見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

January 2014


実はこの数日、ちょっとYoutubeを徘徊していた。私のMacはもう古過ぎて動画サイトをちゃんと観る事ができない。だからYoutubeも今はほとんど観ないのだけれど、音だけならちゃんと聞こえる

まだ小学生の頃に「学生街の喫茶店」で一躍人気者になったGARO, なんでだったか、友達が教えてくれて子供心にファンになった。最初は人気者グループという意識で好きになって、特に私はトミーこと、日高富明さんのファンだった。「君の誕生日」や」「ロマンス」で歌番組やバラエティー番組に出ている彼らを一生懸命見ていたっけ。今のようにネットなんてなくて、「明星」や「平凡」に出ていたアーティスト達のスケジュール情報をチェックしてラジオ番組なんかも録音したりして・・・

あの頃はまだ意識して「音を聴く」という事はしていなかったのだけれど、3歳からピアノと、小学生の時には一応YAMAHAの専門コース(4年間)で音楽教育を受けさせてもらっていたので、自分の中で「この音楽が好きだ」という感覚はあった。ファンになると凝り性なもので、彼らのデビューアルバムから遡ってお年玉でレコードを買い集めた。そしてなんとなく、表向きにヒットしていた曲と彼らの初期アルバムの曲の感じがかなり違う、という事は私にも解った。好きだったのは3枚目の「GARO3」とデビューアルバムで、家ではほとんどこの2枚を毎日リピートしていたっけ。後半期のアルバムでは「吟遊詩人」。「サーカス」はアルバムとしては面白く聴いたけれど、これも私がとても好きなガロとはちょっと違う感じがした。

彼らが解散した頃には私の関心は既にブリティッシュロックに移っていって、彼らのシングル「姫鏡台」が出た頃にはもうあまりピンと来る物を感じなくなっていた。結局その頃には彼らは大ジレンマに陥っていて、目指す音楽の方向性と売れ線に乗ったレールとが食い違い過ぎてやがて彼らは解散する・・・・

実に40年近く経った今、そのガロのマーク、こと堀内護さんがなんとGAROの曲と新曲を会わせたCD「時の魔法」をリリースしたとネットで知ってビックリ仰天した。ガロ解散後もロック路線に向ったトミーやプロデュースの仕事を続けていたボーカル(大野真澄)さんの事はちょくちょく耳に入っていたけれど、私が「今はガロの3人はどうしてるのかな」なんて思った頃には確かマークさんはオートテニス場を経営する実業家に転身していたのだ

驚いてマーク(堀内)さんのサイトを尋ねてみる。アルバム発売に伴ってインタビューなんかも見つかった。私にとってはまだ子供心にしか覚えていなかったガロが急に懐かしくなって音探しにToutubeをさまよってしまった
やっぱり彼らのハーモニーは凄い!
ライブでさえも崩れない。しかもこの3人は声質が3様に違う。その違った声が見事に重なって醸し出すコーラスはやっぱり特別なものだったと思う。3人共ソロで歌える力があったからこそのハーモニー

今聴いてみるとやっぱり当時=70年代の歌謡界というものに翻弄されてしまったGAROの音楽がよくわかる。売れなきゃ意味がない歌謡界で、自分達の音楽を貫き通す事ができなかった彼らのジレンマは、成功との天秤で揺れた事だろう。女の子達にキャーキャー叫ばれて歌謡番組に出ていても、「実はこんな歌、歌いたくなかったんだ」という彼らの声が聞こえてくるようだ

売れ線として発売されたガロのシングルの中で、私が一番好きだったのは実は「一枚の楽譜」だった。最初のギターのイントロがもうカッコ良くて、トミーのボーカルだったし、オリジナルのガロらしい曲では無い(作詞は山上路夫氏、作曲が村井邦彦氏)けれど、この曲はすごく耳に気持ち良くて、私の好きなだった。実はこのギターを弾いていたのは日高さん本人だという事を当時は知らないで聴いていた。子供だったもので、テレビでは生ギターで歌っている彼らしか見なかったから、レコーディングには別のミュージシャンがバックの音楽をやるのかと思っていたのだ。

今聴いて、なんだか胸が痛くなった。そうだね、トミーはロックがやりたかったんだよね、彼はギター青年だったんだから、そう、こんなギターをもっともっとかき鳴らしたかったんだ・・・・「姫鏡台」??はい、解散して正解です、って感じ。ガロ以降の日高さんをもう少し追っていれば良かった、、、そう思うとなんだか胸が痛む。でも私はガロ解散の頃はもうすっかりQUEENにのめり込んでいて、Led Zeppelin, Deep Purple、EL&P,あたりに10代後半を費やしたのだ。

