見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

February 2009


3月の初日まであと2週間をきった「ムサシ」は、本がまだ最期までいってないっぽいけれど、どうなるんだろうか・・・?? と気になり出した所に、「藤原竜也君が小栗旬君の深夜ラジオに来るんだって」との情報。当然私には聞くのは不可能なので、「ムサシの様子とか話題に出たら教えてね」と言っておいた所、某所で番組まるまる聞ける、とまた速報が・・・・

小栗君のラジオ番組は「オールナイトニッポンいや〜〜、懐かしい!!ほんっとになつかしいよ〜〜! オープニングの曲は今でも変わってないのね。

私は中学生になるとほぼ同時にラジオの深夜放送を聞き始めた。何がきっかけだったかははっきりとは覚えてないけれど、深夜放送を聞いてる連中が回りにいて、週のうち4日位、朝まで聞いていた・・・・ それでちゃんと学校でも寝てなかったのだから、私の寝ない癖はあの頃に身に付いたものなのだ

あの頃は、ニッポン放送のオールナイトニッポン、TBSのパックインミュージック、文化放送のセイヤングとあって、毎日様々なパーソナリティーで楽しい夜中のひとときだった・・・って、今にして思えばガキのくせにませてたよねえ〜〜!
ちなみにパックとセイヤングは3時までだっけど、私が聞き始めた頃のオールナイトニッポンは、1パーソナリティーで夜中の1時から5時まで4時間番組だった。大抵は4時半を過ぎた位でウトウト寝ちゃって、オールナイトニッポンを最期まで聞き通せた事は少なかったかも。確かそれからすぐに2時間2部制になったと記憶してる・・・?

竜也君と小栗君、楽しそうだね〜! っていうか、この二人は声が似てる。そう思ったのは私だけではないようで、番組中にメールで指摘された方もいた。声のトーンとか、若者しゃべりなテンポが似てるんだよね。「ムサシ」はどうやら台本は毎日少しずつ上がってくるとすぐ稽古を付ける、という形で進行しているらしい。それにしても大丈夫か井上先生、、?初日は3月4日かあ、、お〜、My birthdayですわ・・・

もとから題材としてあるものから台本を起こして、何度も書き直し、練り直し、あれこれと検討しながら時間をかけて練り上げた舞台が良いのか、ギリギリで上がったものをほとんど直感で創り上げて舞台に乗っけるのが面白いのか・・・ これが芝居の楽しい所。ただ、やっぱり実際に台詞や動きを覚えて演じる役者にとっては笑ってられない事態だ。これがほとんど台詞も動きも即興で舞台に乗っける、というのであればそれでまた別なんだけどね。

「ムサシ」は音楽劇っていう事だったのに、あんまり歌や音楽に関する話しは無かったね、、無くなっちゃったのかしら? 能の歩き方を稽古してるというから、蜷川演出には古典芸能っぽい色が入ってるんだろうか。いざとなったら、初日は出来上がった所までだけやるとかね。そう考えると、本当に終わりがなければいけないんだろうか?とさえ思う。終わりがなくて始まっちゃった芝居の幕をどうやって降ろすか、、なんていうのも実験演劇としては面白いよね

小栗君の話にあったように本番中に怪我をしてしまう事だってあるし、台詞や歌詞がスポーンと頭から飛んじゃって、全く違う事をしゃべって場をつながなくちゃいけなくなったり、なんて事もある。あるはずの小道具が無かったり、衣装が破れたりなんて事は大抵の役者は遭遇してるはずだ台本が出来てなくたって面白いじゃないか とりあえずムサシが小次郎に勝つのは解ってるんだから。いや、、これもかわっちゃっても面白いかも

ライバルであり良き友人である彼等二人の会話は、途切れる事無く深夜の電波に生き生きと乗っている。スタジオで目をきらきらさせてマイクを囲む二人の姿が目に浮かぶ。小栗君は初日の直後にまたオールナイトニッポンに駆けつけるそうだ。聞いてる人にまたエネルギーをいっぱいくれるのだろう

いろんなコーナーがあったり、視聴者からの葉書や手紙で盛り上がったり、時にはゲストが来たりする深夜放送の楽しさ、ずっと忘れてたよね。高校生の頃には、送った手紙が番組で読まれた事も何度かあって、記念品をもらった事もあった。手の届かない向こうの世界じゃなくて、いつでも参加できるみたいな身近な雰囲気が常にあった。これはきっと今も変わらないのだろう。葉書や手紙が今はe-mailになったのが大きな違いか・・・

それにしてもチャン、チャチャン、チャン、チャチャン、、、って始まるあのオープニング曲、ほんと懐かしかった〜〜!


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2週間前には大雪騒ぎで混乱したロンドンですが、なんとなく春の匂いがしてきた、、、 ここ数日で急に空気が変わってきて、ちらほらと水仙が芽を出し始めてます。あと少し、春はまたやってくる・・・!

