見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

May 2013


今年もいよいよセミファイナルに入っているBGT=Britain's Got Talent
最初のジャッジオーディションで「Yes」をもらった170以上の演目から絞り出された45組がファイナルへの出場をかけて勝ち残る。毎日9組ずつに別れたグループからその日の上位2組がファイナルに進める。毎年思うのだけれど、この時点での組み分けがホントに微妙だ。その日の組み合わせが違っていたら選ばれる2組も変わってくるからだ。でもやっぱり見ていれば上位3組は自然と解るというもの

さて、今年はお子様パワーが凄い事になっているのだ。まずこの3日で選出された6組のファイナリストのうち4組が14歳以下,とりあえず「大人」いえるバンド(Luminites)のメンバーだって、平均年齢19という事だから、もう十代タレントのオンパレード。この後の組にも15歳以下でかなりいけそうな人もいるから、最終のファイナリストの顔ぶれがどうなる事やら楽しみだ。今年はシンガーが結構熾烈な戦いになると思ったけれど、14歳で脳性麻痺のあるコメディアンの子が素晴らしい才能を発揮している。車椅子でステージに出て来て「君の事を話してくれ」とサイモンにいわれると即座に「プロの体操選手です」と返して爆笑を誘った。障害がある自分の事を反対にネタにしてしまうあたりはイギリス人が大好きなジョークなのだ。14歳とは思えないマチュリティー。コメディーのネタもすべて自分で書いているという

若年シンガーで驚きなのはこの子、11歳のアレキサンドラ。顔を見ないで声だけ聞いてるとどんな大人が歌っているのかと思いきや・・・・


他にもシンガーソングライターの13歳の子もファイナルに進んだ。近年はポップスターばかりでアーティスト不足のイギリスに未来をもたらしてくれる次世代の才能・・・

ダンスでは今日のセミファイナルの2位と3位になった対称的な二組がどっちも勝たせたかったなあ〜。一つは35歳のソロのダンサー。一人でクラシック/ジャジーなダンスを舞台いっぱいに繰り広げ、これぞロイヤルバラエティーショウにピッタリ!という感じだった。(もう一度確認しますが、このBGTの勝者は秋に女王/ロイヤルファミリー列席で行われるロイヤルバラエティーパフォーマンスというショウに出場できる)
僅かにお子様ダンスチームに破れて3位となり、決勝進出にはいたらなかったけれど、ソロダンサーでステージを持たせるというのはなかなか凄いよね。で、その彼を押しのけて決勝に進んだのがなんと、年齢5歳から9歳の子供達で構成されたその名もPreSkool



まだ学校にも行ってない子達よ〜・・・!靴が可愛い 初日のセミファイナルで惜しくも3位だったチームも8歳から14歳で構成されていて、彼等も人数多いのに素晴らしいシンクロダンスだった。本当に今回のBGTは15歳未満満載なのだ

そして今日やっと大人と呼べるLuminitesというストリートバンドがファイナルに残った。それでも若いよね、一番上が21だそうだから。彼等はロンドンでバスキングをやっていた個々のメンバーをマネージャー氏が見つけて来てオーディションで結成したストリートバンドだそうだ。ちょっとユニークで、彼等はまたいかにもロンドンらしいバンドと言える。バスキングだけでなく、小さなクラブや学生ギグに参加してりもしていたらしい。



セミファイナルもまだ半分。もうちょっとバラエティーが広がっての決勝になるかな。去年は踊る犬だったし・・・今週はこれで楽しめそうだわ


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私達の結婚には3人が絡んでいたんです、ちょっと混み合ってしまいました

1995年にBBCの番組でそう語ったのは亡きダイアナ元皇太子妃だ。今回観た芝居「Passion Play」は、結婚して25年、これまでお互いに誠実に暮らして来た夫婦のお話。子供達も大人になって家を出て行き、夫のジェイムスは絵画の修復士、妻のエレノアは歌唱指導をしながら堅実に暮らしている、ところがその2人の間に突然割り来んできた3人目・・・

ジェイムスは特にハンサムというでもなく、男としての性的魅力があるわけでもないが、良き夫/父親として真面目にやってきた、どこにでもいるごくごく普通の中年男。ところがある時、友人と同居しているケイトという若くていかにも肉食系のセクシー美女が、ジェイムスに猛烈な誘惑をしかけてくるのだ。その手の誘惑に慣れていないジェイムスは始めはとまどったものの、ケイトのほとんど体当たりの誘惑に打ち勝つ事ができず、とうとう結婚以来初めて他の女性と関係を持ってしまう・・・

