見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

June 2013

大波乱のウィンブルドン・・・!


夏が来ないままに、それでも今年のウィンブルドンは始まってる。やっぱりこの時期のロンドンはは盛り上がるよね。夕方からの試合は家に帰ってからでも途中から観られるし、ウィンブルドンの中継というのは独特のがあって、このボールを打つ音と観客の声援の音が芝生の緑に解け合った空気が本当にウィンブルドン特有なんだ

さてさて大波乱の3日目になってしまった。「魔の水曜日」とでも名付けようか・・?今日一日で棄権した選手がなんと7人!! いづれも各々の怪我の事情によるものなのだが、一回戦からコートで滑って転ぶ選手も続出していたため、「芝の調整が原因だ」と言い出す人まで出る始末。初日のナダール敗退のショックも冷めやらぬうちに、怪我に限らず2回戦までで姿を消したシード選手は、ナダール、そしてなんと現チャンピオンのフェデラー、イギリス期待の19歳に破れたキリレンコ、第3シードのシャラポワ、棄権したアザレンカ、男子のツオンガも怪我で棄権し、初日にナダールを破る大金星をあげたダルシスも結局棄権してしまった

一日で7人もの大量棄権者が出たのは45年のテニストーナメントの歴史の中で最高だそうだ。ちなみに芝の状態についてクラブ側はすぐにコメントを発表し、「芝の状態は例年と全く同じに厳密な検査をして手入れされており、たまたま何人かの選手が怪我で棄権した事は誠に残念ではあるが、コートの整備状態に責任があるものではない」としている。BBCで解説しているマッケンロー氏も「芝のコートが最初の2ー3日は滑り易いのは当たり前、プロなら皆知っている」とクールなコメント

それにしてもそんな波瀾の中をスイスイと2戦を勝ち抜いているアンディー・マリー。今年こそは、、、と期待がかかる。昨年の決勝での涙、そしてオリンピックでのリベンジ優勝、さらにUSオープンで初のグランドスラムタイトルを獲っていつの間にか世界ランキング2位になっていた。今回のウィンブルドンでも第2シード。ラッファとロジャーがいなくなってしまったという事は、どうしても決勝はジョコヴィッチVSマリーに期待してしまう。でもそうは一概に言えないのがトーナメント。今日の波瀾がまた他に起きないとどうして言えよう??

ちなみに日本の伊達公子選手も1回戦を勝ち抜いて、もし2回戦も切り抜けたらセリーナ・ウィリアムスとの対戦になるという組み合わせになっている。ウィンブルドンでのシュテフィー・グラフとの準決勝は1996年だったんだから、もう17年も前かあ〜〜・・・あの試合、よく覚えてる。確か1セットオールになった時点で暗くなっちゃって翌日に最終セットが持ち越されたんだっけ。今でも笑顔でテニスを続けている42歳、是非ともセリーヌとの一戦が観たいものです。彼女はダブルスにも出場してるんだね、生き生き42歳、素敵です!
男子の錦織選手も順調に2回戦に進んだ。実は彼の名前が「にしこり」と読むのだと先月初めて知った。順調にランキングを挙げている選手だから是非とも頑張って欲しい!!

ちなみに女子でキリレンコを破ったイギリス期待の19歳、ローラ・ロブソン選手、彼女は去年のオリンピックでアンディー・マリーとミックスダブルスで銀メダルを獲った。第10シードを破る金星を挙げて、ますます地元に期待がかかる。これからどこまで残れるのか、できる事なら後半(来週)まで応援していたいね。彼女はまだまだこれからの選手だから毎回のトーナメントで一つ一つ階段を上がって行って欲しい。可愛いんだよね〜ローラ・・・

これから週末にかけてはお天気のほうもちょっとアヤシイ感じ。これも選手達にとってはウィンブルドンならでの試練の一つ芝が滑るなんて言っているうちはまだマシかもしれないよね。毎年わずか2週間のイベントなのに、ウィンブルドンはこんなにも大きな夏の風物詩なのだ。今年はちっとも「夏」って感じじゃないけれど・・・・

