見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

September 2014

懐かしい!!−わたしのマーガレット展


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今回は彼抜きだから、連日ほとんど女子会モード。横浜の中華街に行ったもの子供の時以来だったし、連日の豪華ランチでお腹一杯の毎日・・・・

小学生時代からの学友で、高校まで一緒だった懐かしい友人たちに最近会えるようになったのも、ネットやFBのおかげ。今日会った友人ともこの20年で会うのは2度目だった。お目当ては六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催されている、「わたしのマーガレット展マーガレットといえば少女漫画。今年が創刊50周年という事で開催されたそうだ。この50年の間にマーガレットを読んで少女から大人になった人達がどれだけいたのだろう、、?読んでいた人達にとって、人生の貴重な成長期の足跡になっているはずだ。

私とマーガレットの付き合いは、小学低学年に遡る。始まりは姉からだった。そのせいか、読み始めた時期は一緒に行った友人より私のほうが少し早かった事が判明。私の最初のマーガレットといえば「アタックNO1
でも最初からではなくて、読み始めたのは途中からで後から最初に追いついたんだと思う。ちなみにアニメ版も既にあったような、、、「苦しくったって〜〜・・・」。当時は学校でもバレーをやっていた。「木の葉落とし」とか研究してね

今となっては定かな記憶ではないけれど、それでも自分で毎週読み始めたのはもっと後、高学年になってからだった。今日見てきた展示でも、作品としてはコミックになってから読んだもので、連載されていたのは覚えていないというものがいくつかあった。あれが姉の世代だったのだろう。私自身は「スマッシュをきめろ」の槇さおりを目指してテニスをやっていた事もある。ラケット買って春休みテニス講習みたいなのに行ったっけ。白いスコートも買ってもらって・・・

そして、やっぱり「ベルサイユのばら。これについては前にも買いたし、私自身フランス革命にまつわる本はかなり読んだ。そして「エースをねらえ」や「スワン」の頃はもう私自身、自分の目指すものがあったから、座右の銘のような意味も兼ねて読んでいた。

展示はマーガレットの歴史に始まって、ホラーもの、学園もの、コメディーもの、スポ根もの、そして恋愛もの等、ジャンルごとに仕切ってオリジナル原画が次々と並ぶ。「そうそう、あったよね〜〜!」と思わず叫んでしまう作品も多くあって、記憶がタイムスリップしていく。ベルばらの池田理代子さんとホットロードの紡木たくさんは独自の展示コーナーが設けられている。やはり著作権の関係だろう、、展示会場内は撮影禁止。でも一か所だけ「写真をどうぞ」と展示されていたのがオスカルとアンドレの等身大立像。

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でも等身大にしてはちょっと細すぎ、、! 特にアンドレは細すぎないかあ〜〜?? 前にも書いたと思うけれど、実写で考えた時の私のオスカルはティルダ・スウィントン。「ナルニア」での氷の女王の彼女は、まさに「この人のオスカルで映画化してほしかったなあ」と思ったものだ・・・この立像、かなり現代版フィギュアっぽい。まあでも一応写真は撮りましたよ。

お土産売り場にはいろんな物があって、使えるものといえばクリアファイルとかキーホルダー、マグネットの類かな。沢山の作品があるので、どうしても商品は大ヒットものになりがちだけど、それでも50年間のいろんな世代をカバーしている。私は空き箱・缶をお土産にするつもりで、クッキーの入ったものを2種それとベルばらの新作エピソード4編のコミック(オフィシャルなベルばら11巻目のコミックス)を買ってしまった

会場を出たところの52階からの展望が眺められるかカフェでは、この展示会とコラボしたメニューを提供中とのこと。私たちは座らなかったけれど、テーブルも歴代マーガレットの表紙で埋め尽くされ、デザートメニューに作品のイメージを盛り込んだものが数種類あるよう。