最近気になってる事、それはスタバ(スターバックス)での定期集会。最近はバリアーフリーという事で、新型のバスはどれも車椅子で乗り降りができるし、専用スペースもある。スタバをはじめ、カフェやレストランでも車椅子でのアクセスが確保されている店舗が凄く増えた。でもちょっとなんだか様子が違う

週に2−3回お昼に腰を落ち着けるスタバ。本当はスタバの食べ物なんてろくなもんじゃないし、犯罪的にお値段も高いので特に行きたいわけじゃないのだけれど、コーヒー党の私としてはお昼にコーヒーは欠かせない。で、職場近くでまともなコーヒーが飲めるカフェというのが2件しかなくて、その一つがスタバなのだ。お高いけど仕方が無い・・・私のランチタイムがいかにモノポリーなものか想像していただける事でしょう

スタバでよく見かけるのがママさん集会だ。週に2回くらい、早めのお昼時間にやってくる。7−8人の若いお母さんがバギーに赤ちゃんを乗せてやってくる。赤ちゃん達はみんな3−5ヶ月位の感じだから、近くで定期的にママさん懇親会でもやってるのだろうか、、、 店内中央のテーブルを3−4つくっつけて、回りはバギーでいっぱい、さらにバギーには赤ちゃんだけでなく様々な買い物も乗せられている

そうか、、車椅子でアクセスできるという事は、乳母車でもアクセスできるという事だったのだ。そして昨日、ママさん達の集会が行われている所に車椅子のおばあさんが娘さんらしきおばさんとやってきた。階段脇のスロープを降りて注文カウンターへ行く途中で、店内中央に陣取ったお母さん達のバギーで行く手を阻まれている。さすがにママさん達も気づいてバギーを動かしたり赤ちゃんを膝に抱いたりしてスペースを開けてあげるのだけれど、見ていて「なんだかなあ〜・・・」という気もした、、、

そういえば、バスの専用スペースも、ほとんどは赤ちゃんバギーで占められている。バリアーフリーの場所が増えるにつれて、赤ちゃん連れの人達がどんどん増える。もちろん、それがいけないとは言えない。小さい赤ちゃんのいるお母さんがどれだけ大変かは理解できる。昔はなかなか外に出る事もままらななかったのだし

でもね、何かが、何かがちょっと違うような気がするのは私の思い過ごしなのだろうか・・・ それもママさん達というのが、ほとんど外国人というのがまたちょっとひっかかったりして。生活補助金をもらい、家賃を免除してもらって健康保険もタダという恩恵にあずかっているEU諸国からのママさん達、、きっとシングルマザーだったりするんじゃないのかなあ〜・・・で、バリアーフリーのスペースを乳母車で独占ですか・・?? ちょっと違うような気がしてならないのだけれど・・・

Schoolーrunと呼ばれる、学校への送り迎えのラッシュアワーもそうだ。子供を学校へ送るためのお母さんドライバーというのはちょっと厄介で、駐車違反をしようが、強引に割り込もうが、「私は後ろに子供を乗せてるのよ」という事を強調する。あんまり目に余ると、「子供がいるからって、、SO WHAT?! (だから、何?)って言いたくなってしまうのよ・・・

私に子供がいないから、「あなたには解らない!」と言われてしまえば仕方ないけれど、あまりにも目に余る事ってあるんだよねえ・・・・


去年、世田谷パブリックシアターと英演出家サイモン・マクバーニーのコラボ作品「春琴」が日本で上演された時、「素晴らしかった」とレポしてくださった方がいた。深津絵里さんは私も好きな女優さんで、題材が谷崎潤一郎の「春琴抄」という事で、この有名な谷崎の代表作をイギリス人がどう見るのか、ましてやそれが鬼才サイモンであればどうなるのか、興味があった

この舞台のロンドン公演の事は本当に直前まで知らなかったので、びっくりした。キャスト一同は1月初めには来英して、30日からのロンドン公演に向けて手直しのワークショップを続けていたそうだ。丸3週間の公演というのは遠征公演としては長いほうだが、マクバーニー氏のCompliciteはこちらで凄く人気があるので、驚く事じゃないかもしれない。07年のA Disappearing Numberはいろんな賞も取ったし

マクバーニー氏はもう10年以上も谷崎の「春琴抄」と「陰翳礼讃」を組み合わせた舞台の構想を練っていたらしい。成る程これは外国人の目からみた日本の美だ。光と闇の、闇を美しいと思う心。この舞台では日本の美が至る所にちりばめられていて、日本人としてはそれに気づかないくらいだ。衣装の着物の色合いから、襖を開け閉めする音、(これを呼吸音で表現していた効果に驚いた)畳を歩くすり足、黒髪のおかっぱ、竹筒を流れる水の音、、、、

三味線の音というのは、今の日本では普段耳にする事はほとんどないのだろう。私の母はずっと三味線、長唄、小唄をやっていたので、私には子供の頃から耳慣れた音だ。そういえば、うちの彼がはじめて日本に言った時、時差ボケでうとうとしていた所に2階から聞こえてきた母のお三味線のかすかな音が、ものすごく心地よくて安心できたと言っていた。今でも時々その事を話すくらいだから余程気持ちよかったのだろう

