見つけもの @ そこかしこ

ちょっと見つけて嬉しい事、そこら辺にあって感動したもの、大好きなもの、沢山あるよね。

December 2008


なんだか昨夜から急に冷え込んできて、またまた凍り付くような気温になってきた、、年明け早々寒〜い新年になりそうな予感。

チーズケーキ

3度目の挑戦でやっとうまくいったクリームチーズケーキ。ブルーベリーを散らしたのだけれど、ちょっと甘味が無さすぎたので、残りのブルーベリーに少しお砂糖を混ぜて煮詰めたソースも作った。完璧〜〜!

今年の最後は再演ミュージカルのSunset Boulevardで。今回の再演はなかなか面白い演出で、ミュージシャン達が役者/シンガー/ダンサーとして舞台に登場している事。ちょっと振り返ってみたら、ちゃんとモニターに指揮者が映っていたので、見えない所でコンダクターによるキューが出ていたのは間違いないけど、楽器を演奏しながら歌い踊る役者達はかなりタイミングをとる稽古が必要だったと思う

最初は出だしだけでミュージシャン達は演奏位置に落ち着くのかと思ったら、彼等はずっと楽器を持って舞台中をくるくると動き回り、歌い踊った。こんなアンサンブルの演出は観た事がない。大きなコントラバスも軽々と小道具にしてしまう洗練された動きは不自然さがなくて新鮮だ。セットも小振りだけれど、だからこそ、ノーマが大きく、セットのほうが小さく見える。ノーマ登場時に効果的だった。

今回のノーマを演じたキャサリン・エヴァンスは、私は20年以上前にエヴィータで観ていた人だった。そういえば、日本ではこのミュージカルは上演されていないと聞いた。ノーマを演じられる女優がいないという事で、見送られている作品だ。初演時にロイド・ウェバー氏はNYでエヴィータを演じたバティ・ルポンをロンドン初演に起用したものの、ブロードウェイで幕を開ける際、パティをおろしてグレン・クロースに代えた。氏がノーマ役にこだわった為、キャスト変更にあたって2度も膨大な違約金を支払う事になった

ジョー役のベン・ゴッダードはとてもエモーショナルな演技で究極の勘違いおばさんに翻弄される男の苦悩を演じていた。2幕では二人の女性の間で揺さぶられ、自身の欲も相まって自分自身に追いつめられて行く姿が哀れだ

それにしてもキャサリン・エバンスの歌唱力は素晴らしかった。最初のWith One Lookで劇場中を鷲掴みにしてしまった感があった。このノーマ役は歌唱力だけじゃできない。日本での上演が見送られているのもそのせいだろう。この役は人を虜にするパワーっていうか、、そう、魔女のような威力がないとダメなのだ。ちょっと「コワイ・・・」と思うような、でも恐いもの見たさで離れられないような、そんな凄さが必要な役だ。ジョーの首にからみついたノーマの腕の先に真っ赤な爪、、本人は小柄なのに、目一杯の派手なメイクで「あたしはビッグよ!」と回りの舞台を小さくみせてしまうド迫力・・・魔女だ、、、

このサンセット・ブールヴァードが、今までの時点でロイド・ウェバー氏の最期の名作だと私は思っている。残念ながらこれ以降の氏の作品は、音楽的にちょっと底を付いたような気がしてならない。彼のミュージカルナンバーの名曲集のようなCDにも、これ以降の作品のナンバーはあまり入ってこないし・・・劇場を出ても耳について離れないようなメロディーラインを持った作品はここまでだった

というわけで、あっという間に今年も終わり。日本はこれからがお正月休み本番かな。

今年も私のブログに遊びにいらしてくださって、ありがとうございます。また来年も訪問/コメントお待ちしています。
お茶は出ませんが、パーツに貼ってあるしゃべる肉まんでお楽しみください

皆様、どうぞよいお年をお迎えください。


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私は甘いものが嫌いだ、、!

これは昔からで、ダイエットとかそういう事では全く無く、単に甘いという味覚が好きじゃない。 チョコレートもあんこも苦手。私がホントにたま〜〜に差し出されたチョコレートを一欠片つまむ事があれば、それは本当に疲れている時だ。自分から買うという事はまずあり得ない。おはぎもお汁粉も最後に食べたのがいつだったかなんて記憶に無い

うちにあるお砂糖は多分もう7−8年前に誰かが泊まりがけで来るっていうので、お客様のお茶用に買ったものだ、、、 別に腐ってはいないみたいだけどクッキングには使わない。お砂糖なんて使わなくても、料理用には和風だったらちょっとみりんを入れるか、それ以外はお野菜の甘味とかで充分だし

だから私がお菓子やケーキを作るなんて事はもうホントに滅多にある事ではないのだけれど、最近うちの彼が美味しいチーズケーキが食べたいと言い出した。1−2回スーパーで買ったのだけれど、チーズケーキだったら別に甘くは無いし、作るのも簡単そうなので、クリスマス休みの間にちょっと作ってみようかという気になってしまった・・・

