

パリのテュイルリー宮に移ってからはあれよあれよという間に父である国王は権力を失っていく。いつも人目にさらされ、全くプライバシーのない生活が続いて、12歳の時にフェルセン伯爵の計画によって国王一家はパリ脱出を決行。生きた心地もしない一晩の逃避行の後に見破られて屈辱のパリ帰還。13歳の夏には暴徒がチュイルリー宮に押し寄せて、命からがらの脱出ーータンプルの塔へ幽閉される。

タンプルの塔での約3年の間に父王は処刑、母、叔母、弟も次々と連れ出されて彼女は彼等の運命の果てを何年も知らされない日々が続く。(母と叔母はギロチンで処刑、弟である王太子は病気になってもほったらかされ、部屋の掃除も服の着替えもさせてもらえないままに病死)そんな中でも尊厳と誇りを失わず、「母や叔母がどうなったのかを教えてくれない人とは言葉交わさない」という徹底振りは15ー6歳の少女とは思えない。

17歳の誕生日未明にようやくオーストリアとの人質交換として釈放され、夜中にパリを脱出し、母の故郷であるオーストリアに迎え入れられる。それからも、ハプスブルグ/ブルボン両家の血を引く王女として政治的綱引きの対象にされる。ローマ皇帝フランツ2世と叔父であるルイ18世の間で、それでも自分の主張を誇示する少女はほとんど生意気なまでに頑固で誇り高い。

まだ途中なんだけど、、、読み進むにつれて「なんて人生だろう、、、!」と思わずにいられない。ロイヤルファミリーっていうのはやっぱり特殊だからね。まったく自由のない幽閉生活のようでもちゃっかりヨーロッパ中に出した手紙が今でも残ってたりする。それにしても、本当になんの打算もない忠誠心から王家に命を差し出した人々が沢山いたのだ。

国王や王妃の側近として使えていた人達の忠誠心というのはすごい。幽閉状態の牢獄へ、進んで自分も「お世話しに」行こうと申し出る。王妃の名を語った偽手紙で「今すぐフランスに戻ってきてちょうだい」と言われれば、一も二もなく亡命先から危険きまわりないパリに戻ってきて惨殺されてしまった人もいる。忠誠心で、友情で、そして愛情で・・・

images-1それにしてもフェルセン伯爵、、、いや〜〜、凄いよフェルセン、、、カッコ良いよ〜〜! 親族でも側近でもない彼の、命をかけてヨーロッパ中を奔走する姿に驚いて、フェルセンが残した日記/手紙を集めた本も同時進行で読み始めてしまった。2冊を並べて読み進むとすごく解る。ちなみに彼の名前は日本の歴史家の間でもフランス語でも英語でもフェルセンなので、私もそう表記します。

王妃の生涯只一人の恋人とも言われるスウェーデン貴族のフォン・フェルセン伯爵だけれど、実はフェルゼンとアントワネットが肉体関係を伴う不倫関係にあったのかどうかは、歴史研究家達で意見が分かれている。ゆるぎない信頼関係で結ばれていた事は間違いない。けれど彼等が不倫関係にあったという確固たる決め手は実は残っていない。

フェルセンは国王一家をパリから脱出させるために東奔西走した。ヴァレンヌ逃亡事件はほとんど彼がで各所に連絡を付け、当日には途中まで自らが馬車の手綱を取っている。これが失敗に終わってからも、数カ月後には命知らずにも変装してパリに戻り、新たな逃亡計画を国王に持ちかける。2人の恋人としての一夜を確信する歴史家達の根拠は、このチュイルリー宮に忍び込んだフェルセンが残した日記的メモによる。

「テュイルリー宮に行く、王妃に会うが国王は不在。王妃のアパートメントは綺麗な部屋だ。」そしてこの後にインクがこすられた後がある。このこすられた部分に「ここに泊まる=Reste la」という語があったというのが有力説だ。このReste laという語はフェルセンが日記=メモで度々使っている表現で、愛人である女性を訪ねて一夜を共にした時にそう記している。(関係を持っていた女性は何人もいたようだけど)

でもあくまでもインクはにじんでこすられてしまっているので、はっきりとそう読める訳ではない。もしかしたら後になってだれかが故意にこれを消したとも充分考えられる。でも証拠にはなっていない・・・ フェルセンは日々の出来事を日記というか、メモ風に書き残していたが、1780年から革命までのものに関しては、パリから亡命する際に友人に預けた。後に危険を感じたこの預かり人の手によって破棄されてしまったので、肝心な部分が残っていないという無念さがある。

現存する資料では、フェルセン伯爵とアントワネットがプラトニックな信頼に元づく愛情で結ばれていたのか、男女としての不倫関係にあったのかは特定できないのだ。でも考えようによっては「バレたらまずい」からこそ、この友人はフェルゼンの日記を破棄したとも考えられる。(証拠が残っていないのが証拠?)