正確な年齢は出て来ないけれど結婚25年くらいといえば夫婦共に40代後半から50近くといった年齢だ。ミッドライフ・クライシスを感じつつあるジェイムスが、セクシーダイナマイトなケイトから迫られてとうとう降参してしまうあたりから、「これは単なる冒険的快楽であって、愛情を伴う浮気ではない」と開き直るあたり、かなりコミカルで笑いを誘いながら話は進んで行く。40代も過ぎると夫婦の性生活も若い頃とは違って来る。それでも愛し合っている事には変わりない夫婦の会話は見ていて現実味がある。そう、1幕では確かにこの芝居はコメディーなのだと思った

ところが、エレノアが彼等の関係を知ってしまってから、少しずつ不安定な揺らぎを帯びて行く。浮気がバレた時の夫婦の争い、、、これは回りが見ると滑稽なようだけれど、当人達にとっては人生の重大な分岐点なのだ。「愛情なんかじゃない、ちょっと冒険的な刺激が必要だっただけだ」と言い張るジェイムスに、エレノアはケイトとは完全に手を切るように主張する。ところがこれがミッドライフ・クライシス男の決定的な弱点で、ジェイムスは実はケイトとの情熱的なセックスに溺れてしまうのだ。そもそも夫婦ともに知り合いでありながら、ケイトにはエレノアに対する罪悪感や遠慮は全く無い。男を絡めとって虜にさせる、魔性の女タイプなのだ。

芝居ではエレノアとジェイムスの影の声=本音を吐く倍音としてネルとジムが登場する。表向き=生活を維持するために必要な言動を取るエレノアとジェイムスと同時に、ネルとジムは彼等の本音や妄想を見せるという二重芝居の手法で夫婦の葛藤を描いている。ケイトとは手を切ったと思っていたのに、その後も関係が続いていたと知ったエレノアはだんだん不眠症になり、薬を大量に飲んで自殺未遂か(?)というところまで追いつめられてしまう

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結婚するより離婚するほうが大変だ、ときっと結婚している人は思っているはずだ。(私もそう思う)
これは結婚生活が長くなればなる程難しいに違いない。いっその事夫婦関係が完全に冷えきって、お互いに愛情のカケラも残らない状態になったら楽なのだろう。でも余程憎み合ってしまった関係でない限り、長い人生を伴侶として歩いて来た人を断ち切るというのは、容易に決意出来る事ではない。エレノアも、ジェイムスの浮気に深く傷つき、彼を愛しているのに、一度裏切られた妻としては猜疑心を振り払う事ができずに苦しむのだ。

それでも2人は「愛し合っている夫婦」であり続ける。エレノアの心は抜け殻のようになりながらも彼の妻であり、相変わらず歌唱指導の仕事もこなしている。ジェイムスはオーバードーズで死にかけた妻に変わらぬ愛を誓って側に付き添いながら、それでも肉の誘惑に打ち勝てずに身体だけの関係を続けている。ネル(ネリーの本心)とジム(ジェイムスの本心)はこの2人の心の内を吐き出し、一度「裏切り」という亀裂が入ってしまった2人がもう二度と元の関係には戻れなくなっている事を暴露する

ちなみにpassionという語には、「激しい情熱」、「抑えきれない欲望」という意味合いと同時に、十字架にかけられたイエスキリストの「受難」という意味がある。そして、劇中でジェイムスが修復を手掛けているのが、キリスト受難の絵=Passion of Christ だ。セクシー美女との情事で若返ったようなジェイムスのパッションと、心を閉ざしていくエレノアのパッション、、、

 80年代は、ヤッピーや、ディンキー(共働きで子供のいないリッチで自由なカップル)、セフレなんて言葉も生まれた時代。ジェイムスの主張するこのセフレの関係を皮肉る意味もあったんだろうか、、? 「夫婦でなかったらとっくの昔に別れているだろうな」という数々の出来事を、それでも一緒に乗り越えて行くのが夫婦なのだ。でも、どこまで? 離婚というものが法的に存在するからには、どこまでを我慢の限界にするのか?どこで離婚という線をひけばいいのだろう?
愛情が無くなって、お互いに一緒にいるのが苦痛になってしまったら仕方が無い。あるいは暴力とかで実際に精神的/肉体的な危険がある場合も線は引き易い。でもまだお互いに夫婦でいたいという情が残っているとしたら、パートナーの浮気にはどう対処するべきなのか、、、?