今聴く、ガロ以降の日高富明さんの音、やっぱり好きだなあ〜〜。まあ、今聴くと確かにちょっと古くはあるけど、あの時代の音だね。もう一つ、彼の声そのものも音の一つだと思う。ちょっと高めの声で、音程の取り方もはずさずに高め。(低めの音は私の耳にはもの凄く気持ち悪い)ああそうか、こういう音楽をやりたかった人なんだね、、、ギターリストとしてももっと評価されても良かった筈だ・・・もうひとつ当時の私が知らなかった事、元ディープパープルのリッチー・ブラックモアのバンド、Rainbowの日本公演でトミーのバンド=Ma Ma Dooが前座をつとめていたそうだ。多分レインボーになって初来日の時かな。

実は私はレインボーの2度目の来日公演に行ったのだ。武道館のアリーナ席8列目だったのだけれど、始まって5分もしないうちにアリーナのパイプ座席はすべて踏み荒らされて、舞台に向って押し合いへし合いのまさに人津波。呼吸困難で圧し潰されるかと本気で怖くなって、押し寄せる人をかき分けて少し下がって非難したほどだ。そしてその数日後、札幌公演で女性が死亡し、コンサートでのセキュリティー体勢が大幅に見直される事件になったっけ・・・

マークさんの「時の魔法」のアルバムをMP3でダウンロード買いしようと思って、そうか、日本のアマゾンからはダウンロード購入ができない事を思い出した。視聴してみるとGAROの曲のアレンジも堀内さんらしいヴァージョンになっていて、多分売れ線を抜きにして彼らがオリジナルに作りたかった音に近いんじゃないだろうか。そして参加しているミュージシャン達の豪華な事 40年近くも経って、各々に活躍している人達がこのアルバムの為に集まってくれたというのは本当に素敵な事だ。マークさんの人柄なのかな。

時の魔法によって蘇った懐かしい曲達、そしてMark from GARO。でも、歌/音楽を蘇らせる事ができても、人の命を蘇らせる事はできないね・・・今頃になってやっぱり胸が痛む。日高さんが亡くなったニュースはロンドンに来てからだった。ビックリ仰天した。今のようにネットなんてなかったから詳しい事は解らなくて、「マンションから転落死、自殺?」という事だけしか私は知らない。36歳なんて、男の人が人生で一番カッコ良く活躍できる時だったはずなのに・・・ただ、ただ残念だよ、、、

ガロついでにYoutubeで昭和を徘徊。奥村チヨさんとか、広田三枝子さんとか、遠い記憶で実際にはちゃんと覚えていなかった人達をもう一度見てみると、やっぱり昭和の歌手の人達は「歌が巧い」。当たり前なんだけど、歌唱力/表現力が今の時代とレベルが違う。プロの歌手として売れるためには何ができなくてはいけないか、を厳しく教え込まれてきた人達だ。作詞家/作曲家の先生達の力が大きく、事務所やレコード会社の商戦等、本当に自分の歌いたい歌を好きに歌えた人はどれだけいたのだろう?それでも売れるために積み上げて来たプロの力は明らかだ

「マーク復活」とはいっても堀内さんだってもう64、、、時の魔法のプロジェクトの途中で大病をされて数カ月も入院し、麻痺してしまった手でギターが弾けるようになるまで数カ月のリハビリをされたとか。でもなんだかすごく嬉しいなあ、、マークさんがもう一度ガロの音を届けてくれた事が。あの3人でのハモリはもう聴けないけれど、彼らの音楽をよみがえらせてくれた事が

生きていてこその時の魔法だ。死んでしまったら、、、そこから先へは行かれない
日高さんが生きていたら、再びライヴでの時の魔法もあり得たかもしれないのに。やっぱり今さらながらすごく残念
久しぶりに大昔の自分に戻ってちょっと感傷に浸りながらのガロ徘徊の日々・・・


日本のドラマはそこそこ各クール2ー3本を観てるけれど、先週からはじまった「明日ママがいない」が物議をかもしているらしい
今クールは何を観ようかな、、とチェックしていた時には実力派子役達が主演のドラマという事だけれど特に興味があった訳ではなかったのだ。実は芦田愛菜ちゃんは名前はよく聞いていたけれど観た事がなかった。最近は彼女以外にも実力派と呼ばれる子役達が大活躍で、層が厚くなって来ているのは知っていたけれどね。昔から大人の役者が喰われるので苦手とするのが「子役」と「動物」といわれている・・・・家政婦のミタの本田望結ちゃんも巧かったよね〜〜〜

うっかりスルーしそうだったこのドラマを観る事にしたのは三上博史さんの名前を観たからだ。なんといっても主役じゃない時の三上さんは絶対に良いと決まっている。主役じゃない時は必ず面白い=三上博史ならではの役をやるからだ。そしてさらによくチェックしてみると監修は野島伸司さんだ。これは観なくては・・・!!

