見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

November 2009


なんと、、、!ホリデーから仕事に戻ってみたら、同僚のA嬢がswine flu(=新型インフルエンザ)で休んでしまっていた!! 先週の月曜日にくしゃみや咳をしていて、夕方には気分が悪そうだったとの事で、火曜日には熱がロケットのように上がってしまったらしい

とうとうここまできたか、、Swine Flu! イギリスでは感染を避けるため、疑わしい場合は医者には行かずに、電話あるいはネットで問診/診断できるようになっている。だから100%これが新型のインフルエンザかどうかははっきりしないのだけれど、とにかくどんなインフルエンザも症状は似ているという事らしい。彼女もタミフルを処方してもらってどうやら熱も下がってきた様子。明日から出てきてくれるといいんだけど・・・もう少しかなあ〜〜

さて、やっと読み終わったフェルセン伯爵のジャーナルと手紙、実はその中でびっくりする発見があった!! 今さら知るとは思ってもみなかった遠い昔のこれまた旅先での事。知らないっていうのはホントにどうしようもないね!

ロンドンに来てまだ語学学校に通っていた頃、一緒に検定試験を受けた友達とはかなり親しくなった。ヨーロッパからの人達は皆この検定試験を受けた後帰国する人が多くて、試験の終わった夏には友達の総入れ替えみたいな時期が来るのだった。せっかく仲良くなった人達と次々に別れるのは淋しかったけれど、彼等をつてにヨーロッパ中に友達ができたようなものでもあった

秋の始めにはミュンヘンの友達とスイスの友達を訪ねて2週間のホリデーをとった。ドイツからは電車でスイスのバーゼルまで出て、バーゼルの友達と一緒に、週末はルツェルン郊外の友達も訪ねて3人で周辺を車で回った。その時に訪れたのがライオンのモニュメント

swiss-lion2岸壁を削って彫り込んだこの記念碑は、とても印象的で今でもはっきりと覚えてる、でもこれが何を意味するモニュメントなのかは知らずに眺めていたのだった。友達がスイス人兵士の記念碑だという事だけは言ってくれたのだけれど、彼女も詳しい事まで説明してくれなかったし。
だから勝手に「休戦中の戦士達」だと思っていた。このライオンの姿を戦の合間に休んで=眠っているのだと・・・
ああ、なんて事!!無知は罪なり!!

この瀕死の姿を、寝ていると20年も思っていたなんて、、、、



swiss-lion
これは、フランス革命時にルイ16世一家がベルサイユから移されたチュイルリー宮殿を守っていたスイス人衛兵隊の為のモニュメントだったのだ。1792年8月10日に群衆が宮殿を攻撃し、国王一家はすんでのところで宮殿から脱出。すでに国王が宮殿内にいないと伝わると各部署の衛兵達は持ち場を離れて逃げ出した。にもかかわらず、スイス人衛兵隊は国王からの「民衆には発砲するな」との命令を守りながら最期まで持ち場を離れず、700名以上の兵士達が民衆の手によって殺されたのだ

この8月10日の事件の事は知っていたけれど、この事件とルツェルンのライオンとは全く私の中では繋がっていなかった。それがなんと、フェルセンの日記の中で、この部分に編集者の注釈が小さくついていた。本文でさえないその小さな文字の注釈文を見て、そりゃあもうびっくりしましたわ、、、有名なルツェルンにあるライオンの浮き彫りモニュメントは・・・」とあって、とっさに頭に蘇った白いライオンの姿。カフェで思わず叫びそうになってしまった

そうだったの、、そうだったのね・・・!! 今の今まで知らずにいたというのもナンだけれど、今になって読んだ本の注釈でその意味を知るという事のタイミングにビックリ仰天している、、、 人生って不思議だわ・・・でもまあ、Better late than Neverという事で今ここで理解できたのも何かの縁かしらねやっぱり、、、

ところで先週パリに行っていた週末のX-Factorで、やっと歌えないボクたちがいなくなってくれた、、、 ここからがserious business。今週は私の見た通りの結果。あと2週で今年の勝者が決まる。今の時期に出る新曲はどれもクリスマスNo1をねらってるからね。今年前半の話題をさらったスーザン・ボイルさんのデビューCDは、先週発売になった途端にデビューアルバム最短/最多売り上げを記録した。他と比べて倍近いぶっちぎりのセールスで、AmzonではUKもUSAもプレオーダーだけでかなり前からNO1だった

最近のクリスマスNO1は直前に決まるX-Factorの勝者が制しているけれど、ここからのチャート合戦がどうなるか・・・?


Banner



P1010070

パリに着いた日だから11月19日。パリ市庁舎が3色のリボンでおめかししていた。何かの記念日なのかな??2日後には無かったから、、、でもすごく可愛い、、、エレガントだよねこの建物も。ChateletからこのHotel de ville周辺はいつもけっこう渋滞気味なんだけど、それでもロンドンみたいに全く動かなくて20~30分、、、なんて事は無い。

ベルサイユ宮殿はもう人だらけで、他の人が写真に入らないというのは不可能だったけど、トリアノンまで行く人はずっと少なくてゆっくりと廻れた
PB180123アントワネットがプチトリアノンの回りに創らせた田舎家は12あって、実際に羊や牛を飼い、畑を作っていた。ここは宮殿から歩いたら30分くらいかな、、でも別世界だ。繰り返される宮廷での、決められたしきたりとエチケットにうんざりしていた王妃が逃げ込んだ素朴な世界・・・でもこれらの増築費も革命への火種になってしまったのだから皮肉なものだ。でも一つ一つの農家がそれぞれすてきなデザインで設計されてる。確かにプチトリアノから村里周辺は一日いても飽きないかも、、、