簡単そうだからこそバリエーションも多いチーズケーキ。最初にトライしたのはベイクドチーズケーキ。材料を混ぜてオーブンで焼くだけなので、作り方は簡単なのだけれど、これがなかなか難しい。ちょっとカロリーが気になったので、使ったクリームチーズはライトよりもっと低カロリーのExtra Lightとカッテージチーズを半半にして、生クリームの代わりに脂肪分30%のものを使ってみた。お砂糖は殆ど入れずに代わりにラズベリーを散らす。

初めてでしかもうちのオーヴンは癖があって焦げ易いから注意していたのだけれど、結構巧く仕上がった。ただ、カロリー的に用心しすぎてしまったみたいで、ちょっとコクが足りない。やっぱりチーズケーキはあのクリーミーな食感が無いと成功とはいえないので、ここはカロリーの事は忘れたほうが良さそう

で、2度目の挑戦では、ライトのクリームチーズに、カマンベールチーズを入れてみた。回りのカビの部分を切り落として、クリーミーな部分をクリームチーズに混ぜる。ダマにならないように一度濾して、今度はクリームも普通の生クリームを使った、ラズベリーの代わりに今度はブルーベリーを入れて焼いてみる

・・・まずい!! ダメだこりゃ・・・・

何がいけなかったのかしら、、、?美味しく無い!! 全然クリーミーじゃ無いし・・・おまけに、チーズケーキといえばレアなタイプと思い込んでるうちの彼は、焼き色のついたチーズケーキを見て、「何だこれは?こんなのチーズケーキじゃない」と一喝して味を試そうともしない・・・(まあ、試さなくて正解だったとは思うけど)これは私がちょっと味見した時点であっさりゴミ箱行きになった・・・

という事で、ベイクドタイプは切り捨てて、次回はレアタイプに挑戦してみますかね。とにかく面倒な事はしたく無いので、ありこれとネットでレシピを検索中。ホントに山ほどのレシピがあるので困ってしまう。分量配分なんかはかなりアバウトだし、使うチーズも、スプレッドタイプのものからマスカポーネ、リコッタ、さらには低カロリーという事で、カッテージチーズやチーズの半量をヨーグルトに置き換えたりと様々。

無難にシンプルなレアチーズケーキにブルーベリソースを作って添えてみるのが良さそう。でもゼラチンっていうのも私はほとんど使った事がないから、戻す分量とか解らないんだけど・・・明日まだ再度挑戦だ〜・・!



クリスマスの2日間はテレビとDVDで過ごしてしまった。クリスマスのテレビ特番は、バラエティーものや往年の映画なんかで彩られてるけど、デジタル放送になってからはチャンネルも多いし、ちょっと見逃しても後でリピートして観られるから、便利になったもんだ

日本から届いたDVD、ドラマは長くなるのでとりあえず観易い映画から、という事で「カメレオン」から観た。阪本順治監督と藤原竜也君の組み合わせは楽しみだった。阪本監督は「」と撮るのがとても巧いかたなので、娯楽アクションものでの新しい藤原竜也をどう引き出すか、と期待してた

久しぶりに、映画で藤原竜也という役者が光っていた!「バトル・ロワイアル(1のみ)」「Sabu」以来といって良いと思う。今までの他の映画は、正直いって「そこそこ」にしか藤原竜也が良いとは言い切れなかったからだ。竜也君の演技での表現力、アクションでの柔らかさ、軽やかさ、そして映画全体の疾走感、一座での大人チーVS若者チームのテンポとリズムのズレの掛け合い、それらが見事にきっちりフレームサイズに収まっている。

「ムーンライト・・・」はきれいな作品だったけど、どうしてもタレント映画の域を出ていなかったように思ったし、「デスノート」では、藤原君の持つ空気感がカメラのフレームに収まり切っていなかった。阪本監督は、いっぱいいっぱいの空気をきっちりフレームに詰め込んで、躍動感と同時にちょっと埃っぽい昭和の臭いとかを出している。久しぶりに良い出会いだったんじゃないだろうか。水川あさみさんも骨太な女優さんで、ドラマでも活躍しているけれど、この映画ではもっと良い。(余談ですが、イギリスでクリスマスNO1になった、オーディション番組でデビューしたアレキサンドラ、誰かに似てる、、誰かを思い出す、、?と思ってたら水川あさみさんだった!)

