見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

May 2012


なあ〜んと、先週から8日間のホリデーを取ったらいきなり夏がやって来た!
私は昔から晴れ女で、遠足や運動会はいやなお天気だった記憶が無い。それにしても2週間前までの朝晩一桁気温から、一気に25~26度っていうのはもう手放しで喜ぶしか無いわ〜〜!

とはいえ、今回は何処へ行くという予定をたてていない、ただ休みのホリデー。本来なら日本に2週間とか、8日の休みなら3ー4泊で大好きなパリ一人散歩とかなんだけどねえ〜〜。でも家に居てのんびりのホリデーもこのお天気なら悪く無い。25年振りにスイスからの友人と会って、一日おしゃべりしながらロンドンを歩き回った後パークでのんびりしたり、目覚ましをかけないで良いって幸せ

ところで私の街は、リー川(River Lea)から水をロンドンに引くために作られた新しいNew riverと呼ばれる水路=川が通っている。本筋は東のほうを通ってロンドン市内まで続いているのだけれど、タウンセンターの学校やパークの周辺を取り巻くようにループが引かれている。散歩にはもってこいのルートだ

この川にはアヒルや白鳥はいつもいるけれど、魚はあまり見かけない。でもアヒルやガチョウ達がいるという事は、小魚はいるのだろう。ところが、おととい散歩していたら、今までこの辺りでは見た事ない大きな魚が目に入った。40~50cmはあるこの魚、私には一目で「」に見えた。何より4匹ほどゆっくりと藻の間を這うように泳いでいる中の一匹が、金色に光っている。残念な事にこの日は携帯を持って出なかったので、写真が撮れず、それでも後になっても気になって気になって仕方がない。

なんでこんな人工の川にいきなり鯉が現れたんだ・・・?
15年も住んでて初めて見る。そもそも鯉って池や自然の川でも底のほうに潜ってる事が多いよね。こんな底の浅い水路で、まあ結構藻が多いから大丈夫なのかもしれないけど。川で見かける小魚とはまるで違う。丸々とした立派な鯉達だった。あんまり気になったので、今日もう一度行ってみたら金色のは見えなくて、それでも一匹だけ水面近くで見られた。

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対岸に近いほうだったので、ちょっと遠かったけれど、これでも40センチくらいはある。泳ぐという事はしていなくて、ほとんど水の揺れに任せてる感じ。この後この藻の陰に入ってしまった。これだけじゃはっきりとは解らないけれど、おとといの数匹一緒にいた光景は、どう考えても日本庭園でよく見かける鯉だったよ・・・・

さらに、100メートル程歩いた当たりでいきなり稚魚の大軍に遭遇する!
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マジかい・・・??
う〜ん、、ホントにこれって鯉かしら、、、?でも見た瞬間そうとしか思えなかったけど・・・口元がはっきり見えれば解るんだけどね〜

来週はエリザベス女王の戴冠60周年を祝って土曜日から火曜日までが祝日扱い。全国各地でパレードやストリートパーティーなんかが予定されている。もちろん女王自身の祝賀パレードも。ひょっとしてお祝いっていう事で市役所が川に鯉を放ったか、、とまで思ってしまったけれど、いや〜、それはやっぱりちょっと違う気がする。どうせなら派手な錦鯉のほうがおめでたいものね。でもあの金色のやつは結構目立ってたなあ〜〜 今日は見なかったけど、まだ川底の藻の陰にでもいるのかしら?

気になってしまってちょくちょく見に行こうかと思ってる


気が付けばもう5月も後半で、4月からの春ドラマも中盤になっている
「鳥羽院が御隠れになるまでは、、」と思って見ていた大河ドラマの「平清盛」19話目までの中で、さりげなく心に響いてきたのが和久井映見さんだ。1月以来一度だけ素直に泣けたのが宗子の演技だった。

もう随分長い間彼女を観ていなかった気がする。昔ビデオで日本のドラマを回し借りしていた頃だから10年位前か・・・派手ではないし、華やかさよりもちょっと古風な顔立ちの女優さんだ。でも当時のドラマでもその演技力はしっかりしていて嘘がなかったので好感が持てた。その和久井さんが今回の大河では清盛の育ての母、池ノ禅尼を演じている。「もう母親役をやるような年なんだ〜」と思いながら観ていたら、随所で棟梁の正妻としてずっしりと重みのある演技をしている。出番は少ないのに心に響いてくるのは流石だなあ〜と思っていた。

その和久井映見さんが、4月からもう一つのドラマ「もう一度君に、プロポーズ」でこちらは竹野内豊さんとダブル主演している。90年代後半に若者向け人気ドラマの主演を張っていたこの二人が、今になって大人の恋愛ドラマダブル主演というのもちょっと驚いた。もう40になったこの二人で恋愛ものって・・・? ところがこのドラマでのお二人の相性がとても良い! 「魅せよう」演技ではなくて、自然に心に沿った感情をみせてくれるのが巧い役者同士だから、心のキャッチボールが見えてくる。こういうドラマの竹野内さんはやっぱりいいなあ〜!