さすがは野島さん。脚本は若手の女性脚本家の松田沙也さんが書いているようだけれど、最初から野島ワールドが炸裂のドラマになっている。ちなみにこの本、よく聞いてるととってもセンスの良い台詞がそこここにちりばめられている。かなりエグイ雰囲気は否めないけれど、野島伸司さん監修のドラマはいつもの事ですよね・・・

と思ったらなあ〜〜んと!!実際の赤ちゃんポストを運営する病院から講義が出てしまって、おまけに放送中止まで要求していると聞いてちょっと信じられない。確かに現実とは違うでしょう。それはまともな頭を持って成長した人になら必ず解ります。ポストというあだ名が付いた女の子は赤ちゃんポストに捨てられていたから、という設定だけれど、この舞台になっている施設が赤ちゃんポストだとは出て来ていない。私は普通に観ていて赤ちゃんポストから廻ってここに入れられたのね、、と思っていた。何故実際の赤ちゃんポストがこのドラマに抗議するのか解せない

三上さん演じる館長は思いっきり不気味でワケアリな人物だけれど、別に子供達を虐待しているわけじゃない。確かにかなりエグイ事を言ってはいるけれど、よく台詞を聞いてください、嘘は言ってないでしょ、、、と思う。施設の子供達が、何かにつけて不公平に「これだから施設の子は・・・」と矛先を向けられるのは実際にはよくある事だ。不公平で残酷な、でも現実だ。親がいないというハンデを持った子達が世間で立派に生き抜いて行くには、館長の言うようなちょっとエグイ技も度胸もバネのような強さも必要なのだ。その台詞は決して絵空事の暴言じゃない。

喧嘩は先に手を出した方が負け、というのは昔から親が教えて来た筈の事。反抗的な目で反省の色が無い子はほっぺたをちょっとひっぱたく位の事は、昭和の時代には躾けの厳しい親ならやってきた事だバケツを持って廊下に立ってなさい!というのも昔の小学校の処罰の代表だったはず。むしろ懐かしい親の躾けで、暴力とも侮蔑とも思わなかったよ。これに抗議が来るという事が私には信じられない
それよりもちゃんとこのドラマを観たのか、と問いたい。子供達の力みなぎる演技を観て、むしろあまりのパワーに圧倒されそうだ。このたくましさでこれからどんな風に展開していくのか・・・

日本の本音と建て前というか、オブラートに包んだような曖昧さと言うものが、私は海外に出て生活するようになってからとてもクリアに見えて来た。核心を付く事を避けるのだ。「空気を読め」なんてまさにその典型。空気を読め馬鹿言ってないでちゃんと言うべき事を言えばいい。間違ってるなら即その場でいさめればいい事だ。だから個人同士での討論ができないし、人と違った意見を言う事すら怖くてできない人が多過ぎる。身体的な欠陥がある人にその事を口にするのはタブーだし、「デリケートな問題だから」と話題にするのを避ける。

ポール・マッカートニー氏と以前結婚していた元モデルのヘザーさんは、不幸な事故で片足を切断する事になってしまってモデルの道が閉ざされた。以前インタビュー番組に出演した際、スタジオの観客達の目の前で、スカートの裾を上げて膝からの義足をはずしてテーブルの上に乗せ、最近の義足がどんなに巧くできているか見せたのだ。日本だったら観てる方が「ひく」のだろう・・・

テレビドラマの設定が現実じゃない事が解るのは日本人が世界一と言われている。仮面ライダーやらアニメやらに囲まれて育った私たちは、子供の頃から架空と現実の区別ができるように大人になったはずなのだ。だから強烈なインパクトで社会をえぐるようなドラマを数々生み出して来た野島伸司さんの監修ドラマで、生真面目に抗議なんてしなくて良いのだ。むしろ、これからあの子達がどんな風に戦っていくのか、その子供達をとりまく大人達がどんな心の傷を持って大人になったのか、先の展開が楽しみだ