6月20日・・・


ちっとも夏らしくならないから実感無いけど、いつの間にか6月20日になってたんだね〜〜
気が付いていたでしょうか、、、私が今使っているブログのテンプレート写真はベルサイユのプチ・トリアノン、マリー・アントワネットが愛したハムレットです。プチ・トリアノン宮は結婚した際に夫である王太子(後のルイ16世)から送られたもので、その後にアントワネットが回りに田舎風の農家や水車小屋などを作らせて実際に家畜を飼い、畑を作って小さな村でのプライベートな時間に浸ったというのは良く知られた話

そのプチ・トリアノンに出入りできたのは彼女が特別に許可した親しい友人達に限られていたため、その後、王妃は出入りを閉め出された貴族達から猛烈な反感をかってしまう。これがまた革命の際に平民と手を組む貴族が出て来る原因ともなったのだからなんとも皮肉な話だ

このトリアノンに出入りしていた王妃のお気に入りの友人達の中にフェルセン伯はいた。スウェーデン貴族で一部の歴史家達からは「王妃アントワネットの恋人」といわれているハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵。彼の生涯において今日の6月20日はまさに運命の日だった

今だからこそ、もう40年近くも前に大人気になった「ベルサイユのばら」の内容に、当時はまだ知られていなかった事実があった事が解っている。池田理代子さんのミスという事ではなく、当時はまだ明確な事が解っていなかった部分なのだ。6月20日についてのベルばらの誤記についてちょっと書いてみようか・・・

フランス革命において、6月20日といえば、1991年の国王一家逃亡事件で知られている(ヴァレンヌ逃亡事件)。この日、国王一家と王子/王女の教育係の6人がテュイルリー宮を脱出してモンメディーに向った。逃亡を計画、指揮したのは他ならぬフェルゼン伯爵だった。ベルばらではこの逃亡劇を国外逃亡としているけれど、実は国外へ行くという予定ではなかったのだ。あくまでもパリを離れて王党派の支持を得て再起を計るのが目的で、その逃亡先はモンメディーと決められていた。

フェルセンは実はその前の年から逃亡計画を持ちかけていて、実際に逃亡用の馬車は前年の暮れには注文されている。6人乗りのベルリン馬車の注文は遅くとも3月に間に合うようにと指定された。にもかかわらず逃亡計画そのものが6月まで伸び伸びになってしまったのはなんとも失敗だったと言って良い

逃亡は、人に知られず、闇にまぎれてコソコソと」が基本なのに、実際に逃亡計画が実行されたのは6月20日、ほとんど夏至の日というわけで、一年中で一番夜が短い時だ。日本ならまだしも、パリの緯度を考えれば夜は10時近くまで薄明るく、朝は3時半過ぎには明けてくるのだから、どんなに逃亡に不向きかが解ろうというものだ。

また、この逃亡に使われたベルリン馬車が豪華すぎた事も失敗の原因だったかもしれない。6頭立ての黄色に輝く馬車は調理器具もついた大型豪華馬車で、人目につき易い上に重過ぎて、時速がわずか10マイル程だったという。おまけに喉が渇き易い国王の為にワインの樽を4つも積んでいたというのだから、とうてい「すたこらサッサ」とはほど遠い

フェルセン自身が手綱を取ってバリの街から国王一家を脱出させたのは本当に大きな功績だった。「ベルばら」ではこの後に国王がフェルセンの随行を断ったようになっているけれど、実際にはかなり前の段階からフェルセン自身はパリを出たら国王とは別のルートで国外に出る手はずになっていたのだ。最初は彼も最期まで同伴したいと思っていたようだけれど、計画の初期段階から、彼は「万が一の為に国外へ逃亡して、諸外国の元首達に助けを乞う手紙を持参する」とう役目を負っていた。それでも律儀なフェルセンは、最期にもう一度国王に同伴を打診するが、国王は「計画通り、あなたは万が一の時の為に手紙を届けて下さい」と主張する。