「これは転機になりそうな作品だな」と嬉しく思って、次に舞台「かもめ」のDVDを観た。
これは・・・・すみません、面白く無い・・・・もちろん舞台をDVDで観るという事の限界は解ってる。でも収録された生の舞台というのも、きちんと舞台の魅力は伝わるものだ。

女優陣は良い。美波さんは初めてちゃんと観たけれど、思った以上に良かった。前半はかなり声高だったけど、それが2幕との対比になっていて、声も通るし台詞の表現も的確だ。彼女のニーナと、麻美さんのアルカージナ、小島聖さんのマーシャはやろうとしている事がはっきりしているのだけれど、男優陣が、、わけ解らない・・・

今までだって私がかもめの舞台を面白いと思えた事は無い、、、いつも、どこか出来上がってない感じで、「じゃあ、これを面白いと思わせてくれる演出家や役者は素晴らしいのだろう」という「あと一歩」的な期待がいつもあった。藤原竜也君がトレープレフと聞いた時は、これまでと違うトレープレフで新境地になるか、、と思った。でも、、観始めてすぐに???マークが頭に飛び交ってしまった。

鹿賀さんのトリゴーリンも何をしたいのかが見えて来ない。面白くないし、ニーナがあんなに夢中になるのがさっぱり理解できない。チェーホフのかもめは悲劇なのか、喜劇なのかといういろんな解釈を目にしてきた。これは翻訳にも関わってくるのだろうけれど、笑える所もあるはずだし、でもそれは言葉尻のおかしさではなく、人間が言ってしまう事の可笑しさであるはずなのだ。それが全く無い。

一幕では何故皆あんなにきゃーきゃーきゃーと叫んでいるのだろう・・?うるさいなあ、、、トレープレフは何であんなにハズレて一人だけ違う世界でキレているのだろう・・・?そんなトーンで、そんな風にはわめかないだろうと思うような声で・・・ 解らない。特典映像でのインタビューを聞くと、やる事は解っているようだった。群像劇である事、聞き手/受け手としての演技が要求される事、解っているみたいなのに、それが出せていない・・・。チェーホフはやり難いだろうし、相性の良い役者自体少ないから、きっと本人もすごく苦労したのかもしれないね。

全体がばらついて見える舞台というのは、演出意図が見えて来ない。これはどんな「かもめ」にしたかった舞台なのか・・・???群像劇で、役者達の声のトーンやリズムが絡み合わないと最悪、雑音になってしまう。余談だけれど、少し前に観た「イワノフ」では、チェーホフってこんなに面白いのもあるんだ、、と思った。あんなに笑ったチェーホフ劇は初めてだったかもめは、チェーホフの代表作としてイワノフよりもずっと上演されてきたのだから、きっと本当はもっと面白い戯曲なんだと思うんだけど、、、なんで?

25歳になった竜也君の演技に、最近自意識が入り込んできてるような気がして不安だ。
役者はどんな演技でも多少の自意識は持っていないといけない。でもこの自意識は役者を輝かせもし、潰しもする。特に舞台では、自意識無くして演技というものはあり得ないのだけれど、この自意識が演技の大きな妨げになる事が多いからだ。

身毒丸の初舞台から10代の頃の彼の演技には自意識が入り込んでいなかった。それはきっとそれを意識する余裕が無い程、無我夢中だったからなのだろう。だからこそ、天性の表現力が自意識によって邪魔されていなかった。でも最近は、大人になった役者・藤原竜也が考えて、計算して創り上げて演技をしている。「藤原竜也が演技している」というのが見えてしまう、、、「デスノート」を観たときに、ちょっとアブナいと思ったんだけど・・・・

成長するためのターニングポイントは重要であり、危険だ。ハムレットから新選組で一つ目のピークが来たなと思ったので、その後の留学とかが良い道しるべになったのでは、、と応援しているのだけれど・・・ 曲がり角を間違えると、大通りに出る事も後戻りもできなくなってしまう・・・でもねえ、大人になればなる程、この自意識っていうのは大きくなっていくからね。これを消して、演じる役に我が身を差し出す事ができる役者は希有だ。

次は若手中心でまた蜷川さんの舞台。蜷川さんの舞台に慣れ過ぎてしまっていませんように。蜷川さんがいなくなる時、教わった事を忘れずに曲げずに役者として生かしていけるかどうか、、、まだ25だもんね〜。若いというのは吸収するのも成長するのも早いけど、変わっちゃったり忘れちゃったりするのも早いんだよね、、、、ちょっと老婆心出ちゃいました。

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今年もとうとうクリスマス。
私のブログでも3回目のクリスマスになりました。画面の中央をクリックしてみてくださいませ。




今年はちょっとつまらない・・・ 彼は24.25.26日と夜11時まで仕事。ホテルに部屋でも取って帰ってこないっていうなら、私も泊まりがけで友達の所に合流しようと思っていたのに、仕事への行き帰りはキャブが用意されるので、遅くても家に帰って来ると言う・・・ 

う〜ん、ここに帰ってくるんだったら居てあげたいよねえ、クリスマスだし、、、でも私はといえば25&26日は電車もバスも動いてないんだから何処へも行けないのよ〜〜 あーあ、やっぱり車があればなあ〜。(私の車はエンジンがイッちゃって廃車になった)

と思っていたら、来た来た!!
今回は早かったよ〜〜、さすがはEMS便!DVDが日本から今日届いた、なんてラッキー! クリスマスには無理だろうと思ったのに・・・
どれから観ようかな、映画、舞台、ドラマ、、、映画からいくかなあ〜〜?