PB180139こんなスフィンクス像もホントにエレガントだよね。ふくよかな胸に髪だって、さすがはおフランスのスフィンクスだわ、、、!ほとんどちゃんと見てもらえる事なんかないだろう所に、細かい彫刻がしてあったりしてびっくりする。町中の建物でもそう。「誰も見ないだろう!?」と思うのにつつましくそこに在るというのが凄い




PB210208サン・ドニの王達の墓にもみごとな彫刻がされていて、前にも書いたように真上からでないと綺麗な写真が撮れないのが残念だった。大きな物は逆にディテールを撮るのが難しいし、、、像や彫刻を観る時は私はいつも後ろへ回る。後ろからみた姿というのが大事なのだ。これはフラッシュを使わなくて撮ったからちょと暗いけれど、祈っているルイ16世のローブの下に見える足元のディテイールの細かい事、、、ここの墓所は見事な彫刻美術館だ



PB210201
これはおまけ。サン・ドニ聖堂の墓所の出口の看板。各国語で「出口」を示しているのに突然日本語で「解放する」 思わず笑っちゃったよ・・・

面白表示としては、もうひとつシャンゼリゼのクリスマスマーケットの中にもあった。ホットワインを出しているストールに、「ぶどっ酒、暑い」とあったのだ
写真に撮ってみたけど、ちょと暗くて文字がうまく映らなかった。ストールの内輪の人達が前で飲んでいて私をじろじろ見てたから、さすがに何度も撮る勇気はなかったしね

観光スポットらしい写真は他でも沢山あるし、ベルサイユのきらびやかな写真は、ベルサイユ特集の写真集でもみたほうがずっと素晴らしいと思うのでここには載せません。



PB190155レアールのフォーラム(ショッピングセンター)の裏から撮ったもの。こんな建物のコントラストが面白い。最期の2日は曇り/小雨で今回は全体に写真が暗め。それがちょっと残念だったかな。そういえば今まで3回来たパリはいつもいつも何故か11月だ。偶然なのだけれど。最初の時は滅茶苦茶寒くて凍えそうだった記憶がある

ベルサイユの庭園内は門が開いてる時間帯は誰でも普通に入れて、ジョギングコースにしている人なんかもいる。もちろん赤ちゃんや犬のお散歩も・・・初めて来た時、行ったのが遅くて宮殿からグラン・トリアノンまで歩いていったらもう真っ暗で門が閉まってしまった。もう入れないトリアノンのマーブルの外装だけ見て外に出ようと思ってもどこから行けばいいのか解らない。宮殿までまた歩いて戻るには距離がありすぎるし、どうしたものが同行した友人とうろうろしていたら、東洋系の家族が通りかかった。

明らかに迷っている観光客の私達をみて、一緒に来なさい、みたいな事を言う。ご夫婦は英語を話さないけれど、ティーンエージャーの息子さんと妹は上手な英語を話した ご主人は何か身分証明のような物を門の所で見せて、私達も一緒に外に出る事ができた。「どこまで行くのか」ときかれたので、「これからパリに戻るんです」と言うと、「じゃあパリまで送って行くから」と言う・・・! 途方にくれていた私達はびっくりしたけれど、ご主人はさもこんな真っ暗な所からどうやってベルサイユの駅まで戻るんだといわんばかりの顔で、当然のように私達を車まで案内してくれた。なんとメルセデスベンツ!

話を聞くと、ご主人はインドネシア大使館の書記官らしい。息子さん達とおしゃべりしながら(あの当時はまだ私の英語もつたなかったけれど)パリまで送っていただいた 私には劇団時代に、インドネシア国籍のミュージシャンの友達がいて、日本生まれの日本育ちで日本語しか話せない彼が、父に連れられてわけの解らない選挙投票をしにインドネシア大使館に行かされた話をしてくれた事や、スカルノ大統領第三夫人だったデビ夫人の話題で打ち解けた。「私あの人好きよ」と娘さん、考えてみればそれは実際にデビ夫人を知っている上での発言だったのだ。

全く通りすがりの私達をモンパルナス駅まで送ってくださったあのインドネシア大使館の家族の事を本当に久しぶりで思い出した。旅先で触れた親切。まだ英語が通じなくて泣きそうだった初めてのパリ週末での話


戻ってみれば寒いね、ロンドン、、、
私のパリ最終日は小雨で、ホントはもっと街を歩き回りたかったのだけれど・・・夜までの予定を検討する。私の持っていたメトロ/バス乗り放題のチケット(Paris Visite)でサン・ドニ大聖堂まで行かれると知ってビックリ! 私はサン・ドニはベルサイユみたいにもっと郊外にあると思っていたのだ。な〜んだ、タダで行かれるなら行ってこよう、と言う事で、チェックアウトしてカフェでコーヒーを飲んでから出発

やっぱり郊外は中心地とは全く雰囲気が違う。駅を出てあまりにも閑散としてるのでビックリ。月曜日のお昼だというのに車も走ってない・・? サン・ドニ聖堂は駅からすぐだ。王族のお墓は墓所というより彫刻美術館と言って良い。どの彫刻もティデールが素晴らしい。横になってるので、真上からでないと綺麗に写真が撮れない、、、おちびの私には尚更難しい・・・ いろいろ試したけどやっぱりうまく撮れないのであきらめた、、、立体像だけを何枚か撮る。

歴代の王/王妃の墓の他にも、ルイ18世の戴冠ローヴやさらにはオペラ座で暗殺されたベリー公爵の心臓もある。ちなみにこのベリー公はルイ16世の下の弟=アルトア伯(後のシャルル10世)の次男で、このアルトア伯とベリー公はホントにハンサム!! ルイ17世(ルイ・シャルル)の小さな心臓も納められている。ナポレオン後のブルボン王朝の復興は長くはなかったけれど、ルイ18世が兄夫婦(ルイ16世とアントワネット)の為に遺体をサン・ドニに移したりメモリアルの像を創ったりできたのは救いだったかも。

