スイスのダボス会議で、渡辺謙さんが、とても良いスピーチを行った



ネットの便利さや色々なテクノロジーで海外生活が以前に比べてどれだけ便利になったか、私もこのブログで何度か裏技について書いた事があるけれど、便利になればなるほど、人間は欲が出てしまうのだろう



一時は彼と「もうテレビは無くてもいいかもね〜〜」なんて言っていたのに、これはどうした事か!!



やっと読み終えたカサノヴァの自伝=History Of My Life。生い立ちに始まって自分の記憶にある限りの子供時代から最終的には48歳までの人生を細かく再現した本は全部で3500ページ以上になる。一年以上かかってタラタラ読んでいたのは、本を読む時間が少ないだけでなく、途中からは「終らせたくない」という気持ちもあったからだ

カサノヴァ自身は貴族ではないが、強力なパトロンがいた為、ヨーロッパ中で王族/上流貴族と交流する




社交の場を広げるために絶対に必要だったのが、友人からの紹介状だ。今で言う「友達の友達、、、」という事で、新しい地に赴く際には、誰かしらが知り合いに彼を紹介する手紙を書いて持たせてくれる。新しい地に着いたらその手紙を持って訪れ、その人の交際範囲に紹介してもらうのだ


読んでいくにつれ、だんだん時代の差を感じなくなってくるのだ。今だって全く似たようなものだったりする。テレビやラジオが無いから、エンターテイメントは劇場やプレジャーパークと呼ばれる公園へ出向く。そこで友人達と交流し、舞踏会で踊り、年に一度のカーニバルには、趣向をこらした変装で仮面パーティーに出かけて行く


これは時代のせいじゃない。テクノロジーのせいでもない。何時の時代も何処の国でも、人間は人との関わりの中でコミュニケーションを最大限に使って生きて来たのだ


あって当たり前なのではなくて、無いのが当たり前だった時代


「足るを知る」って、渡辺謙さんは良い言葉を引き合いに出したなあ〜〜。コントールできないものは無くても良い。まさにその通りだよね

さーて、フェルセン伯の本からもう2年近く、読んだ本がすべて18世紀がらみだった。そろそろ頭を現代に戻して次は何を読もうか、、、でも結局私もひと時代前が好きなのよ〜〜、 面白いんですもの18世紀は

あって当たり前になってしまうと感謝する心すら起こらない。いきなり無くなったらパニックになるだけだ