春琴と佐助の師弟として、主人と従者として、男と女としての人間関係を、役者の肉体と声、そして人形を使って表現していく。子供時代の春琴を人形にして、それを黒子役が二人で操って動かす。黒子の一人、深津絵里さんが春琴の声を演じている。 子供は残酷で、人形は不気味だ。この冷たい陰の要素に感情の肉付けをしているのが深津さんの声で、彼女の声は冷たく、激しく、燐としていてどんな大人も服従させるエロチシズムを持っている。 そして後半で大人の春琴を生で演じる深津さんの声も、トーンは全く違うのに、子供時代からの春琴と違和感が全く無い。

春琴も佐助も、子供時代から晩年まで人形と役者合わせて4人ずつで演じられている。が、そのギャップは全く感じさせない。特に春琴は、子供の人形から少し大きくなった人形、そして人形の仮面を付けた役者が肉体を使って人形のように演じる春琴、最期に深津さんが扮する大人の春琴と演じられる。この多面性は舞台進行が朗読のようで、想い出話のようで、史実のようで、ラジオドラマのようで、舞台劇であるという多面的な表現効果を使っているのと相まって、視覚的、感覚的に谷崎のオリジナルが持つ独特の世界観を美しく表現するのに成功している

芸術の発端は。何かを美しいと思う感情が、美を求め、探し、見つけ、再現し、創造する。何を美しいと思うかが芸術の無限の可能性で、視覚的なものから、感触、音等様々だ。谷崎潤一郎が綴った陰の闇の美しさは、同時に人間の持つ影の心の描写でもある。高慢で盲目で究極な我が儘女の春琴が美しく、なじられても蔑まれても春琴に奴隷のように尽くす被虐的な佐助の愛が美しい。二人のS&M的な主従関係は、同時に艶かしい男女の関係であり、生涯にわたる絶対無二の愛情関係だ。これらを舞台で美しく見せるために、どれだけの試みがなされたのだろうか・・・

やられた」というのが最初の感想だ。これを外国人にやられてしまったよ・・っていうか、日本人にはこういう舞台は思いつかなかったんじゃないだろうか。随所に取り入れられた和楽器の効果や、棒だけで表現される部屋空間や楽器、庭の様子等も無駄がなくて解り易いし、畳の使い方も巧い。「現代のスタジオで収録中」という設定を織り込む事で、これが本の中の絵空事ではなくて、充分に現代でもどこにでもあり得る話である事を観客に思い出させる事も忘れない

とても練り込んである作品だ。きっと今もまだいろいろと練り込んでいるのかもしれない。去年の日本での初演から何処がどれくらい変わったのかは解らないけれど、外国人観客に解り易く練り直した部分はあるようだ。時々、どんな訳になっているのか気になった部分だけ、ちらちらと字幕を見ていた

バービカンでは、字幕が左右の電光版に2行ずつでるのだけれど、これを読んでいると舞台が視覚に入らないという欠点がある。だから、舞台での動きや入れ替わりが激しいと読んでいられなくなってしまう。今回の舞台は比較的読みながら舞台に目を戻す時間が計算されていたように思うので、イギリスの観客にも理解してもらえたんじゃないだろうか。笑いもけっこう起きてたし・・・

プログラムも充実していて読み応えがあった。Dr Stephen Doddの寄稿文を読んで面白い事に気づいた。それは「日本では、日本近代文学の中では夏目漱石のほうが文豪として位置づけられ、お札の顔にまでなっている。が、日本以外の国ではほとんど話題にされていない。谷崎のほうが西洋の読者達に受け入れられ、共感されている」という一文だ。Dodd氏はこれを、谷崎の作品は現代のフェチズムやセクシュアリティー、肉体や欲望等、一種特殊な嗜好を現実とイマジネーションとの世界で表現しているからだ、と結んでいる

これは、谷崎の文学が美を追求した芸術に分類できるからではないだろうか。三島由紀夫にしてもそうだ。西洋では三島が一番知られているかもしれない。確かに夏目漱石の作品は、文学的ではあるけれど、芸術的ではないと言える。美を求める感性とは違うものだからだ。(留学しちゃったのがドイツだからね〜・・・?)芸術っていうのは本当に人間の陰な部分の逃げ場のようなものだからね。普段の会話や行動ではタブーとされる事が、芸術では認められてしまうのだ。だから、人間の闇=陰の部分をさらけ出せる場として、人々は芸術の美に逃げ込める

日本人が忘れかけている日本らしい闇の美しさを、こんな風に舞台で見せてもらえるというのは嬉しい驚きだ。日本での凱旋公演もあるようなので、機会がある方にはおすすめです。日本での再演ではまたそれに合わせて舞台も手直しされることだろう。


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今日はやっぱり薔薇一輪とか花束とかを抱えて歩いてる人が沢山。
今年は土曜日だから、一日楽しい予定を立てていた人も多かったのでは・・・?