竹野内さんは最近ではクラゲ好きの「流れ星」とか映画の「大木家の楽しい旅行」(だっけ?)とかにも出ていたけれど、正直言って可も無し不可も無しという感想だった。「ボス」でのちょっとマンガチックなキャラももちろんカッコ良いという意味では似合っているのだけれど、俳優・竹野内豊としての魅力はやっぱり共演者や作品との相性によってかなり違う。夫婦でありながら妻が記憶を失ってしまった為にぎこちなくなっている関係、とい設定なので、和久井さんと竹野内さんのお互いを見ようとする演技が伝わって来る。演技の相性ってこういう事なんだなあ、、と改めて思う

トレンディードラマとはまた違う大人の話なのだけれど、初回では大河での宗子役とはうって変わって少女のような和久井さんにびっくり。清盛の母ではあんなにどっしりした印象なのに、こちらの記憶喪失の妻役では困惑と不安を微妙に表現していて、大人になり切れていない女の子のようだ。初めのほうでは妻の記憶喪失にもポジティヴに向かっていたのんびりタイプの波留も、元カレの登場で、そこはやっぱり隠しきれない動揺を見せ始める。序盤の可南子は記憶無くなった戸惑いばかりで、どちらかというと波留の言動が多かったのが、だんだん可南子の気持ちの変化が見えて来て、6話では自分でも驚いた事に自然に大泣きしてしまった

夫婦っていうのはやっぱり時間をかけて「夫婦になっていくもの」だから、その時間がまだ4ー5年で途切れてしまったというのはとても悲しい。観ているうちにいつのまにか二人に向かって「頑張れ!頑張れ!」と心で叫んでいる自分がいた。こんな風に自然に心に入り込んでくるとは・・・。私も年と共に共感するものが変わってきたのか、いや、変わったというよりは、余計なものは逆に心がキャッチしなくなってきたというのか、、、?「御涙頂戴」ものはしらけて観られないけれど、人の姿を自然にきちんと見せてくれるものには心が反応する。この二人がどうなっていくのか、今クールは毎週楽しみだ。

春ドラマではもうひとつ、私自身のこだわりとして見逃せないのが、「カエルの王女さま」。やっぱりね、歌って踊ってステージから夢と希望を、、、っていうのはもう私にとってははずせないテーマです。天海祐希さんはやっぱり華のある役がハマる。舞台の香りのする天海さん、やっぱりカッコ良い もうひとつ、私としてはこのドラマは恩師役を演じている久野亜希子さんへのオマージュでもあるかな。私がまだ中学生の時に、劇団四季の「コーラスライン」に出ていた久野さんを観ている。「ウェストサイドストーリー」や、「ジーザス・クライスト・スーパースター」「キャッツ」「エヴィータ」・・・ミュージカルの舞台で活躍していた久野さんももう60代だとは、、 でも今でも台詞の声も綺麗だから、是非かなえ先生が歌うシーンも観てみたいものです!!


久しぶりにRSCの舞台、Written On The Heart

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世界中で1位不動のベストセラー本といえば「聖書」。この芝居は現在イギリスで最もポピュラーでスタンダードになっている英訳聖書=King James Versionを出版するように命を受けた司祭/学者達の話だ。ジェームス1世の時代、1603年に国王の命を受けて54人の賢者達がイングランド国教会で仕様する定番聖書の翻訳作業にとりかかる。このキング・ジェームス版は1611に出版され、以来19世紀まではイングランド教会に於いて使用された唯一の英訳聖書だ

「神の声」を人に届ける為の大作業である。英語に翻訳された聖書というのは実はもっと前にもあった。14世紀に出されたジョン・ウェイクリフによるヴァージョンと16世紀初期にウィリアム・ティンダイル(William Tyndale)のヴァージョンが出版されていて、このジェームス版も実は8割方はTyndaleの訳に手を加えたものだ