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来ている人達は本当に60代になったような初代ファンから、その娘といった世代まで幅広い。年代順に見ていくと、誰が描いたにかかわらず時代によって絵のタッチも変わっていく。懐かしい名前の中には執筆途中で亡くなった方もいて、私は知らなかったので驚いた。

気がつくと1時間半もかけていた。展望台にも行って初秋の景色を堪能。懐かしい幼馴染とも言える友人と、しばし少女に戻って楽しい時間を過ごしてしまった

さて、さっき買ってきたベルばらの11巻を読むか・・・・

暑いわ、、、


そしてまたいつの間にかやってきた日本!
来る前はスコットランドの独立投票の行方にハラハラしていた。なにしろ世間票はほぼ五分五分、しかも1週間ほど直前になって独立賛成票が反対票をわずかに上回ってしまったからさあ大変!!キャメロン首相初め首脳陣はやっきになって最期の説得、いやお願い、というか懇願に走り回る事になった。その日の夜には£は急落!両替レートが一気に10円近く下がった、、、、

幸いスコットランドは英国として残る事になり、イギリスは無事にこのままとりあえずは存続することになった。国旗も変えなくてすむし、余計な経済低下も免れた感じだ。やれやれですわ、、、

というわけで、これがヴァージンアトランティック航空のフライトで日本へ里帰りする最期となってしまった。この20年近く、毎年必ず家に帰るのはこの便だったので、無くなると知ってからの喪失感は、実はちょっと自分でもびっくりするほどだったのよね

フライトは50分遅れで出発した。もう機内に乗ってから、滑走路の1本が障害物のために閉鎖されたとかで、なかなか飛べなかった。「これが最期かあ〜」と思うと変な感じ。結構混んでいたので今回は隣にも人がいた。一人で窓際を2席使える事も多いのだけれど、まあ仕方がない。残念だったのは、これが最期と知ってたらお金払ってチケット取ってマイレージでアッパークラスにアップグレードしたのに・・・・あらかじめマイレージを使って取ったチケットはアップグレードできないので、残念だわ。

いつものフライト、いつもの時間配分。機内後部に数時間毎に体をほぐしにいくのだが、この時に他の乗客やクルーとおしゃべりするのもいつもの事。日本人のクルーと話して、ずっと日本へはヴァージンで里帰りしていた事、若かりし頃の友人がヴァージンの第一期客室乗務員だったことなど話す。なんと今でも仕事を続けている第一期の人がいるそうだ。同僚だった友達と日本でランチするから聞いてみよう。

後になって、その時に話した若い男性クルーが私の席まで来て、「ずっとご利用くださったという事なので何もないんですけどホントになんにも無いんですけど、、、」と前置きして、アッパークラスのパジャマをお土産にくれた。日本人でもロンドン社員として採用されている人達はこれからも別ルートを飛ぶそうだけれど、日本のヴァージンのオフィスは閉めてしまうそうだ。残念・・・・

着いたその日はいつもはボ〜っと過ごすのだけれど、今回は来る前にやり残したことがある。Hair and neils。まずは時差ぼけ防止もかねて、ついた日の午後に何かしなければ、とあらかじめネイルの予約を入れておいた。

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結構ネットで探して、サンプルの写真を見てデザインや色の感性がなんとなくピンとくる店を数件絞り、家から遠くない所、という事で選んだのが白金高輪にほど近いVivian Nailさん。とてもリラックスした空間で、自然におしゃべりしながら楽しく秋ネイルを施してもらいました。初めてだったけれど、施術してくださった方はかなりの実力者。やってもらったネイルが気に入ると、嬉しくて自分の手を見るたびに元気が出るよね

さてこれからの2週間、既にランチの予約はほぼ一杯になってしまったよ、、、その分今回は彼がいないから夜は出掛けずに両親とのんびりするかな。それにしてもまだまだ暑いね東京は、、、来る前に気になってた台風16号は着いた時にはもう力尽きてたけど、また次がやってくるらしい。来週大丈夫かなあ??

My night with Reg....Everyone's night??