昨日の夜家に帰ったら、ディナーを作っていた彼がキッチンから呼ぶので手伝って欲しいのかと思ったら・・・・もんのすごく大きな花束が!!
カードを渡されて、「でも今日まだ13日だよ、、しかも13日の金曜日・・・」と困惑する私に彼が一言。「だって君は明日も仕事だし、夜に帰ってきてからじゃもうヴァレンタインデーは終わっちゃうじゃないか」ーーー成る程、一理あります。

お花がMassiveだったのは、結婚記念日の時のお花が花瓶一つには大き過ぎて、二つにはちょっと淋しかったので、今回は二つの花瓶にちゃんとアレンジできるようにおっきいのを買ってくれたのだった。(この二つの花瓶はどちらも私達の結婚祝いにもらったもの)ヴァレンタイン用のもので、真ん中にハートが羽根に包まれたものが枝に混ざってる。(ちょっといかにも、、って感じ)

うちの彼は今仕事をしてない身分なので、毎日ディナーを作ってくれてる シチュー、ローストビーフ、パイ、パスタ、カレーと最近は私はすっかり甘やかされ状態。おまけに酔った勢いでマッサージまで毎日のようにしてくれるので、つい「このまま仕事しないで主夫になってくれてもいいなあ・・・」なんて思ってしまう、、、! いやいや、現実は甘く無いのよ。まあ仕事の事情で今はまとまったお金があるみたいだから、1ヶ月くらい休んでも困りはしないようだけど、だからってこの大不況のイギリスで次の仕事がいつ見つかるものやら・・・・そろそろ本気になってもらわないと安心して日本に行けない、、っていうか、フライト取っちゃった事、まだ言えてないのよ〜〜・・・!

昨日のお花が豪快だったので、彼にはカードだけじゃなんとなくギルティーを感じたので、一応高級ベルギーチョコレートも添えた。バレンタイン用に可愛い形のチョコレートが2段重ねになってるやつ。高いよね〜〜、、、たかがチョコレートだよ・・・スイスチョコレートと2種類あって、どっちも可愛かったのだけど、うちの彼は何故かいつもチョコレートはBelgian というので、ベルギーのにした。

同僚のA嬢は3コースディナーを作るんだと言って張り切っていたのに、昨日の夕方職場にオンラインデリバリーを頼んでおいたスーパーマーケットから「人が足りなくて今夜に配達が出来ません」といわれてパニクっていた・・・どうしただろうか・・・? みんな少しだけ心の暖まる時間を持てただろうか、、、

コマーシャルって言っちゃえばそれまでだけど、年に一度の「I Love You」をしっかりと相手に伝える日。たった一人の一番大切な人との日。この辺は日本の感覚と完全に違う。Valentineというのは、自分にとって一番大切な愛する人の事で、義理で友達や同僚にチョコをバラまくなんて事はあり得ない。複数の相手にカードやプレゼントを送ったりしたらそれこそ大ヒンシュクだ。

I Love Youなんて、言い慣れてしまえば挨拶みたいなもので、「本当にちゃんと心が伴ってるだろうか」って考えるとちょっと自信が無くなってる時もあったりする・・・ ちゃんと大事な人を愛してるだろうか?愛されてる事に甘えていないだろうか?本当にこの絆は揺るがないものだろうか?

Is our love strong enough•••?


Joe Ortonの芝居を観てきた。Entertaining Mr Sloane
戯曲で読んでいて、一度観たいと思っていた芝居だ。場所はいわゆるウェストエンドの由緒ある劇場ではなく、5年前にトラファルガースクエアーにできたスタジオスタイル空間のTrafalgar Studioだ。

イギリスの風刺的ジョークはとてもキツい
日本でも紹介されてる「モンティー・パイソン」や、「ミスター・ビーン」に出てくる内容でも解る通り、気の弱い人には笑えないようなものもある。弱いものや、人の欠点や弱点を逆に笑い者にしてしまうのだ。

Joe Orton(ジョー・オートン)は60年代に劇作家として、イギリス演劇界をショッキングな突風のように駆け抜けた。元々は役者志望で、17歳の時に名門ドラマスクールのRADA(Royal Academy of Dramatic Art)に奨学金を受けて入学している。(これには本人も回りもびっくりしたらしい)ジョーはホモセクシャルで、16年に渡っての恋人=パートナーとなるケン・ホリウェルともRADA時代に知り合っている。彼の書いた戯曲はどれも痛烈な風刺劇でミドルクラスやカソリック教会を挑発し、嘘や欲望、計算高さや残酷さが等入り交じった巧妙な筆運びで、規制の概念や偏見にとらわれない価値観を持った人々から絶賛された

活躍した期間が短かったので作品は少ないけれど、64年の作品、Entertaining Mr Sloaneは大ヒットとなり、続くLootではいくつもの賞を受賞した。ところが、彼が34歳の1967年、長年のパートナーだったホリウェルに惨殺されてしまう。元々劇作家になりたかったのはホリウェルのほうで、ジョーに書く事を最初に奨励したのも彼だったのだ。ところがどんどんジョーが劇作家として成功していき、また同時に、派手なゲイ同士の性交遊を楽しんでいたジョーとの関係のもつれも相まって、最期は恋人を撲殺するという行為に追いつめられてしまったのだ。ホリウェル自身も殺害後に自殺している。

私がジョー・オートンの事を初めて知ったのは、彼とホリウェルのストーリーが映画になったのを観てだった。「実在したゲイの劇作家の話」という事しか知らずに観たのだけれど、前評判は結構聞いていた。ジョー・オートンを演じたのはギャリー・オールドマン(Gary Oldman)。彼はこの映画の前に、「Sid & Nancy」で元Sex Pistolsでヘロイン中毒で死んだシド・ヴィシャスを演じていたので、映画の宣伝は「シド&ナンシーのギャリー・オールドマンがジョー・オートンを演じる」というだけで充分イギリス人には評判だった。映画のタイトルは「Prick Up Your Ears