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昨日、日本で文部科学省が提案した学習指導要領に、「高校英語の授業をなるべく英語で行う」というのが入ったそうだ。日本では中学から英語は必須科目であり、多くの人が中学/高校で少なくとも6年間英語を学び、大学入試や英検などでそれなりのレベルが要求されるにもかかわらず、日本人は英語が話せない

こちらの英語学校でも、日本人は宿題をやらせたらきっちりと正しい答えを書いてくるのに、教室ではいつもだんまりで意見交換に参加できないというのは先生達の間でも周知の事実で、日本人の多くいるレベルのクラスでは先生達も教え方を工夫していた。

何故かは明白。日本における英語学習が、コミュニケーションの為のものでは無いからだ。日本で評価される英語力というのは、語学力ではない。大学入試に必要とされる英語力は、辞書や文法書とにらめっこし、単語を丸暗記することで培われる。これは言葉を使って相手を理解しようとする為の言語学習とはいえないのだ

そもそも国語を教えるのと、外国語を教えるのとでは教授法だって全く違わなくちゃおかしい。国語の勉強は、いつもは考えずにしゃべっている日本語が、どんな構成になっているのか、文法上にどんな特徴があるのかを改めて学習する事だ。コミュニケーションとして当然のように使っている日本語を語学として分析する。でも外国語を学ぶのにはこのやり方ではコミュニケーションはとれない

実は私は英語の5文型なんて知らない
はあ?と思われるかもしれないけれど、私は不規則動詞だの、原型不定詞だの、分詞構文だのと言われても何の事か判らない。私の通った学校はちょっと違う英語教育をしていたからだ。

中学での英語の教科書には日本語はいっさいなかった。アメリカの外国人用の教科書だったんじゃないかな。だから日本語での文法説明用語を使わなかったのだ。もしかしたらそれだけじゃなく、ちゃんと文法を説明する授業もあったのかもしれないけど、覚えてない。私は日本で受験というものをしなかったからそれで済んでしまったわけだけれど・・・・

イギリスに来てからはこちらの語学学校に4年半通った。ケンブリッジ大学認定の一番上のレベルの検定試験を取るのに時間かかってしまった・・・)直接教授法で、もちろん授業はすべて英語だ。世界中から生徒がくるのだから当然。先生達と親しくなって個人的に話すようになってからは、「本当は母国語によっても教え方を変えた方が良い場合もあるんだけれどね」なんて事も聞かされた。

国語ではなく外国語として英語を教える際の文法説明はやはりイギリス人が中学校で習うのとは違うという。上級レベルになってからは、外国語としての英語検定試験問題と、現地の15歳の子達が受ける共通試験GCSEのEnglishの試験問題を比較してみたりもした。私自身がその後、日本語を外国語として教える日本語教師の養成コースを取った時、その違いがはっきりと判った。本当に世界で使える英語を学ぶには、今の文科省認定の教科書とやらを根本的に変えてしまわないと無理なんじゃないだろうか。

それにもうひとつ。これは本当に重要だと思うけれど、語学よりも、自分の意見を持ち、主張できるコミュニケーション力を育てる教育方針に切り替えたほうが良い。先生が教壇に立って一人でしゃべり続け、生徒達は時間中黙ったまま半分聞いていない、という授業ではコミュニケーション力は育たない。英語の授業で、クラスをブループに分けて一つの話題で討論をやらせてみるのだ。おそらく、日本語でさえ何を言って良いのか解らなくて何も言えない生徒が沢山いる事だろう

コミュニケーションする力を育てずして語学力は育たない。賛成でも反対でも良い。何故自分がそう思うのか、相手の何に賛同して、何が疑問なのか、日本語でも言えない人達が多いよね。日本では大声で意見するのはずうずうしいとか生意気だとか思われる風潮がある。このヘンな国民性こそ語学力向上の妨げになってるという事に、もっとちゃんと目を向けるべきだと思うけど・・・・?


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明日(月曜日)で仕事も終わりだし、なんだかクリスマスというより気分は思いっきり年の瀬。
今年中に・・・」と思う事はプラン立てていかないと、、っていう気分になる。別になにがどうって事でもないのだけれど、気持ちだけ焦る。なんでだろ・・・?

