ここに住んでるのあが可愛くて仕方ない。
開いた時に寝てると、のあ〜、起きろ!と呼びかけて無理矢理おこす。
わざとちょっと間を置いてからこっちにやってくるのが、また可愛い

遊びに来て下さった皆様、是非、のあにも声をかけてやってください。?をクリックするとお相手いたします。お茶菓子は出ませんが、、、、

のあの名前は「世紀末の詩」から。野亜、のままにしようかとも思ったけれど、あれはやっぱり亘の名前なのでやめた。 違う字も考えたけれど、(乃亜、之阿、乃阿、野或 等) 結局、ひらがなのままという事で・・・
そういえば、余談だけど、利家とまつの、良之が死ぬ前の回、比叡山で拾った赤ん坊の名を、最初は摩耶とつけたのに、やっぱり畏れ多いからと、摩阿にしていたっけ、、、まやのあが一緒になった名前だあ〜〜!これは本当に本当に偶然でびっくりした!!

好きだなあ〜「世紀末の詩」

ず〜っと前に何話かをビデオで流し観して、それだけでも結構好きだと思っていた「世紀末の詩」を、やっと全話ちゃんと観た。愛って何だろう、この世に愛は あるのか? 人は愛に辿り着けるのか?ーと問いかける野島さんの脚本は秀逸だと思うよ。野島さんのドラマは他にも観たけど、これがダントツのmy favourite!

世間的にはあまり盛り上がらなかったような事も聞いたけれど、(いわゆる視聴率) 全話を通じて出演したすべての人達が、いろんな言葉を残していったよね。毎回、「ハローベイビー」で締めくくられる数行の詩が、John Lennonの「LOVE」に乗って胸の奥に入り込んでくる。こういう番組をもっと観たい、、と思わせてくれるドラマだ。きっと折にふれ、この先も何度も 観返すことだろう。その度に、愛の形を探して苦しくなるだろう。

世紀末の詩での亘は、ちょっとおバカで、でもとても純粋にいろんな愛を鏡のように映していく。亘自身の主体性には欠けるけど、その分いろんな想いを受け止め、照り返し、言葉が詩になっていく。ピュアだ。

見た目のかっこ良さも、男のセクシーさも封印して、子供のようにピュアな瞳で亘は様々な愛の形を見つめていく。この作品の前には、「ビーチボーイズ」や「With Love」をやっていた竹野内さんにこの役が振られたのは、すごいキャスティングだったんじゃないだろうか。

野島さんが提供したかったメッセージは。「この世に愛は無い」という事だったそうだけど、本当にそうなんだろうか、、、、このドラマの各々のエピソードに、確実に愛があると思う。それらすべてが愛じゃないのだとしたら、愛って何だろう、、、???

このドラマは、私が応援している藤原竜也君と竹野内豊さんの唯一の接点でもある。もともと畑の違う2人の役者を並べて語る事はしたくないけれど、この当時、「天才少年」の名を関係者の間に轟かせていた藤原君の妖艶な演技はなかなか印象深い。

そういえば、彼は後に野島さん企画の「新・星の金貨」で、主演したから、それも接点っていえるのかな。あのドラマは主演二人(藤原&星野)と他の出演者達との演技のレベルが違い過ぎてしまったけれど。
永世会病院にも入院したんだっけね〜〜 ちなみに、「身よりのない、貧しい少女が・・・」の星の金貨の語りは、秀一、拓巳、一樹の3バージョンのうち、私はやっぱり藤原君の語りが耳に心地よい。

おっと逸れてしまった、、、やっぱり「世紀末の詩」は、夜中に街も人も寝静まった頃に観たくなる。
ドラマを観返す時は、お気に入りの場面に飛ばしたりする事が多いけど、世紀末の詩は1話1話を飛ばさずに観てしまう。そして「ハローベイビー」でLOVEが流れると、胸の奥がキュッと痛い。その痛みが心地良くてまた次の話を観てしまう・・・・

Love is real        Real is love
Love is feeing    Feeling is love
Love is wanting  to be loved