この映画を観た後で初めて彼の戯曲を読んだ。60年代のイギリス、労働党政権でビートルズの人気は最高潮。そんな時代に思いっきりブラックなコメディーで人の弱点や残忍さや欲望をこれでもかと暴き立てるような攻撃的な芝居は、思いっきりショッキングだったに違いない。今だからこそ大抵の内容では驚かない時代になったものの、当時の演劇界に巻き起こした賛否両論は本を読んだだけで十分解る

日本での上演を調べてみたら、Lootは、「薔薇と棺桶」というタイトルで上演されたらしい。成る程、、、日本語タイトル、良い線ついてる。いかにもフラムボヤントなジョー・オートンらしい・・・? 余談ですが、映画のPrick up your earsの日本語タイトルはただの「プリック・アップ」になっていた・・・!!? 本来はPrick up one's earsというひとつのフレーズで「聞き耳をたてる」という意味合いなのだけれど、これがプリック・アップだけだと、、ちょっと面白いんですけど・・・・英語のprickにはいくつかの俗語の意味があって、その一つは男性器=penisの事。これでprick upって・・・日本側配給会社さんのユーモアかしらね。この映画でのギャリー・オールドマンはとても良いです!!

昨日観たEntertaining Mr Sloaneはミドルクラスのある家を間借りする事になったミスタースローンと、その家のランドレディー、その兄、そして父親の4人で演じられる。40過ぎのランドレディーは自分の息子同然の若いスローンに心ときめかせ、母親のようにふるまったかと思うとスケスケのネグリジェで身を投げ出す→(後に妊娠)。いかにも老いぼれた風の父親は、新しい間借り人のスローンが実は遠い昔に強盗を働いて自分のボスを殺した犯人だと見破り、最期は開き直ったスローンに殺されてしまう。兄のエドは明らかに内心ゲイで、これまたスローンに取り入ろうと彼を運転手として雇い、全身革製の制服を着せてスローンを常に傍らに置こうと必死。最期には父親の死因を警察に嘘の供述をして、兄と妹が半年交代でスローンを所有するという契約を結ぶ・・・

中心にいるスローンは自信家で、計算高くて残酷だ。そして男にも女にも通じるセックスアピールがある。本の構成が巧いのは、スローン自身の心情は殆ど書かれていない。彼を取り巻く周りの人間が彼をどう扱うかでミスター・スローンが中心になっている。 彼は誰の事も何とも思っていない。それどころが年老いて弱った父親を残酷に小突き回して殺害してしまう。そんな残酷で心ない、でも魅力的な若い男に必死でアプローチする40過ぎ女とその兄。「父親の死を前にしてそれはありえないだろう〜〜!」という普通の観念はここにはない人間の本性なんてこんなものさ、という挑戦的な芝居は、観客を挑発し爆笑を誘う。このミスター・スローンというキャラクターは、誰よりもジョー・オートン自身が演じるべきだったとも言われている。

こんな本を書く人がいたイギリスのその後の演劇はどうだっただろうか・・・?と考えずにはいられない。ビートルズが解散し、ロック世代の70年代、保守党が政権を奪回して初の女性首相になったサッチャーさんの時代、ヤッピーが登場し、エイズが広がった80年代、戦争に突入した90年代・・・・もしジョー・オートンが生きていたら、それぞれの時代にさぞ手厳しい本を書いていた事だろう。

スタジオという空間の劇場でジョー・オートンの芝居というと、やっぱり客層も空気も全く違う。私にはすごく気持ちのよい、懐かしい芝居の空気。そもそもこういうスタジオシアターに来る人というのは、観劇というよりも演劇好きな人達だ。まず観客に「お客様」がいない。観光客も、劇場にお出かけという事でおしゃれをした上品な人々もここにはいない。集まってきたのは、いかにも風刺的ジョークが大好きそうな、オープンマインドな芝居好きのイギリス人がほとんど。年齢層も高い。60代くらいの人がかなりいるのは、ジョー・オートンをリアルタイムで知っている世代の人達だ。一目でゲイとわかる人も多い。いかにも演劇やってますといった感じの若者も・・・こういう芝居の空気って大劇場のミュージカルにはない匂いがする。

残念だったよね・・・イギリスの演劇界は、その後のアンドリュー・ロイド・ウィバーと並んで、全く質の違うイギリスの芝居を創っていっただろう才能ある戯曲家を、30年前に亡くしてしまったのだ・・・惜しかったよね〜〜、、、





apocalypto-1   apoclpto-2

10日程前、寝酒のワインをグラスに注いで、ワインを飲む間のつもりでテレビをつけた。画面に出てきたのはジャングルの中、一人の男が走っている。いわゆる原住民という感じで、腰巻き以外は裸、何故か身体を青く塗っている。その男は明らかに逃げている。そして森の中で彼を追いかけている7−8人の部族の首領一味といった感じの男達。逃げている男が身一つで必死なのに対し、こちらの男達は耳飾りや入れ墨模様が身分ありげで、槍やナイフを携えて逃げる男を追っている