だいぶ前から時々目にしていたテレビコマーシャル。
ジョニー・ライドンを覚えていますか? 他にも、ジョン・ロットン、ジョニー・ロットン、ジョン・ライドン等呼ばれますが、一応ここではジョニー・ライドンにしておきます。

70年代の終わりにイギリスに出現したパンク・ロック。ジョニーはその大道Sex Pistolsのフロントマンで、Pistolsの解散後はPIL(Public Image Limited)で他のバンドとは一味違う音を作っていた人だ。エリザベス女王の顔に安全ピンを刺したジャケット、政府や王室を標的にした過激な歌、インタビューでは禁止の4文字言葉を連発し、反体制の教祖のように労働階級の若者から支持されるようになる。

実は私はパンクロックムーヴメントにはあんまり興味がなかった。どんなバンドも私にはが優先で、それが何と呼ばれる種類のものでもあまり関係ない。裂いたTシャツや肌に突き刺した安全ピンといった独特のファッションや、色とりどりに染めたツンツンのヘアスタイルも、パンクだからという事でなく、キマってれば良いじゃんくらいの気持ちだった。

そのジョニー・ライドンが今現在、イギリスのテレビコマーシャルでバターの宣伝をしている。思いっきりBritishを打ち出してユニオンジャックの波が振られる中で、「俺がこのバターを好きなのは、British だからじゃないぞ!美味いからだ!!」と思いっきりブリティッシュな英語で宣伝している。相変わらずエキセントリック。でもどこか可愛い・・・


実はこのジョニー・ライドンという人、インタビューなんかを見てると、見かけ程すっ飛んだ人物だとは思わなかった。プロのクリエーター/アーティストとしてのアイデアとビジョンがあるし、仕事をビジネスとしてちゃんと計算している。実は頭の良い常識人なのではないかと思っていた。もちろんSex Pistolsには仕掛人がいて、それまでにない過激なスタイルでイギリスミュージックシーンに旋風を起こそうという狙いが初めからあったわけだし・・・
それにしても30年前と見比べてみると、年の取り方というのは面白い。



さてさて、迷っていたのだけれど日本のAmazonでお買い物をしてしまった・・・藤原竜也君の「かもめ」と「カメレオン」あとレートの悪さにどうしようかと足踏みしていたのだけど、どうせ買うつもりでいるのだから同じ事、、、と思い切って「パンドラ」のDVDもクリック! アマゾンは英ポンドでの値段を表示してくれるので、はじめからポンドで買える。両替レートは138円。でもこれって実は良いほうなのよ・・・!先週アマゾンで頼んだ分は138円だったのに、昨日paypalを使って支払ったものはなんと1ポンド=129円!

もう倒れますわ・・・!!!


なんだか週末からもう何度も同じ歌を耳にしている。お店に入ってもラジオからもあっちこっちで「ハレルヤ=Hallelujah」だらけなのだ・・・
何が起こっているかというと、土曜日の夜にホントにホントのファイナルが行われて優勝者が決まったオーディション番組のX-Factor

この12週間をかけて、毎週見慣れた顔が一人ずつ姿を消し、最終日に残っていたのは女性ソロのAlexandra Burke(アレキサンドラ・バーク)と16歳のEughan Quigg(オーエン・クイッグ)、そして初のグループでのファイナリストだったJLSの3組。最終日のお題はクリスマスという事で、クリスマスにちなんだ曲を数曲ずつ披露した時点で、3組から2組に絞られ、オーエンが去った。

最終対決はアレキサンドラとJLSが同じ曲を歌って競う一騎打ちだ。このファイナルソングがHallelujahだった。最終バトルで歌ったものがその場で録音され、後の視聴者投票で勝者が決まると同時にCDとしてのプロダクション開始、水曜日には全国のCDショッップに並ぶーという段取りだ。つまりこの決勝での歌唱がそのままデビューシングルになる。このファイナルを制したのがアレキサンドラ


個人的に好きだった人は他にもいたけど、彼女は初めからず〜っと安定していた。今すぐプロのシンガーとしてどんな歌でも歌いこなせる歌唱力と、売り出すのに必要な容姿を持っていた。(ところで、私はデビューするなら名字のBurkeを切り捨てて、単にAlexandraのほうが良いんじゃないかと思うんですけどね〜)

このX-factorの特徴は、モノになりそうな人を見つけて育てるというのではなく、優勝=デビューと、即プロとして売れる人材に機会を与える事だ。その為に必要な厳しい訓練をこの春からずっとこなしてきたファイナリスト達のレベルは高い。何でもありの中から光り物を見出すBritain's got talent とは少し違う。毎週、視聴者投票結果で最下位の2人が生き残り歌合戦をして、どちらか一人が落とされていく中で、アレキサンドラは一度もこの生き残りにひっかかった事が無かった。それだけ毎回確実に高い支持を得ていたという事だ。

私も最終3組になった時点で、この中でなら彼女が勝たなきゃおかしいとさえ思っていた。とてもソウルフルなシンガーだ。実は彼女はこのX-Factorに挑戦するのは2度目だった。3年前にトライした時は早い時点で落とされてしまったのだけれど、この3年間ひたすら夢をあきらめずに努力してきたのだ。そしてとうとう掴んだデビュー。

奇しくも、Britain's Got Talentの方の今年の優勝者、ジョージ・サンプソンもリベンジ組だった。去年に続いて再挑戦しての優勝だった。あれ、、そういえば彼のお披露目、Royal Variety Performanceはいつだっけ・・・?どちらの勝者も観ている人に「夢をあきらめない」勇気を与えたはず。あきらめなければかなうというもでは決してないけれど、あきらめたら永久に夢はかなわないーという事だよね。