病める時も健やかなる時も」という結婚の際の誓いは、実はとても重いのだ。私だってあの時はそれ程深く考えずに、結婚する嬉しさと勢いみたいなもので、「誓います」と言ってしまったけれど、後になって「ああ、あんな誓いたてなきゃよかった」と思う事も何度もあったよ・・・

このジェイムスのように、はっきりと愛情ではなく単に刺激的なセックスに溺れているという関係の場合、もっとやっかいだ。夫婦揃って婚外交渉を楽しめるような2人なら問題はない。でもエレノアは違う。彼女は傷つき、猜疑心にかられ、心の穴を埋めきれずに睡眠薬に手を出してしまい。身体は回復しても心は抜け殻のようになっていく・・・「愛しているのは君なんだから」という男の身勝手な理論は許せなくもあり、でもとりあえず、エレノアには今でもケイトとの関係が続いている事は決して悟られないように嘘をつき続けるのは、彼が夫婦を守りたいと思っているからでもある。

演出的にはもうちょっと違ったパターンも見てみたいと思った。セットは白い部屋に、アクセントの真っ赤なソファ、そして場面によって役者の衣装や小道具で色が付く。この芝居は81年が初演だったそうで、今回はもう少し現代に近い感じにしたかったのだろうか。私としては音楽がとても耳についた。というのも、のっけから開演と同時に大音量で響き渡ったのが坂本龍一さんの「1919」だったのには度肝を抜かれた。その他、ヘンデルやバッハのバロック音楽を使ったかと思うとレッド・ツェッペリンンがかかったり・・・坂本教授の「美貌の青空」は繰り返し使われていた。効果的か?、、、というとちょっと噛み合ってないような気もしたのだけれど、私個人的に好きな曲が節々に使われていたので、ちょっとヘンな感じ。

コメディーで始まった芝居だけれど、最期はちょっとイタイな〜、、とため息が出る妙にリアルな怖さがあった。日本では未上演だと聞いた。日本人はセックスネタに笑えない人種だからなあ、、、でも現実味のある芝居だから面白いのに。主演の2人は定評ある実力派だ。でも演じる役としては倍音のネルとジムが面白いかも。それとケイト役の女優の身体の眩しい位に綺麗な事!!
あれじゃあ、免疫のない男はイチコロで溺れても無理ないわ〜〜・・・


せっかくのホリデーだというのに怪我人の世話がなんだかんだとかかる毎日・・・せめて映画でも観るべ、、と思って近所の映画館をチェックしてみる。せっかくだから平日の昼間、安い時間で人が少ない時がいいなと思って「何をやってるのかなあ〜?」と、15もあるスクリーンの演目をつらつらと見て行くと、なんと一日に一回だけの上映というちょっとシケた感じの映画があるよ。金曜・土曜は朝11:15と夜21:30の2回だけれど、それ以外の日は朝の11:15一回だけの上映だ。きっと思い切りマイナーな映画か限定上映なのかな、と思って通り過ぎようとした時、そのポスターの絵柄に目が止まった。
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あれ?って思ってみて見ると、タイトルはDragon。でもポスターの写真に映っているのは金城武さんだ。っていうか、去年公開されたという映画のポスターにあった金城さん扮するキャラクターの顔だった。でもDragonなんて映画だったか?・・・チェックしてみると、原題は武侠(Wu Xia)、日本公開時のタイトルが「捜査官X」というやつだった。それにしてもこれがさらにDragonって・・ でも久しぶりに金城さんを観に行こっという事で行ってみた。

いやいやこれが、思ったより見ごたえあったのでした
それにしても邦題の「捜査官X」も英語題の「Dragon」も的外れてるよなあ〜〜 やっぱり原題の「武侠」が一番やっぱりハマっている。実はこれ程本格的なアクション映画だとは思っていなかった。金城さんが演じるのが素朴な事件捜査官と聞いていたので、ピーター・チャン氏の映画だからヒューマンドラマ色が強いミステリーものかと勝手に思っていた。主演のドニー・イェンという人の事も全く知らなかったし・・・