男はひたすら走る。走って走って木に登り、薮を飛び越え、怪我した脇腹を押さえながらとにかく逃げ続けている。その様子に目が釘付けになってしまって、「何だ、、これは・・・?」と思いながら観てしまった。台詞は殆ど無い。たまに追っている男達が話す言葉は原住民語で、英語字幕がでる。(後でマヤ語と判明)訳が分からないまま逃げる男から目が離せなくなってしまった

男の表情から次々とわき出す、焦り、決意、集中、危機感、披露、苦痛、必死、怒り・・・すれすれに飛んでくる槍、突然出くわして襲ってくる黒豹、しなやかな身体が軽々とジャングルを駆け抜ける疾走感。台詞が無くても、いや、無いからこそフレームの中の男の表情がよくわかる。しばらく見入ってしまって気が付くともう1時になってしまっていた。仕事があるので最期まで観るのはあきらめて番組をチェックすると、「Mel Gibson' s Apocalypto」とあった

そういえば、この映画のタイトルはしばらく前に聞いた事がある。アポカリプト。メル・ギブソンの映画なのか、、、という事が解ったので、さっそくDVDオンラインレンタルにリストアップしておいた。そして届いたDVDでやっと全編観る事ができた

アフリカ原住民かと思ったのは、マヤだった。映画は南米の奥地から始まる。ジャングルの中で男達は狩りをし、女達は子供を育て、部落全部が一つの家族のようになって生きている。その村が突然襲われ、多くの部落民が殺され、捕えられた者達はマヤ文明真っ盛りの都に連れて行かれる。そこでは金持ちが華やかに暮らし、奴隷達が石工となって働かされている。都では最近の凶作を神の怒りのためと判断し、密林の奥地から捕えてきた部落民達を生け贄にする儀式が行われている

生け贄儀式の最中に 日食が起こり、人々が混乱する中、再び現れた太陽を利用して「神の怒りは解けた」と仰々しく宣言する司祭。生け贄にされるはずの男達は残酷なサバイバルゲームに放り込まれる。この生き残ってはいけないゲームに生き残ったジャガー・パウ(逃げていた男)が逃げる所から私はこの前観たのだった

この映画はメル・ギブソンのこれまでの映画の中で一番良い。カメラワークがとにかく美しい。森の中でのシーンは色合いや光と影の具合がすごく良い効果を出している。走っているだけの中で、スピード、スローモーション、息づかい等躍動感ああふれるカメラワークだ。そしてなんといってもジャガー・パウ役のRudy Youngblood. 彼の表情、そして身体の動きが本当にとても奇麗だ。素人とはとても思えない。

この映画の役者達はほとんどが演技者としては素人だそうだ。実際名の知れた人はいない。ルディーはダンサー/アーティストという事で、今回メルが主役に抜擢したそうだけれど、表情と身体を使っての表現力が素晴らしい。ダンサーの持つ表現力というのはまた役者とはちょっと違ったものがあって、体全体から溢れるオーラの用な物がある。しなやかな身体で、たたずまいも走る姿も観ていて美しい。アメリカ原住民の地を引くという彼は、顔立ちも奇麗で、大きな目が無数の台詞を語っている。安堵から一転して焦り、驚愕から恐怖へ、苦痛と疲労、そして怒り、何よりもDeterminationFocus。そして透明感を失わない。観ていて全く飽きない。彼だけを2時間見続けていられる。

マヤ文明がどうのという映画ではない。たしかに都の場面では当時の文明下での生活のようなものが垣間見られるけれど、この映画の持つ魅力はもっと別の所にある。前半での密林での暮らしは、とても自然に人間が狩りをし、火を炊き、歌い踊る。男は狩りをして獲物を捕り、父から息子へと知恵と技が受け継がれていく。女は子供を産み、育て、守っていく。そんな暮らしの原点が突然残酷に破壊されて行く現実・・・この村を襲うシーンや都での生け贄のシーンはかなり生々しく残酷で、このおかげで世界各国でR15からR18指定を受けてしまったそうだ

残酷で血みどろといえば、メル・ギブソンのThe Passion of the Christのほうが凄かった・・・なんでここまで、、?」と思うくらい、キリストを血だらけのボロボロに見せていたけれど、今回のApocalyptoは、私は丁度良く収まってると思った。残酷な現実を直視できるギリギリのところ。これでもダメな人も多いかもしれないけれど、私はどんな残虐なシーンでも直視できる人間なので、これくらいは平気だ。

ここは父が狩りをした森、今度は自分が息子と一緒に、そして自分亡き後は息子がその息子と一緒に狩りをする森。」滝の下で誇り高く立ち上がって叫ぶジャガー・パウの、たった今大地から生まれたような透明感は素晴らしい。彼が笑顔を見せるのは、前半の村のシーンで妻と息子とのほんのちょっとシーンでだけだ。まだ若い。奥さん役の女の子は10代にさえ見える。(撮影時は20歳とか)この女の子もダンサーだそうだけれど、子を守る母親の顔を見せる。母としての強さ

