見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

June 2018


ほとんど忘れかけてた!っていう位に久しぶりのフランス古典喜劇!! そうだよ、モリエールがいたじゃないか!、、、、、
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初めはタイトルの「Tautuffe」 を見てもピンとこなくて、その下にMoliereという名を見てやっと、「あ! タルチュフだ〜〜!」と気づいた。モリエールの喜劇なんて、本当にもう30年以上観ていなかった。久しぶりに嬉しくなって、速攻で何もチェックせずにチケットを取った。前の日になって、帰りの電車の時間が気になったので終演時間を確認しようとしたところ、「バイリンガル•プロダクション」と記事に書かれてあって、「??」と思ったのだった。

モリエールは17世紀のフランスで活躍した劇作家。彼の劇団は旅公演だけでなく、王侯貴族たちからも援助を受け、社会風刺の効いた喜劇で人気を博していた。丁度太陽王、ルイ14世の時代だ。モリエールの喜劇は、同時代のラシーヌのようなギリシャ悲劇を元にした古典劇に比べると、題材が人間本来の感情や思考による間違いや勘違い等での面白さなので、時代にとらわれずに楽しめる。

今回のプロダクションも時代は現代のロサンゼルスという事になっているらしい。そして、本当に英語とフランス語がゴッチャに入り混じってのバイリンガル劇になっている、、、、しょっぱなから聞こえてきたのはフランス語の掛け合い。え、、?と思って見回すと、舞台上部、左右、そして前方の床の左右、と、5箇所の字幕スクリーンがある。こういう場合はサークル席とかの方が舞台と一緒に字幕も視界に入るのだけれど、私のいるストール(一階席)のしかも前方(つまりはものすごく良席)だと字幕を見るためには顔を背けなくちゃならない。せっかく良いテンポの芝居なのに、字幕追いが大変で、「これで最後まで持つのか、、?」と不安になった。

資産家のオルゴンとその母親は友人のタルチュフの事を善良で信心深い、人類の見本のような人物だと崇めている。オルゴンは彼を自分の家に泊めて、なんとか彼を見習って自分も立派な信心深い人間になりたいと思っているのだが、実はタルチュフの本性は偽善者そのもの、自分を信じきっているオルゴンを利用しようとしているに過ぎない。オルゴンの周りの人たち、妻のエルミールや息子のダミス、義兄のクレアント達はタルチュフの胡散臭さをなんとなく見抜いていて、オルゴンに忠告しようとするのだが、オルゴンは一向に耳を貸さない。そして、既に恋人ヴァレールとの婚約が決まっていた娘のマリアンヌを婚約解消してタルチュフに嫁がせようと考える。父にヴァレールではなくタルチュフと結婚するようにと言われたマリアンヌは、父には逆らうべきではないという自分の忠実な娘としての立場から反論できずにいる。マリアンヌの侍女のドリアンヌはもっと自分の意見を主張するべきだとマリアンヌを諭すのだが、とうとうマリアンヌに泣きつかれて彼女の味方になると約束する。マリアンヌの兄のダミスは、タルチュフが密かに母=オルゴンの妻であるエルミールに言い寄っているのを聞きつけ、なんとか父にタルチュフの本性を知らせようとするのだが、オルゴンは一向に息子の言葉を信じないばかりか、逆に信仰を逆手にとって、「自分は罪深い人間だ、許してくれ」というタルチュフにますます肩入れしてしまう。なんとかしてタルチュフの本性を暴こうとエルミールは自らタルチュフに誘いをかけ、自分にいいよる悪党の顔をしたタルチュフの姿を夫に見せる。家族一丸となってタルチュフの本性を暴き、流石のオルゴンも自分の盲目的な思い込みから目がさめる。ところが、マリアンヌと結婚させて、タルチュフに家屋敷と財産を譲ろうとしていたオルゴンは全ての書類が入った鞄がタルチュフの手に渡ってしまった事に気づいて愕然とする、、、、、