午後は雨なのでギャラリー・ヴィヴィエンヌのパッサージュやパレ・ロワイヤルの回廊を歩く。それからバスに乗ってドライヴ観光。適当な所で降りてまた別のバスで廻ってみる。中心地をはずれて新しい町並みになると、そこはツーリストとは無関係な生活の場だ。さすがに英語も通じなそう・・・目で見てバスを確認する。もう暗くなってきた頃にやっと雨があがった。

シャンゼリゼのクリスマスマーケットを見て歩き、コンコルドまで出る。ホントにこの空間がすごいよね、パリって・・・テュイルリーにしてもコンコルド広場にしても、アンヴァリッドの前だってあんなに広い空間が街中にあるっていうのが凄い。ロンドンのオックスフォードサーカスやピカデリーのあのせせこましさは何・・・?? シャンゼリゼ大通りを途中で反対側に渡った時、何故かその横断歩道を渡っていたのが私一人だけだった。ここは両方向とも4車線の大通り。私一人の為に8車線の車が全部止まってくれるなんてちょっと良い気分。(って、別に私の為じゃなくって単に赤信号なんだけどね)

カフェで最期の食事をしてホテルに荷物を取りにもどると、また小雨がぱらぱら降り出した。スーツケースを持って階段の上り下りがいやなので、ピガール駅までちょっと歩いてバスに乗る事にした。これは去年もそうしたのでバス停の場所も解ってる。5日間なんてあっという間だよね、、、

そうそう、ユーロスターはパリで乗車する前にイギリス入国手続きをする。早速新品のパスポートを出して、「これと一緒に今までの古いパスポートをみせるようにと聞いたんですが、、、£165-00払う代わりに・・!」と例の永住ビザが張られているオリジナルとインクのにじんだスタンプの押してある2冊目を出すと、カーリー長髪のお兄さんがニヤッと笑った。(何の話かはこちらを

お兄さん曰く、前のパスポートを見せれば新しいスタンプが無くても良いのは多分今だけで、いづれはお金を払わなくちゃいけなくなるそうな、、、それにしてもホントにフェアじゃないよね!それでいて職もなく英語も話せないジプシー達がどんどんやってきて、ありとあらゆる補助金をもらって暮らしてるなんて、、! 一瞬「ぬわに〜〜!?」と思って不愉快になりかけたけど、ここでお兄さんに文句を言った所で始まらない、やれやれだわ

今回撮った写真は去年のに比べるとなんだか豪華できらびやかだ。明日整理するかな。かなり観光写真になってるよ〜〜、、、今日はこれからマッサージとリフレクソロジー。連日歩いて足がパンパンになってるからほぐしてもらおう!


そんなつもりは無くても結構いや、かなり連日歩き回ってる。
今回もあまり観光にはこだわってないのだけれど、前回の時に行かなかった所へ行こうと思っていた。
昨日(土曜日)はお昼前には汗ばむ位のお天気で、冬物のオーバーを着て出た私は間抜けだ、、、、土曜日は予定無しで、彼のおみやげを探す。実は今回はおみやげとして、"パンツを買う"という使命があったのだ。

去年来た時に、半分ジョークのつもりで、楽器や音符が飛び交ってるちょっと楽しい柄のパンツを買ってあげたのだ。そうしたら,うちの彼はそれがすっかり気に入ってしまった。なんでも今まで履いたパンツのうちで一番着け心地が良いそうで、肌触わりがスムーズで気持ち良いと言う。時が経つにつれ、"もうこのパンツ意外は履きたくない!"とまで言い出す位、、、、で、それならまた探してきてあげるよ、という事になった。

レアールからシャトレ周辺はすごく普通にいつもの感覚で歩けるエリアだ。ロンドンいるのとほとんど同じ空気。それはきっと普通の人達の生活があるからだろう。ショピングもいわゆるブランドではなく、普通に私たちが普段買い物 をするようなお店が並んでいる。実際イギリスでもお馴染の店も多い ので余計に違和感がない 。とてつもなくお値段が高いということ を除いては、、!! ホントに泣きたいよ~~。どうしてなんでもかんでもこんなに高いの、、??!  服だって靴だってすごく可愛いのに。去年も覗いたお店を見てみるとあるある、、、全く同じものはさすがにないけど、 イギリスでは見かけないような柄や色の肌触わりがよさそうなパンツの数々。ちょうどクリスマスショッピングの時期だから、別に女一人で男物のパンツを買ってたってどうってこともない。サクサクっとおみやげ探しは終わり。

今日はマレ地区へ。実 は去年もマレ散策はしたのだけれど、ろくに調べずにただ裏道を歩き回っただけだった。で、後になってから見るべき所を全く通らなかったという事を知った。無知は罪なり、、? 今回観たかったのは2個所。一つはmusee cognacq-Jay。ここは元貴族のお屋敷でいろんな家具や調度品が展示されている。規模は小さいれど無料だ。ちょっとした置物や時計だって私達の感覚とはまるで違う。でもとてもエレガント。

そして今回の大発見だったのが、musee Carnavalet。ここはパリ歴史博物館という事なのだけれど、それほど歴史の展示という事でもなく、これまた豪華な装飾や調度品、そしていろんな人々の肖像画が並ぶ。ここはかなりの数の部屋があり、建物の構造上落とさないように見るには行ったり戻ったりが何度 か必要だ。それくらい見所満載なのになんと入場無料というからもうびっくり。最上階には革命期に関するものが集められていて、まさに私にはタイムリーな一角。さらに驚いた事には現在開催されているエキシビションが"フランス革命"。これは特別開催なので5ユーロだ。ここまでタダで見せてもらったんだから迷うことなく5ユーロ払ってチケットを買う。