ゲイの人たちの話は、普通のようで、やっぱり男女とはちょっと違うようで、でも現実味があって、デリケートだったりする
今回観てきた「My night with Reg」は、学生時代からの親友仲間の6人の男達、とはいってもゲイのお友達の話。

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3幕とも場所は同じ、時代設定は80年代後半頃か、、、ちょうどゲイ社会の間でエイズの恐怖が広がっていた時代だ。30代半ばでアパートを購入したガイが、久しぶりに昔の仲間を新居祝いに呼ぶ。学生時代の仲間達はそれぞれにたまに会ったり出くわしたりしてはいたものの、集まるのは12年ぶりだという事が会話で解る。

最初にガイのアパートにやってきたのはジョン。ガイはハンサムというタイプではないけれど、面倒見が良くて誠実な人柄なため、独り身ではあるものの、皆から姉のように(?)信頼されている。きれい好きで、性行為でも必ず用心を忘れない。台詞の中にエイズという言葉は出てこないけれど、ゲイとエイズの関係が社会問題になっていた時代背景が解る。恋人がいない事をからかわれながらも、実はガイは学生時代からずっとジョンに思いを寄せているのだった。でも彼の心が自分を振り向く事はないと知っているガイは、親友としてジョンの近くにいる事を選んだのだ。

ガイのアパートでテラスのペンキ塗りをしていた超ハンサムなエリックももちろんゲイ、その容貌に目を止めたジョンとの視線のかわし方で、お互いに「気に入った」のが一目瞭然。とにかくゲイの人たちは遠慮なく舌なめずりするような視線を気に入った男に向ける。
次にやってきたのはダニエル、彼は仲間のレジと恋人関係でもう長く一緒にいる。ひとしきりお互いの近況話が弾むが、ダニエルが帰っていくと、ジョンはガイに、実はレジと先日会って、一夜をともにしてしまった事を告白する。一方ガイはホリデーに行った先で無理矢理いやな男に乱暴されてしまった事を話す。なんの用心もなしに無理矢理された事でガイは深く傷ついている。密かに愛しているジョンからレジへの思いを打ち明けられて、ガイは親友として精一杯ジョンを抱きしめてやるのだった。

2幕はやはりガイのアパート、お葬式の後だと観て解る服装。レジが死んだのだ。2幕には1幕では登場しなかった仲間、バーニーとベニーもいる。この二人も長年のパートナーだが、荒っぽい性格のベニーに我慢強い奥さんのように寄り添うバーニーという、また違ったカップルの形を描いている。バーニーはガイにベニーに内緒でレジと関係を持った事を告白する。また、エリックはガイがジョンの事を愛しているのを見抜いて、「彼に本当の気持ちを打ち明けるべきだ」と肩を押すが、タイミングを失ってガイは言い出せない。そしてどうやらその場に登場せずに死んだレジという男は他にもあちこちで見境無く関係を持っていたらしい。エイズで死んだのは会話で解るのだが、どこから回ってきたのやら・・・・

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3幕目もガイのアパートだが、住んでいるのはジョンとエリックだ。ガイのお葬式の後。エイズで死んだと思われるガイは、最初に告白していた例のホリデーでのレイプで感染していたのだろうか、、、彼は死ぬ直前になって初めてジョンに長年の自分の思いを告白し、自分のアパートをジョンに残したのだ。(ちなみに3幕の前半はエリックとジョンは全裸で演じているのだけれど、もう本当に奇麗な体!!前向き写真はさすがに載せられないのが残念だわ、、、)そして会話を聞く私たち(観客)には、エリックも昔レジと関係を持った事があるのだと解る

またしても仲間を失った悲しみの中で、ダニエルはジョンに長年の疑問を問いただす、「レジと、関係があったんじゃないか、、、?」ダニエルにはずっと言えずにレジへの愛を隠してきたジョンだが、、迷った様子の末に言う「そんな事ある訳無いじゃないか!」