素朴な田舎の村で起こった強盗事件、たまたま現場に居合わせた実直な紙製職人が無我夢中で自己防衛の為に手足を振り回しているうちに強盗を退治して(死なせて)しまったという事で、一躍村の英雄になる。でもこの事件を調べに来た捜査官シュウは、素人の自己防衛ではなく、武術に長けた人物による的確な致命攻撃だったのではないかと疑問を持ち、村の英雄となったジンシーを問いつめていく。やがてジンシーから彼は殺人犯として10年服役していた前科があり、新しい人生を求めてこの村に落ち着き、家庭をもったのだという告白を得る。昔、子供だからと見逃してやった犯罪人がやがてもっと惨い殺人事件を起こした現実を体験していたシュウは、法による正義というものにあくなき執着を持っていた。その正義感ゆえに、 不正を働いた義父を自殺に追いやり、妻との間に取り返せない溝ができてしまっていたのだ。

最初は正義を追うシュウと新たな人生の幸福を守ろうとするいわば、ジャン・バルジャンとジャベールのような話かと思った。ところが話が進むにつれてもっと重くなって行く。ジンシーは実は72 Demonsという暗殺集団のナンバー2でボスの息子でもある=タン・ロンだったのだ。人情のカケラもない父と一団にそぐわず、穏やかな生活を求めて素性を隠してこの村に落ち着いたのだった。妻のアユーと2人の息子とのかけがえの無い生活を守りたいジンシー。そして行方をくらましていたジンシーの所在を知った72Demonsとの命がけの戦いが始まる。この一連のアクションシーンはドキドキする躍動感とスピードに溢れていて、ハラハラ/ドキドキ感で盛り上がった。父と子の絆とすれ違い、拭いきれない過去と切望してやまない新たな人生。無敵の武術の達人も自然の力の前にはあっけなく終焉を迎える結末

アクション映画でありながら、ミステリー仕立てで、各々の立場でのヒューマンドラマになっている。金城さんはこの役では語り部的な脇役と言えるけれど、その素朴な存在感がアクションシーンの躍動感と良いコントラストになっている。ちょっととぼけた金田一のようで、実は医学的検証をもとにジンシーの正体を見抜いて行く。正義を曲げないという自分の信念とは裏腹に、金次第でしか動かない捜査上層部へ不信感を抱いたシュウは、ジンシーを72Demonsから逃がすために危険な賭けを持ちかける

中国映画が海外でヒットするにはやっぱりじっくりと重みのあるヒューマンドラマか、徹底したアクション・エンターテイメントのどちらかが必要だ。この映画は一時間半という小振りな時間の中にその両方とさらにミステリーが加わっていて楽しめる。期待してなかったのでちょっと得した気分だわ。田舎の村の素朴な暮らしの様子、そこに住む大人、老人、子供達。チャン監督の出す画面内の空気のメリハリがすごく良い。のどかさ、混乱、大アクション、不気味な危機感、ストーリーのメリハリと同時に各キャラクターのメリハリでもある。主演のドニー・イェンは、素朴な村人としての顔と殺気を出す時の表情が画面の空気を変える

チャン監督は何度も金城武さんを起用しているけれど、彼の金城さんの使い方はいつも巧い。実は私は金城さんは日本映画での彼がとても好きなのだけれど(「死神の精度」「リターナー」「不夜城」「K−20」等)中国映画ではピーター・チャン監督作品での彼がいつも良いなと思う。金城さんの持つ空気を画面に溶け込ませるのが巧いのだ

それにしても忘れてたよ、、、中国映画の英語字幕は地獄の早読みを課せられるのだった・・・シュウが昔逃がした子が後で殺人犯になって、その後にシュウ自身が自分に鍼を打って、、、ってあたり、ちょっと不明な点が・・・ミステリータッチに乗っ取って、自分で「こうなのかも、、、」なんて考えてる間に字幕はビュンビュン飛んで行くのだった!