このヴァレンヌ逃亡事件は本当に微妙な時間差で失敗に終ってしまった。あと40分あれば、歴史は変わっていたかもしれない。だからこそ、この逃亡事件の失敗をフェルセンが生涯悔やんで呪っていたというのも理解できる。実はこの日、パリから逃亡したのは国王一家だけでなく、その弟であるプロヴァンス伯(後のルイ18世)と夫人もそうだった。プロヴァンス伯のほうは、夫人と別行動を取っている。別の馬車で途中からはルートも変えてベルギーへと向う。彼等はパスポート上イギリス人という事になっていて、馬車もごく普通の目立たないものを使い、道行く先で出会った人達とも、わざとおかしなイギリス風アクセントのフランス語を喋っていた。そのため、全く気付かれる事なく無事にベルギーへ逃れている。後にナポレオンの失脚後にフランスに戻って王政復古をかかげ、めでたくルイ18世として即位したのだからこの古狸はたいしたものだ。彼は歴史上「フランス国王」として生涯を閉じた最期の国王という事になっている。

あくまでも生真面目で秘密理なフェルセンと、ちょっと芝居がかった古狸のプロヴァンス伯、、、、うまくやったのはプロヴァンス伯のほうだった。このヴァレンヌ逃亡に失敗した後のフェルセンの人生は本当にツキが無い。翌年の冬に危険を犯して再びパリに戻ったものの、ルイ16世はもう逃亡計画には同意せず、アントワネットも既に王妃として国王と運命を共にする覚悟を決めていた。この約10日間のパリ滞在期間中、フェルセンは愛人であるエレオノーラの処に隠れ住んでいた。しかも彼女のパトロンでフェルセンの友人でもあるクリフォードの目を盗んで彼等の家の屋根裏にいたというのだから、結構神経が太いというか・・・ちなみにこの1週間の愛人宅での隠れ家暮らしは、彼が実際に書き残した日記=ジャーナルによるもので、国王夫妻にには「1週間地方に行ってきます」と言ってるくらいだから、一部の歴史家達のいう、この時のフェルセンとアントワネットの不倫説はちょっと疑問がいっぱいだ

運命の6月20日、この時のヴァレンヌ逃亡事件が成功していたら、フランスの歴史は変わっていたかもしれない。そしてその後の国王一家やフェルセンの運命も・・・・そしてその日から19年後、まさに同じ運命の日にフェルセンは祖国で民衆達によって惨殺される。フランス革命後、祖国に戻ってスウェーデン国王に仕えていたフェルセンだったが、いまひとつ馴染みきれないものがあったようだ。真面目で秘密主義めいた彼は、いつの間にか「ちょっと古いタイプの堅物貴族」と思われがちだったようで、晩年は若かりし頃のきらびやかさを失っていく。地位的にはどんどん昇進していくのだけれど、居心地は良く無かったようだ

それにしてもね、、、本当に命がけの夜逃げの日が6月20日になってしまったのはなんといっても失敗だったよね。だってこんなに夜になっても明るいんだもの・・・・何が歴史を変えるかは本当に解らない。フェルセンだって、それから19年後の同じ日に自分が祖国の大通りで命を落とすとは知る由も無かったのだから

200年以上前の6月20日はもうちょっと暖かかったのだろうか、、、?今日みたいにおぼつかないお天気だったのだろうか、、?歴史の嵐に飲み込まれてしまった人達に合掌・・・・


Britain's Got talented foreigners


今年のBGT(Britain's Got Talent)で、初めて外国人が優勝した。今までにも外国籍の人もBGTに出て来てはいたけれど、セミファイナルレベルまで残っていたのはイギリス生まれ/育ちの人達ばかりだった。今回の優勝チーム、影絵ダンサーのAttractionは、ハンガリーのチームだ。国を越えて、人々に与えた感動がそのまま優勝に結びついたのだろう。私個人としては14歳の脳性麻痺を持ったコメディアン、ジャックに優勝して欲しかったけど・・・最初のオーディションは感動的だった!