誰かを愛する気持ち、誰かの思いに答えられない現実、振り向いてもらえない一方通行の愛、パートナーに誠実であるという事、ちょっと目を盗んでアヴァンチュール、親友仲間としての友情、、そんなゲイにも男女にもどこにでもあるような恋の感情が、なぜか超ハンサムな男達で演じられるととても純粋に見えてくるから不思議だ。

この作者、Kevin Elyot氏は実は今年の5月に亡くなった。この芝居が初演されたときにはエイズが大問題になっていたし、実際私の同僚も、何人も仲間をエイズで亡くしてはその度にお葬式に行っていた・・・自分も検査を受けて、その恐怖に怯えていたっけ。それでもゲイの人たちは結構複数と関係する人が多い。堅実なカップルもいるけれど、派手な人たちのほうが目立っていた。

会話劇というのは、芝居の中で劇的な事が起こる訳じゃない。彼らの台詞の端々から状況が説明され、過去の出来事の話でそれぞれのキャラクターを埋めていく。この芝居はコメディーだ。初演時にはいろんな演劇賞を受賞している。台詞はウィットで、ユーモアがあり、「同性愛」という事での違和感や粘っこさは感じさせない。オープンで、皆が抱き合ってキスし合う男達の友情とその秘密が、コメディータッチで描かれていく。

ガイから寝耳に水の告白を受けてアパートをもらったジョンは、今はエリックと一緒にいるけれど、この二人もこれからどこへいくのか、、、??ちょっと切ない友情・恋愛劇だった。これって、日本では上演、、、されないだろうなあ〜〜、、??

ちょっとコミカル、「リチャード3世」


さて、書こうと思っていたらなんと!錦織選手がUSオープンの準決勝でジョコヴィッチを下し、日本人・アジア人初のグランドスラム決勝進出を果たした
これは凄い!本当に素晴らしい快挙だ。準決勝進出でも素晴らしい健闘、それでも「やっぱりジョコヴィッチが勝つんだろうな、せめていいテニスをして欲しい、世界NO1を相手にどこまでやれるか?」と思っていたら、本当に勝ってしまうとは・・・さらに、決勝相手は、これまた14シードながら第2シードのフェデラーを破ったチリッチ選手。両選手にとって大きな試合になる。決勝がどうなるのか楽しみだ!!

さて、7−8月は芝居を観ていなかった、、、久しぶりの舞台は「リチャード3世
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シェイクスピア劇はイギリスでは本当に様々な解釈、設定で上演される。舞台もオーソドックスな中世から現代まで、演じる役者も幅広い年齢で再現される事も多い。
私はどちらかというと現代っぽいシェイクスピアより、古典的な演出のほうが好きなのだけれど、それだけ彼の本は時代背景にかかわらず練り直しが可能な戯曲なのだ

今回の演出はJamie Lloyd氏。彼の演出作品は私の中では好き嫌いが分かれるので、今回はどんなもんか、、、と思っていたら、設定は70年代末の英国を反映させている。感心したのは、「知らない観客にも解らせる」という作りだ。リチャード3世の事を歴史的に知らなくても、シェイクスピアの芝居を全く観た事がなくても、それでも理解し易いように練ってある。

設定が70年代末というのは、英国人にとって解り易い背景がある。今でも時々譬喩されるのが78-79年の冬の英国の社会状況だ。当時の英国は労働党政権で、失業率は以上に高く、それでいて労働賃金は低すぎ、国民にとって非常に厳しい状況だった。とうとう労働組合が昇給率引き上げを要求して、ほぼすべての公共機関がストライキを行ったのが78-79年の冬の事。この冬はさらに気象もきびしく、大型の吹雪にみまわれて大雪や凍結でさんざんだった為、この年の冬の事を英国では度々「The winter of discontent」と表現される。これは「リチャード3世」の冒頭の台詞をかけたもので、(Now is the winter of our distontent, made glorious summer by this sun of York)今回の作品はこれを政治的背景に重ね合わせた演出だ。