アレキサンドラのハレルヤは、CD発売前にダウンロードと予約で既に最短セールス記録を打ち立てそうだとか。このままクリスマスNO1になるんだろうなあ〜〜
メロディーがすっかり耳についてしまった。

Ha~llelu~~jah~~, Ha~llelu~~jah~~




やっとクリスマスーカードを出した・・・それにしてもねえ、切手を買うだけの為に20分も並ぶのってやっぱりどうにかして欲しいわ〜〜! こちらの郵便局や銀行の窓口は用途によって分かれていない。あくまで公平に先に来た人から順に空いたカウンターに行って用事を済ませる。だから国際配達の大荷物を10個持っていようが、今週分の年金を受け取りに来た人だろうが、切手を買いたいだけだろうが、キュー(Queue)と呼ばれる一列を作って順番を待つ 。普通の切手なら郵便局以外でも10枚綴りものを買える所があるけれど、やっぱりクリスマスカードはクリスマスデザインの切手で送りたい。これを楽しみにしてくれてる日本の友人達もいる事だし・・・そうなるとやっぱり郵便局に並ぶしかないのだ。

それにしても、我が家は全くクリスマスの気配が無い。飾り付けもしてないし、私はあと1週間で休みだけど彼はクリスマスもボクシングデーも仕事だし・・・

なかなか観られないフィギュアスケートだけど、グランプリファイナルのダイジェストをやっていた。浅田真央ちゃんのトリプルアクセルが2つとも公式に認定されたフリープログラム。タチアナ・タラソワさんというコーチはいつもその選手の持つ可能なギリギリの力をひっぱり出してくる人だ。今回の浅田選手のプログラムもパリ大会の時点では、「大きすぎるんじゃないか」という懸念を抱かせた。ところがNHK杯、そしてファイナルとどんどん滑り込んできた結果、そのスケールの大きなプログラムを見事に消化していた。もちろんプログラムをノーミスで完璧に滑り切るというのは大変だ。勝つためには多少の賭けを承知で組んでいるプログラムなのだし・・・

久しぶりに伊藤みどりさんの昔の演技が観たくなって探してみる。あるある、、、ホントに何でもみつかるよね〜。88年のカルガリー・オリンピック。ピョンピョンとゴム毬のように跳ねている伊藤みどり。高い! 本当にこの人のジャンプは高さと滞空時間と距離とスケールがあった。7つのトリプルをすべて決め、最後には滑りながらガッツポーズまでしちゃって、天井まで観客を総立ちにさせた。うん、覚えてるよ、この時の大歓声

世界チャンピオンになったのはその翌年。この時に初めて世界公式戦でトリプルアクセルを成功させたわけだけど、この時の点数が確かギネスプックに載ったんじゃなかったっけ?女子の技術点で6.0を出した選手は他に覚えが無い。

でも私が好きだったのは、この次の年の世界選手権の伊藤みどり選手だ。まずトリプルアクセルの完成度が完璧。表現力も前年よりずっと磨かれて腕の流れもとても奇麗。規定で10位と出遅れたこの年は、オリジナル、フリーとトップだったにもかかわらず優勝はかなわなかったけれど・・・ この、規定で出遅れて後でガンガン上位に上がってくるっていうあたりも伊藤選手のユニークな魅力だった。



今とは採点法が違っていた時代だけれど、伊藤みどりの魅力はジャンプだけでなくスピンもそうだった。レイバックスピンは奇麗だったし、スピードがあった。フライングシットスピンも高い所から入ってる。ジャンプだって最後の1分をきってから3+3のコンビネーションとか入れてるしね。 そういえば、アルベールビルオリンピックの時は、最初のトリプルアクセルが決まらなかったけど、プログラムの終盤でもう一回跳んで成功させたんだよね。今の採点法でもかなりのボーナス点が付くはず。

こちらのEurosportsのフィギュアの解説者2人は、今でも浅田選手がトリプルアクセルを飛ぶ度に伊藤みどりさんの名前を出す。NHK杯で浅田選手の2回のトリプルアクセルが認定されるか、、という判定待ちの時も、「伊藤みどりが最初に飛んだのもこのNHKだったっけ?」「いや、あれはパリだったよ。」とまるで昨日の事のように話していた。フィギュアスケートに於いて、伊藤みどりさんの残したものは大きいんだなあ〜と痛感した。子供のように小柄で無邪気な笑顔、リンクの外に吹っ飛んでも駆け戻ってきてまた次のトリプルを跳んでしまうリカバリーの早さ、他の選手とは一味違う伊藤みどりの元気なジャンプを、暖かい拍手と笑顔で見守って来た人達が沢山いたのだ。