Britain's Got Talentなのにブリティッシュじゃない人が出てもいいのか、、!?とも思うのだけれど、一応規定としては外国人でも英国内で仕事をしている=生活基盤を持っている人なら出場資格があるそうだ。今回は彼等以外にもオランダのヘンなロック兄ちゃんとかもいたし、前半のオーディション段階で結構笑わせてくれる外国籍の人達は今までにも何人かいた。でも本当に優勝したのは初めてだ

私もこの国に住む外国人だ。この国は外国人が住み易い。昔から世界中に植民地を持っていたからイギリス人でも人種はかなり混ざり合っているし、健康保険や社会保障制度が外国籍でも住んでいれば受けられるというので、「イギリス良い処、皆おいで」とばかりにやって来る人達もいる。けれど私は、外国人が増えるというのは、その国にとって伝統や文化崩壊の危機につながるといつも思っている

日本もイギリスも島国で、日本はアジアの中の小島、イギリスはヨーロッパの中の小島だ。でも住んでいる外国人の数となると、日本はまだまだ閉鎖的。でもだからこそ世界に名高い「日本人は礼儀正しく正直で綺麗好き」という評価を保っていられるのだ。今の日本だって昔と比べると大分変わっている。もちろん外国人だって増えている。それと同時に今までなかった犯罪や社会保障の不正申告がどれだけ増えたことだろう・・・

ヨーロッパがどんどん広がっていくにつれて、この国はどんどん落ちて行っている。イギリスに敬意を持たないずる賢い外国人が増えてしまったからだ。「イギリスに行けば仕事がある、住んでしまえば保険や保証が受けられる」とばかりにやってきて、そのまま福祉を横取りしてしまっている外国人のどんなに多い事か!!イギリスの伝統や文化を全くリスペクトしないばかりか、逆手に取るように狡く渡り歩く。そのあげくが、この国に生まれながらにしてのテロリストの育成だ

その国が好きで、その国の文化に触れたくて、その国の生活に馴染みたくて住んでいる外国人ばかりだった時代は問題なかったのだ。「郷に入っては郷に従え」を喜んで実践する外国人達は2世、3世になっても自然に英国人として溶け来んでいた。でも最近のヨーロッパ拡大に伴う外国人の乱入は明らかに違う。私が来た頃から考えても、私が好きだったイギリスらしさがどんどん無くなってしまった。特にロンドンは外国人が8割近くを占めている。イギリスに住んでいるとは言えないのかもしれない

今回のAttractionが外国人チームでありながら視聴者のサポートを得られたのは、彼等の奢らない「英国好き」がそのパフォーマンスに顕われていたからだと思う。最初のオーディションではストーリーはどの国でも共感できるものを使って、ロンドンのランドマークをふんだんに取り入れた構成だった。そしてファイナルでの彼等のパフォーマンスは、まるで英国人である事を誇りに思わせるような愛国的なプログラムだった。彼等としては「Thank you, Britain」という思いを込めたと言っていたけれど、それがそのまま視聴者に素直に受け入れられたのだと思う。外国人からの「イギリスが好きですよ、この国でパフォーマンスできて嬉しいです、ありがとう」という奢らないメッセージが感動的なパフォーマンスと共に伝わったのだ。



イギリスは外国人に寛容だ。でも本当はもっと厳しく無くてはいけないと思う。最近はEUから距離を置いた方が良いという官僚達の意見も出て来ているし、今のイギリスは外国人を受け入れている余裕など本当は無いのだ。スイスのようにEUにも加盟せず、独自の軍隊と7人の首相を持つ国は、外国人を牽制しつつ、それでいて観光客は大歓迎、高い物価は観光客の落として行くお金を増やし、それを自国民に還元する。国民の生活満足度はダントツに高い。日本も今はまだ外国人に侵略はされていない。今のうちだ日本よ、自国民を守れ!