このTrafalgar Studio は小さな舞台で、さらに今回は舞台後方にも観客を入れているため、役者が動ける範囲はとても狭い。その舞台が閣僚の会議室の設定になっている。開演前に舞台のセットをみて、「これは80年代、、?いやもうちょっと前だな」と解るように作られている。対峙した長いデスクの上にはピッポッパではなく、ジリ〜〜ン式の電話。デスクランプやタイプライター、始まる前からこれは80年代前の設定だと観客が解るようにできている。

登場したリチャードは、まだ国王になる前のグロースター公として軍服を着ている。
小柄な体にわずかに盛り上がった左肩。右手は全く動かさない。ひょこひょこと歩くわりにはいやに威厳をふりまいている様子はなんだかヒットラーのようだ。それでいて、Martin Freeman演じるリチャードは無慈悲で狡猾だ。フリーマン氏といえば、最近では映画の「ホビット」やBBCシリーズの「シャーロック」でのワトソンのように、温厚なイメージがあったけれど、シャープで鋭い目をしたリチャードをこれまた鋭い声で演じている

この芝居の中で、リチャードは王位に付くために、兄のジョージ、その2人の息子たちを殺させ、さらには嘘を吹聴して自分の王座に邪魔な者達を次々と排除していく。でも自分では手を下さない狡猾さは、むしろとぼけているような様子で、観ていてかなりコミカルだ。「死んだ」と聞いて素っ頓狂に驚いてみせる表情や、本当は喉から手を出して待っていたのに、いざ王位に付くとなると謙遜してみせたりする演技が冷酷というよりは滑稽なのだ。実際、いろんなシーンで客席からは笑いが起こる。それでいて非情・・・自分の都合のことしか考えていない。現代っ子風なキャラだ。

狭い空間に大きな会議用デスクが2つ置かれているため、演出上の役者の動きはとても緻密だ。本当に動ける場所が少ないのだ。でもそれを有効に使っている。ロイド氏の演出は血しぶきが飛んだり泥だらけになったりする事も多いのだけれど、今回も血しぶきがあがったりして、最前列の人は髪を払ったりしていた。ちなみに後で読んだゲネプロのレビューでは「1−2列目の人は劇場にクリーニング代を請求する必要があるかも」と書かれていたりしたけれど、そこまででは無いようだったので、少し抑えたのかもしれない。

バッキンガム公、リッチモンド公等、皆軍人の設定で、最後のボズワースの戦いは会議室での反乱のような形で銃やナイフでの争いになる。「これでどうやって最後の馬の台詞にもっていくのか、、?」と密かに思っていたら、これがうまい解釈だった

リチャードの最後の台詞は、元々は戦いで馬を無くし、泥の中で不利になったリチャードが「馬を!馬をくれたら王国をやるぞ!」と叫ぶのだが、会議室の中で銃を突きつけられての状況では無理がある

味方がいなくなってしまった中で、真っ向から銃を突きつけられたリチャードは、キョロキョロとあたりを見回し、逃げ場が無い事を見て取ると、「え〜っと、どうやって逃げようか?」という顔をする。誰にともなしに、「うま〜〜、馬もってこ〜い、かわりに王国をやるぞ〜〜」と言ってみるのだが、あえなく銃で撃たれてしまう、という最後だった。この「馬で逃げちゃおっかな」というニュアンスにまたも会場からはクスクス笑いが起こる。

台詞やト書きの行間をどう埋めるか、がシェイクスピアの芝居では無限の可能性がある。人としての心理、恋の激情も、憎しみも嫉妬も野望も悲しみも、それはいつの時代のどんな人にでも共通している。シェイクスピアの芝居が何百年経っても色あせずにいろんな形に姿を変えてよみがえるのは、彼が常に人としての情感の原点を突いているからだ

もしかしたら「私はそんなつもりで書いたんじゃないぞ!」とあの世の彼方で言っているのかもしれないが、だからこそシェイクスピアは英国が誇りにし愛している偉人なのだ




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