1月10日までなのでもう一度観ようかどうしようか考えていた「ラ カージュ オ フォール」が、パリから戻ってみたら延長が決まっていた。但し主役の2人は交代とのこと。新たにザザを演じるのが、毒舌トークで人気のゲイのコメディアン、グレアム・ノートン! テレビ司会者としては人気だけど、大丈夫か、、!? と思いきや、ゲイのコメディアン路線で活躍する前は、れっきとしたロンドンでも名のある演劇養成所を出ている。おみそれしました・・・

丁度日本でもこのミュージカルがリバイバル中だ。ホリプロ制作の市村正親/鹿賀丈史コンビのラ・カージュは、チラシを見ただけでも華やかなショーの雰囲気。こちらでやってるヴァージョンとは全く空気が違いそうだ。出演者の数も倍はいる。動画サイトで探してみたら市村さんの歌っているI am what I amがあったので、聞いてみた。  

がくぜん、、、! か、歌詞が・・!!

当たり前なのだ。当たり前なのだけど、う〜ん、そうか、日本語訳でミュージカルの歌を聞くのは苦しいなあ〜〜・・・ 今さら、っていうか、昔は私達も翻訳ミュージカルを日本でやっていたのだから、そのあたりの苦しさは知っている。本番前日になって歌詞が変わった事もあった。台詞の翻訳は殆ど問題ないのだけれど、決まった曲に日本語で歌詞を乗せるのは訳詞家さんの腕の見せ所だ。

原語が英語の場合(ほとんどのミュージカルがそうですが)、一音符に一音しか乗らない日本語は歌詞が半分も入らない。英語は耳に聞こえるシラブルの数は書かれた語より少ないからだ。(例えば、Saturdayは8文字だけれど、音はsa tur day の3シラブルだ。)おまけにその限られた訳詞を、なるべくメロディーのイントネーションに合わせなくてはいけない。内容をかろうじて説明するだけで精一杯だ。おまけに日本語だと男言葉と女言葉でも違ってくるし・・・アルバンはやぱり女言葉になってるのか・・・

そういえば翻訳物のミュージカルなんてもう20年観てない・・・たまたま日本で観たのは、和製のオリジナルミュージカルだったし。ちょっといろいろと探して、いくつかの舞台の日本版動画を観てみた。「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」「オペラ座の怪人」・・・初めて聞いた日本語ヴァージョン。日本人の声質もやっぱり少し違う。どうしても朗々と歌いがちなので、そういう舞台は良いけれど、歌に台詞臭さが欠けてしまう。ミュージカルの歌で一番必要なのは、歌う事じゃなくて語る事だ。

でもそうだったよな〜、日本で大きい作品の翻訳舞台をやると、どうしてもブロードウェイやロンドンの初演物と演出までそっくりになっちゃって、見た目と中身が同じ物を日本に持ってきました、っという感じになってしまう。あれ?上演権の関係であまり変えちゃいけないのかなあ〜〜? でもそれじゃやっぱり面白くないよね。西洋人と日本人じゃ感じ方も笑い所も違うんだし、それなりに変えなくちゃむしろ限界があるんじゃないだろうか。

訳詞じゃなくて、日本語歌詞を新たに書いて曲に乗せないと、根底にある感情が演じる役者も出し難いはず。核になる思いが伝わる歌詞で、初めて観ているほうの胸に響く。中には成功しているものもあって、ああ、巧く乗せたなあ〜と思う曲もいくつかある。本当に、訳した人にとっては、毎日のステージを観る度に「やっぱりこうしようか、あそこを変えようか」と思わずにいられないんじゃないだろうか? 芝居の翻訳でも、ただ言語に長けている人が翻訳したものだと、とても台詞として言いづらかったりする。ミュージカルの詞は、翻訳家じゃなくて作詞家がやるべきだ。

もっともこれは日本語だけの話じゃない。三文オペラの情報が入ってきたので思い出したけど、私が今までに観た三文オペラは多分どれも違う訳だ。ブレヒトの原語はドイツ語。日本で確か2度観たけど、2度とも訳が違ったと記憶してる。最初のはアングラっぽかったなあ〜。ロンドンで観た最初はロッキー・ホラー・ショウのTim Curryがやったヴァージョン。この頃は私も英語はまだあやしくて、日本で観た事があるからなんとか内容が解ったという感じだった。

映画でも古〜いのや、三文オペラの原作になってるBeggar's Opera もテレビでやってたりしてるので、いくつものヴァージョンを観た。その度に台詞も歌詞も少しずつ違ってたはず。10年程前に観たヴァージョンはもっと現代の設定になっていた。このDonmer Warehouseのヴァージョンが私は一番好きで、このキャストでのCDを持っている。だから私の中では三文オペラの歌詞はこのDonmerヴァージョンの英語歌詞だ

でもこれが下品ですごく良いんだあ〜〜!(うっかりバスの中で聞きながら歌っちゃまずいぜ!!)とても当時の貧しいロンドンっぽい

日本のオリジナルミュージカルが英語訳になってブロードウェイやロンドンに来るなんて事はないだろうけど、例えば「天保十二年のシェイクスピア」なんて訳したらどんなになる事やら・・・! 考えただけでも笑っちゃうけど、でも逆が可能で頻繁に行われてるのに、どうしてダメなの? 日本人の感性って、そんなにも世界に通用しないものなの・・・うん、、しないんだろうねえ〜〜


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