三上さん演じる館長も、愛情とまではいかないかもしれないけれど、私は決して冷たさは感じなかった。むしろ子供達一人一人をしっかりと見ているような気がする。貧しくても愛情深い新米里親の夫婦も、子供欲しさにちょっと精神を病んでしまった奥様も、施設の子達を偏見視するおつむの悪いママ達も、どれも実際に現実的なキャラクターだ。決して嘘じゃないと思う。

痛くても、核心を付いて人の裏側の姿をあぶり出す事で社会に問う。久しぶりの野島ワールドなドラマで、子役達の凄い演技合戦に釘付けになってしまう。やっぱり三上さん良い役だなあ〜〜!「実験刑事トトリ」も軽快で面白かったけれど、三上博史と野島伸司の相性はやっぱり抜群だ
中止なんてとんでもないでしょ、先が楽しみです



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新年最初の舞台はJude Law主演の「ヘンリー5世
2012年の12月からのマイケル・グランデージ(Michael Grandage)演出による5作品連続上演の大トリだ。シーズンチケットが売り出されたのは12年の夏だったから、なんと1年半前にチケットを買ったんだ・・・よく無くさないでいたなあ〜〜

シェイクスピアものの歴史劇というのは実はほとんどちゃんと舞台で観た事がなかった。これは前回シネマライブで観た「リチャード2世」もそうだ。実はシェイクスピア劇はほとんどいつでもどこかで上演されてはいるけれど、演出や解釈が本当に千差万別で好き嫌いが出てしまう。現代に置き換えたような衣装や設定でのシェイクスピアも沢山あるけれど、私はやっぱり歴史背景をちゃんと残してのオーソドックスな演出でないと観る気がしない。

そういえば前回ジュード・ロウが演じたシェイクスピアはハムレットで、この演出もGrandage氏だったっけ。彼の演出はとても解り易くて飽きがこない。セットは石垣状の壁を巧く使っている。(あれ?ハムレットも背景が壁だったような・・・?)衣装の色合いも明るい場面と暗い場面の両方で巧く色合いを出している。2役を演じている役者も数人いるので、衣装ですぐに違う人物と解るようにしているかんじ。

「ヘンリー5世」は国内での血みどろの王位争いとはちがって、フランスとの百年戦争の一部が舞台になっている。イングランド愛国心をあおるような勢いがある為、この国が戦争になると登場する事が多いという。ローレンス・オリビエの主演で映画化されたのは世界大戦の末期だったし、80年代のフォークランド紛争直後にケネス・ブラナーのバージョンで再び映画化、イラク戦争の時にも舞台上演されている。

ジュードはハムレットも良かったけれど、役としてはヘンリーのほうが合ってると思う。威張りすぎず、それでいてリーダーとしての風格を持った若き国王。百年戦争の中でも、イングランドが大成功を収めてフランス国王継承権を手にしたアジャンクール(英語読みはアジンコート)の戦い前後が背景になっているので、統率力のある勇ましい姿がとても似合う。台詞の流れがとても自然で、長い演説のようなくだりでも、ちっとも長台詞のように聞こえない。自分の中での感情をシェイクスピアの台詞にぴったり合わせて自然な言葉として語るには、どれだけ一言一言を読み込んで、自分の中に飲み込んでいくのだろう・・・??台詞の違和感が全くなかった

アジャンクールの戦いに出る際の、味方の士気を高めて激励を飛ばす名演説でのヘンリーも頼もしくて素敵だけれど、同時に終盤でフランス王シャルル6世の娘、キャサリン(=カトリーヌ)に求婚する際のヘンリーがまた、とても愛嬌があって笑える。この結婚は両国の和平協定としての政治的なものだというのは一目瞭然なのだけれど、それでもヘンリーのほうはキャサリンを見初めて結婚を申し込む。言葉の通じない彼女に国王の威厳をかなぐり捨てて求婚するヘンリーは、誠実でちょっと女性を口説くのは器用じゃなくて、でも一生懸命に気持ちを伝えようとする

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こんな愛嬌あるヘンリーを演じられるのもジュード・ロウ氏の魅力だね。ちなみにキャサリンをケイトを呼ぶあたり、今のケンブリッジ公(ウィリアム王子)妃と重なるものがあって、笑いを誘っていた。(結婚が決まってからはキャサリンと呼ばれるようになったものの、今でも国民からは昔ながらのケイトという呼び名で親しまれている)