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父に反抗できずにいるマリアンヌは当時(17世紀)の父親の家庭内での権力を示している。その後に、恋人のヴァレーヌと愛し合っているのに喧嘩になってしまったり、ダミスが必死に本当の事を告げて忠告しているのに、信じないばかりか逆に息子を勘当してしまうオルゴンのバカっぷりは本当に笑える。

それにしてもなぜ2ヶ国語なのか、本当によく分からない。英語部分の翻訳はお馴染みのクリストファー•ハンプトン氏だ。それも、キャラクターによってとか、場面によってというのではなく、普通の掛け合いの途中でいきなりフランス語と英語がシフトするのだから、なかなかついていくのが大変だった。

でも不思議なことに、意味はわからないのに、フランス語の台詞が耳に心地よい、、、おそらくあの時代の作品だから、シェイクスピアの英語と同じように、フランス語の台詞もリズムがあって書かれているのだろう。おまけに役者達は本当に良い芝居をしているので、字幕を見るのがもったいなかった。役者達はイギリス人、フランス人と混ざっているし、中の数人は実際にバイリンガルのようだ。

知らなくて得したのは、ちょうど今BBCでシリーズ3を放映中のドラマ「ベルサイユ」でルイ14世を演じているジョージ•ブラグデンがダミス役で出ていた事だ。3年前から始まったシリーズ物の「ベルサイユ」の大ファンで、「レ•ミゼラブル」の映画にも出ていたジョージのルイ14世をみて「一度舞台でもみてみたい人だな」と思っていたので。彼は子供の頃にフランスの学校に行っていたバイリンガルアクターだ。「ベルサイユ」のドラマは全て英語だけれど、制作はカナダ・フランスなので、インタビューなんかではかなりフランス語でも喋っていたっけ。

ドリアーンとオルゴンの母・ペルネル夫人を演じている2人のフランス人の女優さんが素晴らしい。そしてタルチュフ役のポール•アンダーソンは初めはアメリカ人の役者かと思った。ちょっと鼻にかかった投げやりな感じのロサンゼルスアクセントが偽善者の悪党ぶりを見事に表していて、決して攻撃的じゃないのに、「この悪党!」と思ってしまう憎らしさ!役者自身はイギリス人で、ちょっと驚いた。

最後はオリジナルから現代に変えていて、タルチュフを逮捕するのは国王ではなく、ドナルド•トランプというのがご愛嬌。
実はこの芝居、敬虔なキリスト教信者に見せかけた偽善者という設定から、当時の反宗教的要素を監視していた団体から圧力をかけられ、ベルサイユ宮殿で初演されたものの、その後、国王ルイ14世から上演禁止を命じられてしまう。(これは5年間で解かれている)

なんだか昔劇団時代に上演したフランス喜劇を思い出した。コメディー•フランセーズのレパートリーになっているジョルジュ•フェドーの喜劇達。笑いのテンポがやっぱりモリエールあたりが基本になっていたのだなあとちょっと思った。2ヶ国語ゴッチャの珍しい芝居だったけれど、それがなんだか耳に心地よくて楽しめたのだからまあ、成功していたと言っていいのかな。

でも次回はやっぱり全部分かる言葉で観たいなあ〜〜









 


観たいと思った映画、「The Happy prince」、ルパート•エヴェレットがワイルドを演じるだけでなく、脚本も監督もやったと聞いて、楽しみにしていた。以前、ルパートが演じた舞台(The Judas Kiss)でのオスカー•ワイルドがすごく良かったので、「あれから入れ込んじゃったのかな」と思ったら、実は彼はもう10年も前からこの映画の企画を進めていたそうだ。
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本を書いたものの、なかなか映画化に乗ってくれる監督が見つからず、一時は企画を諦めかけたそうだ。主要キャストに旧知の信頼する俳優達(コリン•ファースやエミリー•ワトソン)との出演の約束を取り付けておいたものの10年近くが経ってしまったという。そうこうするうち、彼のJudas Kissでの好演が反響を呼び、コリン•ファース氏はアカデミー主演男優賞を取り、 ついにルパートは自分で監督する事にして映画化の運びとなったそうだ。