表現力や持って生まれた身体の線、足首の柔らかさ、そういったものを総合的に観ると今の時代の若い選手達はまず身体が違う。やっぱり浅田真央ちゃんは持って生まれた素質に恵まれてる。ジャンプの成功率も昔よりずっと高く、女子の戦いのレベルはどんどん上がる。 そんな中で、もう一度伊藤みどりのジャンプを観てみると、回転不足なんて言葉は必要ないくらいにエッジがしっかり三回転半回り切っている。トリプル二つのコンビネーションでは2つとも高さと飛距離が凄い。
豪快だ。そう、あんな豪快なジャンプをもう一度観てみたいね。

今季は、男子の高橋大輔君が欠場しているのがホントに残念だ。っていうか、このまま今季をすべて棒にふるというのは、再来年のオリンピック選考に影響する・・・怪我は本当にしょうがないけど、、、、 トリノの前年、世界選手権で本田武史が棄権して、オリンピック出場枠のプレッシャーを背負わされた経験があるだけに、今回の事ではどんな思いでいるのだろう、、そして、どんな選手になってまた復活してくれるだろうか?ボクらの時代」で藤原竜也、中村勘太郎両氏に「バンクーバーで金を取って引退するのが夢」ときっぱり語っていたっけ。あの後に、4大陸大会で史上最高点で優勝した、、、このまま終わらないで欲しい。
頑張れ〜〜!帰ってこい高橋大輔!!


毎年この時期になると、私達あてじゃないクリスマスカードが数枚舞い込む。
こっちでは、日本のように表札というものがないので、その家になんという名前の人が住んでいるかは他人には解らない 。実際シェアしたり間借りしたりしている場合も多いので、表札というのはあまり意味をなさない。だから○○通りの×番、というドアナンバー宛のものはすべて配達される

私達宛じゃないクリスマスカード、、、私達の前に住んでた人宛ならまだしも、明らかにそれ以前の人宛のものもあるので困ってしまう。私達がこの家を買ったのは11年前だ。その時に住んでた人は12年ここに住んだと言っていたので、もう20年以上も前からここにはいない人にカードを送ってくる人がいるという事だ。

クリスマスカードは日本でいう年賀状と一緒で、中には、もう何年も全く会っていないのに年に一度の挨拶だけは交わす、という人が何人かいるものだ。住所が変わった事を知らずに送り続けるクリスマスカード・・・でね、、困るのよ、、差出人のアドレスが無いと!!

こちらではクリスマスカードや親しい人への私信の手紙には、自分のアドレスを書かない人が多い。ちなみにカードの場合、封もきちんと糊付けしないで先を挟み込んだだけだったりする。封がされていないので中を見ると、(こういう場合以外は絶対に開けませんが)カードの中に親しげに〜〜よりxxx(xはキスマーク)なんて書いてあるだけで、フルネームすら判らない・・! 返しようがないし、ましてやその人がここにはいないという事を伝える術もない、、、

もうずっと会っていない知り合いを、それでも毎年この時期にだけは「元気でいるだろうか?」と思いながらカードを送る・・・ その気持ちを考えると何とかして「ここにはいませんよ」と教えてあげたい!! でもわかんないものはしょうがないのよ・・!! 宛名人不明でポストに入れ直したところで、結局はポストオフィスで捨てることになるわけで、、、返しようがないんだもの。

それにしても、20年以上も相手に届いていないのだから、その相手からだってカードは届いてないんじゃないのかなあ〜? 何年も続けて向こうから返事が来なくても、それでも送り続けるものだろうか?? それとも送った人の所には相手から今でもカードが来てるんだろうか、正しい差し出し人のアドレスが無いままに、、、? 

こういうカードは、最初の頃はすぐには捨てずにしばらく置いておいて、1月の末頃にさり気なく新聞なんかと一緒に捨てていたのだけれど、最近はそれも気分悪いので、「捨てる」という行為をロイヤル・メールに押し付けるために、返せないとわかっているけど「宛名人不明」と書いてポストに入れ直すことにしている。

築100年以上のこの家に、今までどんな人達が住んだのだろう? 少なくともこの宛名の人は今もどこかで元気に暮らしているのだろうか・・・? 変な話、この家で亡くなった人もいるんじゃないのかな。幸いこの家に念を残している人はいないようで、そういう現象は全くないけど。

今は住所の他に電話番号、携帯番号、emailアドレスと、いくつもの連絡先を持っていることが多いけど、一昔前は住所と電話番号が変わっちゃったらお手上げだったのよね・・・
送った人の気持ち、届かない年に一度の挨拶、宛名の人はその人が今もカードを送ってくれてる事を知らずにいる・・・ ホントに何とかしてあげたいけれど、残念だなあ・・・・


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1月10日までなのでもう一度観ようかどうしようか考えていた「ラ カージュ オ フォール」が、パリから戻ってみたら延長が決まっていた。但し主役の2人は交代とのこと。新たにザザを演じるのが、毒舌トークで人気のゲイのコメディアン、グレアム・ノートン! テレビ司会者としては人気だけど、大丈夫か、、!? と思いきや、ゲイのコメディアン路線で活躍する前は、れっきとしたロンドンでも名のある演劇養成所を出ている。おみそれしました・・・

丁度日本でもこのミュージカルがリバイバル中だ。ホリプロ制作の市村正親/鹿賀丈史コンビのラ・カージュは、チラシを見ただけでも華やかなショーの雰囲気。こちらでやってるヴァージョンとは全く空気が違いそうだ。出演者の数も倍はいる。動画サイトで探してみたら市村さんの歌っているI am what I amがあったので、聞いてみた。  

がくぜん、、、! か、歌詞が・・!!