久しぶりに目を奪われる映画を観た。見せたいものが伝わってくる。ちょっとの空気の動きや風の音が観ていて伝わってくるのだ。メル・ギブソンもこんな映画を撮る監督になったのか・・・ それぞれのキャラクターにちゃんと意味があって、皆さん映画は初めてっぽい人達ばかりなのに、ちゃんと個々のキャラクターが生きている。これって、役者なのか、監督なのか、カメラなのか・・・? メイキングの様子が収録されていて、マヤ側の追手を演じた役者が、「演技する必要はなかった。メイクを施し衣装をつけたら、歩き方からにらみ方までこの男になっていた」と語っていた。

役者に演技力がないというのなら、どうしてこんなにも表現豊な映画になるのか・・・ホントに映画って、見事に嘘がつけるんだよね。でもそれが素晴らしい。 舞台では出せない映画の魅力だ。こんなに語りかけてくる映画は久しぶりだった。表現っていうのは、いろんな方法があるのだ





2月の1週目はちょっとごたごたしている時なので、ブログも更新してませんでした 彼の誕生日があって、めずらしくトルコレストランに行き着いた。ギリシャ/トルコ料理はMezeが美味しい。いろんな物をあれこれと食べられてちょっと居酒屋風だ。それにしても量の多い事!! 残すのは好きじゃないけど、どう頑張ってもお皿を空っぽにするのは不可能だった。

今日来たメールニュースで、今年のローレンス・オリビエ賞のノミネートが発表されていた。この1年に観た舞台は結構当たりが多くて、(ロンドンの芝居といっても、どれもこれも良いとは限らないわけで、中にはハズレもあるわけです)レベルの高い舞台を立て続けに観たような気がしていた。そうしたら、ノミネートされているものの半分以上に、私の観た作品が入ってる

実は今までに2度、Olivier Awardsのパネリストになりませんか、という連絡をもらった事がある。プロの批評家と一緒に一般の選考員として賞の最終選考に参加するのだ。最初はもうずうっと昔で、ホントなら願ってもない話しだったのだけれど、応募の際に最近観た舞台のレビューを書かなくてはいけなくて、あの頃はまだまだ英語でちゃんとした文章を書くなんて無理だったので諦めた

もしパネリストに選ばれたら、1年間ロンドンでやる公演の殆どを無料で観られる。すべての公演にペアチケットがもらえるのだ。ストレートものは年間で約80-100本、ミュージカル部門でも40-50本は観なくてはいけない。「どうして私の所に・・・??」と思ったけれど、あの頃は週に2本ペースで劇場に行っていたので、チケット購入の際のクレジットカードの使用回数とかでピックアップされたのかと思う

2度目はおととしだった。最近はずっとネットでチケットを買っているので、やっぱりその記録からまたセレクトされたのかもしれない。ホントに、仕事してない身分だったら今度こそ絶対に応募してたんだけどね・・・ とはいえ、最終的にパネリストになるのは一般からは10人程の話。ストレート、ミュージカル、オペラ、ダンスの4つのカテゴリーに分かれていて、選んだカテゴリーでレビューを送ってくださいとの事だった。

年によっては、自分の観た舞台とノミネートが全くずれてて、「ああ、これ観なかったなあ〜」なんて残念に思う時もあるけれど、今年は半分以上ヒットしてる。ストレートものもミュージカルも、一つに決めるのは難しいなあ〜〜・・・・ リバイバルミュージカルは特に激戦だ。あとベスト・アクターも・・・この2カテゴリーは、私はノミネートをすべて観ている

まあ、こういう賞っていうのも、なんていうかちょっとconservative •••?  実際は賞取りに関係ない作品で、高い評価を得たものだって沢山あるのが芝居の面白い所。必ずしも賞レースに入ってくるものだけが素晴らしいというわけではない。でも一応こういう「ちゃんとした」賞をもうける事で、舞台芸術が社会に貢献してるんですよ、という主張をしているようなものだ。アカデミーだってそうでしょ? 

それなりの批評家が「良い」としたものと、「私が好きな」作品っていうのが必ずしも一致するわけじゃない。でもレベルの高さはやっぱり評価されるべきだ。より多くの人が「素晴らしい」と感じたものは、それなりに「良い作品」として評価を残さないとね。ノミネートのリストはこちら

今夜から週末にかけてまたしても大雪がやってくるらしい。ロンドン以外でも、南イングランドからウェールズがやられて、今週はもう雪の話題一色だった。もし明日の朝がこの前の月曜日みたいにな事になってたら、今度こそ歩いて仕事に行かなきゃなならないかも・・・土曜日の電車のタイムテーブルはただでさえ30分に1本なんだから・・・


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Snow-1


もうイギリス在住ブロガーにとって今日の話題はこれしかないでしょう、、
ロンドンは18年振りの大雪でございます!!
 
まあ数日前から言われていた事だし、昨日からチラチラと降っていたので覚悟はしていたのですが、こんだけの雪で都市の機能がこれほどストップしてしまうというのが情けない。かなりの人が仕事に行かれなかったようだし、かろうじてオフィスまで辿り着いた人達は、朝の行程がどれだけ大変だったかを自慢し合ったはずだ

朝一で同僚のA嬢からテキストが。
バスも電車も動いてないけど来られる?