この芝居では1610年の翻訳の最終段階での喧騒に加えて、過去の英訳本が歴史的にどんな位置にあったかも背景として描いている。ウエイクリフの時代は、聖書を読めるのは選ばれた階級の知識人=高職の司祭達に限られており、神の言葉を民衆に伝えるのは彼等の特権であった。それゆえに聖職者達はその威厳を保ってもいたのだ。凡人でも字を読めれば神の言葉に触れられる、というのはむしろ牽制されていた。ティンダイルの頃はヘンリー8世が妻と離婚したいが為にカソリックから独立して英国国教会を新たに創ってしまった時代。後に彼はヘンリー8世の離婚/再婚に反発する文書を書いた事で「反逆罪」の罪で逮捕され、火あぶりの刑にされてしまった

芝居の中で翻訳の責任者アンドリュー卿のもとにティンダイルの亡霊が現れ、神の言葉が時代や政治によって変えられていく現実を考えさせる。不変であるはずの神の啓示は実は権力者達によって時代と共にちょっとずつ曲げられていってしまうのだ。新旧の賢者二人はお互いを見つめあって神の声を心に届ける事をめざす

私の出身校はキリスト教だったので、私にとって聖書は学校生活とはきっても切り離せないものだった。学校に行けば礼拝があり、授業にも聖書/宗教の時間があり、神について考える事は学生生活の一部になっていた。小学生の頃はただ習慣でそうしていたものが、10代になると自分なりの考えや疑問が出て来て、高校生の頃には結構真剣に考えたりして聖書を読み通そうとした事もあった。(かなり読んだけれど、旧約はどこまでいったんだか、、?)

英語に限らずもちろん日本語でも翻訳は何種類もあって、今はあの頃よりもっと口語らしくなっていたり、解り易い言い回しになっていたりするのだろうけれど、私が覚えている聖書の出だし=創世記の始まりは→

初めに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、闇が淵の表にあり神の霊が水の表を覆っていた。神は光あれ、と言われた。すると光があった」 

覚えているもんだねえ〜〜、、、 主の祈りとか詩編23編とか、やっぱり今でも空で言えるのは九九と一緒だわ。
今新たに見てみると、地がむなしいってなんだろう、、? 光あれ→光があったなんて、確かに表現が上から目線で、神の威厳を見せつけている翻訳だ

キリスト教のみならず、ユダヤ教でもイスラム教でも教典として存在している旧約聖書は十戒をはじめ、人として絶対に必要な価値観やモラル、哲学がいろんな話の中に詰まっている、言わば世界最大の哲学書とも言える。それがまた宗教によって採用している書や編集の順番が違っているというのもそれぞれの価値観の違いなのだろう。

新約聖書はもっと選ばれている。本来キリスト以降に書かれた福音書は数多くあった。20世紀になってエジプトのNag Hammadiで見つかった多くの福音書簡は最終的に新約聖書の卷から除外されたもので、ノースティック(Gnostic Bible)と呼ばれている。このノースティックこそが面白いという話を数年前に聞いて、読みたいを思っていたのだけれど、他にも読みたい本があって後回しになってしまっている。

そう考えると、「なあ〜んだ、神の啓示なんて、結局は歴史の中で支配者達の都合の良いように選択されてきたんじゃないか」とも思えるのだけれど、それでも基本的には人が何かを信じて、自分を支え、生きていくための大いなる教本と考えれば、時代の都合で多少の差はあったとしてもそれ位は大した事じゃないんじゃないか、、、

信仰ってそういうものじゃないだろうか。祈るというのは神様におねだりをするのではなく、何か/誰かを信じる事。信じる事で勇気と希望を持つ事。その希望の力を他の人とも分かち合う事時代も宗派も関係ないはず


久しぶりでスヌーカーの世界選手権を気合いを入れて観た

日本では殆ど馴染みがないようだけれど、イギリスではいわゆる玉突きゲームの代表といえばまずSnookerだ。ビリヤードのようなものだけれど、まず台の大きさが格段に違う。日本でも一時ブームになって、でもすぐ下火になったと聞いたプールと呼ばれるポケットビリヤードゲームは、バー等で大衆的に何人かが順番にプレーして楽しめるようにゲーム自体も規模も縮小されていて、こちらでもパブに行けばプールテーブルを置いてある所は多いし、ホリデーに行けばホテルの娯楽室に必ずある。アメリカ式のプールはボールが大きくて玉のコントロールも鈍いけれど、イギリスでのプールはボールが二回り位小さくて、玉の色は赤と黄色。