かなり歩いてたし、もうお昼になってたので一端外に出てランチする事にした。無料だとこんな風に出たり入ったりが自由できるのがうれしい。ボージュ広場のカフェでソーセージとポテトサラダのランチ。相変わらずソーセージも付いてくるパンも美味しい。でもやっぱりお高い、、、ゆっくり美味しいランチを楽しんで再び博物館に戻る。最上階の部屋をもうひと回りしてから特別展示会場へ行くと、あるある、、革命当時に描かれてその様子を伝えるスケッチ の数々。写真もビデオもない時代だからね、スケッチがものをいう。

ついさっきお昼の時に読んでた本に実際に出てきた人達の顔、顔、顔、、、さらにちょっとびっくりしたのは、タンプルの塔に残されていたマリーテレーズのコルセットや、ルイ シャルル(ルイ 17世)の服。アントワネットの靴はすごくちっちゃい。21センチくらいかなあ。そういえばマリーテレーズもフェルセン伯も最期まで気にかけていたルイ シャルルの生死の消息は、つい5年ほど前に正式にDNA鑑定の結果でタンプルの塔内で死んでいた事が確認されて、その心臓が歴代王家の人々が葬られているサンドニ大聖堂に安置されたんだっけ。

マレで訪れたこの2つの無料博物館は私的に掘出し物だった。やっぱり調べてから行ってみるもんだよね。

どうやら博物館を見てる間に雨 が降ったみたいで、ちょっと肌寒くなってる。昨夜のニュースではイギリス は大洪水で大変な事になってるらしい。こっちも今日から雨模様になるような気配だから、丁度良い時に帰る事るかな。でも明日もまる1日あるのよね、ユーロスターは夜9時過ぎだから。もう1日うまく持ってくれないかしら。曇でも良いから、、、

明日はお天気次第だなあ、、ほんとにあっという間だ。やっぱり落ち着くなあパリ。フランス語がしゃべれたら良いとホントに思う。去年 同様7つの単語でなんとかなってはいるけど、もっと解れたらいいな、と今回 は強く思う。テレビも見てたけどやっぱりまるで解んないよ~~
続きを読む


ホテルの朝食はコンチネンタルとはいいながら数種類のハムもチーズも取り放題で、シリアルにヨーグルトに、パンも5種類がバスケットにいっぱい。朝からいつもと違う物を食べると調子が狂うので、ミニサイズのバゲットにハムとチーズ、そしてイギリス式にミルクティーで抑えておいた。でもこのハムもチーズも美味しいのよ!!

さてベルサイユ。早めにと思ったけど着いたのが9時半で既にかなりの人、人、人 、、、、ツアーバスが何台も来てるんだからしょうがないか。日本のツアーグループもいくつかあったようで、久しぶりに日本の若者集団に遭遇した。ちゃっかり紛れてガイドさんの話を聞くという手もあったけど、まあ払ったチケット代にはイヤホーンガイドが含まれてるので、英語のガイドを入り口でもらって廻り始める。最近読み終わったマリー テレーズの本も、今まだ読んでるフェルゼン伯爵の日記と手紙も英語の本なので、英語解説のほうが頭が回りやすい。

前に来た時は何の解説もガイドもなく短い時間で闇雲に回っただけだったけど、今回ちゃんと把握しながら観られたし、読んだばかりの本と重ねてみると面白い。それにしても宮殿はすごい人だ、、、 写真自由だけど、 "フラッシュはダメです!!"と係の人が何度も叫ぶ。きょう も良いお天気で結構明るいからフラッシュ無しでもまあなんとか撮れる。

宮殿をひと回りしたらもう11時。横のカフェで軽くお茶してからトリアノンへ。宮殿からはミニトレインが出ていて、歩かなくてもグラントリアノン、プチトリアノン、そしてグランカナルと回ってくれて乗り降り自由だ。グラントリアノンに着くとまだ11:45で、ここは12時からでないと開かない。さすがにこっちまではツアー団体は来ていないので、2ー3人でのんびり回ってる個人旅行者の人だけだ 。でも日本人が多いのは何故。、、、? 開くのを待つ間読みかけのフェルセンの本 を読む

フェルセンの日記は面白い。というのは、あの時代は電話もなかったし写真すら無かったので、手紙に書かれている内容が本当に細かいのだ。あれだけの詳しい手紙を書くためには当然自分でメモのようなものを書きつけておかないと分からなくなるだろう。彼の残した日記はその書きつけのようなものだ。フェルセンはスウェーデン国王の命令で外交的な橋渡しをしていたし、軍隊もスウェーデンとフランスの両方に属していた人だから、報告の内容も的確だし、手紙の文章も教養の高さがうかがえる

アメリカ独立戦争に参加している時の父親宛の手紙にも、軍人としての自分の意見も示してあって人を観察する目もキレが良い。面白いのはやっぱり父や国王に宛てた手紙と,自分の書きつけ/日記とではトーンが違う事だ。日記のほうでは、"XX嬢に紹介される。あまり可愛くは無い"なんてサラリと書いてる

プチトリアノンとアントワネットの田舎家はホントに一日のんびりしたいような場所。それにしてもあの大宮殿からここに移り住むっていうのは、王妃様にとっては6畳の1DKに住むようなもんじゃないかしらね。まさにこじんまり。ここではかなり歩いたよ~
午後はちょっと曇ってきちゃったけど寒くはないので歩きやすい。ちょっと曇った秋の森は情緒たっぷりで空気がすがすがしい。都会を忘れてリフレッシュできた。

またミニトレインでカナルに出てレストランでランチすることにした。もう2時半だったからかなり歩いてたんだ、、、カナルからは宮殿まで歩いて戻った。やっぱりでかいよベルサイユ、、、とてつもなく広いよ!  ルイ14世凄いよ、、、 でもこの宮殿の維持費だって革命への大いなる要因になったんだからね~~ 。

