映画、バベルを観て来た

Babel
というタイトルは、聖書に出て来る話に由来してる事はもう言われているので省きますが、この映画は本当にいろんなミスコミュニケーションが絡み合って出来ている。

「バベル」は大きく分けると、映画は3つのストーリーから出来ていて、それぞれのストーリーの内容そのものは一見関係がない。モロッコでは、旅行中に銃で怪我をした妻と、彼女をなんとか治療しようと必死になる夫、そしてその銃を撃ってしまった少年兄弟とその家族の話。
一方日本では、聾唖の高校生が自分を受け入れてもらえない事に苛立ちと孤独を感じていて、自分を見てもらいたいとばかりに男に誘いかける。
サンディエゴに住むメキシコ人の家政婦は、旅行に行った主人夫妻が帰って来られないため、仕方なく息子の結婚式に留守番で世話をしている子供2人を連れてメキシコに行くが、帰って来る時に国境で疑われてしまう

この3つのストーリーはあくまでもおおきな流れであって、実際には映画はmiscommunicationの連続だ。言葉だけでなく、生活習慣、宗教、肌の色、親子関係、いろんなミスコミュニケーションが絡んでいる。そして話が進むにつれて、少しずつ伝わっていく部分もあれば、伝わらずに大切な物を失ってしまう結果もある。

演技陣は強力だ。菊地凛子さんは、アカデミーにノミネートされているけれど、確かにすごい存在感を出している。聾唖の役なのできちっとしゃべる台詞は無いけれど、表情だけで気持ちが伝わってくる。技巧的な演技力ではないのだけれど、画面に映し出された表情にパワーがある。
他の役者もパワフルだ。主演クラスはもちろん、脇役、子役もしっかりしている。

私はこの映画とても好きだけれど、もしかしたら日本の人の中には面白くない、よく解らないと感じる人もいるかもしれない。

私は、言葉が違うという事は、コミュニケーションの妨げになる理由としては比確的低いと思っている。 日常で何か国語の言語が実際に道で飛び交っているのが普通の生活だから、映画の場面が英語やアラブ語、スペイン語、日本語と飛んでも違和感は感じない。 でも日本にいる日本人にとっては、それだけで観ていて気疲れしてしまう人もいるかもしれない。

登場人物みんなを同じ目線で観ていないと、コミュニケーションできないという事がいやに重く感じてしまう。
国や宗教、文化が違うという事は相手が異星人であるという事ではなくて、自分を理解してもらえる努力をしなくては解り合うのが難かしいという事。 相手を否定してしまったら、自己中心的になってしまったら、だとえ言語が同じでも食い違ってしまう。

世代、人種、宗教、言語、男と女、同じ目線で相手を見る努力をしたいよね。



ここからは完全ネタバレです。日本での公開はまだみたいですので、ネタバレOKの方のみ続きのページへどうぞ


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モロッコのストーリーでは、まずリチャードとスーザンの夫婦は始めからぎくしゃくしている。 子供を亡くしてしまった夫婦がもう一度心を寄り添わせようとして参加したモロッコツアーなのに、奥さんのほうはいやにナーバスだ。 
現 地の小さな村に住む兄弟は、父親に「家の鶏を守るためにジャッカルを撃ち殺せ」といわれるが、兄のほうは銃が上手く撃てない。やがて2人は「本当にこのラ イフルを撃って3キロ先まで届くのか」と試し撃ちをはじめ、たまたまそれがリチャードとスーザンの乗ったツアーバスに当たってしまう。

必死で助けを求めるリチャードと現地ガイド。病院までは道なき砂漠をバスで走っても3時間はかかるため、ガイド自身の住む村にとりあえず運ぶ事となる。砂だらけで何もないモロッコの砂漠の村に、このエアコン付きの観光バスは全くマッチしていない。 まるで別世界に来てしまったあたりから、違和感だらけになる。文明から取り残されたような村で出される物も最初は信用できず、治療しようとしてくれているのだろうけれど信頼できない恐怖。
命に関わる状態で、異文化を受け入れざるを得ないという事が、恐怖感さえただよう緊張感で表現されてる。

さらに、miscommunicationは、同胞同士に発展する。 早くこの場を去りたい他のツアー客達。昼間は40度近くになる砂漠で、ガソリンが無くなるからとエアコンが入れられず、次第にみんなイライラし、衝突し始める。言葉が通じない事ではなく、自分勝手な思いこそがミスコミュニケーションを生むのだという事を痛感する。
最初はツンケンしていたスーザンも、さすがに生きるか死ぬかの状況で、やっと見栄を取り払って夫にしがみつく。リチャードが彼女に洗面器でトイレさせてあげるシーンは、「夫婦」に戻れた2人の演技が素晴しい。この時のキスシーンは今まで観たどんなキスよりも奇麗だ。

偶然の事故だったこの事件が、「テロによる銃撃」とアメリカ側が構えてしまうあたりもずれている。はからずも銃撃犯となってしまった少年の家族と地元警察の展開も、残酷だけどリアルだ。