公式試合で使われるスヌーカーテーブルは長さが4メートル近く、幅も2メートル程あって台の高さも高い。ポケットの大きさもボールに対して小さめで、ポケットビリヤードではボールの大きさに対して2倍程あるのに対して、スヌーカーのポケットはボールの1.4倍しかない。本来二人の選手がそのスキルと集中力を競うものなので、勝負がつくのは一日がかりだ。プレーヤー達は蝶ネクタイに三つ揃の正装から上着だけを脱いだ服装でプレーする。これはそもそもスヌーカーはジェントルマン達のゲームで、正装でディナーをとった後にくつろいでジャケットを脱ぎ、スヌーカーを楽しむという流れから来たもの

使うボールは赤が15個とカラーが黄、緑、茶、青、ピンク、黒の六色が一つずつ。ポットすると赤が1点、カラーは順に2〜7点になる。1ゲームを取るには、まず15個の赤とカラーを交互に落とし、(カラーは取り易い位置にもので良いが、色で得点が変わってくるので、赤/黒の組み合わせが一番高得点になる)全部の赤をクリアしたら、順にカラーを落としていく。途中で外したりポットできなかったら交代する。一度の交代も無しで連続で取れる最高点は赤=黒15回にすべてのカラーで147点だが、これが試合で出る事はとても少ない。これをやるにはノーミスで37回のショットを成功させなくてはならない

世界選手権は35フレームマッチで試合が行われ、つまりは先に18ゲームを取った人が勝ちだ。当然時間がかかるので、午後の部と夜の部に別れて25ゲームで休憩する。丸一日集中力をキープするという精神力はなかなかきつい。ちなみに今日の世界選手権の決勝は9時間15分程だった。観ていると波が変わっていくのが見えて面白い。これでこのゲームを取れるかな、と思った途端に集中力が途切れてミスをしたりする

実は私も彼とつき合い始めてからスヌーカークラブによく行っていた。私のようなおチビさんは、もう台に這いつくばるようにしないとショットできなかったりするのだけれど、それでも角度の付け方やキューのコントロールはパブでのプールに比べると格段に難しいからこそ面白い。実は彼がプレゼントしてくれた自分のキュー(マイキュー)も持っているのだ。昔はよく二人でプレーしに行ったけれど、そういえばここ数年やってないなあ〜〜(彼がメンバーシップを更新しなくなって以来か)

二人とも好きなら一緒に楽しめるけれど、やっぱり1ゲームに時間がかかるので実力差があるとちょっと飽きる。酷い時は自分はほとんどショットする事なく終っちゃうからね。相手がミスしないと自分の番にならないし、自分が最初の一突きでミスするとそれっきり・・・・それと、スヌーカーは決まった明かりの下でやるので、スヌーカークラブには窓がない。昼間から暗い所で玉突きっていうのも、ちょっとオタクな感じ。まあ、せいぜい1時間で3ゲームってところか。私のキュー、どこにあるかな〜?しばらく出してないよ。久しぶりでプレーしたくなってきた

今年の世界選手権で一人の伝説的なプレーヤーが引退した。Stephen Hendry

彼は私がイギリスに来たばかりの頃、まだ二十歳そこそこでグングン頭角を顕していた若手選手だった。まだあどけなさの残る顔立ちや仕草で、先輩のトップ選手達に可愛がられていた。その彼が90年代になって最年少で世界チャンピオンになってからは、前人未到の記録を次々と出した。世界チャンピオンに7回、10年間に準々決勝以下だった事はほとんど無いという選手で、若くして頂点に上り詰めた典型的なプレーヤーだ。公式試合で出した最高147点のブレークは11回。ここ4ー5年で集中力が衰えたのか、スヌーカー以外にプレイベートでの家族の時間に重きをおくようになったのか、30代の頃の輝きは下火になったもののいつも上位にいた。

最期になった今回の世界選手権は準々決勝で敗れた。本当はもう1ー2戦進みたかったのだろうけれど、これで引退というのはもう数カ月前から決めていたそうだ。スヌーカー自体はもっと年とっても続けられるはずだけれど、やはり精神力という面ではトーナメントはきついのだろう。17日間のトーナメントで一試合に丸一日かかるのだから・・・

私がイギリスに来て以来、スヌーカーにはいつも彼の顔と名前があった。いろんな選手達のインスピレーションになった天才プレーヤーの引退に心から拍手を送りたい



もう5月だっていうのに、2週間以上も雨続き(たま〜に晴れ間も出ますが)昨夜なんて窓が壊れるか!と思う勢いで雹が降って来てきた。雷鳴の中、パチンコの玉みたいな氷の塊が空からばらばらと降ってきた日には、けが人が出たって不思議じゃないわ、、、危ないったらありゃしない!