当たり前なのだ。当たり前なのだけど、う〜ん、そうか、日本語訳でミュージカルの歌を聞くのは苦しいなあ〜〜・・・ 今さら、っていうか、昔は私達も翻訳ミュージカルを日本でやっていたのだから、そのあたりの苦しさは知っている。本番前日になって歌詞が変わった事もあった。台詞の翻訳は殆ど問題ないのだけれど、決まった曲に日本語で歌詞を乗せるのは訳詞家さんの腕の見せ所だ。

原語が英語の場合(ほとんどのミュージカルがそうですが)、一音符に一音しか乗らない日本語は歌詞が半分も入らない。英語は耳に聞こえるシラブルの数は書かれた語より少ないからだ。(例えば、Saturdayは8文字だけれど、音はsa tur day の3シラブルだ。)おまけにその限られた訳詞を、なるべくメロディーのイントネーションに合わせなくてはいけない。内容をかろうじて説明するだけで精一杯だ。おまけに日本語だと男言葉と女言葉でも違ってくるし・・・アルバンはやぱり女言葉になってるのか・・・

そういえば翻訳物のミュージカルなんてもう20年観てない・・・たまたま日本で観たのは、和製のオリジナルミュージカルだったし。ちょっといろいろと探して、いくつかの舞台の日本版動画を観てみた。「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」「オペラ座の怪人」・・・初めて聞いた日本語ヴァージョン。日本人の声質もやっぱり少し違う。どうしても朗々と歌いがちなので、そういう舞台は良いけれど、歌に台詞臭さが欠けてしまう。ミュージカルの歌で一番必要なのは、歌う事じゃなくて語る事だ。

でもそうだったよな〜、日本で大きい作品の翻訳舞台をやると、どうしてもブロードウェイやロンドンの初演物と演出までそっくりになっちゃって、見た目と中身が同じ物を日本に持ってきました、っという感じになってしまう。あれ?上演権の関係であまり変えちゃいけないのかなあ〜〜? でもそれじゃやっぱり面白くないよね。西洋人と日本人じゃ感じ方も笑い所も違うんだし、それなりに変えなくちゃむしろ限界があるんじゃないだろうか。

訳詞じゃなくて、日本語歌詞を新たに書いて曲に乗せないと、根底にある感情が演じる役者も出し難いはず。核になる思いが伝わる歌詞で、初めて観ているほうの胸に響く。中には成功しているものもあって、ああ、巧く乗せたなあ〜と思う曲もいくつかある。本当に、訳した人にとっては、毎日のステージを観る度に「やっぱりこうしようか、あそこを変えようか」と思わずにいられないんじゃないだろうか? 芝居の翻訳でも、ただ言語に長けている人が翻訳したものだと、とても台詞として言いづらかったりする。ミュージカルの詞は、翻訳家じゃなくて作詞家がやるべきだ。

もっともこれは日本語だけの話じゃない。三文オペラの情報が入ってきたので思い出したけど、私が今までに観た三文オペラは多分どれも違う訳だ。ブレヒトの原語はドイツ語。日本で確か2度観たけど、2度とも訳が違ったと記憶してる。最初のはアングラっぽかったなあ〜。ロンドンで観た最初はロッキー・ホラー・ショウのTim Curryがやったヴァージョン。この頃は私も英語はまだあやしくて、日本で観た事があるからなんとか内容が解ったという感じだった。

映画でも古〜いのや、三文オペラの原作になってるBeggar's Opera もテレビでやってたりしてるので、いくつものヴァージョンを観た。その度に台詞も歌詞も少しずつ違ってたはず。10年程前に観たヴァージョンはもっと現代の設定になっていた。このDonmer Warehouseのヴァージョンが私は一番好きで、このキャストでのCDを持っている。だから私の中では三文オペラの歌詞はこのDonmerヴァージョンの英語歌詞だ

でもこれが下品ですごく良いんだあ〜〜!(うっかりバスの中で聞きながら歌っちゃまずいぜ!!)とても当時の貧しいロンドンっぽい

日本のオリジナルミュージカルが英語訳になってブロードウェイやロンドンに来るなんて事はないだろうけど、例えば「天保十二年のシェイクスピア」なんて訳したらどんなになる事やら・・・! 考えただけでも笑っちゃうけど、でも逆が可能で頻繁に行われてるのに、どうしてダメなの? 日本人の感性って、そんなにも世界に通用しないものなの・・・うん、、しないんだろうねえ〜〜


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