それでも低姿勢でイギリス愛好精神を見せてくれる外国人には相変わらず寛容なこの国が、やっぱり私は好きだ。本当ならBGTからは外国籍の人などシャットアウトしてしまえばいいのに、素晴らしい物は素直に素晴らしいと誉め讃えて優勝させる、本当にイギリスらしいんだよね。だからこそ、Attractionの人達の低姿勢な態度に好感が持てた。今年は本当にレベルが高かったよ。15歳未満のシンガー達はこれからが本当に末恐ろしいくらい楽しみだし、準優勝だったコメディアンのジャックだって、本当にこれからの活躍は計り知れない。多分今までのBGTで一番の高レベルだったと言って良いと思う



「David Bowie is」ーヴィクトリア&アルバート博物館



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20年以上ぶりか、V&A(ヴィクトリア&アルバートミュージーアム)に行ったのは・・・
ロンドンに来た頃は何度も行ったのに、今は北に住んでるので、ウェストエンドよりさらに西/南にはとんと足が向かなくなってしまった。本当は大好きなエリアなんだけどね、サウス・ケン(South Kensington)

さて行って来たのは、デヴィッド・ボウイー展。今年の初め(彼の66歳の誕生日)に10年もの沈黙を破って突然新しいシングルを発表し、さらに3月にはアルバムも配信販売するというニュースでビックリ仰天させてくれたボウイー。業界関係者の中には、ボウイーのオフィスからメールが来てるのをみて、「死んだのか!?」と思ってしまった人もいたそうだ。私が今まで彼の事をブログに書かなかったのは、とにかくこの10年話題が無かったし、書くとなるとあまりにも歴史と思い入れが多過ぎて書けなかったから。でもMy Artistsの筆頭に挙げるのはこの人なのです

実は私はボウイーのキャリアの後半から追いついた世代だ。彼を世に知らしめた「Space Oddity」やその後のグラムロックの代表となるジギー・スターダストアラジン・セインの頃はリアルタイムでは知らなかった。クイーンやレッド・ツェッペリンに夢中になっていた70年代半ば頃も、もちろんDavid Bowieの事は知っていたけれど、当時彼はアメリカに住んでいて、丁度ドラッグ中毒でヘロヘロになっていた頃だ。私が初めて彼に追いついたのはニコラス・ローグ監督の「地球に落ちて来た男」という映画と、その後のアルバム「Station To Station」からだった。ドラッグで、いつ死ぬかという状態から抜け出し、ヨーロッパに戻って再生した彼は80年代に再びピークを迎える。この頃からが私のリアル世代だ

このエキシビションは3月から6ヶ月間開かれていて、チケットは毎日入場時間が15分毎に決められている。半年間のチケットはすべて売り切れで、当日券は毎日数百枚が出るらしい。何故入場制限があるのか、行ってみて納得。入り口で全員にイヤホーンガイドが配られる。さすがは21世紀、、、このガイド、会場内を歩くうち、各々のスポットの前に立つと自動的に解説が入るようになっている。順番という事ではなく、後からまた戻っても先へ飛ばして進んでも、ちゃんとそのスポットでの解説が流れるのだ。インタビューやステージショットも多く、どうしても各所で立ち止まる時間が長くなる。入場してから10m程進むのに15分くらいかかる・・・

来ている人達の年齢層がとても広い。老若男女とはこの事だ。でもやっぱり圧倒的に多いのが40~60代だろうか。ボウイーになりたくてなれなかった苦い青春を過したかのような男性達や、70年代のジギー・スターダストのコンサートで泣き崩れながら叫んだ少女時代がありそうな御婦人達・・・そして彼等の孫か、、?と思うようなまだ10代になったばかりの子供達まで。みんなひとつひとつのコラムを時間をかけて見て行く。書かれた解説を端から端まで読み、展示物をしげしげと見つめ、随所にあるVDUスクリーンの前に立ち止まって見入っている。だから進むのに本当に時間がかかるのだ・・・

