3年前にオープンした時、いろんな役者達がこぞって「また面白い場所ができた」と集まり話題を よんだFinsbury ParkのPark Theatre。スタジオ式の空間は一応ギャラリーも3列あって、総席数は200程、Donmar Werehouseくらいの空間かな。ウェストエンドの劇場とは違う芝居空間が妙に安心感があって私は好きなのだ。

今回はジョー•オートンのLootという芝居。オートンについては前にこちらで書いたとおり、60年代、労働党政権のイギリスに爆風を起こしてあっという間に消えて(死んで)行ってしまった劇作家だ。
このLootは彼の3作目の芝居で、これが大ヒットとなり、いくつかの賞を受賞している。
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場面は葬儀屋の準備室、舞台中央にはこれから葬儀という棺桶。亡くなったのはマクレヴィー夫人で、彼女の葬儀の準備をするのは夫のマクレヴィー氏と夫人の看護師だったフェイ。フェイは早速亡くなった夫人のスリッパを自分で履いていたり、これからの人生をまた生きなくてはと、マクレヴィー氏に再婚(自分との)薦めたりと、気後れもなくちゃっかり自分の立場を確保する手段を進めている。

実はこの前日に葬儀屋の隣にある銀行に強盗が入った。やったのはマクレヴィーの息子ハルと、この葬儀屋 で働くハルとは幼馴染(で恋人?)のデニスだ。二人は盗んだお金を棺桶を保管している部屋のクローゼットに隠している。いつまでもクローゼットに入れておけないということで、二人は棺桶の中にお金を移すことにする。そうなると棺桶に横たわる母親=マクレヴィー夫人をクローゼットに移さなくてはならない、、、そうこうするうちに刑事のトラスコットが銀行強盗の事を調べに水道屋と偽ってハルに話を聞きに来る。嘘がつけないハル、「本当に刑事か??」と最後まで疑いたくなるような強烈なキャラのトラスコット、彼らの銀行強盗の事を感づき、山分けに参加するフェイ、妻の残したお金で薔薇園を作りたいと語るひたすら善良なマクレヴィー氏。

とにかく台詞の応酬がオートンらしく「あり得な〜〜い!!」の連続だ

夫人の遺体はミイラ加工されていて、その死体を隠したり、服を脱がせたり義眼を取り出したり、社会的な良識からは考えられないような事が実におかしく繰り広げられる。葬儀に行く途中で車が事故にあったり、刑事のトラスコットに問い詰められたハルが嘘がつけずに銀行強盗を白状したのに、今度はトラスコットがそれを信じなかったりと、今までのやりとりがいきなりひっくり返ったりする展開は唸りたくなるほど軽快で絶妙な台詞の掛け合いだ。実はフェイには過去に7回の結婚歴があり、その夫達はみんな不審な死を遂げたり行方不明になっているのだった。最後にはトラスコットまでお金の山分けに参加することになる
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正直者は一人もいないのかあ〜!と思う反面、みんなそれで納得して大笑いしているのだから 、この空気をどう説明したものやら、、、、

他の芝居ではもしかしたら人形(マネキン)を使うのかもしれないが、実は死体のマクレヴィー夫人もちゃんと役者が演じている。これが本当に影の主役。一言のセリフもなく、自分で動くことも一切ない「死体」を見事に演じていて、これが演出で一番だったかも。クローゼットに逆立ち状態で入れられたり、服を全部脱がされて、シーツでぐるぐる巻きにされた状態で車椅子に乗せられたり、 棺桶の下に足で押しやられたり、、、それでもひたすらミイラの役だ。
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笑い、というものの意味をこんなにも皮肉な形で芝居にすることができたジョー•オートンの作品をもっと沢山観てみたかったね。銀行強盗を見逃してお金を山分けしようという刑事や、死者であり母への冒涜を恐れないハルの振る舞い、結婚しようとプロポーズしながらしっかりホモ/バイセクシャル なデニス、
7人の夫殺しの上、もしかして夫人を死なせたのも、、、?と思わせるトンデモ女のフェイ、これだけ揃えばもう怖いものなしで世の中を渡っていけるような気さえしてくる

このPark Theatreはカフェバーも劇場とは違って、ちょっとクリエイティヴな感じの空間だ。フィンズベリーパークの周辺は結構アーティストも多いエリアなので、役者やミュージシャン、ダンサーなんかも住んでいる。まあ、駅裏のガード下にはホームレスも住んでいるようだけれど、、、
ロンドンらしい環境でのイギリスらしい芝居、こんな時間がやっぱりすごく好きだなあ〜〜