丁度昨夜ホテルのテレビで庭の手入れをする人の番組をやっていて、フランス語だから詳しくは内容は判らなかったけど、このベルサイユ庭園の事をやっていた 。真上からみると見事に左右対照で、綺麗な直線でデザインされてる。実際に現場に立つと広すぎちゃってかえってよく見えない。宮殿もとてもカメラに全部は入らないしね 。巨大です

さて明日は土曜日。ウィンドウショッピングでもするかな。昨日から早起きしてるからちょっと朝ゆっくりしよう。せっかく休みなんだし。


今回のパリ初日。朝6:55のユーロスターに乗るには5時過ぎに出なくちゃならない。駅までは歩いて15分の上り坂。
バスもあるのだけれど、始発が5時半だから間に合わない。スーツケースを引っ張っての昇りは結構朝から運動だわ、、、

今回は義兄の好意でこのブレイクは頂き物だからユーロスターの座席は選べなかった。4人テーブルの席で私の他3人,どうやらロシア語らしき言葉で話す若者たち,,なんと、電車が出るやシャンパンあけてるよ~~! おいおい、、、朝の7時だよ!!

ホントにあっという間に着くよね。去年よりトンネルの時間が短かった。10時15分北駅到着。最後車両だったので、ホームに降りてからコンコースまでだけで5分は歩いたわ、、、それにしても今日のパリは良いお天気

チェックインには早すぎるけど、荷物は預かってもらえるという事だったのでまずはホテルへ。去年のホテルからそう遠くない所なので既に土地勘はある。可愛いホテル

まずは、去年行かなかったエッフェル塔のあるトロカデロに出てみた。エッフェル塔を正面に見る。エッフェル塔はエレガントだよね。逆光の中に煙るような姿 はとても美しい。いくら東京タワーがエッフェル塔を真似て造られたとしても、ちょっとだけ高さで勝ってる気にしても、美しさにおいては思いきり負けてるよ、、、、最近特にケバくなってるし、、、

今日はとってもお天気が良いので地下鉄に乗るのがもったいない。、、という事でバスでセーヌ川ドライブをする事にした。73番のバスにのって 東のパリ市庁舎まで行く。市庁舎も去年行ってなかったけどこの建物も美しい。

そう、パリにあってロンドンにないもの=優雅な気品のある美しさそういう意味ではちょっとフェミニンなのかもしれないね、パリは。やっぱり大好き

お昼はカフェで。ちょうどお昼時でお兄さんがアコーデオンを弾きながら店内を歩いて盛り上げてくれる。わたし はお昼から煮込みとかこってりソースの肉料理とかは食べられないので、ベーコンとマッシュルームのクレープにした。でもさらにチーズと卵も入ってて、一見軽そうで実は結構なボリュームだった。こんなシンプルなものでもやっぱりおいしい!!

朝早かったからまだ眠い、、、、明日も早めに起きてベルサイユへ。今度こそトリアノンと王妃(アントワネット)の田舎家も回ってくるぞ~. さて、 寝酒のワインを仕込んでくるとしよう、、、、、

やっと10日間のoffだ〜〜!
マイペースで始まった初日の予定は、靴を買う事とダイアナのデビュー舞台「The rise and fall of Little Voice」。
芝居は7時半からだから、遅目の午後にウェストエンドに出てお店を見て廻り、仕事が終わった彼と一緒に軽く食べてから私はシアターへ・・という事になった。

今年のオックスフォードストリートのクリスマスライトは結構可愛い。特に東側(サーカスからシティー側でカムデン区の管轄)のほうが今年は可愛いかも。靴は欲しいタイプがあらかじめ決まってたので、サクサクと数件の店を見て一番望んでたのに近いものを購入。これはパリ用に、長時間歩き回れるものがほしかったのだ。でもスニーカーはいやで、カジュアルなスカートにもGパンにも合うフラットヒールのものを探してた。ありそうで無いという事で地元をあきらめて、わざわざ都心まで出てきた甲斐はあったね。

彼と待ち合わせまで30分程あったから、ブラブラと見て歩く。もうクリスマスの賑わいが始まってる。ついでに最近お目見えしたスクランブル交差点も斜めに渡ってみる。でもこれって距離が短いから、待ってる時間と渡れる時間の割合がめちゃくちゃ悪くない・・・? 渋谷や銀座の交差点は道が広いから、車が来る合間にちょっと走って渡っちゃうという事が実際かなり危険なので、信号が変わるまで待たざるを得ない。でもオックスフォードサーカスなんて実は小さな角なのよ、、、おまけにバスだらけで信号が青でも動かないから、人は結局無視して隙間を渡ってしまう・・・あれでどれだけの効果が上がったのかしら、、、???

さて、、、Little Voiceのダイアナはとてもキュート!やっぱり彼女の声は特殊だ。このリトルヴォイス役ではいろんな歌手達の声と歌い方を真似てみせるというのがひとつの見せ場。訓練しきれていないと、無理して違う種類の声を出すというのは一歩間違えたら喉を潰す。18歳のダイアナは初々しくてでもやっぱり歌に関しては堂々たる貫禄をみせる。おまけに可愛いし、身体が綺麗!!18歳だもんね・・・本来の彼女の声はハスキーだ。でも「ゴールドフィンガー」なんかをドスの聞いたすごい声量で歌うし、高い可愛い声も綺麗だし、2幕では見せ場が満載。

この芝居全体で言えば、LVはほとんど台詞もないし、演技的には素人でも充分なんとかなる。むしろ一番大変なのはお母さん役だ。多分すべての台詞の7割り方は彼女がしゃべりまくる。上手く引きつけているけれど、やっぱりあの調子がずーっと続いていくと途中でちょっとうるさくなるかな・・・

もう一人、私の大好きな特殊な声をした女優/歌手のFrances Ruffelleを思い出した。フランセスはロイド・ウェバー氏の「キャッツ」や「スターライト・エクスプレス」の後、オリジナルの「レ・ミゼラブル」でエポニーヌ役を演じ、NYでも同役でトニー賞を取った人だ。いずれも初演時なので今はもう40代半ばになってるかな。