上流社会からも絶大な人気を誇ってセレブな暮らしに慣れていたオスカー•ワイルドだが、同性愛の罪で2年間投獄されて以降の人生はまさに天と地だった。

この映画は以前感想を書いた芝居、The Judas Kissの2幕と時期が重なる。全てを奪われ、社会から地位も家庭も仕事も名声も全て剥ぎ取られたワイルドがパリで偽名で暮らし始めるところから始まる。 出所してきたオスカーをパリに偽名で呼び、住まいの用意などもしてくれていたのは、かつての恋人でもあった友人のロビー•ロスだ。今はオスカーの数少ない忠実な友人として彼を支える。オスカーの妻と2人の息子は絶縁状態だ。パリで暮らし始めたものの、彼の投獄スキャンダルは今でもパリのイギリス人上流社会の記憶に新しく、あちらこちらで心無い中傷や誹謗を浴びせられる事も多い日々だ。

同性愛が処罰された時代、今では考えられないことのように思っても、まだまだ人々の心に「普通と違うもの」に対する嫌悪や拒否反応は根強く残っている。

監督したルパート自身カミングアウトしたゲイだが、、最近のインタビューで、ハリウッドでもゲイの俳優達はまだまだ差別的な待遇を受けることが多いと言っていた。自身も、純粋にオーディションが良くなかったり、役に合わないという理由ではなく、決まりかけた仕事が、「ゲイである」ということで配給会社やスポンサーの意向で役をもらえなかった事が何度かあったという。 

ルパート自身がとてもオスカー•ワイルドに共感しているという。俳優として自分を重ねてみると、オスカー•ワイルドという人物を本当に自然に理解できる、と語っていた。そうなのだろう、だから舞台の時もこの映画でも、彼のオスカー•ワイルドは心に響く姿で語りかけてくる。

周りの反対を押し切って、スキャンダルの元になった恋人、ボジー=ダグラス卿とナポリで再び暮らし始めたものの、 人生の華やかさを全て奪われて文無しのオスカーと、まだ若く、わがままで奔放なボジーとが幸せになれるはずもなく、結局二人は苦いを別れをする。傷心でパリに戻ったオスカーを待っていたのは、妻の死の知らせだった。家庭を持った以上、妻と2人の息子にもそれなりの思い入れがあったオスカーは、もう2度と妻と会って謝ることもできなくなってしまった事に打ちのめされる。

晩年のオスカーはお金もなく、3流の安ホテルを転々とし、アブサンに溺れてますます体が衰弱していく。ロビー•ロスとカナダ人のライターで長年の友人であるレジー•ターナーが最期までオスカーのそばにいてくれた真の友人だった。オスカーは ボジーとナポリで別れてから3年後にパリで亡くなる。

ルパート•エヴェレットのオスカーはまさにはまり役、彼の俳優キャリアは、これを演じるためだったかもしれない、とさえ思う。メイクでかなり頬を膨らませ、肉厚のボディーを着込んでいるので、ただでさえ長身な上に、スクリーンの中でとても大きい。アブサン漬けでしわがれた声、でも眼光の鋭さが時折スクリーンにビシっと映える。人生の全て(仕事も家庭も名誉もプライドも信用も生涯の恋人も)を失った オスカーの、それでもどこかに希望を見出そうとするかのような姿を見事に表現している。ただ悲壮感が漂うのではなく、それでもまだ自分自身を失っていないという小さなプライド、社会から裏切られても反発することすら許されない時代のもどかしさ、そして、目を細めて笑う時の無邪気で愛嬌のある姿、あの手この手でこの役に魂を注いでいるのが解る。

監督としての手腕もなかなかのものだ。美しいナポリ、寒い冬のパリ、デカダン溢れる19世紀、ヴィクトリアンの時代をとても美しく描いている。ルパートはまた監督もやりたい、とインタビューで話していたけれど、画面の色なんかもとても綺麗で、やっぱり私はハリウッド•ブロックバスターな映画よりも、こういう地味に美しい映画が好きだなあ〜〜