思わずええ?! とびっくりしてネットで状況を調べてみると、確かにバスサービスは全滅の様子。バスが無いという事は、私に残された選択は15分歩いた丘の上の駅から電車だ。ロンドンに入ってくる通勤電車は、始発側の状況次第ですぐ止まってしまう。詳しくチェックしてみると、かなりのルートがストップしている中で、私のラインはどうやらかろうじて運行はしてるらしい。遅れやキャンセルは覚悟してこれに賭けるしかない

早めに家を出るとどうやら学校が休みになったらしく、道に人はほとんどいない。真っ白に雪が積もった景色はやけに静かだ。3cmくらいのどか雪がこれでもか、、と降る中を駅に向かう。このブーツ、11月に買っといて良かった〜〜! ブーツはスエードのしか持ってなくて、雨の日でも履けるようにこの合成皮のブーツを買ったのだ。柔らかいし軽いし水をはじくから雪でもOK。延々と続く上り坂もサクサクと雪を踏んで歩くのは結構悪く無い。ホントに静か。振り返ってみると真っ白な街に雪が降る様子は美しい。


Snow-2

駅に着くと現実が待ち受けていた。覚悟はしていたものの、立て続けに電車はキャンセルされる8:38, 8:55, 9:02, 9:12、、、、さすがに外のホームに立ったまま40分が過ぎた頃には足先が凍えて痛くなってきた。最新状況をアナウンスしていた放送もいつの間にか無くなってしまったし、、きっとどうなってるのかもう解らなくなってるのだろう。 いよいよこれはダメだと思ってチケットオフィス横のキオスクにコーヒーを買いに行く。凍えて痛む足先で階段をのぼり、キオスクに戻ってコーヒーを買っていると、いきなりチケットオフィスからお兄さんが叫んだ

電車が今ホームに入ってきま〜す!

あわてて階段に向かって走り出す人々(私も含む)。熱いコーヒーが手にこぼれたけどかまってられない。結局1時間待ちで電車に乗れた。座ったのもつかの間、私の駅までは12分で着いてしまう。まだ身体もあったまってないのに・・・

さらに駅に着いてから職場までの普通なら1−2分の距離が最難関として待ち受けていた。外に出て歩き出したとたん、足元がズルッ!!?

そうだ、このブーツの底はグリップが全く無い。家の近辺は人も歩いてなかったからフワフワの雪の中を歩くには問題なかったけど、人通りの多い道は既に雪が溶けてみぞれ状態でグチョグチョになっている。しかも駅から一つ目の角までは緩やかながら100メートルちょっとの下り坂だ

後ろからおじさんが「Are you all right, Love?」と笑いながら声をかけてくれて、さらに「大丈夫かい?よかったら掴まって」と腕を差し出してくれた・・・ お申し出はとっても有り難いのだけど、こういう場合は人に掴まるよりも自分でバランスを取らないとかえってアブナい。ましてやおじさんもころんだらアウトだ・・・ていねいに遠慮して、本気でバランス取りに集中する。まったくグリップの無い靴がこんなに役に立たないなんて・・!! ここから仕事場までが一番大変だった、、、

日中もず〜っと降り続いた雪。午後には帰りが心配になってきた。かろうじてバスの一部は午後から運行し始めたようで、私がいつも乗るタウンセンター行きのバスの姿も行き来し始めた。タウンセンターまで出られれば家まではフラットな道なので、電車の駅から延々坂を下るよりずっと良い。

滑り止めの方法を考えて、帰りはブーツの足の部分に輪ゴムを3本巻き付けてみた。これがなんと効果抜群 完璧とまではいかなくてもあると無いとじゃ大違い!! 見た目なんかもうどうでも良いのよ。実用第一でなきゃやってられない。でもこの輪ゴムのおかげでタウンセンターから無事歩く事が出来た。左右で合計6本巻いた輪ゴムは家に着くまでに1本になっちゃったけどね・・・ このアイデアは我ながら大正解だったわ〜〜

それにしてもね〜〜、大雪ったってたいしたもんじゃないのよ。ただ、ロンドンという都市が雪に対応していないっていうだけの事。こんなもんでバスが全線ストップで学校が休みになっちゃうなんて、大陸や北欧に住んでる人には笑われちゃうよね

職場の真向かいにマクドナルドがあるのだけれど、学校が休みになって、中学生達が午後からたむろし始めた。まったく悲しいくらいに程度が低い若者達・・・ 雪玉を作って人といわず車と言わず行き交うものに投げつけてる・・・そのうち、注意しようとした人と口論が始まり、警察がやってくる騒ぎに・・・ 全く情けないというか、どうしようもないというか・・・もっと他にする事ないのかよ!! と言いたくなるよね。これが今時のイギリスの若者達の現実さ・・・この国に未来はないなあ〜〜〜

明日も続くと予想されるこの大雪騒動。今日の内に溶けかけた雪がまた夜の間に凍って、明日の朝の道は雪というより氷になってるはず・・・ 今日よりアブナいかもしれない。まあ私は明日は休みだから様子を見てみますかね〜。ただでさえ不況で喘いでるのに、こんな雪で都市機能がストップしてるんじゃどうしようも無いじゃない・・・なんとかして欲しいわ、、、

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