彼女がインタビューで話していた事が興味深い。

私の本来の声はとてもハスキーで、昔は自分でそれが好きじゃなかったし、その事で歌の幅が狭まってしまうように感じていました。それで息の音を出さずに発声する訓練をして、独自の方法を身につけました。そして生まれたのがエポニーヌだったのです。

1985年初演版のエポニーヌの声は、その心の痛みがピリピリと伝わって来るような良く響く声で、私は思わずボロ泣きした思い出がある。この時から彼女の特殊な声に魅せられて、機会があると彼女の舞台は観るようにしていた。そして彼女自身が出したアルバムを聞くと、確かに舞台での声とは全然違う声質を聴く事ができる。ハスキーで、Jazzyだ

ダイアナの声もフランセスと似た声質かもしれない。だから、ハスキーを生かした声と、それを全く消したパンチのある声の両方で勝負出来る。最初は「初めてなのにこの舞台で喉を潰さないか、、、」とちょっと心配になったけど、どうしてどうして素晴らしいもんでした!!

彼女は去年のx-Factorではファイナリストだったけど上位3位を逃している。今年のほら、、そこの坊や達!!Jedwardとか言ってんじゃないわよ全く・・・!ちょっとは爪の垢でも煎じて飲んで足洗っておととい出直しておいで!!(前に書いた歌えないガキ双子デュオです)

さーて、あしたは早起きしてパリだ〜〜!! どうやらお天気は持ちそうだし、気温も14-5度って事だから歩き回り易そう。今回はベルサイユに丸一日使おうと決めている。というのも、大昔に行った時はもう着いたのが3時過ぎで、(しかもやっぱり11月)庭園からトリアノンが観られなかったからね、、、のんびり、ゆっくり、、、一人旅の特権

なんか、、ちょっとヘトヘトになってる、、、
忙しいって程でもないけど、たった一人の助っ人同僚のA嬢が休みを取ってる今週は、やっぱり途切れる瞬間がない

いや〜、3人まではなんとかさばけるわよ、、、でもね、4ー5人いっぺんに目の前にいておまけに電話も2回線とも鳴り出した日にはお手上げですわ、、、 そうなると避けられないケアレスな凡ミスが出てしまう。注文先のラボが「変なオーダー」に気が付いてくれて、確認の電話をくれたからホントに良かった!処方箋間違って書き写したら大変な事になるって!!

なんだろう、、寒くなってきたし(先週末なんて気温一桁!)毎日毎日必ず雨が降るし、日もどんどん短くなって暗くなったし、、、 読んでる本がフランス革命期のドキュメンタリーだから頭がすっかり200年前になっちゃって、21世紀のスピードについて行けなくなってる感じ。こう、、頭も身体もドヨ〜〜ンってしてるのよ、、、、

で、ハタと気が付いた! これって、良く言われてる冬期初めの軽いなんじゃないの、、、 自分でもパワーが落ちてると思うし、夜ソファーに座って何の音も聞きたく無いし(テレビもラジオもミュージックも)、なんにもしないでぼ〜っと時間が過ぎてくなんて・・・・自分でも動作がのろくなってるのに気付く。どうした私!!?

ちょっと疲れてるのよね、、、うんきっとそれだけだ。来週には私がホリデーだからね〜!一年振りの花のおパリが私を呼んでいる

F1の今季最後のレースも、相変わらず波瀾のX-Factorも、日本の警察がやっとIchihashi=市橋を捕まえた事も、相変わらずアフガニスタンで兵士達が次々と命を落としてる事も、オックスフォードサーカスの交差点が東京式にスクランブルになった事も、思う所はあるけど突っ込む気力が無くなってるよ〜〜

さーて、あと少しだ。今年のX-FactorがだんだんSillyになってきた分、去年のファイナリスト達が活動している。最終決戦でアレキサンドラに優勝を譲ったボーイバンドのJLSが売れている。新しいシングルもチャートのトップになってアルバムも順調だ。そして私の去年の一押しだったダイアナ(Diana Vickers←こちら)が、なんと舞台版の「リトル・ボイス」に主演している

ジェーン・ホロックスをスターにしたこの作品、映画版もいろんな賞を取ったけど、オリジナルは舞台で原作のタイトルは「The rise and fall of little voice」。去年のx-Factorの時は17歳のダイアナは初々しくて、ハスキーな声が他の誰とも違って独自のカラーを持っていたので私は応援してたのだ。あれから一年、舞台のクリップを観たら、声質もぐっとプロのものになっていてびっくり! これは来週パリに行く前に観るので楽しみだ〜〜!

パリから戻ったらまたクリスマスの準備をしなくちゃね。どうしてこう一年が早いんだろ、、、クリスマスカード選びをしなくては。ああ、その前に結婚記念日、、?もういいよ、、今更、、、、??

X Factorが荒れている・・・

X Factorというのはプロの歌手を生み出すための全国オーディション番組だ。元々はPop Idolという番組として2001年に始まり、これが大ヒットしてアメリカ版をはじめ世界中に似たような番組ができた。数年後、もっとプロフェッショナルに世界に出て行けるレベルの歌手を養成する目的でX Factorとしてジャッジ達も一新。ファイナルに残るためには厳しい合宿生活を何ヶ月も行い、シャッジと視聴者の両方からの支持を得なくては勝ち進めない。

今イギリスで大人気の全国オーディション番組といえば、今年前半に世界中でスーザン・ボイルさんが話題になったBritain's got talentがあるけれど、BGTとX Factorの違いは、後者ははじめから「世界レベルのプロの歌手」を目的としている。BGTのほうはバラエティーパフォーマンスという事で、何でもあり=普通の人々の隠れた才能発見が人気の秘訣。