休みの間にネットで映画でも観るかな〜



先週末はこちらは連休、(あ、日本もか?)そしてさらに私は週末から10日間のホリデーを取っているのだ!実はこれといった予定を立てていたわけじゃないんだけど、10日のうち2ー3泊でうちの彼とボーンマスの義弟の所に行こうか、といっていた。ホントだったらまた一人でパリ、、がいいんだけど。

ところがなあ〜んと、凄いタイミングで信じられない出来事は起こるものなのだ

土曜日に自転車で出かけたうちの彼、あちこち回っているうちに迷ってしまい、あげくにとんでもないところまで行ってしまったと電話が・・・・それでもまあそのうち帰ってくるだろうと暢気にかまえていたら、11時を過ぎて今度は「ちょっと怪我して救急車で病院へ行くから、自転車を運んでもらうようにキャブを頼んでくれ」という、、!!。どうやら肩を骨折したらしい。

以前にも書いたけれど、ただより怖いのがイギリスの国民健康保険制度=NHSだ。今からA&E(救急)に運ばれてもどうせドクターに診てもらえるのは普通3ー4時間後なので、気分的には眠れないけど起きていてもどうしようもないからソファーで横になって待つ事にした。彼が自分で電話してきたのと、自転車を引き取って家まで運んでくれたキャブの運ちゃんが「大丈夫みたいだったよ、ちょっと肩を擦りむいた感じかな」と言っていたので、まあ心配する程ではないと解っただけでもラッキー。この運ちゃん、a few scratchesという言い方をしてくれた心遣いがニクい。擦り傷だけで救急車で病院へは行かないと解ってるのに、私が心配しないようにクールに言ってくれた

肩を骨折しているという事で、最初は「ピンを入れる必要があるから手術で3日程かな」と言ったらしいのに、その後しばらくして戻って来た時は、「火曜日の朝にもう一度来て下さい」と言われたそうな。とりあえず三角巾で腕を吊ってくれたものの、ドクター自身は三角巾の巻き方が解らずにこれまたジュニア看護士みたいな人に聞きながらだったらしい。それが全然サポートになってなくて、ちょっと身体を動かすにもあまりに痛いので、彼は自分で腕が楽になるように安全ピンでひだを作って吊り直していた。

で、3日後のアポイントの時間に行ってみると、、、、まあなんと凄い人だこと!!
連休中に怪我をした人がこんなにいるのかい・・・とびっくり。どうも皆似たような感じで「火曜日に来て」と返されたのかな。ボードを見ると今日の係のドクターは2人。それで「新規58人、フォローアップ19人」って書いてある。ひえ〜〜、、どうりでこの混雑、ドクターに会えるのはいつかしら、、、???

待合所は狭くて天井が低くて窓が無く、この日はちょっと気温が上がったせいでやたら蒸し暑くて息苦しい。おまけに、この科に来た人は皆骨折してる人ばかりなのに椅子の数が全然足りない。自然と、腕が折れてる人は足が折れてる人に席を譲る、、、みたいな感じになる。うちの彼も肩だし、私は付き添いなので2人で壁際に立って待つ事50分、やっと名前を呼ばれた。付き添って来た私は元気だったはずなのに、その頃にはすっかり気分が悪くなってしまったよ・・・
それにしてもあのほとんど賑わいと言って良い混雑振りはなんなんだ・・・!?連休で浮かれてケガしたした人が多かったって事か?

まあ、結局手術はしなくて良いという専門のドクターの判断で、それでもちょっとズレてるから肩に強力なサポーターのようなものを薦められた。たすきみたいに両肩に通して、肩の付け根を後ろにそらすようにするものなのだが、いかんせんうちの彼この痛みに耐えられなかったようで、ものの5分でギヴアップ!! 結局腕を吊っておくだけという事になった・・・まあ骨折は自然治癒で6週間くらいか、、?

やれやれ、私のホリデーは何処へ? 旦那の靴下やジーパンはかせる為に休み取ったわけじゃないんだよ〜〜!料理が好きな人だけど今は無理そうだし、掃除も・・・?
どうしてこんなタイミングで巧い具合に怪我してくれるのか、わけ解んない

あ〜あ、さっさとパリ行きでも決めとけば良かったなあ〜〜・・・・


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客席わずか100、スタジオ空間には舞台装置は無く、ソファーと椅子が一つずつ、床に箱が2つ、ソファーの横にコート掛け一脚のみ。女優2人だけでの丸2時間芝居
最近は大掛かりな舞台よりも小振りで質の高い演技に引かれる事が多い。この「Third Finger, Left Hand」という芝居の事は全くノーアイデアだった。ただ、女優2人のうち、Imogen Stubbs(イモジェン・スタヴス)を久しぶりに観たいなあと思って取ったチケットだった。小空間スタジオなので、チケットもお安いし

60年代終わり~70年代初めに北部イングランドで一世風靡したノーザン・ソウルというのは、60年代のモータウンレコードの音楽を中心とするソウルミュージックと、それに付随して大流行りとなったダンスムーヴメントで、丁度この時期に青春を送った姉妹が、一緒に人生のいろんな場面を回想していく。この芝居のタイトル「Third finger, Left hand」というのはマーサ&ザ バンデラスというグループのヒット曲、Jimmy MackのB面(レコード)になっていた曲だそう。ちなみに私的にはジミーマックは80年代にサンディ&サンセッツのリメイクヴァージョンが好きだった。スネークマンショウ、、、知ってるかなあ〜〜??