相変わらずの金欠我が家。最近はお金を使わない暮らしにもすっかり慣れて来て「結構無くてもいいもの、しなくても我慢できる事ってやってみれば無くても生きていけるのだ」と実感。特に食べ物。やっぱり仕事をしていると家に帰ってから時間のかかる料理はやってられない。どうしても半分出来合いのものをオーヴンに放りこんでる間に付け合わせをササッと作る、くらいのものになってしまう。でもこの半分出来合いのメイン料理のほうが結局2人分だと安く上がったりするのだ。お肉ってホント高いわ〜〜、、、鳥の胸肉2切れパックよりも、半出来おかずのほうが安かったりするのね。ただもちろん品質的にはそれなりの値段分なのだろうけど。

今まで一度だって買った事のなかった豚のバラ肉でいつぞや角煮を作ってから、バラ肉だって油を一度湯がけば脂肪はかなり抑えられるし、口当たり良く食べられるのだと発見。だいいちお安い!!鳥もず〜っと胸肉ばかりだったけど、もも肉のほうがカレーやシチューには柔らかいし、こちらもお安い! ビーフもサーロインばかりじゃなくてもっと安いもので美味しくできる。「なんなんだ、こいつらの家計感覚は!?、、、、」って思われる人も多いでしょうが、うちの彼はとにかく鳥は胸肉、ビーフはサーロイン専門の人だったのです・・・

ピザ生地やチャパティ(ナンのようなパン)をうちで作るようになってから、ちょっと考えていたのが実はハンドミキサーだ。我が家にはミキサーやプロセッサーといった類いのもは一切ない。でも最近無性にどうしても日本のカステラが作りたくなってしまって、何度もウェブサイトをポチッとする寸前までいっている。もう買う機種も決めてある。別に手で捏ねるのは大した手間じゃないけど、このカステラはさすがに手で泡立てるのはかなり大変そう。ケーキ作りが趣味だったりしたらササッと買うんだろうけど、私んの場合、カステラを1ー2度作って満足したらもう使わない・・・ってな事にもなりかねないので、買うのは慎重になる

第一我が家のキッチンは多分世界でも一番小さい部類に入るだろうから、置き場を考えないとね。もちろん大きなやつは無理なので、ハンドミキサー。何にどれくらい使うだろうか・・と考えて、もうほぼ買おうと決め手いるのに、金欠状態の我が家の家計から£20を捻出するのはちょっと心苦しい。でもカステラ作りたいしなあ〜〜〜

なんだろう、、最近白いご飯というものがよく食べたくなる。これはやっぱり長い外国暮らしの果てにやって来る、年をとるにつれての望郷の念ってやつだろうか。うちではご飯はおかずの添え物としてその分だけ炊く、というのが普通なので、白いままじゃなく、バターライスにしたり炊き込みご飯/ピラフにする事がほとんどだ。だから白いご飯が残るという事はほとんどない。(意識して翌日のお弁当にしようと余分に炊く以外は)白いご飯でお茶漬けとかふりかけやお漬け物、、という事がまるでないのよね。でもなんだか最近それが恋しい

実家に里帰りすると、必ず冷蔵庫にお漬け物やちりめんじゃこ、タラコ、野沢菜なんかがタッパーに入ってて、ちょっと白いご飯と一緒に食べるのが楽しみなのだ。ジャーを開ければご飯がある、というのも日本ならでは。ふりかけとかお茶漬けとか普段は全く食べないのもが最近無性に食べたくなる。さっき書いたカステラもそう。こっちのもよくある洋風のスポンジケーキじゃなくて、バター抜きのカステラが食べたいのだ。そうだ、抹茶パウダーもちょっと入れて、抹茶カステラもいいなあ〜〜!

年を取るにつれてこういう嗜好の変化がどんどん増えていくんだろうか。逆にイギリス人の彼としては、きっとお母さんが作ったローストディナーが食べたくなるに違いない。そうなったら私達夫婦の危機かも・・・
そういえば2度作ったバラ肉の角煮は彼に絶賛された。もともと日本の居酒屋メニューが好きな彼は餃子とかにメがない。今のうちに彼も日本食好きになってもらって、老後は二人で卵おじやを楽しめるように訓練させておくか・・・
美味しいよねえ〜、梅干しご飯、野沢菜ご飯、はすのきんぴらやタラコご飯、もちろん納豆も!!
ああ〜〜、うちの彼にはやっぱり無理かなあ〜〜

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