じゃあ、プロの歌手に必要なのは何か、、、当然「歌が素晴らしく上手い」というのが第一項だ。歌が上手いというのは、さらに音程を正しくとる、リズムを崩さず歌える、発声/発音がきちんと訓練されている、強弱、高低と自在に声を幅広く使える、聞く人の胸に響く歌を歌える、いろんなジャンルの歌を自分のものとして歌える・・・・等いろんな要素があり、さらにプロの歌手としてショウビジネス界で生き残っていけるタレント性や、それに見合う精神力があるか、そして何よりもそれなりに商品として売れる外見/人間性をもっているか・・・・と考えるだけでもさまざまな条件をクリアしなくてはいけない。

今年のX Factorは「歌えない子達」が視聴者人気を集めてしまってジャッジ達を困惑させている。ファイナルシリーズに残った12人は毎週ライヴパフォーマンスの後に視聴者投票で一人ずつ落とされる。ところが、明かに歌がヘタッピイなのに視聴者の人気を集めてしまって勝ち残ってしまっている双子の男の子達、John&Edward。確かに若い女の子達からはキャー〜!といわれそうなタイプだし、毎週のパフォーマンスは歌が歌えない分衣装や振り付けで会場を盛り上げてはくれるんだけど・・・・

ファイナルに向けてシリアスになってくればくるほど、だんだんこの2人組が勝ち進んで行く事にジャッジ達も困惑し、「実力か人気か」の物議を醸し出している。「まともに歌えない」のは誰の目にも明かなのに勝ち残ってしまう彼等はどこまで行けるのか・・・?

私としても、彼等はBGTなら楽しくていいけれど、X Factorのレベルじゃ無い彼等のパフォーマンスがだんだん目障りになってきた・・・可愛い元気な双子の男の子デュオっていうのはいかにもポップアイドルらしいんだけど、他のコンテスタント達と一緒に見るとやっぱり同じレベルじゃない。あとそうだなあ、、遅くとも2ー3週のうちには落とされてしかるべき、かな〜。

でもおかしいのは、最初の頃は「何でお前達が通るんだ」と辛辣なコメントだったジャッジ達が、「ひょっとしてこの子達は売ればお金になるかも」と思い始めてるっぽいのだ。なんとなくトーンが変わってきている・・・??
昨日のパフォーマンスも歌えなさをカバーするに充分な楽しいものではあったけど、今週の視聴者達の判定やいかに・・・??

Banner

時間を見つけてはひたすら本を読みまくっております・・・
_SL500_AA240_マリー・テレーズの本。(フランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの王女)マリー・アントワネットの生涯も良く知られたドラマチックなもので、今までにもいろんな伝記物が出版されている。新しい所では、アントニア・フレイザー女史の書いたバージョンが映画の原作にもなった。

でもその後の事は、、、?と思い立って読み始めたこの本。表紙のこの肖像画は幸せだったベルサイユ時代の少女の頃のもの。その後、10歳で三部会/バスティーユ襲撃、そしてベルサイユを追われてパリに移り住む。この宮殿を追われた時の模様は凄まじい。忠誠を尽くしてくれた身近にいた護衛達が血みどろになって殺されて行く・・・

パリのテュイルリー宮に移ってからはあれよあれよという間に父である国王は権力を失っていく。いつも人目にさらされ、全くプライバシーのない生活が続いて、12歳の時にフェルセン伯爵の計画によって国王一家はパリ脱出を決行。生きた心地もしない一晩の逃避行の後に見破られて屈辱のパリ帰還。13歳の夏には暴徒がチュイルリー宮に押し寄せて、命からがらの脱出ーータンプルの塔へ幽閉される。

タンプルの塔での約3年の間に父王は処刑、母、叔母、弟も次々と連れ出されて彼女は彼等の運命の果てを何年も知らされない日々が続く。(母と叔母はギロチンで処刑、弟である王太子は病気になってもほったらかされ、部屋の掃除も服の着替えもさせてもらえないままに病死)そんな中でも尊厳と誇りを失わず、「母や叔母がどうなったのかを教えてくれない人とは言葉交わさない」という徹底振りは15ー6歳の少女とは思えない。

17歳の誕生日未明にようやくオーストリアとの人質交換として釈放され、夜中にパリを脱出し、母の故郷であるオーストリアに迎え入れられる。それからも、ハプスブルグ/ブルボン両家の血を引く王女として政治的綱引きの対象にされる。ローマ皇帝フランツ2世と叔父であるルイ18世の間で、それでも自分の主張を誇示する少女はほとんど生意気なまでに頑固で誇り高い。

まだ途中なんだけど、、、読み進むにつれて「なんて人生だろう、、、!」と思わずにいられない。ロイヤルファミリーっていうのはやっぱり特殊だからね。まったく自由のない幽閉生活のようでもちゃっかりヨーロッパ中に出した手紙が今でも残ってたりする。それにしても、本当になんの打算もない忠誠心から王家に命を差し出した人々が沢山いたのだ。

国王や王妃の側近として使えていた人達の忠誠心というのはすごい。幽閉状態の牢獄へ、進んで自分も「お世話しに」行こうと申し出る。王妃の名を語った偽手紙で「今すぐフランスに戻ってきてちょうだい」と言われれば、一も二もなく亡命先から危険きまわりないパリに戻ってきて惨殺されてしまった人もいる。忠誠心で、友情で、そして愛情で・・・

images-1それにしてもフェルセン伯爵、、、いや〜〜、凄いよフェルセン、、、カッコ良いよ〜〜! 親族でも側近でもない彼の、命をかけてヨーロッパ中を奔走する姿に驚いて、フェルセンが残した日記/手紙を集めた本も同時進行で読み始めてしまった。2冊を並べて読み進むとすごく解る。ちなみに彼の名前は日本の歴史家の間でもフランス語でも英語でもフェルセンなので、私もそう表記します。