日本公開はまだなのかな、、、オスカー•ワイルドが好きな人はもちろん、彼を知らなくても十分見応えある作品だ。 


BBCがまたも素晴らしく見応えのある番組を創ってくれましたよ!!
少し前からアントニー•ホプキンズのリア王の宣伝をしていたので、これは観なければ!と録画しておいた。

まずチームが素晴らしい。リアにアントニー•ホプキンズ、長女のゴネリルにエマ•トンプソン、次女のリーガンはエミリー•ワトソン、とまさに実力派揃い。おまけに脇を固めるグロスターに名ベテラン脇役のジム•ブロードベント、ケント役にはこれまたお馴染みのジム•カーター、そして何とエドガー役には「シャーロック」でのモリアーティー役の怪演が大インパクトだったアンドリュー•スコットという豪華顔ぶれ。

テレビ用脚本と演出はリチャード•エアー氏で、今回のヴァージョンはテレビドラマらしく2時間にまとめられている。シェイクスピアは舞台作品でも演出によって様々だ。現代を設定にしたものも多いけれど、やっぱりオリジナルのセリフが持つ古典のリズムを壊さないように設定を変えるのは演出家の腕次第だ。
背景は現代そのままで、ロンドンの夜景からロンドン塔=軍の司令部にカメラが移り、リアを取り巻く兵士たちも迷彩服にベレーで軍靴を響かせている。

リア王というと、領地を分け与える娘達に「自分を喜ばせる賛辞の言葉をより上手く言えたものから領地をやろう」と言われて、お世辞タラタラの挙句に後で父親を見捨てる上二人の娘と、お世辞を言えずに父を怒らせて勘当されてしまった末娘の真の愛情、みたいな部分が先行するけれど、この芝居はそれだけではない。兄を陥れてのし上がろうとする野心家のエドモンドは、結局リアの上の娘二人とも両天秤にかけるという悪党キャラだ。そして弟に陥れられた兄のエドガーは気がふれた男のふりをしてリアと出会い、また後には目の言えなくなった父親と再会する。

そう言えば、80年代の黒澤明監督の作品「乱」はこのリア王をモチーフにして、イギリスでも大絶賛された。私がロンドンの映画館で観たときも、終わりに拍手が沸き起こって、「映画館で拍手」というのは初めてだったのでびっくりした。

今回はシェイクスピアもリア王も知らない現代の若者がたまたまテレビを付けたらドラマをやっていたので観た、という流れでも十分楽しめるドラマになっている。老いて少しボケ始めた独裁的なおじいちゃんを当てはめても良い。平気で親を見捨てる家庭の絆の薄さ、兄弟でありながら兄を蹴落として自分を引き上げてもらおうという身勝手な若者、それらの構図は本当に何百年経っても変わらないのだ。改めて、シェイクスピアという人の人間を観察して描き出す筆の力は凄い、と痛感する。 

それにしても80歳になったホプキンズ氏の重厚な演技の素晴らしいこと。凛と響く声も鋭い眼力も健在だ。重いだけでなく、コーディリアと和解するあたりはそても柔らかく、 狂いかけて、スーパーのカートにゴミを山積みにして引き廻すあたりの力を抜いた演技も的確だ。

端折っているシーンもあったのだけれど、観ていてほとんど気にならなかった。(エドガーとグロスターのシーンがもう少し欲しかったけど)グロスターの目をくり抜くシーンは本当に目を覆いたくなるようなリアリティーがあり、エドモンドを挟んでのゴネリルとリーガンのビッチな火花のちらし合いもさすがはベテラン女優お二人。

まず、ホプキンズ氏の年齢を考えたら、もうこんなキャストでこんなドラマって作れないんじゃないか、、とさえ思ってしまった。2−3年前にやっぱりテレビ版で放映された「The Dresser」というドラマで、イアン•マッケルンとアントニー•ホプキンスがダブル主演していた時もそう思って、ドラマの質の高さに感動したのだけれど、、、、偶然か、今年の夏からマッケルン氏も舞台でリア王をやる。彼も79歳だ。

考えてみたら、私がずっと尊敬しているイギリスの名優達はみんなもう80代になっている、、、機会があるうちに是非観ておかなくては。

 

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