高校生役の菊地さんは、やっぱりちょっと高校生よりも大人に見えてしまうのだけど、まあ外国の人から見ればOKなのかな、、、
この千恵子は、苛立っている。 聾唖である事、自殺したお母さんの死からふっきれないでいる事、父親ともなんとなくぎくしゃくしている。聾唖仲間達と遊びに行っても男の子達は自分の事を 異星人のようにしか見てくれない。友達に「あんたは処女だからね」といわれてムカつく。フラストレーションの固まりのような表情と、自分を受け入れない者 達を見る目の強さに説得力がある。

聾唖の女が問題外にされる事に挑戦するように、ノーパン&ミニスカで男に足を開いてみせる時の表情が勝っている。 治療中の歯科医に舌を延ばして誘惑した後、帰れといわれて出て行く時も断固とした態度で負けていないのだ。 それでいてその毅然とした態度がとても悲しい。ディスコの大音量がふっと途切れる、すると音のない中でミラーボールが回り、若者達が踊り、抱きつき、笑い合いながら千恵子をとりまいている。このいきなり音が途切れるシーンは、千恵子の心の寂しさを上手く表してた。

そして、たまたま父親に話を聞きに来た刑事の前で、千恵子は本当に全裸の自分をみせる。そうしなければ、誰も彼女をちゃんと見てくれないかのように・・・裸になって、自分を観て欲しい、受け入れて欲しいと迫る千恵子の演技は心に重く響く。ここからの彼女と刑事の心情は、見る人の理解にゆだねられてる
私は、彼女の切羽詰まった思いに彼がどう反応するかと思って見ていた。彼が翻弄されながらも、(多分、頭の中は負けそうだったかも)全裸で泣き崩れた彼女を胸に抱きとめてあげた事で、千恵子がひとつ先へ進む事ができたんじゃないかと思った。
それがきっと後で彼に握らせたメモだったんだと思う。千恵子があのメモに何を書いたのか、必死に、思いをぶつけるように書きなぐっていたあのメモの内容は、最後まで明かされなかった。

サンディエゴで、アメリカ人夫妻の2人の子供、マイケルとデビーの面倒を見ていたメキシコ人家政婦のアメリア。彼女はもう16年もアメリカに滞在して、この2人の子供達も、生まれた時から自分の子のように世話をしてきたのだ。
息子の結婚式の為、子供達を預けられる人を探すが見つからず、無責任な所に任せるよりはと、2人を連れてメキシコでの結婚式へ。 
幸せな一日。成人した自分の子供達や親戚一同と会い、連れてきた子供達も彼女の親戚達に混じって楽しい一日を過ごす。このストーリーは一見食い違いや勘違いとは違う話なんだろうか、と思った程だ。

ちょっと酔っ払った甥(サンチアゴ)が車で送ってくれる事になり、アメリアと子供達は夜中を過ぎてからサンディエゴを目指す。ところが国境警備の所で、サンチアゴが警官に冗談まじりに2人の子供を「このおばさんの甥と姪だよ」と言ってしまった事から、警官に不信に思われてしまう。
メキシコ人のアメリアはどう見てもマイケルとデビーの血縁には見えない。警官に徹底的に車を調べられ、アメリアは「私はこの子達の責任者です」と言うものの、「子供の両親から、国境を超える許可は得ているのか?」と追求される。 さらにサンチアゴの態度が反抗的な事に警官達も息荒くなり、ついにキレたサンチアゴは無理矢理車を発進して逃走してしまう。全く罪の意識がなかったメキシコ行きが、帰りには一転して「国境破り」になってしまったのだ。

この後のアメリアの演技は素晴しい。 殺伐とした砂漠の中を子供達を助けようとボロボロになって歩き続け、挙げ句に逮捕されてしまう。彼女も賞をあげたい位の名演技だった。
こ のメキシコの話が一番やり切れなさが残る。他の2つのストーリーは最後に歩み寄りが見えたのに、一番イノセントに思えたこのストーリーが、最後にはアメリ アの強制国外退去になってしまう。住み慣れた街、愛して面倒をみてきた子供達と、永久の別れになってしまうのだ。罪の無い人間が突然犯罪者になってしま い、今まで築き上げてきた生活が一晩にして崩れさってしまう悲しさ。

実はこの3つのストーリーは、話は別だけれど繋がっている。楽しみが無くなってもつまらいので、そこだけはネタバレしないでおきます。只、私はその繋がりを実はかなり前半部分で解ってしまった。別に説明はされていないのだけれど、ピンときてしまったのだ。

映像も奇麗で、各場面で対照的だ。東京の夜景を映しながら最後にかかる坂本龍一さんの1996版「美貌の青空」がすごく重く胸に響いてくる。

私は好きだなあ〜 こういう映画! 少し期間を開けてまた観たい映画です。


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