ニーヴ(Niahm)とグレース(Grace)の姉妹はもう何年も会う事も話す事もしていなかった。決定的に距離を置く事になったのは母親の死だった。姉のニーヴは母の世話や看病を妹のグレースにすべて押し付けて、なんだかんだと理由をつけてはろくに病院にも来ないうちに母は他界してしまった。その事でグレースの怒りは爆発し、以来断絶状態が続いていたのだ。久しぶりに再会した姉妹は古い箱にしまわれていた昔の家族写真を一緒にみながら、子供時代からのいろんな思い出を話し始める。
まだグレーズが生まれる前、若くて新婚の両親の元で可愛がられていた長女のニーヴ。幼い頃、2人で遊んだ日々、家族ですごしたホリデーの思い出、大好きだったテレビ番組、そしてソウルミュージックとオールナイトダンス・・・・


対称的な性格で、姉のニーヴは冒険心と好奇心の強い行動派。それに対して妹のグレースは地道で無難な選択をする事で自分の領域を安全なものにしようとするタイプ。時に対立し、時にかばい合い、お互いに好きだったり気に入らなかったり、、、と兄弟姉妹にはよくある関係だ。

一幕、2幕とも1時間程を2人の台詞だけで人生のいろんな場面を演じて行く。母親はおっとりした女性だが、父親は子供達を可愛がってはいたものの、時として自分の意想にそぐわないと暴力づくで娘達を叱り飛ばす。どんな家庭にもありがちないろんな出来事の中で、あの時には言わなかった事、知らなかった事等がいつの間にか積み重なって、少しずつ距離を作ってしまったのだ。今、実はニーヴは残り少しの命になっている。母と同じ癌におかされていて、久しぶりに距離を縮めた妹との時間をまた、今度は永遠に断ち切らなければならない・・・

矢継ぎ早にどんどん移って行く場面を、ひとつひとつ観客を引っぱりながら演じて行くのはもの凄くエネルギーが必要だ。大笑いしたシーンのすぐ後に、思い出すのも胸が痛い場面を演じる、、、2人だけの掛け合いはテンポが命。兄弟/姉妹というのは、友達とは違うつながりだ。私の母も昔よく言っていたっけ。「姉妹は姉妹なんだから
好きでも嫌いでも他人にはなれない関係。断絶しても、何かと法的には断ち切れないものがあるのが家族なのだ。演じているどの場面も昔一緒に共有した出来事。2人の役者の間のケミストリーが物を言う

イモジェンはどちらかというと昔からクラシックな役を主に観ていたけれど、演技力は流石。今回の役では訛りも板について、相手役のアマンダ・ダニエルズとの相性も良い。全く違うタイプの役者が対称的な姉妹を演じて共通する空気を出すというのは実は簡単な事ではない。観ている方は時として姉に同調し、時に妹のほうに肩入れし、それでいて憎めない/切れない関係に家族の絆を見出す。笑って、胸が痛んで、ちょっと泣いた・・・

自分の命が限られていると知った時に、何を思い出すのだろう、、?やっぱり昔の事なんだろうか、楽しかった子供時代、泣いたり笑ったり憎んだり恋したりした10代の頃、自分の夢と人生を切り開こうと粋がった20代? それらの時間を共有していた人達の事を一人一人思い出すのに違いない。

芝居を観たというより、人生を考えた感じの時間だった。私が観たのは楽日だったせいか、僅か100人弱の観客も役者のペースにしっかり着いて行ったよ。姉妹2人の人生のあれこれを自分の人生の思い出と照らし合わせて。世代的にも役者と観客が合ってたみたいで、そのあたりも芝居の設定する時代にからんで盛り上がってたのかな。

小空間での2人芝居、ちょっと日本の家族の事が気になる一時だった・・・・

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