王妃の生涯只一人の恋人とも言われるスウェーデン貴族のフォン・フェルセン伯爵だけれど、実はフェルゼンとアントワネットが肉体関係を伴う不倫関係にあったのかどうかは、歴史研究家達で意見が分かれている。ゆるぎない信頼関係で結ばれていた事は間違いない。けれど彼等が不倫関係にあったという確固たる決め手は実は残っていない。

フェルセンは国王一家をパリから脱出させるために東奔西走した。ヴァレンヌ逃亡事件はほとんど彼がで各所に連絡を付け、当日には途中まで自らが馬車の手綱を取っている。これが失敗に終わってからも、数カ月後には命知らずにも変装してパリに戻り、新たな逃亡計画を国王に持ちかける。2人の恋人としての一夜を確信する歴史家達の根拠は、このチュイルリー宮に忍び込んだフェルセンが残した日記的メモによる。

「テュイルリー宮に行く、王妃に会うが国王は不在。王妃のアパートメントは綺麗な部屋だ。」そしてこの後にインクがこすられた後がある。このこすられた部分に「ここに泊まる=Reste la」という語があったというのが有力説だ。このReste laという語はフェルセンが日記=メモで度々使っている表現で、愛人である女性を訪ねて一夜を共にした時にそう記している。(関係を持っていた女性は何人もいたようだけど)

でもあくまでもインクはにじんでこすられてしまっているので、はっきりとそう読める訳ではない。もしかしたら後になってだれかが故意にこれを消したとも充分考えられる。でも証拠にはなっていない・・・ フェルセンは日々の出来事を日記というか、メモ風に書き残していたが、1780年から革命までのものに関しては、パリから亡命する際に友人に預けた。後に危険を感じたこの預かり人の手によって破棄されてしまったので、肝心な部分が残っていないという無念さがある。

現存する資料では、フェルセン伯爵とアントワネットがプラトニックな信頼に元づく愛情で結ばれていたのか、男女としての不倫関係にあったのかは特定できないのだ。でも考えようによっては「バレたらまずい」からこそ、この友人はフェルゼンの日記を破棄したとも考えられる。(証拠が残っていないのが証拠?)

どちらにしても、残されたフェルセンの日記からも、アントワネットを愛していた苦悩が伺える。国王が処刑された時の日記は淡々としているのに、アントワネットが処刑された時は、「何を感じる力もない」「残忍な罪を犯した(王妃を処刑した)野蛮人共に裁きは下されないのか」「復讐せずには心の安らぎはない」等、心情を書き付けている。妹のソフィアに宛てた手紙ではもっと激情を綴っている。「自分の千の命と引き換えにしたかった彼女はもうこの世にいない・・・」

マリー・テレーズがオーストリアに釈放されると、フェルセンは他の誰もしなかった事にヨーロッパ中を走り回る。マリー・アントワネットは生前に「国王と自分に万が一の事があった時、子供達のために」とヨーロッパの各所に自分の財産/宝石を預けてあったのだ。それを知っていたフェルセンは、マリー・テレーズに母の財産を手渡してあげるために奔走する。混乱期の事で、行方不明になってしまった物もあるうち、何割かの財産がフランツ皇帝に渡っていた事を知ると、皇帝に直談判して、お金をマリー・テレーズに渡すようにと迫る。マリー・テレーズはこの件に関しては何も知らず、フェルゼンに聞かされて初めて母の遺産の事を知り、「母の財産を正当に受け取るまでは自分の身の振り方は決められない」と、彼女を政治的駒にしようとしていたフランツ2世とルイ18世に牽制をかける。

外国人であるフェルセンのフランス国王/王妃に対するロイヤルティーは、やはり忠誠心を越えた、王妃への愛情があったからだとは思う。でもそれはきっと騎士道精神的な愛だったんじゃないかな。初めて出会った10代の頃と、その4年後にフェルゼンがフランス戻ってからアメリカに行くまでの頃には若い2人の胸をときめかせる感情があったとしてもおかしくない。けれど少なくとも30を過ぎた頃からの王妃は、なによりも女王としての立場が最優先で、国王と運命共同体として結ばれている

革命期にはとても不倫をしている余裕なんてなかったはずだし、フェルセン自身もそれは充分承知の上で、あえて国王一家のために献身している。王妃も、フェルセンにはかなり私的な事をゆだねており、単なる友人以上の信頼関係で結ばれていた事は間違いない。でも俗にいう、不倫の恋人同士であったとは思えないし、それに関してはどちらでもいいじゃないか、、、とさえ思う。その頃には彼はサリバン夫人という愛人と一緒にいたのだし、、、

美貌の青年貴族として宮廷中の貴婦人を虜にし、アメリカ独立戦争や、母国のロシアとの戦争等、軍人としてのキャリアも固く、スウェーデン国王のお忍びのヨーロッパ旅行に付き合い、ヨーロッパに幅広く顔のきく外交官として各国を飛び回るフェルセンは、まさに理想の貴公子という感じがする。メインのスウェーデン語、フランス語の他に、ドイツ語、イタリア語、英語も話したというから凄い(アメリカ独立戦争の際にはロシャンボー将軍の副官として、ジョージ・ワシントンとの通訳をしていた)・・・ルイ16世一家に対しては、宮廷で側近として勤務していた人達の忠誠とはまた違った独立したロイヤルティーと行動力を見せる。

本を読んでるとあっという間に時間が過ぎて行く、、、でも面白いよ。フェルセン伯の日記も本来は15歳から亡くなる2年前まで書き続けていたのに、出版されているのはフランス宮廷との関わりの部分だけだ。もっと彼自身の事が知りたくなる。探してみよう・・・

歴史ものは小説と違って、自分なりの見解をもって読めるからやめられな
い!

追記
やっとみつけたフェルセンの本については「本を読む」カテゴリーに追加しました

↑このページのトップヘ