どちらにしても、残されたフェルセンの日記からも、アントワネットを愛していた苦悩が伺える。国王が処刑された時の日記は淡々としているのに、アントワネットが処刑された時は、「何を感じる力もない」「残忍な罪を犯した(王妃を処刑した)野蛮人共に裁きは下されないのか」「復讐せずには心の安らぎはない」等、心情を書き付けている。妹のソフィアに宛てた手紙ではもっと激情を綴っている。「自分の千の命と引き換えにしたかった彼女はもうこの世にいない・・・」

マリー・テレーズがオーストリアに釈放されると、フェルセンは他の誰もしなかった事にヨーロッパ中を走り回る。マリー・アントワネットは生前に「国王と自分に万が一の事があった時、子供達のために」とヨーロッパの各所に自分の財産/宝石を預けてあったのだ。それを知っていたフェルセンは、マリー・テレーズに母の財産を手渡してあげるために奔走する。混乱期の事で、行方不明になってしまった物もあるうち、何割かの財産がフランツ皇帝に渡っていた事を知ると、皇帝に直談判して、お金をマリー・テレーズに渡すようにと迫る。マリー・テレーズはこの件に関しては何も知らず、フェルゼンに聞かされて初めて母の遺産の事を知り、「母の財産を正当に受け取るまでは自分の身の振り方は決められない」と、彼女を政治的駒にしようとしていたフランツ2世とルイ18世に牽制をかける。

外国人であるフェルセンのフランス国王/王妃に対するロイヤルティーは、やはり忠誠心を越えた、王妃への愛情があったからだとは思う。でもそれはきっと騎士道精神的な愛だったんじゃないかな。初めて出会った10代の頃と、その4年後にフェルゼンがフランス戻ってからアメリカに行くまでの頃には若い2人の胸をときめかせる感情があったとしてもおかしくない。けれど少なくとも30を過ぎた頃からの王妃は、なによりも女王としての立場が最優先で、国王と運命共同体として結ばれている

革命期にはとても不倫をしている余裕なんてなかったはずだし、フェルセン自身もそれは充分承知の上で、あえて国王一家のために献身している。王妃も、フェルセンにはかなり私的な事をゆだねており、単なる友人以上の信頼関係で結ばれていた事は間違いない。でも俗にいう、不倫の恋人同士であったとは思えないし、それに関してはどちらでもいいじゃないか、、、とさえ思う。その頃には彼はサリバン夫人という愛人と一緒にいたのだし、、、

美貌の青年貴族として宮廷中の貴婦人を虜にし、アメリカ独立戦争や、母国のロシアとの戦争等、軍人としてのキャリアも固く、スウェーデン国王のお忍びのヨーロッパ旅行に付き合い、ヨーロッパに幅広く顔のきく外交官として各国を飛び回るフェルセンは、まさに理想の貴公子という感じがする。メインのスウェーデン語、フランス語の他に、ドイツ語、イタリア語、英語も話したというから凄い(アメリカ独立戦争の際にはロシャンボー将軍の副官として、ジョージ・ワシントンとの通訳をしていた)・・・ルイ16世一家に対しては、宮廷で側近として勤務していた人達の忠誠とはまた違った独立したロイヤルティーと行動力を見せる。

本を読んでるとあっという間に時間が過ぎて行く、、、でも面白いよ。フェルセン伯の日記も本来は15歳から亡くなる2年前まで書き続けていたのに、出版されているのはフランス宮廷との関わりの部分だけだ。もっと彼自身の事が知りたくなる。探してみよう・・・

歴史ものは小説と違って、自分なりの見解をもって読めるからやめられな
い!

追記
やっとみつけたフェルセンの本については「本を読む」カテゴリーに追加しました