一言でいうなら、国王ヘンリー5世の「イングランドよ、さあ行くぜ!今こそ手を取り合って共に戦い、勝利するのだ!」という激励のもと、それまでの戦いで消耗し弱っていたイングランド軍が、兵の数では約3倍ものフランス軍を見事に打ち破って勝利を収め、フランス王位継承権を認めさせた上、フランス国王の王女を妃として迎えた、というお話。今の時代になっても戦争の度にこの芝居が出て来るというのもうなづける。確かに観ていて気分が良くなってしまうのだ。愛国心がくすぐられる

ケネス・ブラナー氏の映画バーションでの戦い前夜の有名な演説シーンは鳥肌ものだとのレビューがあった。映画のDVDを観てみたくなったな。ジュードのヘンリー(ハリー)は愛嬌があってとても好感が持てる役作りだったけれど、ケネス・ブラナー氏はもう少し太いっていうか、重厚な感じのするヘンリーなんじゃないかな。シェイクスピア劇はどう料理するかでいくらでも面白くなるからやっぱり凄い・・・


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 というわけでまたまた新年がやってきた。今年の干支は馬という事だそうで・・・
長くこっちにいるとクリスマスのほうが新年より大きいので、年明けはあまり「お正月気分」になれないのがちょっと残念。2日からは通常通りで仕事だし。でも個人的にはやっぱり年の初めを新たな気持ちで迎えたいし、日本のお正月が懐かしくなる。
最期にお正月を日本で迎えたのはもう15年くらい前か、、、それだってその前10年位なかったし。この28年間で日本でお正月を迎えたのはあの時1度だけだ。日本のお正月を満喫するのは仕事をリタイヤしない限り難しいね・・

馬といえば、私の父が午年生まれ。そういえばよく夕食を食べ終わった時に「ああ美味かった(馬勝った)、牛負けた」と言って牛年生まれの私に向って勝ち誇ったような顔をしてみせたっけ。こういう語呂合わせみたいな言い回しって今の子供世代にも伝わっているんだろうか。そういえばあったよねえ、思いついた所で、、、

「結構毛だらけ、猫灰だらけ」
「驚き、桃ノ木、山椒の木」
「あたりきしゃりきのこんこんちきよ!


こんな言い回しが結構マンガの台詞にも使われたりしてたけど、今でも生きてるんだろうか・・?ちょっとググってみたら、こういうのを「地口」というのか、知らなかった。流行語というのとも違うなと思っていたので成る程。
考え始めたらあれこれと記憶の彼方から蘇って来る。じゃんけんの時の長いかけ声(=お寺の和尚さん)もあったなあ、

お寺の和尚さんがかぼちゃの種を撒きました、芽が出て膨らんで、花が咲いてじゃんけんぽん!

って、じゃんけんするのに長いよねえ〜〜で、それでじゃんけんした後に「はないちもんめ」や「かごめかごめ」で近所の子達と公園で遊んだ。まあこれは本当に低学年の頃の話。

でも高学年になってもみんなで一緒に遊ぶという事が多かった時代。今みたいに一人で部屋でスクリーンを観るなんて生活は無かったからね。「缶蹴り」「だるまさんが転んだ」「遠足縄飛び」・・・
知らない子供同士でも、その場にいる子は誰でも参加できて、一緒に遊んだよね。あ、これだって東京ど真ん中の話です、決して田舎の事では無くて

なんでだか、お正月気分を思い出しているうちにこんな小さな日本の事が懐かしく蘇ってくる。子供達同士が手をつないで遊ぶって私は凄く大切な事だと思う。テレビゲームやタブレットの時代で、電話さえもテキストのやり取りで実際に言葉を交わし合う事も少なくなってしまうのは、人としてコミュニケーションできない世代が増えつつあるという事だ。もちろん日本だけじゃない、世界的にそうだけど。

それでも人間って不思議なもので、それなりに新しいコミュニケーション手段を使ってやっぱり他の人との繋がりを求めて行くんだろうね。あの時1ー2回公園で一緒になって遊んだだけのつながりと、ネット上でちょっと会話をしてみたというのと、似たようなものなのかもしれない。公園のかわりにfacebookができたっていう事か・・・

今年は何もしなかったけど、切り餅くらい買って来てお雑煮でもつくればよかったかなあ〜〜。でも食べるのは1~2回でいいんだし、彼は食べないしね。切り餅パック全部はいらないので、結局無駄になるんだ。さすがにおせちは作れないし
早くリタイヤして日本のお正月を満喫できる身分になりたいもんだ・・・・何はともあれ、今年も健康で過す事ができますように




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