有名になる以前のアコースティック時代から、グラムロック時代、アメリカ時代、ベルリン時代、そして80年代のポップな時代、その後のバンド時代、そして熟年の90年代、、、、彼が生み出して来た世界のなんという幅の広さ 音楽だけでも一人のアーティストとは思えないバラエティーだ。そして彼の凄いところはその発想のひらめき。他の誰もデヴィッド・ボウイーのようなキャリアも持った人はいない。作詞、作曲だけでなく、ステージでのビジュアルや表現するための手段とカリスマ性は稀少な才能としかいいようがない。ダンスやマイムから学んだ表現力は後に役者としても活用される。実は私は役者の彼が好きだ

ちょっとした言葉の組み合わせで面白い語ができると、そこからもう歌が一つできあがってしまうくらい想像力が膨らむ、と本人が言っている。そしてそれを表現するために自分を別の人格にしてしまう事も厭わなかったチャレンジ・・・コカイン中毒で何度か危機を迎えながらも彼は生き延びて、エネルギーに溢れて復活する。彼はサバイバーだ。
今回10年ぶりにアルバムを発表したのだって、誰も予想もしていなかった。まったく情報漏れのなかったビックリニュースでいかにも彼らしい。

展示会場の最期はちょっと広いスペースの3方が天井までのスクリーンで、いろんな時期のコンサートの一部を流している。みんな歌に合わせて体を揺すったりちょっと口を動かして一緒に歌ったりしているのだけれど、音はあくまでも全員のヘッドホンで聞こえるだけなので、ヘッドホンをはずすと沢山人がいるスペースに音楽は全く流れていないのだ、変なかんじ・・・ここには座れるようにベンチがあって、立ち疲れたせいもあって、みんな結構長く座っている。

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隣のコーナーは彼が出演した映画/舞台を、作品毎に3ー5分くらいずつ映像を流している。「戦場のメリークリスマス」のポスターもあって、処刑の朝、マイムで髭を剃るシーンをやっていた。貴重だったのが、ブロードウェイで彼がメリックを演じた「エレファント・マン」の一部。これは見た事がなかったので嬉しかった 
数々のコンサートでの衣装の展示や歌詞の書き付け、ツアーの照明プラン、ビデオの絵コンテのスケッチ、ボウイー自身の膨大な量の手書きの資料が並ぶ。写真でしか見た事なかった彼が描いた三島由紀夫のポートレート(油画)も。
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実は特に新しい物があったというわけではない。彼の歴史、歌詞の制作過程、衣装、インタビュー内容、それらはファンならば皆知っている。知っているのだけれど、それでももう一度見入ってしまう。絶対無二のアーティストが40年の間にやってきた事は膨大なアイデアとインスピレーションに溢れていて、時代がいくつ廻っても追いつかないんじゃないだろうか・・・結局私は2時間半も会場にいた。その後はショップでここでも20分程うろうろしたから、なんと一つの展示会に3時間。お腹が空くのも忘れていた。

それにしてもちょっと気になるよ、、、アルバムを出してこんな大掛かりな展示会があって、、、なんだかこれが本当に最期なんじゃないだろうかって。最近テレビやラジオで彼の特集番組がいくつもあったけど(若い世代は多分デヴィッド・ボウイーを知らないからか?)、リアル番組でのインタビューとかは全くやってない。本人が表に出て来ないのは何でだろう??去年のオリンピックの開会式も、演出のダニー・ボイル氏が直談判で頼んでも出るのを断ったそうだ

でも彼はDavid Bowieだからね、まだ何か企んでるのかも・・・
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